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監督は知名度ではなく無名でも適性で選ぶのが営業にも利
親愛なるアッティクスへ

e0027240_194202.jpg最近、ヤクルトスワローズが調子良いみたいですね。
まるで、高田 繁監督の辞任が嘘みたいな快進撃・・・。

(←かつての国鉄スワローズのキャンプ地。大投手・金田正一さんらがかつて汗を流した場所も、今はもう、「つわものどもが夢の跡」です。)

ヤクルトの快進撃という点では、やはり、小川淳司監督代行の手腕を評価するべきなのでしょうが、でも、こういう、前監督が辞めて、やむなく内部昇格したら、途端に快進撃・・・ということはままある話で、最近では、オリックスの監督辞任に伴い、大石大二郎氏が采配を振るうようになったら途端にお荷物球団が快進撃を始めたことが記憶に新しいでしょうか。
また、古くは、昭和52年のヤクルトが挙げられます。
チームを率いていた荒川監督が休養(昔は解任とか、辞任とかではなく、良く、こういう言われ方をしましたよね。)に追い込まれたことから、急きょ、ヘッドコーチだった広岡達郎氏が采配を振るうことになりましたが、すると、チームは見違えたように快進撃を始め、さすがにその年は優勝した巨人には追いつけなかったものの、翌年の初優勝に繋がったわけですよね。

これらは、やはり、チーム内で前監督の傍にあって、ずっと、チームの裏事情を見ていた人の方が、ある意味、監督以上に問題点を把握している・・・ということなのだと思います。
ただ、それは口で言うほど簡単なことではなく、前任者もその問題点に有効な対策が講じ得れば辞任に追い込まれてはいなかったわけで、となれば、そこを何とか出来るか・・・というのが後任の腕の見せ所なのでしょう。
が、しかしながら球団フロントとしては、シーズン途中でのアクシデントだからやむを得ず采配をとらせているわけで、元々、フロントも歓迎している人事なら、当初から、その人を監督に据えていたでしょう。
だからこそ、小川氏も、「監督」ではなく、「監督代行」なんだろうと。
実際、大石氏も「監督代行」だったのが、その好成績から球団としてはやむを得ず、「監督」にした・・・という観がありありでしたから。
(広岡氏は元々、監督の就任要請があってのそれでしたから、少し、両氏のケースとは違うでしょうか。)

ただ、選手の側も、その辺の空気を敏感に読むようで、「来年、いるかどうかわからない監督」の指導力など、極めて、軽いものであり、それだけでも監督代行というものが監督に比べて不利だということがわかると思います。
そう考えれば、シーズン途中での監督辞任に際して内部昇格で後任を決める場合、フロントはあくまで、「監督代行」などではなく、正式の「監督」とし、「今年の成績の如何に関わらず、来年も彼にやらせる」ということを明言すべきでしょう。
それをやらずに、「監督代行」などにさせておく・・・というのは、明らかに、「無策」であり、意図的な「放棄」ではないでしょうか。
といっても、フロントの考えもわからないではないんですよね。
「あいつでは客を呼べない」という営業サイドの考えがあるのでしょうが、でも、過去に人気選手だった監督見たさで、どれだけの人が足を運ぶものなのでしょうか。
それよりも、名もない監督でも、お荷物球団が奇跡の快進撃を始めた・・・となったほうが客は興味を示すような気がするんですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-08-12 20:35 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

高校野球の女子マネージャーが読むもしドラッカー その6
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昨日の続きですが、ここしばらく、堅苦しい話ばかりでしたので、本日は敢えて、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を構成する根幹である野球の部分について触れてみたいと思います。

