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再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その16
昨日の続きです。

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(↑先の道路で突然、暗渠が途切れているのがお分かり戴けると思います。)

e0027240_18322191.jpgここで再び、地図です。
もう、ここら辺からはもう、中流域と言ってもいいでしょうね。
(何度も申しますが、右下が上流、左上が下流です。)
右下から暗渠となって続いてきた鉢の底川も、立体交差下で綺麗に途切れます。
それが地図右下にある大通り部分です。

地図で見ると、すぐに右方向に続いていることがわかりそうに思えるのですが、現地ではこの時、「もはや、これまでか!」と思いましたよ。

e0027240_18315829.jpgで、立体交差の向こう側に出てみると、しっかり蛇行している道(←)があるじゃないですか。
しかも、よく見れば右にはしっかり暗渠の跡も繋がっているし・・・。
(すぐに気付けよ・・・と言われそうですが、これも現地では、よく見たら気づいた・・・って感じでして。嗚呼、我が身の愚鈍が嘆かわしい(涙!)。)
で、立体交差の下で、一旦、右45°に進路を変えた鉢の底川はここからは再び、地図で見るとほぼ直線に見えるものの、実際には蛇行(↓)しながらの直進を続けます。

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e0027240_194181.jpgで、当初の私の思惑を超えて、川(←)は意外にも私の中学校校区にまで入りました。

私の地元、博多駅前地区は、早くからオフィス街化に伴うドーナツ化現象により、過疎化が進んでいたのですが、ここ、博多駅南地区は昔はまだ、結構人が住んでおり、特に、この辺は我々、博多駅前地区の人間から見れば、人がたくさん住んでいた・・・という印象でした。
でも、今ではそれが往時の活気は見る影もないほど、すっかり寂れた街になってしまいました。

(昔はこの辺は、夕方になると、通りに「バンコ」と呼ばれる材木を適当に打ち付けただけの簡易な長椅子を出して、ステテコ姿のおじさんたちが夕涼みをする・・・といった、古き良き光景がまだ見られたのですけどねぇ。)

ということで、この後、衝撃の展開は次回に続く・・・のココロだぁ。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-06-28 19:17 | 地域 | Trackback | Comments(2)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その1
以前、まったくの自己満足として、
平太郎独白録 : 博多駅前史という一部のマニア向けの特集をやっておりましたが、今回も再びの自己満足シリーズです。

e0027240_1947859.jpg私が子供の頃・・・、昭和44年に現在の博多駅前になる以前の、それまでの福岡市下人参町の我が家は2本のドブ川に挟まれた地域にありました。
(←これが走っていた時代です(笑)。)
従って、たびたび、触れておりますように、大雨が降るとすぐに床下浸水になってましたが、当時は割りと普通にあったドブ川でしたし、私が生まれる前までは周囲は田んぼばかりだったそうですから、田に水を引くためのクリークのなれの果て・・・だったんだろうと思い、特に、気にしてませんでした。

それが、博多駅前史を書こうとして調べているうちに、現在のキャナルシティ前に「鉢の底川」という名前を見つけ、「そういえば、ドブ川があったような・・・」と思い、辿って行くと、その川が我が家の傍を流れていたドブ川の1本に繋がっていたことがわかり、「あ、あのドブ川には名前があったんだ」と知りました。

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(↑いずれも画像は、以前、ご紹介した大分県は豊後高田市にある「昭和の町」にて撮影したものです。我々の年代には結構、ここはワンダーランドでしたね(笑)。)

亡父からは特に、この川のことについて聞いた記憶は無いのですが、この川のもう一本向こう、現在の住吉神社の中にも昭和の初めまでは小川が流れており、大変、綺麗な清流だったそうですが、上流に地下足袋工場(現在の九州松下電器?)が出来、そこの廃液が流れこむようになって、一気にドブ川になった・・・という話も伺いましたので、あるいは我が家の近所の川もそうだったのかもしれません。

