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昭和29年公開の映画「エジプト人」に人間臭さと原型を見る
気がつけば、いつの間にやら、3月が始まってましたね。
もう、正月などは随分前の事のように感じられます。
この辺りが歳をとったということなんでしょうか。
歳をとったといえば、先日、以前から撮り溜めしていた昭和29年(1954年)公開の映画、「エジプト人」というのを見ました。

e0027240_1442158.jpgまあ、エジプト人と言いながら、1965年公開の映画、「ジンギス・カン」同様、アメリカ映画らしく、登場人物がすべて白人ばかりなのはご愛嬌だったでしょうか(笑)。

おそらく、当時もB級映画だったのだろうと思いますが、ただ、意外に、時代考証は割合しっかりしており、当時からすでにホルエムヘブアメンヘテプ4世などの事跡や、深刻な宗教対立や権力闘争などがこれほどまでに特定されていたというのは少し意外な観がありました。

物語は老いた主人公が僻地で自らの人生をふりかえるという形で始まるのですが、主人公は、孤児として生まれながらも、医師である養父に拾われ、医師を志し、高い教養を見につけながらも、一転、女に溺れて転落し、その後、失恋、破産、放浪、殺人、別離と、まあ、そこだけ見れば、一通りのことはやってるじゃん・・・と(笑)。
何となく、この年になってくると、人間臭くて親近感(?)を持ってしまったのですが、それとは別に、時代を考えれば、この映画、意外に元祖・・・とまでは言いませんが、色々なものの原型のようなものが散見されるんですよ。

まず、とかく、この手のストーリーにはお決まりの観がある「実は前国王の息子だった」・・・みたいなオチ。
当時の日本の時代劇全盛時代の映画にも、とかくありましたよね。
それから、女の色香に狂ったあげく、破産して、各地を放浪する際には、それまでと人が違ったように、金持ちしか診療しないという、金の亡者みたいになってしまう・・・というところは尾崎紅葉「金色夜叉」よろしく・・・でしょうか。
(もっとも、こちらは尾崎紅葉の方が先でしょうが(笑)。)
でもって、一番、注目したのは、この主人公の生い立ちの部分。

漁師結びされた葦船に乗せられ、川に流されてきた孤児を医師が拾い養育する・・・というくだり。
手塚治虫原作の名作「どろろ」の主人公、百鬼丸の生い立ちとまったく一緒じゃないですか。
おそらく、手塚はこの映画を見ていたんじゃないですか?
あるいは、小説を読んだのかもしれませんが、原作の刊行は昭和20年だそうで、翻訳されたのは昭和30年台に入ってからと聞いてますから、であれば、おそらく手塚は当時はもう既に超売れっ子ですから、ゆっくり読書などしている暇はなかったように思えるんですけどね。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-03-02 07:36 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

人は鬼にも人にもなる変幻自在の生き物。
世の中には、「人を見たら鬼と思え」ということわざがありますよね。
ところが、一方で、「渡る世間に鬼はなし」という言葉もある・・・、では、果たしてこれはどちらが正しいのか・・・といえば、答えは、おそらく、どちらも正解なのでしょう。
これには、2つの考え方があると思います。
まず、一つは人間社会とは善人ばかりで構成されているわけでも、悪人ばかりで構成されているわけでもない・・・ということですね。

よく、「東京人は都会を鼻にかけかけているから嫌いだ!」などという声を聞きますが、だからと言って、東京人すべてが、そんなに感じ悪い人ばかりでもないでしょう。
同じ事は、外国人にもいえるわけで、よく私は、「何国人は悪い!」という人に対して、「それは何人が悪いんじゃなくて、そいつが悪いんだ。日本人にだって嫌なやつはいるだろう・・・」と言います。

