タグ:岸信介 ( 9 ) タグの人気記事

「私の履歴書 保守政権の担い手」読了雑感 その1  
親愛なるアッティクスへ

以前も少し申し上げましたが、最近、日経ビジネス人文庫発行 「保守政権の担い手―私の履歴書」という本を読んでました。
改めて言うまでもなく、日経新聞に連載されている「私の履歴書」のうち、戦後政治を彩った6人の政治家の回顧録で、私が敢えて、この本を手に取ったのは河野一郎という政治家について興味を持ったからだったのですが、結果的に、同書には他に、岸 信介, 福田赳夫, 後藤田正晴, 田中角栄, 中曽根康弘の5名の政治家のそれが集録されており、一部は既知の物もあったのですが、改めて6人連続で読んでみると、なかなかに興味深かったですね。
(河野一郎とは当時、一旦入ると生きて帰れないとまで言われたソ連クレムリン宮殿の奥ノ院に乗り込み、フルシチョフと机を叩いて激論し、日ソ国交回復の足がかりを作ったほどの政治家でしたが、それほどの人でありながら、どういうわけか、あまりこの人について採りあげた本は無く・・・。やむなく手に取ったのが同書だったわけです。)

まず思ったのが、池田勇人、佐藤栄作の両総理経験者がここ入らず、代わって、河野一郎、後藤田正晴の両氏が入っていたことです。
河野、後藤田両氏の政治家としての力量、業績については私も重々承知しておりますが、それでも、この顔ぶれで上げるのであれば、やはり、総理経験者で統一した方がすっきりしたはずで・・・。
まあ、その辺の経緯は知る由もありませんが、その6人の登場人物(?)ですが、年齢順で行けば、岸、河野、福田、後藤田、田中、中曽根(田中、中曽根の両氏は同年同月生まれ)の順であるのに対し、ここに登場した、つまり、回顧録をしたためた順ということでいうと、河野(S32年)、岸(S34年)、田中(S41年)、後藤田(H3年)、中曽根(H4年)、福田(H5年)の順となり、特に、前三者と後三者とにはっきりと分かれる形となります。
(従って、後三つは日経新聞連載当時にリアルタイムで読んだ記憶がありました。)

従って、末尾の解説では、当時は「まだ、フォームがまだ定まっていない時期の産物」だったようで、冒頭の岸 信介氏は「私はまだ、回顧録を語る時期に来ていない」との理由で、主に、学生時代までの思い出を語って終わっており、それもそのはず、総理在任中に書かれたんだそうです。
あるいは、安保闘争で支持率低迷に悩んだ総理だっただけに、もう少し、自分の人間性をわかって欲しいという悲痛な想いがあったのでしょうか。
また、田中、河野両氏はまだ、坂を上っている途中であり、特に、田中さんは年齢の割に回顧した時期が早かった分、政治家になった時点で終わっており、これはこれで貴重な証言記録ではあるものの、肝心の部分が欠けている観は否めないように感じます。

その点、福田、中曽根両元総理と後藤田氏は功成り名遂げた後にしたためているだけに回顧録らしい回顧録となっているように感じました。
この辺は、やはり、「人は棺の蓋を覆って評価が定まる」と言われるように、晩年に書いてもらうのが一番良いのでしょうが、それを待っているうちに逝かれては元も子もないわけで・・・。
実際、河野氏などは急逝に近かったと聞いてますし、比較的、早い時期に書いてもらったのはわからないでもないですね。

ということで、続きは明日になると思うけど、予定は未定・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2011-12-16 18:25 | 政治 | Trackback | Comments(0)

冬の終わりの講演旅行 その1 総理の座ならぬ総理の上座
親愛なるアッティクスへ

e0027240_18215337.jpg先日から、業務の合間を縫って、山口、大分、宮崎と、色々と講演バスツアーなどに行かせて頂いていたということを申し上げてましたよね。
で、時節柄、そういう脳天気なことを言っていてはいけないのでしょうが、私にもあまり、残り時間が少なくなってきたものですから、今のうちに簡単に報告をさせて戴いておこうかと・・・。

