タグ:三鬼陽之助 ( 13 ) タグの人気記事

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

今回、同書を読んで初めて知ったことがあります。
松下幸之助本田技研大株主だったんですね。
当時、筆頭株主は本田宗一郎 1330.4万株、2位が日本共同証券 1203.4万株、3位が藤沢武夫 697.1万株だったそうですが、松下幸之助の所有は公表している分だけでも、松下不動産の30万株あり、他にも松陽不動産、松下幸之助個人名義での所有もあったそうですから、それらも含めると、「相当の大株主であることは、まちがいないようである。」とのことで、これって、今はどうなってるんでしょうか・・・。
買い増しはしていないかもしれませんが、すべて売却してしまったら、風評被害ものですから、ある程度はまだ、松下家は持ってるんですよね?

松下幸之助が本田技研と交流があったことは知ってましたが、実際に、大株主という形で関わっていたというのは初耳でした。
この点を、著者である三鬼陽之助翁は「松下は義理や人情で株を持つ男ではない。」とした上で、「ただ、どういう心理か、松下は、自分が本田技研の大株主になったことを、世間に公表されることを好まない。現に、本田宗一郎にも、株主であることを世間に公表しないよう懇望している。」と記しておられましたので、公表したがらなかったというのは「義理や人情ではない」としたならば、おそらく、「儲け話の種」として見ていたと考えていいのではないでしょうか。

次に、私が注目したのは藤沢武夫の、「企業には、人間の心理学が必要だ。ユーザーが何を欲しているかを知るには、直接、相手に触れることがいちばんだ。」という言でした。
すなわち、「いわゆる新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどを通じて、間接的にユーザーと接触してもだめだ」ということだそうで、この点は確かに、最近の企業でも、エンドユーザーの一人として少なからず、感じることでもあります。
携帯電話やパソコンなどでもそうですが、私はゲームもやらないし、音楽も殆ど聞かないので、その分、昼のニュースを自動で録画しておいてくれるとか、もっとほかの機能を付け、かつ、簡易に操作できるようにして欲しいんですよね。
おそらく、私くらいの年代の男性は結構、そういう人っているんじゃないですか?
そういう声はまったく届いているようには思えないんですよね。

この点、本田・藤沢のコンビは鈴鹿サーキットで第一回のオートバイ競争が行われた時、出場他社の首脳部がモーニングの胸にでっかい花飾りをつけて、いかめしく構えている中、来賓席よりはるか下の一般席にノーネクタイで一般大衆と一緒に大声で声援を送っていた・・・とか。
やっぱ、偉くなると、人間、なかなか、耳に痛い言葉が聞こえてこないようになりますから、余計に、こういう場は必要なんじゃないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-07 14:02 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その1
親愛なるアッティクスへ

少し前になるのですが、「HONDA商法―企業における”情無用”の研究」という本を読み終えておりました。
(本当はもう少し早めに触れようと思っていたのですが、とにかく、ここ数か月は多忙でして・・・。)
この本が、他のホンダ本と違う所は、発行日が昭和41年7月1日・・・、私が満5歳の時の物だということで、(当時の価格「300円」・・・。)すなわち、最近では子供向けの伝記になるなど、すっかり、神様になってしまった観がある本田宗一郎氏と、今や、氏の陰に隠れてすっかり、伝説の人になってしまった感がある藤沢武夫の両創業者が、まだ神様や伝説になる前の、バリバリの現役時代に書かれた物である・・・ということです。

著者は、拙稿でもたびたび採りあげております昭和の老財界記者・三鬼陽之助で、私はこれまで、「ホンダ」と名の付く本はある程度、読破していたつもりだったのですが、実は同世代本田・藤沢コンビの現役時代について書かれた本は殆どありませんで、その点では、世界恐慌以来、多くの財界の変転を見てきた三鬼翁がどういう切り口で描いているのか、他の本と違い、大いに興味がある所でした。
まずもって、最初に違和感と言うか、どうにも驚いたのが、その数字の大きさでした。
昭和41年と言えば、まだ、オイルショックの前で物価は現在とは一桁は違っていたはずですが、それが、数百億円なんて数字がポンポン出てきて、まるで、現在の経済誌を読んでいるような錯覚に陥るんですよ。
(私の記憶では、当時は確か、ハガキが1枚4円、封筒が7円だったと・・・。)