2つ目が、人によって善人悪人に分けるのではなく、同じ人が善人にも悪人にもなる・・・ということです。
昔、手塚治虫の作品に「どろろ」という戦国時代を舞台にした妖怪マンガがありましたが、この中で一つ、印象に残るシーンがあります。
「雷火犬」という、読んで字の如くを操る犬の妖怪の話なのですが、主人公・百鬼丸はこの妖怪を倒すべく闘いを挑むも、逆に雷に弾き飛ばされ、道端で意識を失う・・・とそこへ、一人の村人が通りかかり、「行き倒れか、若いのに気の毒になぁ」と言って手を合わせた後、「どれ、遺品は有難く、おらがもらっといてやるからな」と言い、身ぐるみを剥ごうとする・・・。
そこへ、急に百鬼丸が息を吹き返したことから、驚いた村人は、少しバツの悪そうな顔をしながらも、生きてるとわかった後は村で懇切に介抱してくれる・・・。

この、死体の身ぐるみを剥ごうとしたのも、親切に介抱してくれたのも同じ人なんですよね。
他の人だったら、生きてるとわかったところで、どうせ動けないんだし、誰も見てないんだから、そのまま身ぐるみを剥ぐかもしれないし、場合よってはいっそ殺してしまったかもしれません。
それをしなかったということはこの村人は基本的に善人だったのでしょうが、それでも、もし、「借金の返済に追われている」など、ほんの少し、条件が違っていたら、この人も鬼になることに、大して躊躇はなかったように思えるんですよね。
もちろん、これはフィクションでしょうが、全くの絵空事だとも言い切ることもできないように思えます。
あるいは、手塚が生きた戦後の日本の姿であったのでしょうか・・・。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-02-09 07:08 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

ドラマ「ゲゲゲの女房」に日々黙考 その5
親愛なるアッティクスへ

ドラマ「ゲゲゲの女房」ですが、いよいよ、水木しげる翁の快進撃が始まったみたいですね。
なぜか、結構、目頭を熱くしながら見ているのですが、この、水木翁の快進撃という点では少し思うことがあります。
それは、手塚治虫という人物の存在です。

e0027240_1625783.jpg(←水木翁に敬意を表して納涼サービスです。
季節柄、少しは涼しくなられたでしょうか(笑)。
ちなみに、ここは今でこそ、夜はこういう怪奇スポットみたいな扱いになってますが、元は小松政夫さんの実家で、私が子供の頃にはすでにこういう状態だったものの、戦後の焼け跡に突如、これが出来たときは、まさしく白亜の豪邸だったそうですよ。

ついでに言うと、最近、デジカメの登場以来、心霊写真が激減したように思われませんか?)

手塚氏は昭和3年(1928年)生まれですから、大正11年(1922年)生まれの水木翁よりは6歳年若になりますが、遅咲きの水木翁とは対照的に、終戦間もない昭和21年(1946年)、大阪帝国大学医学専門部在学中に4コマ漫画でデビューするや、翌年には漫画界に革命を巻き起こしたと言われる「新宝島」で一躍注目を集め、昭和25年(1950年)より漫画雑誌に登場、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」といったヒット作を次々と手がけ、さらに、石森章太郎、赤塚不二雄、藤子不二雄など自らに憧れて集まってきた、いわゆる、トキワ荘グループと呼ばれる後進の育成にあたる一方、昭和38年(1963年)には「鉄腕アトム」で日本初のTVアニメのシリーズ物に進出・・・と、つまり、水木翁が戦争から復員し、紙芝居や貸本マンガなどで細々と食いつないでいた頃、すでに「漫画の神様」として君臨しており、経済的にも高額所得者、つまり、当時の「百万長者」だったわけです。