「日向路に 
  五十男の
    影揺らぎ」
     梁庵平太


(←南国は結構な陽気でした。)

で、まずは山口県の回から触れてみたいと思います。

e0027240_18545338.jpg無論、山口県は私にとっては隣県ですし、拙著「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」の舞台となっている所でもあり、取材の際にも何度も訪ねましたので、今更・・・という観もなきにしもあらずだったのですが、やはり、「東京人『はとバス』に乗って初めて東京を知る」と言うように、知ってるつもりでも、ちゃんとこういうツアーに加わってみると知らないことだらけ・・・でしたね。

には以前はなかった立派な博物館は出来ていたり、明神池(←)という立派な池を借景とした店が昼食会場だったり・・・と、初めて行く所ばかりで、改めて、身の不明を恥じった次第でした。

で、そのうち、如何にも山口県らしい・・・と思ったのが菜香亭という山口市にある元料亭でして、ここの売りがこちら(↓)。
e0027240_1934289.jpg

この大広間の両側に掲げられた有名政治家の書です。
ご当地である、伊藤博文から安倍晋三までの歴代総理は元より、国際連盟脱退の全権大使・松岡洋右元外相(↓)などなど、まさに、多士済々・・・。
e0027240_18191981.jpg

e0027240_18291846.jpg←この大広間に総理がご来臨の際に座られるのが大体、この位置・・・だそうで、私もちゃっかり、座ってきました(笑)。
いわゆる、「総理の椅子」ならぬ、「総理の上座」ですね。
ただ、自分でも、明らかに、「貫禄無(ね)ー」・・・と(笑)。
やはり、私には末席が一番相応しいようです。

で、歴代総理の中でももっとも、ここを愛用したのが佐藤栄作元総理だそうで、かつ、もっとも書を書いてくれなかった総理でもあったそうです。
曰く、「達筆で知られている実兄・岸信介(元総理)と比べられたくない」ということだったそうですが、ここでは今、岸、佐藤の両総理の書はしっかりと並べて掲げられている(↓)わけで・・・。

e0027240_19113311.jpg

(向かって左が佐藤書、右が岸書)
佐藤元総理には先見の明があったと言うべきか、それとも、これだけ利用してこういう扱いを受けるとは本当は歓迎されてなかった・・・とか言ったりして(笑)。

明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-30 19:31 | 地域 | Trackback | Comments(0)

非松下村塾系・菅直人総理に清狂草堂塾の悲哀を見る
親愛なるアッティクスへ

菅 直人総理は山口県出身だったんですね、知りませんでした。
でも、これで山口県からは伊藤、山県、桂、寺内、田中、岸、佐藤、安倍に次いで9人目の総理大臣ですか。
戦後だけでも4人ですから、こうなると、単なる藩閥政治の賜とばかりもいえないでしょう。
ただ、菅さん以外のこれまでの総理大臣というのはすべて、吉田松陰以来の松下村塾系長州閥の延長線上にあるといってよく、(平太郎独白録 : 日本の中枢で現代も生き続ける長州閥:参照。)その意味では、菅さんは、初めてのまったく別系統からの山口県出身総理大臣だといえるわけです。

e0027240_149247.jpg菅家自体は元々、岡山の方だったようですが、菅 直人さん自身は山口県宇部市で生まれ、宇部市立の小中学校を経て地元の進学校である県立宇部高校へ入学、高校2年の時に父の転勤で東京に出てくるまでの17年近くを宇部で過ごしたという、事実上の長州人でしょう。

その意味では、彼が自らの内閣を「奇兵隊内閣」と命名したのもわかるような気がします。
(うまいネーミングだとは思いませんけどね(笑)。)
なぜなら、高知県では坂本龍馬が偉人の域を通り越して、もはやアイドルであるように、山口県では高杉晋作の人気は凄いんですよ。
岸 信介元総理なども学生時代は高杉晋作に心酔していたといいますし、今でも、高杉晋作の墓がある所は命日でもないのに休日は車で溢れてますからね。
(ちなみに、NHK大河ドラマ「龍馬伝」では高杉晋作を伊勢谷友介さんが演じるそうです。とかく、主人公はあり得ないくらい良い人になってしまう大河ドラマの傾向を思えば、私的にはむしろ、そういうフィルターを被せられないこういう役の方が期待でき、その意味では楽しみにしています。)

