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続・祝う気になれないけど一応、6周年・・・です
親愛なるアッティクスへ

まあ、時節柄、特に目出度いという気にはなりませんが、例年、一回では終わってないもので、惰性で昨日の続きです。

e0027240_1818676.jpgかつて、ナポレオン陸軍幼年学校時代、コルシカ訛りが酷く、これを馬鹿にされたことから、周囲に馴染むことなく、独り、読書に明け暮れたと言いますが、このときに得た知識が後のナポレオンの躍進の源となった・・・という話を聞いたことがあります。

(←私が初めて、店でラーメンを食ったのは中学生の時だと、過去の周年の時に申し上げたと思いますが、これがその時に食べた店のラーメンです。あれから、35年・・・、未だに残っているというのが凄い・・・です。その時は、内心、「えー、ラーメンかよー」と思ったのですが、食べたら、「うんめー」で、「店のラーメンがこれほど美味いのか!」と本当にびっくりしました(笑)。)

で、なぜ、こういう話をしたかと申しますと、実は私にも似たような経験がありまして、私は物心着いた頃から本が好きで、文学少年だったのですが、かと言って、決して学校の成績は良くなかったもので、いきなり、親から、ヤンキーの学校に入れさせられました・・・。
当然、右を向いても左を向いても、見事なそり込みのお兄さんばかりでして、初日は胃がひっくり返るかというような思いで家に帰りましたが、その後も、当然、まったくこれに馴染めませんで、やむなく、昼休みになると、独り、図書館へ行ってました。
で、そこで出会ったのが司馬遼太郎さんの代表作、「竜馬がゆく」・・・です。

e0027240_18322240.jpg(←博多では当たり前の替え玉ですが、この店では、替え玉9杯食べたら無料だそうです。で、なぜか、こちらでは、ラーメンは半煮えの「堅麺」が主流ですが、私は圧倒的少数派の「柔麺」です。コシがあるというのと、堅いのとは違うだろう・・・と思うのですが、最近では、「堅麺」をさらに極端にした「粉落とし」とか、「ハリガネ」などというのもあるようで・・・。
私にはどうしても理解できません。
ちなみに、「しょうゆラーメンを柔麺で」などと頼むと、時々、店の人から、「あんた、どこの人ね?珍しかね」などと言われることがありますが、さすがに、この時は、「きさん!大概にしとけ!俺が柔麺食うたらいかんとか!」とわかりやすい方法で紳士的に抗議します(笑)。)

元々、中学生時代から、山岡荘八吉川英治などの伝統的正統派歴史小説は読んではいたものの、司馬作品には、ちょっとはエッチな場面が出てくるからか、なぜか、中学の図書館には置いてませんで、ここで初めて相見えたのですが、いやあ、とにかく、はまりましたね(笑)。
当時、私はまだ、16歳の誕生日を迎える前だったのですが、15歳のうちに全5巻を読破しまして、以来、司馬作品の殆どは多分、10代のうちに読んでしまったと思います。
まあ、だからどうだと言われれば私がナポレオンになるはずもなく、馬の耳に念仏・・・だったんでしょうけどね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-23 19:08 | その他 | Trackback | Comments(8)

多忙を極める中で見る猛暑の摂津路 その2
昨日の続きです。

e0027240_15441017.jpgで、大阪へ行く往復の新幹線の中で読んだ吉川英治「黒田如水」ですが、どこか、かつての「文部省推薦」みたいな・・・印象があったの吉川文学も、今回、改めて同書を読んで、思う所がありました。
まず、驚くべきは意外なまでにすらすら読めたこと・・・。

e0027240_16163977.jpg私の新潟の友人が良く、日本酒を表す表現として、「水のように入る」ということを言ってましたが、これって、正直言って九州人である私的にはイマイチ、良くわからない表現だったんですよね。
その後、秋田の友人からもらった日本酒を飲んだとき、「あ、こういうことか」と良くわかりましたが。
実際、吉川文学も、これと似たようなもので、私の場合、普通、これくらいの物を往復の移動の中で読み終える・・・ということは滅多にないんですよね。
それが、見事に読み終えてしまいましたから、まさしく、「水のように入った」んでしょう。
(←大阪の夜の怪しく燃える炎・・・です。もう、昼間で燃え尽きてましたけど・・・(笑)。)