出す漫画出す漫画が、気持ち悪いとか、俗悪であると酷評され、極貧に喘いでいた翁は、果たして、この、6歳年下の時代の寵児をどういう視線で見ていたのか・・・と。
というのも、ドラマでは触れられていなかったようですが、水木翁の快進撃の発端となったのも手塚氏の存在があり、ドラマでは、少年ランドとされているのは当時、後発の少年マガジンであり、マガジンはすでに隆盛を誇っていた少年サンデーに対抗すべく、手塚に原稿を依頼したところ、手塚の機嫌を損ね、逆にマガジンで連載中であった「ワンダー3」をそのまま、サンデーで連載されるという大失態を冒しており、この存亡の危機に際して、マガジン編集部が目を付けたのが「貸本漫画家」であった・・・からです。
で、このとき、水木翁などとともに登用された中には「ゴルゴ13」さいとうたかを氏などもいたと聞いていますが、これらの人材登用により、少年マガジンは連載部数を伸ばすことができたわけですが、手塚氏にしてみれば、面白くない現象だったのでしょう。

手塚氏は、さいとう氏の劇画なども酷評したそうですが、昭和11年生まれのさいとう氏はまだ、小僧扱いだったのでしょうが、水木翁のそれに対してはおそらく、違う意味での「恐怖」を感じたのではないでしょうか。
翁の妖怪漫画「墓場の鬼太郎」を初めて見た手塚氏はそのあまりの衝撃に自宅の階段から転げ落ちたといいますし、私が大好きな「どろろ」などはこれを意識して描かれた物だという説もあるようです。
その後も、一方的に激しい闘志を燃やしたのは水木翁の方ではなく、手塚氏だったことを考えれば、さすがに神様・手塚は本能的に、水木しげるの漫画が自分の脅威になることを見抜いたのではないでしょうか。
この後のことについてご興味のある方は、平太郎独白録 : ブラックジャックに見る人間万事塞翁が馬をご覧ください。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-27 17:58 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

ドラマ「ゲゲゲの女房」に日々黙考 その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

このドラマを見ていて、思ったことがもう一つあります。
それが、「貸本屋」と、そこを排除すべく抗議に来るPTAの「おじさんおばさん」たちです。

e0027240_1661368.jpg(←当時の主要長距離移動手段「寝台車」です。昔のプロ野球選手たちはこれで移動していたんですね。最西端の西鉄ライオンズは「戦力を2割増しにして初めて互角」と言われたのがよくわかります。ちなみに、多分、東京~博多間24時間くらいかかっていたと思います。)

うちの近所にも貸本屋がありましたが、本が大好きだった私は、もし、許される物なら、そこに寝泊まりしてでも、そこにあるすべてを読破したいと思っておりましたが、当然、私にそういう金が与えられることはなく、毎日、ガラス窓にべったりくっついてタイトルだけを眺めていました(笑)。
(小学校低学年の時、いつものようにべったりとガラス窓に張り付いてタイトルを眺めていた私に、一つ年上のタカヒロ君が、「おまえ、ひのひのファイターって知っとうや?」と声を掛けてきました。「ひのひのファイター?どこにある?」と聞くと、「ほら、そこ・・・」と。彼が指さした先には「炎のファイター」という本がありました・・・。一応、私は読めましたけどね(笑)。)

e0027240_16435467.jpg(←前掲の列車は現役物ではなく、北九州市にある門司港レトロ地区という所の鉄道記念館にあった物で、これは同じく、そこに展示してあった列車の外部にあったプレートです。「昭和36年製」と書いてあります。思わず、「お互い、年取ったよな・・・」と(笑)。)

で、私はその貸本屋に抗議行動があっていたのは見たことがありませんが、確かに、「貸本」の中には「良書」とは言えないような物も混じっていたようですね。
(あるいはそれが私が見せてもらえなかった理由なのかも知れません。)

e0027240_17524566.jpgただ、当時は、戦後の反動もあったのかもしれませんが、やたら、こういう空気が横溢していたようで、水木しげる翁の作品は仕方ないとしても、(水木作品も、初期の頃はちょうど今のホラー映画と同じような感じで、おどろおどろしいだけの物でした。)マンガの神様・手塚治虫作品までが激しい非難にさらされていたといいますから、今の我々の感覚では「何で??」という気も・・・。
(←「もじ」です。「じも」ではありません(笑)。)
当時、「手塚の作品は荒唐無稽だ!」と激しい攻撃を受けたそうで、これに対して、生前、手塚氏は、「荒唐無稽って悪いことなのか!」と言って激しく反発しておられましたが、この点で、特に、私が印象に残っているのが「どろろ」です。
(この点ではグリム童話が日本に輸入されたときに、残酷な描写がすべて削除されたのを想起します。)

