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上海万博寄稿文「中国人の中国人による中国人のための万博」
親愛なるアッティクスへ

本日も、何とか、起稿しなければ・・・と思うのですが、哀しいかな15分くらいしか時間がありません。
ということで、以前、上海万博に行ったときのことを、ある会報誌に寄稿しましたので、それでごまかしたいと思います。
以下。
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去る六月、某視察団の末席に加わり上海へ行く機会を得た。
出発当日、上海空港に着き、携帯のスイッチを入れたところ、「鳩山首相、小沢幹事長と共に辞任」のニュースが飛び込んできた。その後、帰りの飛行機の中で新聞の見出しを見て次の首相が菅直人氏に決まったと知った。よくある話である。

上海万博は私にとって大阪万博以来40年ぶりの万博である。当時、9歳紅顔の美少年49歳厚顔の・・・となっていたことが時の移ろいを如実に表していたのだろうが、初恋の人はやはり想い出の中に留めておくべきであったのだろう。率直な第一印象を言わせて戴ければ、この40年での世の中の変わり様から考えれば「大してかわり映えしていないな・・・」と思えた。

e0027240_1272040.jpgやはり、我々の世代にとって大阪万博というものは、「日本の未来は永遠に明るい」と信じて止まなかった光り輝く少年の日の記憶であり、いうならば、40年ぶりに初恋の人に相見えることができるような、思い入れに似たものがあったのかもしれない。

その上で、今回の万博を私なりに一言で総括するならば、
「中国人の中国人による中国人のための万博」であると言って良いように思える。

e0027240_1292587.jpgそれを語る上で、私がまず感じたのは、会場内を見た限りでの「アジア系以外の来場者の少なさ」である。無論、私が行ったこの一日だけをして軽々に論じてはならないことは重々承知しているが、敢えて言わせて戴くなら、まず、見たところ95%がアジア系、そのうちおそらく90%中国人だったのではないだろうか。(白人、黒人はスタッフ以外、数えるくらいしか見かけなかった。)
次に思ったのが、場内アナウンスなど、中国語だけの物が少なくなかったこと。

場内放送について言えば、英語の放送がまったくなかったわけでもないし、あるいは、はっきりと中国人とわかった相手に呼びかける内容のものだったのかもしれないが、土産物屋でもレストランでも、事実上の世界公用語である英語が通じない店員が少なくなかったことは、最初から中国語を話す人だけが来ることを前提に企画されているのではないかという印象を持ったし、ましてやスペイン語、アラビア語、日本語、韓国語などは説明文すら皆無といって良い状態であり、この点は日本館でさえも例外ではなかった。これは、巨大な中国市場に対する自国技術の見本市という側面もあるのだろうが、万博が国際的なイベントであることを考えれば、やはり、少々、違和感を覚えざるを得なかっただろう。
そう考えると、この万博は外国人を呼び、外貨を稼ぐことが目的ではなく、中国人に「中国の発展と栄光」を見せ国内の不満を和らげる、平たく言うならば「中国国民への慰労」が目的なのではないかと思えるのである。

ただ、帰国後の新聞に、「開幕当初は入場者が低迷したことから、大阪万博を上回る七千万人の目標を達成するために団体客を動員しているとみられている」という報道が為されていたが、これは少し違うように感じる。つまり、中国当局にとって問題なのは「如何に七千万人を達成するか」ではなく、「如何に七千万人に抑えるか」であり、事実、入場券は当日券のみで事前販売は一切無しにしているということであったし、おそらく、「皆、入って良いよ」と言えば七千万人などという数字はすぐにクリアできるのではないだろうか。もっとも、そこで起きる混乱を度外視すれば・・・だが。
一方で、実際、小・中学生の見学はこの日だけでも多数、目にしたが、果たしてそれを「動員」と呼んで良いのかと言われれば、これまた少し違うようにも思う。(大阪万博だとて、私は毎日でも行きたかったし、近在の子供たちはおそらく行ける限り、何度でも行ったはずである。それを「動員」と言われれば違和感があっただろう。)
つまり、観客の動員は動員でも目的が違っており、すなわち、入場者数を確保することが目的ではなく、より多くの国民にこれを見せることが目的であると考えれば、この万博のまた違う一面が見えてくるのかもしれない。

