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北東アジアの緊迫が語る福岡県に空襲警報と高射砲の音
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10195099.jpg先日、画像を整理していたらこういう物(←)を見つけました。
「ああ、宇都宮に居たとき、ホテルの窓から撮った風景か・・・」と思ったのですが、よく見てみると、まったく違う風景でして・・・。
私は当然、ニューヨークなんか行ったことはないし、ていうか、それ以前に外国ですらないような、何か、昔、ウルトラセブンなどに出てきた異空間の都市みたいにさえ思え・・・。
「???」と思い、しばらく考えて・・・わかりました。
右90度回転した岐阜でした(笑)。

ということで、本題です。
一昨日、佐々淳行氏のセミナーに行ってきました。
氏ももう80歳だそうで、かなり、歩行も困難なご様子でしたが、首から上はまだまだカクシャクとしておられ、相変わらず自慢が多い講演でした(笑)。
で、まあ、内容自体はこれまでに聞いた内容とそう大きく違うものはなかったのですが、その中で、興味深いというか、少し意外なことを言っておられました。
今、北朝鮮ノドン・ミサイルに備えて、東京・大阪・名古屋にはそれ(パトリオット?)に対応した師団が配備されているそうで、それに対して、福岡県出身麻生太郎元総理が強硬に福岡県への配備を主張して1個師団配備されたんだそうです。

で、私が興味を持ったのは「麻生さんが地元に持ってきた」ということではなく、このとき、麻生元総理が佐々氏に言ったという会話でした。
曰く、「佐々さん、あんた、空襲警報は最後にいつ聞いた?」と聞かれたから、「15日はまったく来なかったから、昭和20年8月14日だ」と答えたら、「冗談じゃない。北九州の人たちは昭和27年まで空襲警報高射砲の音も聞いているんだ」と・・・言われたそうです。
まあ、北東アジアでの脅威に対しては如何に北部九州は枢要の地であるか・・・ということを言いたかったのでしょうが、どういうことかというと、朝鮮戦争当時は、時折、北朝鮮ミグ戦闘機がこちらのほうまで飛来したらしく、その際には、空襲警報が発令され米軍機がそれを迎撃すべく一斉に飛び立ち、、高射砲も発射されたんだそうです。
だから、「北九州の人たちは昭和27年まで空襲警報の音も高射砲の音も聞いているんだ」・・・と。

これは私はまったく知りませんでしたね。
父からも祖父からもこういう話はまったく聞いたことがありませんでしたから。
氏は「北九州」と言っておられましたが、これは現代の「北九州市」のことではなく、おそらく、「北部九州」という意味ではないかと思って聞いていたのですが(確かに紛らわしいんですよ。福岡市も「県」なのか「市」なのかわからないし。「小倉市」「博多市」にして欲しいんですけどね。)、あるいは麻生さんの地元は北九州市の方に近いし、当時は小倉の方が博多より大都会でしたからね・・・。
そう考えれば、やはり、北九州市だけのことだったのかもしれませんが、いずれにしても、福岡県には昭和27年まで空襲警報が鳴っていたことは事実なのでしょう・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-10 06:51 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

愛知県民に糺す松田聖子のいただけない博多弁CMの是非
親愛なるアッティクスへ

今、ソフトバンクCM松田聖子ちゃん(「ちゃん」でもないのかもしれませんが、私は同学年ですから、あくまでも、「ちゃん」です・・・(笑)。)が小料理屋の女将に扮してるやつをやってますよね。
で、以前、愛知県豊橋市の友人より、「松田聖子の博多弁、可愛いね」というメールが来たことがあるのですが、彼女はご承知の通り、同じ福岡県でも博多ではなく、久留米市の出身でして・・・、従って、我々が聞くと、かなり、取って付けたような博多弁になっており・・・、(博多では、「なに想像しとっと?」などとは言いませんね。「なん想像しようと?」です。)もう少し、誰か他に人はいなかったのか・・・と。


e0027240_18203565.jpgちなみに、「うわさ話はすべてタダ~♪」の浜崎あゆみさんは福岡市です。
(良く、中洲の鮨屋で「今日は何がはいっとうとー」などと言ってると聞きましたが(笑)。)

