タグ:毛利輝元 ( 10 ) タグの人気記事

博多阪急の大甲冑展行ってきました。
今、博多阪急大甲冑展なるものをやっていると聞き、早速、行ってきました。

e0027240_18274199.jpg
ちょっと、認識を新たにしたのですが甲冑ってこんなに綺麗な物だったんですね。
(←伊達政宗着用の鎧です。鮮やかさが、おわかりいただけるでしょうか。)

戦国時代の甲冑という物は江戸時代のそれと違い、もっと使い込まれた実用的な物だったんだろうと思っていたので、この鮮やかさはプラスチックやペイントなどの現代の素材で作った、まあ、プラモデルの大きなものか・・・というつもりで見ていたのですが、担当の方に聞いたところ、何と、復元品ではあるものの、可能な限り、現物や古文書などを基に忠実に復元した物なんだそうです。

e0027240_18593686.jpg
(↑拙著「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」毛利輝元の甲冑が入り口でお出迎えとは思いませんでした(笑)。)

e0027240_19403195.jpg他にも色々と教えて戴いたのですが、私も多少、知識はあるつもりでしたが、やはり、こういうのは専門の技術職の方でないと・・・。
色々、勉強させていただきました。
(←ちょっと意外だったのがこういう甲冑もあったこと。甲冑といえばどうしても武士をイメージしますが当然、そんなわけもなく・・・。武士登場以前の物ですね。)
ちなみに、この出品元は丸武産業という会社だそうで、映画・ドラマなどで使用する甲冑の全国シェアの9割以上を担っているんだそうです。
私も、そういう会社があるということは、お宝鑑定団か何かで知ってましたが、これって鹿児島県の会社だったんですね。
                             平太独白

by heitaroh | 2014-02-28 19:29 | その他 | Trackback | Comments(2)

義援金振り込んできました・・・と経済停滞プロ野球開幕の愚
親愛なるアッティクスへ

私、ここしばらく、とにかく多忙でした。
まあ、それは、もちろん、ひとつには年度末ということもあったのですが、実は、それに加えて、日帰り講演旅行講師を依頼され、その原稿の準備などに追われていたということがあったんです。

e0027240_1414080.jpgで、先週末に無事、その大任を果たしてきたのですが(震災発生の翌日ですから、その時点ではまだ、連絡の付いていない友人もたくさんおり、内心、穏やかではなかったのですが・・・。)その折、車内で拙著「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」、並びに、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」を販売させて戴き、お陰様をもちまして講演料と併せて、幾ばくかの収入を得ることが出来ました。
で、これに少し足すとちょうどキリが良い金額になったので、今朝、これを東北地方太平洋沖地震義援金(←)として振り込んで来ました。
「東北関東大震災」とか「東日本大震災」とか、いい加減に統一して欲しいですね。)

お買い求めくださった皆様のことを思えば、額については私の口からは「些少」とは言い難いのですが、被害の甚大さを思えば、決して満足いく額ではないことは確かなわけで・・・。
ただ、来週以降も何回か講演を依頼されておりますので、また、その都度、頑張って著書の販売をさせて戴き、その売り上げを義援金として供させて戴こうと思っております。

で、上の画像の義援金の振り込み用紙の後ろにある物は何かと申しますと、実は私、来月、同窓会で京都に行く予定になっていたのですが、出席者の殆どが東日本の人間でして、特に、中には、まだ、連絡が付いていない仙台の友人もいることから、当然、「延期」となりました。
従って、週明けからこれをキャンセルすべく、旅行代理店にずっと、電話を掛けていたのですが、まったく繋がらないんですよ。
「もしかして、震災の影響か・・・?」と思っていたのですが、ちょうど、昨日、そちらの方に行く用事があったので、直接、店舗に出向いてキャンセルし、その際にその旨を尋ねると、やはり、昨日から震災に関する問い合わせやキャンセルが殺到していたとのこと・・・。
これには、私はかなり、危機感を持ちましたね。
だって旅行なんて、皆が皆、東北地方に行くつもりだったわけではないでしょうから、やはり、「被災者の方のことを思えば」というマインドの冷え込み以外の何物でもないでしょう。
昨日の会長さんの言葉ではないですが、「被害がない所の経済まで停滞すると、助けられるものも助けられなくなる」・・・ですよ。

