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工藤公康氏の横浜監督就任打診にDeNAの勘違いを見る
親愛なるアッティクスへ

横浜ベイスターズの新スポンサーになることが事実上、決まっているディー・エヌ・エー(DeNA)は、新球団の監督に元西武投手で、現在、現役続行を模索中の工藤公康氏に白羽の矢を立てたという報道を耳にしました。
工藤氏もまんざらではないみたいですが、はっきり言って、客寄せパンダであることは誰の目にも明らかじゃないですか。
同社はこれまでにも、元日ハムの新庄剛志氏の監督就任も検討しているというような話もありましたが、はっきり言って、「一体、何を考えてるんだ・・」と言いたいですね。

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同社の春田 真会長は「プロなので目立ってなんぼだと思う」と言っていたそうですが、じゃあ、目立てば良いのか・・・と。
毎度、言っていることですが、ファンは歌が聞きたいのならコンサートに足を運びますよ。
勝てれば良いですが、成績が伸び悩む中、ファンは監督の知名度だけで球場に足を運びますかね?
無論、会長氏の言うことを全否定するつもりはありませんよ。
かつて、巨人の堀内恒夫投手がプロ入りする時、高校野球の監督から、「力投しているように見えるから、一回り大きい帽子をかぶれ」と言われ、「そんなことしなくて良い」と言うと、「アマはそれで良いが、プロはそうはいかん。プロはファンにアピールする物がなくてはならない」という内容のことを言われたという話がありますが、これはこれで一理あると思いますから。

しかし、それは堀内投手がプロ入り1年目から新人王を獲るような大活躍をしたから初めて評価される話であり、結果を残さなかったら、単なる目立ちたがりやで終わりでしょ。
この点は、先述した新庄剛志選手も現役時代、マスクをかぶったりして注目を集めた試合では必ず複数安打を打って結果を残すことを心がけていたと言ってましたが、心がけて簡単に打てるほどプロの世界は甘くないわけで、如何に必死で打席に立ったいたかということだと思います。
その意味では、工藤氏も監督として結果を残せれば問題ないのでしょうが、ここで思うのが、彼にはこれまで指導者としての経験が無いことです。

ここで思い起こすのが、サッカー日本代表でかつて名選手として活躍した前園真聖氏が指導者になるべく、日本サッカー協会指導者ライセンス資格取得に挑戦中・・・という報道でした。
サッカーは現役時代の知名度だけで、いきなり、監督なんてなれないんだそうですね。
協会公認のC級→B級→A級のライセンスを取得するための勉強会から、チームでの指導経験などの実務を経て、初めて、Jリーグチームの監督指揮ができるS級の取得を目指すことができるのだとか。
これは、素晴らしい制度ですよ。
この点は、メジャーリーグもそうですよね。
いくら、名選手でも、選手としての実績と指導者としての資格は別と考えられており、ベーブ・ルースが最後まで監督になれなかったように、指導者になろうと思えば、如何に現役時代の知名度が抜群でも、コーチや二軍監督を経ていなければ監督になれないと聞きました。
日本のプロ野球の場合、少し、あまりにも安易に監督に起用し過ぎではないですか?
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-11-25 19:20 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

太平洋クラブ球団にみるまず話題になることの是非 その2
親愛なるアッティクスへ

先日からの続きです。

末期的な状況で、商品としての魅力に乏しかった太平洋クラブライオンズ営業担当として売り出すことに手腕を振るったマーティー・キーナート氏の「話題作り」というやりかたについてですが、この点で思い出したのが、長野県須坂市動物園です。
ここは私も最近、知ったのですが、全国から客が押し寄せる人気動物園だそうですね。
ここもご多分に漏れず、元々、縮小廃業の話も出ていたような動物園だったのを当事者の営業努力でここまでにしたのだとか。
旭川動物園は知ってましたが、他でも人気の動物園が増えてるんですね。)

