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意外に知られてない幕末京都の色街・島原
このブログを始めるきっかけとなったのが2005年4月に知人に誘われ、京都で開催されるある会合に行ったことでした・・・とは過去に何度か申し上げたことではありますが、まったく休火山状態のブログに「いい加減に何か書かなきゃ、始めて以来、初の月間0になってしまうぞ」という危機感から、ちょっと思い立ちました。
で、この時、京都ではすべての行事を終えた後、駅に向かうまでに少しだけ時間があったので、幕末に新選組志士らがが大いに気炎を上げたことで知られる幕末京都の色街・島原に行ってきました

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     (↑島原

地名の由来は、あの、長崎県の島原から来ているというのは意外でしたが、もっと意外だったのが、当然、観光名所になっているんだろうとばかり思っていたら、タクシーの運転手さんが「島原」を知らなかったことにも驚きました。
以下、車中での会話。

「ほら、あの、新選組なんかで有名な・・・」
「いやあ・・・、そんなん聞いたことおへん」
「幕末の遊郭ですよ」
「ああ、遊郭でっか。わかったわかった。五条でっしゃろ」
「五条かどうかわかりませんが、結構、有名なはずですよ」
「いやあ、わては前からおかしい思うとったんですよ。やっぱり、あそこは遊郭やったんですね」
「はあ・・・」
「いやあ、京都には一応、そういう場所は無いということになってますけど、やっぱりあるんですなあ・・・」
「ん?わかってますか?」
「わかってますよ。前にそういうお客さん乗せたことがあるもので・・・」
「???」
「何か、勘違いしてませんか?」
「いや、わかってますって。まかしておきなはれ」
「新選組や高杉晋作なんかが行ってたやつですよ」
「はあ、そんなに昔からあったんやろか?今はもうマンションみたいになってますけど」
「マンション??」
・・・で、何かが違ってないか?と思い、住所を調べて告げたら、
「あら、それはまるで違いますね」
ということで、危うく、「昔の遊郭」ではなく、「今の遊郭」に連れて行かれるところでした(笑)。

あ、行ってませんからね(笑)。
                         平太独白

by heitaroh | 2014-04-16 06:25 | 地域 | Trackback | Comments(2)

クリスマスの夜に消えたネタにぐらぐらこいたから京都
親愛なるアッティクスへ

e0027240_19501313.jpg今、NHKのドラマ「坂の上の雲」について書いていたのですで、書いている途中でロックがかかってしまい、ロックを解除しようとしていたら、せっかく書いていたのが全部、消えてしまいました。
がっくりしましたので、もう、この話題は止めます。
まさしく、博多弁でいうところの「ぐらぐらこいた」という心境です。
(いわゆる、「やってらんねーよ」という意味です。)

で、先日も申し上げましたように、訳あって、一人で京都に行ってきたのでのですが、私も、年末のこの時期に京都に行ったのは初めての経験でした。

e0027240_1939630.jpgで、先斗町の女将さん一人の小さな小料理屋で独り、手酌で一献やったのですが、ついつい、杯が進み・・・。
まあ、それ以上はいつものことで、お聞きくださるな、武士の情けで御座る・・・で置いといて~、聞けばこちらの店は先斗町では何とか言うすき焼き屋の次に古いそうで、昭和15年開業70年続いている・・・とのことでした。
でも、昭和15年って、真珠湾攻撃の前年・・・でしょ。
良く、そんな時期に店始められたな・・・と。
で、その後、ホテルへ帰り、途中、コンビニで買ったおにぎりを食べたところまでは記憶があるのですが、どうやって寝たかはまったく覚えておりません(笑)。

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とりあえず、今日はもう帰ります。
でも、昔はクリスマスに家になんかいたことは無かったんですけどねえ。
九州人的には、男が、クリスマスに家で家族とケーキ食ってるなどと言うのは、実に嘆かわしい状況なのですが・・・。
明日も忙しいし、おとなしく、家に帰って寝ます(涙!)。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-12-24 20:23 | その他 | Trackback | Comments(0)

