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権力は遠心力を有している
親愛なるアッティクスへ

今日からついに10月ですね。
驚いたのはカレンダーが2月のまま止まっていたこと・・・。
今年に入ってからの私の多忙さがおわかりいただけるでしょうか。
それと一緒で、久しぶりに当ブログの訪問者数を見てみたら、何と、236,984となっており、25万人突破が視野に入って来ていることに気づきました。
(ただ、これはこのエキサイトブログだけの数字ですから、当初はライブドアでもやってましたし、一時期はgooとも併設していましたので、実数はおそらく、30万人を突破しているのではないかと思われます。)

さて、常日頃、私は、「権力とは、それ自体に遠心力を有しているもののようである」と感じております。
即ち、権力とはハンマー投げハンマーのように、油断すると、すぐに手から離れて飛んでいってしまうもののようだと。
時には、ちょっとした油断からその辺に落ちて、側近くの者に拾われてしまうもののようでもあります。
従って、それを手放さないように維持するためには、もの凄いエネルギーを必要とするわけで、その意味では、黒田如水よりは豊臣秀吉・・・、周 恩来よりは毛 沢東のような、権力に対しての脂ぎった執着心を持った者の方が適任である・・・といえるでしょうか。

となれば、どうにも、こういう脂ぎった物を持たない・・・、つまり、恬淡すぎる私としては・・・、平たく言えば、福岡人の国民性そのものに、アバウトでどうにも粘りがない私としては・・・、砕けて言うならば、ワックスなど滅多にかけないけど、たまにかけると、半分掛けた段階力尽きてしまう私としては・・・、もっと砕けて言うならば、残り半分のワックスはまたそのうち・・・などと思いつつ、半永久的にに掛けない私としては・・・(長い!)、とにかく、こういう具体的「数字」というものは、大いに励みになるということです(笑)。

e0027240_1145265.jpgともあれ、「継続は力なり」とは申しますが、これほど多くの方にお越し頂いていたことに、知らぬうちにご支援を戴いていた感慨を覚えると共に、改めて、謝意を表し奉る次第です。誠に持って、有り難うございました。

(←この鍾乳石が繋がるには、まだ60年かかるとか。意外に早い?(笑)。)

と言いつつ、実は昨日までは先月中旬以来、多忙さも一段落して、わりとゆっくりしていたのですが、今朝からなぜか、突然、忙しくなってしまいました。

で、また、しばらくは思うに任せない日々が続くのですが、今後ともご支援のほど、よろしくお願いいたします。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-10-01 07:58 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

映画「コクリコ坂から」に思った人間、単純が一番!
親愛なるアッティクスへ

         「男兒立志出郷關  學若無成不復還  
          埋骨何期墳墓地  人間到處有靑山」

 (男児志を立てて郷関を出づ 学もし成る無くんば復た還らず
    骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せんや 人間到る処青山有り)


これは、吉田松陰と並ぶ幕末長州藩思想家海防僧と呼ばれた月性という人が詠んだ漢詩ですが、あの毛沢東も中学入学に際してはこの詩を詠んで意気込みを示したと言われています。
意訳をお許しいただくと、

「男子が一旦、志を立て故郷(クニ)を出た以上、
   志が成らなかったら、もうクニへは帰らない。
       骨を埋めるのは何も肉親と同じ所と決まっているわけじゃない。
    その気になれば世の中の至る所に適当な場所はいくらでもあるさ」


といったところではないかと思っておりますが、これこそが、常々、私が息子たちの世代に対して不満に思っていた部分でして・・・。
なぜ、唐突にこういうことを言うかといいますと、実は私・・・、映画「コクリコ坂から」を見てきたんです(笑)。

まず、例によって、最近のノスタルジック映画にありがちな、登場人物に悪い人は一人もいない・・・という部分はやむを得ないとして、思ったのが、主役の長澤まさみちゃんの・・・。
私にはどうにも登場人物の少女との間に違和感があり・・・、と言っても、長澤まさみちゃんが悪いというわけではないんですよ。
ただ、彼女はもう、20代半ばでしょう?
であれば、もう、大人の声なんですよね。
いたずらに有名人などを使わずに、ベテランであってももっと少女らしい声が出せる、その道に長けた声優を使うべきだったのではないか・・・と。

