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打撃の神様でV9巨人の監督・川上哲治氏の逝去を悼む!
「巨人大鵬卵焼き」・・・、当時の子供が大好きな物と言われてますが、一面、その言葉の裏には、「誰がどう立ち向かっても、倒すことが出来ない圧倒的な強さ」という含みがあったように記憶しております。
当時、相撲界に無敵の強さで君臨していた横綱大鵬と並んで、9年連続日本一という盤石の強さを発揮していたのがV9巨人軍
巨人オーナーの正力松太郎のことを「勝利決まったろう」などと呼ぶほどの無類の強さは、徒花として、「アンチ巨人ファン」なる存在を生み出したほど。

で、当時、その巨人を率いていたのが川上哲治監督。
私が生まれる前は「打撃の神様」「赤バットの川上」「弾丸ライナー」・・・などの称号で知られた球界を代表する大打者で、私が知る限り、本人主演の映画が作られたのは川上氏と長嶋茂雄、稲尾和久の3人のみ。
(マンガ巨人の星で「主人公の家の壁の穴から飛び出してくるボールを木切れでその穴に打ち返してたのが印象深いですね。今考えれば、ありえねーって話でしょうが、当時は「これが達人か!」って思いましたよ(笑)。)

e0027240_1694551.jpgで、その川上氏が、去る28日、遂に逝去されたか。
御年93歳、老衰だったとか。
(←熊本県出身だったからか、福岡の地元紙には1面トップで出てました。)

いつかこの日が来るんだろうなとは思ってましたが、日本のプロ野球史はこの人と野村克也氏で9割語れるんですよ。
つまり、ノムさんが語れない沢村栄治などプロ野球草創期の部分を、同じグラウンドの上に居た者としての目線で語れる最後の生き証人だったわけです。
(ノムさんって、凄いんですよね。選手として日本のプロ野球選手第一号の三原脩翁の謦咳に接し、監督としては今をときめく、田中マーくんから、マンガのあぶさんまでが教え子なんですよね。)
チームの打撃練習時間30分のうち20分を一人で使ったというエゴイスト。
ゴルフでも、いくら後ろの組が詰まっていても、平然とラフの中の自分の球が見つかるまで探したとか。
サッカーの三浦知良選手は「99回外しても、平然と100回目を蹴る。そういう精神構造でないとやっていけない」と言ったそうですが、おそらく、川上さんも平然と100回目を蹴ったでしょうね。
酷いといわれる方もあるかもしれませんが、これがプロのあるべき姿なんでしょう。合掌。
                                     平太独白
by heitaroh | 2013-10-31 18:04 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

ダルビッシュのメジャー移籍会見に見る男の意地の是非
親愛なるアッティクスへ

昨日、レンジャーズへ移籍したダルビッシュ有投手が札幌ドームのファンの前でメジャー移籍の理由を語ってましたよね。
曰く、「野球選手として相手を倒すのが仕事だが、最近は試合前から相手に“このカードで投げないでくれ”とか“絶対に打てないよ”と言われるようになった。冗談と聞いていても、これではフェアな挑戦ができなくなる」・・・と。
まずもって、これくらい日本プロ野球の地盤沈下を改めて如実に示した言葉を聞くと、無性に腹立たしくなって来ますが、一方で、ダルビッシュ投手の気持ちも私には何となくわかるような気がします。

まず、かつて、現役時代の長嶋茂雄選手が「今日の江夏はとても打てないな・・・」とベンチで呟いたとき、当時の川上哲治監督はこれを聞いて、「おまえには江夏の球を打つだけの給料を払っているはずだ!」と言って、他の選手の面前で激怒したと言いますが、現在の監督さんたちも、たとえ、冗談でも選手たちにそういうことを言わせてはいけませんよ。
この点では、最近の選手たちは、労働組合などの発足もあって、妙に他球団の選手とも仲良しになっているんじゃないかと思える嫌いがあるですよね。
(一番、腹が立つのが、以前から指摘していることですが、オールスターで負けても選手たちが悔しがらないことです。)

