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日本向きの和式便器を捨てガラパゴス化した日本人の特性
今日の福岡県地方の天気は晴れ・・・でしたが、今朝の陽射しはついに今年初めての「初夏」の陽射しでしたね。
で、今朝は慌てて、ストーブの灯油を空だきすべく、燃やし尽くしております。
何せ、一昨年の灯油ですので・・・(汗!)。
残りはまた来年・・・と(笑)。
ところで、本日のお題は少々、汚い話題で恐縮なのですが便器と排便・・・、それも大きい方の・・・についてです。

e0027240_12235531.jpgまず、私は「移動手段と宿泊設備には金をかけない」という哲学を持っておりまして、従って、独りで移動する際には基本的にエコノミーにしか座ったことがありません。
その上で、福岡に友達がいない私的には、結構、独りで目的地まで移動して、そこで他県民の友人と合流する・・・というパターンが多く、となれば、隣の席には殆ど知らない人が座っているケースが多いわけです。
で、そういうときに困るのがトイレで、そうそう、何度も隣の見ず知らずの人に立ち上がってもらうのも申し訳ないし、特に新幹線では荷物の管理も心配です。
従って、乗り物に乗るときは絶対にトイレを済ませておくのですが、先日、GWに京都・奈良(←)へ行ったと申し上げましたよね。

このときも、朝、出がけに軽い便意を催したものの、そのままバス(金はかけません(笑)。)に乗ってしまったため、博多駅に着いたら、何としても新幹線に乗る前にトイレを済ませておきたく、行ったところ・・・、結構、満席(?)で和式便器が一室だけしか空いておりませんでした。
でもって、用を足した(漢字、あってますか?)わけなんですが、私も久々に和式にまたがったので、少し考えるところがありました。
私は洋式便器が普及し始めたのが20歳頃ですから、10代頃までは和式便器、それも、6歳までは汲み取り式で過ごしており、私的にはオートマチック全盛の現代に久々にマニュアル車に乗ったようなもので、まあ、対応はできるのですが、思えば、以前、家族で対馬に行った際には、旅館のトイレが汲み取り式でガキは皆、困惑だったのですが、特に娘は絶句状態でまったく対応できませんでしたね。

e0027240_1145597.jpg(←以前行った韓国ソウルの郊外の食堂のトイレです。少しわかりにくいのですが、右側の壁と便器との間が5cmくらいしか空いてません。入り口から入って最初に私が見た瞬間の画像です。一瞬、どうやって、用を足すんだろうと困惑(笑)。)

で、久々に和式で用を足していて、ふと、「あ、日本はこっち向きなんだな・・・」と。
というのも、角度的に、和式便器の場合、局部をフルに開くため肛門汚物が付着しずらいんですよ。
西洋は古代ローマの時代から基本的にすでにあの形ですが、日本は湿度が高いため、の人が多く、特に肛門廻りを清潔に保つ必要があり、日本でああいう形になったのはそれなりの理由があるのに、ところが、現代日本人はそれをあっさり棄て、そこに折り合いを付けるため、ウォシュレットなど開発するなどガラパゴス化したことを思えば、ここにも異文化を採り入れることに抵抗が少なく、かつ、対応上手な日本人の特性を見ることが出来るとはいえ、何か少し違うような気もしないでもありません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-17 08:47 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

NHK「JAPANデビュー」訴訟に許容の妙を識る その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

また、日本軍が台湾の蛮族武力討伐したことも、確かに、「侵略」という見方も出来るでしょうが、一方で、「治安」ということを考えれば、統治者としては当然のことだったように思えます。
統治者には、それが日本人であろうと、台湾人であろうと、先住民であろうと、保護下にある住民の生命財産を守る義務があり、それを実行するためには、いつ襲ってくるかわからない「敵」を集中力を持続しながら待ち続けるよりも、その本拠地まで攻め入って、完膚無きまでに叩くということも十分に考えられる選択肢の一つでしょう。

e0027240_1532302.jpgつまり、飛んでくるハエをイチイチ叩き落とすよりも、を始末した方が効果的であり、そのことに疑問を持つ人はいないように思えます。
このことは古代ローマ帝国蛮族の侵攻を防ぐために、たびたび、防衛戦の外側にまで進撃したことが好例でしょうか。