同著では、主人公の少女が属する弱小野球部を勝ち進ませる為の革新的な戦術として、「送りバント」「ボール球を打たせる投球術」の廃止を採用するのですが、この点で、まず、「送りバント」についてはまったくもって私も以前から疑問でした。
高校野球の場合はどうかわかりませんが、プロ野球に置いて、今のように送りバントが多用されるようになったのは広岡達郎氏が西武を率いた辺りくらいからではないかと思います。
(無論、その前から、川上哲治監督に率いられた頃のV9巨人なども似たようなことはありましたが、それでも、その頃はそんなことするのは川上巨人だけで、今のように、猫も杓子も、「走者が出たら確実にバントで送って・・・」などというようになったのは、やはり、広岡さんの管理野球辺りからだろうと。)

ただ、広岡氏の頃は、それはそれで、一つの見識だったんでしょうが、その当時と今とでは、前提が大きく変わってるんですよ。
それすなわち、「昔のように簡単にバントさせてくれなくなった・・・」ということです。
昔は、守る側にも、「バントしたければさせれば。代わりに、1死とれるんだから・・・」という感じがあり、むしろ、「歓迎」しているような雰囲気さえありました。
実際、それほど、送りバントを失敗しているシーンを見た記憶はありませんしね。
ところが、今は、広岡思想が西武の常勝化という形で行き渡ったようで、平たく言うと、各球団とも、出した走者を送られることの不利を理解したことから、その対策も良く研究しているようで、今は、簡単には送りバントさせてくれなくなりましたし、成功しても、その後の守備体系も緊密化されており、走者3塁ならまだしも、2塁からだと、なかなか、1安打では返って来られないケースも増えているように思います。

従って、送りバントを失敗すると、ただ単にアウトカウントを1つ増やすだけのことになるし、成功しても、得点に結びつけられないということを考えれば、リスクの割りにはリターンが少ないという、つまり、あまりにも非効率的であると・・・。
この点、外国人監督、特に、元阪神監督のブレイザー氏などは送りバントには否定的でしたが、日本の監督、特に、福岡ソフトバンクホークス王 貞治氏の監督時代などは、選手の得手不得手には構うこと無しに、やたらバントを命じ、選手が失敗すると、意地になって3バント失敗するまでやらせてましたが、ああいうのは、単に選手の気持ちを委縮させるだけですよ。

一方で、「ボール球を打たせる投球術」の方ですが、確かに複数の投手でローテーションするプロ野球と違い、少数の投手で勝ち進むことが多い高校野球の特性を考えれば、なるほど、ひとつの見識なのだろうと思います。
打者にストライクではなくボール球を打たせようとすると、どうしても、球数増えてしまいますしね。
ただ、それ以上に、これはむしろプロの方で言えることのように感ることなのですが、「打者の方も、最近では簡単にはボール球を振らなくなっている」→「投手も余計、際どい所を狙うことを要求されることから、若い投手は四球連発したりする」→「四球を出してはいけないと思うから萎縮してしまう」→「結果、良い投手が育たない」という悪循環・・・。
まったく、前述の某在福球団を見るような気がするのは私だけでしょうか。

明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-08 18:31 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

近視眼的優勝制度の盲点と名監督の定義
親愛なるアッティクスへ

プロ野球、パ・リーグも、昨日、ついに北海道日本ハム優勝しましたね。
違う球団を率いて優勝させた監督ということで梨田昌孝監督と並んで、過去の該当者が新聞に載ってましたが、同じく、巨人、西鉄、大洋と3球団を優勝に導いた智将・三原 脩翁の「違う球団を率いて優勝してこそ監督として一人前」という言葉を想起してしまいました。
その意味で、むしろ意外だったのが、広岡達郎氏は西武ではたった3回しか優勝してなかったんですね。
万年Bクラス球団ヤクルト初優勝させ、西武には移っては常勝西武の黄金時代を築いたことから、名監督の代名詞のように言われていた人だっただけに、西武ではもっと、優勝したものとばかり思ってました。
王 貞治氏だって、巨人で1回、福岡ソフトバンクで3回優勝してるわけで・・・。