また、ダルビッシュは、「僕は凄く勝負がしたかった。その上で相手が打ってやるという気持ちできて初めて勝負が成り立つ。それがなくなってきて、僕の中でモチベーションを保つのが難しかった」・・・とも言ってましたが、これなどは、思わず、かつて、阪神の村山 実投手が巨人の長嶋茂雄選手を、同じく、江夏 豊投手が王 貞治選手を打ちとることに異常なこだわりを見せ、長嶋・王もこれに負けじとこれを打ち崩して行った・・・という姿を思い起こしました。
星 飛雄馬花形 満じゃないですが、「あしたのジョー」でライバル・力石 徹が亡くなった後、矢吹 丈が思いっきり、テンプルにパンチを叩きこめなくなったようなものだったでしょうか。
ジョーにベネズエラの華麗なる野獣、カーロス・リベラが必要だったように、ダルビッシュには遠慮なく殴り合える相手が日本にはもういなくなった・・・ということだったのかもしれませんね。

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「お嬢さんにはおわかり戴けねえことでしょうが、言ってみりゃあ、つまんねえ男の意地ってやつですよ」・・・とは、過酷な減量に耐えかねた力石徹が、葉子お嬢様から渡された白湯を床に捨て、「どうして、そこまでしなくてはならないの?」と言われた時に言うセリフです。
今の時代、昭和の頃には割と普通に街角に転がっていた男と男の意地のぶつかり合いのような物を期待するのは、無茶無謀なことなんでしょうかねえ・・・。
「ダルビッシュよ、おまえにはもう、日本は少し狭くなりすぎた」
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-01-25 07:40 | スポーツ | Trackback(4) | Comments(4)

川上監督にの指示にも頑なだった王選手と頑固と信念の違い
親愛なるアッティクスへ

良く、プロ野球などでも「コーチの指導に従ってフォームを矯正したばかりにだめになった」「大成した選手の多くは頑としてコーチの指導に従わなかった」・・・などという声を耳にしますよね。
確かに、選手時代の王 貞治さんなどは当時の川上哲治監督から「開眼当時はともかく、軌道に乗った以上、一本足打法を普通の打法に戻した法が良い」といくら言われても、頑なにそれに従わなかったという話も聞いたことがあります。
(川上哲治という人は名監督として知られていますが、現役時代は「打撃の神様」などと呼ばれた人ですから、おそらく、打撃理論的にはこちらの方が正しかったのだろうと思います。)

ここで、唐突ですが、「信念」「頑固」の違いは何だと思われますか?
例によって、勝手な私見で言わせて頂くなら、それは「簡単にいえば頑固とは『主観』である。自分の考え、思い込みだけで自らの世界に没頭することであり、したがって、信念という物には、その根拠となるべき裏付けがいる。裏付けとは何か。それは理論である。理論的裏付けがない信念とはただの思いこみ、頑迷固陋に過ぎない。よって、信念と頑固とは似て非なる物なのである」ということだと思っています。

「頑固というのは人の話を聞かないこと。信念というのは人の話を聞いても考えを変えない人のこと」という話を聞いたことがあります。
頑固とは即ち、頑迷固陋のことですから、これはこれで間違ってないと思います。
一方で、その論で行くなら、信念とは、「人の言に耳を貸さないことではない。人の言に惑わされないことである」ではないでしょうか?
聞いても考えを変えないというのでは、聞いたか聞かなかったかだけの違いで、頑固と大差はないようです。
(また、逆の見方をすれば人の言に耳を貸してしまうと考えがぐらつきそうだから、耳を貸さない・・・とも言えるわけです。)

即ち、信念とは考えを「変えない」のではなく「変わらない」、そして、その為には、考えが変わらない根拠がいるのです。
無論、裏付けとしては、「直感」、「閃き」なども然りでしょう。
(王さんなどはまさしく、これでしょう。)
しかし、それは一握りの天才にのみ許されることであり、凡人が真似をすることは危険極まりないと思います。
そこで、凡人にとっての根拠こそ、理論なのだろうと思います。
思想と言い換えてもいいかもしれません。
考えに理論的な背景があれば、人から説得されても、理論が変わらない限り、考えを変えることもないし、逆に、変えなければならないときにも柔軟に対応できます。
ただの頑固な人との違いはここだと思うのです。
                              平太独白
by heitaroh | 2011-07-06 22:24 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

高校野球の女子マネージャーが読むもしドラッカー その6
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きですが、ここしばらく、堅苦しい話ばかりでしたので、本日は敢えて、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を構成する根幹である野球の部分について触れてみたいと思います。