とは言っても、欧米では、むしろ、植民地住民上流階級の子弟学生留学を積極的に受け入れることで、植民地に自国の贔屓を増やすことを心かげたことを考えれば、やはり、日本の植民地政策の稚拙さは否定できないでしょう。
(未開の民は、年少のうちに文明国の空気に触れることで、自らの蛮習を恥じ、宗主国と同じような価値観を持ち、自国を蔑むことに繋がっていく・・・と。)
戦後のフルブライト留学制度などもそれでしょう。

e0027240_1501458.jpgで、私の考えとしては、大切なのは、先日から申し上げているように、長所短所を自分なりに勘案して評価を下す・・・ということです。
その意味では、同じNHKの「NHKドラマスペシャル・白州次郎」については、白州次郎という人が、あまりにも素晴らしい、一点のケチの付けようもない人として描かれてましたが、坂本龍馬然りで、私はああいうのは盲信する気にはなれませんね。
生身の人間なのですから、もっと、欠点もあるはずで・・・。
まあ、徴兵逃れをしたというマイナスの面も描いてありましたが、それにしたところで、「信念の一環としての行為」と、立派にデコレートしてありましたしね。

                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-29 18:26 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)

オバマ氏の大統領就任はアメリカ復活の最後の希望と危機
親愛なるアッティクスへ

私と同級生のオバマくん(?)、ついに大統領の座をものにしましたね。
ただ、私は、彼の生命が任期中、危険にさらされる可能性は50%くらいあるのではないかと思っています。
そして、彼の身に万一のことが有れば、もう、アメリカ復活再生への道は完全に道が閉ざされてしまう・・・、なぜか、そんな気がしてなりません。

オバマ氏の生命が危険にさらされることについては、多くの方が、同様の危惧を持っておられるようですが、それは主として、オバマ氏が合衆国史上初有色人種大統領となることを挙げられておられるようです。
が、私は、単に肌の色の問題だけにとどまらないと思っております。
KKKのような、単なる白人民間組織だけの行為なら、政府権力からすればいくらでも押さえ込む術はあるでしょう。ケネディの時も、単なるマフィアだけの恨みであれば、世界に冠たるアメリカ大統領暗殺されるということはなかったはずです。)

おそらく、オバマ氏は大統領就任後、まずはブッシュのこれまでのデタラメな政策見直しに着手することが予想されますが、それは、言い換えれば、これまでブッシュを操って莫大な利益を得てきた人たちにとっては容認し難い暴挙に映るでしょう。
で、その人たちがオバマの排除を画策するのに、KKKなどは自分の手を汚さずに目的を達成できる、実に都合が良い存在なわけです。
となれば、実行犯はその連中にやらせ、彼らが取り組むのは、自分たちの権益擁護し、オズワルド単独犯行にしてしまうことができる人物を政権に据えることでしょう。
(ちょうど、ケネディのときに置けるジョンソン副大統領のような存在ですね。)
それだけに、もし、オバマ氏の身に万一のことが有れば、それは単に彼個人の災厄というだけにとどまらず、アメリカは再び、ブッシュの時代に逆戻り・・・どころか、今後も、ブッシュ路線を突き進むことが既定路線になってしまう可能性が高いと・・・。

思えば、古代ローマ帝国でも、時代が進むにつれて、セプティミウス・セウェルスというアフリカ出身の皇帝が登場しています。
セウェルス家は、元々、何百年も前イタリア本土から移住したローマ人だったといいますが、彼自身は、何代にも渡って、現地人との混血が進んだ北アフリカ系ローマ人であり、また、彼の母は生粋のローマ人だったといいます。
(確か、オバマ氏の母は白人でしたよね?)