ただ、ここで思うのは岸、佐藤の兄弟総理は当時の長州藩の首都・がある長門国ではなく、周防国の出でありますが、事実上は上述の参照の通り、山県有朋の系列に連なっているといえるのに対し、菅総理の出身地・宇部は長州藩ではありますが、松下村塾系に連ならないという意味では、むしろ、
  「男児志を立ちて郷関を出づ 学もし成る無くんば死すとも還らず
    骨を埋むる豈に惟だに墳墓の地のみならんや 人間到る処に青山有り」

という漢詩で知られる海防僧・月性に連なる清狂草堂塾の系譜を思い浮かべます。

月性は吉田松陰同様、赤禰武人、大楽源太郎、世良修蔵ら有為の人材に薫陶を与えるも、その門下生の多くが非業の死を遂げており、そこには首都・萩に在する松下村塾系学閥の向こうを張り、さらに権力を奪取しようとしたことで徹底的に目の仇にされて潰された・・・という権力闘争の側面もあるようです。
いざとなると、殿様を有し、行政機能を持つ首都の学閥の底力は凄かった・・・と。
少し、不吉なようですが、非松下村塾系である菅 直人総理はその意味では、これまでの長州系総理と違い、後ろ盾なくして総理になったといえ、この点はどのような手腕を発揮されるか興味あるところですが、ただ、高杉晋作だとて、ただ一騎のみで「功山寺決起」軍事クーデターに踏み出したことを思えば大いに健闘を期待したい次第です。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-18 07:01 | 政治 | Trackback(1) | Comments(4)

万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 後編
親愛なるアッティクスへ

少し間が開いてしまいましたが、今更ながらの後編・・・、このシリーズのシメです。

盧武鉉前韓国大統領も、オバマ現アメリカ大統領も、もう少し、日本の小泉純一郎元総理のように、支持率低下について聞かれたなら、「支持率に一喜一憂せず」なんて、平然と言い放つくらいあって良いと思うんですよね。
所詮、支持率なんて、上がったり下がったりするもんなんですから。
(でも、小泉内閣は国民の支持率に支えられていた政権でしたから、本当は小泉さんにはもの凄い、精神的重圧があったんでしょうね。彼が、あれだけ、国民の人気が高く、再登板の呼び声があったにもかかわらず、それを振り切るように引退を決めてしまったのも、本音の所では本気で「もう、二度とやらない」、「とてもやってられない」・・・みたいなところがあったのかもしれませんね。)
ましてや、かつて、日本の岸 信介総理は国会議事堂デモ隊に取り巻かれようとも、頑として、考えを変えることはなかったわけで、そういう意味では、政治家というものは、ある程度、横着で良いと思うんですよ。

であれば、オバマくんも、子供に、「どうして、あなたは皆に好かれていたのに、今ではこんなに皆から嫌われているの?」などと聞かれたら、顔を引きつらせたりしないで、傲然と胸を張り、「君も覚えておくが良い。人は本当に自分が正しいと信じたことを行えば、悪く言われるものなのだ」・・・くらいのことを言うべきだと。

ちなみに、万里の長城は私も行きましたけど、私は特に何も感じませんでしたね(笑)。
むしろ思ったのが、この石の積み方は日本人だったらあり得ないな・・・と。
図に書くとわかりやすいのですが、日本人的には、坂をまず一旦、平坦に削り取り、その上に平行に積んでいくのでしょうが、万里の長城では地盤を削り取ることをせず、そのまま、坂の角度に合わせて斜めにレンガを積み、間をモルタル(?)で調整している・・・という。
まあ、地震がないということが前提の国らしい発想だな・・・と。
もっとも、日本だって、レンガブロックなどというものが入ってきたのは明治以降のことで、レンガというものが普及しなかった日本ゆえに良いように言えることだ・・・というご指摘があるかもしれませんが、そもそも、日本人が採用(普及)しなかった中国伝来の物として、「宦官」、「家畜」・・・と、もう一つは何でしたっけ?、忘れましたが、それらプラス、私は、「レンガ」というのもあるのではないか・・・と思います。