ちなみに、博多弁と久留米弁がどれくらい違うかというと、私の祖父は久留米の方の出身でして、子供の頃は良く、祖父の実家に遊びに行っていたのですが、私には彼らが何を言っているかまったくわかりませんでした(笑)。

(←ちょっと、書き加えただけで排水口が人の顔に・・・。)

他県の方にはたぶん、どちらも同じに聞こえるのでしょうが、従って、我々的には松田聖子の博多弁はもの凄く違和感があるわけで、だったら、別に久留米弁でも良かったように思うんですけどね。
で、おそらく、他県の方にはどちらも同じように聞こえるのでしょうが、我々的にはかなり、違います。
これは、一口に福岡県と言っても、江戸時代以前は博多は筑前國、久留米は筑後國であった関係があるのでしょうが、その意味では、福岡県北九州市豊前國ですから、こちらもまた、かなり方言が違います。
ただ、北九州市は、「門司に方言無し」という言葉があるほど方言色が無く、(門司は港町であったことから、色々な地方の人たちが出入りした結果、そうなったとか。)我々が聞くと、殆ど標準語に聞こえ、その意味では、よっぽど、広島弁などの方がわかりにくいですよ。

で、豊橋人には「彼女は、久留米から直接、東京に行った人ですから、博多弁はまったく喋ったことがないはずで、彼女の博多弁はまったく、いただけません。言うならば、豊橋人が名古屋弁を喋っているようなものです」とメールしたところ、「豊橋人の名古屋弁・・・、それはダメです・・・」と返事が来ました(笑)。
あちらも、同じ愛知県でも、尾張三河ですから、かなり、言葉も違うみたいですね。
私が聞くと、どちらも同じに聞こえますが(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-02-03 18:38 | 地域 | Trackback | Comments(4)

福岡県太宰府市の死亡事故に見る傍観する勇気
親愛なるアッティクスへ

ここ数日、ニュースでも繰り返し報道されてましたが福岡県太宰府市でワゴン車が池に転落し、高校生7人死亡したという事故がありましたよね・・・。
現場は県道とは言いながら、地元ではよく知られた、通称、5号線と呼ばれる、割と交通量の多い道路でして、郊外型の店舗など建ち並んでいることから、私も、以前から、「こんな幹線道路沿いに池があるんだ」と思っておりました。
で、この事故では、一方の事故相手である乗用車の運転手も亡くなったそうですが、その後の報道では、この男性は衝突後に脇のガソリンスタンド内に駐車すると、県道を渡り、そのまま、「人が落ちた」などと大声で叫びながら自ら池に飛び込んだ・・・とか。
この事故では幼子も亡くなっており、その悲惨さには胸を打たれますが、同時に私が想起したのは、数年前に、同じく福岡の志賀島で起きた福岡市職員による飲酒運転での幼児死亡事故についてでした。

あのとき、加害者の市職員は海中に落ちた被害者一家の救助に当たろうとしなかったということで、随分と批判されましたよね。
でも、今回、救助(?)に飛び込んだ事故相手は共に亡くなったわけで・・・。
それは冷静に考えれば、当然と言えば当然で、太宰府市という所は盆地でして、福岡市内よりはいつも気候が厳しいんですよ。
報道によると、池の水温は5度だったと言いますが、そんな中に何の防備もなく飛び込んだら、下手すれば即心臓停止、もっても数分とはもたないのではないでしょうか。
夜の真っ暗な冷たい水に飛び込んだ彼の勇気には敬意を表しますが、単に死人を一人増やしただけで、であれば、彼に出来ることは声を掛ける、警察に通報する、ロープを用意するなどの、結局は「傍観」することしか出来なかったのではないかと。