まあ、それはさておき、舞台は東京オリンピック前横浜・・・のようでしたが、であれば、まさしく私が物心つくかつかないか・・・の頃の話だったのでしょう。
が、私的には世代的にまだ幼すぎたからか、あるいは博多近辺には、横浜のようなああいう港からいきなり丘・・・という地形がなかったからか(その意味では、門司長崎などの人が見ると実感があったのかもしれません。)、はたまた、名門校などにはひたすら縁遠い凡庸さゆえか、郷愁という点ではイマイチピンとくるものがありませんでした。

・・・とまあ、などと偉そうなことを言いつつ、実は、しっかり、少しうるっとしてしまい・・・(笑)。
でも、やっぱ、理屈じゃないんでしょうねぇ。
私には何一つ、共感できるような部分があったわけではないはずなのに、見終えた後、妙に、私の中で「まだ、暴れたりない」と言っているものがあり・・・。
本当は私も、もう50ですから終わっているのでしょうが、どこかで「まだ、終わりたくない!」と言っている、諦めの悪い何かがいるわけで・・・。
それだけに、息子たちの世代が妙に分別面して諦めの良いことを言っているのが気に食わないわけです。
で、などと思いつつ、帰途、ふと気がついたらここ数日、心にわだかまっていた重い雲が扇風機で吹き飛ばされたかのように晴れやかになっており・・・。
まあ、人間、単純が一番ですよ(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-07 07:22 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

祝!5周年の節目に思う思えば遠くへ来たモンだ! その4
昨日の続きです。

本日は、まずは女性の皆さんのご期待にお応えして、私の女性の好み・・・についてです。
(誰も期待していない・・・などという暴言には某党幹事長のように一切、耳を貸しません(笑)。)
まず、「人切り平太郎」などと有り難くないあだ名で呼ばれる今と違い、子供の頃はとてもやさしい性格でしたから(←ここ、笑うところではありません・・・(笑)。)、意外に女性は気が強い人・・・が好きでしたね。
なぜかというと、そういう人だと、後事を気にしなくて良いじゃないですか。
(はっきり言って、相当にマセたガキでした。)
その意味で、私の当時の理想の女性は何と言っても加賀まりこさん・・・でしたね。

それから、意外なところでは、「妖怪人間ベム」に出てくるベラおばさんも結構、惚れ惚れとするくらい好きでしたねぇ(笑)。
(あのおばさん、女妖怪同士の戦いになったら、120%負けてませんでしたからね(笑)。)
ところが、最近では、年取ってきたせいか、気が強い女性は、ちと疲れるんですよ。
多分、今でも理想としては気が強い人は嫌いではないんですが、現実世界では・・・。
晩年の毛沢東も、江青「もっとやさしくして」と言ったそうですが、何となく、気持ちがわかるような・・・(笑)。
鄧穎超(周恩来夫人)は周君にあんなに優しいじゃないか」・・・と。

・・・と、これ以上はさすがに厚顔無恥の私も、突き刺さるような女性の冷たい視線に耐えかね、おもむろに話を変えます(笑)。

e0027240_1059246.jpg(←サービスカットです(笑)。背景は、建設中の東京スカイツリーですね。)

ちなみに、意外に思われるかもしれませんが、私が初めて、東京に行ったのは平成3年(1991年)、30歳のとき、勤めていた会社の「出張」ででして、それまで行った中で一番遠かったのは、高校の修学旅行で行った長野県で、当時は、まだ、名古屋までは寝台車でした。
でも、今となっては、寝台車に乗ったのはこのとき限りでしたから、とても良い経験だったと思っていますね。
(私は基本的に「宿泊場所と移動手段には金を使わない主義」でして、今も、こういう物にはまるでこだわりはありません。)

一つには、あまり、東京という物に興味を持たなかった・・・ということがあったでしょう。
ただ、他の都市は、3日も居れば、その都市のハダカの姿が見えてくるのですが、さすがに東京はでかすぎて、大体の輪郭を把握するのに7日くらいかかりましたね。
もっとも、この辺は「青山のどこそこにOOがある」などということではなく、その意味で言えば、私は今でもそれほど詳しくはないですよ。
この、私が言う「ハダカの姿」というのは、極めて、私の感覚的な物でして、「あー、この街はOOOで持ってる街なんだな」とか、「ははぁ、ここはXXXが存在することにより成り立っている街なんだな」とか、そういうことなんです。
その意味で言えば、東京という街は、ズバリ、「人が居る街」ということろでしょうか。
つまり、何かがあるから存在している街ではない・・・ということで、おそらく、首都を移転してしまうと、いきなり、イチ地方都市になってしまうと思いますよ。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-03-26 08:46 | その他 | Trackback | Comments(10)