で、内容ですが、まず、読み始めてすぐに、私が抱いた感想は「失望」でした。
というのも、現在でも発行されているホンダ本と大差ない内容ばかりでして・・・。
それが、雲行きが変わってきたのは半ばを過ぎた辺りから・・・で、まず、「おや?」と思ったのが、ホンダとソニー・・・というよりも、本田、藤沢の井深 大、盛田昭夫との経営方針についての比較した部分でした。
「ソニーは技術開発でも、まったく新しい商品を考案する。」が、「本田技研は、ソニーとまったく逆である。オートバイは、戦前からの製品であるし、新しい車種にしたところで、かならず弱小他社が本田技研の先兵をつとめている。」・・・とした上で、具体的に事例をいくつもあげておられました。
この瞬間、私は、「あ、三鬼翁、今、笑顔の裏で匕首(あいくち)を抜いたな・・・」と感じましたよ。

これまで、私が聞いていたのは、本田宗一郎という人はF-1で、「部品が自前でないからダメ」と言って、空輸をストップさせた・・・などという話を聞いてましたので、とにかく、人まねが嫌い・・・、自ら、創造した物のみを世に送り出してきた・・・と思っていたのですが、これも、都市伝説にすぎなかったんですね。
「本田は石橋を何度もたたき、先輩・同輩会社の成功、不成功を凝視、これならぜったいだいじょうぶと思うや、一瀉千里の勢いで突撃するのである。」とも言っておられましたが、この辺は、本田・・・というよりも、むしろ、藤沢翁の手腕だったのでしょうが・・・。

次回へ続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-06 18:35 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

子ども手当議論の迷走に思う松下幸之助の卓見
親愛なるアッティクスへ

政府は、先日、合意していた「子ども手当を3歳未満に限って7000円上積みを見直し、上積み額を圧縮する検討に入った」という報道を耳にしました。
「上積みには2450億円もの財源が必要」で、見込んでいた配偶者控除の見直しに党内から反論が出ていることを踏まえたからだそうですが、そもそも、私に言わせれば、財源の議論先送りしたまま、先に上積み額だけを決めるということ自体がおかしいんですよ。
この点は以前から申し上げているように、もう、いい加減に「金をどう使うか」だけ考えるのはやめるべきで、極論すれば、「政治家は、財源と政策と1セットでなければ、一切、話はしてはいけない」と法律で決めて欲しいくらいあります。

で、何か、新たな政策を導入するということは、その財政規模に見合った既存の政策のどれかを止めるか、もしくは、新たに財源を設・・・の二者択一しかないんですよね。
(事業仕訳というのも、結局は、前者の一つの形なわけで・・・。)
この点で、一例を挙げれば、三原じゅん子参議院議員先生が選挙に出馬するとき、「子宮頸がんワクチン接種の無料化」を公約として掲げてましたよね。
でも、それを訴える以上、「代わりに、これを廃止縮小させてもらいます。受益者の方、申し訳ありませんが理解してください」というか、「この問題で苦しんでいる人たちがいます。申し訳ありませんが、国民の皆さん、増税して広く浅く負担していただくことをご理解ください」と言うべきでしょう。
まあ、この辺の民主党政権の迷走ぶりは一事が万事、「何を言っても責任がなかった野党時代の浮世離れ体質」に行き着くのでしょうが、一方で、とかく、「国民への大盤振る舞い」になってしまいがちな民主政治というものの弊害をもあぶり出しているのだと思います。