e0027240_1149484.jpgこの万里の長城でも、始皇帝の建築・・・と言われてますが、実際に先日、オバマくんが行ったやつはの時代の物で、大半が確か北虜南倭の時代に補強された物のはずですから、おそらく、16世紀後半の物ですよね。
であれば、日本は戦国時代であり、平城に移行する前の山城石垣を見ても、随分、趣が違うように思います。
(←13世紀元寇防塁・・・ではないかと言われている物です。もっとも、こちらは、波打ち際ですからこういう積み方になるのでしょうが・・・。)
もっとも、中国のレンガで出来た防塁日露戦争の頃まではしっかりと砲弾を跳ね返したそうですから、機能が十分であれば問題ないわけで。

                                         平太独白

by heitaroh | 2009-11-28 07:05 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

鳩山内閣発足に見る御輿の論理とOOO
親愛なるアッティクスへ

本日午後、衆参両院で首相指名選挙が行われ、民主党の鳩山由紀夫代表の第93代内閣総理大臣就任が決まったとか。
で、今夜、正式に鳩山内閣が誕生するそうですが、この政権については小鳩内閣などと揶揄されるように剛腕で知られる小沢一郎幹事長の存在が際だっているようですね。
(思わず、かつて、角影内閣とか、田中曽根内閣などという言葉を投げかけられた政権があったのを思い出しました(笑)。)
これについては、先日も、麻生太郎前総理の祖父・吉田 茂元総理から政権を奪ったのは鳩山新首相の祖父・鳩山一郎元総理であり、この鳩山一郎政権の実質的オーナーと言っても過言ではなかったのが、大物・三木武吉翁・・・ということは申し上げましたよね。
その意味では、鳩山政権とは大物に担がれることを選択した政権という風にも言えるわけで、これは単に歴史は繰り返す・・・というようなものではなく、あるいはDNA家訓のようなものがあるのかもしれません。

もっとも、私はこの「御輿に徹する」という選択自体は、決して悪くない、十分に「有り」の権運営手法なのだろうと思います。
(かつて、小泉純一郎元総理が「丸投げ」などと批判されたことがありましたよね。この点は、まあ、理想を言えば、一国のトップとなるような人はすべての分野に、すべてに置いて秀でていることが望ましいのでしょうが、現実世界ではそういうユリウス=カエサルのような人は希で、そういう人物の登場を待ち続けるというのは、国民生活、国家運営という上では決して現実的ではあるとは言えません。カエサルの跡を継いだオクタヴィアヌス、後のアウグストゥスが自らには軍事部門の能力が欠如していることを認識し、この部門をアグリッパという有能な盟友に託したことがその好例でしょうか。)

ただ、御輿というのは口で言うほど簡単なことではないんですよ。
一番最悪なのは御輿が担ぎ手にライバル意識を持つこと・・・。
最初は納得ずくで任せていたのに、次第に大番頭の声望が高まるに連れ、「あの野郎!社長はあくまで俺なんだぞ!」となるのが好例でしょうか。
(かつて、海部俊樹総理(当時)は記者会見で「小沢幹事長」にばかり先に質問が行くのを見て、たまりかねて、「先に総裁に聞くようにしてください」と言ったことがありましたが、「御輿」というのは、時にはこういう扱いにも耐えなければならないということを意味しているわけです。)
さらに言えば、当然、他の重役たちも大番頭ばかりが目立つのは良い気がしないでしょうから、事あるごとに、大番頭の悪口を吹き込むことも考えられるわけで・・・。
この点が、あくまでリーダーに重心がある「丸投げ」との相違だと思います。

で、結論を言えば、安倍晋三元総理の祖父・岸 信介元総理は(ややこしい?(笑)。)、総裁選だったかの折、「俺は御輿だ。御輿がうまく舞うかどうかは担ぎ手の君たち次第だ。さあ、良いようにしてくれ」と言ったと聞いていますが、この言葉こそ、「御輿に徹する」という言葉の意味を端的に表したものだと思いますが、さて、如何でしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-09-16 19:05 | 政治 | Trackback(1) | Comments(2)