原野に行けば明日から牧歌的な生活が送れる低認識 前編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13393029.jpg近頃、うちのガキが韓国冷麺に目覚めまして・・・。
で、昨日、うちの電子ジャーがぶっ壊れたので、やむなく冷麺目当てに焼肉屋に行く羽目になったのですが、行ったら、何と、肝心の冷麺は無い・・・。
こちとら、焼肉なんぞ食った日にゃぁ、三日くらい腹が減らないんですよねぇ。

で、胃もたれ気味の近況はさておき、最近、よく思う事があります。

「日本人は、とかく、原野に行けば、そこで明日から牧歌的な生活が送れるモノだと思っているのではないか?」と・・・。
しかし、現実には、原野に行って、一番最初に必要なモノは「武器」である・・・ということが、まったく、頭にないようです。
「いや、食料だよ」と言われるかもしれませんが、「食料だけあって、武器が間に合わない」というのは、余計に危険なことのように思えます。

で、なぜ、こういうことを言うかというと、以前、平太郎独白録 : 女性の自立に見る王朝部族の成立の原点!でも触れたことですが、現在の日本の女性は社会的な地位向上に伴い、あまりにも自分たちが弱者であるという認識が希薄になっているように思うからです。
だから、出会い系サイトなどで知り合った見知らぬ人にあっさり着いていって、取り返しのつかない被害に遭うようなことになるわけで・・・。
いくらなんでも、もう少し、自分たちが弱者であるという認識を持つべきだと思うんですけどね。

で、なぜ、今頃、改めてこういう事を言うかというと、先日、横山光輝という人の書いた「長征」というマンガを読んだからです。
(横山光輝という人は、今更、言うまでもない、手塚治虫と並ぶ漫画界の大御所でありながらも、最期は、たばこの不始末による失火焼死・・・という悲惨な亡くなり方をしたことで記憶にある人でもあります。)
長征というのは蒋介石率いる国民党軍に圧迫された中国共産党が、1934年-1936年にかけて行った流浪の行軍で、この途上で毛沢東の指導権が確立されたという意味で、以後の共産党の反転攻勢に繋がるモニュメント的な意味合いを持つと言われている出来事です。

明日へ続きます。

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by heitaroh | 2008-06-04 08:38 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

「呆けた毛沢東ほど始末が悪いものはない」の定義
親愛なるアッティクスへ

今月30日は、第二次世界大戦中、事実上の最高決定権者の地位にあったアメリカ合衆国大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが生まれた日だそうですね。
ただ、彼は、この大戦の最中に亡くなったことからノルマンディー上陸作戦や、ヤルタ会談でのソ連へのシベリア参戦要請などを始めとする、一連の決定は、果たして、正常な思考の元で為されたのか?ということが言われているようです。

ノルマンディ上陸作戦は、映画、「史上最大の作戦」でもよく知られている戦いですが、この作戦は、昭和19年(1944年)6月6日、敗色濃厚の感が強くなってきたドイツにとどめを刺すべく、連合軍によって為された、ヨーロッパ本土への強襲上陸作戦です。
ところが、実は、当時、相手方であるドイツ側には、もう一カ所、別の上陸予想ポイントがあったそうで、それが、パ・ド・カレー地区です。
当時、ヒトラーを始めとするドイツ首脳も、ここを連合軍の上陸予想地区の第一に掲げ、実際に連合軍がノルマンディに上陸したときも、一部の司令官の中には、これをパ・ド・カレー上陸の為の陽動作戦だと思い込み、早期の反撃指示しなかったとさえ言います。
それほどに、パ・ド・カレーが重要視されたその理由・・・。
それは、「イギリス本土から大陸への最短距離である。」、「空軍・海軍からの支援が受け易く、港も確保し易い。」、「イギリスにとって脅威であったドイツ側のロケット兵器基地がある。」ということと、もうひとつ、何より、この地は、「ライン川からドイツの心臓部にかけての最短距離。」であったことです。

