タグ:博多駅土地区画整理 ( 28 ) タグの人気記事

ついに9年目にしてすっかり忘れていた9周年記念号!
日々の多忙さに紛れ、すっかりサボりぐせがついてしまった拙ブログですが・・・、ふと、気がつけば遂に・・・というか、とうとう・・・というか、何と言うか、
9周年!・・・を迎えてしまったようです。
まずは、これも偏に、皆々様のお引き立ての賜物と厚く御礼申し上げます。

まあ・・・、熱しやすく冷めやすいの博多人の典型のような私ですから、ここ数年は惰性で、さらに、この数ヶ月は完全に燃え尽きたような状態で、単に続いているというだけの状況でしたので、ついに、9年目にして9周年記念号を起稿することをすっかり忘れておりました。

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(↑毎年恒例、周年シリーズ画像、「道」です。特に珍しい道ではないのですが、ここは私にとって三の丸(?)に相当するような所で、かねてから、この蛇行が気になっておりました。川の跡かとも思ったのですが、調べた限り、ここに川はなかったはずで・・・。昭和48年に完了した博多駅地区土地区画整理で整備されたはずの地域に何でこんな曲がりくねった道があるんだ・・・と。ちなみに、画像で見るとかなり蛇行してますが、地図で見ると殆ど蛇行らしい蛇行にはなってないんですよね。たぶん、すぐ脇をJRが走ってますので、博多駅に入る前のカーブを緩やかにする為の軌道に合わせたんだろうとは思いますが・・・。)

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思えばブログを書き始めた9年前、2005年の3月ですが、翌4月2日の土曜日から秋田の友人から京都で開催されるある会合に誘われたことがきっかけでした。
全く知らない人ばかりの会合ですから、私のような凡下の人間がそういう会に参加させていただくということ自体、厚かましい限りでして、ならばと著書の宣伝と自己紹介を兼ねて「今流行のブログという物を始めてみるか・・・」と思い立った次第でして、(その少し後ですが、玄界西方沖地震郵政解散があった頃です。)んなもんで、明確に、「今日から始める!」と思って始めて無いので、明確に何日から始めたか覚えていません。
大体、3月の20~25日くらいだったよな・・・という程度でして・・・。
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ちなみに、ここ最近、私がサボり気味なのには訳がありまして・・・。
以前、拙著、「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を書いたことから、おかげさまで、今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の余禄に預かっており・・・。
色々と講演の依頼などを頂戴している為、準備その他にかなり時間をとられている・・・というのは表向きで、まあ、やっぱり9年も続けていればいい加減飽きたんでしょうね(笑)。
                                    平太独白


by heitaroh | 2014-03-28 13:04 | その他 | Trackback | Comments(2)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その22
このシリーズ、最後の最後まで来て、すっかりご無沙汰になってしまいました。
ていうか、ここ数ヶ月、色々あって本当に更新サボりすぎました。
ということで、前回の続きです。

いよいよ、佳境(?)です。

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蛇行しながら鉢の底川と共に進んできた、かつての旧道・往還通り(現人参通り)ですが、この画像(↑)の先で、一応、川とは別れを告げます。

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一応・・・というところがミソなのですが、この画像(↑)でおわかりの通り、直進する道と右折する道に分かれてますよね。
正確には、五叉路なのですが、他は置くとして、今では直進が付け足しで、通り自体は右にカーブしている・・・と思われるでしょう。
が、実は直進しているのがかつての鉢の底川を伴った往還通りで、右カーブしているのは昭和40年前後の博多駅地区土地区画整理によって後から作られた道なんです。

ただ、当時はクリークの名残なのでしょう、以前も申しましたように一帯にはドブ川があちらこちらに走っており、この右カーブしている現在の道の方向にもドブ川が流れておりました。
おそらく、現在の博多駅前二丁目方向からの生活排水を鉢の底川に注ぎ込む為の物だったと思いますが、この辺はとにかく、区画整理によって根こそぎ変わってしまいましたから、もう、窺い知る痕跡は何もありません。

