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新著「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」出版のご案内
このたび、またもや性懲りもなく、新著、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」を出版致しました。

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「増補版」とあるとおり、以前、一度出版した物を今般、文庫本化するに際し、大幅に書き足した物ですが、前作の5倍近いボリュームとなっておりますので、前作既読の方もまったくの別物としてお手にとって戴ければと思っております。

本書は、武田信玄で知られる武田家と、上杉謙信で知られる上杉家の葛藤を、両家の因縁を絡めて描いたものですが、従来、英雄とされてきた両者の生身の人間としての「有り得る姿」を描いており、あるいは、信玄びいき謙信びいきの方々にはお叱りを蒙るかもしれませんが、私としてはある意味、こちらの方が実態に近いのではないかと思っております。

以下に、アマゾンのアドレスの方を添付しておきますので、ご興味がお有りの方は、是非、お手にとって戴けますよう、よろしくお願い致します。

http://www.amazon.co.jp/dp/4286134849/ref=cm_cmu_pg_i

                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-03 07:11 | 私小説 | Trackback | Comments(27)

新著「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」予約販売のお知らせ
このたび、また、性懲りもなく、拙著新作「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」を出版することになりました。

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本作は英雄としての武田信玄上杉謙信とは違う、生身の姿と、それに振り回される後継者たちの葛藤を描いた物で、過去に一度、一部だけを抜粋して出版したことがありますが、ただ、当時は一部だけでしたので、どうしても容量の点で不評だったようで、私としても、常々、機会があればちゃんとした形に直したいという、忸怩たる思いを抱いておりました。
で、今回、話を頂いたので、前作の5倍くらいの容量にまで増量加筆することが出来、どうにか、多少なりとも満足行く形になったのではないかと思っております。
とはいえ、無論、紙数が増えれば良いという問題ではないとは重々わかっており、お眼鏡に叶う物になっているかどうかはわかりませんが、お手にとって見て戴ければ幸甚です。

ただ、本作は正確には、5月1日からの出版予定でして、現在はネットでの予約販売のみとなっております。
もし、お手に取って戴ける方がいらっしゃいましたら、上のタイトル欄をクリックして戴いても結構ですし、以下(↓)のアドレスからでも予約出来ますので、よろしくお願い致します。

http://www.amazon.co.jp/dp/4286134849/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1366169486&sr=1-1

http://boox.jp/afp/index.php?module=ecitemdtl&action=pdetail&it=BK&cd=4286134849&r=256

なお、陳列戴ける書店の一覧表が送って来ましたが、出版社も、基本、書店販売は考えていないのでしょう、今回は、かなり偏った配置になっており、近隣の書店での購入は「注文取り寄せ」という形になると思いますので、ネットから購入して戴くのが一番、確実なように思えます。
お手数をおかけいたしますが、よろしくお願い致します。

                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-28 16:53 | Trackback | Comments(2)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その7
先日からの続きです。

e0027240_1546879.jpg武田家緊急時の非難城・要害山城(←)ですが、頂上の本丸跡から背後に山の尾根が続いていることに少し感慨を持ちました。
これは逆に言えば、背後からも攻められやすいということでもあるのでしょうが、当時はまず、それほどの大部隊に十重二十重に囲まれるということは想定していなかったのだと思います。
であれば、どこからも攻められにくい城というのはやはり、最後は玉砕しか無いわけで、他日を期すという観点から考えれば、私もあまり、良い城だとは思いません。

その最たるものが、福岡市にある探題城跡(現愛宕神社)です。
こちらは、以前、平太郎独白録 : 古の九州探題は何処にありや!を推理する その6などで触れたとおりですが、こういう周囲を断崖に囲まれたような城というのは、逃げ道がないんですよね。
そもそも、籠城というのは援軍の宛てがある場合に行うもので、武田信虎の妻子にしても、信虎敗死ということになれば、いくら要害でももはや、ここに籠もる意味はないわけで・・・。

で、ここを出て、武田家の躑躅ヶ崎館は以前行ったことがありましたので、同行者には無理を聞いてもらいスルーして、甲府駅から電車に乗って、新府駅へ向かいました。

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新府駅・・・、マニアならすぐにピンとくる名前ですね。
武田信玄の死後、その子、武田勝頼が築いた新府城がある所です。
巷間、伝えられる、父、信玄が「人は堀、人は石垣」と言って、生涯、簡素な館に住んだのに対し、息子、勝頼は見栄を張って分不相応にも大規模な城を築き、それで人心に見放されて滅びた・・・と。
でも、これは大きな勘違いで、まず、第一に、この時代、甲斐には石垣を築く技術自体がなかったわけで・・・。
そのことは、この新府城(↓)でさえも石垣がない土塁だけの城だったことが何より、雄弁に語っているのでしょう。