で、拙稿でもたびたび採り上げております故・三鬼陽之助氏(財界評論家)の昭和48年(1973年)当時の著作の中に松下幸之助翁の興味深い発言を見つけました。
翁曰く、「やはり資本主義も修正資本主義になるし、共産主義もだんだんに寄ってくるでしょうな」・・・というもので、さらに、「そういう風になるのは、あと五十年、あるいは百年ですか」との三鬼氏の問いには、「そんなにはかからん。三十年すりゃ、そうなると思う」と語っておられました。

この点は、まさしく、私が以前から
平太郎独白録 : 日本型社会主義的資本主義折衷イデオロギーに光明をや、
平太郎独白録 : 百年後の教科書にみる勝者の真実などで申し上げていたことと一緒で、つまり、「共産主義は資本主義化しやすく、資本主義は共産主義化しやすい」ということなのですが、つまりは、民意に迎合する必要がない旧来の社会主義は「国富て民貧す」となりがちであり、民主主義というものが選挙で民意迎合しがちな傾向があることから、とかく、国家の財政が破綻しがちであるという結果、「民富て国貧す」となるかの違いである・・・と。
共に、それが良い結果を生まないという現実に行き当たったならば、中和せざるを得ないだろう・・・とは思いますが、実際には松下翁の発言からソ連崩壊まで20年かかっていないわけで、さらに、36年後2009年リーマンショック以降、資本主義も至る所で行き詰まりを見せていることを考えたならば、当時は、すでに、劉少奇による市場原理の導入の動きなどはあってたとしても、驚くべき、翁の卓見だったといえるでしょうか。

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-12-08 08:15 | 政治 | Trackback | Comments(2)

JALの整理解雇100人超の根源は・・・
親愛なるアッティクスへ

会社更生手続き中日本航空ですが、パイロット客室乗務員を対象に、一方的に雇用関係解除する整理解雇に踏み切る方針を決めたという報道を耳にしました。
本体の全職種を対象に約1500人の希望退職を募集してきたのが、最終締め切りの今月9日になっても、パイロットと客室乗務員の応募は目標より百数十人下回ったと・・・。
これに対して、労働組合反発している・・・と。

で、この件ですが、拙稿でもたびたび、採り上げております故人で老財界評論家として知られた三鬼陽之助氏の、昭和48年(1973年)のオイルショック直後の著書の中に、以下のような、ちと、興味深い記事を見つけました。
---------------------------------

朝日新聞は「大学卒、三十歳、妻、子一人で地上職九十一万九千四百三十二円-日本航空期末ボーナス妥結額である。同じ条件で、全日本空輸は七十五万五千八百九十七円を組合に回答、東亜国内航空は五十七万六十六円で妥結した」と、報道。
 さらに同紙は、若狭得治・全日空社長が「日航が外人パイロット相場をつりあげ、それが日本人パイロット、地上勤務者にまでハネ返ってきている」といい、田中勇・東亜国内航空社長は「ライバルの全日空が高額回答するので…‥・」と語ったと報じ、また日航は「無配の東亜国内でさえ、あんなに出しているから」と、それぞれ、業界他社の悪口を言いながら決定したと、真顔になって報道している。
 ところが、三社とも人件費の高騰も重大な理由の一つとして、航空旅客運賃の平均二二・九パーセント値上げを運輸省に申請中であった。さらに東京タイムスによると、不採算路線が多い上に、五十億円をこえる赤字にあえぐ東亜国内航空では「石油危機で、ジェット燃料が削減される事態になれば、不採算路線から運休する」と、物騒な発言をして、物議(?) をかもしたということである。
 世はまさに航空機時代。それは日本航空、全日空、東亜国内三社の独占事業で、国内幹線はとにかく、地方路線はほとんど独占路線で、しかも料金はガッチリ協定されている。それに、三社とも一番威張っているのはパイロットで、その御機嫌を損じたら、大変である。
 三社とも、その経営首脳部は、経営者として良識ある連中が揃っているはずなのに、いかな高物価・インフレ時代とはいえ、いささか度を越した大盤振舞いではないか……といった批判が強いのである。
--------------------------------