で、ここの目玉はサンドバッグを叩くカンガルーだそうですが、それ自体は以前からやっていたのだそうです。
ということは、つまり、外部へのアピールが不足していたんですね。
で、そこに目を付けた担当者は、マスコミなどへの売り込みに取り組み始め、イベント企画の際にはメディアにメールファックスをこまめに流すことを怠らなかったとか。
(この点は、ボクシングの亀田ファミリーを思い起こします。)
担当者曰く、「いいことをしても注目してもらわなければ意味がない」と・・・。
まさしく、マーティー・キーナート氏の言わんとしたことはそれだったでしょうか。

そういえば、昭和41年、この年の巨人の新人、堀内恒夫投手のデビュー戦が決まった際、高校時代の野球部監督が、堀内投手に向かい、「一回り大きな帽子を被って投げろ。そうすれば、投げた瞬間、帽子が吹っ飛ぶから、いかにも力投しているように見える」と言ったという話があります。
堀内投手は「そんなのいいですよ」と言って、これを断ろうとしたところ、監督は、「いや、アマチュアならそれでもいいんだが、プロとなると、何か、ファンを惹きつけるセールスポイントがいるんだ」と言ったとか。
すなわち、「アマチュアと違い、プロは実力だけがあればそれでいいというものではない」というわけですね。
・・・何とも考えさせられる話ではありますね。

その意味では、卓球の四元奈生美選手が、奇抜なコスチュームで試合に臨み、注目を集める反面、白眼視されてますよね。
私も、この点は、あまり、彼女の行為を褒めるつもりはありませんが、競技自体の注目度を高めようと言う方向性自体は責められない行為のようにも思えます。
ただ、こういうのはやはり、どこかで歯止めが必要で、以前、台湾に行った際に、向こうの噛みたばこの話を聞いたのですが、噛みたばこなどというのは、結局、どこで買っても変わらないわけで、その結果、露出が多い女性を置いた店が客が殺到した・・・と聞くと、どの店も露出が多い女性を起き、やがて、女性の露出合戦の様相を呈し始め、ついには、あまりに目に余るものとなったことから、当局の介入を招いた・・・と。
話題作りは必要でしょうが、やはり、商品の魅力で売るのが本来の姿であり、それが出来ない場合にはやむを得ない行為だということは見失わないようにする必要があるのでしょう。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-01-27 18:00 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

日本プロ野球史の一隅を埋めた渡辺秀武投手の逝去を悼む
親愛なるアッティクスへ

昨日の朝刊だったかと思うのですが、スポーツ欄の片隅の物故欄に、ひっそりと、元プロ野球投手・渡辺秀武氏の訃報が伝えられてましたが、ご覧になりましたでしょうか。
この選手のことは、私も辛うじて、覚えてます。
アンダースローからの軟投派だったかと思うのですが、良い球もっている割には、気が優しすぎて、ついたあだ名が「メリーちゃん」・・・。

昭和38年(1963年)、川上哲治監督率いる読売ジャイアンツ入団。
昭和45年(1970年)には23勝を挙げ川上巨人の6連覇に貢献。
(さらに、この年には、広島戦でノーヒットノーランも達成。)
この23勝というのは、当時の巨人のエースだった堀内恒夫(18勝)や高橋一三(12勝)を抑えてのチーム一の勝利数・・・でしたが、この好成績については、実は、彼らしい裏があり、私の記憶では、当時、エース堀内は、主に、阪神、大洋などの強敵相手に数多く登板しての18勝だったのに対し、渡辺投手は、それら上位球団相手には、殆ど、投げずに、つまり、主に、下位球団相手に積み重ねた23勝だったかと・・・。
まあ、川上監督の戦略だったのでしょうが、堀内さんにしてみればそれで勝ち頭と言われることには不満だったでしょう。
確か、契約更改の時に、堀内さんが文句を言ったとかいう話も聞いたことがあるような・・・・。