で、もう一本のドブ川の方はおそらく、クリークのなれの果てだったのでしょうが、「鉢の底川」の方は、その後、色々と聞くうちにこの川は、江戸時代初期、元禄年間の地図にしっかり載っていることがわかり、「あ、これはクリークじゃないな」・・・と。
で、その後、博多駅土地区画整理事業に伴い、この川は無くなり、今は暗渠にされているんだろうとばかり、思っていたのですが、数年前にたまたま、道路工事していたのを見ると、完全に潰してありました。
(工事の人も、「やたら、瓦礫やらなんやら出てくるからおかしいなと思っていたんですよ」・・・と。)

元禄年間の絵図画像も昭和14年の航空写真もありますが、やはり、ここで掲げるのは控えさせて頂いた方が良いと判断し、次に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-26 19:59 | 地域 | Trackback | Comments(2)

「我が心の博多、そして西鉄ライオンズ」読了・・・。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12481365.jpg昨一昨日と野暮用にて東京・横浜まで行っていたのですが、新幹線で行ったことから、往復10時間の貴重な読書タイムを得ることが出来ました。
で、読了したのがこちら・・・(←)。

「我が心の博多、そして西鉄ライオンズ」という本なのですが、著者は以前からたびたび触れました、「エル・スール 我が心の博多そして西鉄ライオンズ」という舞台のプロデューサーにして、博多駅土地区画整理前は隣町の出身で、私の15歳年上の先輩でもあります。

従って、主にここに描かれているのは区画整理前の現在の博多駅前地域を中心とした話でして・・・。
とは言え、哀しいかな区画整理以前の現博多駅前を知る最後端世代(それでも50歳)の私としては諳んじるに能わず語るを得ず・・・で、わずかに残る子供の頃の記憶と一瞬だけ嗅いだ匂いであり、万感胸に迫る時代でもあります。

ただ、私がかねがね、不満だったのは、博多駅が移転してきたことにより「博多駅前」となったこの地域は、福岡博多のような由緒正しい歴史はなくとも、そこにはそこの歴史があったはずなのにそれが一切、抹殺されてしまっていることでした。
(現在の新装なった博多駅も「歴史」という括りでは「博多駅付近に歴史はありませんから、地下鉄祇園駅から向こうに行きなさい」となっていることに少なからず憤慨しております。)
筑前福岡藩が殖産興業の一環として、足軽を入植させて朝鮮人参の栽培を試みたことから呼び名がついた我が下人参町などはその典型でしょうが、そこに住んでいた人たちの人間模様も含め、もっともっと、こういう物をきちんと保存顕彰すべきだと思っている私にとっては、この本は空白のピースを埋める貴重な一石でしたね。

まだまだ、語りたいことがあるのですが、残念ながら時間となってしまいました。
続きはまた、いずれ機会がありましたら・・・ということで。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-03-24 07:43 | 地域 | Trackback | Comments(0)

祝う気になれない今年の一応、6周年・・・です
親愛なるアッティクスへ

お陰様で、拙稿も気が付けば6周年を迎えるようです。
本当は色々と書くことを用意していたのですが、時節柄、祝う気にもなれず、さらっと流したいと思います。

e0027240_1348347.jpg←毎年恒例、「道」シリーズですが、こちらは、昨年、東京に行った折に調布で撮った何の変哲もない風景です。
で、なぜ、ここを撮ったかというと、前夜、地元の友人より、「この道は、まもなく、道路拡張で両側が削り取られ、大きな道になる」・・・と聞いたからでして、つまり、調布どころか、東京自体、年に一度行くか行かないかの身であれば、次に来たときにはこの風景はもう、無くなっているかもしれないわけで、今、残しておかなければ・・・と思った次第でした。
つまり、東京スカイツリーの時も申し上げましたが、一旦、出来上がってしまえば、いつでも見られるわけで、今しかない風景こそが尊いものだ・・・と。