さておき、我が、福岡ソフトバンクホークスは昨日も負けたことで、事実上の東北楽天の2位が決定したようですので、この後、クライマックスシリーズに突入するわけでしょうが、かねてより申し上げておりますように、私はこの制度の実施には絶対反対です。
以前から、これを他県の人に言うと、「ホークスが負けたから言っている」と言われ、なかなか、耳を貸してもらえなかったのですが、今年こそはリーグ優勝を逃したホークスに是非、日本一になってもらった上で、胸を張って「おかしいだろう!」と言いたいですね。
(ちと、難しいようですが・・・(笑)。)

特に、セ・リーグはリーグ優勝した巨人に12.5ゲーム差以上も付けられて2位・3位になったチームが、巨人に代わって日本シリーズに出る・・・なんてのは、どう考えても、おかしいんじゃないですか?
「とりあえず、盛り上がってるからいいじゃない」というのは、あまりにも近視眼的に過ぎると思います。
やはり、何事も原理原則堅持した上で、「盛り上がる」ことを考えるべきで、実際、私などは、ペナントレースを見に行く興味が薄れ、おかげで、今年は福岡ドームには一度しか足を運んでませんよ。
だって、上位3チームが決まってしまえば、クライマックス・シリーズだけ見ればいいわけで・・・。

それはさておき、私はふと、思ったことがあります。
数年前の改訂で、日本シリーズ進出を逃そうとも、リーグ優勝はペナントレース1位のチームということになってますよね。
そのため、一昨年の中日のようにセ・リーグの優勝は巨人でも、日本一になったのは中日という椿事(?)が起こったわけですが、この場合、もし、中日が日本一になっていなかったら、中日はどういう扱いになっていたんでしょうか?
単に、「リーグ2位球団」というだけでは、日本シリーズ進出球団というところまでは総称してないわけですし、「準日本一球団」ではリーグ優勝していないことまでは触れられてないわけですよね?
もしかして、「リーグ優勝球団代理日本シリーズ進出者」・・・???長い(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-07 08:27 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

福岡ソフトバンクホークス総括 その3
親愛なるアッティクスへ

「連敗を止めるのがエースの仕事、連勝を伸ばすのが四番打者の仕事」
これは以前も申しました、かねてよりの私の持論です。

昨日の西武おかわりくん二打席連続本塁打、でかかったですねぇ。
前日の巨人小笠原、ラミレスのアベックアーチと言い、いくら、「野球は投手力」とは言っても、どれほど良い投手でも投手は毎日試合に出るわけではないんですよね。
その点、打者は基本的に、毎日、試合に出られるわけです。
となれば、チームを引っ張っていくのはやはり、野手の役割なんですよ。
王さんは、自身が偉大なる強打者でありながらも、そのことをあまりにも軽視していたように思えて成りません。

私の認識では、「野球は投手力」・・・と最初に喝破されたのは、広岡達郎氏だったように思っておりますが、以来、各球団とも、「投手力中心の守りの野球」というものを競って採り入れるようになり、それが現在の主流となっているわけですが、それはそれで、それまで不当低い地位に置かれていた投手の地位向上に繋がったという点では大いに評価して良いことだったのでしょう。

事実、たびたび、採り上げております西鉄ライオンズの伝説の大投手、稲尾和久氏はシーズン42勝を挙げ、勝利、防御率、勝率、奪三振すべての記録を独占しても、その年のMVPには選ばれませんでしたからね。
その年のMVPは優勝した南海ホークスの本塁打王、野村克也氏(現楽天監督)でしたが、逆に、その翌々年、西鉄が優勝した年には稲尾さんが28勝を挙げ、最多勝利投手に輝いていたていたにもかかわらず、本塁打新記録52本(当時)を作った野村氏でした。