ただ、予定通り、開幕するか結論が出ないプロ野球について言えば論外でしょう。
仙台を本拠とする楽天イーグルスがあるパ・リーグだけの問題だ・・・ということなのかもしれませんが、でも、セ・リーグだって、半分は関東地方に集中しているわけで、計画停電なんて言って節電を呼びかけている時にナイターなんて開催できるんですか??
どう考えても、関東に電力を供給している福島原発が早期に復旧することがあり得ない以上、この傾向は長引くと思われ、であればいくら大した電力は使わないと言ったところで無理だろうし、理解も得られないんじゃないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-16 17:48 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(10)

「黒田家三代」「毛利輝元」増刷決定!心より御礼!

e0027240_1954128.jpg私、昨年末の12月下旬に、性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之の黒田家三代の葛藤と相克を描いた

(←)「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」

を出版したと申し上げました。

さらに、その舌の根も乾かぬうちの今年1月下旬、道楽ついでとばかりに、関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた処女作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」を、
e0027240_19573042.jpg(←)「毛利輝元  傾国の烙印を押された男」

として復刻再出版致しました・・・とご報告申し上げた次第ですが・・・、
このたび、目出度く、この二作品が、ともに、
増刷決定!
ということになりました。
これもひとえに皆々様のお力添えの賜と、心より深謝御礼申し上げます。

(くどいようですが↑↑からでも、右下のライフログからでも購入できます(笑)。今回は結構、生活がかかっておりますので、どなた様もこれで息を抜くことなく、尚一層、宜しくお願い致します(笑)。)

ただ、私もまさか、12月下旬1月下旬に発売した無名の作家が書いた物が、まさか、2月初旬に増刷されることになるとは思っておりませんでしたので、正直、驚いております。

この件については、実は、先日、お買い求め頂いた友人から、「ネットで買ったら、『完売したので、入手にあと、1ヶ月くらいかかる』と言われた」という話を聞いていたのですが、なにぶん、販売状況在庫状況などは私の方では、どうなっているのかは皆目わからず・・・。
(出版社の方でもはっきりと把握していないようです。)
私としては、以前もそういうことがあったもので、「ほんまかいな~」と思っていたのですが、何と、ホンマだったんですね。
ということで、しばらくは入手にご迷惑をおかけすると思いますが、しばし、「予約」だけしておいて頂ければと思います(笑)。

まずもって、どなた様もお力添え、ありがとうございました。
心より、伏して、御礼申し上げます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-02-09 20:52 | 私小説 | Trackback(1) | Comments(11)

舌の根も乾く「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」出版報告
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13525396.jpg昨年末、性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之の黒田家三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版したと申し上げたばかりですが・・・、このたび、その舌の根も乾かぬうちに、道楽ついでとばかりに、関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた

(←)「毛利輝元  傾国の烙印を押された男」
出版致しました。
からでも、右下のライフログからでも購入できます。)

今回は結構、生活がかかっておりますので、どなた様も「黒田家三代」ともども、宜しくお願い致します(笑)。
ただ、この作品は、タイトルを見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、実は、私の処女作である「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」復刻再出版した物でして・・・、なぜ、復刻することを思い立ったかというと、偏に、本作がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮したからでした。

まず、本作が絶版後、中古品として高額な値が付いた最初は平成20年(2008年)、絶版発覚直後¥21,477・・・。
(だって、元値はたかだか、1,800円程度ですよ!)
思わず目を疑い、何度も見直して、間違いじゃない・・・とわかった瞬間、噴き出してしまいました。
貴重品扱いかよ・・・と(笑)。
(ところが、その夜、もう一度、見てみたことろ、見事に消えており・・・、これって、もしかして売れた・・・ってこと?と再び驚愕・・・。)
もっとも、まあ、これは、少々、特殊な例だろうと思いますが、それでも、その後は、ポツポツと中古品が出てきて付いていた値段は、大体、平均で1万円前後で推移しており、最近では復刻再出版の噂が漏れだしたのか幾分値下がりしましたが、それでも、今日現在で¥6,448・・・などというむちゃくちゃな数字が付いてます。

ただ、私もまさか、完売してしまうとは思っていなかったことから、正直、手元にもそれほど置いておらず、読んでみたい・・・ということを仰ってくださった方にも提供することが出来ず、内心、忸怩たる想いを抱いていたところ、その後、ネット上で、「入手すれば高く売れるレア物リスト」などというのにも載っているということを知りました。
本当に読みたい人に行き渡らず、転売して利益を得ることだけが目的の投機の対象となっている・・・という現状に、私が言うのも変な話なのですが「義憤」を覚えました。
で、この現状を憂慮し、少々、経済的には無理があるのですが復刻を決意した次第です。

ただ、私としては、前回、手にとってくださった方を騙すような形になるので、なるべく、タイトルは変えたくなかったのですが、今回は出版社が違うため、その意向には逆らえず・・・。
もっとも、校正なども一からやり直しており、前作とは装丁からして少々、趣が違う部分もあるように思いますので、その意味では見比べて頂くのも良いかもしれませんが。
と、まあ、所詮、取るに足りない物ではありますが、ご興味がお有りの方には是非、お手にとって頂きたけますよう、伏してお願い申し上げます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-19 07:10 | 私小説 | Trackback | Comments(8)

今年初の風邪・・・で意識朦朧の山中鹿之助墓石云々

e0027240_15222127.jpg

今日はもう少しまともなことを書こうと思っていたのですが、昨夜、タダ券があったもので、ガキを連れて我が家から車で40分くらいかかる郡部にある温泉もどきに行ったところ・・・、これが寒い寒い・・・。
で、今朝起きたら、しっかり、頭痛と鼻水が・・・。
でもって、本日はこのような状態の中、夜はお通夜に出かけなければなりません。
一応、その後は、力水(別名、酒とも言います(笑)。)を入れる予定ですので、本日も(?)手抜きです。

e0027240_15302375.jpg過日、京都に行った折、例によってマニアの世界を満喫してきたのですが、その中のとあるお寺でこれ(←)を見つけました。

「月よ!願わくば我に七難八苦を与えたまえ」三日月に祈ったという話で有名な山中鹿之助の墓です。
山中鹿之助とは、かつては中国地方に威を振るった尼子家も、広島県に勃興した毛利元就の前に追いつめられるも、主家を最後まで支えて戦った人物で、戦前は修身の教科書にも載っていたんじゃなかったんでしたっけ?

e0027240_16096.jpgこの山中鹿之助は、私の最初の著書、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」でも採り上げているのですが、でも、最後は織田信長を頼ったもののあっさりと見殺しにされ、天正6年(1578年)、播磨国(現兵庫県)上月城に孤立したところを毛利軍に包囲され、主君、尼子勝久は自害し、鹿之助は護送される途中、備中国(岡山県)合の渡に置いて斬られた・・・はずなんですよね。

(←傍らにある墓。女性のようですが・・・。)

e0027240_1661164.jpgで、確か、胴体はそのまま、付近の寺に葬られ、首級は備後国鞆(広島県福山市鞆町)で毛利輝元の首実検に供された後、地元の人たちによって葬られた・・・ように記憶していたのですが、なぜ、それが京都にあるの?・・・と。
子孫が、豪商・鴻池の始祖となった・・・とかいう話は聞いたことがありますが、その関係でしょうか・・・。
でもって、むしろ、驚いたのが墓に針金でくくりつけてあったこれ(←)。
早い話が、「子孫が名乗りでないと撤去するよ」と・・・。