これは、「地元民にとっては革命にも等しい出来事」と言われた博多駅土地区画整理を実際に経験した者だからこそ、痛感することですが・・・。
この点は、たびたび、申し上げてきたことですが、同区画整理が施行されたとき、私はちょうど、小学校に上がろうとするときでして、したがって、私の記憶は、幼稚園までは白黒下人参町、小学校からはカラー博多駅前となっております。
(その結果、プロフィールの所でも申し上げているように、私が物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」となったと・・・(笑)。)
で、私は今でも、当時の風景を良く夢に見るのですが、それは、まあ、所詮、夢のなかの風景ですから、実際にあった風景とは、やはり、まったく違う風景なんですけど、それでも、目覚めた後は無性に懐かしかったりするんですよ。
まあ、無論、世の中のすべての風景が一切、変わらないなどということはあるはずもないことでしょうが・・・。

で、私はこの区画整理という物について思うのですが、とかく、区画整理とはこれまでの街並みに無造作に線引きして、まったく違う街の区画に変えることが多いんですよね。
この点で、思うわけです。
何で、区画整理はそれまでの道や区画をすべて消し去って、まったく違う街を作ってしまうんだ・・・と。
たとえ、しょうもない道でも、道には道の成り立ち歴史があるんですよ。
それをすべて、葬り去ってしまって、隣にまったく別の道を作る・・・。
確かに、そちらの方が機能的ではあるのでしょうが、どうして、元からある道をできるだけ活かして線引きをしない・・・と。
枝道はまだ、仕方ないとしても、旧道というのは大事にしないといけませんよ。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-22 07:29 | Trackback | Comments(5)

「振り向けば 遠くへ来たり 四十雀」を想う郷愁のおきゅうと
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14501153.jpg本日は、本当はちと忙しくしており、起稿するつもりはなかったのですが、寸暇を惜しんで、小難しいメールの返事を書いていると、どこからか聞き覚えがある懐かしい声が・・・。

「おきゅうと~に~
            豆腐!

・・・と。
思わず、耳を疑ったのですが、やはり、「おきゅうとだ・・・」と思い、慌てて表へ出て・・・、買ってしまいました。

(←これが、その、「おきゅうと」です。パック詰めされてますので、ちと、わかりにくいのですが、まあ、見た目ところてんのような感じです。)

ちなみに、「おきうと」と書いてありますが、誰が何と言おうと私的には「おきゅうと」です(笑)。
ついでに、パッケージにある「ごりょんさん」というのは、博多弁で、「おかみさん」とでもいう意味で、場所によっては酢醤油をかけるところも有るみたいですが、我が家では敢えて武骨に、削り節醤油のみをかけて食します。

で、この「おきゅうと」・・・ですが、拙稿でも、たびたび、採り上げておりますように、私が子供の頃は、博多では、いつも、早朝に「おきゅうと~に~アサリ~、おきゅうと~に~豆腐~」という独特の調子で、おばさんがリヤカー引いて売りに来てました。
声を聞くと、長屋のあちこちから、奥さん連中がぱらぱらと出てきて、それが各家庭の朝の食卓に並ぶ・・・と。
当時は、我が、下人参町に限らず、おそらく、博多じゅうで繰り広げられていた光景ではなかったでしょうか。
それが、時代が進んで、「福岡市下人参町」から「福岡市博多区博多駅前」に呼び名が変わる頃から、段々とそういう光景を見かけなくなり・・・、今や、遠い歴史上のことになってしまいました。
私としては何とも寂しい限りですが、考えてみれば、そういう光景が日常見られたのは、ほぼ、40年前くらいまでで、そう考えれば、我ながら、何とも遠いところへきたもんだなー・・・と。

で、思わず、一句・・・。

   「振り向けば 遠くへ来たり 四十雀」
                              梁庵平太

今でも、我が家では、私の誕生日には食卓に「おきゅうと」が乗ります。
数少ない、私が一家の主であることを確認できる行事です(笑)。
本当は、今夜はこれをおかずにしみじみと・・・と行きたいところなのですが、本日は、宮城県から友人が来るので、今から迎撃出撃(`´;)ゞせねばなりません(涙)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-30 17:46 | 地域 | Trackback | Comments(2)

