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社会が変革するときのリーダーのタイプ三態
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」の落首でも知られる、織田信長、豊臣(羽柴)秀吉、徳川家康の三将ですが、この「変革」「啓蒙」「定着」という三つのタイプは日本の歴史が大きな社会変革を迎え、それが次の時代へと定着していく時には割りと良く見られるもののようです。

また、三者の性格は、よく、信長の「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」、秀吉の「泣かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」、家康の「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」で知られていますが、要は「激烈」「機略」「忍耐」・・・ということだったのでしょう。
で、それらを踏まえた上で、平安朝という、長く続いた秩序が終わり、武士という新興勢力の台頭という形で社会変革をもたらされた時代に当てはめると、平清盛、源頼朝、北条義時・・・となり、同じく、徳川幕府という古い秩序が、外圧によって近代国家への変革を余儀なくされたケースでは、高杉晋作、坂本龍馬、大久保利通・・・と。
まあ、もっとも、これは、そもそもが、まったくの別人格なわけですから、時代の要請によって微妙にタイプが異なってくるのは当然でしょうが、大久保は家康を敬し、家康は頼朝を敬した・・・という話も聞いていますので、あながち、こじつけという話でもないと思います。

もちろん、北条執権政権も北条義時の代ですべてが定まったわけでもありませんし、幕末維新期だって、何より、西郷隆盛などのように、他に引けをとらない大きな足跡を残した人物を、タイプに当てはまらないからと言って、名を挙げないのも適当ではないでしょう。
(その意味では、幕末維新期というのは、それまでと違い、世界が視野に入ってきたということから考えれば、人材が順番に・・・ではなく、一斉に群がり出たということだったのかもしれません。その意味では、幕末維新期とせずに、長州では吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文・・・、薩摩では、島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通・・・、土佐では、武市瑞山、坂本龍馬、岩崎弥太郎と分ける・・・という見方もあるでしょうか。)

で、このパターンを戦後に当てはめてみると、信長は「ワンマン宰相」と呼ばれた吉田茂、秀吉は「今太閤」と称された田中角栄・・・とまあ、面白いくらいにピッタリですよね。
ただ、家康・・・となると、特に類推される政治家はいませんでしたが、「戦後政治の総決算」を掲げ、また、角栄さんとも微妙な盟友関係にあったという意味でも、中曽根康弘さんだったのかもしれません。
ついでに言うと、小泉純一郎さんは良く、信長に例えられましたが、行き詰まった戦後体制に変革をもたらそうとしたという意味ではそうとも言えるのでしょう。
後は、秀吉、家康が続けばいいんですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-10 17:30 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

ソフトバンク孫正義と家康との欠陥の同義性
孫正義という人物については、以前から、平太郎独白録 「海とプールとホリエモン保釈に想うソフトバンクの参謀不在。」で指摘してました通り、短期間に急成長した会社というものは、なかなか、色々と問題を抱えているようです。
特に、孫さんのような天才型のトップというものは、とかく、極端から極端に飛ぶことが多いもののようで、であれば、本来、そういう人が飛び回った後を、確実に道にしていくような人材が必要なのでしょう。
端的に言えば、本田宗一郞における藤沢武夫・・・と言うよりも、むしろ、正力松太郞における務台光雄のような人材でしょうか。
あるいは、孫さん自身が、そういう人材の必要性を感じていないのかもしれません。

