タグ:松下幸之助 ( 10 ) タグの人気記事

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

今回、同書を読んで初めて知ったことがあります。
松下幸之助本田技研大株主だったんですね。
当時、筆頭株主は本田宗一郎 1330.4万株、2位が日本共同証券 1203.4万株、3位が藤沢武夫 697.1万株だったそうですが、松下幸之助の所有は公表している分だけでも、松下不動産の30万株あり、他にも松陽不動産、松下幸之助個人名義での所有もあったそうですから、それらも含めると、「相当の大株主であることは、まちがいないようである。」とのことで、これって、今はどうなってるんでしょうか・・・。
買い増しはしていないかもしれませんが、すべて売却してしまったら、風評被害ものですから、ある程度はまだ、松下家は持ってるんですよね?

松下幸之助が本田技研と交流があったことは知ってましたが、実際に、大株主という形で関わっていたというのは初耳でした。
この点を、著者である三鬼陽之助翁は「松下は義理や人情で株を持つ男ではない。」とした上で、「ただ、どういう心理か、松下は、自分が本田技研の大株主になったことを、世間に公表されることを好まない。現に、本田宗一郎にも、株主であることを世間に公表しないよう懇望している。」と記しておられましたので、公表したがらなかったというのは「義理や人情ではない」としたならば、おそらく、「儲け話の種」として見ていたと考えていいのではないでしょうか。

次に、私が注目したのは藤沢武夫の、「企業には、人間の心理学が必要だ。ユーザーが何を欲しているかを知るには、直接、相手に触れることがいちばんだ。」という言でした。
すなわち、「いわゆる新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどを通じて、間接的にユーザーと接触してもだめだ」ということだそうで、この点は確かに、最近の企業でも、エンドユーザーの一人として少なからず、感じることでもあります。
携帯電話やパソコンなどでもそうですが、私はゲームもやらないし、音楽も殆ど聞かないので、その分、昼のニュースを自動で録画しておいてくれるとか、もっとほかの機能を付け、かつ、簡易に操作できるようにして欲しいんですよね。
おそらく、私くらいの年代の男性は結構、そういう人っているんじゃないですか?
そういう声はまったく届いているようには思えないんですよね。

この点、本田・藤沢のコンビは鈴鹿サーキットで第一回のオートバイ競争が行われた時、出場他社の首脳部がモーニングの胸にでっかい花飾りをつけて、いかめしく構えている中、来賓席よりはるか下の一般席にノーネクタイで一般大衆と一緒に大声で声援を送っていた・・・とか。
やっぱ、偉くなると、人間、なかなか、耳に痛い言葉が聞こえてこないようになりますから、余計に、こういう場は必要なんじゃないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-07 14:02 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

子ども手当議論の迷走に思う松下幸之助の卓見
親愛なるアッティクスへ

政府は、先日、合意していた「子ども手当を3歳未満に限って7000円上積みを見直し、上積み額を圧縮する検討に入った」という報道を耳にしました。
「上積みには2450億円もの財源が必要」で、見込んでいた配偶者控除の見直しに党内から反論が出ていることを踏まえたからだそうですが、そもそも、私に言わせれば、財源の議論先送りしたまま、先に上積み額だけを決めるということ自体がおかしいんですよ。
この点は以前から申し上げているように、もう、いい加減に「金をどう使うか」だけ考えるのはやめるべきで、極論すれば、「政治家は、財源と政策と1セットでなければ、一切、話はしてはいけない」と法律で決めて欲しいくらいあります。

で、何か、新たな政策を導入するということは、その財政規模に見合った既存の政策のどれかを止めるか、もしくは、新たに財源を設・・・の二者択一しかないんですよね。
(事業仕訳というのも、結局は、前者の一つの形なわけで・・・。)
この点で、一例を挙げれば、三原じゅん子参議院議員先生が選挙に出馬するとき、「子宮頸がんワクチン接種の無料化」を公約として掲げてましたよね。
でも、それを訴える以上、「代わりに、これを廃止縮小させてもらいます。受益者の方、申し訳ありませんが理解してください」というか、「この問題で苦しんでいる人たちがいます。申し訳ありませんが、国民の皆さん、増税して広く浅く負担していただくことをご理解ください」と言うべきでしょう。
まあ、この辺の民主党政権の迷走ぶりは一事が万事、「何を言っても責任がなかった野党時代の浮世離れ体質」に行き着くのでしょうが、一方で、とかく、「国民への大盤振る舞い」になってしまいがちな民主政治というものの弊害をもあぶり出しているのだと思います。