つまり、ここを攻撃することは、ドイツ心臓部への最短距離でもあることから、ドイツ側の頑強な抵抗が予想されるとしても、結果として、早く戦争を終わらせることが出来た可能性もあったわけです。
となれば、ソ連ベルリン進駐は間に合わなかった可能性も有り・・・。
さらに、その上、連合軍はミスを犯します。
連合軍は、ノルマンディ上陸後も、一路、首都ベルリンを目指すことをせず、まず、残存するドイツ軍部隊を撃破することを優先し、ベルリンから90度曲がって、残存部隊に殺到してしまったことです。
先に、残存部隊を撃破することをせずに、首都を攻略したナポレオンの教訓があったのかもしれませんが、その間に、ソ連軍が「腐っても鯛!」とばかり、ベルリンを制圧してしまったことで、その後の東西冷戦と軌を一にして、ドイツ東西分割が決まってしまったと言われています。
つまり、連合軍が、敢えて、ドイツ軍の抵抗は大きいが、最短距離でベルリンへ行けるパ・ド・カレーへ上陸し、脇目もふらずに、一路、ベルリンへ進撃していたなら、その後の歴史は大きく変わったのかもしれない・・・ということです。
その後、翌1945年2月4日からのヤルタ会談を経て、ドイツ降伏の1カ月前、日本降伏の4カ月前の4月12日昼、ルーズベルトは突然、63歳脳溢血により任期半ばで世を去ります。

この点について、私見を言わせて頂くなら、ルーズベルトの頭脳は、やはり、正確な判断ができない状態であったと思います。
それは、拙著「死せる信玄生ける勝頼を奔らす」にも書いていることなのですが、私自身の体験としても、こういったルーズベルトのような症状は、いきなり、痴呆というものになるのではななく、「ボケ」というよりも、「ズレ」という形で出てくるもののようだからです。

日常会話には支障はないから、極々、身近な一部の人以外、このズレには気づかないのですが、逆に、家族や秘書など、身近にいるものにはよくわかります。
ところが、こういう英雄の微妙なズレは、そういう身近ではない人たちには、なかなか、わかってもらえないんですよ。
ズレた決定が過去の実績と相まって、深謀遠慮とさえ映る・・・。
さらには、困ったことに、ズレに気づいたところで、いくら異議を唱えようとも、逆に意固地になって一喝される・・・。
老人特有の症状ですね。
そうなると、もう、誰も触れようとしないんですよ。

呆けた毛沢東ほど始末が悪いものはない。
くどいようですが、これが、私自身が体験した、身に染みた結論です・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-01-05 08:24 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

10万人突破に権力を執着心に欠ける我が身を顧みるの巻
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1151564.jpg今日から10月ですね。
10月という事は、このブログを始めてから、ちょうど丸2年半が経ったことになるわけですが、実を言うと、2年を過ぎた辺りから、結構、飽きてきて、モチベーションも下がり・・・、「もー、いーかなー」と思うようになってました。

(ちょうど、マラソンをやってる最中に、「もう、ここら辺で歩こうかなー。もー、いーかなー」と思う、あれですね・・・(笑)。)

そんなこんなの先週末の金曜日、滅多に見ない来訪者数のページを、ふと見たところ、前日までで始めてからトータルでの来訪者数が、ちょうど、「51,000人」を記録しておりました。
直近の一日平均では「113人」、また、アクセス数では、9月中のMAXで「302アクセス」(9月4日。ちなみに、なぜ、この日なのかは、さっぱりわかりません。記事を見ても、前日も含め、何ら、話題性がある記事ではありませんし。)を記録しておりました。
でもって、よく考えたら、これとは別に、同じ記事を別館の方でも更新しており、こちらは、トータルの数字はわからないのですが、直近の一週間(09/16~09/22)で、閲覧数1420 pv・アクセスIP数633 ipを記録していることから、一日辺りに直すと、約210閲覧・90アクセスIPということになるわけで、であれば、おそらく、単純に51,000という数字をにしていいのではないか・・・ということに思い至りました。
(さらに、これに、最初、3ヶ月ほどやっていたライブドアでの来訪者数も加算すれば、おそらく、トータルでは、ほぼ、「10万人」突破したことは確実ではないかと。と言いつつ、来訪者数アクセス数閲覧者数アクセスIP数というのがどう違うのか、イマイチ、わかっておりませんが・・・。)

ともあれ、「継続は力なり」とは申しますが、これほど多くの方にお越し頂いていたことに、知らぬうちにご支援を戴いていた感慨を覚えると共に、改めて、謝意を表し奉る次第です。
誠に持って、有り難うございました。