で、話を元に戻すと、ホークスの今の凋落ぶり・・・というのは、つまり、井口、城島が抜けたから・・・ということが問題なのではなく、次世代の野手、すなわち、強打者を育成することを・・・、いや、獲得することを、怠ってきた・・・ということです。
川崎宗則選手がいるじゃないか」と言われるかもしれませんが、ムネリンにしても、来年はもう、28歳ですよ。
30歳近くなってくると、段々と怪我したら、治りが遅くなってくるんですよね・・・。
後は、昨年、107試合に出場し、.291を打った本多雄一選手(来年24歳)がいますが、いずれにしても、小粒なんですよね。
強打者というよりも、巧打者って感じでしょう。
他は・・・となると、昨年、142試合に出場して、17本塁打打った松田宣浩選手がいますが、彼にしても、来年は26歳ですし、数字でも物足りません。
本来は、25歳以下でホームランを20~30本くらい打っているようなイキが良いのが2~3人いなきゃいけないんですよ。
それが見あたらないから問題なわけで・・・。

そんな状態だということを考えたら、「オリックスと揉めてまで、投手のパウエルなんかを獲得するくらいなら、同じピークを越えた選手でも、ローズでもカブレラでも打てる外国人選手を獲得することを考えろよ・・・と、そう、思いましたよ。

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by heitaroh | 2008-11-06 10:05 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

一定の境地に達した達人だけ(?)見る「眼力」の・・・
親愛なるアッティクスへ

川上哲治という人がいますよね。
前人未踏の9年連続日本一・・・、いわゆる、V9を達成した大監督にして、現役時代は打撃の神様と呼ばれた強打者でしたが、この人の名言の一つに、「ボールが止まって見える」というのがあります。
如何にも、打撃道を極めた打撃の「哲」人(現役時代、枕元にいつもバットを置いて寝ていた氏は、深夜に目が覚めると、いきなり、その場で何時間もバットスウィングを繰り返したそうで、傍らで寝ている夫人は、思わず、夫が恐くなったといいます。)らしいセリフらしいですが、この話では、私には記憶に残っている川上氏のセリフがあります。

昭和56年のシーズンが始まる前だったと思うのですが、雑誌の企画で、川上氏は、デビュー前のある新人と対談したことがあったのですが、その席上、氏は、「私は現役時代、『ボールが止まって見える』と言ったが、これは、『ボールが止まったように見える』のではなく、本当に止まって見えるんだ。ある、一定の実力の選手が一定の修練を積み重ねた結果、到達できる境地なのだろうと思う。同じ事を、王 (貞治)君は『左投手の肩口から入ってくるカーブ縫い目が見える』という言い方をしたし、長嶋(茂雄)は『ボールを打つのではなく、ボールの中に入っているコルクを打ち抜く』と表現した。これは何も打撃だけのことではなく、広岡(達郎)『ゴロの心がわかる』という言い方をした」・・・というような内容のことを仰ってました。

で、その新人こそ、現巨人監督の原 辰徳氏だったのですが、原さんがその境地に達することが出来たのかどうかは知るよしもありませんが、ただ、もとより、これらの達人たちにしても、この状態がずっと続いていたわけではなく、これほどの人たちにして、特定の境地に達した一定の期間にだけ起こりえた現象のようです。
(昨年亡くなった稲尾和久氏は「昭和36年に42勝を挙げた年だけ、投げている自分を頭の上からもう一人の自分が見ることが出来た」と表現し、打撃の職人・榎本喜八氏は一ヶ月ほど打率四割を打っていた時期には、「打席に立っている自分を頭の上から見ることが出来た」と言い、バレーボールの中田久美さんは、一試合だけ、「試合中のコートを上空から見ているもうひとりの自分がいた」と表現してました。)

ちなみに、「眼力」という点では、人気脚本家で映画監督の三谷幸喜という人は、「店頭に並んだDVDの棚が、画像として頭に残っているので、次に行ったときに、たちどころに新しく入荷した商品がわかる」と言い、また、「水槽の中に入っているが、どれだけ、たくさん居てもたちどころに数えられれる」ということを言っておられました。

e0027240_14125227.jpgなるほど、この人のそれは、アスリートのそれとは明らかに違うのでしょうが、それはそれでこの人の才能の仕組みが一瞬、垣間見えたような気がしましたね。

(←私も昔は目が良かったんですけどねぇ・・・って、違うか(笑)。)