で、拙稿でもたびたび採り上げております故・三鬼陽之助氏(財界評論家)の昭和48年(1973年)当時の著作の中に松下幸之助翁の興味深い発言を見つけました。
翁曰く、「やはり資本主義も修正資本主義になるし、共産主義もだんだんに寄ってくるでしょうな」・・・というもので、さらに、「そういう風になるのは、あと五十年、あるいは百年ですか」との三鬼氏の問いには、「そんなにはかからん。三十年すりゃ、そうなると思う」と語っておられました。

この点は、まさしく、私が以前から
平太郎独白録 : 日本型社会主義的資本主義折衷イデオロギーに光明をや、
平太郎独白録 : 百年後の教科書にみる勝者の真実などで申し上げていたことと一緒で、つまり、「共産主義は資本主義化しやすく、資本主義は共産主義化しやすい」ということなのですが、つまりは、民意に迎合する必要がない旧来の社会主義は「国富て民貧す」となりがちであり、民主主義というものが選挙で民意迎合しがちな傾向があることから、とかく、国家の財政が破綻しがちであるという結果、「民富て国貧す」となるかの違いである・・・と。
共に、それが良い結果を生まないという現実に行き当たったならば、中和せざるを得ないだろう・・・とは思いますが、実際には松下翁の発言からソ連崩壊まで20年かかっていないわけで、さらに、36年後2009年リーマンショック以降、資本主義も至る所で行き詰まりを見せていることを考えたならば、当時は、すでに、劉少奇による市場原理の導入の動きなどはあってたとしても、驚くべき、翁の卓見だったといえるでしょうか。

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-12-08 08:15 | 政治 | Trackback | Comments(2)

冬が文明と国家を作った
親愛なるアッティクスへ

当方、目下、大変、多忙にしており、まあ、それはそれで適度な肉体労働は健康にも良く、夜も気持ちよく眠れる・・・ものの、一方で、こういう生活を送ってみて、改めて感じたことがあります。
まず、肉体的には、やはり、人間は本来、自らの身体を使って生活するように出来ており、こういう生活をしてみるとホワイト・カラーなどというものが、如何に人間本来の姿への欺瞞であるかという気さえします。
その意味では、健全な姿なんでしょうね。
ところが、肉体的にも、精神的にも健全であるはずなのに、今のような生活を送っていると一日中、誰とも顔を合わせない日もあるわけで、そういう生活を送ってみると、改めて、「自分は市井の中に居るべきだ」・・・ということを痛感します。

こういうと、「あいつは本当は寂しがり屋なんだ」などと言われそうですが、それとはまったく次元が別の話で、つまり、寂しい云々ではなく、「人は本来、外敵に襲われることが前提で身体が出来ている」・・・ということですね。
すなわち、人は絶えず、新しいストレスを感じていることが前提で身体が作られているのではないか・・・と思ったわけです。
だからこそ、新しいストレスを受けないで良い状態になると、人は呆けたり、以前の嫌な話を思い出したりして、新たなストレスを作ろうとするのではないか・・・と。
まあ、私の場合、元々、ネガティブな人間ですから小人閑居して不善を為す・・・ということでご理解ください(笑)。

で、この点で、最近、気に入っている言葉があります。
松下幸之助翁の「好況良し、不況また良し」という言葉です。
私はたびたび、触れておりますように、松下幸之助という人物はあまり好きではないのですが、この言葉だけは無性に気に入ってますね。
私も、現在の不況で少なからず追い込まれている身ですが、ある意味、この不況は私に「冷水」を浴びせかけてくれたと思います。
人は「危地」に追い込まれてしまえば、ストレスがどうのとか言ってられないですね(笑)。

その意味で思い浮かぶのが、「温帯で文明が発達したのは冬があるからだ」という説です。
つまり、は何だかんだ言っても、山にでも入ればそれなりに食物にありつけるけど、食物が乏しいはそうはいかない・・・と。
だから、昔は、その冬をどう乗り切るか・・・は大変な課題であり、人は冬の間の食物を確保しようとし、各人が確保している食物を奪われないために共同体を作り、リーダーを選出し、それが文明を作り、やがて、国家を作った・・・と。
まあ、インドメソポタミアなどを温帯に入れて良いのかという気もしますが、「冬」というストレスが人類発展の礎を築いたと言われれば、なるほど・・・という気もしますね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-07-09 19:40 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