その後、日拓ホームフライヤーズから大洋ホエールズ、ロッテオリオンズと渡り歩き、古葉竹識監督時代の広島カープでは、リリーフエース・江夏豊へつなぐ貴重な中継ぎとして、広島の連覇に貢献。
昭和57年(1982年)にひっそりと現役引退
その間、実に実勤20年に渡るプロ野球生活であり、41歳での現役引退であった・・・と。

それほどの長きにわたり、プロ野球の投手として、第一線で活躍してきた割には、今日、その名を知る人はあまりにも少ないのではないでしょうか。
強敵相手に登板した堀内恒夫投手は、何だかんだ言っても、その、あくの強い個性と共に、日本プロ野球史の中にしっかりと足跡を残したのに対し、渡辺投手は陽の当たる道を進むことはなかったでしょうが、自分に出来ることを精一杯やったという点で、少なくとも、日本プロ野球史の一隅を埋めることは出来たのではないかと・・・。
人間、出来ることを出来るところで精一杯やるしかないんですよね・・・。

ちなみに、渡辺投手は、引退後は広島のスカウトを23年間勤め上げた後、平成18年(2006年)勇退、そして、平成19年(2007年)8月25日肺炎のため65歳で没。
通算606試合登板 118勝 100敗 8セーブ 防御率3.35
76完投 18完封 1041奪三振

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌・・・。

P.S ちなみに、渡辺投手は、西武ライオンズ・東尾 修投手に抜かれるまでの、通算与死球日本記録保持者でもあったそうです。
・・・メリーちゃん、しっかり、えげつないことやってるじゃない(笑)。

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by heitaroh | 2007-08-28 00:13 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

元祖堀内伝説・5
親愛なるアッティクスへ

ついに、一年の半分が終わったと思っていたら、あっという間に、7月も明日で終わりですね。
光陰矢のごとし・・・です。

巨人の元エース、堀内恒夫さんの話では、3で述べた物が感動する方の話なら、大笑いする方の話がこちらです。

ある年、雑誌の企画で、巨人・川上哲治監督、阪神・藤本定義監督の対談があったそうです。
ちなみにこの二人、共に巨人OBの先輩後輩の間柄で、お互いに認め合った仲だったこともあり、次第に話は盛り上がって、藤本監督が、「じゃあ、次の巨人戦はうちはエース江夏で行きます」と予告登板をしたところ、川上監督も、それを受けて、「では、うちは堀内で行きます」と。
当時は、予告先発などというのは一般的ではなく、監督同士の対談でこれがきまったということは、言うならば、剣豪同士の名乗りを挙げての一騎打ちと同じ事で、日本中が注目する一戦となったとか。

そして、当日。
大阪へ向かう新幹線の中には巨人の選手・・・。
ざわざわと拡がるざわめき・・・。
「あれ?堀内は?」・・・「堀内見なかった?」・・・「堀内を捜せ!」・・・。

このとき、予告先発のはずの堀内は、ひとり、まだ、ベッドの中・・・。
目が覚めたとき、新幹線はすでに動き出していたそうで、慌てた堀内さん、すぐに駅へ向かおうとしたものの、普段、切符なんか買ったことがないから、金も持ってない。
一旦、球団事務所に戻るや、「オレ!金貸して!」で1万円ふんだくると、一目散に新幹線へ・・・。
新幹線に乗って、ふと周りを見回すと、なぜか知った顔ばかり・・・。
そこには、前日まで戦っていた中日ドラゴンズの選手たちがずらり・・・。
中日の選手も、堀内が予告先発で投げると知っているから、皆、不思議そうな顔で眺めていたとか・・・。

e0027240_15183677.jpgその後、結局、堀内さんは試合開始には間に合ったそうですが、それにも関わらず、川上監督は甲子園球場に着くや、あの!プライドの高い監督自ら阪神ベンチへ赴き、藤本監督に頭を下げ、「事情があって、先発を高橋一三に変えさせていただきます」と詫びを入れたとか・・・。

また、こういうときは、得てして、フのワルイもので、この試合、巨人の負け・・・。
試合後、川上監督の部屋には、異様な光景が広がっていたそうです。
床には、正座した堀内の姿・・・。
その前には、椅子に座り、何時間も無言で、独り、酒を注いでは飲み干す川上監督の姿があったとか・・・(笑)。