ただ、その反面、読み終えて、覚えている所、印象に残った所・・・と言われてみれば、かなり、怪しいんですよ。
つまり、喉の奥に引っかかるような・・・、どこか焼け付くような癖がない・・・と。

e0027240_16161333.jpgもう一つ思ったのは、この人にしろ、山岡荘八氏にせよ、戦前生まれの人は皆、概してそのベースになっているのは「講談」だということで、この点は司馬遼太郎さんのような人でさえ例外ではないと思います。

具体的にいえば、我々より下の世代の人で、「緋縅大鍬形の兜に何とかの具足を身にまとい、上からは何々紋様の陣羽織を羽織るという出で立ちにて」・・・などといわれて、すぐにどういう格好かをイメージできる人ってどれだけいるのでしょうか。
少なくとも私にはまったくイメージはわきませんよ。
見れば、「ああ、こういう格好か・・・」とは思いますが。

これが戦前生まれの人たちまでは講談本や浪曲、さらにいえば芝居や時代劇などに親しんでいたこともあって、割と違和感なく、イメージが出来るたのでしょう。
でも、私などはまだ、子供の頃は祖父母がいた関係もあって浪曲や時代劇などに親しんでましたからわかる方なんですよ。
その私でこれですから、今の若い人たちにとっては、この辺の軍記物や戦国時代の武士の観念、生活感などの記述は想像困難、かえって、混乱させるだけで、書く方だって、正確に意図を伝えられる人は少ないのではないでしょうか。

多忙と疲労と睡眠不足と台風とでなかなか、本題に行き着けませんが、たぶん、明日に続きます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-09-07 18:33 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

良すぎる環境に棲むのも考え物の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11461536.jpg

最近、天気が良い日は運動を兼ねて、少し遠くまで歩いて昼飯を食べに行くようにしております。
で、生まれてこの方、地元には丸々半世紀近く住んでるものの、まだまだ、初めて見る景色、見知らぬ土地などもあり、改めて、福岡市も狭いようで結構広いなぁということを実感しているところですが、上掲(↑)の風景もその一つ・・・です。
ここは、私にとっては、昔は「地の果て」みたいな所だったのですが、ここも、今ではしっかり住宅街になっておりまして、その奥地に足を踏み入れたところ、おそらく、昔は単なるため池だったのでしょうが、今では宅地化と共にすっかり綺麗に整備されており、天気が良かったこともあって、思わず、その景色の見事さに見とれました。

で、ふと、傍らを見れば、このロケーションを活かした豪邸が幾つか目に付くようになっており、確かに、場所はちと辺鄙だけど、定年退職した人や通勤を気にしない人などはここに住むのも良いかもなー・・・と思いましたが、そのうち、ふと、ある友人のことを思い出しました。
その友人宅は福岡市の一等地、都心に近いとは思えないほどの閑静な高級住宅街の一角にあり、何年か前の年末にその友人のお宅で一献傾けたことがありました。
で、その晩は飲み明かして、そのまま友人宅に泊まり、翌朝、細君に朝食を振る舞って頂いたのですが、友人は朝から、缶ビールをプシュッとやり、当然のように私にも1本・・・(笑)。

私はその日は仕事納めの日でもあり、結構、仕事も溜まっていたこともあり、それに何より、本来、朝から飲むことはないので、飲むつもりはなかったのですが、そのとき、リビングから見える風景は高台から都心部が一望でき、反対側に目を向ければ、ただ、笹が「ざざざざー」と鳴っているだけ・・・。
何か、その風景を見ていると、「ま、今日はもう良いかぁ・・・」みたいな感じになり、差し出されるままにビールを何本か飲んで帰宅したところ・・・、こちらは庶民の街ですから、周囲はざわざわしているし、「仕事しよう」という気になり、結局、その日は終わらなくて残業でした。
その友人は今、引きこもりではないのでしょうが、数年前に会社を辞め、最近では誰も連絡が付かない、何をしているかわからないようになっていると聞きます。
私は、いつも、その友人のことを聞かれるたびに、「良すぎる環境というのも考え物だ。『住む』が『棲む』になってしまうから」・・・と答えております。

生前、司馬遼太郎さんは、東大阪に自宅を構えておられましたが、ここは確か、町工場などが軒を連ねるようなところらしく、「どうして、アナタのような方がこんな所に?」と聞かれ、「私はこういう所で育ったので、こういう所でないとダメなんです。静かな所では、一行も書けません」と答えられていたという話を聞きました。
私も、福岡市下人参町という、立派な下町の生まれですが、それでも、こういう所に住みたいなぁとは思いますが、同時に、「住んじゃいけない」とも思います。
ま、住めませんけどね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-14 08:10 | 社会全般 | Trackback(1) | Comments(4)