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by heitaroh | 2008-06-02 18:06 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

日本プロ野球史には西暦よりも和暦の方がよく似合う
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11175878.jpg本日は、今年初めてのプロ野球観戦です。
言うまでもなく、福岡ヤフードームに行くのですが、実は福岡ソフトバンクホークスの試合・・・どころか、プロ野球の試合自体、今シーズン初めて見るんですよ。
(これまで、テレビですら、まともに見てませんでした・・・。)
色々あって・・・というのも事実ですが、何だか、ホークス自体に魅力が乏しくなってきたような・・・。
(←昨年の画像で申し訳ありません(笑)。)

で、そんなこんなで、今年は各球団の戦力分析をするほどの材料を持っておりませんので、本日のお題はこれとします。

以前、新聞のスポーツ欄を見ていると、「70年代は」、「80年代は」ということについて書いてある記事を目にしました。
しかし、日本プロ野球の歴史は、最近はともかく、昭和時代は西暦で言うよりも、むしろ、和暦・・・、つまり、昭和何年代・・・と言った方がしっくりくるような気がするんです。

具体的に言えば、現在の日本プロ野球の起源といえる株式会社大日本東京野球倶楽部が発足したのは昭和10年(1935年)暮れであり、三原 脩翁が日本プロ野球選手第一号契約となったのは、同年6月・・・。
その後、国内には巨人も含めて7つの職業野球団が結成され、「日本職業野球連盟」も結成され、春には日本国内で初の職業野球リーグが開始され、その後、終戦までの10年間、1リーグ時代が続きますが、同時に、選手が戦争で次々に徴兵されたり、敵性競技と見なされ、決して、順風満帆とはいかなかったようです。
この点では、いわゆる、草創期といえるでしょうか。

その後、昭和20年代は、前半の「出征選手らの復員」と、後半の「2リーグ時代到来」という意味で、興隆を迎えるための準備期であったと思います。
そして、昭和30年代は、定着を見せ始めた強い巨人を軸に、それを阻止せんとした、西鉄ライオンズ南海ホークス大洋ホエールズなどが興隆を繰り返した戦国時代だったといえるでしょうか。

それに対して、昭和40年代は、もう、言うことなしに、9年連続日本一という川上哲治監督のV9巨人による・・・、「パクス・ヨミウリーナ?(笑)」が咲き誇った年代であり、昭和50年代は、その巨人王朝の力が衰えてきたことで、再び、群雄割拠の時代となったといえるでしょうか。
ただ、昭和50年代が同じ戦国時代でも昭和30年代と違うのは、ドラフト制が定着したことで、各球団の戦力が均等化されてきたということでしょう。
従って、この年代には多くの初優勝がありました。
初優勝で沸く広島カープの日本一を阻んだのはV9巨人の覇権下で、たびたび、苦杯をなめてきた阪急ブレーブスであり、その阪急の勢力伸長を阻止したのは、広岡達郎監督率いるヤクルト・スワローズの初優勝と、それに続く、悲運の名将・西本幸男監督率いる近鉄バッファローズの初優勝でした。

昭和は遠くなりにけり・・・。

ま、どーでもいいことですがね(笑)。
                               平太独白
by heitaroh | 2008-04-01 08:08 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

小笠原獲得にみる競争こそが巨人の活力!
親愛なるアッティクスへ

ついに、日本シリーズ始まりますね。
44年ぶりにして、北海道に初の日ハム日本一か、52年ぶりにして、球団創設70周年での中日日本一か・・・。
どちらも、たぶん、二度目の日本一かと思いますが、共に凄い数字ですね(笑)。
どちらにも、勝って欲しいものです。

e0027240_14412277.jpgこんなときに、なんなんですが、これ(←)、何だかわかりますか?

そう!プレーオフ第二ステージ・第三戦チケットです!