それから、40年近い歳月が流れ、東亜国内航空、つまり、JASを吸収したJALは破綻し、人員整理を余儀なくされる・・・なんて隔世の感がありますが、ある意味、今日のここへ至ったのは必然でもあったような気がします。
すなわち、JALが業績に関係なく、親方日の丸で航空業界の人件費を引っ張り上げてきたということであり、底上げという意味では功績は認めるものの、現実無視で、優遇され、何だかんだ言って、それを維持してきたということであれば・・・。
ま、何をかいわんでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-13 18:44 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

総理という職責の重圧と情報壟断状態の愚
親愛なるアッティクスへ

島根県立大学女子大生のが殺害された事件は、未解決のまま、26日で1年が経ったそうですね。
何とも痛ましい事件で、事件の早期解決を望んでやまないものの、早くも捜査は暗礁に乗り上げたような観があるようで、昔は、「日本の警察は世界一優秀」と言い、こういう事件はすぐに解決したので、すぐに犯人は逮捕されるだろうと思っていたのですが・・・。
この件に限らず、なかなか、犯人逮捕に結びつかない事件が増えているように思うのですが、ふと、思ったのが色々と時代の変化はあったにせよ、こういう雑な手口の未解決事件が増えるなどというのは少しおかしな話で・・・。
つまり、昔はちゃんと真犯人を捕まえていたんだろうな・・・と。
捕まらないと、警察幹部の出世の妨げになる・・・などという理由で、「とにかく、誰でも良いから逮捕しろ」なんてことはなかったんですよね?
今の検察などを見ていると組織の有り様という点で、少し、疑問に思えてきました。

で、本日の本題です。
仙谷由人官房長官の存在ばかりが際だち、ますます、影が薄くなった観がある菅直人総理ですが、小泉純一郎元総理以降の世襲四総理は、一旦、総理になってしまうと急にそれまでの覇気が消え失せてしまったように迷走を始めましたので、世襲ではない管総理には期待したのですが、結局、どうも同じようなことになるようで・・・。
つまり、この辺は世襲云々ではなく、これすなわち、如何に「総理の椅子」という重圧が余人には窺い知れない物であるかということなのでしょう。
ただ、それとは別に、一つ思うことがあるのですが、それは、総理になると情報壟断状態に置かれるのではないか・・・ということです。

この点で、以前、読んだ老財界評論家・三鬼陽之助氏(故人)の著書の中に、昭和35年、総理就任の際、ある大物財界人よりの祝福の電話を受けた池田勇人夫人が「あなたの耳に、池田に関する悪評、ことに新聞、雑誌にのらないニュースが伝わったら、是非聞かせて下さい。そしてあなたたちが、ここらで池田は辞めるべきだと判断されたら、私に伝えて下さい。私が責任をもって辞めさせますから…」と言ったという話が出てきます。

e0027240_1792217.jpg総理というものの孤独さを知ることができる話でしょうが、(←象徴的でしょ(笑)。)その池田総理が健康を害し退陣を余儀なくされた時、大学時代からの親友である野村証券会長奥村網雄氏は「大臣・幹事長時代は、なんでも話しあえ、忠告もした。しかし、総理大臣になったので池田も忙がしいし、会うのに手間がかかった。それで、池田の経済政策の不評判を知り、耳うちしたいこともあったが、ついに機会がなかった。相許した親友として、まったく残念だ」と洩らしたとか。

「忙がしいし、会うのに手間がかかった」という辺りが行間から読み取れる本音だとすれば、おそらく、就任当初は自分の耳となる人材を置いているはずでも、側近筋がそれを壟断してしまうのでしょう。
であれば、側近が壟断できない立場にあって、真実を耳に入れてくれるのは身内であるわけで、どれだけ、耳に痛いことを告げてくれる身内を持っているか・・・ということでしょうか。
まあ、一々、それを聞いていては何も出来ないのかもしれませんけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-27 18:00 | 政治 | Trackback | Comments(2)