で、この点で、本日のお題です。
常日頃、私は、「権力とは、それ自体に遠心力を有しているもののようである」と感じております。
即ち、権力とはハンマー投げハンマーのように、油断すると、すぐに手から離れて飛んでいってしまうもののようだと。
時には、ちょっとした油断からその辺に落ちて、側近くの者に拾われてしまうもののようでもあります。
従って、それを手放さないように維持するためには、もの凄いエネルギーを必要とするわけで、その意味では、周 恩来よりは毛 沢東・・・、マスードよりはドスタム将軍のような、権力に対しての脂ぎった執着心を持った者の方が適任である・・・ということでしょうか。

となれば、どうにも、こういう脂ぎった物を持たない・・・、つまり、恬淡すぎる私としては・・・、平たく言えば、福岡人の国民性そのものに、アバウトでどうにも粘りがない私としては・・・、砕けて言うならば、ワックスなど滅多にかけないけど、たまにかけると、半分掛けた段階力尽きてしまう私としては・・・、もっと砕けて言うならば、残り半分のワックスはまたそのうち・・・などと思いつつ、半永久的にに掛けない私としては・・・(長い!)、とにかく、こういう具体的「数字」というものは、大いに励みになるということです(笑)。

ということで、今後ともご支援のほど、よろしくお願いいたします。

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by heitaroh | 2007-10-01 08:55 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

我が心の師、大橋武夫氏の叱咤に想う秋霜烈日的ブログのヨロク!
親愛なるアッティクスへ

思えば、いつだったか、友人より、「京都にて催される或る会に出席しないか?」という誘いを受けたことで、例によって、軽いノリでOKしたものの、でも、そういう晴れがましいところに俺のような小者が出ていいものか・・・と思ったことで、とりあえず、何とか固塗すべく、せめて取り急ぎ、ブログなるものくらい作っておこう・・・と思ったのが、私がこのブログを始めたきっかけでした。
(そのときの詳細はこちら→平太郎独白録 「月はおぼろに東山♪秋田人と見る等伯の渾身の筆!」
で、始めた当時のことは、さておき、実は、私には、このブログを書き始めての思わぬ余慶がありました。
それは、資料として、度々、昔の愛読書引っ張り出す機会に恵まれたことです。

なかなか、今はまだ、新しい知識を求める過程にある・・・と言うと聞こえは良いのですが、実際は、読む時間がないのに、これでもかと新たに本を買ってくるもので、積ん読状態が著しく・・・。
ということで、昔読んだ本を改めて読み返してみたい・・・とは思っても、なかなか、そういう機会はありませんでした。
それが、ブログを始めたことで、昨日も述べました、学生時代愛読しました大橋武夫氏の著書などを引っ張り出して来ることに繋がったわけです。
おまけに、目的の部分を探すのに斜め読みしたりしますから、それなりに量を読んでしまうことになったりして、秋霜烈日、ハッとしたりすることや、当時の自分の書き込みに思わず、苦笑することも有り、時には、昔の恩師から、「おまえは、こんなはずではなかったのではないか?」と叱られているような気になって、気が付いたら、思わず、背筋が伸びていたりすることも・・・(笑)。

で、以下参考までに、その我が師(?)、大橋武夫氏の著書の中で、思わず、私が刮目してしまった部分です。
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*人間の生き甲斐は立身出世を目指して努力することにある

 掲げるべき目的とは何か?それは立身出世である。
 人として生まれたからには、人間としての最高の地位を求めて精進すべきであろう。
 実力がないというがそのあきらめはまだ早い。
 私が売れる本を書けるようになったのは、七十歳をすぎてからである。
 
*まず、旗を掲げよ

 旗に書いていれば、どんなことでも成就するというような甘い世の中ではないが、私自身、旗に書いて宣言しない物は殆ど実現していない。
 まず当面の目標をきめ、これを内外に宣言すべきである。
 いくら心で思っていても、外に現さねば人にはわからない。
 わからないことには協力のしようがないのである。

 また自分の考えを外に現すことで、逆に自分の考えがまとまり、決意が固まるものである。
 大見得を切って実現できなかったら、恥しいと尻込みする人もいるが、それによって自他ともになんの実害を受けるものではなく、かりに少々あっても、それによる利益を思えば何でもない。
 