幻の逸品・・・になってしまいましたけどね(泣)。
でも、将来、プレミアが付くかな・・・と(笑)。

ところで、日ハムと言えば、これを言うと、また、叱られそうですが、巨人は、小久保が出て行くってことで日ハムの小笠原道大選手の獲得に動くそうですね。
まあ、それはいいんですよ。
それが、巨人のカラーなんですから。
巨人というチームは、そうやって、チーム内で激しい競争をさせることにより、活力を得てきたチームなんですよね。

以前、広岡達郎さんが言ってましたけど、「私が新人王獲った後、これで、実績も出来たし、少し、ゆっくりできるかな・・・と思っていたら、巨人は、これでもか!というくらい、有望な遊撃手を獲得してきた」と。
そういえば、打者だけ、挙げてみたところでも、高倉、富田、張本、加藤英、有田、そして、記憶に新しい所では、広沢、石井、江藤、清原・・・、外人では、マルティネス、ペタジーニ、ローズ・・・。
そして、今(?)の小久保

ただ、一点だけ、昔と今とで大きく違う所があると思うとです。
それは、彼ら移籍選手は、所詮、咬ませ犬だったということ。
つまり、いくら、有田修三が実力を発揮しようとも、絶対に、生え抜きの山倉メインの捕手であり続けましたよね。
つまり、あくまで、生え抜き優先だったということ。

当時は、私は巨人のこの気位の高さ嫌いだったのですが、今にしても思うと、やはり、これはこれで、必要悪だったのかな・・・と。
それが今は、咬ませ犬が試合に出て、これから伸びる若手が試合に出られない・・・。
まあ、現時点での実力という点で及ばないのでしょうが、サンだって、新人時代は、まるで打てなかったのに、当時の水原監督が辛抱して使い続けたという話があるわけですから・・・。

巨人ファンの友人(東京生まれ東京育ち。多摩だけど(笑)。)も言ってましたけど、「今の巨人は、若手・・・っていうから、いくつかな?と思って、みてみたら、30歳だったりする。全然、若手じゃねーじゃねぇか!」と。

ま、巨人のことだし。
ま、いっか。

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by heitaroh | 2006-10-21 17:40 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

うーん・・・。斎藤中四日・・・。うーん・・・。
親愛なるアッティクスへ

パ・リーグのプレーオフ第二ステージ・・・。
第二戦、エース斎藤中四日登板とか・・・。
これは、私的には、森脇代行さん(運転代行みたいな気が・・・(笑)。)、それはないですよ・・・と言いたいような。
たとえ、後が無くても、じたばたせずに、ローテーションを崩さずに、シーズン中通りの野球をするべきじゃないんですか?
それが、これまでのホークスの野球、王サンの野球だったように思うんですけどね。

やはり、斎藤は福岡に帰ってからの、初戦、14日中六日で登板ですよ。
で、15日和田と・・・。
12日だけ勝っても、14日も15日も勝たなきゃ、優勝はないんですよ。
何とか、福岡に帰りたい・・・という一心なんでしょうけどね。
うーん・・・。

まあ、最終的に優勝に目標を置くか、一勝でも多く勝つことに目標を置くかだと思うのですが、大体、最近は、日本シリーズなどでは、「7つのうちの4つを勝てばいい」という発想が主流になってきているようです。
だから、三連勝しても、残り一つが勝つ目処が付かないようなことはしないと。
そういう考えが主流になり出したのは、広岡達郎監督時代の西武あたりのようです。

で、この考え方自体、あまりにも、根付いてしまって、最近では見落とされているのかも知れませんが、この考えを実行するということは、それは、同時に、「いつも通りの野球をしている」ということにも繋がるわけです。
つまり、リズムが生まれるわけですね。
私がいいたいのは、「斎藤の体力的な物」よりも、その、チームのリズムを崩すことです。

ひとつには、こういう追い詰められた展開では、選手にはもの凄いプレッシャーがあったことは想像に難くないわけで、やはり、そういう場面では、指揮官は泰然自若としてないといけないわけで・・・。
それが、シーズン中と違うことをやったことで、選手の気持ちの中にわずかでも「!」という気持ちがが生まれることを私は危惧するわけです。