うーん・・・、遅刻した方が悪いのでしょうけど、まあ、あまり、こういう上司は持ちたくないな・・・と(笑)。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-07-30 08:36 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

元祖堀内伝説・4
親愛なるアッティクスへ

前回の続きです。

e0027240_1636247.jpg前回、堀内伝説といいながら、カネやんに触れましたので、今回も、少し、堀内恒夫氏と金田正一翁とのことについて、触れておきたいと思います。
堀内さんが新人として巨人に入団した年、巨人には400勝を目前にした大投手、金田正一氏が在籍していたそうです。

で、堀内投手の初登板は、いきなり、先発登板だったとか。
当時の、川上哲治監督から、いきなり、初登板初先発を言い渡された堀内少年が、独り、ロッカーで着替えていたところ、当時は、試合前のロッカーに、普通に、新聞記者が入れたのだそうで、入ってきた新聞記者が、緊張している堀内少年を見つけ、「もしや、新人の初先発登板か!?」と早速、かぎつけてきたそうです。
色々と、執拗な質問を受け、言葉に詰まると、さらに、「これは怪しい・・・」と、ますます、記者に囲まれようとする堀内少年・・・。

すると、その背後から、「おい!今日は、新人君の初先発の日なんや。そっとしといてやってくれんか」という野太い声・・・。
振り向けば、そこには、大投手・金田正一御大の姿・・・。
「その代わり、わしが、おもろいネタ、たくさん話したるさかい。これで、勘弁したってや」と言い、カネやんは新聞記者をすべて連れて、ロッカーを出て行ったそうです。
堀内投手は、この試合で初勝利を挙げ、以後、開幕13連勝を含む、16勝2敗で、防御率、勝率のタイトルとともに、新人王から沢村賞まで獲得することになったのは周知の話ですね。

ただ、当時、金田投手は、前人未到の400勝投手に挑戦していたものの、すでに選手としては晩年であったことで、なかなか勝てずにいたとか。
その姿を見て、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで怖いものなしの強心臓、堀内投手は、「あんた、今まで、三百何十勝もしてきた投手なんでしょ?何で、今更、たった何勝くらいに、そんな青い顔しているの?」と聞いたそうです。
時は移って、V9巨人黄金時代を支えた堀内投手も選手としての晩年を迎えた頃、200勝目前まで行って、なかなか、あと少しが勝てない・・・ということがあったとか。
そのとき、解説者として、グランドに来ていたカネやんから、「おい堀内、どうした。青い顔して」と言われたとか。
本人は、「別に青い顔をしているつもりはなかったけど、俺も周囲から見たらそう見えたのかな・・・」と仰ってましたが、青い顔とはいかないまでも、テレビで見ていた私にも、しっかり青息吐息だったようには見えましたよ・・・(笑)。

ほりうち・・・じゃなかった、そのうち、続きます。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-06-13 17:32 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

白鵬のはたき込みにみる観客は何を求めているかの論理2
親愛なるアッティクスへ

白鵬、優勝したみたいですね。
もう、横綱になるのは間違いないのでしょうが、これで、また、「昇進見送り」なんてことになった日にゃあ、日本モンゴル国際問題になりますよ・・・。
向こうじゃ、白鵬が横綱になったというコマーシャルまで流れているそうですから・・・(笑)。
で、ちょうど、白鵬の優勝と横綱昇進と言うこともあり、時節柄、以前書いたこのシリーズの続きです。
随分、間が空いてしまいましたが、よしなに・・・(笑)。