同著では、主人公の少女が属する弱小野球部を勝ち進ませる為の革新的な戦術として、「送りバント」「ボール球を打たせる投球術」の廃止を採用するのですが、この点で、まず、「送りバント」についてはまったくもって私も以前から疑問でした。
高校野球の場合はどうかわかりませんが、プロ野球に置いて、今のように送りバントが多用されるようになったのは広岡達郎氏が西武を率いた辺りくらいからではないかと思います。
(無論、その前から、川上哲治監督に率いられた頃のV9巨人なども似たようなことはありましたが、それでも、その頃はそんなことするのは川上巨人だけで、今のように、猫も杓子も、「走者が出たら確実にバントで送って・・・」などというようになったのは、やはり、広岡さんの管理野球辺りからだろうと。)

ただ、広岡氏の頃は、それはそれで、一つの見識だったんでしょうが、その当時と今とでは、前提が大きく変わってるんですよ。
それすなわち、「昔のように簡単にバントさせてくれなくなった・・・」ということです。
昔は、守る側にも、「バントしたければさせれば。代わりに、1死とれるんだから・・・」という感じがあり、むしろ、「歓迎」しているような雰囲気さえありました。
実際、それほど、送りバントを失敗しているシーンを見た記憶はありませんしね。
ところが、今は、広岡思想が西武の常勝化という形で行き渡ったようで、平たく言うと、各球団とも、出した走者を送られることの不利を理解したことから、その対策も良く研究しているようで、今は、簡単には送りバントさせてくれなくなりましたし、成功しても、その後の守備体系も緊密化されており、走者3塁ならまだしも、2塁からだと、なかなか、1安打では返って来られないケースも増えているように思います。

従って、送りバントを失敗すると、ただ単にアウトカウントを1つ増やすだけのことになるし、成功しても、得点に結びつけられないということを考えれば、リスクの割りにはリターンが少ないという、つまり、あまりにも非効率的であると・・・。
この点、外国人監督、特に、元阪神監督のブレイザー氏などは送りバントには否定的でしたが、日本の監督、特に、福岡ソフトバンクホークス王 貞治氏の監督時代などは、選手の得手不得手には構うこと無しに、やたらバントを命じ、選手が失敗すると、意地になって3バント失敗するまでやらせてましたが、ああいうのは、単に選手の気持ちを委縮させるだけですよ。

一方で、「ボール球を打たせる投球術」の方ですが、確かに複数の投手でローテーションするプロ野球と違い、少数の投手で勝ち進むことが多い高校野球の特性を考えれば、なるほど、ひとつの見識なのだろうと思います。
打者にストライクではなくボール球を打たせようとすると、どうしても、球数増えてしまいますしね。
ただ、それ以上に、これはむしろプロの方で言えることのように感ることなのですが、「打者の方も、最近では簡単にはボール球を振らなくなっている」→「投手も余計、際どい所を狙うことを要求されることから、若い投手は四球連発したりする」→「四球を出してはいけないと思うから萎縮してしまう」→「結果、良い投手が育たない」という悪循環・・・。
まったく、前述の某在福球団を見るような気がするのは私だけでしょうか。

明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-08 18:31 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

イチロー選手、大リーグ史上初9年連続200安打達成!
親愛なるアッティクスへ

米大リーグ、マリナーズのイチロー選手、ついにやりましたね。
大リーグ新記録となる「9年連続200安打」達成・・・ですよ。
それにしても、タイ記録で並んでいたウィリー・キーラーという人が8年連続を記録したのが、1894~1901年と言いますから、日本で言えば、明治時代、日清戦争を経て日露戦争へ向かう頃の話ですよ。
対象となる記録が100年以上前なんて、改めて、イチローの偉業の偉大さと、そして、大リーグというものの奥行きの深さを感じさせますね。

それはさておき、イチロー選手はレンジャーズとのダブルヘッダーの第一試合に二塁打1本を放ち、残り1本として迎えた第二試合・・・。
二回の第2打席、レンジャーズの先発左腕ホランドの148キロの外角直球を流し打って遊撃手の深いところへゴロを転がすと、遊撃手が捕球したときにはもう、イチローはベースを踏む寸前まで来ており、遊撃手はあっさり送球を断念。
これで、内野安打となり、ここにこの大記録が成立・・・。
まあ、達成はほぼ確実だろうとは思ってましたが、最近も肉離れなどがあったばかりですから、この記録だけは達成できて、私もホッとしました(笑)。
(人間、誰しも明日のことはわからないわけで・・・。)