一年半ぶりの東京に「To be, or not to be」的心境 4
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_1149064.jpgかつて、司馬遼太郎さんは「都会というのは、娘さんが新しい服を買った時に、それを着て歩ける目抜き通りが、たとえ、50mでも良いからあるような所」というような意味のことを言っておられましたが、その論で言えば、「大都会とは女性が普段着ないような晴れ着を着て闊歩できるような空間があり、周囲に認知されている所」とでも言えるでしょうか。

(←勝海舟像だそうです。何で墨田区役所の裏にあるのか知りませんが、それにしても、「似てねー」・・・と(笑)。)

その論で言えば、哀しいかな博多はまだまだ、「小都会」以外の何ものでもないようです。

(ちなみに、博多はどういうわけか、意識だけは東京みたいですけどね(笑)。先日、電車に乗っていると、女子大生と覚しきお嬢さんたちの会話が聞こえてきて、「あの子、どこの子?地方の子なの?」と言っているから、「あれ?東京の女子大生かな?」と思って聞いていたら、「違うよ、福岡の子だよ」「じゃあ、地方じゃないジャン」・・・と。思わず、「おまえも地方だぁ!」と突っ込みを入れたくなりました(笑)。)

e0027240_121412100.jpgで、話を元に戻しますと、先般、「今年の正月に初詣に行ったところ、男性どころか、女性の着物姿が殆ど見られなくなっていた」と申しましたよね。
これはおそらく博多に限ったことではないと思いますが、今や、着物が急速に周囲から消えつつあるということで、これすなわち、「自分たちの文化を放棄しつつある」・・・ということでしょう。
考えてみれば、地方では、着物を着て出かけるとすれば、せいぜい、正月結婚式くらいであり、であれば、そんな、一年に何回袖を通すかわからないだけの物に維持費も含めて、金を使うなんて・・・ということになるわけで、これはある程度、やむを得ないことだと思います。

それが、東京では「歌舞伎を見て、銀座に寄って帰る」というのが、ひとつのステイタスとして存在しており、つまり、そういう施設があり、奇異な目で見られずに歩ける文化がある・・・と。
やはり、これは凄いことだ・・・と。

やはり、もう一回くらい続きます(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-03-02 08:36 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)

大河ドラマ「龍馬伝」に見る人間とは業の深い生き物
親愛なるアッティクスへ

今年も大河ドラマ「龍馬伝」始まりましたね。
名優・香川照之さんが演じる岩崎弥太郎の目を通して語る「龍馬」・・・というのは司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」から離れるという意味で新鮮で良いんじゃないでしょうか。
ただ、香川さんは同じNHKの「坂の上の雲」で晩年の正岡子規を演じ、もの凄い減量をされたばかりなんですよね。
で、今度は若いときならまだしも、功成り名遂げてからの「恰幅が良い」岩崎弥太郎から語り始めなければならないわけでしょうから・・・、大丈夫ですかね。
まあ、今時は医師トレーナーなどのきちんとした管理の下でされるので心配は要らないのしょうが、それにしても・・・と。

で、その龍馬伝ですが、と言っても、実はまだよく見てないのですが、坂本龍馬の子供時代・・・といえば、どうしても土佐・・・、現在の高知県の「上士郷士(下士)の葛藤」というものが避けて通れませんよね。
土佐藩は関ヶ原後に新たに領主となって進駐してきた山内家の家臣を上士とし、それ以前からの土着の旧長曽我部家の遺臣らを郷士とすることで成立しており、郷士は上士からの激しい抑圧に晒されていた・・・というものですが、この点で、数年前の大河ドラマ「新撰組」では、土方歳三近藤勇が新撰組に入る前に坂本龍馬と会って話をするというシーンがあったのを思い出しました。
土方が「おまえは侍だから良いよな」と言うと、坂本が「侍言うても、わしら郷士は侍のうちに入らんぜよ」と言い、さらに、「それでも、侍は侍だ」という土方に対し、坂本は「わしら、土佐の郷士言うのんはのう・・・」と言って、その置かれた環境の厳しさを語る・・・と。

e0027240_192320100.jpgまあ、上士と郷士という身分差別は必ずしも土佐藩だけに限ったことではなく、どこの藩でも多かれ少なかれ見られたことでしょうし、それ以前に江戸時代というのは精巧なまでに細かく仕切られたピラミッド型身分社会であり、司馬さん曰く、「自分より低位の者に対し意地悪をする社会」だったそうですから、何も彼らだけが不遇だったわけでもなかったのでしょうが、それにしても確かに土佐の郷士の置かれた環境は過酷だったようですね。
(←当時の身分制度の頂点に位置した孝明天皇が行幸する際に使用した車・・・だそうです。)