高台寺の紅葉にゴジラもどきの龍馬を殺ったわからんぜよ
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15185689.jpg最近、何事によらず、優柔不断が続いています。
昨日も、朝から、博多駅まで行って結局、何もせずに帰ってきました。

来月は時節柄、色々とお誘いがあるのですが、何かと、まだ、迷っています。

四十にして惑わず・・・などと言いながら、四十を終えようとしても、まだ、惑いから抜け出せそうにありませんよ。
次は、確か、五十にして天命を知る・・・でしたっけ?
身の愚鈍を嘆くのみ・・・です。
e0027240_15195021.jpgま、年に何回か、こういうことがあるようですが、結局は、忙しすぎたので、自分を見失っているのでしょうね。
こういう時には、往々にして、良く怪我をしますので、少し、歩みを緩めることも必要なのかも知れません。
ということで、今日は、はっきりと、手抜きです(笑)。

(←高台寺境内です。昔はこんなのなかったような・・・。突然、塀の向こうにこんなのが見えたら、まさしく、ゴジラか、今で言うところのエヴァンゲリオン・・・が出現したみたいですよ。)

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   「太閤も 眺めし山の 紅葉かな」(少し、盗作(笑)。)

e0027240_15203674.jpg


e0027240_15205535.jpgそういえば、大河ドラマ「龍馬伝」も明日でいよいよ最終回ですね。
あの流れを見てると、西郷隆盛・主犯後藤象二郎・共犯で行くようですが、あるいは、犯人は謎のまま、つまり、色々な真犯人を匂わせたままで終わる・・・のも有りかなとも思いますが、如何でしょうか。
「結局、誰が龍馬を殺ったがかはわからんかったけんど、誰が殺ったかは、もう、どうでもええことやったがぜよ」と岩崎弥太郎がナレーションして、そのまま、エンディング音楽と共に視線が天に舞い上がったりして・・・(笑)。

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-27 17:16 | 地域 | Trackback | Comments(6)

紅葉に誘われ御土居に遊び、二つの川に御所の名残を見る
親愛なるアッティクスへ

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今回、京都に行って、せっかくだからと北野天満宮(↑)へ行ったのですが、ちょうど、折から紅葉の時期でもあり、たくさんの人出で賑わっていました。

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別に私はそういう物には興味がありませんので、スルーして、一路、平安京造営当時御所の北西角に当たる大将軍八神社へ行こうとしたのですが、と、「史跡・御土居」という立て看板が目に付きました。

e0027240_19124879.jpg「?」と思って説明板を見てみると、ここは豊臣秀吉が京都の治安維持のために、都を、ぐるっと取り囲む形で築いた土塁であるということが書いてありました。
なるほど、考えてみれば、秀吉の手によって天下が治まった以上、京都の平穏は秀吉の威信と直結するものであったわけで、であれば、山賊、強盗などの凶徒の侵入を防ぐためにも、何らかの設備を設けるのは当然のことであったでしょう。
で、現在は多くが失われ、その一部が北野天満宮に現存している・・・と。

e0027240_18281123.jpgこの土塁はその外側に堀(←現天神川)を配し、さらに土塁自体、結構な高さで、おそらく川底からの高さは5mくらいはあるように思えました。
これでは、少なくとも、大がかりな窃盗団などの侵入はかなり、防ぐことが出来たのではないでしょうか。
で、その後、大将軍八神社に行ったところ、ここも、この川の内側に沿って配置されていたことを見て、おそらく、この川は元々、秀吉の築造以前には、かつての御所の外堀だったのではないか・・・という気が。
(そもそも、天神なんて名前は、どうせ、天満宮から来てるのでしょうから、天満宮・・・、すなわち、菅原道真の後に付けられた名前でしょう。)