これにつては、以前もたびたび、述べておりますのでここでは申しませんが、(参照:平太郎独白録 : 我が愛しの名作、「どろろ」にみる理想と現実の真理!人間社会の醜さというものは、子供の目から覆い隠して隠しきれるものではありませんし、子供は大人の欺瞞には本能的にその弥縫を鋭く見つけるもののようにも思います。
事実、私は当時、「他のきれい事を言っている訓話が真実でなく、こちらが真実だ」と思いましたから。

明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-06 18:02 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

批判は良いけど非難が困る半回り単位の年齢差意識論
親愛なるアッティクスへ

以前から度々、申し上げておりましたことですが、私は昔から、「6」という年齢差、つまり、「半回り」を意識しておりまして、有名人でも、私の6歳上が島田紳助、明石家さんま、江川 卓掛布雅之、千代の富士、桑田佳祐・・・等々で、そのまた6歳上、つまり、一回り上になるのが村田兆治、矢沢永吉に、故松田優作という人たちでして・・・。
(逆に半回り下が大鶴義丹、織田裕二、桑田真澄、清原和博、一回り下が安住紳一郎、イチロー、松中信彦・・・etc。)
つまり、これは、有名人に限らず、身近な人たちでもそうなのですが、半回り上までは、「年長の兄貴」として足元を照らす灯りがぎりぎり届く存在なのですが、一回り上になると、ちと、上すぎて、灯りは見えるものの足元を照らすには少し遠い・・・、現実感が希薄な世代になるんですよ。

e0027240_1743282.jpg
具体的に言えば、矢沢永吉さんや松田優作さんは私が学生時代にはカリスマ的な人気を博していた人たちですが、でも、それはやはり偶像としてのそれであって、現実感としては、少し遠い背中であり、現に、矢沢さんが今、「俺、今年、60歳になるんだよ」と言われてますが、それを聞いて、おそらく12年後に「ああ、あのとき、矢沢さんが言ってたよな」と思うことであって、今の私には実感としてはわからないんですよ。
それが半回り上の人たちが言うことだったら、ぼちぼち、「実感」としてわかるところに入ってきているわけで、従って、半回り上の人たち・・・、特に司会者として、そういうことを発信する機会が多い島田紳助さんの発言には結構、実感できる部分があるわけです。

で、以前、たまたま、テレビを見ていたら、その、紳助さんが「最近、精神安定剤が無いと眠れないんですわ。俺、人にはぼろくそ言うけど、自分が言われるのはホンマは苦手なんですわぁ」などと言って、笑いを誘っておられたのを見て、思わず、「え?!あの、紳助さんでもそうなんだ・・・」と少し驚きました。
思えば、マンガの神様・手塚治虫翁も、「手塚の作品はくだらなさすぎる!」「荒唐無稽だ!」と言って教育評論家のような人から激しい非難を受けたと言いますし、「世界のクロサワ」として知られる巨匠・黒澤 明監督も、「椿三十郎」などの娯楽時代劇を作った際には「低俗!」「ばかげている!」と映画批評家のような人から激しく批判されたと聞いてましたので、まあ、あり得ない世界だ・・・とは思いませんでしたが、手塚さんや黒澤さんのように自分の父親よりも年長の人たちが言うのと違い、「半回り上」の紳助さんの口から聞くと、もの凄く、近いところの人が言ったような気がして、「皆、多かれ少なかれ、そういうことを経てきているんだな」・・・と。
ただただ、我が身の不明が恥ずかしい限り・・・です。