これは私の想像ですが、おそらく、この男性の頭には市職員のことが一瞬、頭に浮かんだのではないでしょうか。
ここで、飛び込まなかったら、市職員同様、「相手の男性は助けようともせず、ずっと傍観していた」と言われるのではないか・・・と。
私が同じ立場に立っていたら、おそらく、そういうふうに考え、この男性と同じように行動してしまったのではないかと。
そして、結果、哀しむ人の数を増やし、余計な手間を増やしただけとなった・・・と。

今の福岡では何か、こういう暗黙の空気があるような気がします。
つまり、もし、この事故の前に自分が同じような事故の当事者になっていたら・・・と。
無論、まだ、事故の詳細もわかりませんし、双方のご遺族の方のことを思えば、何の根拠もない勝手な推測などするべきではないのでしょうが、私が申し上げたいのは、こういう場合、マスコミは「幼子まで見殺しにした奴」と言って喜んで叩きたがるでしょうが、たとえそれでも、飛び込んで何一つ得られることがない、マイナスにしかならないのであれば、断固、今の自分に出来る範囲以上のことはすべきではない・・・、極論するならば、絶対に「傍観」すべきである・・・ということです。
とはいえ、私に出来ることはひたすら、亡くなられた方々のご冥福を祈って合掌することだけでしかありませんが・・・、合掌・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-12-27 07:12 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

郷土愛ランキングに一喜一憂の要なし
親愛なるアッティクスへ

昨日、宮城県より友人が来ましたので、二人で一献やりました。
私は、前夜が2時間くらいしか寝てなかったので、どの程度、お付き合いできるか危惧していたのですが、我ながら、良く最後まで持ったな・・・と(汗)。
で、帰りにラーメン食って帰宅したのですが、胃がもたれているにも関わらず、結局、今日の昼飯もラーメンでした(笑)。

e0027240_16483263.jpgということで、本日はお決まりの二日酔いですので、いつものように適当に流します(笑)。

先日、エキサイトのニュースで面白い物を見つけました。
県別愛着度ランキング(←)、つまり、郷土愛ランキングだそうです。
色々なアンケート結果を数値化したもので、数値が高いほど愛着度が強いのだとか。

で、どういう内容が評価されたかというと・・・。

「出身都道府県のどのようなことが誇り(自慢)に思うか」をたずねたところ、47都道府県の平均では
「海・山・川・湖などの自然が豊かなこと」(51.1%)がトップで、
食事がおいしいこと」(43.4%)、
「道路や交通の便がよいこと」(32.8%)、
「土産や地域産品があること」(27.4%)、
「誇れる温泉レジャー施設・公園など」(27.3%)、
伝統芸能、祭り、イベントがあること」(27.2%)が続き、最も「自慢度」の高かった沖縄県は「海・山・川・湖などの自然が豊かなこと」が83.0%のほか、「人のよさや優しさ、おもてなしがよい」が64.9%と他県と比べて突出して高い傾向だった…と。

で、我が、福岡県は堂々、4位にランキングされているんですね。
まあ、わからないではないのですが、この点で少し思うことがありました。

先日、福岡市ANAクラウンプラザホテル福岡(旧博多全日空ホテル)の総支配人に就任したフェリュス・ジャン・ラファエルという人が、「スタッフに『福岡の良い所は?』と聞くと、すぐに、『食べ物が美味しい』という答えが返ってくるが、『では、その次は・・・』と聞くと途端に続かない」というような内容のことを言っておられました。
この辺は如何にも福岡人らしいんですよね。
愛着は持っていると言っても、自分が興味があることにしか興味がないですから(笑)。
でも、それだけに、郷土愛と言ったって、郷土の何を知っているの?といえば、殆どの人が何も知らないんです。
で、この、「地元ほど知らない」などというのは、何も福岡に限ったことではなく、どこも似たり寄ったりの観はあるでしょう。
であれば、この手のランキングを見て、一喜一憂する必要はないかな・・・と思うわけです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-30 18:40 | 地域 | Trackback | Comments(6)