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(↑左下に見えている遊歩道の向こうが天神川ですから、その高さがおわかりいただけると思います。)

で、北東端に位置する晴明神社に行くと、その向こう、大通りを渡った先にも小さな川が流れており、おそらく、昔はこの川もそこそこ、大きな堀だったのではないかと思ったわけで、見れば、その傍らには「堀川通り」の看板が・・・。
つまり、この二つの川は御所を守るために作られた堀の名残、あるいは、この川の間に沿って、御所を配置した・・・ということなのかもしれません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-26 18:52 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

天皇はんの家に今住んではる両端のパワースポットどすぇ
親愛なるアッティクスへ

昨一昨日と、ひょんなことから独りで京都へ行っておりました。
年内は旅は打ち納め・・・と言った舌の根も乾かぬうちに・・・というご批判には甘んじて頂戴する覚悟でおります(笑)。
おかげで、今日はパニくっており、またまた、手抜きをお許しください。

e0027240_15343520.jpg

で、何をしに行ったかというと因幡堂なる所で狂言の催しがある・・・という話を耳にしたことから、いつもの軽いノリで出かけてしまいました。
で、せっかく行ったなら・・・ということで、実は以前から行ってみたい所があったので、この機会に出かけてみたのですが、それがこの2つ。

e0027240_15474149.jpg
大将軍八神社と・・・、

e0027240_15513790.jpg
晴明神社でした。

と言っても、別にパワースポットに興味があったわけではなく、なぜ、私がここに行ったかというと、この二つがかつて、平安京が出来た当初の御所西北端北東端だったと聞いたからです。
(前日、地元の方に、「明日は晴明神社に行こうと思ってます」と言ったら、「あそこは京都の三大がっかりの一つと言われてるんですよ」と言われましたし、大将軍八神社に至ってはガイドブックにも載ってないという(笑)。)

で、御所の往事の大きさを体感したく、西北端に位置する大将軍八神社から、北東端の晴明神社まで歩いていったのですが、途中、ちょうど、中間に位置したという朱雀大路を横切った時点で、ほぼ12分・・・。
その後、晴明神社へは途中で少し迷いましたので合計30分ほどかかってしまいましたが、道も直線にはなっていないことなどを考慮すれば、往事、敷地の端から端まで行った場合の数字は、おそらく、朱雀大路までの倍、20~25分というのが適当な時間ではなかったでしょうか。
で、その足で、南北の大きさも知りたく、東南端と言われる神泉苑にも行こうと思ったのですが、途中で、北野天満宮、平野神社などに寄ってしまったことから、ここでやむなくタイムアウト・・・となりました。

ちなみに、両端の間にはたくさん、家々が立ちこめてましたが、その意味では、この人達は、かつて、天皇はんが住んではった所に住んではるのやな・・・と(笑)。
道々、歩きながら、そんなことを考えてました。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-25 17:33 | 地域 | Trackback | Comments(0)

今、ここどす
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15133013.jpgあては何をしてはりまんのやろ。

初めて、京都タワーなる物に登ってはりますぅ。

たまたま、券もらったので、出かけてみたのですが、何と、聞けば、東京オリンピックの年、昭和39年(1964年)開業だそうじゃないですか。

でも、これが建つときに「景観を壊す」と言って、反対運動がどうのこうのと聞いたことがあったのですが、であれば、私がリアルタイムで知るはずはないですね。

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-24 10:47 | Trackback | Comments(2)

夏の終わりの今年の夏の私の両京の総集編 その1
親愛なるアッティクスへ

気が付けば8月もおわろうとしてますね。
今年の夏は、本当に目が回るほど忙しかったです。
その多忙も昨日でようやく一段落しました。
ガキを魚釣りに連れて行ってやるという約束をしていたのですが、8月に入ってばかりだったこともあり、どうやら、果たせずじまいで終わりそうです。
餌買ってたんだけど・・・(涙)。
去年もこの調子で、結局、9月になって、一人で遠方まで行って、釣り竿にエサ吊り下げて捨ててきたんですけどね(笑)。