セウェルスは、皇帝に就任すると、度重なる皇帝暗殺と各地の軍団指揮官たちによる勝手な皇帝就任宣言により、混乱の極みにあった当時のローマ帝国を、瞬く間に統一
さらに、ローマの混乱につけ込み、勢力を伸ばしていた隣国、パルティアに攻め込み、首都陥落させると、ローマの安全保障上重要な地域であった北メソポタミアをローマ属州に組み込み、帝国に安定をもたらす。
次に、政敵を支援したとして多くの元老院議員粛正し、権力を盤石の物にすると、次いで、軍事費の負担を軽減するために軍制の改革を行い、ローマ軍の質的な向上を図るなど、見事な手腕でローマ立て直しに邁進するも、彼が遠征先であっさりと部下に暗殺されると、ローマは再び衰退の坂を転がり落ち始めた・・と。

世界のためにも、オバマくんが任期と生命を全うすることを切に望んで止みません。

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by heitaroh | 2008-11-14 19:35 | 国際問題 | Trackback | Comments(6)

食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その1
親愛なるアッティクスへ

以前、平太郎独白録 : 経済知識の普及を怠ってきた日本の経済立国 その2という記事を書いたときに、「農業立国ベクトルを向ける事も考えるべきではないか」というご意見を頂戴しました。
要旨としては、「食料自給率の低下」ということを憂いておられたようでしたが、私としては、このときは、「もっと国民に経済の知識を持たせるべきではないか?」・・・ということが主旨であったため、それ以上触れることを致しませんでしたので、今回、改めて、この問題について採り上げさせて頂くこととしました。

で、食糧自給率という点では、確かに私も大いに危惧するところですが、では、「農業立国」とまで言い切って良いか・・・と言えば、私はこれはかなり非現実的な話であるように思います。
まず、農業立国ということになれば、日本が単独で世界に存在しているわけでもない以上、日本で生産した農産物を外国に輸出し、外貨を得ることを考えなければなりませんよね。
(水は自前で使うとしても、肥料工作機械などは輸入しないといけないでしょうから。これ即ち、農産物を作るにしても、種をまいておけば自然に生えてくる・・・というわけではないということでしょうか。)

次に、国際競争力という点では、日本の安全低農薬農産物は競争力を持つことが出来るでしょうが、それだと、元々が日本はが多い地勢ゆえ、絶対量が不足するように思えるのです。
となれば、限られた農地当たりの収穫量を増やさなければならず、となれば、安全性に目をつぶってでも絶対量を確保しなければならないことになり、となれば、この図式は成り立たない・・・ということになるのではないでしょうか。
また、一方で、江戸時代、日本は自給自足できていたからといっても、当時の日本の人口は3,000万人程度であり、果たして、現在の1億人を養い、さらに、余剰を外国に競争力を持たせた上で輸出することができるのか・・・というのは大いに疑問です。
さらに、江戸時代も、貨幣経済伸張というものは、国内に食料の偏在という問題を生み、日本全体で見れば何とか食料は足りていたのに多くの餓死者を出したという事実も見逃すことが出来ないところです。
つまり、農業立国ということになると、外貨を得るために国内需要にはある程度目をつぶってでも輸出に回さざるをえず、となれば、食糧自給率は高くとも、国内では餓死者が出るということにもなりかねず、これでは本末転倒になるのではないでしょうか。

上記のようなことを踏まえたならば、食糧自給率の問題を農業立国にまで繋げてしまうのは、やはり、かなり無理があるように思うのです。
ただ、では、食糧自給率は現在のままで良いのか?と言われれば、やはりそれは別問題です。
ここから先は、農業従事者減少の問題も含め、実は私の中でも十分に消化できているとは言い難い状態なのですが、まず気になるのは、日本人のに対する軽視姿勢です。
私などは、食い物を残すとから死ぬほど殴られた世代ですので、今の日本人の食い物に対する考え方には実に危機感を持っています。

日本人は、食い物というのはいつでも欲しいときに手に入るものだと思っている節がありますが、国家の最大の責務は、「食の確保」にこそあると思っています。
古代ローマでは、属州・・・、特にエジプトから安い小麦が入ってくるようになったとき、主食である小麦イタリア本国での生産を放棄したという事例がありますが、このときのローマと現在の日本とでは決定的に違う要素があります。
それ即ち、古代ローマでは、もし、生産地がローマへの小麦の回送を拒否するような事態になったときには、ローマは、いつでも、でそれを回復することが出来た・・・という点ですね。
つまり、軍事力と、その行使いう点で、大きく違う・・・と。