まあ、敷地に限りがある・・・というのはわからないではないのですが、でも、こういう古い墓石が貴重なんじゃないですか。
上の墓石だって、安永九年ってありますから、江戸時代中期でしょ?
やはり、そういうお墓があるからこそ、「さすが京都だ」、「こういうお寺に我が家もお墓を持ちたい」となるわけで・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-01-07 18:11 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

宇喜多直家の成長戦略
親愛なるアッティクスへ

織田信長武田信玄、上杉謙信ら群雄が割拠した戦国時代、今日の岡山県一帯に盤踞した戦国武将に宇喜多直家という人物が居ます。
といっても、意外に知られていない人物で、むしろ、豊臣家五大老の一人にまでなった息子の宇喜多秀家の方が知られているのかも知れません。
が、備前から、備中、美作の一部まで、ほぼ、今日の岡山県に相当する版図を、一代で切り取ったほどの武将で、享禄2年(1529年)の生まれと言いますから、上杉謙信より1歳、織田信長より5歳の年長になり、宇喜多家は、元々、名門であったものの、直家6歳の時、祖父暗殺されたことから一気に没落し、直家は流浪少年時代を送らねばならなかったといいます。

その後、成長した直家は、宇喜多家復興の為に、政略、謀略をもって頭角を現すと、備前国に勢力を持っていた浦上宗景に仕え、次第に備前に勢力を伸ばしていきます。
彼は、まず、祖父を暗殺し、宇喜多家没落の発端となった島村盛実を暗殺したのを手始めに、舅である中山信正や龍口城主穝所元常を殺害、その後も、三村家親、金光宗高などを暗殺し、その所領を自己のものとし、浦上家中でも、並び立つ者無き実力者となり、さらに、安芸(広島県)を中心に中国地方一円を支配する大大名、毛利輝元と浦上家が対立するようになると、今度は一転、毛利と結び、その力を背景に主家・浦上家を滅ぼし、これによって、備前一国と備中、美作、播磨の一部を領有する戦国大名に成長しました。
ところが、今度は毛利輝元と中央で勃興した織田信長の対立が尖鋭化し、次第に毛利家の旗色が悪くなってくると、これまた一転、織田家の部将・羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の勧誘に応じ、毛利家を裏切り、積極的に毛利方へ攻撃を仕掛けます。

この点で、この男の成長戦略というものは、割とはっきりしたものであったと言えるでしょう。
それは、一言で言うならば、「より強い奴と組んで強い奴を制する」というもので、この男の凄いところは、その「明確な戦略」「明快に実行」に移してきたところにあるわけです。
すなわち、その為には、決して、手段を選ばなかった・・・と。
身内・親戚・恩人・主君・・・、何ら躊躇うことなく、毒殺、謀殺ばかりで今日を成し、戦いらしい戦いは殆どしなかったとさえ言われています。
直家と生涯、行動を共にした実弟でさえも、直家の前に出るときは暗殺を用心して、鎖帷子(くさりかたびら)を着用していたとさえ言われており、曰く、「兄、直家は恐ろしい人であった」と。

そして、この男は、この成長戦略を自ら信仰のように信じぬいたわけですが、実際、毛利家は織田家の攻勢の前に風前の灯火であり、また、毛利の所領を手に入れた後に打倒すべき対象であった織田信長も、家臣、明智光秀のクーデターにより、業火の中に滅んでいるわけですから、何だか、本当に最終目標にまで到達することが可能であったようにも思えてきます。
しかし、現実には、直家の天下は来なかった・・・、なぜならば、直家自身が、毛利と織田の抗争が激しさを増しつつあった天正10年(1582年)、死去していたからです。
実際には、その数ヶ月前に死去していたと言いますが、直家存命ならまだしも、後に残されたのは、9歳の一人息子・秀家であり、それに何より、もうこの頃になると宇喜多家は織田家の中国戦略や、その後継者・羽柴秀吉の天下統一路線の中に組み込まれてしまっており、それ以上の成長は無理だったでしょう。
むしろ、ここまでで終わったと言うところが、所詮、直家の戦略の限界だったのかも知れません。
                           平太独白

by heitaroh | 2006-10-23 00:33 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