この点で、思い当たったことがあります。
「大軍の統帥とは方向を明示して、後方を整備すること」と言いますが、孫正義という人物の非凡さについては、以前、平太郎独白録 「草木も芽吹く季節、我、何処へ向かう・・・」で触れたところですが、この人は、オールマイティのようで、やはり、技術偏重の嫌いがあるように思います。
これも、以前から、平太郎独白録 「組織を支える三本の足」の中で、持論として述べております、組織を支える為の3本の鼎(かなえ)の足・・・、(つまり、国家に当てはめてみたとき、それは「軍事、経済、外交」であり、またさらに、その中の軍事だけにあてはめてみたときには、「作戦、補給、情報」となり、企業にあてはめてみたなら、「技術、経理、営業」となる・・・というものであり、これらは三本の柱は、バランスよく立つ必要があり、どれか一本だけが突出したり、極端に短いとそのテーブルは安定せず、倒れてしまう可能性があり、その意味では、戦前の日本は軍事のみが突出しており、戦後は経済のみが突出したいびつな形になっており、決して正常な形態をなしているようには思えない・・・ということを言ったと思うのですが、)これをソフトバンクに当てはめてみたときに、孫正義という人は、極端な正面重視主義・・・、つまり、平たく言えば、補給を軽んじる傾向があるのではないか・・・と思うのです。

「そんなばかな!孫さんほどの人が、そんなことに気づかないわけがない!」と言われるかも知れませんが、この点では、意外なことに、徳川家康という人の軍隊もそうでした。
忠誠無比の三河武士や、信玄以来の甲州武士を中核とする徳川軍は、確かに精強ではあったのでしょうが、極端な戦闘重視の傾向が強く、補給と言う概念が極めて薄い軍団であったようです。
本多忠勝、井伊直政榊原康政等など、勇将猛将は数多けれど、幕僚と呼べるのはわずかに本多正信くらいのもので、それも主に作戦参謀というべき幕僚であり、兵站を専門に担当するような幕僚は見当たらないのです。

その為、関ヶ原の戦いの時も、徳川軍は軍を二手に分けねばならず、さらに、主力を率い、中山道を進んだ、息子秀忠の軍は、混乱に次ぐ混乱で満足に行軍することもできず、結果的に関ヶ原の戦いに間に合わなかったことが、それを如実に表してると思います。
この点、秀吉は長駆、九州の最南端まで大軍で攻め込みながらも、混乱らしい混乱もなく、戦国最強と呼ばれた島津軍を撃破しておりますが、このときも、徳川軍は東国の留守を任されており自国の国境から、遠く離れての遠征には一切、参加しておりません。
あるいは、この点には、秀吉の深謀遠慮が働いていたのでしょうか・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2012-11-07 07:45 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

一年前の恥ずかしながらの今更の関ヶ原紀行 その1
親愛なるアッティクスへ

今日からいよいよ、五月ですね。
GW中も、たまりにたまっている残務の処理に追われており、世間の華やぎとは裏腹に、普通に出勤の毎日が続いております。
何とか、連休中に目途を付けたいんですけどね。
ところで、昨年の今頃は東日本大震災の関係で栃木県へ行き、最初の帰省で福岡へ戻ってきた頃でした。

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(↑日光東照宮にある徳川家康の墓です。)

で、昨年は色々と忙しく、そのままになっていたことがあったのですが、その帰途、せっかくなので寄り道をして、「関ヶ原」へ行ってきました。

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関ヶ原といえば、壇ノ浦、鳥羽伏見と並んで日本三大会戦の一つに挙げられるほどで、おそらく、日本で一番有名な戦いではないでしょうか。
この点、当然、拙著でもたびたび採りあげていたのですが・・・、実は・・・、恥ずかしながら・・・わたくし・・・、まだ行ったことがありませんでした(笑)。

e0027240_1234638.jpg(以前、行こうとしたことはあったのですが、岐阜市内で聞いたら、「関ヶ原って名前は有名なんだけど、行っても何もないん所なんですよ」と言われ、連れがあったので、彼に遠慮して、結局、郡上八幡に行き、鹿鍋で一献やって帰ってきてしまいました。)

「紀之介が
  先を促す
    春木立」
     梁庵平太


←名将・大谷刑部少輔吉継の墓よりの戻り道。
なぜか、誰かに、帰りを促されているような気がして・・・。

また、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-05-01 07:09 | 地域 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その10 小山評定
親愛なるアッティクスへ