最後に、翌最終日、上海の街に別れを告げ、一路、機上の人となったが、この日は天候が思わしくなかったこともあり、離陸後、しばらくして窓外に目をやると一面に雲海が敷き詰められた光景が広がっていた。私は思わず、大阪万博へ向かう為、初めて飛行機に乗り、初めて雲の上を目の当たりにした40年前の日のことを思い出した。
このときも、突然、目の前に拡がった雲景はこの世の物とは思えぬほどに神秘的で、わかってはいたものの、「ここは一体、どこなのか?」と思わず目を見張った。遠い昔の記憶である。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-08-06 17:54 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

中国人の中国人による中国人のための万博 その7
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_13591072.jpgということで、「万博」に来ていながら、行ったのは日本館日本産業館だけ・・・という、これまた、「日本に住んでるんだから、別に行かなくていいジャン」みたいな結果に終わったわけですが・・・、ああ、北朝鮮館(←)にも行ってました。
ものの見事に綺麗に忘れていました。

ここだけは行列しなくても普通に入れましたからね(笑)。
と、そんなこんなで上海万博の一日は終わり、夜は更けていきました。

e0027240_13291387.jpg


e0027240_13365948.jpgで、翌日、上海の街に別れを告げ、一路、機上の人となったのですが、この日は天候が思わしくなかったこともあり、飛行機に乗り込むとすぐに雨・・・。
ところが、離陸後、しばらくして急に天気が良くなったので、ふと、窓外に目をやると、眼下には見渡す限り一面の雲海が・・・。

私は、思わずこれを見て、40年前、大阪万博会場へ向かう為、初めて飛行機に乗り、初めて雲の上を目の当たりにしたときのことを思い出しましたね。

e0027240_141818.jpgこのときも、雨雲を突き抜けると、突然、さきほどまでの薄暗い天気が嘘のように快晴になり、目の前に拡がった風景はまさに「天国」・・・というような感じでした。
わかってはいたものの、思わず「ここはどこ?」と親に聞いたことを覚えています。

ま、遠い昔の記憶です…。

e0027240_1342108.jpgちなみに、福岡空港に到着した時、後ろの座席の知らないおじさんが「もう一度行く話があっても、もう、2回も行かんでもいいな」と話している声が聞こえましたが、おそらく、私も含め、その飛行機に乗っていた人の大半に共通する率直な感想ではなかったでしょうか(笑)。

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-12 08:26 | その他 | Trackback | Comments(2)

中国人の中国人による中国人のための万博 その6
親愛なるアッティクスへ

昨日からの続きです。

e0027240_10473235.jpg昭和45年(1970年)の大阪万博の時、私は土曜を休んで一泊二日ででかけたのですが、(当時は土曜は休みではありませんでした。半ドン、いわゆる、午前中のみの授業ですね。これが、私の義務教育中、唯一の親公認の休みでした。)初日は午後に着いて、太陽の塔その他、かねてより行きたかったパビリオンを廻ったのですが、折悪しく、この日は雨・・・。
それが、翌日は快晴で、「やったぁ!今日は天気も良いし、昨日行けなかった所に行くぞ!」と思っていたら、親からムリヤリ、アメリカ館に連れて行かれ、行列で半日が終了・・・。
不平紛々でこの「修行」を終え、そのまま昼食へ・・・。

e0027240_1125693.jpgところが、なぜか、うどんが無くて、私が嫌いな蕎麦しかないんですよ。
(今考えたら、大阪だろ・・・と思いますけどね。)
しかも、ざるそばならまだしも、なぜか、汁の入ったそばしかない・・・。
一口食ったけど、やっぱりまずくて食えず、何を食ったか覚えてません。

e0027240_1162612.jpgで、気を取り直して、午後から・・・と思ったら、今度はまた、行きたくもないソ連館へ連れて行かれ、結局、貴重な午後の時間はまたしても行列で終わりました。
私にとっての一大痛恨事でした。

「恨めしや
  嗚呼恨めしや
     月の石」


e0027240_10393276.jpgなぜ、そのような昔話を申し上げたかといいますと、私は今回の上海万博ではパビリオンの周りを取り巻く、もの凄い行列に辟易し、最初から並ぶのを放棄したからです。
で、行ったのが日本館日本産業館(←大阪万博の時もこういうのありましたよね。)でした。