逆もまた真なり、「成名毎窮苦時、敗事多因得意時」の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_18314892.jpg週末、校区の祭りに出かけ、またしても醜態をさらしてしまいました。
それほど飲んだつもりもないのですが、気が付いたら、土間で寝ており、家人に発見され、「みっともない」と起こされても足にきていて歩けない・・・。
結局、近い距離をタクシーを呼ばれ、家人一行に担がれて帰宅するという「名誉の帰還」となったのですが、困ったことに家人に発見されるまでの記憶がまったくありません。
どういうわけか、鼻の頭から下にかけて見事な傷を作っているのですが、私は何をしたのでしょうか・・・。
どなたか、目撃情報をお持ちの方は是非、非公開コメントでご一報ください(笑)。

ところで、たびたび、ご紹介申し上げている、昭和の老財界評論家・三鬼陽之助という人のオイルショック直後の著書にこういうものがありました。

「 昭和四十八年末の驚きの一つは、日本ハム社長大社義規のプロ野球・日拓ホームフライヤーズ買収である。(中略)
 大社は、いささか誇張していうと、食品界の土光敏夫である。香川県生まれ、野球に強い高松中学を卒業、香川県養豚組合主事から徳島ハム加工場を経営、それをスタートに、鳥清ハムと合併、米国食肉加工のトップ企業のスイフト社と技術提携、兵庫工場を建設した。消息筋によると、大社がスイフト社と技術提携を結ぶまで、十年を要したが、その間の米側とのかけ引きは一編の物語となるようである。
 ところで、大社の〝野球″進出である。
 大正四年生まれ、六十に近い年齢で、しかも競争激化の業界で売上高でも純利益でも業界の記録をたてた。それに野球界で超有名な高松中学出身である。ことに先輩には、三原脩といった野球の鬼がいる。だから、大社のプロ野球進出には、衆知が集められたことと思われる。
 しかし、私はあえて言いたい。それは、経営者が〝得意″時代、計画したものと、〝失意″時代、計画したものとの成功率は、断然、前者が悪いということである。これは中国の名言集〝酔古堂剣掃″にある「成名毎窮苦時、敗事多因得意時」の言葉が物語ることで、例の渋沢栄一の愛好の言葉である。論より証拠である。大映の永田雅一は論外として、東映の大川博、大洋漁業の中部謙吉、鐘紡の武藤絲治等々が〝野球″に色気を出した前後の、その得意満面の姿が、私は職業柄、いまも眼前にクッキリと描き出されるのである。」

まず、危惧された日本ハムファイターズですが、その後、ご承知の通り、後楽園での不遇時代を耐えきり、今や北海道で立派に根付きましたよね。
それに、それを言っていたら、どこもプロ野球のオーナーになろうなどとは思わなくなるわけで、これはこれでまさしく、今の日本が陥っている負のスパイラル、すなわち、「精神の萎縮」に繋がるのではないでしょうか。
そう考えれば、私如きが大評論家氏に大変、失礼なのですが、これは、反面、「得意のときでないと乗り出せない計画」があるともいえるのではなかと。
讀賣の正力松太郎翁の貪欲なまでの事業意欲は、テレビ事業にしてもプロ野球にしても原子力にしても、当時はかなり時期尚早の観が強かったわけで、後は、それをどう持続するか・・・の問題であり、となれば、本人の気力と、それから後継者も含めた問題になるのかもしれません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-26 19:06 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)

前任者が華々しいと無名で登場し無名のまま終わる悲哀
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1924376.jpg目下、かなり、多忙を極めておりまして、暑さ疲労で意識が朦朧とし始めております。
今日明日が疲れのピークなのかも知れません。

当然、連休中も早朝から活動しておりました。

そういえば、去年の今頃もこれに近い状態でしたね。
友人から、「そんなに忙しければ、ビールが美味いでしょ」などと言われましたが、疲労も限界を超えると、ビールなんて体が受け付けなくなりますよ。