もっとも、誤解のないように申し上げておきますと、私は決して「ご機嫌取り以外お断り」と言っているわけではありません。
「批判」は良いんですが、「非難」が困るんですよ。
「ここは違うのでは?」ということに対しては、正誤のほどはともかくとしても、自分なりの考えは言えるのですが、ただ、感情的になるばかりで聞く耳を持たない人に対しては対処のしようがありませんから・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-04 18:20 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

死語になった「マンガの読み過ぎ」と永井豪の世界
親愛なるアッティクスへ

明治日本の近代小説の祖・二葉亭四迷は、親に「作家になりたい」と言ったら、「くたばってしめぇ!」と言われたことから、筆名を、「くたばってしめえ」→「ふたばってしめい」→「二葉亭四迷」にしたという話を聞いたことがあります。
事の真実はともかく、四迷が作家を志した明治初期には作家なんてものの世間の認知度はその程度だったということなんでしょう。
さすがに、私が子供の頃には「小説」に対するそういう偏見はなかったようですが、当時、まだ少しそういう扱いが残っていたのが「マンガ」だったでしょうか。
(「マンガばかり読んでいるとバカになる」なんてことも言われてましたし。)

この点で、最近、つくづく思うことですが、昔は何かあるとすぐに、「マンガの読み過ぎ!」などと言われたものですが、これって気が付けば、見事に「死語」になってますよね。
マンガが世間に認知されるようになったのか、現実がマンガを追い越したのかはわかりませんが、おそらく、両方なんでしょう。
で、そのマンガですが、私が子供の頃、一番よく見た漫画家は誰か・・・というと、実は、神様・手塚治虫でも、天才・石森章太郎でも、奇才・赤塚不二雄でも、大家・藤子不二雄でもありませんで・・・、永井 豪さんなんです。

手塚治虫という人は私的には代表作と思える「どろろ」を初め、漫画史に残るエポックメイキング「鉄腕アトム」から、未だに売れ続けている「ブラックジャック」など、これでもかというくらい代表作が目白押しなのですが、ただ、どちらかというと、私よりは一世代上の人たちがのめり込んだ漫画家であり、私が小学校高学年くらいの頃は「手塚はもう終わった」と言われていたわけで・・・。
(参照:平太郎独白録 : ブラックジャックに見る人間万事塞翁が馬。

一方、師匠の石森章太郎氏はあれほどの多彩な作品を残されたものの、私的には少し器用貧乏の感があり、確かに、特撮やテレビアニメでは良く見てましたが、漫画でどれか一つ!と言われると少し考えないといけないんですよ。
また、赤塚不二雄氏については、「もーれつア太郎」辺りまでは好きだったんですが、代表作といわれる「天才バカボン」は少し下品な感じがして、あまり好きではありませんでしたし、藤子不二雄(A?B?)氏は、かつては「21エモン」などという大好きな作品もあったんですが、今では「ドラえもん」一色・・・という印象になってしまいましたしね・・・。

今になってみると、手塚翁は終わることなく復活し、「仮面ライダー」「人造人間キカイダー」はマンガとしての鑑賞度の高さが改めて評価されてますし、さらに、「ドラえもん」は記録的長寿作品になり、「天才バカボン」も未だ根強い支持があるようです。
しかし、それらは今だから言えることであって、当時は皆、そこまで意識して読んでたわけでもなく・・・。
その点、永井 豪さんのそれは、私が小学校高学年から中学生くらいまでの、ちょうど、昭和45年から50年くらいまでの「端境期」を見事に埋めた形になっており・・・。
ダイナミックで活き活きとして力強い線、そして、少しばかりエッチな絵とストーリーは独特の世界観を醸し出しており、ちょうど、その辺のことに目覚め始めた少年たちにとっては、まさにむしゃぶりつくようにして読んでましたね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-26 00:55 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

