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続・坂本龍馬暗殺犯異論 真犯人は誰か?
親愛なるアッティクスへ

前回、坂本龍馬暗殺事件の実行犯について触れましたが、では、気になる黒幕は・・・となると、ここでも薩摩説、長州説からグラバー説、勝海舟説まで色々あるようで、最近では実行犯である京都見廻組の上部組織である会津藩説が定説となりつつあるようです。
この点は、私も「史実とは案外に面白味に欠けるもの」という考えから、肯首するに何らやぶさかではないのですが、ただ、最近、以前は歯牙にもかけなかったある説が妙に気にかかっています。

後の三菱グループの創始者・岩崎弥太郎は坂本とは同郷でありながら殆ど面識はなかったようで、当初は立場の違いから反目しあったものの、やがて、杯を傾け、腹蔵なく語り合うことで互いを認めるに至ったそうですが、私が気になるのが、岩崎が、最後に坂本が上京していく船を見送った際に、「余、不覚にも数更の涙を流す」と日記にしたためていることです。
これはまるで、その後の坂本の運命を知っていたかのような記述で、事実、これが両者の永遠の別離となったわけですし、さらに、岩崎はその少し後に藩の出先機関の運営方針を巡って上司と揉め長崎を出奔し、京坂にいた土佐藩の事実上の宰相的地位にあった後藤象二郎を訪ねた際にも上方にいるはずの坂本をまったく訪ねていません。

また、坂本の潜伏先である近江屋は土佐藩邸にも近く、近所にも知人が多く住んでいたのに、それが事件当日に限って、坂本は土佐藩邸と近所の知人を訪ねるも、すべて不在であった・・・と。
やむなく近江屋に戻ってきたところへ、盟友・中岡慎太郎が訪ねてきて、凶行に巻き込まれるわけですが、実はこの部屋には直前までもう一人、土佐藩の内偵を専門とする下級役人・岡本健三郎もいたそうで、岡本は二人としばらく話をした後、襲撃の直前に退出し、難を逃れています。
これら、当日の動きをすべて偶然で片付けるにはあまりにも状況証拠が揃いすぎているように思えるんですよ。
つまり、土佐藩と後藤は何らかの理由で坂本が狙われやすい状況を作り出していた・・・と。
それも、その日一日だけ「特に・・・」です。

ただ、私が以前から後藤説に否定的だったのは、後藤ほどの者が「坂本を殺すリスクとそれによって得られるリターンとを勘案出来ないはずはない」・・・ということで、この点は私にはどうにも腑に落ちない部分です。
つまり、状況証拠は揃っているが動機がない・・・と。
あるいは、後藤は坂本暗殺への協力を求められた際に、坂本を人身御供に差し出すことにそれほど抵抗もなかったので、協力してやった・・・という見方をするのが適当なのでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-02-10 07:54 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

坂本龍馬暗殺犯異論
親愛なるアッティクスへ

慶応3年(1867年)の新暦12月10日夜京都河原町近江屋において坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された事件ですが、最近では犯人は京都見廻組説で落ち着いてきたようですね。
私も、7割方はこれで異存はありませんが、まだ、釈然としない部分も感じております。

まず、龍馬は以前にも司直の襲撃を受けたことがあることから十分に警戒していたと考えられ、その為、土佐藩邸の近くで、かつ、刀を振り回しにくい天井の低い部屋がある近江屋の2階を潜伏場所に選び、さらに、用心棒に元力士を雇っていたと言われています。
それなのに、犯人は坂本・中岡を斬る前にその来訪を取り次ごうとしたその元力士を後ろから斬っていますが、標的に辿り着く前に部屋の前で他の者を斬ってしまうのはリスクが大きすぎませんか?
仕留め損なったら気づかれるし、普通、狙われる側は些細なことでも身構えて待つものですよ。

それなのに彼らは取次者を斬った後、平然と座って挨拶し、「坂本先生は?」と尋ね、龍馬がこれに応えたのを見ておもむろに小太刀を抜いて斬りつけた・・・と。
これも本来おかしな話で、座ることは当初からの予定であったとしても、暗殺犯は標的の警戒状況如何に関わらず座ってこれを決行したことになるわけで、だとすれば大胆にしてもっとも効果的、彼らの標的を仕留めるまでの20分足らずの動きには、一切の無駄迷いも感じられず、そこには恐ろしいまでに暗殺慣れしているものを感じます。