ただ、その意味では、土方が言うことにも一理あります。
郷士身分にいる人たちは、自分たちの置かれた環境を嘆くものの、その郷士以下の身分・・・、土佐藩で言えば岩崎弥太郎や近藤長治郎などに対して、彼らは温かく接したかといえば決してそうではなく、それどころか自らが抑圧された者ほど他者を抑圧することにはけ口を求めるもののようで、自らが受けた仕打ちと同じような酷い対応で臨んだわけで、この点、まさしく、司馬さんの言われる「意地悪」以外の何ものでもないでしょう。
人間とは誠に残念ながら、誰かしら他者を蔑むことで自らの位置を確認しようとする哀しい生き物であり、何とも業の深い生き物である・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-01-05 19:25 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)

川縁に思う下町で生を受けた昭和男の年末ご挨拶
親愛なるアッティクスへ

ついに今年も一年、終わってしまいましたね。
本日の福岡県地方は、この冬一番の冷え込みのようで、一日中寒い・・・って感じの雪交じりの天気となるようです。

当方、昨日は友人との毎年、恒例「年も押し詰まってからの忘年会」でした。
でも、これも年を重ねるに連れ、曲折あって、年々参加者が減り・・・、昨年は開催されず、今年は二人という状態でしたが、まあ、それでも、元々、この時期に集まれる者だけ集まろう・・・みたいな感じでのスタートでしたから、二人だからと言って寂寥感というものはまったくありませんでしたけどね。
実際、活きたカニやエビ、貝類などを炭火で焼いて食べ、帰りは寒空の下、友人と二人でほろ酔い加減で真っ暗な川縁を歩き、さらに、俗界に上がり、神社をハシゴするなどして帰りましたので、結構、それなりに楽しかったですよ。
もっとも、心が優しい友人氏にはさすがに動いているカニなどを焼き殺したことのショックが強すぎたのか、食材・・・ならぬ、贖罪の意識が働いたようで、正月を迎える前に三社参りしてしまいましたけどね(笑)。

川縁で思い出しましたが、先日、ベッドの上で「あ、死ぬかな」と思った刹那、私にはなぜか、中洲の川の匂いがしました。

e0027240_13115583.jpgやはり、往事の福岡市下人参町という、ど下町に源流を持つ人間としては、川と言えば清流ではなく、中洲辺りの汚い川こそが帰るべき場所なんだな・・・と思いましたね。
そういえば、神様・司馬遼太郎さんも、存命中、よく、東大阪の自宅に訪ねてきた人から、「なぜ、こんなところに・・・」ということを言われたそうで、つまり、「アナタのような人にはこんな町工場に囲まれた所よりも、もっと相応しい、芦屋帝塚山などの住環境が良い場所があるでしょう」ということだったようですが、本人は「そう言われても、私はこういう所でないとダメなんです。こういう人混みで生まれ育ったから、緑が豊富な、静かなところでは息が詰まって、数行も書けない」と言っておられたとか。

閑話休題。
でも、そのおかげか、今朝は殆ど、二日酔いはありませんで、朝から注文していたおせち料理を取りに行って、その足で実家へ持っていってきました。
昭和男としては、「おせちなんて物は自宅で作るべきだ」・・・という意識が強く、店から買うなど何とも嘆かわしい限りで、実際、父が存命であった頃までは母は毎年、自宅でおせちを作っていたのですから、「おせちくらい家で作らなやろうもん」と言っていたのですが、父や祖父母の存命中には苦労ばかりしてきた母から、「毎年、違うおせちをとるのが楽しみ」などと言われてしまっては・・・。
無念ですが「もはやこれまで」と諦めざるを得ませんでしたね。

ということで、とりとめもない話になりましたが、今年一年、大変お世話になりました。
良いお年をお迎えください。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-31 12:39 | その他 | Trackback | Comments(2)