この話題ですが、改めて言うまでもなく、白鵬と朝青龍の大一番に白鵬が大相撲を展開することなく、「はたき込み」で勝ったことに対して、熱戦を期待していた観客から「金返せ!」のヤジが怒ったという物でした。
で、この件では、前回、私は、「やはり、アスリートもプロである以上は、ただ、勝てばいいということではなく、観客を堪能させた上で勝たねばならない・・・ということだ」というふうに述べさせて頂きました。
覚えておられますでしょうか。
この点で言えば、かつて、北ノ湖輪島が、横綱同士全勝同士のまま、千秋楽結びの一番を迎えたことが何度かありましたよね。
でも、その一番では、両力士とも、力の入った大相撲を展開し、そして、決まって、熱戦の末、ほぼ、交互にどちらかが勝ってました。
この対決には、あるいは、筋書きがあったのかもしれませんが、それでも、少なくとも、この大一番を見終わった観客は、熱戦の余韻に酔いしれて帰途についたのではないでしょうか。
観客は、ただ単に、試合を見に来たのではなく、天下分け目の大一番を見に来たのではないかと・・・。

この点は、かつて、昭和58年(1983年)、江川、西本、中畑、原、篠塚を擁した古豪球団・巨人と、田淵、山崎、東尾、石毛、森を擁した新興球団・西武との間に繰り広げられた「史上最高の日本シリーズ」を思い出します。
両球団とも、他球団を圧倒するほどの戦力で勝ち進んできてのシリーズだっただけに、まさに、横綱同士の一騎打ち・・・というに相応しい陣容で、私もわくわくしながら見守った記憶がありますが、試合は、その期待に違わず、一進一退の展開で、一旦、王手をかけられた西武が、逆に4勝3敗の接戦の末に巨人を下す・・・という内容でした。
やはり、興業という点では、大一番というのは、こういう、ファンを惹きつけるような展開でなければならないと思います。

また、いずれ別稿で加工と思っているのですが、漫画、「あしたのジョー」では、主人公の矢吹 丈は、宿敵、力石 徹が去った後で盛り上がりに欠ける少年院でのボクシング大会で、一旦、リングに上がるや、相手に好きなだけ打たせておいて、「え?!」と思わせておいて、一転、逆転KO・・・という挙に出たことがありました。
で、盛り上がらない試合に歓声を起こした・・・と。
少し極端な例かもしれませんが、ある意味、これこそが、ただ強いだけではない、客が呼べる「プロ」のプレーではないでしょうか。

プロに入って1年目のときの巨人の堀内恒夫投手は、母校の監督から、「一回り大きな帽子をかぶれ」と言われたといいます。
如何にも、力投しているように見える・・・ということだったようですが、それを聞いて、堀内さんは、「いいですよ、そんなの」と言ったそうですが、監督さんは、「いや、これまでの高校野球とは違い、プロでは、何か、アピールするものがないといけない」と言われたとか。
アマチュアの草相撲なら、ただ、強いだけでもいいかもしれませんが、白鳳は「プロ」だという意識を持つべきでは無かったか・・・と。
横綱になったら、是非、この点を自覚して精進していただきたいと。
相撲の横綱だけは、他のチャンピオンと違い、「品格」というものが条件の一つにあげられていますが、「品格」というものの中には、こういうことも含まれているのではないかと思う次第です。

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by heitaroh | 2007-05-28 17:08 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

元祖堀内伝説・3
親愛なるアッティクスへ

休日は、それまでの不摂生が祟ったのか、ついに熱を出して寝込んでました。
思えば、私はGW前後は毎年、熱を出して寝込んでいるようです。

e0027240_14194747.jpg昔、「鉄腕」と呼ばれた西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏は、現役時代、シーズン中の酷使からか、シーズンオフになると、毎年、高熱を出して寝込んでいた・・・という話を思い出してしまいました(笑)。

関係ないですね、はい。

で、二年もブログを続けていると、いい加減飽きてきたようで、最近、何だかなーって感じです。
病み上がりだし、もーいっかなーと。
で、手抜きで、このシリーズの続きです。
ちなみに、このシリーズ、前回の話、どうでしたか?
結構、いい話だったでしょう!
私は自分で書きながら、目頭が熱くなってましたよ。