次に、犯人を絞り込むうえで、この時期、京都に居て、小太刀の名手で、かつ、室内戦闘の経験が豊富・・・となると、まず、室内戦のプロといえば、どうしても新撰組が思い浮かびますが、この時期、新撰組はますます佐幕色を強めており、であれば、龍馬を討ち取っていささかも隠す必要はなく、むしろ池田屋事件の時のように堂々と犯行声明(?)を掲げたでしょう。
そう考えれば、見廻組には小太刀の名手もいたのでしょうが、むしろ新撰組に比べれば影が薄かった観があるだけに、少なくとも、わざわざ新撰組の仕業に見せかける必要もなかったように思えますし、何より彼らが修練を積んできたのは「暗殺」ではなく「戦闘」だったわけで・・・。
(現場には新選組を疑わせる証拠物件が多数残されていたといいますが、これも、これほど鮮やかな襲撃を成し遂げた輩にしては少し粗雑すぎるように思えます。)
そう考えると、どうにもこういうことに恐ろしく慣れている連中、つまり、幕府の特殊暗殺部隊のような存在があったようにしか考えられず・・・、うがちすぎですかね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-10 07:32 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)

百歳超高齢者所在不明問題的歳月悠久の理
親愛なるアッティクスへ

本日、無事、抜糸も終わりました。
もはや、野に放たれました(笑)。
がおう。

ところで、今、世間を騒がしている、全国各地で100歳以上の高齢者の所在不明が次々に明らかになっている問題・・・ですが、今日現在で、所在不明となっている100歳以上の高齢者は77人にのぼっているのだとか・・・。
この点で、韓国などのメディアが「日本が長寿国であるというのはいい加減な統計に基づくものだった」などと報じてましたが、でも、これって、そこまで厳密さが求められる問題なのかな・・・と言う気がしてます。
同じ長寿国であるカタール香港の統計なんて、間違いないなんですか??
どこの国だって、生活苦はあるでしょうし、失踪者もいる、身元不明の無縁仏だって絶対にあるはずで、この点で言えば、日本はまだ把握しやすい方ですよ。
ただ、生活苦と失踪という点では少し思うことがあります。

e0027240_149622.jpg都内最高齢だったことで話題になった方は113歳でしたが、113歳といえば明治30年生まれですよ。

(←坂本龍馬が死んで、まだ、30年しか経っていない頃の生まれ・・・なわけです。つまり、香川照之ナレーション風に言うと、「龍馬が死んで30年、お龍勝海舟もまーだ、生きとったがぜよ」となるわけで・・・(笑)。)

であれば、終戦時で、すでに48歳・・・。
(当時の48歳は、今の60歳くらいの感覚だったのではないでしょうか。)
この年齢で、戦中戦後の生活苦にさらされたわけですから、ある日突然、失踪してしまう人が出てもおかしい話ではなかったでしょう。

ついでに言うと、昭和36年6月27日・・・、この日付は何だかおわかりになるでしょうか?
感の良い方はお気づきかも知れませんが、そうです!、私の誕生日・・・ではなく、最後の引き揚げ船門司港に入港した日付・・・、つまり、戦後の、大陸よりの日本人の引き揚げが残留孤児の問題は別にして一応の完了を見た年なんです。
ということは、私は同年同月の生まれですので、まさしく、私が生まれたと同じ時まで戦後は続いていたということになります。
その意味では、まあ、存命なのかどうかは知りませんが、113歳というのは、やはり、「悠久」に入る歳月と言っても過言ではない年齢なのではないでしょうか。

で、白書で「もはや戦後ではない」と言われたときには59歳で、さらに、私が生まれた昭和36年には64歳・・・
ちなみに、うちの遠縁のお婆ちゃんは80歳の時に、「私はもうすぐ死ぬから、私が入る棺桶を作ってくれ」と言い張り、家人がやむなく、それを作ったところ・・・、結局、亡くなったのは100歳の時だっとか・・・。
つまり、20年間、その家の納屋には棺桶だけが、ずーっとあった・・・ということで、その家の子供たちは「生まれながらにして棺桶がある」生活を送っていたのだとか・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-08-07 17:49 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(2)

