奥村綱雄
「男子三日見ざれば刮目せよ!」現代版、成長の条件。 [2007-11-17 08:03 by heitaroh]
野村證券元会長、奥村綱雄の失意にみる創業者の役割 [2007-02-05 08:51 by heitaroh]

「男子三日見ざれば刮目せよ!」現代版、成長の条件。
親愛なるアッティクスへ

先日、久々に、ある先輩と会食したのですが、その方は、何でも、最近ではボランティアで外務省の留学希望者審査・選考などもやっておられるとのことでした。
で、先日も、その面接があったそうで、その折、前もって用意された質問項目の中に、「最近、あなたが一番ショックだったことは何ですか?」というものがあったそうです。
すると、ある若い女性が、「あのー、こんなこと言ってもいいのでしょうか・・・」と少し戸惑った様子で前置きした後、「長いこと、付き合ってきた彼と別れたことです」と言ったとか。
その先輩は、それを聞いて、「『こんなんじゃダメだ!』と思った」とのことでしたが、私は「そうでもないですよ」と翻意をお願いしました。

かつて野村証券元会長であった奥村綱雄という人は、若い人を見つけては、「人間は、若いうちに、失恋とか落第とか、ときには投獄といった、どん底の経験を味わわないと、一人前にはならないぞ!」と言っていたといいます。
また、この人は、戦後、45歳の若さで大・野村證券の社長に就任した人なのですが、このとき、就任挨拶として、電力の鬼と呼ばれた老財界人、松永安左衛門の元を颯爽と訪ねたところ、逆に、「きみぃ、いやしくも経営者たるもの、投獄・倒産・大病3つのうち、2つを経験して一人前だという。僕はこのうち、投獄倒産を経験した。君はいくつ経験したのかね?」と言われ、悄然として帰ったという話を聞いたことがあります。

失恋、落第、大病、投獄、倒産・・・、どれも好きこのんで経験したいものではありませんが、これらの体験は、いやがうえにも人間を成長させるものではないでしょうか。
まさに、「女子、三月見らざれば嘆息するも、男子、三日見ざれば刮目せよ!」とはこういうことを言うのでしょう。
今の世の中、男女平等ですから(笑)、男子女子というとらえ方ではなく、要は体験の内容という風に捉えて頂ければいいかと・・・(嘆!)。
もっとも、失恋、落第というもののステータス(?)は現代では随分下がったようにも思えます。
この点で、この定義を現代風に当てはめるなら、「失恋」ではなく「離婚」でしょう・・・。その意味では、落第はむしろ「リストラ」かと・・・。
それでも、この女性のように、こういった面接の場で、それを口に出来るということは、周りの見解は別にして、本人的にはもの凄いショックだったのでしょうから、その意味では、素晴らしい体験であったでしょう。
人間、誰しも、痛み方は人それぞれですから。

それに何より、まだ、こういったうら若い女性に、「大病、投獄、倒産、離婚、リストラ」の経験を求めるのも酷ではないかと・・・(笑)。
ちなみに私は、このうち、ようやく、2つ半を経験致しました。
(詳細は聞かないでください(笑)。)
まだまだ、一人前にはほど遠いですね。
ところで、いくつお済みでしょうか、御同輩・・・。

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# by heitaroh | 2007-11-17 08:03 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

野村證券元会長、奥村綱雄の失意にみる創業者の役割
親愛なるアッティクスへ

以前、平太郎独白録 「『男子三日見ざれば刮目せよ!』現代版、成長の条件。」で触れた人物に、野村証券元会長奥村綱雄という人が居る。
戦後間もない昭和23年45歳の若さで大野村證券の社長になり、野村證券中興の祖とまで呼ばれた人であり、昭和30年代財界では、飛ぶ鳥を落とす勢いとまで言われた人物である。
だが、今では、この人の名を知るものは決して多くはないであろう。

明治36年(1903年)、滋賀県信楽菜町に生まれ、京都帝国大学経済学部卒業後、野村證券へ入社。
前述の通り、昭和23年に社長就任の後、昭和34年に会長就任、昭和43年に相談役に退き、昭和47年、69歳で死去している。
この人が、中興の祖とまで呼ばれる所以は、社長就任後の昭和26年、連合軍との交渉の末、証券投資信託法を実現させ、委託会社の免許を受ける事に成功し、財閥指定を受けていた「野村」の社名を守り通したことにあるだろう。
ただ、この人が、そうまでして守り抜いた「野村」の社名だが、私的には、ここに、彼個人の「野村」に対する、ある「想い」があったように思えてならない。
それが、創業者、野村徳七に対する「想い」である。

昭和5年、奥村が、まだ若い調査部員時代、時の濱口雄幸内閣の目玉政策であった金解禁に際し、これが失政に終わると予感した奥村は、それを逆手に取り、野村の商勢を拡大することを思いつく。
即ち、当時の大蔵大臣 井上準之助の政策に反するパンフレットを書き、それを地方銀行に配布したのである。
ところが、そのパンフレットが、日本銀行大阪支店長の目にとまってしまったことで、奥村は「国賊」呼ばわりされたばかりか、当時の野村證券社長が辞表を出す騒ぎにまでなってしまった。
こうなっては、当然、野村證券としては、奥村を陽の当たるところに置いておくわけにはいかず、登録係という座敷牢に等しい閑職に追いやった。
クビにならないだけ感謝しろ・・・というところだったろう。

このとき、それをじっと見ていた人物がいた。
野村財閥創業者、二代目 野村徳七である。
このとき、野村は、折から、結成された満州国経済開発視察団員に、自分の代理として、失意の淵にあった、この奥村を派遣することにしたのである。
この視察団というのは、単なる業界の懇親旅行ではない。
団長は、当時の大阪商工会議所会頭、副団長は、後に会議所会頭になった財界の雄・杉道助、さらに、団員の中には、後に帝人社長となる大屋晋三などがおり、そうそうたる顔ぶれであった。
この中に、一介の中堅社員で、しかも「座敷牢」にいる奥村が抜擢されたのである。

奥村は後に、こう語っている。
「当時、私は34歳。この常識を無視した人選に、血の気の多い私は、体が震えるほどに感激した」と。
奥村は野村の期待に応え、満州で独自の慧眼を発揮し、当時、満州国の運営を仕切っていた関東軍第四課に、「このまま、満州国経済運営を任せておくべきではない」という報告をした。
その結果、第四課に代わって、満州国の経済運営は、鮎川義介、高碕達之助らの実業人の手に委ねられることとなったのだが、これにより、「野村証券に奥村有り」と知られるようになった奥村は、終戦後、上層部が公職追放になったことで、先述の通り、45歳の若さで、一躍、社長にまで登り詰めたのである。
このことを考えれば、奥村が「野村」の名前を残すべく、強大な権限を持つ占領軍に立ち向かった背景には、野村は野村でも、「恩人、野村徳七の名を消さないことに対する想い」がありはしなかっただろうか・・・。

ともあれ、このときも、野村徳七の度量の大きさと、「しっかり見てくれてたんだ」という、奥村の感激がなければ、後の財界の雄、奥村綱雄はなかったであろう。
この点は、以前、平太郎独白録 「三代将軍家光、人材抜擢の妙!」の中で述べた徳川家光人事手腕にも共通するものがあるのかもしれない。

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# by heitaroh | 2007-02-05 08:51 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by heitaroh
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」と「固定資産税」。

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年、共に完売となり絶版となる。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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