堀内さんも、巨人の監督やってから、色々と大変だったようですが、まあ、何はともあれ、頑張って欲しいものです。
ちなみに、昭和48年日本シリーズ終了から3ヶ月後、堀内さんのお父さんは亡くなったそうです。

で、これと同じような話は、あの金田正一投手にも聞いたことがあります。
金田投手と言えば、度々触れておりますように前人未踏の400勝が有名ですが、それ以上に有名なのが、昭和33年、あの!長嶋茂雄選手をデビュー戦で4打席連続三振に打ち取ったことでしょう。
長島デビューの時点で、金田投手はすでに200勝を挙げていたらしく、言うならば、すでに大投手であり、それに対して、マスコミはゴールデンルーキーとの対決を煽ったと言いますが、カネヤンにしてみれば、「同列に扱われること自体、不愉快!」だったと言います。

実は、このとき、カネヤンのお父さんも、かなり、体が悪かったらしく(確か、末期ガンだったかと)、カネヤンも、父に見せてやれる最後の晴れ姿として、開幕戦に招待していたとか。
このとき、普段、野球のことについて何も言わないお父さんが、一言だけ、「学生さんに負けちゃあいかんぞ」と言ったと言います。
カネヤンは、言われんでもわかっとったから、頷いただけだったと言いますが・・・。

この開幕戦で、ゴールデンルーキー長島と相対した金田投手は、長島を四打席連続三振に打ち取り、プロの意地を見せつけましたが、この、息子の晴れ舞台をスタンドで見守っていた父は、同行したカネヤンの末弟の金田留広(後のプロ野球投手)氏によれば、「父は、兄の投球を見ても何も言わなかったけど、ただ、もの凄い量のたばこをすった」そうです。
ゴールデンルーキー長嶋茂雄がデビュー戦で相対したのは、プロの意地と、そして、父の想いだったのでしょうか・・・。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-05-08 17:02 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

元祖堀内伝説・2
親愛なるアッティクスへ

またまた、先日の続きです。
堀内恒夫氏の著書ですが、この本は、本当に面白かったです。
この堀内氏の本の中から、今でも記憶に残っている部分があるのですが・・・。
それは、先日も申しましたように、堀内恒夫という人はONをバックに擁しながら・・・、203勝も挙げながら・・・、王・長島の次、江夏と並ぶほどの知名度を誇りながら・・・も、当時の一流投手の条件であった20勝(今で言うなら、10勝経験というところでしょうか。)というものを1度しか経験してないんですね。
ただ、その年、昭和47年には、26勝を挙げ、最多勝はもとより、巨人の9連覇中、王と長島以外には誰も獲ったことがなかったMVPにも輝くほどの活躍を見せています。

この年は堀内にとって、どういう年だったか・・・。
それは、実父がガンで、余命幾ばくもない時期だったそうです。
そんなとき、堀内が勝利を挙げて、父が入院している6人部屋に見舞いに行くと、病室で拍手が湧き、そのたびに、父が泣いて喜ぶのだとか・・・。
天才・堀内恒夫が、初めて、本気を出した瞬間だったのでしょう。
ところが、その反動で、翌年は12勝17敗で全く振るわず、チームはリーグ優勝を果たした物の、日本シリーズが始まったときも、堀内は、まったく、主戦力に入れてもらえなかったとか。
その年、昭和48年の日本シリーズ、巨人の相手は、智将・野村克也プレーイング・マネージャー率いる南海ホークス
堀内の父の病状は、一層、悪化し、病院から「帰宅を許され」てしまったとか。
つまり、「もう長くはない」ということですね。
このシリーズ、シーズン中絶不調の堀内は、シリーズ全体でも登板がないことが自分でもわかったそうです。
以下、物語調に・・・。

そんな第二戦、寂しさを紛らわす為、言われたわけでもないのに、独り、ブルペンで投げていた堀内に、突然、登板命令が下る・・・。
先発投手が突然、崩れたのである。
慌てて、マウンドに上がった堀内が見た物は、7回裏、南海の攻撃で、1対0、巨人リードながら、無死満塁の光景・・・。
ここで、堀内の頭には、「長くはない」父の枕元に、日本シリーズMVPの賞品を持って帰ってやることがひらめく・・・。
「勝ちたい・・・。」
堀内の天才性に火がついた瞬間だった。