坂本代理店説で読み解く大河ドラマ「龍馬伝」の真実?
大河ドラマ「龍馬伝」で、日本の中で孤立した長州人が「長州は日本から独立する」と言ったのには凄い新鮮味を感じましたよ。
高杉晋作などが早くから、「割拠」を唱えていたのは知ってましたが、一歩進めて「独立」にまで考えが至っていたとしてもおかしくはないわけで。

ところで、同番組には、イギリス人商人トーマス・ブレーク・グラバーが出てきましたよね。
坂本がグラバーに面会したのは勝海舟の弟子になった後と聞きましたが、もし、もっと早い時点で外国人商人への接触に成功していたのではないか・・・と。
というのも、昨今、「坂本龍馬は当時のイギリス武器商会の営業マン」だった・・という説があると聞きましたが、確かに如何にも突飛な話ではあるものの、ただ、「歴史に極端な深読みは持ち込むべきではない」という考えの私も、この論については頷かざるを得ないものを感じております。
まず、私がかねてより腑に落ちなかったのが坂本が様々な有力者に接触できた点でした。
越前侯松平春嶽と面会できたなどというのもそれで、ああいうものはいくらTOPが「俺は気さくだから誰でも通して良いよ」と言っていても、下僚というものは決してそうはさせないものだからです。
実際、どこの何とも知れない者を殿様に会わせて、それで、万一のことがあった場合、取り次いだ者は切腹は免れないわけで、特に、当時はそういう過激派がうようよいたわけですから、普通に考えれば、どうしても土佐脱藩浪人などが会えるとは思えないんですよね。
でも、そこにイギリス人商人の代理人としての肩書きを持っていたとしたなら・・・。

で、何の根拠もない勝手な私見を述べさせて頂くと・・・。
坂本は脱藩直後の下関から薩摩への単独行の途次、長崎に立ち寄り、外国人商人に面会し、自らを「特約代理店」とするよう求めた・・・と。
曰く、「外国人商人が入っていけない東日本の諸藩などにも日本人である自分なら入っていくことが出来るし、それで新たな市場が拡大できれば儲けもので、失敗したとしても代償は紙切れ一枚で済む」・・・と。
まあ、紙切れ一枚と言っても、権限その他、どの程度リスクを獲るか・・・という判断はあったにしても、そこは海千山千の外国人商人ですから、いざとなればノーリスクで切り抜ける手だては考え得た上で、この要求に応じた・・・と。
他の侍には無い、こういう要求をしてきた坂本という人物への興味を抱きながら・・・。
で、坂本はそれを持って、幅広く権力者へと接触を試み、門前払いをくらうこともあったが、興味を持つ者もあった・・・と。

ところで、劇中、英国人商人同士の会話の中で、「幕府はフランスに支援を求めた。イギリスが黙ってこれを見逃すと思うか」というものがありましたが、私は「見逃す」と思います。
まず、このドラマはまあ、ドラマ故の盛り上がりの必要上やむを得ないのでしょうが、少々、日本中心史観で描かれており、如何にも列強は日本を狙っていたように思われていますが、実際には列強が高い関心を持っていたのは中国であり、日本については「その先に島がある」という程度の認識だったように思います。
ただ、「東の果て」の、「最後の植民地」という認識はあったにせよ、仮にフランスが日本を獲ったとしても最後の取り組みで1勝したに過ぎず、イギリス側からすれば「何としてでも獲らなければ」という意識はなかったでしょう。
であれば、イギリスとしても自らがコストを負担して軍隊を派遣するよりも、薩長などの倒幕勢力を支援し、代理戦争をさせた方が費用対効果という点では良いわけで・・・。
その意味では薩摩藩にしてもイギリスの強い影響下にあったと言わざるを得ず、詰まるところ、薩長同盟戊辰戦争もイギリスが望んだ結果であり、あるいは、坂本暗殺もその延長線上だと考えて良いのかもしれません。
                       平太独白
by heitaroh | 2010-07-19 07:21 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)