寸暇を惜しんでも「酒は飲め飲め飲むならば~♪」の巻
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13115241.jpg実は今、先週今週と、大変、忙しくしており、書きたいことは多々あるのですが落ち着いて机に向かうこともできず、なかなか、満足いくように書けていません。
で、本日もちと起稿は無理かなーと思っていたら、今、1時間だけ時間が空きました・・・。

そんな中でも寸暇を惜しんで「おつきあい」にも精励しております私としましては、先日、テレビで「アセトアルデヒド遺伝子」というものの県民割合というのを見たので、それについて触れてみたいと思います。

「アセトアルデヒド遺伝子」とは何か・・・といえば、どうやら、「≒酒が強い度数」と言っても良いようなものだそうで、早速、県別ベスト3をあげると、
1位 秋田県 76.7
2位 鹿児島県 71.4
3位 岩手県 71.4

という結果で、これは、見方によっては、秋田・岩手の東北酒所の独占は許すまじと、鹿児島が九州代表として焼酎を抱えて割って入った・・・という形かと(笑)。
「おお!鹿児島もやるじゃん!じゃあ、次は沖縄だろう」・・・と思っていたら、何と、意外も意外、4位は日本有数のアバウトな県民性が売りの、我が、福岡県じゃないですか(笑)。
しかも、数値は70.4と2位3位に肉薄する堂々の4位・・・。
私の感覚では、福岡人がそれほど酒が強いとは思いませんけど、確かに、「酒は~飲め飲め♪飲むならば~♪」の俗謡「黒田節」で知られた土地柄ではあります。
もっとも、この歌のモデルとなった母里太兵衛兵庫県民ですけどね(笑)。

ちなみに、以下、ベスト10は、
5位 埼玉 65.4
6位 山形 65.1
7位 北海道64.8
8位 沖縄 64.8
9位 熊本
10位 高知

となっており、つまり、4位までが70台であるということを考えれば、ベスト4で明らかなトップグループを形成している・・・と。

e0027240_14584420.jpgまた、5位の埼玉をのぞけば、すべて、東北以北、福岡以南で占められており、これは逆に考えれば埼玉は秋田・岩手辺りからの移住者が多い・・・などということなのかもしれません。
(家近いし(笑)。)

ついでに、下からの10位を見ておくと、
38位 富山
39位 岡山
40位 奈良
41位 大阪
42位 広島
43位 和歌山
44位 岐阜
45位 石川
46位 愛知41.4
47位 三重39.7

となっており、これまた、見事に山陽近畿東海が占めている・・・と。

結論を言えば、酒は僻地ほど強く、雅な中央文化圏になるほど弱い・・・ということなのでしょうか。
でも、それでいて、肝心の京都は上にも下にも入ってませんが、ま、この辺は模様眺めの京都人・・・という気も(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-13 17:04 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

昭和42年の「福岡百年」 その2 第一回県議会の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10555479.jpg本日の福岡県地方は快晴・・・ですが、寒の戻りでかなり肌寒い気温となっております。

で、ここ(←)は福岡市の中心、「天神」の一角です。
天神に比べ、地盤沈下が著しい博多駅前の人間としましては、ここは、「川向こう」魑魅魍魎が棲む人外魔境の地でして、本当は足を踏み入れたくはないのですが・・・(笑)。

で、この付近、今では、ご覧の通りの繁華街なのですが、元々は福岡城の外郭を担う肥前堀というお堀の中に位置してます。
(築城時の掘削工事の際に、佐賀鍋島家が手伝ってくれたから肥前堀というのだとか。)

で、この天神には今、福岡市役所がありますが、元々、昭和56年までは、その隣、今、天神中央公園になっている所には福岡県庁もあり、当時はまだ、福岡市役所も建て変わる前で、私的には道を挟んでカビくさい建物が二つ建っていた・・・という記憶があります。
で、その、福岡県庁ですが、元々、明治4年廃藩置県の際には福岡城内にあったものの、明治9年に福岡県が小倉県と三潴県と合併して新・福岡県になった際に、天神町に移り、さらに、その3年後の明治12年に、その県庁の別棟である県会議所で開かれたのが第1回福岡県議会・・・です。