ここから先はまた、後日・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-03-03 08:16 | 政治 | Trackback(1) | Comments(8)

美醜なるものが存在する意義がわからない週初めの戯言
親愛なるアッティクスへ

最近、思うことがあります。
人には、どうして、美醜などというものが存在するのかと・・・。

e0027240_1485984.jpgまあ、私などは、お世辞にも「美」の方には縁がある人間ではありませんので、胸を張って言うのですが(笑)、世の女性は一般的に背が高い男性、もしくは、大柄な男性を好む・・・ような傾向がありますよね。
あれは、生物学的に言うと、「大柄な方が体力的に生き残れる可能性が高く、即ち、子孫を残せる可能性が高い」というようなことを本能的に感じる為・・・というような話を聞いたことがあります。
(魚などでも、メスは大きなオスを好む・・・みたいな。)

同様に、世の、少なくない男性が、胸が大きな女性を好む傾向があるとも耳にしますが(あくまで一般論です。私はその限りではありません・・・はずです(笑)。)、これも、より確実に生まれてきた子を育むことが出来るため・・・ということの、オスの本能的な嗜好だとか。

なるほど、そう言われれば、これはこれで、一理あるような・・・。
ただ、そうなると少しわからないような気がするのが、子孫繁栄とは何ら関係ない「美醜」の問題です。
美人不美人などというのは、主に人体の中で上部に位置する頭部の前面である「顔」の中のパーツの問題ですよね?
であれば、顔のパーツ自体に、「背」や「胸」、あるいは、「気性」さえも凌ぐ、絶対的なまでの好き嫌いを左右するほどの理由があるようには思えないんですよ。
仮に、この、「種の保全」の法則を適用したならば、顔のパーツは皆、大きな方が良い・・・ということになるのでしょうが、現実には、必ずしもそうではないわけですよね。
食べ物をたくさん詰め込める・・・ということならはでかい方がいいのでしょうが、実際には、「きりりと引き締まった唇」などと形容されるように、小さい口の方が「美」とされるわけで、さらにいえば、二重まぶたなどは、「種の保存」の為には、何ら必要基準でもないわけですよね?

そもそも、美醜というのは、極めて、感覚的なものであり、文化によって、民族によって、また、時代によっても基準が違うというところがあるようです。
現在、「美」の理想とされているのは、ギリシャ彫刻のようなコーカソイドの顔立ちがのようですが、古代ローマに初めて、アジア系フン族が姿を現したとき、西洋世界の史家は、「顔には、注意して見なければわからない程度の特徴しかない」というような意味のことを記述しているとか。
となれば、これには、アジア的な顔立ちに、彼らはあまり、美的な想いを持っていたようには読み取れませんから、彼らは古くから、ギリシャ風の顔立ちを理想としていたことが窺いしれるかと思います。
ただ、逆に、これはある意味、古代日本人が中国に対しての思慕の念から、漢民族系扁平な顔立ちを美の理想としたことと同じだと言えなくもないでしょうか。
また、江戸時代の浮世絵などでも、美人画といわれるものは、すべて、瓜実顔に切れ長の目・・・であり、だとすれば、現在の「ギリシャ彫刻のような顔立ちに究極の美を感じる」感覚というのは、明治以降で、欧米諸国によって植え付けられた、人為的な感覚なのではないかと。
であれば、美醜とは、何と底の浅いものではないかと思う次第です。

もちろん、これら美醜には「背」や「胸」と同じように、個人の好みの問題もあるでしょう。
「蓼食う虫も好き好き」・・・等という言葉もありますから(笑)。
しかし、世には厳然として、松坂慶子さんや吉永小百合さんのように、圧倒的多数の人が「美しい」と感じる人と、そう感じない人が存在するわけで・・・。
誰とは言いませんが(笑)。

まあ、お世辞にも、もてたことがない男の戯言とお聞き流しくださいませ・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-10-15 08:10 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