堀内は、この場面、犠牲フライで1点を失ったものの、次打者をあっさりと併殺に討ち取り、この場面を凌ぎきるや、延長戦で堀内自身が決勝タイムリーを放ち、巨人はこのシリーズ初勝利を挙げる。
そして、続く第三戦、堀内は先発し、完投勝利、そして、自ら2本ホームランを放ち、見事、シリーズMVPに輝いた・・・。

おっと、時間です(笑)。
また、いずれ・・・ね。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-04-23 08:48 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(4)

元祖堀内伝説・1
親愛なるアッティクスへ

私が幼稚園くらいの頃、一番有名な野球選手は・・・と言えば、それはもう、言うまでもなく「王・長島」でした。
これは、当時、いくら、西鉄ライオンズの伝説が残っていた福岡地方でも、圧倒的な知名度で、どんなに野球を知らない子供でも、「王・長島」の名前は知ってましたね。
(それより少し後くらいの話ですが、あるSF小説で、地球とそっくりな異次元の世界に迷い込んだ少年と少女が、相手も本当に地球人かどうかを判別するのに使っていた質問が、「王・長島の背番号は?」だったくらいですから(笑)。)

で、その二人は別格としても、その次に子供心に有名だったのが、「巨人の堀内」「阪神の江夏」でした。
当時、野球はまったくわかりませんでしたが、子供心に、「巨人と大鵬は強い!」というのを知ってましたから、その強い巨人に立ち向かう「江夏」という存在・・・、でも、どっこい!一方の巨人にも「堀内」がいる・・・。
だから、いくら、江夏が奮闘しても、巨人には勝てない・・・。
そんな図式で捉えてました。
つまり、堀内が猿飛佐助なら、江夏は霧隠れ才蔵!って感じで、(←やはり、例えが古い!)両雄相譲らずって印象でしたね。

ということで、私が子供の頃、好敵手という言葉は、巨人の「堀内」と阪神の「江夏」ほど相応しい存在はいなかったように感じていたのですが、後年、中学生くらいになって、初めて、プロ野球40年史(←やはり古い!)か何かを読んだとき、江夏は最多勝2回を始め、数々のタイトル、奪三振記録など、素晴らしい経歴を持っているのに、堀内は昭和47年最多勝とMVPだけ・・・。
しかも、王・長島に代表される打線の力を考えれば、堀内はもっと勝っていておかしくないはずなのに。
(当時、セ・リーグの投手御三家と言われた大洋の平松でも、最多勝2回とっているという。)
「???」というのが、正直なところでしたね。

で、ここに一冊の本があります。
昭和59年(1984年)発行と書いてありますので、私は社会人になって間もなくの頃、この本を買い求めたのだと思いますが、言うまでもなく、その、巨人前監督である堀内恒夫さんの自著です。
これに関しては、私がアマゾンにレビューを書いてますので、よろしければ、ご覧になって下さい。
     ↓  
「オレは悪太郎―わが投手人生のMemoir」という本です。

で、ついでに、「このレビューは参考になりましたか?」の横にある「はい」をクリックして頂くと、きっと、神様は見ていて下さると思います(笑)。

続きはまた、そのうち・・・。

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by heitaroh | 2007-04-16 08:40 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

若鷹シリーズ2 寺原隼人投手よ、面を打て!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15554423.jpg今日は、本当は別の記事を書こうと思ってたんですが、昨日のソフトバンクVS楽天で、ソフトバンクの寺原隼人投手・・・、150kmスピードボールを放りながらも、1/3イニング投げただけで、つるべ打ちにあって、KOされてしまいましたよね・・・。
この点で思ったのが、以前、あるマンガで、戦前の剣道界で一時代を築いた内藤高治という人物が、「面を打ちなさい」と言って、面以外は、いくら綺麗に一本入っても、一本に取ってくれなかった・・・という話を読んだことがあります。
で、今でも、剣道をやっている友人にその話をしたところ、「今でもそうだよ。どの先生も、大きく振りかぶって、面を強く打ちなさいと言われる。」とのことでした。