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で、この現在の人参通りに別れを告げ、直進して旧往還通りを進みますと(↑)、やがて、ビルに突き当たってしまいます。
つまり、鉢の底川はかつて、このビルが建つ前は、この部分を真っ直ぐに流れていた・・・と。

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で、こちら(↑)の矢印方向、つまり、この区画の向こう、現在のキャナルシティへと至る道に抜けていたということですね。
ちなみに、この道はかつての国鉄鹿児島本線・筑肥線ですので、川は国鉄の線路の下を潜っていたということになります。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-20 19:10 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その2
先日の続きです。

で、この「鉢の底川」ですが、私が子供の頃には幅1mくらいのドブ川で、その傍らを当時、「往還通り」と呼ばれた旧道が走っておりました。

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(↑今では「人参通り」という名称になっているそうですが、要は、博多駅地区土地区画整理事業の中で、すべての区画が変えられる中で、なぜか、唯一残った旧道なわけです。川は右端に沿ってありましたが、今でも、川の形に蛇行しているのがおわかり戴けると思います。)

この道は、おそらく、江戸時代以前に、人々が回り道を嫌い、便宜的に、この川の河畔に沿って博多の南にある竹下村警弥郷村などへ抜けようとして、往来するうちに出来た道だったのでしょう。
(もっとも、拙宅があった旧下人参町地区は、たびたび、申しておりますように、すぐに床下浸水する低地帯でしたので、明治中期以前、人々が住み始めるようになる前は、耕地としても限られた作物しか栽培できないような「湿地帯」で、従って、おそらく、少し雨が降ると通行がためらわれるような道だったでしょう。)

そこを区画整理の際に片側1車線の道路にする上では、鉢の底川のスペースというのは余計な物以外の何物でもなく、「博多駅前」になることで、今後、増大するであろう交通量を考慮すれば暗渠では持たない・・・という判断があったのだろうと思います。
結果、鉢の底川は埋め立てられ、道路の一部となってしまったことで、(前回も申しましたように、以前、道路工事の際に見たところ、暗渠ではなく、完全に潰されておりました。)他のドブ川と同様に、私にとっては、「かつて、過去に存在した川」という・・・、つまり、「もう、この世には居ない人」のような認識となっており、哀しいかな興味の対象から完全に外れておりました。

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それが、先日、たまたま、運動不足解消のために散歩しようと思い、旧竹下村(いつの時代のことだ・・・と(笑)。)にある、那珂八幡宮なる神社(↑)へと行った際、何と、上流の方ではまだ、この川が健在であることに気づきました。
それで、「この川はまだ、死んでいなかったんだ」と思い、改めて、「この川はどこに続いているのか?」という、少年の日の果たせぬ夢の続きを追ってみようと思った次第でした。

ということで、なかなか、本題に辿り着かないけど、とりあえず、次回へ続く・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-30 17:25 | 地域 | Trackback | Comments(8)

「我が心の博多、そして西鉄ライオンズ」読了・・・。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12481365.jpg昨一昨日と野暮用にて東京・横浜まで行っていたのですが、新幹線で行ったことから、往復10時間の貴重な読書タイムを得ることが出来ました。
で、読了したのがこちら・・・(←)。

「我が心の博多、そして西鉄ライオンズ」という本なのですが、著者は以前からたびたび触れました、「エル・スール 我が心の博多そして西鉄ライオンズ」という舞台のプロデューサーにして、博多駅土地区画整理前は隣町の出身で、私の15歳年上の先輩でもあります。

従って、主にここに描かれているのは区画整理前の現在の博多駅前地域を中心とした話でして・・・。
とは言え、哀しいかな区画整理以前の現博多駅前を知る最後端世代(それでも50歳)の私としては諳んじるに能わず語るを得ず・・・で、わずかに残る子供の頃の記憶と一瞬だけ嗅いだ匂いであり、万感胸に迫る時代でもあります。