で、日本館について言えば、先日も少し申し上げましたように、日本館なのに日本語の説明は殆ど無いし、何より、出し物がなぜか京劇ですからね。
何で、日本館なのに京劇なんだ・・・と。
これなども、中国人に興味を持ってもらうということだけが念頭にある、つまり、中国人しか見に来ない・・・ということが前提なんじゃないですか?
その意味では、むしろ良かったのが日本産業館・・・。
日本語が無いのは同様でしたが、無くてもAKB48アキバ系も出てるなど文化発信という意味ではしっかりと「国威発揚(?)」に務めてましたよ(笑)。
やっぱ、お役所主導(日本館)だとああいう無味乾燥なものになっちゃうんだろうな・・・と。

明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-11 08:38 | その他 | Trackback | Comments(0)

中国人の中国人による中国人のための万博 その4
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_11562740.jpgこの点は、巨大な中国市場に対する自国技術の見本市という側面(出展国側の思惑)もあるのしょうが、それでも、万博という物が世界の人に見せることを目的として作られていることを思えば、昨日述べたそれらのことにはやはり、少々、違和感を覚えました。

実際、日本館でさえも、ステージ上の言葉はすべて中国語で、日本語は通訳ひとつなく、説明文もわずかでしたしね。

e0027240_114288.jpgそう考えると、このイベントは外国人を呼び、外貨を稼ぐことが目的ではなく、「中国人に見せることが目的」なのではないかと・・・。
つまり、「中国の発展と栄光」を自国民に見せ、国内の不満を和らげることが目的の万博なのではないかと思ったわけです。

e0027240_12101535.jpgつまり、観客の動員は動員でも目的が違っており、すなわち、入場者数を確保することが目的の動員ではなく、より多くの国民にこれを見せることが目的の動員である・・・と。
そう考えれば、この万博のまた違う一面が見えてくるような気がします。

e0027240_11491175.jpg(←日本産業館裏に突然、出てきたコンパニオンのお嬢さん方の一団。何をするのか・・・と思っていたら、整列した上で、一斉に、「いらっしゃいませ!」「有り難うございました!」・・・と接客の練習。慣れてないのはわかるのですが、「今頃?」って気も(笑)。)

目標入場者数達成について言えば、おそらく、「皆、入って良いよ」と言えば、七千万人などという数字はすぐにクリアできるのではないでしょうか。
もっとも、そこで起きる混乱を度外視すれば・・・でしょうが。

e0027240_12192843.jpg一方で、実際、小・中学生の見学はこの日だけでも多数目にしましたが、果たしてそれを「動員」と呼んで良いのかと言われれば、これまた少し違うようにも思うんですよ。
現在でも、ディズニーランドUSJの近在の子供たちは少なからず年間パスを持っているのを見かけますよね。

それと同じで、大阪万博だとて、近在の子供たちはおそらく一度きりでは無く、何度でも足を運んだはずで、それを「動員」と言われれば、彼らには大いに違和感があったんじゃないですか。


明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-09 08:34 | 国際問題 | Trackback | Comments(6)

中国人の中国人による中国人のための万博 その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_10353632.jpg私にとっては大阪万博以来、40年ぶりの万博です。
当時、9歳紅顔の美少年も、晴れて前日に厚顔の49歳となっていたことがそれを如実に表しているのでしょうが、やはり、我々の世代にとって万博という物は、「日本の未来は永遠に明るい」と信じて止まなかった光り輝く少年の日の記憶であり、上海万博は、いうならば40年ぶりに小学校の時の初恋の人に相見えることができるというような、思い入れに似たものがあったのかもしれません。
が、初恋の人はやはり、想い出の中に留めておくべき物なのでしょう。
正直な感想を言わせて戴ければ、この40年での世の中の変わり様を考えれば、大して、かわり映えしないな・・・というものでした。

その上で、今回の万博を私なりに一言で総括するならば、
   「中国人の中国人による中国人のための万博」
であると言って良いように思えます。

e0027240_10381182.jpg私がまず感じたのは、「アジア系以外の来場者の少なさ」です。
(←中国人はメインディッシュにしか興味ないようで結構ガラガラ・・・(笑)。)
無論、私が行ったこの日一日だけをして軽々に論じてはならないとは重々承知しているのですが、敢えて言わせて戴くと・・・。