NHK「JAPANデビュー」訴訟に許容の妙を識る その5
親愛なるアッティクスへ

昨日からの続きにして、このシリーズの最終回のつもりなのですが、実は今、三鬼陽之助という財界評論家人が昭和49年4月に発行した本を読んでいます。
なぜ、今頃、こんな古い物を・・・と訝しむ方もお有りかもしれませんが、私と同年配以上の方は、この日付だけで、私の意図をご理解されたのではないでしょうか。
そう、逆算すると「オイルショック」の直後に書かれた物なわけですね。
私自身、結構な苦境に立たされている昨今の「百年に一度の不況」ですが、この危機を読み解くには、悲壮感という点では今以上の物があったこの未曾有得の経済危機と、実際に格闘した企業経営者たちの言動を知りたい・・・と思った次第でした。

で、私が今回の表題の中で申し上げたいのは、それ自体ではなく、この本の中にあった二人の人物、土光敏夫氏と松下幸之助氏のオイルショックに臨んでのコメント・・・でした。
まず、土光氏は当時の田中角栄総理大臣がインドネシアを訪問した際、学生の反日デモに遭った点を採り上げ、「インドネシアのスハルト大統領も日本の経済協力を強く望んでいる。だから、学生たちの反日運動だけが世論のすべてではない。報道関係者も含め、関係者は、この辺の実情を公平に調べて対処すべきだ」と述べておられました。
これこそはまさしく、昨今のNHK捏造訴訟にも言えることで、とかくマスコミは「一部の目立つ行為」だけをとらえて、まるで「全体がそうなっている」かのような報道をしがちですが、現実には、何事に置いても、一枚岩であるということは少ないわけで、つまり、批判している人たちがいる一方で口には出さずとも(?)歓迎している人もいる・・・ということも十二分に有り得る話だということです。

次に、松下氏は「今日の労組は十年前の労組と違って、一国の政治を左右するところまで来た。今日ほど、労組の良識が必要とされるときはない」と述べておられました。
私は、たびたび、述べておりますように、松下という人物はあまり評価しておりませんでこのコメントも、とりようによっては、「経済危機を大義名分褒め殺しで労組のベースアップ牽制しているだけ」・・・のようにも思えるのですが、逆に言えば、経営危機のときにあって、敢えて、賃上げを要求してくる労組があれば、それには「罵声」をもって応えるのではなく、耳を傾ける必要があるということを顕していると思います。
つまり、如何に現実無視の要求であっても、それが是か非か、一旦、俎上に乗せて検討するべきである・・・と。

e0027240_19163218.jpg台湾統治悪事ばかりではないかもしれませんが、きれい事ばかりでもないはずで、であれば真実かどうかはともかくとしても、検証というものの問題提起をしたという意味では、十分に許容される・・・、いや、許容すべき反証番組だったといえるのではないでしょうか。

それらを踏まえた上で結論を言えば、とかく「売れれば良い」的な姿勢になりがちなマスコミという媒体に「真実を伝えさせる」・・・という努力は必要であるとしても、本当に必要なのは、「捏造だと異見を封殺する」ことではなく、「本当に捏造なのかどうかを検証する」ことだと思う次第です。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-07-03 18:25 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

麻生太郎内閣の通信簿 その5 百年に一度の不況の真実
年末から未完のままになっていた続きです。
イマイチ、まとまってませんが、麻生内閣があるうちに終わらせなきゃ・・・と(笑)。

以前、予算案を評して、新聞に「哲学無き予算編成」という見出しが載ってましたが、この点では、まさしく、言い得て妙・・、その通りだと思います。
世の中には、小泉純一郎内閣時代の切り捨て政策を悪く言う人たちがいますが、でも、それって、小渕恵三内閣のときのバラマキの反動だという見方はできないでしょうか。
つまり、地域振興券公共事業の大奮発悪化して、どうしようもなくなった国家財政を立て直すのに、国民はもはや痛み止めではなく、痛みを伴う手術を望んだ・・・と。
その覚悟の表れが、小泉内閣に対する国民の支持率の高さだった・・・と。
思えば、橋本龍太郎内閣が進めてきた財政再建路線と、その反動による小渕政権・・・。
その小渕政権への反動としての小泉政権の登場と、さらに、その反動としての麻生政権・・・という見方もできるわけで、そう考えれば、このバラマキの後に来る物は何なのかということは国民はよく考えておかねばならないと思います。