真夏の夜の夢!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10535192.jpg週末は、渋る妻子を連れて、毎年恒例の山笠見物に行ってきました。
博多では、この時期、山笠見物に出かけ、櫛田神社にお参りすると、その年は夏風邪を引かない・・・と言われており、これを通称、「祗園風に吹かれる」と言います。
「祗園風に吹かれとけば風邪はひかんてげなばい」と・・・。
ちなみに、その直前、車のラジオで劇作家の三谷幸喜氏が「舞い上がるというのは、博多弁でいうところの・・・だ」と言っておられましたが、それって、大正12年以来の現博多駅前人の当家ではマッタク聞いたことがありませんでした(汗!)。
(同じ福岡市と言っても、博多福岡新興オフィス街とでは微妙に違うところがあるとですよ・・・。)

で、今日は夢の話です。
人の夢の話など・・・という声も耳にしますので、本来、そういう物を取り上げるつもりはなかったのですが、昨夜ばかりは何とも興味深い夢でしたので、ちと、ここに開陳してみたいと思います。

以下、夢の中・・・。
ある先輩と、誰かの下宿のようなところで、主が帰ってくるのを持っている・・・。
傍らにあったかなり古い新聞記事が目にとまり、時間潰しにに目を通すと、その中に、当時の東京ガスの社長のインタビュー記事が載っていました。
ガス会社の社長らしく、資源について述べておられたのですが、曰く、
「君たちも(記者氏)一人の女性独占してはいかんよ。資源も然りだ。独占しようとするから、価値が高まり、価格は上がるんだ。消費者側からすればいいことはない(笑)。君たちが、独占しようとするから、その女性に対しても、やれ、スカーフだの、やれ、腰巻きだのと物を与え続けなければならんのではないかね。そのうちに、与える側が枯渇する(笑)。違うかね?無論、資源は大切にせんといかんよ。私は大事にしとるからね(笑)」と。
思わず、傍らで別の本を読んでいた先輩に、「これ、面白いことが書いてありますよ」と言って、日付を見てみると、「昭和34年」と書いてありました。

そこで、夢は覚めたのですが、 これって、結構・・・ですよ。
女性を資源に例えたり出来たのも、如何にも昭和30年代・・・って感じですよね。
それに、今だったら、資源と共に当然、触れられる為替の問題も、当時は固定相場制ですから、まったく触れられてません。
しかし、原油高騰が問題になっているときに、「独占するな」とは、我ながら、何でこんな夢見たんだ・・・と。
ちなみに、くどいようですが、これって、あくまで夢ですからね(笑)。

当時の東京ガスの社長さんは、もう、幾ら何でもご存命ではないでしょうから、もし、子孫の方が見ておられましたら、失礼は平に・・・。
でも、意外に、「うちのじーさん、こんな感じだったよ」とか言われそうな(笑)。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-07-14 08:39 | その他 | Trackback | Comments(8)

魔の一瞬
親愛なるアッティクスへ

何とも、新年に相応しくない本日の表題ですが、それは、一昨日も書いた、大晦日に博多の厄払いの神様・若八幡神社に行った折りのことです。
私も、近所ですから、当然に、その風習を踏襲しているのですが、ところが、博多のこの年末の風物詩も、哀しいもので、最近では、うちの子供たちにとってはオヤジの自己満足という風にしか映っていないようで、何とかして、この風物詩を子供たちの記憶の中に植え付けたいと思っている私としては、「綿菓子を買ってあげるから」と言いくるめて、今回も末っ子を連れて行ってきました。

ところが、今回はうっかりしていて、晩飯を食っている最中に、母から、「あんた、今年はいかんとね?」と言われ、「あ!」と・・・。
明らかに例年より遅い時間に行ったため、すでに、夜の帳は降りてしまっており、おまけに、この日は、本当に、極寒と言っていいくらいに、寒い寒い・・・。
にも関わらず、うちのガキはお馬鹿さんですから、コートの下は、Tシャツ一枚・・・。
見かねて、若八幡に行き、綿菓子を買うと、そのまま、回り道を覚悟で、地下鉄の入り口から博多駅地下街に入り込みました。

e0027240_20211265.jpgで、百均で何か買ってあげ、少しでも、「風物詩」対する印象を良くしようと思ったのですが、どこも休みで、やむなく、地下街から出て、信号を渡ろうとしたところ、寸前で信号がに・・・。
普通なら渡ってしまうところですが、子供の教育上良くないということでそこで止まりました。