まず、見るところ、95%アジア系、そのうちおそらく90%中国人だったのではないでしょうか。
(白人、黒人はスタッフ以外、数えるくらいしか見かけませんでした。)

e0027240_1033410.jpg次に思ったのが、場内アナウンスなども中国語だけの物も少なくなかったこと・・・。

あるいは、はっきりと中国人とわかった相手に呼びかける物だったのかもしれませんが、それでも国際的なイベントであることを考えれば・・・。

事実上の世界公用語である英語に触れる機会はもっとあっても良かったのではないだろうか・・・と。
土産物屋でもレストランでも、店員は英語が通じない人が少なくなかったようです。
もっとも、買い物してる人も大半が中国人でしたけどね(笑)。
ましてやスペイン語、アラビア語、日本語、韓国語などは、文字すら皆無といって良い状態であり、それは日本館でさえ、例外ではありませんでした。
(多少はありましたけどね。)

明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-08 08:20 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)

中国人の中国人による中国人のための万博 その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_18138100.jpg先日もちらっと申しましたが、昨日まで、訳あって、上海に行っておりました。
が、本日はその反動で、超ぱにくっております。
意識朦朧としております。

で、当然、上海と言えば、上海万博です。
私にとっては大阪万博以来、40年ぶりの万博だったのですが、この40年での世の中の変わり様を考えれば、大して、かわり映えしないな・・・というのが正直な実感でした。
(←いわゆる、日本館です。)

ちなみに、何で私が行くことになったかというと、元々、私、行くつもりなんかまったくなかったんですよ。

あの、もの凄い、人混みを想像しただけで、げんなりしてしまい・・。
(実際、愛知万博だって行ってないわけですからね。)
それが、私の大変、敬愛する大先輩様が、ある、OO関係の経済視察団の一員として行くと言われ、「へぇ」などと言っていたら、「一緒に行かんね(≒おまえも来い)」と・・・(笑)。
「・・・え?」と思いましたが、「限定20名先着順」などと書いてありましたので、どうせ、今更申し込んでも無理だろうと思い、申し込んでみたところ、随分経ってから、「申し込み受け付けました」と来ました。
で、慌てて、先輩に「申し込めしまったみたいです」と報告したら、「あ、俺、キャンセルしたから」・・・と。
「・・・え?」・・・と。
つまり、その先輩がキャンセルされたところへ、私がポッとはめ込まれたようなものでなんのこっちゃ・・・ですよ(笑)。
(得てして、こういう時に飛行機は落ちるもので・・・(笑)。)

e0027240_18104233.jpg「あなたも今からキャンセルすればいいじゃない」などと軽く言われましたが、結局、考えた末に、独り、まったくの場違いな参加者として随行することになり、おかげで、万博に行ったとは言え、行ったのは、「日本館」「日本産業館(←)」だけ・・・と。

これまた、なんのこっちゃ・・・・と(笑)。

まあ、他も行こうと思えば行けたのですが、何とも知れぬパビリオンで1時間待ちの行列は当たり前、人気のサウジアラビア館台湾館、中国館などは6時間待ちなどと聞いたら、もう、とても入る気にはなりませんでした。

しかも、おまけにその行列はじっと待っていれば良いという行列ではなく、絶えず、割り込みとの戦いに神経をすり減らさなければならない行列なわけで・・・。

詳しいことはまた後日。

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-05 18:58 | その他 | Trackback | Comments(0)

貧困への怯えの残滓こそがオイルショックの本質!
親愛なるアッティクスへ

私には、今も忘れられない子供の頃の一つの思い出があります。
それが、昭和48年(1973年)に起こった「オイルショック」です。
あの騒然とした世の中・・・、トイレットペーパーに群がった人々・・・、狂乱物価と言われるほどに短期間で高騰する物価・・・、まるで、日本という「国」そのものが顔面蒼白になったような雰囲気で、それだけに、私も長じてより後、「あれは一体、何だったのか?」ということがずっと頭の片隅にあり、自分なりに当時の政府の実務担当者たちの証言番組を見、様々な回想録なども読んでみたのですが、どういうわけかイマイチ納得できる答えが見つかりませんでした。
(石油が無くなる・・・と言いながら、実際にはこの騒動の期間に付いて言えば、日本の石油備蓄量は足りていたのだそうですね。)
で、最近、ようやく、自分なりに腑に落ちる結論に辿り着いたのですが、それすなわち、「オイルショックとは、日本にまだ貧困というものの記憶が残っていた時代の、最後の残滓ではなかったか・・・」というものです。