器を無下にする身に手で粥を受けるを想うの謝国明忌
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10343124.jpgこちらの画像は毎年8月21日に催されている大楠様夏祭の模様です。

大楠様夏祭とは、以前も何度か採り上げました鎌倉時代の中国人博多商人・謝国明遺徳を偲び、その墓所で行われる祭礼で、別名、謝国明忌とも言います。

(謝国明という人物については、2001年の大河ドラマ「北条時宗」北大路欣也さんが演じていた人物と言えば、わかりやすいでしょうか?彼の墓の傍らに植えられた楠の木が長い年月を経ると共に彼の墓塔を包み込み、以来「大楠さん」の名で親しまれるようになったとか)

この点で、私には少々、思うことがあります。
謝国明という人は博多で、針治療を教えるなどした他、貧民救済にも意を注ぎ、飢饉のときには人々に蕎麦炊き出しをやったと言われております。
(これが年越し蕎麦の起源になったという説もあるとか。)
ここで思い出すのが、マンガの神様・手塚治虫氏の傑作(私は最高傑作だと思っております。)「どろろ」の一場面です。
この作品についても、たびたび、触れておりますので、ことさら掘り下げる気はありませんが、簡単に触れておきますと、どろろというのは主人公の1人である子供の名前でして、戦国時代が舞台でした。

その、どろろという子供は、幼子の時、父と死に別れた後、母と二人で流浪の生活を余儀なくされますが、その折、飢えた貧民に対し、ボランティアの僧侶がお粥炊き出しを行っているところに出くわします。
腹を空かせたどろろに一杯の粥を与えようと、そこへ並んだどろろの母は、他の人と違い、お粥をもらうさえなく、両手を腕の形にして受け取ろうとする・・・。
そのまま、事務的に注ぎ込もうとした僧侶が慌てて手を止め、「容れ物を持ってこないとだめです。熱いから、手が大やけどしますよ」と言うも、母は、「いえ、いいんです。このまま、注いでください」と言い、煮えたぎったお粥を手のひらにもらい、焼けただれる手に顔色一つ変えず、さらに、自らは一粒も食すことなく、どろろに与える・・・と。

で、今回、色々あって、私も引っ越しをしたのですが、その際、家人は片づけるよりも二言目には「コップや湯飲み、茶碗など、全部捨てろ」と言います。
私には、壊れてもいないし、収納するところがないわけでもないのに、なぜ、捨てなければならないのか理解できません。
トヨタジャスト・イン・タイム方式が現在の考え方の主流かもしれませんが、いつでも必要なときに必要な物が買えるという保証はどこにあるのでしょうか?
一円を笑う者は一円に泣くと言いますが、私も、家人からそう言われるたびに、どろろの母のように、茶碗がないばかりに、煮立った粥を手のひらに受けなければならないということにならないとわからないんだろうな・・・と思います。
日本も、赤字国債を含め、諸情勢を顧みれば、そうならないとも言い切れないように思うんですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-08-21 08:33 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

まんが道に見る苦しいときこそ人ありきの理 その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

ということで、若き藤子不二雄の二人が経験した上り坂と挫折に置いて、どういう人たちがどういう役割を果たしたかについて述べてきたわけですが、ここで思い出すのが、先日も述べました、せっかく、期待されていながらも開幕戦でいきなり骨折し、勝負師としては致命的なツキのなさを露呈した福岡ソフトバンクホークス松田宣浩選手です。
彼を見てると、元阪神の佐野仙好選手を思い出してしまう・・・などと申しましたが、それはあくまで、私の勝手な言い分であり、彼がこの後も活躍する可能性が無くなったと言ったわけではないわけで・・・。
事実、元阪神の大投手・村山 実さんが、初めて最多勝利投手の栄冠に輝いたのは昭和40年(1965年)、30歳の時のことですが、確か、その年は、開幕直前に投手生命の危機とも言える手首を骨折して、開幕から一ヶ月間くらいを棒に振ったんですよね。
しかし、休んでいる間に会得した新フォーク・ボールのおかげで、その年、出遅れたにもかかわらず、終わってみれば、25勝13敗、防御率1.96、205奪三振の成績で初の最多勝並びに最多奪三振に輝いたわけですから、人間万事塞翁が馬・・・で、何が幸いするかわからないわけで・・・。