*目標はまず食うことである

 目的が決まったら、当面目標を決めるべきである。
 人間の基本的欲望は「生きたい、食べたい、恋愛したい」であるが、そのうちで先ず目標とすべきものは十分に食うことである。
 食うことは重大であり、決して軽蔑すべきことではない。
 毛沢東が中国全土の統一という大事をなしとげたのは、その思想工作よりも、ともかく大衆の腹を満たしたためである。

 さて、食を得ることは大切であるが、それだけを目指していては動物と変りないものになる。
 人間が人間として生きるためには、その後の目的が必要であり、金儲けを目的にして作られた国宝はない。 
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不惑などと言いながら、実は、この数年、私は絶えず、惑いの中にいました。
しかし、その答えの一端は、実は、20年前に自分が通ってきた足跡の中にあったとは、何とも間抜けな話です。
「きれい事ばかり言っているのではないか?!」、
「情けないことばかり言う前に、お前は旗を掲げているのか?!」、
「まずは、『食うことが大事』というお前の考えは間違っておらん。しかし、目的はもっと大事ではないのか?!」・・・。
おまけに、「私が売れる本を書けるようになったのは、七十歳をすぎてからである。」なんて・・・、何だか、シャレになりませんよ(笑)。
本当に、昔の恩師に一発、ガツンとやられたような気分です。

気が付けば、青雲の志、今何処。
我が身の堕落、嘆息尽きず、尽きず尽きず酌めども尽きず・・・。
とりあえず、今宵あたり、御一献、如何ですか・・・、御同輩・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2006-01-17 08:47 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

私事に見る「天道是か非か」的告知
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14135498.jpg私儀、恥ずかしながら、この度、二冊目の著書「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」を出版致しました。
お笑い下されたく候です。
ちなみに、前作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」は、その節は、ヨン様と並んでましたが、今回は石原慎太郎と並んでました(笑)。

ちなみに、マジの話ですが、今日もずっと、車を運転しながら、著書のことを考え、ブログのことを考えていたら、ラジオから血液型占いが流れてきて、聞くとも為しに聞いていたら、「A型の貴方。(私です。)自意識過剰にならないように。井の中の蛙と笑われますよ。ラッキーポイント世界地図です。」と・・・。
嗚呼、天道是か非か・・・。

実は、アマゾンでもまだ、画像も登録されてませんし、店頭に並ぶのも来月初旬と聞いてましたので、それから・・・と思っていたのですが、先ほど、友人を迎えに博多駅に行ったら、すでに並んでましたので、慌てて、UPした次第でした。
本当は、昨日でブログも仕事納めにしようかな・・・と思っていたのですが・・・。
ちなみに、正月の間、アップされ続けれるだろうと言う腹黒い計算も・・・(笑)。

さておき、今回の作品は、名前からすぐにおわかり頂けると思いますが、戦国の名将「武田信玄」とその後継者「武田勝頼」を描いたモノです。
ただ、前作よりも、かなり色濃く、私自身の体験が出ている作品だと言えます。
そして、哀しいかな、これは、私だけの特異な体験ではなく、これが、日本の中小企業(あるいは、松下幸之助などを見ていると、大企業でさえも・・・。)で起きていることの現実だとも言えるような気がします。
中内功、藤田田、水島広雄、和田一夫・・・etc、昨日の名将が今日も名将であるとは限らないんです。
その意味で、おそらく、500年前の武田家の実態も「当たらずといえども遠からず・・・」だったのではないかと思っています。
過去のカリスマがかえって仇を無し、迷走さえも深謀遠慮に映る・・・。

「ボケた毛沢東ほど始末の悪いモノはない。」
これが、私が身を以て体験したことの結論です。

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by heitaroh | 2005-12-30 20:24 | 私小説 | Trackback(6) | Comments(5)

自動車王に見る酷い親父とカリスマの虚像・・・。
親愛なるアッティクスへ

自動車王・ヘンリー・フォード一世には、一人息子のエドセルがいました。
エドセルはなかなかに有能な人物だったようで、フォードに入社した後、弱冠20歳にして専務に就任したものの、以来、どういうわけか会社では父に冷遇され続けたとか。
で、エドセルとしては何とか父に認めてもらおうと思い、あるとき、会社の技術陣の協力を得て試作車を作ったとか。
で、それを父に、「どうだい、父さん」とお披露目したところ、父はにっこりと笑って、そのまま、そばにあったハンマーを手にするや、試作車を粉々に打ち砕いたと言います。
そして、「二度とこんなバカな真似をするな!」と言い捨てて、エドセルに協力した技術者たちをすべて解雇したそうで、自分に協力したばかりに会社を去らねばならなくなった技術者たちを見送るときのエドセルの胸中たるや如何・・・だったでしょう。
技術者たちは口々に、「君は間違ってないよ」と言って去ったといいます。