で、そんなこんなで、最近、なかなか机に向かうことが出来ておりません。

昨日は祭日だったこともあり、幾分、ゆっくりとすることが出来ましたので、この際・・・と思い、多少、まともなことが書けたのですが、今日も笑ってごまかすしかありません(笑)。

で、本日の本題(・・・といえるかどうかわかりませんが。)です。
以前より、たびたび、拙稿でも採り上げました、三鬼陽之助(故人)という老経済評論家がオイルショック直後に書いた著書の中に、少し面白い物を発見しました。
曰く、
---------------------------
昭和48年は近年にない会社首脳者の交代が行われた。そこで、笑い話というのは、これら交代社長は、揃いも揃って無名の連中だということで、まず挙げられたのが次の人たちである。
新日本製鉄 平井 富三郎 (稲山嘉寛)
日清製粉   石井良雄   (正田英三郎)
本田技研   河島喜好   (本田宗一郎)
日本精工   長谷川正男  (今里広記)
日本化薬   近藤潤三   (原安三郎)
近鉄      今里英三   (佐伯勇)
日産自動車 岩越忠恕    (川又克二)
江崎グリコ  大久保武夫  (江崎利一)
電通      中畑義愛   (日比野恒次)
立花証券   中田忠雄   (石井久)

(中略)
カッコ内が前社長であるが、一見して、まず言えることがある。それは前社長のあまりにも有名なのに比較、新社長のあまりの〝無名″さである。この十会社のなかには、日本化薬の原安三郎とか、江崎グリコの江崎利一のように九十歳の声を聞くまで、一人で社長のイスを独占した者もおり、また本田技研の本田、近鉄の佐伯、日産の川又、日本精工の今里、さらには日清製粉の正田英三郎のように、その会社を象徴した天下周知の社長もあった。
---------------------------

・・・と。
確かに、結構、知ってるもりの私でも、前者については河島喜好氏以外まったく初めて聞く名前ばかりですし、後者について言えばまったく知らないのは石井久という人だけです。
私が知らないということは、多分、この方たちはその後も無名のままで終わったということだろうと思います。
やはり、前任者が華々しすぎると、後任はやりにくいものなんでしょうね。
その意味では、これらの「新社長」さんたちは何とも気の毒な気がします。

あ、ちなみに、誤解のないように申し上げておきますが、私が申し上げているのはあくまで「有名無名」という点だけであり、この方たちに業績が無い・・・などと言っているわけではありませんよ。
悪しからず。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-20 19:30 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

ゴーン社長の給料にみる経営者の報酬の多寡 その2
親愛なるアッティクスへ

先日よりの続きです。
本当はすぐ翌日に書くつもりだったのですが、ワールドカップなど、色々と時事的な物が続いたため、とうとう、月をまたいで7月になってしまいました。
で、本題です。

これまで安く据え置かれていた日本の大企業の経営者の給与ですが、ただ、必ずしもそれは「清貧」などということばかりでもなかったようで、この点で、三鬼陽之助(故人)という老財界記者オイルショック直後の昭和50年頃の著書の中で少し興味深いことを言っておられました。
「これまでは社長-トップは、唯我独尊的な存在で、権力、栄誉を背景に、いわゆる〝物欲〃的な面でも、我儘が許された。瑞的な例で、電鉄会社が鉄道を施設する時、社長が特権を利用、あらかじめ個人名儀で鉄道沿線の土地を買収、その値上りで莫大な利益を確得、経営者-財界人としての栄誉を得ると同時に、億万長者として一家一族の繁栄をもたらしたといった事実は、枚挙にいとまないのである。また、この種の行動が、トップに立つ者の、当然の権利として大目に見られた時代もあった」

まあ、今と違い、インサイダー取引の規制がなかった時代ですから、こういうことも十分に「有り」だったのでしょうが、でも、こういう役得があったからこそ、低く抑えられても文句も出なかったともいえ、そう考えれば、現代ではそういう「抜け道」が抑えられたので報酬が高くなった・・・という見方もできるのかもしれません。
ただ、では、当時の経営者が全員、そんなふうだったかというと必ずしもそういうわけでもなく、同氏は「天晴れ特筆」として、全日空創業者の美土路昌一という人物のことを挙げておられました。