古代ローマの特殊性をドラマ「ROME」にみる2 暗闘編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

この「ROME」というドラマを見て、思わず唸ってしまった一場面があります。
それは、戦場での激しい戦闘の場面でも、英雄たちの虚々実々の駆け引き>の場面でもなく・・・、実は、女たちの葛藤のシーンでした。
中でも特に、圧巻だったのが、凱旋式に臨むオクタヴィアヌス(アウグストゥス)を迎える為にステージへ出ようとするアウグストゥスの母、姉らの序列についてやりあうシーンです。

遅れてきた母がさっさと先頭に立とうとすると、嫁が、「どうでもいいことですが・・・、先頭は妻の私です。神官たちに聞いてみてください」・・・と。
それに対し、母は、嫁の方を一瞥すると、「神官が何です。知ったことではありません。貴女のような腹黒い小娘に先は歩かせません」と平然と言い放つ。
「どうかしてるわ・・・」と嫁。
私が唸ったのは、このあとの母のセリフです。
「貴女の心は透けて見えます。私を呪ってますね。いつの日か破滅させると・・・」
そして、そのまま、無言の嫁を見据えて一言・・・。
「これまでも、貴女よりすっと凄い女たちが呪いましたが、どうなったかしら・・・」

・・・もう、このオバサンの貫禄には、思わず、噴き出してしまいましたよ。
王 貞治を力でねじ伏せたときの江夏 豊に近い物を感じましたね(笑)。
その迫力たるや、女帝エカテリーナ春日局かくありき・・・でしょうか。
暴君として知られる5代皇帝ネロのおっかさん、アグリッピーナも相当、あくの強い女性だったようですが、あるいは、この辺がモデルだったのでしょうか。
ネロも、あまりのおっかさんのキャラの濃さにやってられなくなって、母の乗った船を、船ごと沈めて殺そうとしたら、自力で泳いで帰って来ちゃったとか・・・(笑)。
あるいは、これがユリウス家の血筋だったのでしょうか。

この、古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス・・・の母、ユリアですが、この女性・・・、史実の中ではどうか知りませんが、このドラマの中では、女同士の暗闘に勝ち抜いてきたからと言って、決して頭が良いというわけでも、胆力にすぐれたというわけでもなく、言うならば、女傑と言うよりも猛女という方が相応しい人・・・として描かれておりました。
この人が勝ち残れたのは、ひとえに、伯父カエサルと実子アウグストゥスが天下を獲ったからにほかならないだけ・・・という。

この女性を、一言で言うならば、「自分の思い道理にならないことに不条理を感じることに何の疑問も持たない女性」としてドラマには描かれており、それはもう、見事なくらいに徹底されてました。
一例を挙げれば、伯父で最高権力者のカエサルより、「政略のために誰か一族の娘を政敵・ポンペイウスに嫁がせたい」と持ちかけられれば、娘オクタヴィアをムリヤリ離婚させて差し出したかと思うと、破談になったら娘の哀しみなどはまったく意に介さず、「うまくいかなったのはおまえのせいだ」と責め、復縁を望む元夫は後腐れの無いように殺害してしまう・・・。

また、賢夫人でもあったセルウィリアがカエサルの寵愛を受けていることに嫉妬して、罠を仕掛けてカエサルとの仲を引き裂き、ここに陰惨な暗闘を開始・・・。
そのくせ、金銭欲・名誉欲は人一倍で、さらに、やりたくなったら、誰が見てようが相手構わず情交を交わし、必要とあれば拷問することにも何ら躊躇しない・・・。
ここまで徹底されていると、逆に「見事!」と感心しましたね。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-10-03 08:42 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