で、イチローとしては、これは今季55本目の内野安打だったそうですが、まあ、見ている方としては本音を言えば、糸を引くようなライナーで決めて欲しかったような気もしましたけどね(笑)。
(もちろん、やってる方はそれどころではなかったでしょうが・・・。)
この点で思い出したのが王 貞治前福岡ソフトバンク監督の巨人での現役時代のこと・・・。
対戦相手がどこだったか忘れましたが、どん詰まりのポテンヒットサヨナラ打を打った王選手、試合後のヒーローインタビューに呼ばれ、少しばつが悪そうにするかと思いきや、王さん、あまりにも晴れ晴れとしている・・・と。
で、インタビュアーから、「あまり、良い当たりではありませんでしたが・・・」と言われると、「いえいえ、たとえポテンヒットでも公式記録上はただ『安打』としか記録されませんから」と、胸を張って答えていたことがあったのをふと思い出してしまいました。
大打者にとって、たとえ形はどうであれ、立派な自分の記録を形作っているピースの一つであることには違いないわけで、同じように可愛い・・・ということでしょうか。

ついでに言えば、王さんの現役時代の監督にして、巨人の4番打者の先輩でもある川上哲治元巨人監督は、現役時代、「弾丸ライナー」と呼ばれた快打を連発し、打撃の神様と言われた人ですが、さすがに選手としての晩年になってくると、かつての快打は影を潜め出し、野手の前にポトンと落ちる「テキサスヒット」ばかり打つようになったことから、「テキサスの哲」などと呼ばれるようになった・・・とか。
それらを考えれば、安打の形など、無事、イチロー選手の偉業が達成されたことを思えば、五体満足で生まれてきたようなものでこの際、贅沢は言わないことと致しませう(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-09-14 18:21 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(6)

張本勲の歯と夏
親愛なるアッティクスへ

イチロー選手のメジャーでの活躍は知らぬ人がいないのででしょうが、まあ、昔と今ではトレーニング方法からケアから何から、比較にならないくらい進歩してますから、昔のケースと当てはめるわけにもいかないのでしょうが、この点で、少し思うところがあります。
と言っても、ご多分に漏れず、昭和55年頃に聞いた話ですが・・・(笑)。

まず、野球選手、特に、打者というのは一流選手になればなるほど、「歯」ガタガタらしいですね。
それは、打つ瞬間にグッと歯を食いしばるからだそうで、具体的な数値は忘れましたが、その時、歯にはもの凄い荷重がかかっているとのことでした。
で、野球選手はそれを試合から練習から、毎日、もの凄い数を繰り返すわけですから、おかげで、現役を引退した頃には強打者と名が付く人たちは殆ど歯は酷い状態になっており、打撃の神様と呼ばれた川上哲治元巨人監督などは、30代にして、殆ど、総入れ歯だった・・・と。
それらプロ野球の強打者の中で、引退後も独り、ピカピカの歯を持っていたのが先頃、イチロー選手に最多安打記録で抜かれたことでも知られる張本 勲氏なのだそうです。

なぜ、張本氏が独り、健康な歯を保っていられたのかというと、彼は現役時代、とにかく、歯を磨いたのだそうで、曰く、「野球選手が成績を残せるかどうかは、暑い夏場夏バテせずに乗り切れるかどうかにかかっている。そのためには、たくさん食べることが大事。それが、食欲のない時期に歯が悪かったら食べる気がしなくなる」・・・と。
そのため、張本氏は、パーティの席でだろうが、人との会食の席だろうが、いつもポケットには歯ブラシセットを入れており、食事が終わると、人前も構わず、その場でゴシゴシ磨いたとか。
(もっとも、歯は磨きすぎても削れるから良くないと聞いてますので、それ自体が本当に良いかどうかはともかく、注目すべきは彼のそのプロ意識についてでしょう。)