で、せっかくだから、信号待ちをしている間に、正月用UPに博多駅前夜景でも撮っておくか・・・と。
ところが、私のデジカメは夜景を撮る場合には、5秒くらい、カメラを完全に固定しないといけないもんで、傍らにあった腰くらいの高さの石柱の方へ、子供と離れ、私だけ2mほど移動し、そこにカメラを固定して、パシャリ・・・。
で、例によって、動かないように、しっかり持っていると、そこへけたたましいクラクションの音・・・。
撮り終えて、クラクションの方向を見ると、どうやら、中央車線の車がガラガラなのを良いことにろくに確認もせずに左車線に入り込もうとしたようで、そこへ、後ろから来た車も同じくガラガラなので猛スピードで突っ込んで来て・・・で、車同士が追突しそうになっていました。
で、私が考えたのは、「もし、車が衝突していたら・・・」ということです。
その場合、左折した方の車ははじき飛ばされたと考えられ、そして、その先には、一人、信号待ちをしていた我が子が立っていたわけで、車は子供をはねとばし、そのまま、私の方へ向かってきたものの、おそらく、私は石柱が障害物となってかすり傷程度で済んだ・・・と。

そう考えれば・・・、私は、家を出てから、ずっと、手を繋いでいたにもかかわらず、その瞬間だけ、たまたま、手を離していた・・・と。
別に、子供も一緒に石柱の方に移動すればよかったじゃないか・・・と。
クラクションが聞こえた時点で、カメラなど放っておいて、すぐに、そちらを注視しておけば・・・と。
なぜ、今年に限って、遅い時間に行ってしまったのか・・・、どうして、今年に限って、大晦日がこんなに寒かったのか・・・、女房も、もう少し、厚着させておいてくれれば・・・、いつも通り、少しくらい赤信号でも渡っておけば・・・etc。

この間、わずかに3秒程度の、実に取るに足りない出来事ではありましたが、往々にして、悲劇はこういう瞬間にこそ訪れるもので、このとき、間違いなく、我が子は「魔の一瞬」に居たのだ・・・という実感が私にはありました。
思わず、無神論者の私も、祖先だか守護霊様だかのご加護を信じたい気分になった大晦日でした。
未だに、仏壇に手も合わせてませんけどね・・・(汗)。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-01-07 00:16 | 思想哲学 | Trackback | Comments(6)

三度目の謹賀新年に昭和を想う!
親愛なるアッティクスへ

謹賀新年!

旧年中に賜りましたご芳情を深く御礼申しあげます。

e0027240_13555875.jpg一昨年は、コラム論文の執筆依頼、さらには、生まれて初めての講演(三菱銀行経営者会様)と、微量ながらも風を感じることができましたが、昨年はあまりに無風に過ぎました為、今年は、「嵐の前の静けさ」であった・・・となるよう一層の精進を致す所存です。

昨年同様のご指導ご鞭撻のほどをお願い致します。

      平成二十年 元旦   梁庵平太独白


とまあ、型どおりのご挨拶は置くとして、巷間に曰く、
「昔は、高校野球の選手たちが年上だったが、それが年下になってくると、次に、相撲取りが段々と年下になってきて、ついには、プロ野球選手が年下になってしまう・・・」と。
その論で言えば、今や、追い抜いてないのは、シニアのプロゴルファーだけ・・・。
今年も、またひとつ、年を取ってしまうようです。

ちなみに、昨年、亡父が撮っていた8mmビデオDVD化していたので、今日、家族でそれも見たのですが、そこには、我が家の昭和47年の正月の映像が映っていました。
私が小学校4年生の時のものですね。
私の、動いているモノでは、最古の映像です・・・って、それはさておき(ちなみに、その後に動いている映像は昭和53年・・・、17歳のときのものがありましたが、その次に動いている映像と言えば、今に至るまで自分の結婚式と、便所の中で泥酔している映像だけです(涙!)。)、その、昭和47年の正月の映像には、来客だらけで身動きもとれないほどの賑やかさが映し出されていました。
母や祖母は大変だったでしょうが、子供心には、とても、楽しかった記憶がありますね。