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何より、信玄が信虎を追放し、家督を相続した時代であれば、位置的にもそこで良かったのでしょうが、信玄時代の拡張政策により、武田家の領土は大きく広がっており、躑躅ヶ崎館がある古府中では偏りすぎていたといえた・・・と。

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まあ、この辺は拙著、「死せる信玄、生ける勝頼を奔らす 増補版」に詳述しておりますので、こちらをご覧いただくとして、それにしてもやはり、甲斐はどこからでも富士が見えますねえ。

ということで、宣伝と共に明日へ続く・・・の巻。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-17 17:44 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その6
昨日の続きです。

そんなこんなで、要害山城に登って来たんですが、改めて思ったことですが、山梨県って、どこからでも富士山が見えるんですね。
まあ、当たり前と言ってしまえば当たり前なんでしょうが、九州人的には富士山が見えるというのはとても新鮮なことでして・・・。

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で、しっかり、要害山城の山頂からも本当に「肩越し」って感じで傍らに見えました。

「幼子を 見守る富士の 根雪かな」 梁庵平太

思えば、武田信玄が生まれた大永元年11月3日というのは、新暦で1521年12月1日ですから、我々が行った時期と半月程度しか違わない頃だったわけで、城に籠っていた人々の中にはあるいは、そういう感慨をもった人もいたのかもしれないな・・・と。

e0027240_15184317.jpg(←麓の積翠寺に残る信玄産湯の井戸。ただ、信玄誕生の時は隣国駿河から優勢な今川勢の侵略を受けており、父、武田信虎は迎撃に打って出て奮戦していたものの、勝敗は予断を許さない情勢で、産前産後は動かせないことを思えば、最初から、敵が攻め寄せてもある程度、動かさずに済む場所・・・、つまり、城の中枢付近で母親は出産したと考える方が妥当であるように思います。あるいは、当時は積翠寺も城の内側にあったのかもしれませんが、それでも・・・と。)


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「空の青 冠雪の白 もやの白」 梁庵平太
 
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それにしても、この日は冬とは思えないほどの快晴でした。
晴れ男の面目躍如たるや如何!(笑)。

なかなか、本丸に行き着きませんが、時間があるうちに何とか、少しでも前へ進めておきたい今日この頃です。
明日に続きます・・・と思います。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-10 07:17 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その5
昨年からの積み残しです。

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甲府市で一泊し、翌朝、見た風景がこれ(↑)。
甲府盆地をすっぽり包んだ雲海です。
こういう景色は初めて見ましたね。

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もちろん、九州でも阿蘇の雲海などは有名なのですが、殆どが溜まったところを上から見るものでして、横から見るというのは記憶にありません。
また、多くがわざわざ、早朝に山頂まで見に行って・・・のそれですから、宿から朝起きたら見えてた・・・というのも聞いたことがありません。
何より、こういうのは、朝、早起きして、山頂まで行って、それでいつも見られるとも限らないわけで、行けば確実に見られるというのでないとなかなか、腰が上がらない私にとっては一番、苦手とするパターンです。(未だに初日の出という物を見たことがないというのが、その辺を一番、雄弁に語っているでしょうか(笑)。)

e0027240_18175692.jpgで、起きてチェックアウトする前にまず行ったのが、裏山に広がる要害山(←)・・・。

ここは、マニアにとってはかねてより、一度、行ってみたかった垂涎の地でして・・・(笑)。
というのも、まず、甲斐と言えば武田信玄でしょうが、その信玄の言葉として伝えられる有名なものに、「人は城、人は石垣」というのがありますよね。
信玄はそう言って豪壮華麗な城を作らず、終生、躑躅ヶ崎館と呼ばれる簡素な居館に暮らした・・・と。

e0027240_18583188.jpgでも、それは間違いでして、当時の武将たちは皆、山頂の天守閣で暮らしていたわけではなく、平時は麓の居館で暮らし、有事の際は近くの山城に籠もるという、城館一体の作りになっていたわけですね。
従って、信玄が生まれた時も、父、武田信虎駿河からの侵略軍と戦っていた為、信玄の母は臨月の身重の体で躑躅ヶ崎館を出て、この要害山城へ籠っていたわけです。
で、要害山城の山頂にはこういう石碑(←)がありました。
「武田信玄公誕生之地」と書いてあります。)

生まれたのは麓の積翠寺だとも言いますが、私は当時の切迫した状況を考えれば、ここで生まれたということの方が現実味があるように思えます。

明日に続く・・・かな明後日かな・・・の、毎度おなじみ予定は未定。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-08 18:57 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その4
先日の続きです。