机上山積みメモ紙処分の為の書き殴りシリーズ その3
以前、テレビで、東北地方ヤミ金被害が深刻である・・・という報道を目にしたのですが、私が見る限り、番組中で被害に遭っている人は明らかに、あまりにも、そういう物に対しての免疫がない人たち・・・であるという印象を持ちました。
で、思わず、想起したのが、「江戸時代に初めて、貨幣経済の洗礼を受けた農東北の民たち(津軽地方?)は、貨幣経済という物に対してあまりにも無知であったがため、その何たるかがわからず、結果的に、田畑を獲られ、奴隷同然の悲惨な身の上になってしまった」・・・ということです。
確か、司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」という小説に出てきたことだと記憶しておりますが、時代も環境も違うけど、私にはどうしても、これとだぶって見えてしまうんです。

この点で、5~6年前でしょうか、私も、ある、東北地方の郡部在住の友人と話していて、あまりのその認識の違いに驚いたことがあります。
友人は、手広く商売をやっていたやり手の経営者だったようですが、彼曰く、「社会保険なんて払わなくて良いんだ。『払え』と言ってきたら、『じゃあ、社会保険辞める』と言ってしまえば、向こうもそれは困るので、それで終わるんだよ」と言っていたのですが、我々、西日本の人間の感覚では、絶対にそんなことで済むはずはないことは明らかなわけで、何度、「そんなことはあり得ない」と言っても、「いや、絶対、大丈夫なんだ」を連発するばかりで、まるで理解してもらえず・・・、そのギャップというか、温度差には結構、絶句しましたね。
今はどうかしりませんが、当時はまだ、年金問題もうるさくなる前でしたから、彼らの地元の社会保険事務所も、管轄内の数少ない事業所が少なくなるということは社会保険事務所の統廃合という、自分たちの存在を脅かす事態にもなるわけで、まあ、こういう対応だったのでしょう。
でも、10社しかない地域と、1000社ある地域では対応が違ってくるのも当然で、問題は彼らが自分たちの状況が「標準」だと思っていたことです。
一事が万事、こういう牧歌的な環境の中でやってきた人たちであれば、ヤミ金という現代の貨幣経済の襲来の前にはあまりにも無防備すぎるのもやむを得ないことで、この辺は地方自治体に任せておくのではなく、中央政府が啓蒙活動の普及も含め、対応すべきことだと思います。

次に、大阪についてですが、その衰退が言われて久しいですよね。
以前も、大阪の本社から福岡支店に転勤して来た人と話したことがあったのですが、彼曰く、「経済規模は福岡の方が小さいが、でも、こっちの方が遙かに街に元気がありますよ。大阪はもう、あきませんよ」ということを言っていました。
で、大阪の衰退という点では、色々、要因はあるのでしょうが、私はひとつには大阪が瀬戸内海というものを大事にしてこなかったということもあるのではないかと思います。
今や、瀬戸内海に頼らずに、直接、東京に物資が運べるようになったということでしょうが、逆に言えばそれだけ大阪は水運、ひいては物流の街とも言えるわけで、瀬戸内海の突き当たりにある・・・という大阪の地政学的な面を認識すれば、物流手段の中での水運という物を見直す・・・、いや、水運に特化しても良いくらいだと思えるのですが・・・。
であれば、大阪は瀬戸内航路というものを育んで来るべきだったといえ、この点で、大阪はあまりにも無策に過ぎた・・・、いや、見下していた・・・ような気がしてなりません。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-24 08:18 | 地域 | Trackback | Comments(0)

「坂の上の雲」での定見無き者は長じて読めの是非 後編
先日の続きです。

過日、NHK歴史秘話ヒストリアという番組で、正岡子規夏目漱石の友情物語をやってましたよね。
(思わず、川端康成今東光の関係を想起し、羨ましい限りでした。)
留学先のロンドンで引きこもりになってしまうなど神経質なイメージがある漱石ですが、結核を病んだ子規を赴任先の松山に呼び寄せ、伝染るからという周囲の反対を押し切って同居させた上、色々と滋養がつくものを食させるなどしたと聞き、ドラマでもないのに結構、グッとくるものがありました。
私も、二十代の独身の頃だったら、同じような行動が出来たんだろうけど・・・と。
男とは、背負う者を背負うと、なかなか不自由になるもののようです。