ただ、私がかねがね、不満だったのは、博多駅が移転してきたことにより「博多駅前」となったこの地域は、福岡博多のような由緒正しい歴史はなくとも、そこにはそこの歴史があったはずなのにそれが一切、抹殺されてしまっていることでした。
(現在の新装なった博多駅も「歴史」という括りでは「博多駅付近に歴史はありませんから、地下鉄祇園駅から向こうに行きなさい」となっていることに少なからず憤慨しております。)
筑前福岡藩が殖産興業の一環として、足軽を入植させて朝鮮人参の栽培を試みたことから呼び名がついた我が下人参町などはその典型でしょうが、そこに住んでいた人たちの人間模様も含め、もっともっと、こういう物をきちんと保存顕彰すべきだと思っている私にとっては、この本は空白のピースを埋める貴重な一石でしたね。

まだまだ、語りたいことがあるのですが、残念ながら時間となってしまいました。
続きはまた、いずれ機会がありましたら・・・ということで。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-03-24 07:43 | 地域 | Trackback | Comments(0)

祝う気になれない今年の一応、6周年・・・です
親愛なるアッティクスへ

お陰様で、拙稿も気が付けば6周年を迎えるようです。
本当は色々と書くことを用意していたのですが、時節柄、祝う気にもなれず、さらっと流したいと思います。

e0027240_1348347.jpg←毎年恒例、「道」シリーズですが、こちらは、昨年、東京に行った折に調布で撮った何の変哲もない風景です。
で、なぜ、ここを撮ったかというと、前夜、地元の友人より、「この道は、まもなく、道路拡張で両側が削り取られ、大きな道になる」・・・と聞いたからでして、つまり、調布どころか、東京自体、年に一度行くか行かないかの身であれば、次に来たときにはこの風景はもう、無くなっているかもしれないわけで、今、残しておかなければ・・・と思った次第でした。
つまり、東京スカイツリーの時も申し上げましたが、一旦、出来上がってしまえば、いつでも見られるわけで、今しかない風景こそが尊いものだ・・・と。

これは、「地元民にとっては革命にも等しい出来事」と言われた博多駅土地区画整理を実際に経験した者だからこそ、痛感することですが・・・。
この点は、たびたび、申し上げてきたことですが、同区画整理が施行されたとき、私はちょうど、小学校に上がろうとするときでして、したがって、私の記憶は、幼稚園までは白黒下人参町、小学校からはカラー博多駅前となっております。
(その結果、プロフィールの所でも申し上げているように、私が物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」となったと・・・(笑)。)
で、私は今でも、当時の風景を良く夢に見るのですが、それは、まあ、所詮、夢のなかの風景ですから、実際にあった風景とは、やはり、まったく違う風景なんですけど、それでも、目覚めた後は無性に懐かしかったりするんですよ。
まあ、無論、世の中のすべての風景が一切、変わらないなどということはあるはずもないことでしょうが・・・。

で、私はこの区画整理という物について思うのですが、とかく、区画整理とはこれまでの街並みに無造作に線引きして、まったく違う街の区画に変えることが多いんですよね。
この点で、思うわけです。
何で、区画整理はそれまでの道や区画をすべて消し去って、まったく違う街を作ってしまうんだ・・・と。
たとえ、しょうもない道でも、道には道の成り立ち歴史があるんですよ。
それをすべて、葬り去ってしまって、隣にまったく別の道を作る・・・。
確かに、そちらの方が機能的ではあるのでしょうが、どうして、元からある道をできるだけ活かして線引きをしない・・・と。
枝道はまだ、仕方ないとしても、旧道というのは大事にしないといけませんよ。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-22 07:29 | Trackback | Comments(5)

人の記憶は3歳リセット説に対する私の2歳の記憶
親愛なるアッティクスへ

いよいよ、九州新幹線博多まで繋がる日が近づいて来ました。
で、年末から色々と、世間を騒がせている市川海老蔵さんですが、彼は生まれ落ちた瞬間の記憶があるんだそうですね。
時々、そういう人がいるというのを耳にしますし、中には母親の胎内にいるときの記憶もあるという人もいるとか・・・。
ただ、以前、学者さんか誰か有識者の方が「人間の記憶は3歳までに一度完全にリセットされてしまうので、それ以前の記憶があるなどと思っている人は後から聞いた話などを自分の記憶と勘違いしているだけ」ということ言っていたのを聞いたことがあるのですが、ところが、私自身、どう考え直しても、3歳以前の記憶があるんですよ。
(アメリカ人の博士号を持った親戚からは、「おまえらに7歳より前の記憶があるはずはない」と言われましたけどね(笑)。)