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甲府で泊まった宿はその名もズバリ、「要害」・・・。

何で又、こんな恐ろしげな名前を・・・と、普通の人なら思うところでしょうが、そこはマニアですから名前を聞いただけで心ウキウキ(笑)、・・・そして、ピンと来ました。
「もしや、要害山城の絡みなのでは・・・」と。

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(↑上は旅館から見た夜景、下は翌朝の甲府盆地にかかる朝もやです。九州人にはなかなかに新鮮でした。)

要害山城(ようがいやまじょう)は、武田信玄の居館として知られる躑躅ヶ崎館の背後に位置する緊急避難用の山城のことで、行ってみたら、やはり、その「要害」でした。
巷間、信玄といえば、「人は城、人は石垣」と言って、簡素な居館に住み、終生、城を構えなかったと言われていますが、実はあれは間違いでして、平素は住みやすい平地に住み、緊急の時だけ裏にある要害山城に籠もる、つまり、館城一体の構造となっていたわけです。
それに、第一、あの館を作ったのは信玄ではなく、その父、武田信虎ですからね・・・。

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それにしても、昨年、栃木県に居た時も同じようなことを思いましたが、福岡で見るのと違い、山梨県の風景もすべてに色が物凄く鮮明なんですよ。

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そうそう、残雪というのも、同じく、昨年4月に那須日光のそれがとても新鮮に感じられたのを思い出しました。

なかなか、本題に行き着きませんが、続きは明日のココロだ~と言いつつ、あるいは続きは年明けになるかもしれませんけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-12-29 07:30 | 地域 | Trackback | Comments(0)

歴史は勝者が作るの理
親愛なるアッティクスへ

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     「稜線に 釣瓶落として 闇侍り」 梁庵平太


先日、新聞を見ていて、ふと目に付いた記事がありました。
うろ覚えなのですが、曰く、「ベトナム人の友人から『歴史は勝者が作るもの。負けた戦争について今更、とかく言っても仕方がない。それよりも、これからのことに力をそそぐべきだ』と言われた。如何にも、長年、中国と戦ってきた経験を持つベトナム人らしい言葉である・・・」と。
これは、私もまったく同感でして、私の周りにもよく、「日本は悪くなかった」とか「日本がいかに素晴らしかったか」を力説する友人諸兄が多々、いらっしゃるのですが、私は毎回、この手の「正論」に対して無味乾燥なものを感じておりました。
言ってることは正しいのかもしれないけど、今、それを言ってどうするの?・・と。

その辺のことを端的に言ってくれたのが、この、ベトナム人の方の言葉で、私も、拙著の中で、武田勝頼、毛利輝元という人たちを描いていく上で、つくづくそのことを思ったことがあります。
歴史は勝者によって作られるんだ・・・と。
であれば、負けた側がそんなことを百万遍唱えても自己満足以外の何物でもないわけで、そんなことするよりも、もう一度、戦争して勝てば良いじゃないか・・・と。
そういうと、「また、そんな出来もしないことばかり言う!」と友人は怒りますが、そうでもないでしょう。
「勝てる時に、勝てる場所」で戦えば良いんですよ。
ただし、アメリカと事を構えるのなら、尖閣諸島竹島は放棄しないといけないでしょうし、逆に、中国を脅威と思うのなら、アメリカの無理難題にも耐え忍ぶしかないでしょう。

ていうか、それ以上に懸念されるのは、勝ってしまうと弊害の方が大きいということです。
この辺は、以前からたびたび言っている通りで、武田信玄「戦いは五分の勝ちで上とする。六分で驕りを生じ、七分勝つともう弊害の方が大きい」という言葉は至言だと思います。
(日露戦争後の「一等国日本」や、近い例ではジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃の日本・・・。また、「外交的失敗の3ヶ月を軍事的成功の3日で取り戻した」と豪語した時のラムズフェルド米国防長官などが好例でしょう。)
そもそも、日本人というのはA型民族ですから、かえって、現実を直視したほうが良いんですよ。
「最高!」「最強!」などと言われると、大体、良かった試しはないですしね。