東日本大震災応援建築士として栃木県に行った当初は、とにかく、何もかもが混乱を極めており、派遣の期間・・・どころか、勤務地もはっきりしておりませんで、「あるいは何日かしたら別の場所へ行ってもらうことも有り得る」という風に聞かされておりました。
となれば、栃木にもいつまで居るかもわからず、せっかく来たんだから、やはり日光東照宮は行っておかないと・・・ということで休日初日は日光東照宮へ行き、次の休日は足利家の本貫である足利市へ行った次第でしたが、栃木県と言えば、マニアにとってはもう一つどうしても足を運んでおきたい「聖地」がありました。
それが、小山評定で知られる小山市です。

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居る間に何とかしてここまでは行きたいなぁ・・・と思っていたら、しばらく経った頃、たまたま、小山の案件が巡ってきました。
私は、内心、欣喜雀躍勇気百倍、何としてもこの時に行っておかねば・・・と思い、わずかな空いた時間を利用して行ったのですが・・・。

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(↑現地はちょうど、おあつらえ向きに空き地となっておりました。正面がJR小山駅方向、背後が小山市役所です。)
小山評定とは関ヶ原戦い前夜。この地にあった徳川家康が上方で決起した石田三成を討伐すべく会議を開き、結果、諸大名を糾合することに成功した件のことですが、どうやら、一番上の画像の説明書きにあるように、野営地に急造の「三間四方の仮御殿」を建てて行ったものだったようで、はっきりと「ここだ!」とはわからないようですね。

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私としては、せっかくここまで来て「どっかこの辺」では少しがっかりしたのですが、それでも、評定の地はおおよそ、現在の市役所の敷地辺りと推定されているようでしたのでそれを信じるとして・・・、私にはこの地に立って、どうにも腑に落ちないことがありました。
それすなわち、家康がなぜ、傍らにある小山城(別名:祇園城)に入らずに城外に野営したか・・・ということです。

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この辺は、以前、平太郎独白録 : 今日は茨城県まで行って来ました。でも触れておりますが、確かに、小山城はこの当時、この年表(↑)にもあるように豊臣秀吉小田原征伐で落城し、ちょうど、廃城となっていた時期に当たります。
しかし、それでも、空堀の跡や土塁(↓)などは少し手入れをすれば使えたと思え、少なくとも、何もない平坦な野営地よりはマシだったと思います。

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(↓傍らに流れる川側からの侵入に備えた土塁です。堤防も兼ねていたのでしょうか。)
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事実、江戸時代に入ると、先ほどの年表とその横の図面にもあるように、徳川将軍家日光参内の折の御殿もしっかり、野営地と目と鼻の先の城内こ設けられており・・・。

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家康としてはここは単なる通過地点であり、泊まるとしてもたかだか一泊程度のことであり、それにわざわざ修復工事で兵士を疲れさせることはない・・・ということだったのかもしれませんが、どうせ同じ仮御殿を建てるのなら、平地よりもいささかでも高低差がある所の方が・・・と。
この点、あの、用心深い家康にしては何とも違和感を感じるところではあります。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-21 17:57 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

今日は茨城県まで行って来ました。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_16252099.jpg「家康が
  駒を返せし
   坂東路」
      梁庵平太


今日の震災被害案件は遂に県境を越え、茨城県でした。
ついでに小山にも行って来ましたが、小山と言えば、やはりなんと言っても小山会議でしょう。
言うまでもなく、関ヶ原の戦い前哨戦において、転機となった小山評定があった場所(←)ですね。
小山市役所前には「人口16万人突破で栃木県第二の都市」となったということが書いてありましたが、ここは新幹線の駅もありますし、元来が交通の要衝なのでしょう。

私的にはむしろ、徳川家康がこことすぐ目と鼻の先の小山城に入らなかったことのほうに興味を持ちました。
小山城は当時は廃城になっていたとはいえ、まだ、堀などの防衛施設は少し手入れをすれば使えるような状態だったはずで、信用がおけない、豊臣恩顧の諸将を引き連れての滞陣であったことを思えば・・・。
                   平太独白
by heitaroh | 2011-04-24 16:25 | Trackback | Comments(0)