で、この番組を見て、改めて思ったのですが、実は私も、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んだとき、正直言って、それほど面白くなくなかった・・・という印象だったんです。
(もっとも、本には昭和54年(1979年)5月発行とありましたから、多分、私が読んだのは18歳の頃だと思われ・・・。もう30年も前のはるか大昔ですので、今読んだら、また違う感慨があるのかもしれませんけどね。)
で、まず思ったのが、「ここに、正岡子規は要るのか?」と・・・。
登場するとしても、主役三人の一人ではなく、準主役級の一登場人物としてで良かったんじゃないか・・・と。
子規を主役の一人にするのなら、同級生の秋山真之との友情を軸にして描けばいいわけで、だとすれば、今度は兄・秋山好古を主役の一人に加えるのがおかしくなるような気がするんですよ。
すなわち、こちらを登場人物の一人に据え置くべきで、実際、子規と好古は同郷とはいえ、年齢もかなり離れており、小説の中でも、それほど接点はありませんでしたよね。

次に、「翔ぶが如く」でもそうでしたが、特に、戦闘場面が、何だかやたら戦場日誌を丸写ししているような無味乾燥さがあるんですよ。
その結果、子規が早くに亡くなったこともあって、後半は、当初の、秋山兄弟と子規の明治の群像劇から、日露戦争での秋山真之の活躍を中心に描かれることになっってしまった・・・と。
この辺も、当初、「子規と秋山兄弟」・・・で書き出したものだから、やむなく、思い出したように好古のことにも筆を及ばせるといった観があり、であれば・・・と。
ただ、思えば、大正12年(1923年)生まれの司馬さんが日露戦争を描く・・・というのは、昭和36年生まれの私が太平洋戦争を描くようなものであり、やはり、書いている途中で、色々と感じることもお有りになったのでしょうが・・・。

ちなみに、ドラマは大河ドラマと同じ時間帯に放送されてましたが、当初から、「天地人」じゃなくて、こっちのほうが良かったんじゃないですか?
ていうか、私的には、秋山兄弟の母役で出ていた竹下景子さんがサザエさんの実写版以来、お婆ちゃん役をされるようになっており、しかも、それがまた、それなりに似合っているところが実は結構、ショックだったりするんですけど・・・(笑)。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-03 17:46 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

「坂の上の雲」での定見無き者は長じて読めの是非 中編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

「新聞はおまえにはまだ早い!己の意見も持たない者が他人の意見を読むと害になるばかりだ!こんな物は長じてから読め!」という秋山好古の言葉・・・。

これは、実に色々なことを考えさせてくれます。
まず、真っ先に思い浮かべたのが、昨今のネットなどに氾濫する非常に短絡的な意見の数々・・・。
以前から申し上げていることですが、過去の出来事というのは当事者で無い限り、人から聞くか、本で読むかしかなく、となれば、本当のところというのは結局、誰にもわからないことで、であれば、そこに「本当はこうだったんだ」と書いてあったとしても、「相手側の言い分」にも虚心に耳を傾けるなど、一種の平衡感覚をもって、決して盲信することなく、自分なりの真実を模索することが必要なんですよ。

その点で、司馬史観というものは、以前から、平太郎独白録 : 幕末のアイドル竜馬ならぬ坂本龍馬の実相などでも指摘してきましたとおり、「司馬遼太郎という人のあまりにも良い仕事をしすぎたがゆえの弊害」というものがあり、(司馬氏自身、生前、代表作、「竜馬が行く」を教科書で使いたいという打診があったとき、「とんでもない!あの作品は、実在の『龍馬』ではなく、あくまで、私が作り出した『竜馬』なんだ」と説明したと言われているように、自身、自らの虚影(巨影?)が一人歩きしようとすることへの警戒感があったようです。)つまり、司馬文学自体、自分なりの定見・・・、平たく言えば、小説と事実の区別が付くようになって読むべきだ・・・と。
・・・などと偉そうなことを言っても、私自身、司馬遼太郎文学にハマッていた十代の頃などは小説と史実の区別が付いていない完璧な司馬史観の信者でしたし、それは、毛沢東語録を手に「造反有理」を唱えていた紅衛兵と何ら変わりなかったでしょう。
(ただ、比較的幸いだったのは、同時に、元帝国陸軍参謀で兵法評論家であった大橋武夫氏の著作も同じくらい読んでいたことでしょうか。こちらは割と実学的でしたから。)