これについては、私には今でも鮮明に覚えている記憶があります。
オイルショックが起こったその日、当時、小学校六年生だった私が帰宅すると、母がわざわざ玄関まで出てきて深刻な顔で、「大変なことになった・・・。世の中から石油が無くなるらしい。やっぱり、今までが良すぎたんだ・・・。いつか、こんなときが来るのではないかと思っていた・・・」と言ったことです。

確かにオイルショック前の数年間、世の中は急速に変わっていました。
我が家でもカラーテレビは来る、写真はカラーになる・・・で、その繁栄の頂点こそが昭和45年(1970年)の「大阪万博」だったでしょう。
子供心にも、未来永劫、日本の未来は明るいと信じて疑いませんでしたね。
(ついでに言えば、この頃、父が海外旅行に行ったときは本当に驚きましたね。当時は、1ドル=360円の時代ですし、子供心にも、海外旅行なんて本当に庶民には縁がない夢物語のような感じでしたので。ちなみに、父の最初の海外旅行先は沖縄です。日本に復帰する前の、パスポートが要った時代の沖縄ということです。)

つまり、戦後の貧困の時代から、一転、未曾有の好景気「高度経済成長」を謳歌しつつも、同時に、誰もが皆、心のどこかで、「いつか反動が来るのではないか?」、「今が出来すぎなんじゃないか?」・・・と、この良すぎる時代に対する怯えがあったのではないかと。
それが、単なる産油諸国の「脅し」にすぎなかったものを「見積有効期限1時間」などという狂乱物価へと導いてしまった理由であり、その意味では、たとえ今の日本が同じ状況に置かれたとしても、ああいうことになるようなことはないように思いますね。
                                        平太独白
by heitaroh | 2009-10-13 08:01 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

昭和40年代に子供時代を送った者たちにとっての20世紀
親愛なるアッティクスへ

先日、たまたま、行きつけの床屋で浦沢直樹作のマンガ、「20世紀少年―本格科学冒険漫画」なるものを目にしました。
実は、当初は、見るともなしに見ていたのですが、20巻を過ぎた辺りからどうにも止まらなくなり、次に床屋に行くのを待つことなく、遂にラスト3巻ほど買ってしまいました(笑)。

まあ、ストーリーは、昭和40年代に子供たちが空想で作った人類最終計画を、その中の一人が、新興宗教の教祖になって、次々に現実の物としていくのに対し、他の仲間たちが、それに立ち向かう・・・というもので、言うならば、当時の子供たちに端を発したSFものですので、間違っても、児童文学のような純粋なものを想像されると困るのですが、作者は、我々の2級ほど上らしく、ちょうど、我々の子供時代・・・、つまり、昭和40年代に子供時代を送った者についてよく描かれてあったので、見るともなしに見始めたわけですが、それを見ていて、ふと、思ったことがあります。
それは、昭和40年代に子供時代を送った者にとって、「大阪万博」というものこそ、ある意味、人の世の「象徴」そのものではなかったか・・・ということです。

ご承知の通り、大阪万博・EXP’70というものは当時の子供たちにとっては、まさしく、「夢の世界」であり、いささかの翳りも感じることがない「未来」そのものだったのでしょうが、同時に、本人の実力・努力・人望などに関わりなく、理不尽なまでに、「行ける人」「行けない人」を選別したものだったように記憶しております。
(あるいは、それこそが、昭和40年代の子供たちが大人になって知った現実だったかもしれません。いくら努力しても、実力があっても、「行ける奴」「行けない奴」厳然として存在するという現実・・・。)
と、なぜか、このマンガを見て、ふと、そういう他愛ないことを思い浮かべてしまいました。

ちなみに、以下は、このマンガのアマゾン(上記タイトル)に私が書いたレビューです。
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最近、よく、「2:6:2の法則」というものを耳にする。
「どんな優秀な人たちでも、どんな低俗な人たちでも、人間が集団を構成すると、『優秀者2割、普通人6割、落伍者2割』というものになる」というあれである。
これは、子供の世界にも、厳然として存在する。いや、むしろ、子供の世界だからこそ、それは遠慮無く、如実に表現される物なのかもしれない。少なくとも、この物語の原点である昭和40年代の子供社会には存在していたと言って良いだろうか。
(その意味では、子供社会とは、微妙な階級社会であり、我々、昭和40年代に子供時代を送った者たちは、何だかんだ言っても、今でも、それを引きずっているのかもしれない。「あいつは、昔から、出来るやつだったんだから・・・」とか、「あいつは、元々は、そんなに大したやつじゃなかったんだ」とか言うのがそれであろうか。)