つまり、選手生命を棒に振りかねない大怪我をしたって悲観する必要はないんですよね。
この間に、為すべき事を為し、出来ることをやる・・・、平たく言えば、身体が動かせないのなら、ビデオを見るとか、本を読むとか不眠不休ででも大いに勉強しろってことでしょうか。
それが、その後、飛躍か、それとも運がない男として、歴史の合間に埋没していくかの境目となるようにも思えます。
その意味では、こういうときに大事なのは、敵味方に限らず、何らかの刺激を与えてくれる「人」との関わりであり、要は彼らがこれまでそれを築いきたか・・・ということでしょうか。

私も、経済的苦境にあった際には、思いもかけず、多くの人から親身な助言を頂戴致しました。
本当に、最近では、「人切り平太郎」などと言われるくらい、人との付き合いを断ってきましたから、まだ、私如き者の力になってくれる物好きな人がこんなにいたんだな・・・ということには、改めて深謝の意を表すると同時に、新鮮な驚きを持ちましたね。

ちなみに、不眠不休という言葉で思い出しましたが、「まんが道」の中で、藤子不二雄のどちらかが、当時、漫画界をリードしていた先達・手塚治虫の仕事を手伝いに行く・・・という場面がありました。
彼は、そこで、漫画家というものの修羅の姿を見せつけられるわけです。
すなわち、当時、売れっ子の手塚はあちこちの出版社から引っ張りだこで、休みどころか、連日連夜、不眠不休でマンガを書き続ける凄まじい生活を送っており、その手塚の背中を見て、駆け出し中の藤子不二雄や石森章太郎、赤塚不二雄などが漫画家になるということの覚悟を学んだ・・・と。
まるで胃潰瘍になってまでWBC日本代表を引っ張り続けたイチローの背中を思い出しましたね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-15 08:18 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

まんが道に見る苦しいときこそ人ありきの理 その2
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1423694.jpg今日の福岡県地方は久々の雨・・・。
ここのところ、からからに乾いてましたから、草木にとっても、良いお湿りになったでしょうか。
気温も多少、涼しいようですので、今日はこのときとばかり、冬物を着てきました(笑)。

(←建築中の新博多駅画像。随分、形になってます。)

で、先日の続きです。

明らかに自己の処理能力を超える仕事を受注した藤子不二雄の二人でしたが、このとき、二人は2ヶ月間、ほぼ不眠不休のスケジュールを組んで取りかかるものの、一つめの原稿を仕上げて提出したところで、思いもよらない「書き直し」を命じられてしまう・・・。
すでに、一杯一杯でスケジュールを組んでいる二人には、新たに65ページもの書き直しに応ずる余力はなく、途方に暮れる・・・。
そんな二人の前に現れたのが順風満帆な二人を一方的にライバル視する苦労人の漫画家・つのだじろう・・・。
彼が、デビューまでの一年間、ひたすらに37回もの書き直しを命じられたことを知り、「あいつに出来たんなら、俺たちに出来ないわけがない」と、ふたりは、むっくりと起きあがって机に向かい始める・・・と。
その意味では、この少し前に同じトキワ荘の住人になった天才・石森章太郎、奇才・赤塚不二雄なども含め、彼らの周りには良いも悪いも刺激を受けるには困らない「人」がたくさん居たということでしょうね。