で、この第一回県議会ですが、当時と今とで大きく違うのが、現在の県知事に当たる県令権限で、「県会の議決に関係なく、執行部案を通せるという権限を持っていた」という、早い話が、開設はさせたけど、あくまで形だけ・・・ということだった・・・と。
で、その強権は早速、第一回議会から発揮されることになります。
発端となったのは、「県立中学福岡、久留米、柳河、豊津の四地区に新設しようという県令提案」で、曰く、「生徒数は各百人。教員の月給二十円、生徒の月謝十銭とし、年間一万二千五百三十一円の予算は全額地方税でまかなう」と・・・。
この提案は、公立高校無償化が導入された現在から見ると、至極、妥当な案のように思えますが、ところが、当時、「県下はイナゴの害と洪水で凶作続き」で、「県民の生活はドン底なのに四校も一時に開設、経営するカはとてもない」ということから、教育の重要性は認めながらも、「いまは教育どころではない」という意見が多数を占め、「しょっぱなから執行部と激しいやりとりとなり」、結果、「圧倒的多数で執行部案を否決した」のだとか。

ところが、県令はこの「参考意見」を一顧だにすることなく、各県立中学はそのまま発足することになる・・・と。
同書は「県民の代表だと気負い込んでいた議員さんたちだが、どうにもならない。地方自治の悲哀をはやばやと味わった」と記していますが、でも、これなどは、消費税増税論議さえ一向に進まない今の民主主義限界弊害を考えれば、一概に「酷い話」だとも言えないような気がします。
同書は、昭和42年発刊という、戦後から、まだ22年しか経っていない時代の物ですから、その意味では、如何にも、民主主義礼賛という、その時代の空気を感じることができるような気はしますけどね・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-14 08:34 | 政治 | Trackback | Comments(0)

忙中閑あり、北九州の旅
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13415485.jpg今朝、ガキが、「ああ、もうすぐ夏休み終わりか」と呟いているのを見て、「ああ、もう、そういう季節なんだな」と思いました。

ところで、夏と言えば、先月なのですが、ここ(←)へ行ってきました。
北九州市にある洞海湾です。

今は割と綺麗になったそうですが、聞けば、昔は公害でガスが浮き上がってきたり、魚を釣ったら頭が2つある魚が釣れたり・・・という酷い状態だったとか。
私も学生時代、北九州市から来ていた友人の話を聞き、同じ県でも、随分、福岡市とは置かれた環境が違うな・・・という印象を持った記憶があります。
その当時は、本当に酷かったんでしょうね。

e0027240_13535265.jpgで、その北九州市ですが、実は私は同じ県でありながら、数えるくらいしか行ったことがなく、今回行った戸畑、若松というところはまったくの初めてでした。
(←若松戸畑を繋ぐ若戸大橋です。関門橋が出来る前はちょっとした観光名所でしたけどね。)

e0027240_14234739.jpgちなみに、私の母は父(私の祖父)が当時の八幡製鉄に勤務していたときに生まれたので、一応、北九州市の生まれなんですけどね。
もっとも、幼少時しか居なかったので、あまり記憶はないようですが。

で、何をしに行ったかというと、ある日帰りバスツアーに行ってきたのですが、これを申し込んだときは、まさか、自分がこんなに忙しくなるなんて思ってもみなかったので申し込んだのですが、それが蓋を開けてみたら、見事に・・・。
本当はこんなことしている場合ではないんだけど・・・ということで、よほど、キャンセルしようかとも思ったのですが、既に金を払っていたこともあり、結局、思い切って、行ってきました。

・・・と、ここからが本題だったのですが、嗚呼、本日はこれ以上は時間に余裕がありません。
また、いつの日か改めて・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-08-18 17:28 | 地域 | Trackback | Comments(0)