その意味では、麻生太郎総理自身に明確な見識がなく、指導力も不足しているがゆえのように見えますが、政権発足の段階で財政再建路線論者を遠ざけたことを考えれば、表面は小泉改革の継承を装いながらも、本来の姿はやはり、旧来の自民党バラマキ政治の範疇から出ていない人物だと思います。
その麻生総理がバラマキの大義名分にしているのが、「百年に一度の不況」という謳い文句でしょうが、何度も言ってますが、この「百年に一度の不況」というのは、もの凄いトリックがある言葉で、「百年に一度」というのはあくまでアメリカでの話であって、日本では、昭和の初めの大恐慌からこの方だけでも、戦前戦中の生活苦、戦後のハイパーインフレ、オイルショック、バブル崩壊と・・・、何度も真っ青になるような凄い大不況があったわけで、私自身の印象でも、オイルショックの時はもっと状況は深刻だったと思いますよ。
ましてや、戦後の混乱期を思えば・・・。
そう考えれば、今がいくら酷いと言っても、昭和の頃よりは、生活レベル的にはまだ、恵まれてるんじゃないでしょうか?

この点で、先日、オイルショック後の昭和50年にパナソニックの創業者である経営の神様、松下幸之助翁がインタビューを受けている映像がやってましたが、彼が、「前の不況も厳しかったけど、今回のとあのときとでは状況が違う」・・・などというのを聞いて、思わず、「前の不況???」と。
よく聞いていると、どうやら、山陽特殊鋼倒産山一証券危機があった昭和40年不況のことのようでしたが、これは時の田中角栄大蔵大臣の決断で山一の破綻は回避でき、その後の経済成長路線へと向かったという程度の軽い物だったように聞いてましたが、オイルショック時点で「前回の不況も深刻だったが」と言わしめたほどに深刻な状況だったんですね・・・。
そう考えれば、昭和32~33年の鍋底不況、昭和50年代後半のゼロ・シーリング時期、昭和60年の円高不況等々、そもそも景気なんて悪かった方が多かったわけで・・・。
百年に一回・・・というのが、いつの間にか、選挙対策のお題目にするために、日本にも適用されるかのようにすり替えられているわけですね。
ちなみに、松下幸之助翁は「前回(昭和40年不況)の時は政治がしっかりしていた。今は、政治が安定してないでしょ。それが問題だ」とも述べておられましたが、これって、不況に対して、的確な政策を打てないという点で、不況というものの本質にも当てはまることなのかもしれません。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-01-15 08:14 | 政治 | Trackback | Comments(6)

山本浩二選手と広島カープの昭和50年 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

過去、前年最下位のチームが翌年、一転、「初優勝」を飾ったというのは、昭和35年の智将・三原 脩監督に率いられた大洋ホエールズと、この昭和50年広島カープしかないと記憶しているのですが、いつの時代でも、万年下位チームを初優勝させる為に、指揮官が一番に手を付けなければならないのは負け犬根性の一掃と、勝つことへの執念を植え付けることだと言われています。

この点で、昭和50年の広島を任されることになったジョー・ルーツという人は、「集団は確固たる指導方針を持った強烈なリーダーによって変わる」という信念を持っており、まず、最初のミーティングで選手らに対し、「君たち一人一人には、勝つことによって広島という地域社会を活性化させる社会的使命がある!」と喝破したといいます。
これは一見、見過ごされがちなことですが、「なぜ、勝利しなければならないのか?」・・・ということの根拠を明示する・・・ということは集団を率いる上では、外してはいけない大事なポイントだと思います。
つまり、「自分たちはなぜ、この商品を売るのか?」・・・ということですね。
「金さえ儲かればいい」ということでは人は納得jしない・・・と。
(かつて、松下幸之助翁は、「松下製品を世界中に行き渡らせることで生活を便利にし貧困をなくす」というようなことを掲げましたし、どこだったかの金融会社は「我々は、お客様にお金を貸すことによって生活に夢を与えている」ということを掲げたことで、それまで、「サラ金」と蔑まれていた自分の仕事に対して誇りを持つことが出来るようになったというような話を聞いたことがありますが、要は、これと同じだと思います。)