結局、若さという物はすべての難関をも凌駕することが出来るようで、この後、二人は2ヶ月間、ほぼ不眠不休ですべての原稿を仕上げ、大いに名を挙げ、以後、6本の連載を抱える身となる。
ところが、大仕事をこなした気の緩みから、翌年の正月、上京以来、初めて帰省したところ、実家の居心地の良さにさらに気が緩み、無為に日を送ってしまううちに、まったくノルマの原稿をこなすことが出来ず、慌てて机に向かいだしたものの、焦りから、殆ど書くことが出来ず、ついに〆切に間に合わせることが出来ないという大チョンボを犯してしまう・・・。
これは、漫画家としては致命的なことだったらしく、二人は一時は廃業も考えたとか。
結局、このときには、神様・手塚治虫の意を汲んだトキワ荘の兄貴分・寺田ヒロオが富山まで迎えに来て、二人を励まし、再び上京するも、以後、1年間、出版社から干される失意を味わう・・・と。
つのだじろう・石森章太郎・赤塚不二雄などが刺激を受ける同輩だとすれば、手塚治虫、寺田ヒロオという人たちは慈父の如き存在だったと言えるでしょうか。
まあ、要はそれだけ、彼らの周りには人が居た・・・ということでしょう。

明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-14 08:16 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

巨匠のコトバは2人だけ その2 批判は良いが非難が困る
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

私は、ネットについて言えば、今の無法地帯の現状というのは絶対に「良くない」と思っています。
(どうせ匿名通りすがりだから・・・と思うから、普通の人にも異常な書き込みさせてしまうわけで・・・。過日、お笑い芸人のブログに「殺す」と書き込んで逮捕された女性は、「まさかこんなことになるなんて」と言っていたといいますが、これなどはその典型でしょう。もし、自分の本名を名乗っての書き込みであれば、果たして、安易に「殺す」などと書いたかどうか・・・。)

で、その上で、漫画界の神様・手塚治虫氏にはもの凄いバッシングがあったという話をしましたが、同様のことは映画界の神様・黒澤 明氏も言ってたのを思い出しました。
クロサワ映画の傑作、用心棒椿三十郎などは当時は、「あんなくだらない物を撮るなんてけしからん!」と随分、叩かれんだとか・・・。
氏も、「あれ撮ったら撮ったでけしからん、これ撮ったら撮ったでけしからん。どうすればいいんだと思ったよ」・・・と。
この辺は私も一度、経験があるんで何となくわかるんですよ。
ただ、そういうと、「一切の批判を封じようというのは良くない」などと言われる方がいらっしゃるんですが、それは違うんですよね。
つまり、批判は良いんだけど非難が困るんですよ。

そう考えれば、ネットでの誹謗中傷の類が問題になっているものの、こういうのも、何もネットになったから急に出てきた・・・という問題でもなく、知られてないだけで、多かれ少なかれ、大家と呼ばれるような人たちには、色々とあったんでしょうね。
その意味では、ネットにはもう少し規制を掛けるべきだと思っているんですが、でも、生前の手塚氏にこういう非難の投書が殺到していたということを考えれば、単純にネットを規制すればいいという問題だけでもないのかなと思わないでもありません。
手段がネットか手紙かというだけで・・・。

で、手塚氏は、これらの非難に対し、「何を言ってやがる!」という想いがわき起こると言った上で、「マンガというのはハングリー・アートと言われるように、叩かれ叩かれ、そして自分はこういう物こそ描きたいんだとい思って良い物が描ける。それを左右するのは自分の負けじ魂というかバイタリティというかガッツだと思う。そういうものが今のマンガ家にはないというのは批判の欠如だと思う。正当な批判をマンガにも、どうぞ、私にもして欲しい」と言い、結んでおられました。

「叩かれ叩かれ、それに反発してこそ良い物が描ける」・・・、穏和を絵に描いたような手塚氏の意外な一面を見たような気がしましたが、確かに、それこそが、クリエーターというものにとって必要な、そして見逃せない資質の一つなのかもしれませんね。

明日に続く・・・と思いますが予定は未定です(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-16 18:32 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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