張本氏は、その言葉を裏付けるように、現役時代はスロースターターとしてしられていたそうで、これは普通、選手は皆、開幕戦に向けてピークになるように仕上げてくるのに対し、張本氏は敢えて、投手がバテ始める初夏辺りにピークを持ってくるように調整していたからだそうです。
そのため、開幕当初はあまりパッとしなくても、夏が近づくにつれ、どんどん調子が上がっていき、終わってみれば打いつも撃成績の上位に位置しているという・・・。
(現役生活23年中、打撃ベストテン入りは17回。日本タイ記録)
その積み重ねが、氏を、日本プロ野球史上唯一の、通算打率3割・300本塁打・300盗塁や、通算3000安打・500本塁打を記録した選手に押し上げたことを思えば、たかが「歯」とはいえないのでしょうね。
もっとも、今はおそらく、マウスピースなど器具の充実や、当時とは比べものにならないほどに進歩したケア知識などがあるのでしょうから、もう、その必要はないのかもしれませんが・・・。                                         平太独白
by heitaroh | 2009-09-08 08:47 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

ワールド・ベースボール・クラシック正式メンバー選出
親愛なるアッティクスへ

昨年から、動植物園、市民の森、運動公園など、福岡市が運営する屋外型施設を全部廻れば景品プレゼント・・・というスタンプラリーがあっており、一年近く掛けて、ようやく、すべて行ってきました。
景品と言っても、どうせ粗品程度だろう・・・と思い、さして、期待してなかったのですが、思っていたより良かったですね。

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本当は先日の福岡市動植物園で終わり・・・の予定だったのですが、よく見ると、動植物園はスタンプ押印のみで景品交換場所となっておらず、やむなく、日を改めてここ(↑)へ行ってきましたよ。
日頃の不摂生で息も絶え絶えの私は、木漏れ日の中に霞む我が子の姿が遠くに感じました(笑)。

さて、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表、いわゆる、サムライ・ジャパンですが、正式メンバー28人が決まりましたね。
(正式発表は25日の午前中に行われ、現段階では、あくまで、24、25日に行われるオーストラリアとの強化試合で大阪に遠征するメンバーが選出された・・・ということだそうですが、事実上はこれが最終メンバーになるのだとか。)

で、落選した岸、細川(西武)、和田、松中(ソフトバンク)、栗原(広島)の5人ですが、実力的、また、戦力的には「これでいいのか?」という気がしないでもないものの、まあ、これは仕方ないな・・・とは思いますね。
だって、シーズンの開幕前に他球団の選手を預かるわけですから、チームを率いる原 辰徳監督からすれば、やはり、気を遣うと思いますよ。
昔、V9巨人時代の川上哲治監督がオールスターの監督を務めたとき、当時、全盛の阪神・江夏 豊投手を投げさせたところ、「川上はシーズン後半戦を有利に運ぶために大敵・江夏をオールスターで酷使して潰そうとしている」と言われ、川上氏がうんざりして、翌年のオールスターでは9人の投手を平等に1回ずつ投げさせた・・・ということがありましたが、ある意味、これと同じ感覚なのでしょう。
やはり、預かる選手たちは自軍の主力であると同時に、シーズンに入ればなんですよね。

前回、王 貞治監督(当時)も、戦力的なことを考えれば、やはり、その年、圧倒的な力で日本一になった千葉ロッテ選出のメンバーたちを中心に使わざるを得なかったのでしょうが、そのロッテに前年のプレーオフで苦杯を喫していたのが王さんが率いていた福岡ソフトバンクホークスだったわけで・・・。
つまり、王さんからしたら、目の上のたんこぶというか、最大の敵であるロッテの選手でWBCメンバーだった選手たちが軒並み、シーズンに入って振るわなかったのは、如何にも川上さん的なようで王さんも困ったでしょうね。
(つまり、王は優勝するためにWBCでロッテの選手を潰した・・・と言われているようで。あの王さんだったから、まだ、そういう批判は沸き起こらなかったのでしょうが・・・。)
だから、帰国後に活躍されすぎるのも困るものの、あまり、活躍しないのも、これまた気を遣うわけで、特にライバルチームの主力選手には間違っても怪我なんかさせられませんよ。
そう考えれば、原監督としても使い勝手が良い自分の所の選手、つまり、巨人中心の構成に成らざるを得ず、
特に、故障持ちの選手は連れて行けませんよ。

そうなると、かねてより故障持ちの松中信彦選手は外さざるを得ず、和田内海かと言われれば内海で、細川阿部かと言われれば阿部なんだろうな・・・と。
この点は、逆に、前回監督の王さんだったら和田を選んだろうし、日本一になった渡辺久信西武監督が代表監督であれば細川を選んだだろう・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-24 08:43 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