と言いますのも、私の一番古い記憶というのは近所のお婆ちゃん達に背負われて「汽車」を見に行っていたことでして、ただ、その場所を列車が通過していたのは博多駅が昭和38年12月博多駅土地区画整理の一環として、先日、新築なったばかりの現在地(↓)に移転するまででして・・・。
(当時は、汽車を見に行く・・・などというのが娯楽だったんですね(笑)。)
つまり、その場所に列車が走っていたのは私がちょうど2歳半まで・・・なんですよ。

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それに、ただ、見に行っていた・・・というだけなら、後日、人から聞いた話を記憶と思いこんだと言うことも考えられるのでしょうが、それだけでは説明が付かない話がありまして・・・。
というのは、当時、すでに簡単な字は読めていた私は(これは母に確認済みです)、列車に「つばめ」とか何とか書かれた物を見て、「これはどこまで行くの?」と聞いたところ、「これは東京まで行く」と言われ、「ふーん」・・・と。
で、翌日、また、同じ時間帯に見に行ったところ、何と、昨日と同じ電車が走っているじゃないですか!
私としては、当時は祖父母が東京に行くときは寝台車で行っていた時代ですから、前日の朝に東京に向けて通過していった列車がまた、翌日の朝も通過しているということに驚いたわけです。
つまり、もう、その日のうちには帰ってくることは出来ないと思いこんでいた・・・と。
で、驚き、「また、東京まで行きよう!」と言ったところ、婆ちゃんたちが「何であんた、この電車が東京まで行くってわかったとね?!」とこちらも驚いた・・・と。

この辺の私の記憶を後付の勘違いというのなら、私がそう思い込んでいた誤解・・・、それから、婆ちゃんたちも私が、「つばめ=東京」と思い込んでいる誤解に気づいていないという、言わば、二重の誤解があったわけで、ここまで人から聞いた・・・というのは説明が付かないでしょう。
無論、3歳以前と言ったところで、個人差もあるでしょうから、その程度なら十分、誤差の範囲内と言えるのかもしれませんが、ただ、私が列車を見に行っていたのは一度っきりのことではなく、毎日のように行っていた記憶があることを考えれば・・・。
ちなみに、私は博多駅前で生まれ育ったにも関わらず、前・博多駅ビルが建った時というのはまったく覚えておりませんし、当然、前々・博多駅もまったく覚えておりませんことも証言しておきます(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-10 07:42 | 社会全般 | Trackback | Comments(6)

東京駅も・・・
親愛なるアッティクスへ

工事中だったんですね。

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思えば昭和39年(1964年)は、博多駅移転開業による博多駅地区土地区画整理の年ではなく、東京オリンピックによる東京大改造の年であるように、今年、平成23年(2011年)も新博多駅開業の年ではなく、東京駅改修の年として記憶されるんでしょうね。

今から、帰ります。

まだ、しっかり二日酔いですが。                                        
                               平太独白
by heitaroh | 2011-01-14 11:39 | 地域 | Trackback | Comments(0)

寒気厳しき中に思う十二月は冬?
親愛なるアッティクスへ

ついに、十二月も残すところ半分を割り込みましたね。
年賀状の受付も始まったとかで、昨日、博多郵便局では私の後輩の園児たちがデモンストレーション(?)をやってました。
(俺の頃は何でなかったんだ・・・と思ったら、よく考えたら、当時は、「地元民にとっては革命にも等しい」とまで言われた博多駅移転に伴う博多駅土地区画整理の真っ最中で、博多郵便局そのものがまだ出来てなかったような・・・。)