大河ドラマ「龍馬伝」に見る人間とは業の深い生き物 続編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14303786.jpg昨日はここ(←)にいました。
福岡市南区にある「さくらん」という店なのですが、ここは大正ロマンって感じがコンセプトのようで、結構、良い感じの店でしたよ。
で、ここを出た後、拙宅で飲んだのですが、飲んでる最中、友人に「あいつに電話してみようか?」と言ったら、「おまえ、今、電話してたじゃねーか」・・・と言われ、「ウッソー!」・・・と。
で、かけたら、「おまえ、今、電話してきたじゃねーか」・・・と(笑)。
「マジで~」と、どうしても信じられなくて、今朝、メールしたら、やはり、二度かけてきたのは間違いないようで・・・。
しかし、飲んでる最中に記憶が無くなったのは初めてです(笑)。

e0027240_14305956.jpg(←外から見ても、結構、良い感じ・・・です。)

嗚呼、それなのに、それなのに、当然のことながら、本日は二日酔いです。
朝、風呂に入ろうと思ったら、お湯抜かれてました。
いつものことながら、見事に脳みそが働いてません。

で、本日の本題です。

今年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、私が一番、興味深く見ているのが、主役の福山雅治さんでも、絶品の演技が光る準主役の香川照之さんでもなく、岩崎彌太郎の父親、岩崎弥次郎役の蟹江敬三さんです。
いるんですよね。
こういう、自分の子供のことしか考えてない親・・・というのが。
いくら親身にしてもらっていても、息子が牢屋に入ると、「どうして、おまえも入らない」と言い、その友人に冤罪がかけられると、家族が冤罪を主張する中、「あいつは本当は腹黒いやつだと思っていたんだ」などと口走る・・・。
私も、結構、そういう親というものを見てきましたから・・・。

もちろん、あれが史実だとは思っていませんよ。
坂本龍馬と岩崎彌太郎が親交があったのは、龍馬の死の8ヶ月前からだと思っていますので。
第一、家、遠いでしょ・・・みたいな(笑)。
たとえ、距離的にはそれほどではなかったとしても、今と違って、下級武士には徒歩しか交通手段がないような時代ですからね。
同じ土佐なら、皆、知り合い・・・と考えるのは、もの凄く、無理があるでしょ(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-27 08:47 | 音楽芸能 | Trackback | Comments(2)

大河ドラマ「龍馬伝」に見る時代劇というものの心得
本日は、先週からのシリーズの続きで行くつもりだったのですが、ちと、訳あって、少々、そういう気分になりませんで、従って、再放送を録画してみてしまった大河ドラマ「龍馬伝」についての方が書けるかな・・・みたいな感じですので、急きょ、予定変更で昨日の龍馬伝を見ていて思ったことについて、書いてみたいと思います(笑)。

まず、現代日本を代表する二枚目俳優・福山雅治さん演じる坂本龍馬ですが、顔の方が男前になるのは娯楽番組の主役ですから仕方がないことでしょうが、ただ、同じ長身ではあっても小顔と体の薄さにはやはり、違和感を覚えますね。
あの八頭身と手足の長さは、哀しいかな、平成の人の物ですよ。
昭和の時代でも、芸能人でもあまり見かけませんでしたからね。
ましてや、実際の龍馬という人は結構、剣術や水練で鍛えていたようですから、もっと体の厚みがある人で、実際、残された写真を見る限りでもそういう気がします。
もっとも、ドラマを見る限りでは、その部分はそれほど気になるものでもありませんし、むしろ、ストーリー的には「龍馬」といえば、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の呪縛から逃れられない作品が多い中で、岩崎弥太郎を絡ませるなど、なかなか、ユニークなものが出来ていると思います。

ただ、明らかに、いただけないのが広末涼子さん・・・。
地元出身だけに土佐弁は上手いのかもしれませんけど、明らかに、普段、着物を着たことがない人が着物を着ている。
歩き方はたどたどしいし、それ以前に着物が体に馴染んでない・・・、まるで、人形がクレープの生地にくるまれているようで、どう見ても、「アナタ、今、初めてこれ着たでしょ」・・・みたいな。
龍馬伝というのは現代劇ではなく、江戸時代が舞台なのですから、着物を着てぎこちないということは、もう、それだけであり得ないわけですよ。