「喬木風に弱し」第二弾!博多の明太子に見る特許と商標
親愛なるアッティクスへ

ところで、チロリアン・・・って、知ってますよね?
博多のお菓子ですけど・・・。
別に、このお菓子の宣伝をするわけではないのですが、博多には、何故か、お菓子メーカーで有名どころがいくつか有ります。
聞いたら、結構、びっくりされるかもしれませんが、ひよこや、チロリアンの千鳥屋などもそうです。
(ひよこを東京銘菓と信じて疑わない方が、結構、多く・・・(笑)。)

あと、もうひとつ、どこだったか忘れましたが、それを併せて、博多の三大銘菓というらしいのですが、なぜ、博多にこういうお菓子メーカーが集まったかというと、かつて、福岡県では石炭が採れたので、その炭坑夫相手にお菓子を売っていたのが、その後、石炭が斜陽化したことで、博多の方に出てきた・・・ということだったとか。
e0027240_16111482.jpg

(炭坑夫というのは、肉体労働甘いモノが食べたくなる一方で、いつ、落盤があって死ぬかもしれないという危険な仕事だったから、給金は割りと良く・・・つまり、金回りがいい・・・ということで、昭和三十年代くらいまでは、この荒くれの炭坑夫という人たちが、福岡県の経済を動かしていたと言ってもいいほどだったそうです。)

で、博多と言えば、もうひとつ、忘れて成らないのが明太子です。
こちらは、元々、ふくやというところが始めたのですが、ここは、驚くことに、特許登録商標もとらなかったのだそうです。
それどころか、逆に作り方を聞きに来た人には教えてあげたとか・・・。
その結果、博多の明太子は、専門メーカーは元より、寿司やから料亭・・・、果ては一般家庭などでも自由に作ることが出来たことから、一気に明太子店が拡がり、本家本元のふくやの前にさえ、別の明太子の店が出来るほどだったとか。
そこへ、新幹線が博多に乗り入れることになって、一気に、全国ブランドになったとのことでしたが、これって、まさに、驚嘆すべき発想!端倪すべからざる卓見!ですよね。
この辺は、まさしく、平太郎独白録 「桿木風に弱し!」でも西武の創業者、堤康次郞至言としても申し上げた、まさしく、「喬木風に弱し」ではないですか!
もし、これを、専売特許登録商標などでがんじがらめにしていたなら、果たして、明太子は今ほどの隆盛を見ていたでしょうか・・・。

それに、特許などは、口で言うほど絶対的な物ではないようで、中小企業が苦労して取得しても、大企業は中小企業の側に訴える能力がないと見て取れば、平気でこれを侵害してくると言います。
さらに、訴えたところで、膨大な手間時間コストがかかり・・・。
そう考えれば、この明太子の戦略というモノは、ちょっと前の「阪神優勝」「ホリエモン」商標問題のように、今や特許登録商標を取るのが、一種の社会現象のようにさえなりつつある観がある現代、一考の余地があるように思えます。
登録商標も、今や、膨大な順番待ちだとか。
さもありなん・・・と思いますよ。
少し、こういうものは、見直した方がいいのではないでしょうか?
住友の家訓でしたっけ?
「浮利を追わず」と言ったのは・・・。
                               平太独白
by heitaroh | 2008-01-12 08:29 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)

皆既月食の夜に想う隕石に当たって死にたいの心情
親愛なるアッティクスへ

e0027240_151317.jpg先夜の皆既月食はご覧になりましたか?
私も、今まで、見たことがなかったので、是非、見なきゃ・・・と思っていたのですが、例により、すっかり忘れてしまい、おまけに、こういう日に限って、残業で、いつもより遅く帰ってしまったという。

e0027240_155569.jpgで、晩飯食っていると、家人が、ちょこちょことベランダに出ている・・・。
気にも留めずにいたところ、ちょうど、飯食い終わったところで、「消えた消えた!」という声・・・。
初めて、事態を悟って、押っ取り刀でカメラを持ってベランダへ飛び出しました。