曰く、「同社は昭和二十八年十月、半官半民の日本航空に相前後、純粋な民間会社として創立され、美土路はその徳望と、朝日新聞時代、航空部長、常務、編集総長といった前歴から社長に就任したが、当時は航空に関する技術も未熟で、何回となく事故を起こし、社会的非難はおき、不人気は高まり、経営困難におちいった。当然のことで、役員、幹部、一般従業員も動揺、時に経営の危機すら云々された。
 しかし、こういう時、社長の美土路の月給は僅か四、五万円といった課長並みの待遇で、自動車代にも足りなかった。それに、社長としての交際費的な費用は皆無に近かった。だから、当時、年収二百万円以上の申告所得者のリストが発表され、社長、専務がズラリ発見されたが、美土路の名はついに見出されなかった」そうで、これを見た当時の佐藤栄作大蔵大臣が、省議の席上「いまどき美土路氏のような立派な経営者は珍らしい。こういう経営者の事業は、国家としても、出来るだけ援助すべきである」と発言し、同社が金融難に陥った際には「美土路社長の徳望を担保に金を貸そう」と言い、結果、同社は「危機を脱却できた」のだとか。

佐藤栄作という人は総理時代、「待ちの栄作」などと言われ、あまり「果断」なイメージがあった人ではありませんが、なかなかに押さえるべき所は押さえた人だったのでしょう。
それに対して、今回の参議院選での節操なきまでの有名人擁立劇を見れば、中村敦夫氏をして、「仕事が減った有名人のハローワーク」といわせた状況(確かに言い得て妙だと・・・。)は何とかならないものでしょうか。
「当選したら年収4千万円、売れていた頃と変わらない年収が確保される」のだそうですが、実際には彼らはあまり党の獲票には貢献していないのだそうで、この辺はさもありなんで、別に彼らに魅力を感じませんから、擁立する側も見直してみるべきだと思います。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-07-01 17:43 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

自社の社史を通読せずして入社するの愚
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10533123.jpg先日、三鬼陽之助という、今は無き、老財界記者がオイルショック直後の昭和48年(1973年)に書いた著書を読み終えたと申し上げましたよね。

で、今、別の物を読んでいるのですが、それによれば、この方は本来、文学部志望だったそうでうすが、親の希望で法政大学法学部へ行き、その後、昭和6年(1931年)、卒業後、人に勧められて財界関係のことを扱う出版社に入った・・・のだそうで、従って、内心では嫌々ながらの就職であったと・・・。
しかし、一旦、入社するとなったからには、それまでの文学書をすべて処分し、経済関係の物に変えたそうです。

で、そこまでは私も特に驚くことはなかったのですが、少し考えさせられたのは、この方は、経済書、専門書はもとより、「入社するに当たってはその会社の社史通読・熟読して入社に臨んだ」・・・という部分でした。
これは、この方にとっては、「自分が、これから入社しようとする会社のことを知っておくのは当たり前のこと」・・・で、今は、まあ、そういう時代ではないのかも知れませんが、確かに言われてみればその通りで、一生、定年までそこで働くかもしれない会社なわけでしょ?
であれば、知って、調べて、入社するのが当然ではないかと・・・。

その意味では、本来であれば、正史である社史はもとより、ああいう財界誌などのバックナンバ-などから見える裏面史、すなわち、過去の経済事件やそこから見えてくる体質なども知るべきなのでしょう。
もっとも、就職氷河期の現代ではそんな悠長なことを言っている場合ではないのでしょうけどね。
と言いながら、私自身も、新卒の頃、当然、就職活動はしましたが、まったく、そんなことは考えませんでしたが。