古代ローマの特殊性をドラマ「ROME」にみる1 治安編
親愛なるアッティクスへ

以前、述べた古代ローマを描いたドラマ「ROME」ですが、思うところあり、続編を書くことにしました。

まず、この番組を見ていて、ふと、思ったことがあります。
とにかく、マフィア同士の抗争はある、浮浪者はもとより、普通に路上に座り込んでいると強盗はいる、追い剥ぎはいる・・・というのに、それを取り締まる公権力というものがまるで出てこないんですよね。
そこまで思って、ふと思いました。
古代ローマには、「警察」というものは存在しなかったんじゃないかと。
そういえば、塩野七生女史の大作、「ローマ人の物語」にも、「衛生状態は今日のローマよりもはるかに良かった」とは書いてあった記述はみた記憶があるものの、「警察」というものについて書かれたくだりは、見た記憶がないそ・・・と。

つまり、古代ローマには「防衛」はあっても、「警察」はなかったのではないかと。
もし、そうだとしたならば、ローマの指導者階級・・・、すなわち、貴族元老院議員といった人たちは、自分と自分の資産の安全のことしか考えていなかったのではないか・・・、公権力による国民の安全・・・、つまり、治安のことなど考えていなかったのではないかと。
思えば、日本では古くから「検非違使の庁」などという警察みたいなものがあったことを考えれば、おそらくは、これも中国からの輸入品でしょうから、東アジアにおいては、かなり早くから、治安維持機関があったと思われるわけで、(それが民衆を守ってくれたかどうかは別にしても、)この点では、都市国家からスタートした「国民ありき」の国家よりも、王朝が交代することで新陳代謝を繰り返してきた「王権ありき」の国家の方が、民衆の安全に敏感であったということなのでしょうか。

これはまあ、「もしローマに警察がなかったら」・・・を前提に言っている話で、私としても、決して、調べたわけではないので、あくまで仮に・・・の話ですが、もし、警察がなかりせば人々はどうやって自らの安全を守っていたのか・・・ということが疑問になってきます。
で、これも、このドラマと塩野女史の大作を見る限り・・・・ですが、おそらく、貴族富裕層などは奴隷などを一定量購入し、私兵として自らの安全を守ることが出来たでしょうが、庶民はどうすればいいのか・・・といえば、このドラマを見る限りでは、おそらく、貴族有力者などの傘下に入るか、もしくは、マフィアに守ってもらうか・・・ではなかったかと。

当然、守ってもらう以上は無条件というわけにはいかなかったでしょう。
貴族の傘下に入る・・・というのは、平安朝期の日本で、庶民がこぞって貴族に荘園を差し出し、その傘下に入ったことと似ているような気もしますが、その結果、主従関係ができてしまうわけですよね。
カエサルポンペイウスが戦うことになったとき、カエサルの副官「元々、自分の家はポンペイウス家の郎党だった・・・」という理由で、カエサルの許を去り、ポンペイウスに与しているのがそれでしょうか。
また、マフィアに守ってもらうのも、一昔前(?)の日本のやくざ「みかじめ料」のようなものを想像すればわからない話ではなく、ある意味、「自衛」という意味では自然の姿であったといえるかと。
仮に、公権力による治安維持機関というものがあったとしても、それは、往々にして、庶民にとっては期待できるものではないことも多く、であれば、人々は強い人の傘の下に入ろうとするものでしょう。
ま、古今東西を問わずこういう話が出てくる辺り、ある意味、人々が自衛していく上では自然の姿であるといえ、これが王権成立過程原始的な段階だったのかもしれません。

明日に続きます。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-10-02 08:01 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

古代ローマに見る良い仕事をしすぎたが故の作家の功罪 2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

「あまりにも良い仕事をしすぎた」という点での、司馬遼太郎氏のの部分、即ち、「司馬史観=史実」であるという誤解についてだが、これについては、実はかくいう私も、それに毒されていた一人である。
司馬翁の著書の中に、「坂本龍馬脱藩するに当たっては、の一人がそのを負って自害した」という記述があり、また、他の媒体でも度々、見かけたことから、これはてっきり、事実だとばかり思っていたのだが、以前、高知を旅した際に、「坂本龍馬記念館」(?)に行くことになり、道々、このことを、同行者に得意気に語ったところ、同館には、「この話については、事実としては確認されていない」と、大きく張り出されており、これには大いに面目を失うこととなったのである。