e0027240_13201060.jpgその上で、三原 脩監督が、大洋のおとなしいチームカラーに喝を入れるべく、それまでの大洋にはいなかった、職人肌でありながら、あくの強い個性を持つ鈴木 武遊撃手をシーズン半ばで近鉄から獲得し、「超二流選手」というフレーズを与えて活用したように、ルーツ監督も、シーズン前、日本ハムから、激しい気性の大下剛史二塁手を獲得し、主将を任せ、新チームの精神的な支柱とします。
そして、その象徴として、帽子の色をそれまでの紺色から燃える闘志を表す赤色に変更・・・。
(選手は相当、恥ずかしかったそうですが・・・(笑)。)
当然、選手には全力を出し切ったプレーを求め、消極的なプレーをしている選手に対しては容赦なく罵声を浴びせたし、さらにコーチ陣に対する要求にも厳しいものがあったとか。

ところが、そのルーツ監督が、開幕から間もない4月27日、ボールの判定に激高し暴行を働いたとして審判より退場処分を命じられたものの、それに従わず、ホームベース上に居座ってしまうという事件を起こし、それが元でチームを去ることになるわけです。

来週にでも続きます。
                               平太独白
by heitaroh | 2008-03-07 08:55 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

いわきの土産屋にみるまじめに働いても報われないの理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1221235.jpgあきまへん・・・。
昨日、福岡ドーム祝杯を挙げすぎまして、本日、まったく使用不能です。
気が付いたら、某駅の裏を歩いていました。
さらに気が付いたら、某所にて転がっておりました。
当然、こんな状態ですから、今日はまともなことは書けそうにありません。
で、これで、お茶を濁します。

先日も申しましたように、過日、福島県いわき市に行ってました。
ここでは、最近、映画「フラ・ガール」でも、有名になったスパ・リゾート・ハワイアンズに泊まったのですが、まずは驚いたのがプールと温泉が混在していることでした。

ただ、従業員も含めて、対応は良かったのですが、気は利かなかったですね。
チェックインして部屋に入ってみれば、使用済みの綿棒がテーブルの上に転がっている・・・、トイレの水は出ない・・・、テレビのリモコンは電池切れになっている・・・。
移動手段はタクシーしかないという話になっても、「タクシーをお呼びしておきましょうか?」とは言わない。
でもって、出てみれば、「タクシーは呼ばないと来ない。20分くらいかかる」で、結局、唯一の移動手段である電車には乗り遅れる・・・。

で、夕食だけは、ハワイアンリゾートの施設外に行ったのですが、食べ終えて、外のお土産屋さんを見ていたところ、一定時間になると、店の人が慌てて、店じまいをし始めました。
まだ客が居るのに・・・です。
それを見て、昔読んだある記事を思い出しました。

あるジャーナリストが、地方の商店街にいると、商店街中のシャッターが18時きっかりになったら、すべて、一斉に下りたそうで、これに驚いたそのジャーナリスト氏は、何とか、閉めようとする一店舗に飛び込んで、「一体、何ですか?」と聞いたそうです。
すると、その店の主人曰く、「商店街の取り決めで、どこも抜け駆けすることなく、一斉に18時になったらシャッターを下ろすという取り決めになっている」と。
つまり、彼らは、客の都合ではなく、自分たちの都合で営業時間を決めていたんですね。
これでは、昔のように、他に店がない時代ならともかく、コンビニスーパーが構える時代になると太刀打ち出来るはずもなく、つまり、その現実に目を背け、敢えて、自分たちだけの世界に閉じこもろうとしていたわけです。

かつて、松下幸之助翁は「儲かりまっか?」と聞くのが挨拶代わりだったとか。
で、「いやあ、儲かりまへんわ」と答えられると、真顔で、「それはまじめにやってへんからや」と言い、相手が、「いや、まじめにやってますよ」とふくれると、「なら、工夫の仕方が悪いんやないか?」と・・・。
先般の参議院選挙でも、有権者の声として、「まじめに働いても報われない」というのを少なからず目にしましたが、まじめというのは案外、自分たちの都合で店じまいしているような人もいるのでは・・・と。
                     平太独白
by heitaroh | 2007-08-01 08:09 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