ちなみに、当時の博多駅前一帯の景色も映っていましたが、さすがに、博多駅はもう、見えませんが、他は、今と違って、驚くほど見通しが良いですね。

ともあれ、今年も宜しく御願いします。

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by heitaroh | 2008-01-01 08:42 | その他 | Trackback(2) | Comments(4)

煙突から降りられない女性で思い出した聞かなくなった話
親愛なるアッティクスへ

先日、どこやらで、煙突の上に登った若い女性が、登るのは登ったものの降りられなくなって、レスキュー隊が駆けつけて救助される・・・という騒ぎがありましたよね。
私が子供の頃は、割と普通に周囲に銭湯の煙突などがありましたから、よく、耳にしたことがあるんですけど、あれって、登るときは登れても、一旦、上に上がってしまうと降りられなくなるものだそうですよ。
また、昔は、よく、子猫が、木の枝の上に登って降りられなくなる・・・ということがあったとも聞いています。
猫が、枝の上に止まって、3日も4日も、ずっと、じっとしているから、「?」と思っていると、そういうことらしく、そんなときに、人間が迂闊に可哀想だなどと思って、降ろしてやろうとすると、パニックになって、人間に飛びかかって来る・・・とも聞きました。
いずれにしても、最近では、もう、聞かない話ですけどね。

そういえば、聞かない話・・・という点では、私の生まれ育った現博多駅前地区というのは、度々、ご紹介しましたように、昭和43年の博多駅地区土地区画整理換地処分以前は、「下人参町」と呼ばれた下町でしたが、昭和38年博多駅移転以前は、今のキャナルシティ付近で、線路が直角に曲がっており、そのため、ここでよく、脱線事故などがあったそうです。
さらに、亡父の話では、当時は、飛び込み自殺なども少なくなかったらしく、そのたびに、列車は一時停止し、そこで、人間の死体を組み立て、元の人間の形なるまで発車しなかったとか。
それは、何も、死者を悼む気持ちからなどではなく、列車のどこかに、遺体の一部が引っかかっていたりすると、脱線の危険性があったからだとか。

さらに、良く聞くと、必ずしも、自殺するつもりはなくとも、結果的に、撥ねられてしまうケースも少なくなかったと言います。
どういうことかというと、電車が来たからといって、傍らに立ってやり過ごそうなどとすると、猛スピードで走る列車のすぐ脇だと、風圧で吸い寄せられてしまうのだとか。
特に一番怖いのが、すれ違う列車の間に立つことで、理論的には、そこに隙間があれば、人間が立って、列車をやり過ごすのは可能なように感じますが、実際は、まず、アウトだそです。
昔は、よく、踏切を渡ろうとしたら、上りが来たので、脇に避けて立っていたら、上りが行ききらないうちに下りが来てしまった・・・なんてことがあったそうです。
まあ、すれ違う列車同士の距離によっても違うのでしょうが、よく、列車に乗っていて、隣を快速電車などが通過していくと、風圧で窓ガラスにもの凄い衝撃が走るときがありますよね。
あの状況を思い浮かべて頂ければいいと思いますが、もし、こういう事態になってしまったときには、どうすればいいか・・・。
(まあ、最近は踏切自体、少なくなっているのでしょうし、鉄道側にも、安全対策が採られていると思いますが。)
ちゃんと、策があるんですね。
こういうときは、伏せればいいんだそうです。
伏せると、巻き込まれるのを避けられるのだとか・・・。

ちなみに、この辺りでは、今でも幽霊が出るという話があるようですが、あいにく、私は46年間で、一度も見たことがありませんけどね。

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by heitaroh | 2007-09-14 08:36 | 地域 | Trackback | Comments(4)

博多駅前史 その20 博多駅地区区画整理想い出編 Ⅶ
親愛なるアッティクスへ

つらつらと述べて参りました自己満足シリーズ、博多駅前史ですが、奇しくも、年の終わりの土曜日であり、また、20回目というきりの良さからも、とりあえず、ここで、打ち止めにしたいと思います。