安倍総理の通信簿 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

安倍政権発足時の閣僚人事を見て、まず、最初に思ったのが、「やはり、経験不足が出たな」というものでした。
典型的な論功行賞人事・・・という以前に、あんなに、仲間内で閣僚人事を固めたら、他からの反発が出るんじゃないか・・・と。
安倍政権で、次から次に出ている閣僚の不祥事問題などというのは、結局は、ミートホープ不二家などと同類のものなので、内部告発なのではないか・・・と。
まあ、実際のところはわかりませんが、これだけ、次から次に出てくる政権というのも珍しいですよ。
前任者の小泉さんが、人事は派閥にとらわれなかったのをみて、安倍さんは勘違いしたのでは。
小泉さんは、かなり、派閥にとらわれない人事をしたとはいえ、仲良しだけを登用したわけではありませんでしたからね。
その後、決定的に失望したのが、優勢造反組の復党だったのですが、この点、父、晋太郎氏が、「オレも人が良いけど、息子はもっと人が良いから心配だ」と言っていたといいますが、つまりそれは、抵抗勢力からすれば、「御しやすい」ということにもなるわけで、その心配的中するような形になっているかと・・・。

次に、失望したのが、平太郎独白録 : 総理の増税論議先送りに見る木から落ちても猿の選挙制度。の中でも申し上げた「消費税増税を主張してきた石 弘光 政府税調会長」、「財政再建推進論者だった与謝野 馨 自民党税制調査会会長」を辞任に追い込んだことでした。
何だか、参議院選挙が片づくまでは、なりふり構わず、増税の「ぞ」の字さえも口にさせまいとしているように感じました。
ブッシュ現アメリカ大統領が就任当初、国内経済の歓心を買うために京都議定書の批准を拒否したことを思い出しました。)

彼がそこまでする理由としては、「憲法改正」ということがあるのでしょうが、私は、時の政権が自分なりの命題を持つことは決して悪いことだとは思ってません。
小泉さんの時も、平太郎独白録: 何も決まらないのは、選択を誤るよりも弊害が大きい。で申し上げたように、日々浮上してくる課題とは別に、国家百年の計に鑑みた命題を持つということは、一国の総理を志す人間なら持っていて然るべしだと思うからです。
ただ、安倍さんのそれは、どこまで思想的な背景があってのことなのかという点が、大きな疑問なのです。

彼が、憲法改正を悲願にしている理由・・・、それは、祖父、岸 信介元総理がなし得なかったこと・・・という、ただ、それだけの理由のような気がするのですが如何でしょうか?
憲法改正論議を聞いていても、担当の舛添要一さんや他の野党の担当議員ほどには、理解がないように思えます。
その意味では、のなし得なかった「総理総裁」というものの続きを・・・、祖父のなし得なかった「憲法改正」というものの続きを、単に無邪気に追い求めているようにしか思えないのです。

岸さんと安倍さんでは、血は繋がっていても、経歴や経験などの点で、全く別の能力者であることは明々白々なのであり、何より、時代背景がまるで違うということを認識した上で、主張しているのか?と言う点で、安倍さんには事の是非以前に、少々、危うさを感じます。
(この点でも、ブッシュ大統領が、出てきてすぐに、尊敬するレーガン元大統領の時代のスターウォーズ計画を再度、持ち出してきたことを思い出しました。以前、平太郎独白録: 連動する日米の政権・・・。そして、小泉後・・・。でも、申し上げましたように、やはり、あの二人は似ているのでは?)