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で、本日の福岡県地方は最高8℃だそうで、冬もいよいよ、本性を現し始めたと見え、結構、寒いです。
ところで、十二月ってなのでしょうか?
私は、小学校の頃、教室の後ろの黒板の上に貼ってあった一年の動きを記した歳時表(?)みたいなやつの下の方の帯に、【三.四.五月「春」、六.七.八月「夏」、九.十.十一月「秋」、十二.一.二月「冬」】とくっきりと色分けしてあったのを見て、「ああ、そうなんだ・・・」と思い、以来、そういう分け方をしていたのですが、以前、友人と話した折、九月は「秋だ」、「いや、夏だ」という論争になったことがあり、私は、上述のそれを持ち出して、その通りに言ったのですが、友人は、「違う。四.五.六月が春で、七.八.九月が夏、十.十一.十二月が秋、一.二.三月が冬なんだ!」と・・・。

まあ、四季をきれいに三ヶ月で割り切るということ自体、無理がある話で、かつ、あまり意味がある話でもないでしょうが、ともあれ、以来、折に触れて、テレビなどでのそれを気をつけてみていたのですが、確かに、友人の歳時記の方が支持されているみたいなんですよ。
特に、最近では、温暖化の影響で九月はまだまだ暑いし、十二月も冬本番・・・って感じではありません。
確かに昔は、を過ぎたら「残暑」だと言っていたわけで・・・。
(もっとも、ここ数年は私的には盆を過ぎたらそれ以前のような猛暑はないですけどね。)
もっとも、私が子供の頃に見たそれにしても、元々、どの程度、裏付けがあって書かれた物かわかりませんし、あるいは作った人の主観だけで作られたものだったのかもしれません。
(作った人も、色をあんなにはっきりと分けなくても良かったのでは・・・。せめて、季節の変わり目は段々、青から赤になっていく・・・とか(笑)。)

ちなみに、昭和の頃からバングラデシュに赴任している私のイトコは、現地では、運転手にメイド付きだそうですが、彼に言わせると、「メイドも要らなきゃ運転手も要らぬ~」だそうで、「何が欲しいんだ?」と聞くと、「わたしゃとにかく四季が欲しい」・・・だそうです(笑)。
寒い冬を有り難がるなど、今も凍えている私からすれば贅沢な悩みのようですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-16 08:39 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

「エル・スール 我が心の博多そして西鉄ライオンズ」に号泣寸前
先日、私が1歳の頃・・・、つまり、昭和37年(1962年)のクイズ番組があってたので、まあ、見るとも無しに見ていたところ、回答者が、「犯罪の低年齢化少年法の改正を・・・」と言っていたのには、思わず、苦笑してしまいましたね。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」などでは、あの時代は「良いことばかりの時代」として描かれてますが、あれはあくまで娯楽映画であり、ドキュメンタリーのつもりで見るのはとんでもない誤解を生じさせますよ。

で、昨日、友人を誘って、「エル・スール ~我が心の博多そして西鉄ライオンズ~」という舞台を見てきました。
西鉄ライオンズ全盛の昭和30年代前半の博多が舞台の演劇で、全編、博多弁で語られるというのを知り、場合によっては東京まで見に行こうか・・・と思っていたところ、昨日一日だけ、福岡で開演されるということでしたので、万難を排して行ってきました。
で、見た感想は・・・というと期待以上・・・、もう、120点でしたね。

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普通、昭和30年代の博多を描くときには、当時の博多駅前、いわゆる「博多」と呼ばれる地域が舞台となるんですよ。
博多祗園山笠の舞台となる地域と言えばわかりやすいでしょうか。
それが、この作品は、光が当てられることは少ない当時の博多駅裏、今の博多駅前が舞台となってるわけで、そこにあったのは、まさしく私の誕生前夜の我が地元、下人参町界隈の世界以外のなにものでもなく、それだけに最後の方で、博多駅移転土地区画整理が進む中、「皆、おらんごとなる(いなくなる)」と主人公が言ったときには、もう、私は滂沱の如く・・・状態であり、あと少しで不覚にも嗚咽を漏らしてしまうところでした。
(私はかねてより申し上げておりますように、この作品の舞台となった、当時の末広町の隣の「下人参町」で、西鉄ライオンズ三連覇の3年後に生まれました。で、調べてみたら、詳しいのも道理、プロデューサーの岡田 潔という人は私の小学校の先輩でした(驚)。)