この点、若き日の西郷隆盛は、諸藩の士と交わる中で、とかく、「まずイデオロギー有りき」に傾こうとしたことから、その主君にして師でもあった島津斉彬はこれを憂慮した・・・と言われておりますが、その一方で、斉彬死後、島流しになった西郷は、小人が読むと佞人になるとして警戒されていた「韓非子」を持っていったとか。
西郷はそれまでのイデオロギーありきがあっさりと潰されたことから、改めて、斉彬の訓戒の意味を噛みしめたのでしょう。

で、その一方で、「長じてから読め」という部分には、昔、見積もりを作っていたとき、当時の上司から、「何をぐずぐずしている!こういう物は勘で作るんだ!」と叱責されたことを思い出します。
そのときは、何も言いませんでしたけど、内心、「じゃあ、その勘を養うのに何年かかるの?」、「今は少なくとも勘で作るべきじゃないでしょ」、「ていうか、勘を養うためにも今は資料とにらめっこするべきないんじゃないの」・・・と。
であれば、「長じるために、こういうのも読むべきなんじゃ・・・」ともいえるような気が(笑)。

後編に続きます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-01 18:49 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

「坂の上の雲」での定見無き者は長じて読めの是非 前編
親愛なるアッティクスへ

「板の上の雲」・・・じゃなかったNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」・・・ですが、見ている途中、家人がガキに「宿題もまだ終わってないのに!」・・・と言ってきた時の私の返事。
「構わん!世の中には宿題より大事なことがある!」・・・と(笑)。

秋山真之が真冬のの中、足袋を履いて外に出たら、兄、秋山好古が、「脱げ!」と一喝・・・。
私にも似たような経験がありますが一定時間だけ・・・なら良いんですが、冬の間ずっと・・・というのは結構、辛いんですよね。
さらに、真之が出かけようとしたら下駄の鼻緒が切れており、修理しようとしていたら、「何をぐずぐずしておる!朝はテキパキせい!裸足で行け!」とまたもや叱責の声・・・。
さすがに、私はこれは経験ありませんが、私の父が子供の頃の昭和初期の祖父の教育はまったくあのまんまだったようですよ。
父は生前、よく、「学校まで雪の中を裸足で行かされたときだけは、さすがに堪らんやった。ひーひー言いながら行った」と言ってましたから。

この点、現代の我が家は実に嘆かわしい限りでして・・・。
朝、うちのガキが友達を迎えに行かなくてはならないのに、こっちの準備が出来て無くて、向こうが誘いに来てくれて、さらにそれを待たせる・・・ということがあったもので、私が、「貴様!友達を待たせるとは何事だ!時間がないなら飯なんぞ食うな!さっさと行け!」と怒鳴ると、家人が「先に行ってもらって、ご飯をちゃんと食べてから行きなさい」・・・と。
「バカタレが!飯より約束の方が大事タイ!」と言うと、「納得できない。もう、アナタは子供たちが出かける時間には起きてこないで。かえって遅くなる」と・・・。
以来、私は朝はガキが在宅している時間は絶対に布団から出ないようにしております。
ということで、昨日、このドラマを見ているときは、甘やかし放題の我が家の現状が嘆かわしい限りでした。
ちなみに、劇中、渡辺 謙さんのナレーションは、「兄の指導は猛烈であった」などと言ってましたが、この辺は、司馬遼太郎先生も、当時の流行語であった「oh!モーレツ」を意識したのかな・・・という気もしないでもありませんでしたけどね(笑)。

で、私がこのドラマの中で、もっとも考えさせられたシーンが、兄、好古が、当時の最先端マスメディア「新聞」を弟の手からひったくり、びりびりに破いて一喝した際のセリフでした。
「新聞はおまえにはまだ早い!己の意見も持たない者が他人の意見を読むと害になるばかりだ!こんな物は長じてから読め!」・・・と。
確かに、今のネットなどに氾濫している短絡的な意見などを見ていると首肯せざるを得ないようなものを感じますが、その一方で、定見を養うためにはこのような物を見るしか無いわけで・・・。
その意味では、この点は、大きな矛盾をはらんでいるところなのでしょう。
もっとも、私自身、司馬文学にはまっていた学生時代は彼らと大差ないものでしたけどね。

ココから先は明日に続きます・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-11-30 18:24 | 歴史 | Trackback(2) | Comments(6)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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