毛利輝元公へのワタクシゴトのタワゴトのご報告と告知です。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1442952.jpg←今から、祝杯を挙げに中洲へ向かっています・・・って、うっそぴょ~ん(笑)。
なぜなら、今日の博多は台風の影響で大雨が降ってるからです。
風はあまり、大したことはなかったのですが、とにかく、雨がよく降りましたね。
(ていうか、舟で行かないし(笑)。)
で、なぜ、祝杯なのか・・・ということですが、実は、このたび、是非とも、ご報告させて頂きたいことがあり、筆(?)をとりました。

私儀、実は、先般、勿体なくも、忝なくも、「人形町サロン」様より、「論文を書いてみないか?」というお声を頂戴しておりました。

が、やはり、「論文」を書くとなると、とにかく、私には久しぶりのことでしたし、何より、過去の論者様方を拝見したら、私が昔書いたインチキ論文などでとは違い、見識在る方々ばかりの、至って本格的な論文ばかりであり、それを見た瞬間、思わず、「これは任に非ずだな・・・。」という感を強くしました。
実際、出来上がった物を見たところ、やはり、書生論の域を出るものではなく・・・。
正直、改めて、「これは、やはり、任に非ず・・・だな。」という感を強くし、論文ではなく、「読者の声」という短い読者感想文を出させて頂き、それで何とか、お茶を濁そう・・・などという不埒な考え(笑)を持ったのですが、それが、忝なくも、再度、「では、エッセイという形で著書・「傾国の烙印 ~国を傾けた男 毛利輝元の生涯~」のことでも書いてみて下さい」との有り難いお言葉を頂戴しました。
(読者の声はこちら→人形町サロン - 黒岩政経研究所 「読者の声」

で、まあ、それならば、何とかなるか・・・と思い、恐る恐る書いてみたのですが、忝なくも、選者様より、「よくできました」のお言葉を賜り、今般、晴れて、人形町サロン様の【 今月の識者 】の欄に識者でもないのに載せて頂く運びとなりました。
                ↓
人形町サロン - 黒岩政経研究所 「毛利輝元に見る危機管理」

勿体ないやら、忝ないやら・・・三拝九拝というところですが、とにもかくにも、お目通し頂けましたら、何よりの幸甚と存じます。
(取るに足らない私の略歴も、多少、出ております(笑)。ご興味がお有りの方はどうぞ。)

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2006-08-19 00:04 | その他 | Trackback(1) | Comments(12)

ナポレオン三世の真実・その5 おまけ編 無責任な傍観者
親愛なるアッティクスへ

「陛下が陣頭に立って突撃し、戦死すれば、帝政は守れる。」
これは、セダンでプロシア軍に包囲されているときに、家臣のひとりがナポレオン三世に対して進言したと言われている言葉です。
政治的には、極めて、的確な判断だったでしょう。

で、一昨日の続きです。
長年、淫蕩の限りを尽くしてきたからか、老いたナポレオン三世は持病の膀胱炎に悩まされることになります。
また、かつて、伯父がそうだったように、皇帝の健康状態が悪化するのに比例して、政局の方も、手詰まり感が漂う閉塞状況が強くなっていきます。
そして、遂に、プロシアの宰相、ビスマルク世紀の陰謀と言われる、開戦挑発謀略、「エムス電」により、フランス世論は一気に開戦へとなだれ込んでいくわけですが、このとき、ナポレオン三世は、国民に向けてのメッセージの中で、こう述べています。
「私は次のように言うことが出来る。抗い難い高揚の中で、我々に開戦を命じたのは国民全体であると」