これを、この物語の登場人物に置き換えてみると、オッチョ山根は「上」、ドンキーサダキヨは「下」の階級に属するのであろうが、その意味では、主人公・ケンヂは本来、この物語が始まった時点では、「中」に位置する人ではなかったか?
それが、いつの間にか、ケンジがオッチョと並び称されるほどの「上」の人となっていることにだけは、大いに違和感を感じるところであるし、少なからず、興をそがれる気がする部分でもある。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-09-11 08:50 | 社会全般 | Trackback(1) | Comments(4)

博多駅前史 その18 博多駅地区区画整理想い出編 Ⅴ
親愛なるアッティクスへ

先週の続きで、ビルの屋上から・・・シリーズです(笑)。

この現博多駅前地区においては、革命にも等しい出来事であった博多駅前地区土地区画整理ですが、それから2年後・・・、当時、子供心に「日本の未来は明るい!」と思わせる出来事がもうひとつありました。
それが、万国博覧会・・・、つまり、「大阪万博」です。
万博自体は、当時、国中を沸き立たせたものであり、別に博多とは関係ないんですが、まあ、国中が万博一色だったわけですから、万博開催以前から、「万博」という物は、少年誌にも紹介されてましたし、テレビでも連日、特集が組まれてましたから、万博開催以前から、子供でも知っていたわけですね。
区画整理以降は私の記憶はカラーになったと言うことを申し上げたと思いますが、その点では、この大阪万博でより鮮明なカラーになったと感があります。
いわゆる、「くいんとりっくす」です(笑)。
(ここで笑えるのは、40代以上でしょうか・・・。)

で、小学校二年のあるとき、いつものように、近所のビルの屋上にあるブランコから、一人で周囲の風景を見ていたとき、ふと、ビルが林立し始めた博多駅前という町の風景が、大阪万博のように思えてきたことがありました。
当時、それを、一編の詩にしたのですが、うろ覚えですが、ちょっとだけ披露しますと、

  万国博 ~ビルの上から~

   ビルの上から 辺りを見ていると 
     みんな 万国博のパビリオンに見えてくる

   **ビルは 松下電器館
    ##ビルは 日立館
     ◎◎ビルは 住友館

   博多駅は 太陽の塔だ
      まるで 形は違うけど 
    みんな 万国博のパビリオンに見えてくる


・・・とか何とか、まあ、こんな感じの物でした(汗!)。
実際には、この三倍くらい長かったんですけどね。

ちなみに、このとき、この詩を見た担任が感心し、それをまた、校長先生が感心し、特別に校内報に載せられました(笑)。
ちなみに、それを見た父は、一言、「バカタレ!こんなもん上手でも大工には何の足しにもならん!算数でも勉強しろ!」と宣いました・・・(泣)。

で、くだらない自虐ネタはさておき、本題です。
福岡市は、ご承知の方も多いかとは存じますが、市街地空港との距離が近く、そのため、日本一便利な空港として知られていますが、その反面、その為、規制により高いビルが建てられず、それでなくとも、狭隘な福岡平野ですから、「この利便性を崩すべきではない」という意見があると共に、「発展を阻害している」という意見もあるようです。

e0027240_11312934.jpgで、最近でこそ20階、30階などというのがちらほら在るようですが、かつては12~3階建てばかりであり、となれば当然、有効利用しようと思えば縦に伸ばせない以上、横に拡げるしかなく・・・。
これは福岡の景観上の特徴として、よく言われることですが・・・。

で、平成になって、久しぶりに、うちの前のビルの屋上に上がってみたところ、その風景にびっくり!
元々、ビル街ではありましたが、バブルを経て、ビル街は、林立から乱立へと様相を変えており・・・、つまり、ビルとビルの間のわずかな隙間を惜しむように、同じような横広のビルがびっしりと「敷き詰める」という表現が的確かどうかはわかりませんが、そういう感じになってました。
何じゃこりゃ・・・と、結構、啞然としたのを覚えています。
                               平太独白
by heitaroh | 2006-12-16 08:26 | 地域 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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