また、「素晴らしい」などとは他国の人が言ってくれる分にはともかく、自分たちで言うのはいかがな物かと。
「人は見たいと思う事実しか見ようとしない」と言ったのはカエサルでしたが、この点で、ある印象に残っている光景があります。
少し前のことなのですが、上海コンビニ業界日本企業に押されまくった中国国営系のコンビニが、閉店後、店長・店員が集まって対策会議をしていたところ、最初は、「どうする?」「どうしようか?」だったのが、「我々でも勝てる部門があるかもしれない」から、最後には皆で自分たちに言い聞かせるように、「まだ、我々は負けたわけではない」「日本企業、恐るるに足らず」という結論に至り、散会・・・と。
これって、私には、まるで、敗色濃厚となって以降の帝国陸海軍の姿に見えましたよ。
何の根拠もない・・・、そのことは皆知っている・・・けれど・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-28 16:52 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

備忘録的感慨その2 尊氏登場以前の足利家の息吹
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

実は私が足利に来た目的は足利学校を観たかったから・・・ではなく、その裏にあるこちら(↓)でした。

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足利尊氏によって室町幕府が開かれる以前の足利家の墳墓の地、つまり、尊氏登場以前の足利家の息吹というものを見ておきたいと思ったからで、それがここでした。
足利家屋敷跡と言われる真言宗金剛山鑁阿寺です。
ただ、私にはここはなんとも釈然としないものを感じさせる場所でもありました。

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確かに、ここは四周を土塁で囲まれた形(↓)をしていますが、何か武家屋敷としての戦闘性とでもいうか、そういうものが感じられないんですよ。

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まあ、尊氏が室町幕府を開いてから600年以上経っていることもあり、今では寺になっていますから、やむをえないのでしょうが、それでも・・・と。

で、この日は終日、雨は降らないという予報だったにも関わらず、突然、雨が降ってきて、しばらく雨宿りしていたものの、一向にやむ気配がなく・・・、
少し小降りになってきたのを見て、再び、歩き始めたのですが、さすがに濡れ鼠になってきたので、この辺で切り上げて帰ろうか・・・と思い、駅の方向へ向けて歩き始めたのですが、途中で、どうにも消化不良のものを感じ、再び、歩みを戻しました。

e0027240_703166.jpgで、外回りをぐるりと一周することにしたのですが、そこで初めて気づいたんです。
「背後に山があるじゃないか」・・・と。
つまり、武田信玄躑躅ヶ崎にしても、織田信長岐阜城にしてもそうですが、平時は麓の館で政務を執り、有事の際には背後にある山城に立てこもって戦うというのが、当時の武家屋敷の一般的な形ですから、もしや、足利館もそうだったのではないかと。
で、疲れた体を奮い立たせて、この山の方向へ向かいました。
この山は見ておかねばならぬ・・・と。

明日に続く・・・と思いますが未定です。
なんせ、空き時間がないもので・・・。
                         平太独白
by heitaroh | 2011-05-19 07:10 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

ルパン三世的発想の転換に見る川中島合戦への秀吉評
昭和46年にテレビで放送されたアニメ番組にモンキー・パンチ原作のルパン三世 1st という番組があります。
あります・・・などという言い方をしなくてもいいくらいに、多くの方が知っている、今や国民的な人気を誇る作品ですね。
従って、ルパン三世2ndを始め、その他の多くの続編や映画なども作られているのですが、どういうわけか、今でも人気が高いのが、一番あか抜けしていないはずの初回作品、つまり、1stのようで。
(以前、DVDがボックスで発売されたときも、あっという間に品切れになったとか。)
まあ、何でもそうでしょうが、「2」、「3」と出て行くうちに、どんどんと大衆に迎合していくもののようで・・・。
ルパン三世もまた然り。私も2nd以降は見るに堪えません。

で、その作品の中で、私には、大変、印象に残る一話があります。
それが、第15話の「ルパンを捕まえてヨーロッパへ行こう」です。
あらすじを簡単に述べますと、ルパンは「お宝頂戴」の予告状を出したものの、ルパン逮捕に執念を燃やす宿敵・銭形警部の敏腕の前にことごとく歯が立たず、辛うじて逃げおおせる始末。
一方で、惜しくも逃がした銭形には、折しも栄誉ある世界警察会議ヨーロッパ大会への出席が勧められる。
驚いたことに銭形は、「ルパンかヨーロッパか」ではなく、「ルパンもヨーロッパも」を選択、即ち、「ルパンを捕らえた上でヨーロッパに行く!」と宣言したわけです!
まさにおそるべき銭形の自信ですが、それに対して、ここでルパンが取った行動こそが、当時、私が子供ながらに強く、そして深く、印象に残ったものでした。