続きは股(?)明日。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2007-07-24 08:05 | 政治 | Trackback | Comments(4)

日本の中枢で現代も生き続ける長州閥
以前、岸信介元総理大臣について書かれた本を読んだことがあります。
私が興味があったのは、岸とは実弟佐藤栄作の夫人を通して義理の伯父に当たる松岡洋右元外務大臣(国連脱退時の全権代表にして三国同盟の立役者。)との関係を知りたかったからです。
二人は、満州国「2キ3スケ」と言われたうちの二人で、かつ同郷で親戚同士でも有れば、当然、他者には入れないような濃厚な関係があったと思うのが普通でしょうが、佐藤と松岡の伝記には、ここら辺のことについては、実にあっさりとしか書かれていませんでした。

私が松岡と岸、佐藤兄弟の関係を知りたいと思った理由、それは、明治日本を牛耳った藩閥のなかで、閥としては大正期の山本権兵衛を最後に完結している薩摩閥に対し、長州閥はしぶとく生き続けたと思うからです。
かつて、司馬遼太郎さんは、「革命というものは三世代に渡ってなされる。まず第一に思想家が出てくる。長州においては吉田松陰、薩摩では島津斉彬がこれにあたるが、多くは非業の死を遂げる。第二にその後を受け、革命家が出てくる。高杉晋作、桂小五郎、西郷吉之助、大久保一蔵らがこれに当たる。そして、これも多くは、事半ばにして死ぬ。そして最後に出てくるのが政治家であり、伊藤博文、山県有朋、井上薫、松方正義、黒田清隆、大山巌、西郷慎吾らがこれに当たる」と言っておられましたが、(その論で行けば、第一世代には孫文、マルクス、第二世代は毛沢東、レーニン、第三世代は、鄧小平、スターリンらがあたるのでしょうか。)そう考えれば、伊藤、山県、井上ら第三世代の後も、児玉源太郎、乃木希典ら日露戦争の英雄をはじめ、桂太郎、寺内正毅、田中義一となおも三人の首相を輩出し続けた長州閥・・・。

ここら辺は、恬淡とした伊藤博文と違い、閥意識が強かった山縣有朋という人の性格が、こういう結果を導いたのかもしれません。
なぜなら、桂、寺内、田中の三人は山縣の影響下にある軍人出身の首相であり、そして、その最後の門下生こそが松岡洋右なのです。
なぜならば、松岡の仲人は山県の懐刀であった田中義一元首相であり、その松岡と縁戚関係で繋がりを持つのが、岸信介佐藤栄作の兄弟総理であり、この二人が戦後、巨頭として隠然たる勢力を誇ったばかりか、そのあと、総理には届かなかったとは言え、岸の娘婿である安倍晋太郎が巨頭として存在感を誇り、それはその子、安倍晋三に引き継がれているのではないでしょうか?
二階堂進ら、鹿児島出身の有力政治家がいないわけではありませんが、彼らはで存在しているのであり、閥としての繋がりがあるようには感じられないのに対し、長州閥というものは上述のように、閥としての流れを維持したまま、存在しているように思えます。
ここら辺が、長州怜悧と呼ばれる長州人の県民性なのかもしれません・・・。
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-06-23 08:04 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

黒澤明と勝海舟の同時代性
親愛なるアッティクスへ

e0027240_16231933.jpg先日、家で晩飯を食っていると、小学生の息子が「聖徳太子について教えて」と言ってきました。
「ほう!もう、聖徳太子など習っているのか」と思ったものの、それならば、以前、買ってあげていた偉人伝記に載っていたことを思い出したので、それを見てみろ・・・と言ったところ、「いや、載ってない」と。
「載っていたはずだ」と言うと、再び、やってきて、「やはり、載ってない」・・・と。
はて・・・と思い、私が手にとって調べてみるとしっかり載っている・・・。
「載っているじゃないか」と言うと、「聖武天皇は載っていない」と言う。
で、「ん?聖徳太子だろう?」と言うと、「いや、聖武天皇だ」と(笑)。

「聖武天皇なんて学校で習うのか?」と言うと、「いや、大仏について調べているから」と言われ、「ああ、なるほど、そっちか」・・・と。
それならば、・・・と思いつつ、念のために、その伝記の本を手に取ったところ、巻末に、偉人の生きた年代がグラフになって載っている・・・。
それを見て、改めて、意外に思ったのが、幕末の英雄・勝海舟昆虫記で有名なファーブルが同年生まれであるということ、そして、そのファーブルが死んだとき、映画監督の黒澤 明はすでに生まれていた・・・ということでした。