普仏戦争勃発後、ナポレオン三世は、敗戦を早くに予想していたにも関わらず、一子、ルイ皇太子と共に自ら戦場へ赴きますが、この時期の皇帝の健康状態は、かなり、悪かったようで、イギリス人の侍医は、「この状態で戦場に行くなどと言うのは、自殺行為に等しい」と言ったとか。
実際、戦場でのナポレオン三世は、「自力で排尿」することが出来ず、「どの部隊も、私を厄介払いしたがっている」という状況下にあったとか・・・。
そして、フランス軍は敗走後、皇帝共々、運命セダン要塞へと追い詰められます。
プロシア軍が要塞攻略を始めたとき、その容赦ない砲撃の中で、ナポレオン三世は兵を励ましつつ、騎馬前線に立ちつくしていたと言い、その姿は、「明らかに死に場所を求めていた」ように見えたと・・・。

ここで、冒頭での家臣のセリフ、「陛下が戦死すれば・・・」になるわけですが、この進言に対して、ナポレオン三世は、しばし、沈思黙考した後、「突撃すれば、さらに一万、いや、二万人の命が失われるだろう。突撃は無駄だ。私には兵を殺す権利はない。」と言い、ひとりで、降伏の決断を下したそうです。
降伏後、ナポレオン三世は、イギリスに亡命し、生涯を終えますが、その臨終の間際、一瞬の昏睡状態から覚めたかつての皇帝は、侍医に呼びかけます。
「君はセダンにいたか?」
「おりましたも、陛下。」
「なら、わかるな。セダンで、私たちは卑怯者ではなかったな、そうだろ?」と。
これが、ナポレオン三世の最期の言葉となったか。

既述の「怪帝ナポレオンIII世」では、最後をこう結んでいます。
「ナポレオン三世とルイ皇太子の墓はその後、1887年に、ヴイクトリァ女王のはからいでロンドン近郊にあるフランス・ベネディクト派修道院管理ファーンボロウ墓地に移された。
 セント・ヘレナ島ナポレオン遺骸は、大々的なセレモニーのうちにパリのァンヴァリッドに移され、国民の英雄として、全世界的に礼拝されている。しかるに、実質的にフランスのために伯父以上の業績を成し遂げたナポレオン三世のそれは、死後、130年を経ても、フランス移送が計画されたこともない。」と・・・。

確かに、伯父ナポレオンは、ド・ゴールなどをして、「フランスの栄光」と言わしめましたが、その反面、彼がやったことは、「多くの人を殺して、国を小さくして、次代に申し送ったに過ぎない」とも言われています。
その意味では、このナポレオン三世の現代に於ける功績と処遇は、まさしく、拙著、「傾国の烙印」での毛利輝元と同じで、歴史とは、誠に「結果を知った上で批判だけを行う、極めて無責任な傍観者」に過ぎないということでしょうか・・・。
                                        平太独白
by heitaroh | 2006-06-08 08:44 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(0)

私事に見る「天道是か非か」的告知
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14135498.jpg私儀、恥ずかしながら、この度、二冊目の著書「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」を出版致しました。
お笑い下されたく候です。
ちなみに、前作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」は、その節は、ヨン様と並んでましたが、今回は石原慎太郎と並んでました(笑)。

ちなみに、マジの話ですが、今日もずっと、車を運転しながら、著書のことを考え、ブログのことを考えていたら、ラジオから血液型占いが流れてきて、聞くとも為しに聞いていたら、「A型の貴方。(私です。)自意識過剰にならないように。井の中の蛙と笑われますよ。ラッキーポイント世界地図です。」と・・・。
嗚呼、天道是か非か・・・。

実は、アマゾンでもまだ、画像も登録されてませんし、店頭に並ぶのも来月初旬と聞いてましたので、それから・・・と思っていたのですが、先ほど、友人を迎えに博多駅に行ったら、すでに並んでましたので、慌てて、UPした次第でした。
本当は、昨日でブログも仕事納めにしようかな・・・と思っていたのですが・・・。
ちなみに、正月の間、アップされ続けれるだろうと言う腹黒い計算も・・・(笑)。