ルパンはどうしたか?
驚いたことにルパンは犯行予告期限の前日、酔っぱらいになりすまし、些細な事件を起こして留置場に入り、そこに何かを仕掛けた上で翌日朝、釈放。
その上で、予告通りに押し入り銭形に逮捕される。
そのまま、留置場に送られたルパン一味は、前日、仕掛けてあった脱獄道具でまんまと脱獄に成功し、再び、財宝の保管場所へと向かい、警戒が緩んだところをなんなく盗むことに成功するわけです。
現実には、もちろん、前日に脱獄道具を仕掛けたからといって、その同じ場所に投獄されるとは限らないわけですから、所詮、マンガの中の話でしょうが、私が深く感銘したのはその発想の転換でした。
即ち、ルパンの目的は、「財宝を手に入れること」であって銭形と「名勝負を繰り広げること」ではないわけです。
財宝を戴く為に、もっとも効率的なのは銭形をヨーロッパへやってしまうことであり、その為には、一旦捕まった方が早い・・・。

ここで想起するのが川中島の戦いです。
この戦いは、言うまでもなく戦国時代を代表する二人の名将、武田信玄上杉謙信がしのぎを削ったことで有名な合戦ですね。
後年、これを、豊臣秀吉が評して、はかのいかぬ事をしたものよ」と嘲笑したといいます。
彼らはの目的は「覇権」であって川中島で名勝負を繰り広げることではなかったのではないかというわけです。
覇権という意識が明確にあったか・・・という点では少々疑問に思える謙信はともかく、少なくとも信玄の方はそんな僻地で大規模な武力衝突などやって、いたずらに・・・戦力と時間をすり減らして・・・と思えなくもないわけです。
この辺は、以前より、平太郎独白録 : 戦国武将の方向戦略や、平太郎独白録 「信長が西向きゃ家康は東!」などでも、繰り返し述べて来たことですが、結局の所、信玄と謙信には国家戦略としての方向性と、それを導く前提となる思想というものが欠けていたということでしょう・・・。
その意味でも、このルパン三世というアニメ番組での・・・、いや、名勝負を宿命づけられたアニメ番組だからこそ、この展開の凄さを感じた次第でした。
                                  平太独白

by heitaroh | 2007-12-08 08:52 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

自己破産表明のミートホープに甲斐武田家の末路を見た!
親愛なるアッティクスへ

ミートソース・・・じゃなかった、「ミートホープ」田中稔社長・・・、ついに、自己破産を申請する方針を表明したとか・・・。
なにやってんだか・・・と思わなくもないですが、でも、この事件、内情を聞くにつけ・・・思わず、笑っちゃいましたねぇ。
だって、内幕を知れば知るほど、拙著、 「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」で記した武田信玄晩年の武田家とそっくりなんですから・・・(笑)。

親父が、訳がわからないことばかりやって、それに面と向かって反対する長男は煙たいからと廃嫡されて平取締役・・・。
(武田信玄の長男、義信は、親父に対してクーデターを起こすも未遂に終わり、幽閉後、自殺。)
次男は、関わり合いになりたくないと距離をとり監査役・・・。
(信玄の次男は、生まれついての盲目のために幼くして仏門に入る。)
で、結局、親父の亜流みたいな三男が後継者に・・・。
拙著の中では、跡を継いだ四男勝頼(三男夭折の為、事実上の三男)を被害者の目線から描きましたが、ミートホープでは三男はどうにも困ったちゃんみたいで、あるいは、これが勝頼という人の真実だったのかもしれないな・・・という気もしてきました。
もっとも、武田家の場合、勝頼は最後まで、正式に後継者にはなってないんですけどね。

以前、武田家の地元・山梨県の人に拙著を送ったところ、山梨県は信玄びいきのお国柄ゆえ、「フィクションだ」と切り捨てられました。
だけど、少なくとも、信玄は、長男・義信が死去した後、自らが死去するまで、ついに、皇太子の座を空席のままにしているんですよ。
戦国乱世の時代に、長期にわたって「後継者」を空位にするというのは、明らかに異常なことであり、事実、このことは、信玄没後に武田家の滅亡に大きく関わってくることになります。
この点は、どう考えても、単に、「自分のやることに異を唱える者が出てこないように・・・」という、自分のことしか考えていなかった・・・、つまり、整序上ではなかったと言い切ってもいい根拠の一つだろうと思います。

そもそも、ワンマン社長の場合、社員などは、それでなくとも、面と向かって異を唱えづらいわけですから、自然と、イエスマンばかりになり、本当のことが耳に入らないようになりますよね。
その点では、一番、本当のことを言いやすいのは、「身内」なんですよ。
その身内の言うことに耳を貸さない・・・どころか、廃嫡してしまうなどというのは、もう、誰も本当のことを言ってくれなくなるということであり、行き着く先は、ミートホープや武田家のようなことになるしかないのでは・・・。

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by heitaroh | 2007-07-11 08:42 | 時事問題 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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