で、まだ、多忙は一段落したとは言え、これまで目を通せなかった書類などは山積みになったままだし、昨日はひとりで自分にお疲れさんして、軽い二日酔いで、頭ぼーっとしてるので、手を抜くことにしました。

e0027240_1012524.jpg7月、多忙の中、京都に行って帰ってきて、中一日で、すぐに東京に行きましたので、そのときの旅行記でお茶を濁したいと思います(笑)。
(←有名な大阪難波の自由軒ランチですね。すでに泥酔してましたので、殆ど、印象はありません(笑)。)

で、新幹線を大阪で降り、昼飯食って、そのまま、京阪電車で京都へ。

e0027240_10403033.jpg実は私は今回、多忙中だったにもかかわらず、友人から「京都に行かないか?」と誘われて思い立ったのは、訳あって、ちと、行きたいところがあったからでした。

しかし、着いたらすでに、友人は泥酔しており、「諦めろ」の一言・・・(笑)。
ホテルにチェックインしてまた飲んで、一休みしろ・・・と。
で、起きたら、そのまま、連れて行かれたのがこちら(←)。
舞子はんがいるビアガーデンです。
びあがーでん言うても、そこら辺のビルの屋上とちゃいまっせ。
いやあ、風情があって、よろしおしたえぇ。

ただ、値段の方もどえりゃあ風情があったんでっしゃろうけど、払ってまへんさかい、しらしまへんのどすぇぇ。

e0027240_10435192.jpgその後、友人は「酔ったから帰る」と言い残し、私を一人置いて、何処かへ去ってしまい、やむなく私は、タクシーに乗って、「どこかラーメンのうまいところありますか?」と言うと、「こちらはうどんでんねん」と。
「では、その名物へ」・・・と言って、京都らしい一番有名なところへ連れて行ってもらったら、「カレーうどん」・・・。
思わず、ひげ男爵風に、「何言うてんねーん」と突っ込みたくなりました(笑)。
で、翌日、ようやく行きたかったところの一つ、大徳寺(←)へ。
なぜ、ここに行きたかったかと言うと・・・、それは話が長くなるのと、面倒くさいのでやめます(笑)。

多分、明日へ続く・・・と思います。

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by heitaroh | 2008-08-28 08:11 | その他 | Trackback(2) | Comments(0)

祗園精舎の鐘の声にみるただ春の夜の夢のごとし 現実編
親愛なるアッティクスへ

はい、昨日の続きです。

e0027240_1115169.jpg日本の脅威を、とりあえずの脅威として存在する西に限定して考えてみた場合に、日本のどこを重要視しますか?
逆に言えば、日本地図を見て、西からの勢力が日本を本格的に攻略することを企図したならば、日本列島のどこに戦力を集中させますか?
長崎?福岡?新潟?東京?北海道?・・・。
確かに、どこも、可能性はありますが・・・、私なら、若狭湾・・・、特に敦賀を狙います。

(と言っても、私は行ったことがないので、敦賀港の港湾規模、水深などがどの程度のものなのかを知りません。その意味では、敦賀ではなく、あるいは、軍港・舞鶴ということになるのかもしれません。)

で、ここに上陸して、一気に琵琶湖東岸沿い南下し、京都・大阪を衝きます。
(もしくは、名古屋というのも有りかと。ただ、そこにある「富」という点で言えば、京阪神の方が、より、果実が大きいかと・・・。)
琵琶湖東岸沿いを南下したとしても、普通、米原で東に折れて、東海道から一気に東京を攻略する方が一般的なのではないか・・・と仰る向きも有るかと思いますが、それは最終目標であり、政治上の問題であって、あくまで、地政学的に言うならば、まずは、敦賀から大阪か名古屋の線を確保することこそ肝要かと。

e0027240_10594571.jpg敦賀から大阪(名古屋)までのラインを確保できれば、日本列島東西に分断できるわけで、言うならば、軍事上のフォッサマグナだとも言えるでしょう。