もっとも、この点は、広末さんだけを責めるわけにはいかないのでしょう。
かつて、巨匠・黒澤 明監督は名作「七人の侍」を撮るに当たって、出演者すべてに前もって衣装を渡し、「自宅でも普段からそれを着て、よく、体に馴染ませておいてくれ」・・・と言ったそうですね。
ましてや、黒澤さんの時代と比べても、生まれながらに着物なんて着たことがない役者さんが大半になってるわけで、そう考えれば、ある程度、彼女にも「せめて、家にいるときくらいは出来るだけ着物を着ておいてください」くらいのことは言うべきだったでしょう。
(私も、今年の正月、初詣に出かけた際に、男はともかく、とにかく女性の着物姿がとにかく少ないのに驚きました。)
ただ、本来で言えば、プロの役者さんというのは、いつ、そういう役が来るかもしれないわけですから、一般の人と違い、機会が有れば普段からそういう物に袖を通すように習慣づけておくべきで、もしくは一切、そういう役は受けないようにするか・・・だと思います。
その論で言えば、少なくとも、広末さんは女優としてのプロ意識が欠如していると言われても仕方がないのではないでしょうか。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-01-18 19:02 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)

大河ドラマ「龍馬伝」に見る人間とは業の深い生き物
親愛なるアッティクスへ

今年も大河ドラマ「龍馬伝」始まりましたね。
名優・香川照之さんが演じる岩崎弥太郎の目を通して語る「龍馬」・・・というのは司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」から離れるという意味で新鮮で良いんじゃないでしょうか。
ただ、香川さんは同じNHKの「坂の上の雲」で晩年の正岡子規を演じ、もの凄い減量をされたばかりなんですよね。
で、今度は若いときならまだしも、功成り名遂げてからの「恰幅が良い」岩崎弥太郎から語り始めなければならないわけでしょうから・・・、大丈夫ですかね。
まあ、今時は医師トレーナーなどのきちんとした管理の下でされるので心配は要らないのしょうが、それにしても・・・と。

で、その龍馬伝ですが、と言っても、実はまだよく見てないのですが、坂本龍馬の子供時代・・・といえば、どうしても土佐・・・、現在の高知県の「上士郷士(下士)の葛藤」というものが避けて通れませんよね。
土佐藩は関ヶ原後に新たに領主となって進駐してきた山内家の家臣を上士とし、それ以前からの土着の旧長曽我部家の遺臣らを郷士とすることで成立しており、郷士は上士からの激しい抑圧に晒されていた・・・というものですが、この点で、数年前の大河ドラマ「新撰組」では、土方歳三近藤勇が新撰組に入る前に坂本龍馬と会って話をするというシーンがあったのを思い出しました。
土方が「おまえは侍だから良いよな」と言うと、坂本が「侍言うても、わしら郷士は侍のうちに入らんぜよ」と言い、さらに、「それでも、侍は侍だ」という土方に対し、坂本は「わしら、土佐の郷士言うのんはのう・・・」と言って、その置かれた環境の厳しさを語る・・・と。

e0027240_192320100.jpgまあ、上士と郷士という身分差別は必ずしも土佐藩だけに限ったことではなく、どこの藩でも多かれ少なかれ見られたことでしょうし、それ以前に江戸時代というのは精巧なまでに細かく仕切られたピラミッド型身分社会であり、司馬さん曰く、「自分より低位の者に対し意地悪をする社会」だったそうですから、何も彼らだけが不遇だったわけでもなかったのでしょうが、それにしても確かに土佐の郷士の置かれた環境は過酷だったようですね。
(←当時の身分制度の頂点に位置した孝明天皇が行幸する際に使用した車・・・だそうです。)

ただ、その意味では、土方が言うことにも一理あります。
郷士身分にいる人たちは、自分たちの置かれた環境を嘆くものの、その郷士以下の身分・・・、土佐藩で言えば岩崎弥太郎や近藤長治郎などに対して、彼らは温かく接したかといえば決してそうではなく、それどころか自らが抑圧された者ほど他者を抑圧することにはけ口を求めるもののようで、自らが受けた仕打ちと同じような酷い対応で臨んだわけで、この点、まさしく、司馬さんの言われる「意地悪」以外の何ものでもないでしょう。
人間とは誠に残念ながら、誰かしら他者を蔑むことで自らの位置を確認しようとする哀しい生き物であり、何とも業の深い生き物である・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-01-05 19:25 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)