山内一弘ではない山内和弘氏の逝去に哀悼・・・。
親愛なるアッティクスへ

昨日の朝刊に元プロ野球選手「シュート打ちの名人」と呼ばれた大打者にして、コーチ・監督などを歴任した山内一弘氏の訃報が載ってましたね。
この人は昭和45年(1970年)まで現役だったようですが、私はまったく覚えておりませんで、やはり、掛布雅之選手を始め、幾多の優秀な選手を育て上げた指導者としての印象が強いです。
ただ、この人については私には別の意味で幾つか、印象に残ることがあります。

まず、最初はこの人の名前についてです。
私がこの人の名前を初めて知ったのは、昭和47年、小学校5年生の時に、たまたま持っていた何かの雑誌の最後の方に「歴代プロ野球タイトルホルダー」という欄が出ており、その中で、長嶋茂雄、野村克也・・・などという名前と並んで、「山内和弘」という名前が出ていたときでした。
当時は「一弘」ではなく、「和弘」という名前だったのですが、私はこの「一弘」ではない、「和弘」の方の名前を見たとき、少し表現しにくいのですが、とにかく、その名前の「良さ」に惚れ惚れとしました。
「山内和弘」などという名前自体は、「王貞治」「中西太」などと違い、それほど、特徴がある名前でもないし、「山内」だけ、あるいは「和弘」だけ・・・であれば、はっきり言って、どこにでもある名前で、特にそれほど感じるものはなかったのですが、それが「山内和弘」となったときに、「ああ、この人はきっと強打者だったんだろうな」と思わせる物があったわけです。
この辺は、私独自の極めて感覚的なもので、なぜ、そう思ったのかは今でも説明が付きませんが・・・。

次が、この人の生まれ年についてです。
この人は、昭和7年(1932年)生まれなのですが、このことは、実は大きな意味を持ってきます。
今、一流プロ野球選手の代名詞となっている「名球会」というものがありますが、あれは、ただ、「名球会」ではなく、発足当時は(今も?)「昭和名球会」で、わざわざ昭和を付けたところがミソだ・・・と言われていました。
なぜなら、同会は天皇と言われた四百勝投手・金田正一氏の肝いりで発足した会で、カネヤンは自分が会長になるために、自分より年上の「大正生まれ」の先輩方を排除することを目論み、敢えて、「昭和生まれ」で構成する会とした・・・という見方もありました。
(特にV9巨人監督にして、カネヤンが引退したときの監督であった川上哲治氏にだけは、さすがの天皇も煙たかったようで・・・。)
ただ、その場合でも、カネヤンは昭和8年生まれですから、何人か上に来そうなのが居そうな気もするのですが、どういうわけか、その年代はあまりいなくて・・・、そう、お察しの通り、体育会系縦社会の野球界で、唯一、「おい、金田」と呼べるのが、カネヤンより1歳年上の山内氏だったわけです。
だから、その山内氏が、「俺が」と言えば、おそらく、名球会は成立しなかっただろうな・・・と(笑)。
結構、この辺の名球会内での山内さんの微妙な立場は、何となく、雰囲気に顕れている気がしましたよ。

いずれにしても、氏のご冥福をお祈り致します。 合掌・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-07 17:39 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

大監督、川上哲治が見た真夏の夜の白日夢!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_18215365.jpg毎日、夏本番って感じで、暑いですね。
博多も、毎日、この(←)状態です。
見るからに暑さが伝わってくるでしょうか・・・。

で、この暑さの中、なかなかに多忙を極めておりまして、なかなかにこちらの方まで手が回りません・・・。

本日は・・・、いや、本日も手抜きの、季節にぴったりの涼しくなる話です。

未だに破られることのない、「1試合11打点」の日本記録を持つ元プロ野球選手に飯島滋弥という人がいます。
(この試合で氏は、1回に満塁ホームラン、7回に満塁ホームランと3ランホームランを放ち1試合11打点を記録すると同時に、1イニング2本塁打、1試合2満塁本塁打、1イニング7打点を記録。)
この人は、昭和26年にこの記録を作って4年後の昭和30年(1955年)に引退しておられますので、今や、殆ど、この人の選手としての実績をご存じの方は少ないと思います。
(むしろ、この人の名前がプロ野球ファンに記憶されているのは、東映フライヤーズの監督代理時代に、打席に向かおうとする大杉勝男選手に対し言った、「月に向かって打て」の名文句でしょう。)
その飯島氏ですが、この方は、昭和45年(1970年)8月9日に癌で逝去されました。