なるほど、これが、月食か・・・と。
まあ、だから何だと言ってしまえばそれまでのものでしたが、割と、飽きずに見てましたね。
夕涼みがてら・・・。

私が見たときは、一旦、消えてしまってから元に戻るところでしたが、聞けば、消え始めるときがきれいだったそうですね。
真っ赤になって、もの凄く、幻想的だったとか。

で、それをみているうちに、ある方の「死ぬなら隕石に当たって死にたい」というコメントを思い出しました。

数年前、ちょうど、火星地球に最接近する・・・とか言われていた頃に、家族連れで、福岡県星野村というところにある宿泊施設がある天体観測「星の文化館」に行ったときのこと、案内してくださった職員の方との話の中で、隕石が落ちてくるという話になり、私が、「突然、隕石が落ちてきたら怖いですよね」と言ったところ、その方は、「えー?そうですかぁ、私はどうせ死ぬなら、隕石に当たって死にたいですねぇ」と少し、うっとりした顔で言われました。
好きこそものの上手なれといいますが、多くの人が、「好きなことを仕事にしたい」・・・と思う一方で、その人たちのどれほどが、本当に、ここまで入れ込めるのか・・・と少し考えさせられました。
おそらく、彼は、一生、を見て暮らして行ければ、世の中の毀誉褒貶などというものには無縁でも構わないんでしょうね・・・。
なぜか、少し羨ましかったことを思い出してしまった一夜でした。

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by heitaroh | 2007-08-30 00:00 | 時事問題 | Trackback | Comments(6)

深山幽谷分け入って妙、四十年一昔のリベンジ 前編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_130577.jpg昨日、私はうちの腑抜けたガキども「喝!」を入れるべく、仕事をさぼって、記録的な猛暑の中、日本三大彦山のうちのひとつ、福岡県の霊峰・英彦山(ひこさん)に登ってきました。
実は、この英彦山というのは私にとっては、曰く因縁ある山でして・・・。

即ち、今を去ること四十年近く前、確か、昭和43~45年頃のことだったかと思うのですが、小学校低学年だった私は、当時の下人参町町内会(現博多駅前に町名が移行するかしないかの頃だったと思うのですが。)の旅行で、ここに行きました。

e0027240_11313827.jpgで、到着後、皆で弁当を拡げた後、「子供だけで上まで登ってみよう!」ということになりました。
で、勇んで頂上を目指して登り始めたのですが、箸よりも重い物を持ったことがなかった私は、他の子らに遅れながらも休み休み登っていたところ、突然、誰か知らない近所のお兄さんから、「君、一緒に下りようか」と言われました。
(同じ町内会といはいえ、当時は、少し年が離れると知らない人が普通にいましたね。)
私としては、まだ、別に上まで行けると思っていたので、「いえ、いいです」と答えたのですが、そのお兄さんから、「いいんだよ。僕も下りるんだから」と言われ、すぐに流されてしまう私は、内心、忸怩たる物がありながらも、「はあ・・・」と(笑)。

まあ、こういう場合は、本人よりも他者の判断の方が的確なようですから、おそらく、その人の判断は正しかったのでしょうが、私としては、以来、子供心にも「登れたのに・・・」という想いが心中どこかに引っかかっておりました。
で、その後、不思議なほどに、なかなか機会が無かったのですが、このたび、ようやく、40年ぶりのリベンジトライした次第でした。

e0027240_1259854.jpgところが、ざっと計算して、車で一時間もみておけばいいかな・・・と思っていたところ、同じ福岡県内と言っても、大分との県境にある山ですから、やはり、しっかり遠く・・・。
でもって、スタート地点まで行ったところ、飯食うところもなく、再び、駐車場まで戻り・・・。

さらに、うどんだんご汁ところてんを頼んだところ、だんご汁一杯がやたらでっかく、腹がパンパンに・・・。
その状態で登り始めたところ・・・。

続きは明日のココロだ~の巻。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-08-09 08:53 | 地域 | Trackback | Comments(12)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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