ハブ空港問題に見る「売る」ことにしか価値を見出さない日本
親愛なるアッティクスへ

先日、平太郎独白録: 今さら虚しい気がする羽田・成田のハブ空港論議の中で、韓国仁川(インチョン)空港に行った際、フライト・ボードを見上げながら、「日本はハブ空港(国際拠点空港)はいっそ、放棄し仁川に一本化した方が良いのかもしれないと思った」・・・ということを申し上げましたよね。
これには、とかく、否定的な意見が多かったのですが、ここで私が思い起こすのは、以前、平太郎独白録: 19世紀型力の論理を普遍の法則と信じる事の危険 その2で触れた、「残念ながら、日本にダメという国はあっても中国にダメという国はないのが世界の現実です」・・・という識者のコメントです。
曰く、「中国にダメを言うと、この後、中国市場でのプロジェクトに支障が出る」・・・と。
つまり、そう考えたならば、「中国『買う』から強い」・・・と言え、対して、日本人は『売る』ということのみにしか価値を見出そうとはしていない・・・と。

この点は、アメリカなども然りでしょうが、これは何も国家間の力学の問題に限ったことではなく、私の身の回りでも思い当たることです。
(私は日々の経済活動に際して、いつも言う言葉に、「銭をもらう人と銭を払う人は決して対等ではない」というのがあります。こういうと、これまた、「俺は、対価に見合うだけのサービスを提供している!」と胸を張って言われる方もいらっしゃるでしょうが、その論理が成立するには、まず、そのサービスが余人に代え難いものである必要があるでしょうが、その場合は、逆に、銭をもらう人の方の立場が強くなるでしょう。)

そういうと、「米中の発言力が強いのは強大な軍事力を持っているからだ」・・・と言われる方もいらっしゃるでしょう。
それはそれで、私も否定はしませんが、ただ、米中はかつてのソ連のようにすべての局面に置いて、軍事力を前面に打ち出しているわけではありませんよね。
もっとも、中国の場合、アメリカの視線を気にして、露骨に軍事力を前面に出すことを控えている・・・という側面はあるのでしょうが、それ以前に『軍事力を背景にした圧力」というものが有効なのは、近いか、もしくは、規模に圧倒的な差がある・・・という場合でしょう。
実際、中国も、EUに対して、軍事力を前面に出しているようには思えませんし。

話を元に戻しますと、私が知る限り、もっとも早い段階でハブ空港の重要性を訴えていたのは評論家の竹村健一氏で、昭和60年頃のことではなかったかと思うのですが、当時ならともかく、四半世紀が経過した今、ご丁寧にも、静岡空港を初め、日本中にこれでもかというくらい地方空港を作ってあげた状況では、もう、事情が違うと思うんですよ。
であれば、仁川が日本からの搭乗客を一手に引き受けるということは、
韓国は日本に莫大な収益を依存するということになるわけで、坂本龍馬薩長同盟への下工作よろしく、色々と、問題を抱えた日韓関係円滑ならしめるという意味でも、十分、元が取れるのではないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-06 18:01 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(6)

幕末のアイドル竜馬ならぬ坂本龍馬の実相
親愛なるアッティクスへ

世の中には、時々、「俺は平成の坂本龍馬だ」などと自ら口にする人がいるようですが、まあ、人間、自分でそういうことを口走り始めると大体、ろくな事はないようですね。
で、その坂本龍馬ですが、そもそも、彼が幕末に、あれほどの八面六臂の活躍を為し得たのは、奇跡的・・・いや、かなり奇術的なことで、やはり、それを為し得たのは、龍馬の人柄や能力などもあったのでしょうが、何と言っても、幕臣、勝 海舟との知遇を得、その私設秘書としての「肩書き」を持って、有力政治家大物経済人などと接するうちに、そこで面識知識信用を得た・・・ということが大きかったでしょうね。
そう考えると、坂本龍馬という人物を評する上では、人脈に柔軟な発想を絡めてのクリエイティブな仕事をする経営コンサルタント・・・という見方をするのが一番適当でしょう。