これ即ち、研究発表でない限り、極力、史実を基に描いたとしても、そこに作者の史観が影響してくるのはやむを得ないことといえるだろう。
この点で、塩野七生女史は、大作「ローマ人の物語」を著すことで、これまで、日本人にあまり馴染みがなかった古代ローマというものを、系統立てて、わかりやすく、それでいて、既存の学者の説をなぞるだけに終わらない、優れた逸品に仕上げた。

明治以降、日本人は、脱亜入欧というスローガンを掲げてきたわけだが、その是非は置くとして、それを掲げる以上は、最低、「ギリシャ・ローマ史」「聖書」くらいは(入信しないまでも)理解しておくべきではなかったか・・・というのが、常々の私の考えであった。
ただ、聖書はともかく、ヨーロッパ文明の基礎となった「ギリシャ・ローマ文明」については、これを、きちんと、系統立てて、しかも、基礎知識がない日本人にもわかるように詳述した良書は皆無であったのである。
(昔、私が学生時代には、日本人向けにわかりやすく、ローマ史の一部として系統立てて著した著作を探したのだが、書店では皆無だった。 カエサルアウグストゥスの名前は知っていても、彼らをモデルに描かれた著作は、小説ですら見つけ出すことは困難だった。)
日本人は、必ずしも、欧米に同化する必要はないが、その意味では、この書は必読の書であると思われる。
そこへ、この本が出た。
読んでみると、読みやすいし、わかりやすい。

だが、それだけに、ローマ帝国がきちんと機能している時代までを「理想的な政体」であるかのように描いているのは、少々、いかがなものかと思える。
それは、いかに素晴らしい政体であっても、現実には、既述のように、古代国家以外の何ものでもなかったからだ。
(無論、現代より優れた部分もあっただろうが。)
即ち、古代ローマとは、奴隷で成り立っていた政体であり、塩野女史は、「解放奴隷」などの救済措置があったことで、奴隷制度の現実を希釈しているようだが、もっと、これら負の側面についても詳述するべきではなかったか。
それらのことについては、貴族の平均年齢65歳に対し、奴隷の平均年齢20歳という数字が雄弁に物語っているだろう。
(最たる物は、剣闘士奴隷による大規模な反乱「スパルタカスの反乱」に対する部分での記述であろうか。塩野女史には、なぜ、こんな反乱が起きたのかが、理解できなかったのではなかろうか。)
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-09-28 08:04 | 歴史 | Trackback | Comments(6)

古代ローマに見る良い仕事をしすぎたが故の作家の功罪 1
親愛なるアッティクスへ

以前、テレビで、「ROME」(ローマ)というドラマ(?)をやっているのを見た。
ローマとは、言うまでもなく、古代ローマのことで、ユリウス=カエサルや、オクタビアヌス、クレオパトラの時代を舞台に、毎週二話、2時間にわたって放送されていたのだが、なかなかに見応えがある番組で、大いに気に入っている。
特に、驚くべきは、その舞台設定だ。

これは、本来、史実に表れてこないローマの姿そのものが、忠実に再現されており、そこに出てくる人々は良い意味でも悪い意味でも、実際にそこに生きていた人として、活き活きと描かれている。
主人公は、カエサルでも、オクタビアヌスでもなく、一介のローマ軍兵士二人であり、彼らの生涯と視点を軸に、英雄たちと絡ませることにより、一層、当時のローマという物を等身大で描き出すことに成功したように思える。
史実としては、多少、面白おかしく作ってある部分もあり、また、本来、架空の主人公の兵士二人を含む登場人物の色づけなどには不要論を唱える私も、むしろ、これを切り離してみることこそがフィクションであるかのように思え、見応えという点では、実際のローマかくありし・・・と思わざるを得ないほどの仕上がりである。