ベルルスコーニの放言にキリスト教的倫理観の弥縫を見る
親愛なるアッティクスへ

イタリアベルルスコーニというおじさんは、ハチャメチャやってますよね。
閣僚がやたら美人だらけだったり・・・で、まあ、お国柄というのもあるのでしょうが、しかし、いい加減さもあそこまで行くとかえって許せるような・・・(笑)。
(日本でも三木武吉翁などは、「愛人が5人もいる」と言われ、「5人ではない、6人だ」と言い返したという逸話も伝わっていますが、まあ、今の草食日本では望むべくもないことなのでしょう。)

で、この、ベルルスコーニ氏、同時に、「若い女性は皆、私と結婚したがっている。なぜなら、私は大金持ちですぐに死ぬからだ」と放言してましたが、これは一面、金に群がる若い女性たちの姿を嘆く世相が根底にあるとしても、これはこれで、私には一理あるように思えました。
なぜなら、それはキリスト教的倫理観にはそぐわなくても、自然の法則という観点から見れば決して非難される事柄でもないという気がするからです。
実際、動物の世界は1匹の強いオスがハーレムを作ることを思えば、こちらの方が自然な姿なのでしょう。
(誤解のないように申し上げておきますが、私などは金も力もありませんから、間違いなく、キリスト教的倫理観の恩恵を受けている一人でしょう(笑)。)

以前も申し上げましたが、本来、人が一人、生きていくというのは大変なことなんですよ。
よく考えてみて欲しいのですが、人が一年分活動できるだけの食糧を自分で確保するとすれば、単純に米で考えて、どれだけの広さの田んぼを耕さなければならないのか。
(偉そうなことを言いますが、当然、「ムカデ19歳で初めて見た」私にも想像など付くはずもありません(笑)。)
ただ、とかく、今の日本人は「食べ物?コンビニに行けばあるじゃん」みたいな感覚のように思えますが、それは食糧に限らず、あそこまで切れ目無く、様々な物を供給し続けるシステムが成立していること自体、本来、普通のことではないですよ。
特に、体力的に劣る女性の場合、単独で生きていくのは大変な困難を伴ったであろうことは想像に難くないところで、そう考えれば、女性が食の心配をせずに生きていけるもっとも手っ取り早い方法は権力者の妻になることだったでしょう。

徳川家康には54歳も年が離れた愛妾がいたといいますが、問題は年の差ではなく、この女性も、そして、その親も、なぜこんなお爺ちゃんの元へ嫁がせたか・・・ということで、これすなわち、彼女も、そしてその親兄弟も、彼女が嫁ぐことで、この後の「食」が確保され、そして、場合によっては立身にも道が開けてくるということだったでしょう。
事実、家康が59歳のときに設けた子供の母は37歳年下でしたが、彼女は「王様」の子供を産んだことで、とりあえず、王朝が滅亡しない限り、一生、食の確保は約束されました。
こう言うと、そんな何百年も前の話を・・・と言われるかもしれませんが、でも、先日、テレビで年輩のご婦人が「夫からプロポーズされたとき、ただ一つ条件を出した。それは、私に絶対に食べ物の心配をさせないということだった」と語っておられましたが、この辺は、私の母なども含め、「ゲゲゲの女房」での水木しげる夫人など、戦中戦後の体験を持つ女性には多かれ少なかれ、共通する心情があるのではないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-14 19:03 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

祝!5周年の節目に思う思えば遠くへ来たモンだ! その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

本日は、私が拙ブログを運営(?)するに当たり、旨としていること、社是ならぬ、「ブロ是」とでも言うべきものについて、今更ではありますが、少々、述べさせて頂こうと思います。