で、その前日の8月8日、後楽園球場。
当時、この時点で5連覇を果たしていた巨人の川上哲治監督が、試合開始前にグランドに姿を現したところ、スタンドから、「川上さん、川上さん」と呼ぶ声がする・・・。
ふと、見上げると、そこには、飯島氏の姿・・・。
「あれ?飯島さん、入院中だったんじゃないですか?」
「ええ、実はそうなんですが、野球が見たくなって来ちゃいました」・・・と。
それを聞き、川上監督は、「そうですか、それはそれは。どうぞ、お大事になさってください」とだけ言って、その場を後にした・・・と。

で、その翌日、川上監督は飯島氏の死を知り、その話を新聞記者氏らにしたところ、誰もが、「まさかぁ。」と言う・・・。
「だって、川上さん、今日亡くなった飯島さんは胃ガンで他界されたんですよ。だから、昨日はグランドどころか昏睡状態ですよ・・・」と。
「そんなこと言ったって、見た物は見たし、口も聞いたんだ」・・・と。
川上監督という人は、決して、そういう面白おかしい作り話を話せるような人でもないし、何より、その真剣な表情に、一同、言葉をなくしたとか。

川上監督が見た飯島氏の姿とは一体、何だったのでしょうか・・・。
野球好きで好きでたまらなかった男死の瞬間まで、グランドに現れる・・・ということなのでしょうか。
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-07-28 18:19 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

西本幸雄という大正男についての忘れられない話 その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1483310.jpg西本幸雄という人がいます。
大正9年生まれ、昭和35年(1960年)、大毎オリオンズの監督に就任すると1年目にしてチームをリーグ優勝に導くも日本シリーズでは智将・三原 脩監督率いる大洋ホエールズの前に惨敗し、オーナーから戦術について批判されたことに憤慨して辞任。
昭和42年(1967年)、阪急ブレーブス監督として球団を初優勝に導き、以後、昭和48年(1973年)までに5度のリーグ優勝を果たしながら、いずれも、当時、川上哲治監督の下で全盛期にあったV9巨人の前に日本シリーズでは敗退。
昭和54年(1979年)、近鉄バファローズを率い、球団初のリーグ優勝、さらに、翌年も優勝を果たすも日本一にはなることなく球界を引退。

悲劇の名将としてしられている人物ですが、私には、この人物については、非常に印象に残っている話が2つあります。

まず、ひとつめが、この人が言った、「選手は結果だけではなく、経過をみてあげなければだめだ」という言葉です。
私なども、よく、サラリーマン時代は、「営業は結果がすべてだ!」などと言われたものですが、結果というのは、とかく、「運」という不確定要素に左右されがちです。
やはり、結果を出すために努力していて結果が出ないのと、何の努力もしないで、たまたま、結果が出ているのとだと、私は前者をこそ、もっと評価するべきだとよく思いましたよ。
そっちの方が長い目で見れば結果がついてくるんだ・・・と。
ところが、とかく、営業というのは近視眼的な、目の前の結果論だけで評価する風潮がありまして・・・。

確かに、「運も実力のうち」といいますし、何より、ポテンヒットでもヒットはヒットなわけで、いくら良い当たりをしようとも野手の正面にしか飛ばないのは、組織からすれば有り難くも何ともない話でしょうが、それを評価して、結果が残った方を評価しないのであれば自己満足に埋没してしまい、結局はジリ貧になってしまうというのも、これまた事実でしょう。
だから、結果をもたらした者を褒め称えるのも真理だと思うのです。
しかし、その一方で、監督だけは結果が出ていない者に対しても、経過はしっかり見てあげておく必要があると思うのです。

その意味では、昔はよく、見逃し三振して帰ってくると、「振らないと当たらんぞ!」といって、その消極性を激しく批判されたという話を聞きましたが、私はこれもどうかと思います。
その選手が、きちんとした根拠に基づき、それなりの配球を読んだ上での見逃し三振だったのか、それとも、「ボール球振ったらどうしよう」とか、「お願いだから四球になってくれ・・・」といった消極性の上での見逃し三振だったのかをきちんと見極めてやる必要があると。
闇雲に振ればいいというものではないでしょう・・・。

もうひとつは、次回へ続きます。
                              平太独白
by heitaroh | 2008-07-03 08:16 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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