松下電器のマネシタをやらない床屋の怠慢。
親愛なるアッティクスへ

あ ろんぐろんぐ あごー な話で恐縮すが、当時、まだ私が学生の頃だったと思うのですが、近所の床屋のオヤジが、「自分の髪は他所で切ることなく職人たちの練習台にさせている。俺は、ここまで、経営努力をしている」と言うのを聞いて、内心、「あほか!」と思ったことがあります。

以前、平太郎独白録 「幻の都 安土をゆく その2 SAGA滋賀♪って違うか・・・。」の中でも触れたことですが、かつて、高崎達之助翁(元通産大臣)が大阪に赴任してきたとき、阪急の小林一三氏の知遇を得たことから、折角だから・・・ということで、職場の近くで阪急が分譲していた住宅の購入を申し出たところ、氏から、「君は存外バカだね。」と言いわれたと。

曰く、「初めて大阪で仕事をするからには、大阪の空気を知らなければならん。それなのに、大阪の北郊に住み、北区の工場に通勤していて大阪がわかるかね?君の仕事場が大阪の北なら、君の住居は南におき、朝夕の通勤に大阪を知るくらいの頭がなくては仕事ができないよ」というものでしたが、その論で行けば、この床屋も、自分の髪は、勿体ないなどと言ってないで、他所の床屋に行け・・・と。
行って、他所の床屋がどういうことをやっているか、技術的なことはもとより、店の作り、気配り、システムなど、しっかり見てこいと。
組合などで、が割れているのであれば、電車賃使ってでも知らない町の床屋に行くべきであり、あまりにジロジロ見るのもおかしいなら、商売人なんだから、目をつぶっていてもわかるだろうと・・・。
要は、参考にしたいと思うテーマを持って臨んでいればいいだけの話であって・・・。

ついでにいえば、視察旅行なども、ただ、漠然と行くのではなく、具体的に、「こういうところはどうしているのだろうか?」というテーマを持って行くべきだといいますよね。
思えば、戦後、高度成長を支えたのは、「どうしてもここから先がわからない」と苦しんだ挙げ句に視察に行った経営者たちだったわけで、本田宗一郞さんなどは、ポケットに、思い切り、ビスなどの部品を詰め込んで帰ってきた為、現地の空港で、重量オーバーを指摘されたとか。
(当時は、まだ、ハイジャックが起きる前で、金属探知器などはない代わりに、一人当たりの重量制限があったようですね・・・。)
本田さんは、このとき、太ったおばさんを指さし、「あのおばさんは、荷物を持って無くても俺より重い!」と主張し、無事、日本にそれらの部品を持ち帰ることに成功したといい、このとき、持ち帰った部品が、その後のホンダ発展に大きく寄与したといわれています。

で、話を本題に戻すならば、昔、ソニーなどが新製品を出すと、松下幸之助率いる松下電器は、すぐに、これを入手し、すかさず、分解して、どういう技術を使っているかを解明し、自社の製品に応用したといいます。
マスコミなどは、 この松下電器の姿勢を「マネシタ電器」と揶揄しましたが、しかし、これは、むしろ、やるべきことの最低限のことをやっていたというべきで、むしろ、それさえもやらないことの方が怠慢だと思います。
私に言わせれば、自社にはない他社製品が出れば、特許の絡みなどがない限り、松下電器のように、すぐに自社製品に反映するのが当たり前であり、「よそがどういうサービをやっているのか知りません」というのは、どこやらの床屋と変わらぬ怠慢レベルだなと思いますが、如何でしょうか、御同輩。
                              平太独白
by heitaroh | 2006-11-22 08:02 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

三洋電機に見る「裸の王様」現象
親愛なるアッティクスへ

三洋電機の創業者である故井植歳男氏は当初から海外への雄飛を志し、太平洋、大西洋、インド洋をまたにかける!というので、三洋の社名の謂われとしたそうですが、ただ、得てして、こういう老舗、名門と名が付く企業は、気位だけは高く、そのくせ、古株の重役連中などに、妙に都合の良いシステムが出来ていたりするようです。
で、そういうところは、TOPには「悪い話」は上がってこないとか、側近はイエスマンばかりだったり・・・といった社長「裸の王様」現象!が、往々にして見受けられるようです。