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まず、毎回、画像の下に掲示しております「世の出来事に対し独自の歴史観で語ります」と述べておりますとおり、私は物事を見るに当たって、出来るだけ様々な角度から見てから判断を下したいと考えており、つまり、それが当を得た物かどうかは別として、「ハッとしたこと」、「そういう見方もあるか」・・・ということを、より重視したい・・・と。
ただ、これは以前もどこかでふれたと思いますが、この作業は口で言うほど簡単ではなく、それなりに日頃からそういう視点で見る習慣を身に付けておかねば、知らず知らずのうちに固定観念に囚われてしまうんですよ。
で、その際に大事なのが、明らかに的はずれな意見であっても頭ごなしに否定しない・・・ということ。

徳川家康は家臣のどんな採るに足りない意見でも熱心に耳を傾けたと言われており、それは、頭ごなしに却下すると、家臣は考えようとしなくなる・・・ということだったようですが、その一方で、一見、くだらなさそうに見える案の中に良案が潜んでいるかもしれないわけで、現に、織田信長の革新的な制度というのは、当時の常識で言えば、「却下」に値する物も少なくなく・・・。
その好例が兵農分離でしょう。
兵と農を分離してしまえば、確かに、農繁期の活動に制約は受けなくなる反面、絶対的な兵力は過小になるわけで、普通、「アホ!」で終わりですよ。
それに、世の中には、明らかに現実離れした意見であっても、それが実現してしまう・・・ということもなきにしもあらずで・・・。

昭和29年(1954年)、東西冷戦の中で繰り返される核実験に対し、普通の主婦が、夫に「どうして、核実験を禁止できないのか?」と聞いたところ、夫は「バカタレ!そんなことができるか!」と怒鳴ったそうで、普通、このご主人ならずとも、多少なりとも社会情勢に通じている人であれば日本は敗戦国なんだし、そう考えますよ。
ところが、その主婦たちが原水爆反対署名運動を開始したところ、やがて、欧米を巻き込み、世界で7億人もの署名を得るに至るまでになってしまい、さすがにここまで「民意」を見せつけられると国際社会も無視できなくなってしまった・・・という話もあります。

・・・ということで、明らかに見当違いの駄文も多々あるかとは存じますが、どなた様も、辛抱強くお付き合いのほどをお願い申し上げます。
ちなみに、私、幼稚園の頃から、「お遊戯」が大嫌いでして、何で皆と同じように躍らなければならないのかが理解できず、従って、保母さんに手を焼かせたこと、数知れず・・・でして。
まあ、その点では、元々、納得できる理由が見あたらない規律という物が嫌いだったんでしょうね。
(先生が、その規律が存在するに当たって、「理由」「背景」を教えてくれれば良かったんですが、誰一人、そういう人は居ませんで・・・、結局のところ、「先生~♪、あなたはか弱き大人の~代弁者なのか~♪by尾崎豊」だったのでしょうか(笑)。)
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-03-25 07:59 | その他 | Trackback | Comments(2)

血も涙もない狸オヤジ徳川家康の真実
親愛なるアッティクスへ

豊臣秀吉の死後、徳川家康はその狡猾な本性を顕わにし、そのまま秀吉の遺児・秀頼の生命もろとも豊臣家を紅蓮の炎の中に包み込んでしまうべく突き進んだ・・・と言われていますよね。
確かに、秀吉の死後、家康に豊臣家の天下を簒奪しようという意図はあったでしょうが、そのまま一直線に豊臣家滅亡にまで突っ走ったというのは少し早計に過ぎると思うんです。
人間世界の現実とは、少なからず、過失錯誤勘違いが絡まってくるもので、そうそう、後の世の人たちが見るほどに真一文字に進んでいくこともないわけで・・・。