ちなみに、社史に通暁しているというのは、そこの社長は凄く喜んだらしいですよ。
「そんな話、古参社員でも知らんよ」と言って(笑)。
転職するたびに、社史を読んで入社すると、やはり、どこでも社長は喜んだ・・・と。
誤解のないように申し上げると、これは、社長に気に入られる云々ではなく、如何に、自社のことがわかった上で入社してきたか・・・ということだと思うんですよね。
第一、会社の規模や内容によっては入社したからと言って社長に会えるとも限らないし、中には、先輩社員から「おまえ、暇だな」とか、「くだらねえことばっか知ってるな」とか、嫌みの一つも言われるかもしれません。
でも、これって見落とされがちなことではありますが、自分が所属している団体の過去を知るというのは大事なことではないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-26 07:07 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(5)

オイルショックと大洋ホエールズ優勝とALWAYSと今
親愛なるアッティクスへ

昨日、テレビで映画「ALWAYS三丁目の夕日」をやってましたよね。
うちの、お馬鹿なガキども熱中して見ているので、「わかってるのか?」と思い、「明治時代?」と聞くと、「昭和?」と少し頼りなげな返事・・・。
「昭和って知ってるのか?」と言うと、「水不足の頃?」・・・と。
確かに、博多では、昭和53年だったかに大渇水給水制限になったことがあり・・・(笑)。
私にとっては、ALWAYSの頃は私が生まれる前であり、大渇水の頃は高校二年でしたから、白黒とカラーくらいに全然、違うイメージだったんですが・・・。
で、ガキに、「この映画の時代は水不足の頃より20年も前なんだぞ」というと、少し驚いた様子でしたが、一方で、自分でも、「考えてみれば、たった20年しか違わないんだ」・・・と。
だって、今から20年前って言ったら、平成2年でしょ。
さすがに「最近」とは思いませんけど、まだ、それほど「昔」でもないですよ(笑)。

e0027240_1544757.jpg
(↑ レトロでしょ(笑)。)

で、以前、昨年の今頃だったか、前年のリーマンショック以降、結構な経済的苦境に陥ったこともあって、私的にはリーマン以上の衝撃波であったと思えるオイルショックの頃の経済界のことについて書かれた物を読み始めた・・・と申し上げましたよね。
(当時、私は小学校6年生でしたので、実際に、この衝撃に相対した当時の大人たちは、この経済危機に対し、どう感じ、どう行動したのか・・・、そして、それを知ることは今後の混迷の時代に何かの道標となるのではないか・・・と思ったわけです。)

で、取り寄せたのが、私が20代の頃、結構、愛読していた三鬼陽之助という今は亡き老経済記者の手による昭和49年(1974年)発刊の「社長の受難時代 この危機を乗り切る経営者の条件」という本でして・・・。
この人については、以前からたびたび触れてきた通りなのですが、今回、取り寄せるに当たって、著作一覧を見て、改めてびっくり。
最初の著作は、投資経済社というところから発行された「会社と経営者」という本で、何と、戦前昭和11年(1936年)の物なんですね。
となれば、当然、この明治40年生まれの方から見れば、オイルショックと戦後が一本の線で繋がってしまうわけで・・・。

で、恥ずかしながら、今頃、ようやく、読み終えたたのですが、その中の一節に、『大洋ホエールズが、野球に優勝した時、社長の中部謙吉が「こんなにテレビ、ラジオ、新聞が無料で我が社の名前を宣伝してくれたのだから、前年に比較、我が社の製品は最低一割五分は余計に売れるだろう…・」と狂喜、皮算用した。ところが、結果は逆で、それからの同社の業績は下火となったということである』という部分が出てきました。
大洋ホエールズが優勝したというのは、私が生まれる前年の昭和35年で、私にとっては、オイルショックと大洋ホエールズ優勝は同じく、まさしく、カラーと白黒ほどに違うまったく別次元の出来事だったのですが、当時の大人たちにとっては、一本の線に繋がる、「つい、最近のこと」だったんだな・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-10 17:59 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