私が「脇腹」だと言ったのは、この敦賀の持つ意味についてでした。

(実際に分断を維持できるか・・・とか、自衛隊反撃するはずだ・・・、あるいは、米軍撃退してくれるはずだ・・・などと仰るかもしれませんが、今申し上げていることは、くどいようですが、あくまで地政学的な物・・・、つまり、100年後、200年後も地形の大変動がない限り、起こり得る可能性がある事だということでご理解ください。)

となれば、昨日も申し上げたように、京阪の防衛ラインという観点では、「琵琶湖を押し渡るにしろ、北国街道から南下して来るにしろ、東からの大軍の行軍という点では」今日でも、何ら脅威が消えたわけではないのではないでしょうか?
つまり、このことは、何も過ぎ去った歴史教科書の中だけのオハナシ・・・ではなく、現代でも地政学的な理屈と脅威という点では、何も変わっていない、十分に生きている事実なのではないでしょうか?
防衛する日本人に、あまり、その意識はなくとも、攻めようとする側からすれば、少なくとも、若狭湾というのは、重要な攻撃目標の一つである可能性は排除できないと思います。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-06-05 07:57 | その他 | Trackback | Comments(0)

祗園精舎の鐘の声にみるただ春の夜の夢のごとし 前夜祭。
あきまへん。
立派な記事を書き上げたんどすけど、ミスして、ぜ~んぶ、消えてしまいました(涙) 。
もう、どうにでもなれ・・・どすわ。

平家物語一説に、鹿ヶ谷の陰謀露見後、俊寛僧都が鹿児島県の離島、鬼界ヶ島に流されるシーンがあります。
で、しばらく経って、赦免船がやってくるのですが、赦免状の中には、俊寛の名前だけがない・・・。
で、仲間が赦免船に乗って去っていくのを見て悲嘆に暮れる俊寛が、去りゆく赦免船に向かって叫ぶ言葉があります。
「せめて、せめて、九国の地までも・・・」と。
九国・・・、つまり、九州ですね。
であれば、「せめて・・・」とは何だと(笑)。
我々は、そこに住んでるんだぞ・・・と。
これは、私が小学校の頃、授業で先生が言った言葉です。
あんたら、地方をなめてはりまっしゃろ(笑)。
でもって、この週末は友人に誘われ、春の京都に行ってきましたw。

e0027240_11454240.jpg土曜は、都をどり行ってきましたけど、何せ、8時半発の新幹線の中からずっと飲んでましたさかい、脳が働いておらず、ほんま、えろう、よろしおしたんでしょうけど、殆ど、NHKの教育テレビを見ているような状態でした(笑)。
まあ、元々、雅など解せぬ無粋者ですさかい。

お許しあらしゃりませ・・・。
でもって、その後、おばんざい食べて、ここ(↓)へ流れましたぇ。
ほんま、はんなりしてよろしおしたえ。

e0027240_11473268.jpgもっとも、はんなりしすぎて、飲み過ぎてしまいました。
何せ、朝8時半から飲んでますさかい・・・。
酩酊酩酊また酩酊ですわ。
おごれるものも久しからず状態・・・で、ホテルに到着。
気のせいやと思うんですけど、わて、一円も払ってないような気がするんですわ(笑)。

たぶん、21時前には着きはったんちゃいますか。
当然、翌朝は3時頃目が覚めて、ベロベロどした・・・。

ほんでもって、明日に続くんどすけど、何せ、滞在中、ずっと、飲みっぱなしどしたさかい、ずっと頭が働いてまへんでしたさかい、アカデミック(?)な内容には期待せんでおくんなはれ(笑)。
                   平太独白

by heitaroh | 2007-04-17 08:30 | その他 | Trackback | Comments(4)