つまり、黒澤 明が子供の頃まで勝海舟は生きていた・・・・ということになるわけですが、ファーブルはともかく、黒澤 明といえば、つい、最近亡くなった人でもあり、何より、あの人が作った映画を私は「影武者」以降、リアルタイムで見ていたこともあり(黒澤作品としては、晩年のほんの一部に過ぎないのでしょうが)、私的には自分と「同時代人」だというような気がしていたので、それが、あの、江戸幕府の高官で歴史の教科書の中に出てくる勝海舟と時代が重なる・・・というのは、少し、不思議な気が・・・。

そういえば、安倍晋三さんの祖父である岸 信介元首相は、若かりし頃、郷土の英雄・高杉晋作に憧れたといいますが、よく考えてみれば、岸元首相と高杉晋作は祖父と孫くらいの年齢差でしかなく、となれば、岸元首相のそれは、今日の「高杉ファン」の漠然としたそれとは違い、「さっきまでそこに座っていた人」のような生々しい温もりを持った「目標」だったのかもしれないな・・・と。
岸元首相が子供の頃には、周囲には、実際に高杉と行動を共にした人や、身近に高杉の謦咳に接した人なども少なからずいたはずでしょうから。
                           平太独白
by heitaroh | 2007-06-06 17:15 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

軍人は星の数で相手を見るにみる肩書きの是非、その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。
本当は来週書こうかなと思っていたのですが、鉄は熱いうちに打て・・・と言いますので。
そのぶん、来週、手抜き・・・するかもね(笑)。

戦前、岸 信介元首相が、東条英機内閣商工大臣になった折りのこと、新任挨拶に行くと、東条首相から、「君の官位を正三位(?)にしておくよ」と言われたとか。
岸大臣は、「そんなの必要ないですよ」と言ったところ、東条首相は、「いや、これからは、立場上、軍人との折衝が多くなる。軍人というものは、相手を星の数(大将、中佐、少尉などの位を表すバッジ)で見るものだ。だから、官位はあった方がいい」と言われたとか。
(そういえば、ジパングという漫画で、タイムトラベルした自衛官が自らの名前の後に、「一佐」と付けて名乗ったら、帝国軍人らは、「一佐?」と少し、ポカンとした後、「佐官級かよ!」と言って、一斉に立ち上がって敬礼した・・・というシーンがありましたね。まあ、漫画の中の話ですけど、現実にも、これに近い世界があったんじゃないですか・・・。)

この辺は、如何にも、憲兵隊上がりの軍人官僚、東条首相が言いそうなことですが、確かに、私も、あまり、この手の話は好ましいと感じるものではありませんが、だからと言って、一概に否定できない部分も持っていると思います。
自分がそうでも、相手が、それを好む人間の場合、何の立場であるか、どういう権威で物を言っているかをはっきりさせておいたほうが良い場合もあるからです。
役職や権威がないと、相手が動かないという場合(現実)もあるんですよね。

また、軍隊の制度に、ライン=スタッフ制というのがあります。
いわゆる、参謀制度というものです。
これは、その組織の規模にもよるのですが、組織が一定以上の規模になってきた場合、「考える部門」「実行する部門」を分けた方が効率的だということです。
以前、あるテレビ番組で、「おふくろの味」と言いながらも、実際に家庭の主婦が作ったきんぴらごぼうと、スーパーの出来合いきんぴらごぼうとが、どちらが、美味いか・・・というのを、目隠しをして、食べ比べていたのですが、結果は何と、多くの人が、スーパーの出来合いに軍配を挙げました。
でも、これは、本来、無理からぬことなんですよね。
なぜなら、スパーの出来合いを作っている人は、毎日、きんぴらごぼうばかりを作っているわけで・・・。

それと同じで、工場のラインで、毎日、部品を作っている人は、余計なことは考えずに、毎日、同じ部品だけを作らせた方が効率的なんですよ。
部品を改良するとか、ラインの改善であるとか、考える部門は、考える専門のスタッフチームに考えさせたほうが効率的なわけで・・・。

今度こそ、そのうち、続く・・・ことになると思います。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-03-17 08:55 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 19:21
わたしは小学生の頃、少し..
by sakanoueno-kumo at 10:11
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