まず、私が指摘したいのが、秀吉の死の2年後に起こった天下分け目の関ヶ原合戦から豊臣家滅亡の大坂夏の陣まで15年もかかっている・・・という事実です。
これを「15年もかけた」と見るべきか、「15年もかかった」と見るかは判断の分かれるところでしょうが、注目すべきは関ヶ原合戦のとき、家康は満の57歳だったということ。
当時は、「人間五十年」と言われた時代で、実際には明治中期の日本人男性の平均寿命が42.8歳だったことを考えれば、おそらく、実際はもっと短かったと思われ・・・。
つまり、家康がまだ30代だったなら、慎重に慎重に、15年の歳月をかけ、真綿で首を絞めるように滅ぼす・・・という選択も出来たでしょうが、当時としては高齢の57歳であれば、結果を急いだのではないか・・・と。
事実、家康は、この間にたびたび倒れて意識不明になっているといいますし、「自らの暗殺計画を口実に政権簒奪工作を推し進めた」と言われていることに対しても、政敵・石田三成からすれば、一番、早くて確実な政権維持策は家康暗殺であることを考えれば、それは、「口実」などではなく、暗殺計画は実際に存在したと考える方が妥当でしょう。
つまり、病死、事故死、暗殺と、家康がこの後15年以上生きる・・・という確信があったようには思えないということです。

まあ、その辺は家康は人一倍、健康管理には気を遣っていたと言いますし、老いの執念というものの凄まじさだったのかもしれません。
ただ、それでも、私には15年もかけなければならない理由がわかりません。
なぜなら、それには好事例が有るからです。
それは他ならぬ、秀吉が、主君・織田信長の死後、家康を臣従させ、事実上の織田家からの政権簒奪に成功するまで、わずか4年しかかかっていないという事実です。
しかも、秀吉は少なくとも、自らの手では信長の子孫を誰一人殺していないし、子孫の誰からも叛乱も暗殺もなされず、さらに、信長の嫡孫・秀信は関ヶ原では西軍に付き、徳川方と戦ってさえいます。

これらを勘案すれば、家康には少なくとも当初から豊臣家を滅ぼす意図はなく、孫娘を秀頼に嫁がせるなど共存も模索したが、曲折あって、結果的に滅亡に至ってしまった・・・と。
(事実、家康は秀頼救出失敗の報に接し、涙してこれを悔いたともいう話もあります。)
家康は、豊臣家滅亡から1年もしない翌元和2年(1616年)に73歳で死去していますが、これを大願成就したがゆえの安堵感からと見るべきか、それとも、本意と違う形になってしまったがゆえの失意からの死と見るべきかも各人の判断の分かれるところでしょう。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-16 00:11 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

歴史の真実
e0027240_10581740.jpg昨日、を見ました。
なぜか、薄暗い古アパートに一人で住んでおり、弟を連れて帰宅してみると泥棒が入った形跡があり、よくみると、窓の鍵をかけ忘れてる・・・。
慌てて財布を探していると、弟が「あったよ」と言って、散らばった床から拾いあげました。

ならばと、他の貴重品を探しているところで・・・夢から覚めたのですが、今朝、玄関を見てみると、鍵を差し込んだままでした。
特に盗られた物はありませんでしたが、ちょっとびびりました。

ところで、唐突ですが、企業が自分の力の100%を発揮できているところは少ないと思います。
ひどいところは半分も力を発揮できていないのではないでしょうか?
そう考えると新規開拓するとか、新たに積み増すなどということをやるより、70%しか力を発揮していないところは80%になるように、80%のところは90%になるように、少しでも100%に近づけること、即ち、水の流れを妨げている様々な弊害を取り除くことを考える方が効果的なのではないか?と思います。
(かつて、明治の元勲、大久保利通「一利を為すは一害を除くにしかず」という徳川家康の言葉を好んで使ったといいます。西洋化政策を推し進める立場にあった大久保がこういう言葉を使ったというのは、少し意外でしたが、さすがに、大久保は何を導入し、何を導入すべきでないという基準が出来ていたということでしょう。もっとも、元はチンギス・ハーンの名宰相として知られる耶律楚材の言葉だそうですが。)

私が昔いた会社でも、こういう傾向が強く、私が売り上げを上げると多くの人が喜ばないという不思議な現象が多々ありました。
(つまり、これが、以前、申しました、「社長の利益と会社の利益は=の上下に点々だが、社員の利益と会社の利益は=に斜め線だ」ということです。)