もう一つ言えば、選手からしてみれば、もの凄いプレッシャーがあることも想像に難くないわけで、そんなとき、自分を落ち着かせる為に必要なのが、「いつも通りの野球をしていればいいんだ。特別なことはないんだ。」と自分に思い聞かせることでしょう。
それら諸々も含めて、リズムではないかと。

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by heitaroh | 2006-10-12 17:59 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

またもや「ザ・ヒットパレード」後編、技術屋社長の弊害。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10352698.jpg今日から、ついに六月ですね。

で、過日、ここ(←)に居ました。
屋上ビアガーデンです。
今年初のビアガーデン・・・、ていうか、ビアガーデン自体、久しぶりでしたが、なかなか、オツな物でしたよ。
バドガールも居たし(笑)。

ちなみに、この画像は19:35のモノです。
今の博多の日没時間は20時です。
東京とは、ほぼ、一時間違いますからね・・・。

で、またまた、昨日の続きです。

私も、出来るものなら、ドラマ「ザ・ヒットパレード」に出てきた渡辺晋氏のように、ああいう温顔>で生きていければいいな・・・とは思いますね。
もっとも、人間、向き不向きというものがあり、・・・というか、逆に、この年になって、日頃、やりなれないことをやると、かえって弊害の方が大きくなるようで・・・(笑)。
そもそも、私のような、心が狭くて、敵が多い人間が、渡辺社長の真似など出来るはずもなく、妙にその気になったりすれば、どうせ長続もきせず結局、中途半端になって、余計に敵を増やすだけの結果になるもんです。

この点で、以前も述べたような気がするのですが、私の怒っているときの理想は、海老沢泰久氏の小説、「監督」の中で出てきた広岡達郎という人です。
広岡氏は言うまでもなく、実在の人物で、かつて、プロ野球、ヤクルトスワローズ西武ライオンズで監督を務め、名監督として、一時代を築いた人ですが、同時に敵の多い人でもありましたね(笑)。
ただ、その小説は、ヤクルト監督時代の広岡氏をモデルに描いたフィクション的要素が強いモノでしたが、その中で、広岡監督が、マウンド上で荒れ狂っている外国人投手に、誰もが尻込みする中、あくまで、冷静に交代を告げる場面が印象的でした。
本当に強い犬は、むやみやたらに吠えない、こうありたいものだと・・・。
そう言えば、高杉晋作という人も、単に、勇ましいだけの人ではなかったようですね。
英国公使館焼き討ち事件のときにも、まず先に、しっかりと逃げ道を作っておいた上で侵入し、一同に指示を出したと言います。

ちょっと話が、もこみち・・・じゃなかった、橫道に反れましたが、話を戻すならば、昨日も触れましたように、渡辺晋という人物は、「ドラマに描かれていたような芸能界の地位向上だけに尽くしてきた温顔」と、「死去の際にワイドショーが言っていたような政財界に太いパイプを持ち、ナベプロ帝国と呼ばれて、批判を一切許さずに君臨>していた帝王」と、どちらが、本当の姿なのでしょうか・・・。
それは、もとより私などが知るところではありませんが、この点で、元部下でもある、(株)スペースシャワーネットワーク代表取締役社長、中井 猛氏の話として、「晋さんは数字を見やしないから楽でしたよ(笑)。説明しながら『あの…実はここで1200万の赤字が出まして…』、『お前、そんなことはどうでもいいんだ。要は、あのレコーディングのあのトラックダウンどうしたんだ?』って、もう音楽の話になる。」というのを聞いたことがあります。
渡辺晋という人は、自らもミュージシャン上がりでもあった、言うならば音楽という技術屋社長だったんですね・・・。

かつて、本田宗一郎氏は、若手技術者の「水冷で!」という意見を、あくまで排除し、「空冷で!」ということを主張し続けたと言いますし、ヘンリー・フォード一世は、ただの機械好き、発明好きだった頃には、周りにはたくさんの人が居たのに、自動車王になったときには、誰も彼の周りにはいなかった・・・。
これと似たような話がドラマの中の渡辺氏にもありましたよね・・・。
これこそが、まさしく、典型的な「老いた技術屋社長にありがちな弊害」ですよ。