さておき、今回の作品は、名前からすぐにおわかり頂けると思いますが、戦国の名将「武田信玄」とその後継者「武田勝頼」を描いたモノです。
ただ、前作よりも、かなり色濃く、私自身の体験が出ている作品だと言えます。
そして、哀しいかな、これは、私だけの特異な体験ではなく、これが、日本の中小企業(あるいは、松下幸之助などを見ていると、大企業でさえも・・・。)で起きていることの現実だとも言えるような気がします。
中内功、藤田田、水島広雄、和田一夫・・・etc、昨日の名将が今日も名将であるとは限らないんです。
その意味で、おそらく、500年前の武田家の実態も「当たらずといえども遠からず・・・」だったのではないかと思っています。
過去のカリスマがかえって仇を無し、迷走さえも深謀遠慮に映る・・・。

「ボケた毛沢東ほど始末の悪いモノはない。」
これが、私が身を以て体験したことの結論です。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2005-12-30 20:24 | 私小説 | Trackback(6) | Comments(5)

出版人よ、自信を持て!
親愛なるアッティクスへ

昨年三月に、拙著「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」が店頭に並んでから、ぼちぼち、一年が経ちます。

e0027240_18173283.jpgこれはまあ、力不足という面をご指摘されるかとは思いますが、私は一方で出版業界自信喪失という物も一因にあるように感じます。
(現に、拙著にしたところで店頭に並んでから、撤去されだすまでが3~4ヶ月程度。これで、知名度もない作者がどうやって結果を残せと言うのでしょうか?)

これはある意味、今の日本の産業界の象徴的な事例だと思います。
即ち、産業の中心的な存在である銀行がいい例で、最近でこそ、少し変わってきたのかもしれませんが(果たしてそうか~?)、未だ多くの銀行が会社の業績経営者の能力も見ようとせずに、ただひたすら「担保!」だけを求め続けたのと同じ現象ではないでしょうか?
出版業界における担保とは、即ち、知名度です。
だから、内容より、芸能人や有名作家などの作者の知名度があるものに集中し、その結果、作者の知名度は高いが、あまり内容があるとは言えない本が書店に並ぶことになる。
そして、それがまた、読者の足を遠のけることに繋がり、それがまた、出版不況になるという悪循環に繋がっているのだと思います。
その根拠として、私の周囲で、「最近、作家の知名度は高いが、読むに値しない作品が増えてきた。」と言う声をよく耳にします。
この点は、私も全く同感でした。
それは、我が身に置き換えてみればよくわかるのですが、書けと言われても、そうそう次から次に書ける物じゃないんですよ。
充電という物が必要なんですよね。
作家に充電の時間を与えようとせず、「何でもいいから、あんたの名前の載った物があればいいんだ」という姿勢こそが自分たちの首を絞めているのではないでしょうか?

さらに、出版不況と呼ばれる昨今だからこそ、出版人たちは自分たちの眼力を信じようとはせずに、「より確実に売れる物」という意味で、より薄く、より安い物を、より追い求める・・・。
薄くて安い物は売りやすいかもしれませんが、売れると決まったわけではないでしょう。

「出版人よ、勇気を持て!」と言いたいです。

担保に頼らずに案件その物を見る勇気を。
薄かろうが厚かろうが、売れる物は売れるという見識を。
消費者が欲しているのは値段と厚みではなく、中身なんだということを。
しかし、やはり、銀行業界のように国際競争にさらされないと目が覚めないんでしょうね。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2005-03-30 19:29 | 社会全般 | Trackback(2) | Comments(5)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
すいませんが、色々とお聞..
by 細田 at 21:04
>sakanoueno..
by heitaroh at 18:09
私も島原城は行ったことが..
by heitaroh at 17:58
結局のところ、陛下ご自身..
by sakanoueno-kumo at 21:09
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
お気に入りブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