ただ、一方で、西郷隆盛が「長州工作は坂本という土佐の浪人を使ってやっている」と書き送っていることから、実は龍馬は使われていた一人に過ぎないんじゃないか・・・という見方もあるようですが、私はこれは採りません。
まず、そもそも彼が英雄として知られることになった経緯としては、明治16年(1883年)、高知の新聞に掲載された「汗血千里の駒」なる読み物や、明治37年(1904年)、日露戦争直前に、時の皇后夢枕に龍馬が立った・・・などという話などがあるようですが、何より、坂本龍馬の名を幕末の風雲児・・・からアイドルにまで高めたのは、やはり昭和37年に連載が開始された司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」でしょう。
ただ、司馬遼太郎という人の、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえの弊害は大きく、ここに書かれている龍馬の姿を史実・・・、いや、「現実」と思いこんでいる人も多いようですが、しかし、司馬氏自身は、生前、「竜馬が行く」を教科書で使いたいという打診があったとき、氏は、「とんでもない!あの作品は、実在の『龍馬』ではなく、あくまで、私が創造した『竜馬』なんだ」と説明したとか。

この点は、昨今流行の昭和ノスタルジー映画などが「良い時代であった」・・・ということを描こうとするあまり、デメリット部分を描いていないことと共通するでしょうか。
つまり、「リアルではなくリアリティが大事」だと・・・。
確かに制作者の目的は真実を伝えることではなく、あくまで、観客を楽しませることにあるわけで、観衆はそこを理解して見なければならないのでしょうが、大衆とはとかく、虚構と現実の区別が付かなくなるもののようで・・・。

その意味では、彼が薩長同盟仲介者たり得たのは、逆に、背景がなかったことがよかったということもあるでしょう。
あれが、龍馬個人、もしくは、海援隊という、どこにも所属していない、言わば、非営利団体のようなものだったから、薩長をはじめとする諸藩にとってはそれなりに使い勝手が良かったわけでしょうが、それがもし、土佐藩やどこかの藩主が仲介者だったとしたら、色々と面倒なことになっていたと思います。
つまり、ある意味、時代が、龍馬や中岡慎太郎などのフリーの志士活躍容認していた・・・、そういう時代だったということでしょう。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-10 08:28 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)

長崎行きも絶え絶え始末記 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

実は私は長崎を訪れるのは数年前、坂本龍馬亀山社中跡が壊されることになり、公開は本日まで・・・ということを聞いて駆け付けて以来・・・、さらに、宿泊するとなると、昭和48年(1973年)の小学校の修学旅行以来・・・でした。

e0027240_13283847.jpg

(↑長崎と言えば夜景でしょう。メインの方向からのものとは逆方向からの眺めですが。)

で、まず、亀山社中に関しては、平太郎独白録 : 坂本龍馬の亀山社中に想うソフトバンク発祥の地!で述べましたように、このときは、来たものの、もの凄い行列辟易して・・・、ていうか、坂道ばかりで、車が通れない道が多い割りには最寄りの駐車場表示などの観光案内も殆ど無いので、路上駐車して、そのまま、坂を駆け下りただけだったので、行列を見て諦め、断腸の思いでそのまま坂を駆け上がりました。

e0027240_13325367.jpg

(↑同じ方向を朝見た物です。こちらも綺麗でしたね。)

で、今回、タクシーの運転手さんに、その旨を話し、「亀山社中は結局、今、どうなっているんですか?」と尋ねたところ、「あれは、が借りて公開することになり、今、その改修をしているところです」とのこと・・・。
だったら、何もあのとき、慌てて来なくても良かったんじゃねーか・・・と思いつつ、聞いていると、運転手氏曰く、「再来年のNHK大河ドラマ坂本龍馬になったでしょうが・・・」と。
さらに続けて、「坂本龍馬は福山雅治さんがしんしゃー(される)とですよ」と。
思わず、「ああ、長崎市出身じゃないですか!」と言うと、なぜか、運転手氏無言・・・。
なーるへそ(ふ、古い・・・。)、そういうことか・・・と。
長崎が舞台の大河ドラマに、地元出身の人気俳優・・・。
「これは、相当、長崎が動いたな・・・」と(笑)。

しかし、キャッシュ(現金)なもんやなーと。
あれだけ、市とは話が付かなかったから解体するとか言ってたくせに・・・と。

で、明日に続く・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-03 08:18 | 地域 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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