その意味では、歴史とは何が真実で何が真実でないか、実際に世の中を生きているとよくわかるような気がします。
規模や時代に違いはあれど、人間模様に違いはないからです。
史書とは必ずしも真実が書いてあるとは限らない。
勝者、あるいは著者によって都合良く書き換えられるということもあるでしょう。
また、書き手の事実誤認ということもあるでしょう。
そんなとき、人は会社運営、組合活動、ビジネス、親戚づきあいなどの人間模様を通して、「史書にはああ書いてあったけど、意外に歴史の真実とはこんなもんだったのでは・・・」などという機微に触れることがあるように思えます。
会議の席でも「何を言ったかではなく、誰が言ったかが問題になる」ということをよく聞きますが、それなどは、その典型なのでしょう・・・。
                             平太独白

by heitaroh | 2008-05-17 08:34 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

国家は利権を追うも領土という固定資産を軽視するなかれ
オリエント(東洋)は領土を欲し、オチデント(西洋)は利権を求める傾向がある」とは、以前からよく私が申し上げていることですが、その論で言うならば、この、「利権を追求する」という考え方は国益という点では非常に合理的だと思います。
なぜなら、単純に領土を獲得するという行為は、必ずしも、利益をもたらすと決まっているわけでもないからです。
(結果的には負担の方が大きかったにも関わらず、無邪気なまでに領土獲得に狂奔した帝国日本こそがその好例だったでしょうか。)
これらの点を踏まえた上で言うならば、東洋の一員である日本の歴史は、まさしく領土追求の歴史であると言えるのでしょうが、しかし、その日本の歴史にも、少ないながら西洋型の考え方をする人がみうけられます。
そのひとりが豊臣秀吉です。

秀吉は、政権獲得の過程において、行きすぎるまでの利権による政権確立を推し進めますが、その結果、天下が確定した後も、実は豊臣家の領土は2位の大名とそれほど差が無い・・・ということになってしまいます。
しかし、その代わりに、あちこちに利権を有することで、財政的にはかなり潤沢な政権運営が可能でとなり、これにより、秀吉は覇者としての圧倒的な地位を維持することが出来たわけですが、一方で、やはり、秀吉が死んだ後は、黙っていても収入が得られる「固定資産」の少なさというものが、豊臣家にとっては少々、不利に働いたようにも思えます。

そしてまた、一方で、領土を獲得するという行為についても、必ずしも、利点がないわけではありません。
人間活動というものは、かなりの部分を地面海面などの足下に依存しているものだからです。
即ち、領土という固定資産を保有しているということは多かれ少なかれ、何らかの生産を行うことを可能にする基盤を保有していると言え、この点では、イコールではないにしても、領土保有はある程度の収益が期待できる・・・と。
この点は、何だかんだ言っても、今でも、アメリカロシア中国など、広大な領土を保有している国が世界に大きな発言力を有していることがその顕著な例でしょうか。

その意味では、秀吉と対照的に、利権よりも領土の拡張と保全にこそ熱心だった人物がいます。
徳川家康です。
家康が、豊臣家から政権を簒奪するに当たっては、やはり何より、秀吉死去の時点で、既に大領土を持っていたことが大きいでしょう。
そして、覇権確立後は、さらに、徳川家の領土を増やし、豊臣家を始め、大領土を持っていた大名を縮小、もしくは取りつぶし、一位と二位の差をさらに圧倒的な物にしていきます。

家康は、その死に臨み、息子、秀忠から、「父上亡き後は伊達政宗などは心配です」と言われたとき、「政宗くらいになれば、目分量がわかるから何も心配はいらない」と言ったといいますが、これなどは、「徳川家が確立した圧倒的な領土の大きさ」を指しているのだと思います。
このことからも、領土というものの侮れない価値がわかるでしょうか・・・。
                                平太独白
by heitaroh | 2008-05-13 08:17 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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