街には、ローマ人ばかりではなく、ユダヤ人、マウリタニア人、ゲルマン人、ケルト人、ギリシャ人、エジプト人、ペルシャ人などが、普通に、各々の民族衣装のままで溢れており、この都市が、雑多な人種の集合体であったことがわかるだろう。
ローマのマフィア同士の抗争など、史実にはどこにも出てこない話であろうが、その凄惨ぶりは目を覆わんばかりで、実際のローマかくありき・・・と思わせられる一場面でもある。
さらに、ローマの女同士の争いもまた、上流社会も日本の大奥の比ではなく、売春婦のそれも、「陽暉楼」「吉原炎上」の比ではなく、とにかく、人間の値段が限りなく安価であることに驚かされる。
思えば、キリスト教的価値観が浸透する前であり、そこには「貞操観念」、「同性愛」、「拷問」、「人権」・・・・、即ち、「理論上考えられること」は何でもありの世界なのである。
この点は、いくら、古代のギリシャ・ローマ「民主主義の原型」を求めようとも、そこにあるのは、まごうことなき古代国家であり、しょせん、古代社会は古代社会だな・・という感を強くする。
一部、R-15指定になるのもやむを得ないといえよう。

で、先日、塩野七生女史の大作、「ローマ人の物語」の最終巻を、ようやく、読み終えた。
この点で、故司馬遼太郎氏は、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、その裏表としての「功罪」を生じさせた・・・。
即ち、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、多くの人が、そこに書いてあることが史実であると思いこんでしまった・・・、つまり、司馬史観というフィルターを通して見てしまっていることである。

そして、その点で、塩野女史もまた、然りであろうか。

明日に続く・・・。
                                 平太独白
by heitaroh | 2007-09-27 08:08 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

報酬と業績の関係に想うプロの定義
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1024465.jpg今、NHKで「プロフェッショナル~仕事の流儀」という番組をやってますよね。
(←地球は丸い!)
ブームを巻き起こした「プロジェクトX」の後継番組のようですが、前作とは違い、私はこちらは初回に見ただけであとはあまり見てません。

で、その番組の最後で、いつも、「あなたにとって、プロとは何ですか?」とゲストに問いかけるシーンがあります。

「プロとは何か・・・?」
この点では、番組中で、様々なゲストが、様々に「プロ観」を述べていますが、これを、私なりに言わせていただくなら、「お金をもらうことを意識して、お金がもらえるものを提供することが出来る」のが「プロ」だと・・・。
言うならば、ビギナーズ・ラックの対極にあるものだと考えれば、わかりやすいでしょうか。
つまり、無欲で何となくやってみたら売れた・・・が、その後、「売る」とか、「報酬」ということを意識してやってみると、意外なほどに、まったく売れない・・・などという話もありがちな話のようです。
いわゆる、一発屋というのが、それでしょうか。
最初は、単に、「良い物」を意識していただけが、そこに、「欲」が出てきて・・・ということもあるのでしょうね。
そこで敢えて、「売れる物」を作ろうとして、作れる人がプロなんだと・・・。
そこが、アマチュアとプロとの、大きな一線ではないかと・・・。

徳川家康は、「家臣の禄(給料)を上げすぎるのも、かえって、逆効果になることが多い」という意味のことを喝破していますし、最近では東横インの社長が、問題発覚時に、自身は驚くくらいの豪邸に住みながらも、社員である女性支配人らにはこれまた驚くくらいの薄給しか与えていなかったことを指摘された際に、「上げすぎるとモチベーションが下がる。足りないくらいが良い」というようなことを言ってましたよね。
私は、テレビで見る限りでは、この社長氏の人間性はあまり好きになれそうにはなかったのですが、そこで言っていることは、ある程度、真実・・・、いや、現実なんだろうなと思いました。

事実、古代ローマでは、前線の兵士らには、妙にゆとりをもたせると、どんなに心酔している司令官でも、どんな切迫した状態の時でも、途端にストライキを打ち出したといいます。
所詮、人間とは、「苦」は共に出来ても、「楽」を共にすることはできない生き物なのでしょう。
また、最前線で苦労している兵士の待遇を良くするたびに、国家としての、ローマ帝国は凋落の一歩を踏み出すことになったようにも感じます。
「どんなに最悪の結果となった政策でも、それを打ち出したときには多くが良かれと思って始められた」とはカエサルの言葉ですが、思わず、なるほど・・・と。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-08-21 09:59 | 経済・マネジメント | Trackback(3) | Comments(8)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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