これなどは、おそらく、「最初から小さくまとまるな」ということなのだと、勝手に思ったのですが、その意味では、この「面を打て!」と言う言葉を伝えたいのが、我が福岡ソフトバンク・ホークス寺原隼人投手・・・です。

彼は、甲子園を沸かせたその快速球を武器に、2001年、鳴り物入りのドラフト1位で、ホークスに入団しました。
その一年目、彼と西武ライオンズ松坂大輔投手の投げ合いをバックネット裏の結構、いい席で見たのですが、二人とも速かったけど、寺原の方がボールが唸りを上げてましたね。
コントロールはなかったけど、ストレート一本で、結局、あの!松坂投手に投げ勝ちましたから・・・(笑)。
ところが、二年目以降、低迷し、一軍と二軍を行ったり来たり・・・で、今は何とかローテーションの片隅には入っているものの、「出れば負け・・・」の状態で、ネットなどでは、ボロクソに書かれている状態です。
まあ、ホークスファンも、彼に対しては、色々な意見をもっているようですが、私が彼に対して、一言、言うならば、「二年目以降、随分とおとなしくなったよな・・・」ということです。

希望球団にホークスを上げておきながら、ドラフトで指名されたときも、「まだ、行くとは限らない。」なんてことを言ってみたり、「キャンプ中なんだから卒業式に行くな」と王監督に言われても無視して行っちゃうし・・・。
まあ、投手としては、このくらいの図太さが有った方がいいんだろうなと、頼もしく思っていたのですが、最近では、何だか、コントロール重視の普通の投手になってしまって・・・。

新人時代、快速球強心臓で活躍し、その後、年を取るに従って、段々とコントロール投球術を身につけていった投手としては、巨人の前監督、堀内恒夫氏が思い出されます。
が、堀内さんと寺原投手の一番の違いは、堀内さんは、最後まで・・・、いや、今でも、荒々しさを失っていないということだと思います。
相手にぶつけて、「ゴメン」と謝っているようでは、投手には向かないって事ですね。
つまり、先日、平太郎独白録 「ガラスのエース 平松政次投手に見る投手という稼業。」の中でも、触れましたように、寺原投手にも、平松さんのような、「危ない狂気」が必要だと思うのです。
打者の近くに飛んで来たからと言って、うかつに詰め寄ろうものなら、次からは、もっと危ないボールが来るような危なさです。

大投手、金田正一さんは、新人の年、試合後、風呂に入っていたら、対戦相手で、当時の巨人の看板打者、青田昇氏から、「新人のくせに、先に風呂に入りやがって!」と怒鳴られたとかで、すると、カネヤン、その場で、風呂から飛び出るなり、「わしは、この体で飯食っとるんや!あんたの指図が受けられるか!」と言って、青田氏を、上から睨み付けたと言います。
(驚くべき事に、新人時代のカネヤン、すでに、このとき、球界屈指のパワーヒッター青田昇胸板の厚さで勝ってたとかで、青田氏の裸を見て、「貧相な体しやがって」と思ったとか・・・(驚)。)

堀内さんの新人時代の快進撃も、また、ただ球が速いだけではなく、どこに飛んでくるかわからない恐ろしさと、そして、何より・・・、相手打者からのどんな威圧にも負けない、その精神的なタフさがあったことは見逃してはいけないと思います。
つまり、「寺原君、面を打ちなさい。」です。
「コントロールや投球術を身につけるよりも、自慢のストレートを磨け!」とも言えるでしょう。
で、後は、一々、青い顔をしないこと・・・でしょうかね。

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by heitaroh | 2006-09-04 00:54 | スポーツ | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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