他の追随を許さない技術開発力で、次々にヒット商品を飛ばしてきたが、一旦、老害をまき散らすようになると、誰も異見など出来ないし、したところで、意固地になって聞く耳を持たない・・・どころか、過去の栄光があだとなって、迷走深謀遠慮にさえ映り、それを利用しようとする者さえ出てくる・・・。
本田然り、フォード一世然り、中内功然り、松下幸之助然り、拙著でも取り上げた武田信玄然り、そして・・・、渡辺晋然り・・・。
まあ、ドラマでは、渡辺氏は、そこで、病気になって、病床で自分を見つめ直し、以後は一歩引いたところから・・・のように言われてましたが、ちょっとだけ、眉唾のような気がするのは私だけでしょうか・・・(笑)。
                          平太独白
by heitaroh | 2006-06-01 08:45 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

スポーツ選手の落日に見る一芸で飯を食うことの意義 前編
親愛なるアッティクスへ

今、お笑いブーム(第二次?)らしいですね。
毎日、テレビを付けるたびに、色んな若手芸人さんたちが出てますよ。
まあ、面白いのもあり、くだらんと思うものもあり・・・です。
でも、テレビに出ているこの人たちというのは、水面下に隠れているもんのすご~~~いピラミッドのほんの一部分なんだろうな・・・と思います。

思えば、まあ、何の商売でもそうなんでしょうが、お笑いの世界に限らず、役者・作家・芸術家などからプロ・スポーツまで、「一芸で飯が食っていける」というのは、本当に凄いことですよ・・・。
端的にそれを現しているのが、「僕の家族は皆、歌がうまい。でも、歌で飯が食っていけるのは僕だけ」と言った演歌の北島三郎御大の言葉ではないでしょうか・・・。

で、野球にしても、草野球まで含めて、それを志している人の数を考えれば、これまた、もんのすご~~~いピラミッドがあるわけで、水面よりほんのわずか上に出ている部分がプロであり、仮にそこに入ったとしても、そこからまた一軍に入り、さらにレギュラーとなるのは、これまた限られた一部の人であるわけで、ましてや、主力選手として、10年、20年と、それなりの成績を残せる人たちというのは、水面より上のピラミッドのこれまた、ほんの一握りであり、ましてやましてや王・長島イチロー・松井クラスになれる・・・というのは、もう、天文学的・・・と言っていい確率だと思います。

さらに、そこそこ活躍したとしても選手寿命というのは、せいぜい20年程度の物であり、引退後は、皆が皆、監督、コーチなどの管理職になれるわけでもなく(実際、「名選手名監督ならず」という言葉があるくらいですから・・・。)、となれば、解説者になるしかないのでしょうが、スター選手と言ったところで、毎年、同じ数だけ引退してくるスター選手がいるわけで・・・。
つまり、引退後も何らかの形で野球に関わっていけるというのは、限られたほんの一握りであり、板東英二氏のようにテレビタレントとしてやっていくとか、江本孟紀氏のように国会議員になるなどの転身に成功すればいいですが、そういう人たちこそ、逆に言えば、限られた人たちなわけで・・・。

e0027240_1516138.jpg特に野球選手というのは、学校行ってた時代から、ずっと、野球だけしかしてこなかった・・・という人たちが少なくなく、元巨人の広岡達郎氏は、現役引退直後、飛行機切符の買い方がわからなかったと言います。

その最たるものが、私と同年で、もっとも期待された選手だったヤクルト・スワローズ高野光投手のケース。
引退後の転身がうまくいかず、現役時代とのギャップに苦しみ、自ら命を絶った・・・と(涙)。
(←落日です。)

明日に続きます。
                                平太独白
by heitaroh | 2006-02-17 17:32 | スポーツ | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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