私も、8年ほど前でしょうか、友人から、「新しいの買ったから」と、三洋のデジカメをもらったのですが、折から、ウィンドウズ95から98に変わったので、それに適合したドライバーをダウンロードしようとしたところ、他社はすべて無料で対応していたのに、三洋だけがアップデート有料でした。
ふざけやがって!と・・・。
以来、二度と三洋は買わん!と思いましたね。
買ってませんけど・・・(笑)。

で、ご承知のように、三洋電機の創業者の井植歳男氏は、経営の神様と呼ばれた松下電器創業者の松下幸之助氏の奥さんの弟であり、松下電器創業時からの社員だったそうですが、その後、松下電器の成長と共に、松下の番頭から、戦後、独立して、三洋電機を起こしたと言う経緯をお持ちの方です。
その井植氏も独立したときは、財界などから随分と奇異な目でみられたらしいですね。
井植歳男と松下幸之助の関係を、義経頼朝に例えた見方もあったそうです。

ところで、彼が松下の番頭だったとき、もう一人、松下には有能な番頭がいたそうで、一方は三洋を興したが、もう一方は大成しないで終わったそうです。
私は松下幸之助は嫌いですので、今日、名が残っていないからと言って、彼の言うことを盲信することはしませんが、その両者の違いを、松下幸之助が何かの本で語っていた記憶があります。
人からお褒めにあずかるときの違いだったと思いますが、もう一人の方が、
「**さんは良い番頭さんや。松下さんは良い番頭さんをもっておられますなぁ」・・・だったのに対し、井植氏は、
「井植さんは良い番頭さんや。松下さんにはう良い番頭さんが何人もおられるらんでしょうなぁ」・・・であったとか。
松下曰く、「二人とも僕に対しては忠実で、いい番頭だったが、人間の本心というものは、どこかに出るものです。それが、成功、不成功というようなことに繋がるんですな・・・」と。

住友銀行が、借金担保に創業資金を融資したという伝説を持つ、井植歳男の私心のない人柄・・・、三洋創業者の面目躍如!というところでしょうか・・・。
その点、私には、後継井植一族が、どんなに傾いても何だかんだ言って実権を離そうとせず、それでいて危機感に乏しいように思えるのですが、いかがなものでしょうか・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2005-09-24 20:11 | 経済・マネジメント | Trackback(1) | Comments(2)

不況と経営者
親愛なるアッティクスへ

「不況と経営者」という問題で、少し考えてみました。
まず、不況期で成功する経営者のパターンとしては、3つあると思います。
一つが、不況を逆手にとって発展するタイプ。
二つめが、不況があまり関係無いタイプ。
そして、3つ目が、不況を凌ぎきるタイプです。

e0027240_1140842.jpg

まず一つ目ですが、これはかなり超人的な例であり、ある意味、山師的な要素も抱えているともいます。
したがって、このタイプ自体が非常に珍しいのに加え、同時に大きなリスクも抱えている為、本当に本物と呼べるのは、一時代に一人程度では無いでしょうか?

e0027240_11425746.jpg

次に、二番目のタイプですが、これは例えて言うなら、世界恐慌の時のロッキードがいい例だと思います。
航空郵便という、一旦この便利さを知ってしまったら、誰もが不況だからと言っても使わずにおれない分野。
現代で言うならば、まさしくNTTドコモがこれだと思います。
ただ、これは、経営者の能力と言うより、事業の特殊性にあると思います。
ロッキードは確かに魅力的な経営者でしたけど・・・。

e0027240_11435197.jpg

そして、第三のタイプが、世界恐慌の時の松下幸之助のように、何とか凌ぎきるタイプではないかと思います。
そして、やはり消去法で見て行く時、やはり、1,2のタイプは、あまり我々の参考にはならないのではないでしょうか?
そう考えると、誰もが抗いようの無い大津波が来た時は、良寛じゃないですけど、「災難を受ける時は受ける」しかないんじゃないでしょうか?
                              平太独白
by heitaroh | 2005-08-23 15:29 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
すいませんが、色々とお聞..
by 細田 at 21:04
>sakanoueno..
by heitaroh at 18:09
私も島原城は行ったことが..
by heitaroh at 17:58
結局のところ、陛下ご自身..
by sakanoueno-kumo at 21:09
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
お気に入りブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