とりとめもない一周年の余韻と世界最大のオーロラビジョン。
親愛なるアッティクスへ

さて、当ブログは、先日から、既述しております通り、昨年の3月下旬から書き始めたのですが、書き始めた時点で、すでに書きたいことが山のように貯まっていたモノで、ちょいと、一ヶ月くらいさかのぼって3月1日から始めたような形で始めてしまいました。
ところが、そのうち、日が経つに連れて、やはり、実際に始めた日に合わせるべきでは無かろうか・・・と思い始め、改めて、調べてみたら、これがわからない・・・。
で、色々調べた結果、去年の手帳の3月25日の欄に「ブログ開始」の文字が・・・。
ということで、厳密にはわからないけど、そこは、何事もアバウトな県民性福岡人らしく、「まあ、これでいいや・・・。」と(笑)。

で、始めるに当たって、元々、ブログという物の存在は、以前、誰かが経済誌に寄せていた記事で知っていたものの、作り方や専門用語などはさっぱりわからず、いずれ、ヒマになったら始めよう・・・と思い、放り出したままになってました。
(結構、これが多いんですよ。必要に迫られないとやろうとしないという・・・(笑)。)

e0027240_11395124.jpgところが、去年の四月に、友人から、京都での、ある会への出席を誘われたことで、まあ、そういう晴れがましいような会に出させて頂くのであれば「ブログやってます。」くらい言わなきゃな・・・と思い、それで、急に始めた次第でした。
(この辺は、平太郎独白録 「月はおぼろに東山~♪秋田人ハセガワ氏と見る等伯の渾身の筆!」をご参照下さい。)

(←そのときの、京都の夜桜と舞子はんどすぇ。ちょっと、ピンぼけしてますけど、これもまた、風情があって、よろしおすどっしゃろ(笑)。)

で、まずは、とりあえず、書店に行って、ガイドブックを買ってきて・・・のスタートだったのですが、最初買ったガイドブックは、ライブドアのものしかなく、仕方なし(?)にライブドアで始めました。
(さすがに、最近は、トラックバックコメントくらいは理解しましたが、未だにPING送信などはよく理解していません(笑)。)

最初はガイドブックを睨みながら、格闘してましたが、数ヶ月ほどして、ようやくシステムに慣れてきて、色々と知恵がついてくると、ライブドアの他にも色々とブログがあることに気付き、幾つか試行錯誤した後に、まずは、同時並行でgooを始め、昨年の7月中旬よりライブドアからエキサイトに完全に移行しました。
タダというのは、気軽に始められるから、本当に有り難いです・・・。)
で、色々、使ってみての感想ですが、まあ、各ブログとも、善し悪し・・・というよりも、私の需要合う合わないがあるようで、それもあって、今では同じ内容ですが、gooとエキサイトを並立させております。
まあ、どちらでもいいのですが、どちらかと言えば、エキサイトの方がメインでしょうね。

e0027240_1210559.jpgあ、今宵も、今から、ヤフー・ジャパン・ドームソフトバンクVS西武を見に行かなくてはなりません。
これは、福岡市民の義務です(笑)。
ちなみに、今日は世界のMVPとなった福岡人の婿松坂大輔投手が相手のようです。
婿・・・、つまり、松坂投手の夫人は福岡人です。


あ、そう言えば、ヤフー・ジャパン・ドームのオーロラビジョンは、今年から、大きくなって、さらに、ハイビジョンとなったのですが、ハイビジョンの画面としては、これは、世界最大の物だそうです。
あ、写っているのは、日本の四番打者、松中信彦選手です。
あ、ちなみに、近くには、東洋最大の観覧車というのもあります。
あ、ひょっとしたら、最近、どこかに抜かれたかもしれません。
あ、これ以上書いていたら、遅くなりそうですので、続きは明日のココロだ~ということで、ご理解下さい、御同輩・・・。

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by heitaroh | 2006-03-28 17:23 | 私小説 | Trackback | Comments(10)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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