で、その博多駅前地区土地区画整理によって、大きく変わった物に道路がありました。
区画整理での換地処分直後は、まだ、アスファルトも敷説されてなく、しばらくは、砂利道でした。
当時、自転車で、その砂利道を走るとハンドルを取られて、すぐに転んでましたが、転ぶと、当然、下は尖った砂利ですからケガだらけになってましたね。

e0027240_15143842.jpgさらに、昭和44年、実は、私、小学校二年のとき、その通学途中、区画整理によって新たに出来た大通りを渡っていて、タクシーにはねられました。
当時は、信号自体はもう、付いていたのですが、早朝は、節電の為か、信号灯りはともっていませんで、おまけに、朝、博多駅に客を拾いに向かうタクシーは、我先にと急いでいたようで、歩行者が立っていたからと言って、止まって、渡らせてくれたり・・・というのは少なかったです。
ところが、子供というのは、さすがに、順応性が早いというか、強引に渡ったら車の方が止まる・・・ということを学習したんですね。
だから、我々は、車が来ていても、「車の方が止まるさ」と言って、平然と渡ってましたよ。

ところが、ある日、私に気づかなかったタクシーがドカン・・・・。
あっ!と思ったら、見事に宙に舞って、地面にドスン・・・。
息が出来なかったのは覚えていますね。

で、私はそのまま、病院に担ぎ込まれたのですが、幸運にか、あるいは、咄嗟に自分でそうしたのかはわかりませんが、直接当たったところが、ちょうど、ランドセルでして、つまり、ランドセルがクッションの役目を果たしたおかげで、その後、意外に後遺症などもなく済んだのですが、この事件は、後日、聞いたところでは、単なる小学生の一事故ではすまなかったようです。
(でも、この頃を境にして、優秀だった私の成績は、見事に凋落の一途を辿りましたので、私としては、この際とばかり、成績低下は、すべて事故のせい・・・ということで(笑)。)

まず、慌てたタクシーの運転手さんが、私を抱いて、病院に駆け込んだようですが、一緒にいた友達が、そのまま戻って、うちに、私がはねられたことを告げたようですが、うちの両親としては、まず、私がどこに連れて行かれたかがわからない。
で、どこからか、相手が地場の鉄道会社が運営する西鉄タクシーだったということがわかったようで、当時、西鉄(西日本鉄道)に勤めていた私の伯父に電話をしたところ、伯父さんが駆けつけてきてくれたようですが、うちの隣の自治会長さんが、駆けつけてきた私の伯父を、西鉄の人間ということで、(伯父と知らず)こっぴどく絞り上げたようで、さらに、早朝とは言え、小学生が通学する時間に信号が付いてなかったということが問題になったようで、それから、福岡(日本?)の信号は24時間付くようになったのだそうです。
ちなみに、それから、35年後、うちの次男が車にはねられ、それ以来、そこにも信号が付くようになりました。
当家は二代に渡って、体を張って、日本の信号に明かりをともしたということで、日本信号史に名を刻んだということでご理解ください(笑)。

でも、そんなこんなで出来た現在の博多駅前の道路ですが、区画整理から、早、40年・・・。
当時とは、自動車保有台数交通量も比べものにならないほどに多くなっており、また、人々の考え方も当時とは違ってきており、様々な部分で不都合が出てきているように思えます。
実際、向こう岸へ渡るのに横断歩道がないところもあり、そういうところは、おそらく、皆、地下道を通っていくということを前提にしていたと思われますが、現在では、わざわざ、下に降りるのが面倒くさいと言う人もおります。
また、小さな信号が幾つも連なっているところもあり、おまけに信号同士の連携もよろしくなく、一度に渡り切れればいいのですが、一つ渡ると、次の信号は赤信号・・・の繰り返しという融通の利かなさで、その都度、ストップしなければならないと言うところもあります。
スクランブル交差点の導入も含め、一度、駅前の道路行政を見直さねばならない時期に来ていると思います。

という、提言でこの博多駅前史の稿を締めさせて頂きます。
お付き合い感謝!
                            平太独白
by heitaroh | 2006-12-30 17:09 | 地域 | Trackback(2) | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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