さらに、こういうことがあったからでしょうか、エドセルが社長になったとき、父会長との不仲は決定的なものとなっており、エドセルが技術偏重型のフォード社の欠点を是正する為、経理を充実させようとしたところ、父はエドセルに無断で、夜中のうちに経理課の机などをすべて搬出させた上で経理課全員を解雇したと言います。
曰く、「うちの売り物はであって、経理の人間たちを売っているのではない」と・・・。
技術屋特有の視野の狭さでしょうか・・・。

その後、エドセルは耐えかねて兵役に志願したところ、今度は父は裏から手を回して、彼を除隊させ、結果、エドセルは失意のうちに若くして世を去りますが、その夜、父、フォード一世が妻に言ったと言われる言葉があります。
「母さん、わしは少し、息子に厳しすぎたかな・・・」
まさしく、大バカ野郎ですね!
しかし、エドセル亡き後、これでフォード一世の暴走に歯止めを掛ける者はいなくなり、老いたフォード一世の迷走はますます、激しくなっていきます。

ボクサー崩れのごろつきを頼りにし、ごろつきは仲間を呼び入れ、彼らは腕力でフォードへの面会を拒否したことから、当然、会社は食い物にされるようになってしまった・・・と。
その後、エドセルの子、フォード二世が成長し、ごろつきたちの元へ乗り込み、これらを切り捨てて、ようやくフォード社は立ち直ることができたとか。
まさしく、「呆けた毛沢東ほど始末が悪いものはない」という好例でしょうか。
周囲は、かつての伝説を知っているから、虚像が一人歩きしてしまい、側近くにいる者だけが、カリスマがかつての英雄ではないことを知ることになる・・・。
「そんなバカな・・・」と言われるかもしれませんが、意外に我々の身近でも起きていることのような気がしますよ・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2005-10-20 08:04 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)

現代中国論 その3
親愛なるアッティクスへ

以下、数年前、私が初めて中国へ行ったときに当時、知人に書き送った物です。
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中国・・・、それは、一言で言い表すなら、「巨大な不安定さ」、あるいは、「不確実さ」と言い換えてもいいように思えます。
何をやるにしても、とにかく、巨大で、それでいて、「雑」
この辺は、アメリカにも共通することなのかもしれませんが、中国の場合、それが不安定なまま、漠然と存在しているように感じられました。
何でもかんでもトラックの荷台に放り込み、とにかく上からシートを被せて、ロープでしばったと言う状態。
その意味で、この国を「中国」とひとくくりに呼ぶのは、大変、危険なように思えます。

富裕層と貧困層、都市部と地方、漢民族と異民族という以前に、古来からこの国では、貴族階級庶民階級同じ人間としてさえ見ていなかったのではないでしょうか?
なぜか私にはそう思えました。
その意味で、この国に、本来、共産主義は似合わない。
絶対多数貧困層支持を集め、多様で、不安定な国民を一つの枠の中に押し込めておく為の手段として、指導者層が選択しただけのことのように思えました。
指導者層にとっては、有無を言わさずタガを締めることが出来る共産主義の方がこの国をまとめやすいということでしょう。

元々、この国は流民の国であり、その巨大な人口を養うには、どうしても、慢性的に食料が不足する傾向があり、王朝が若々しさを保ち、善政を施しているうちはともかく、やがて、組織が動脈硬化を起こし、役人が私服を肥やすことに汲々としてくると、すぐにそのツケは、底辺に及び、すると、庶民は流民と化し、瞬く間にそれが膨大な人数に膨れ上がる。
そうすると、それが農民蜂起に繋がり、やがて、既存の王朝を揺るがし、自分たちのを確保してくれる新たな王朝の成立として結実する。
漢の高祖以来、明末の李自成まで、それを一つの方程式として繰り返す事で、中国は常に新陳代謝を繰り返してきたのでしょうし、その最後の実践者が、長征を率いた毛沢東だったと言えるのかもしれません。

そして、ある意味、これがこの国に一番合った活性化の仕方のように思えます。
これがこの国、ひいては、東アジアに民主主義が芽生えなかった、いや、根付かなかった一因のように思えます。

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by heitaroh | 2005-06-07 17:42 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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