中には、ハラハラするような表現や、決して賛美できないような人たちも出てきましたが、これは良い悪いではなく、まさしく、当時の現実なんですよ。
犯罪発生率は今より高かったわけですし、私の父に言わせると「近所にはヒロポン中毒だらけ」という世界だったそうで、要は劇中でヒロインも「ヒロポンでもやらないとやってられない」と言っていたように、「ヒロポン中毒かアルコール中毒にでもならなければやってられない」ような世の中だったということでしょう。
(私も、アル中くらいなら別に珍しくなかったですよ。)
ということで、日程が合えば、東京までもう一度見に行こうかな・・・とさえ思わせる素晴らしい作品でしたね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-09-09 08:21 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(0)

煙突から降りられない女性で思い出した聞かなくなった話
親愛なるアッティクスへ

先日、どこやらで、煙突の上に登った若い女性が、登るのは登ったものの降りられなくなって、レスキュー隊が駆けつけて救助される・・・という騒ぎがありましたよね。
私が子供の頃は、割と普通に周囲に銭湯の煙突などがありましたから、よく、耳にしたことがあるんですけど、あれって、登るときは登れても、一旦、上に上がってしまうと降りられなくなるものだそうですよ。
また、昔は、よく、子猫が、木の枝の上に登って降りられなくなる・・・ということがあったとも聞いています。
猫が、枝の上に止まって、3日も4日も、ずっと、じっとしているから、「?」と思っていると、そういうことらしく、そんなときに、人間が迂闊に可哀想だなどと思って、降ろしてやろうとすると、パニックになって、人間に飛びかかって来る・・・とも聞きました。
いずれにしても、最近では、もう、聞かない話ですけどね。

そういえば、聞かない話・・・という点では、私の生まれ育った現博多駅前地区というのは、度々、ご紹介しましたように、昭和43年の博多駅地区土地区画整理換地処分以前は、「下人参町」と呼ばれた下町でしたが、昭和38年博多駅移転以前は、今のキャナルシティ付近で、線路が直角に曲がっており、そのため、ここでよく、脱線事故などがあったそうです。
さらに、亡父の話では、当時は、飛び込み自殺なども少なくなかったらしく、そのたびに、列車は一時停止し、そこで、人間の死体を組み立て、元の人間の形なるまで発車しなかったとか。
それは、何も、死者を悼む気持ちからなどではなく、列車のどこかに、遺体の一部が引っかかっていたりすると、脱線の危険性があったからだとか。

さらに、良く聞くと、必ずしも、自殺するつもりはなくとも、結果的に、撥ねられてしまうケースも少なくなかったと言います。
どういうことかというと、電車が来たからといって、傍らに立ってやり過ごそうなどとすると、猛スピードで走る列車のすぐ脇だと、風圧で吸い寄せられてしまうのだとか。
特に一番怖いのが、すれ違う列車の間に立つことで、理論的には、そこに隙間があれば、人間が立って、列車をやり過ごすのは可能なように感じますが、実際は、まず、アウトだそです。
昔は、よく、踏切を渡ろうとしたら、上りが来たので、脇に避けて立っていたら、上りが行ききらないうちに下りが来てしまった・・・なんてことがあったそうです。
まあ、すれ違う列車同士の距離によっても違うのでしょうが、よく、列車に乗っていて、隣を快速電車などが通過していくと、風圧で窓ガラスにもの凄い衝撃が走るときがありますよね。
あの状況を思い浮かべて頂ければいいと思いますが、もし、こういう事態になってしまったときには、どうすればいいか・・・。
(まあ、最近は踏切自体、少なくなっているのでしょうし、鉄道側にも、安全対策が採られていると思いますが。)
ちゃんと、策があるんですね。
こういうときは、伏せればいいんだそうです。
伏せると、巻き込まれるのを避けられるのだとか・・・。

ちなみに、この辺りでは、今でも幽霊が出るという話があるようですが、あいにく、私は46年間で、一度も見たことがありませんけどね。

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by heitaroh | 2007-09-14 08:36 | 地域 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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