タグ:カエサル ( 16 ) タグの人気記事

山口良忠判事の死に思う正しいことしたいなら偉くなれの理
親愛なるアッティクスへ

去る10月11日山口良忠判事が亡くなった日だったそうですね。
山口良忠という人は、、戦後間もない昭和22年(1947年)、「判事という法の番人としての職責からヤミ物資が横行する中、敢えてヤミ米を食することを拒否し、真っ当に配給物資のみの生活を守り通した結果、栄養失調で亡くなった・・・、つまり、餓死された方です。
もっとも、私も、こういう事件があったということだけは、小学校の時、担任の先生から聞いて知ってましたが、ただ単に、そういう事件があったということを聞いただけで、実は最近まで深くは知りませんでした。
彼の行動は正しかった>のか・・・、賞賛されるべきものだったのか・・・という点については、当時から、賛否両論あったそうですね。

e0027240_1138367.jpg実際、このときも、時の総理夫人からは「奥さんがもう少し配慮してあげていれば・・・」という発言があったそうですが、賞賛されるべきかどうかは別にしても、少なくとも、総理夫人がそれを言っちゃあ自分の職責を全うした者は浮かばれませんよ・・・。
ま、要は、「正しいことをすることの大変さ」ということなのでしょうが、この点では、以前、平太郎独白録 「ノブリス・オブリージュ前編 正しいことしたいなら偉くなれ!」でも触れたことですが、かつての人気ドラマ・「踊る大捜査線」の中で、故いかりや長介さん扮する老刑事が言う、「正しいことしてえなら偉くなれ!」というセリフは、けだし名言だと思いますよ。

つまりは、現場だけで正しいことをするのは、いつの時代も無理があるってことなんでしょうが、これすなわち、同じく、平太郎独白録:新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 後編で述べた「周恩来文化大革命の時、もっと人々を救うべきだった・・・という批判があるが、たとえ副総理でも副大統領でも所詮、副は副であって最高権力者ではない以上、人は自分の権限の中で救える範囲を救うしかない、つまり、人は自分が持っている権限以上のことは出来ないものである」ということを申し上げましたことに集約されるかと思います。
(彼が毛沢東に正面から逆らってすべての人を救おうとしたら罷免されたでしょう。その結果、より多くの人が災厄に見舞われたであろうことを考えれば、周恩来の判断は正しかったと思います。)

その意味では、本当に国を変えようと思えば、いたずらに市井にあって現状を嘆くよりも、やはり、「総理大臣」を目指すべきですよ。
ユリウス・カエサルが自らの理想を実現するために、まず「執政官」を目指したことがその辺りを雄弁に物語っているだろうと思います。
日本の総理大臣は「本来、旧帝国陸軍と天皇の権限を併せ持ったほどに強いものである」と言われてますが、現実はそうなっていないのは周知の事実でしょうが、それでも一国のTOPの持つ権限はとりあえずは、他のどの役職よりも大きいわけで・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-13 07:47 | 政治 | Trackback | Comments(0)

歴史は勝者が作るの理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1653177.jpg
     「稜線に 釣瓶落として 闇侍り」 梁庵平太


先日、新聞を見ていて、ふと目に付いた記事がありました。
うろ覚えなのですが、曰く、「ベトナム人の友人から『歴史は勝者が作るもの。負けた戦争について今更、とかく言っても仕方がない。それよりも、これからのことに力をそそぐべきだ』と言われた。如何にも、長年、中国と戦ってきた経験を持つベトナム人らしい言葉である・・・」と。
これは、私もまったく同感でして、私の周りにもよく、「日本は悪くなかった」とか「日本がいかに素晴らしかったか」を力説する友人諸兄が多々、いらっしゃるのですが、私は毎回、この手の「正論」に対して無味乾燥なものを感じておりました。
言ってることは正しいのかもしれないけど、今、それを言ってどうするの?・・と。

その辺のことを端的に言ってくれたのが、この、ベトナム人の方の言葉で、私も、拙著の中で、武田勝頼、毛利輝元という人たちを描いていく上で、つくづくそのことを思ったことがあります。
歴史は勝者によって作られるんだ・・・と。
であれば、負けた側がそんなことを百万遍唱えても自己満足以外の何物でもないわけで、そんなことするよりも、もう一度、戦争して勝てば良いじゃないか・・・と。
そういうと、「また、そんな出来もしないことばかり言う!」と友人は怒りますが、そうでもないでしょう。
「勝てる時に、勝てる場所」で戦えば良いんですよ。
ただし、アメリカと事を構えるのなら、尖閣諸島竹島は放棄しないといけないでしょうし、逆に、中国を脅威と思うのなら、アメリカの無理難題にも耐え忍ぶしかないでしょう。

ていうか、それ以上に懸念されるのは、勝ってしまうと弊害の方が大きいということです。
この辺は、以前からたびたび言っている通りで、武田信玄「戦いは五分の勝ちで上とする。六分で驕りを生じ、七分勝つともう弊害の方が大きい」という言葉は至言だと思います。
(日露戦争後の「一等国日本」や、近い例ではジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃の日本・・・。また、「外交的失敗の3ヶ月を軍事的成功の3日で取り戻した」と豪語した時のラムズフェルド米国防長官などが好例でしょう。)
そもそも、日本人というのはA型民族ですから、かえって、現実を直視したほうが良いんですよ。
「最高!」「最強!」などと言われると、大体、良かった試しはないですしね。

また、「素晴らしい」などとは他国の人が言ってくれる分にはともかく、自分たちで言うのはいかがな物かと。
「人は見たいと思う事実しか見ようとしない」と言ったのはカエサルでしたが、この点で、ある印象に残っている光景があります。
少し前のことなのですが、上海コンビニ業界日本企業に押されまくった中国国営系のコンビニが、閉店後、店長・店員が集まって対策会議をしていたところ、最初は、「どうする?」「どうしようか?」だったのが、「我々でも勝てる部門があるかもしれない」から、最後には皆で自分たちに言い聞かせるように、「まだ、我々は負けたわけではない」「日本企業、恐るるに足らず」という結論に至り、散会・・・と。
これって、私には、まるで、敗色濃厚となって以降の帝国陸海軍の姿に見えましたよ。
何の根拠もない・・・、そのことは皆知っている・・・けれど・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-28 16:52 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

名前は人を識別するためにあるが通じない世界の名前
親愛なるアッティクスへ

私、以前から疑問に思っていたことがあります。
我々は、よく一口に、フランスの英雄・ナポレオンのことを、フルネームで、「ナポレオン・ボナパルト」・・・と言いますが、これって、どっちが名字でどっちが名前なのかな・・・と。
普通、日本などアジア諸国では名字で、名前に来るのに対し、欧米諸国では名前が名字の前に来るわけで、であれば、西洋人の名前を日本の書籍などが使う場合、日本風に名字を先にして名前を後にする方式にしているのか、それとも、そのまま西洋風に使っているのか・・・。

ナポレオン王朝ナポレオン家、ナポレオン一世などと言いますから、ナポレオンが名字なのでしょうが、ナポレオンの甥のナポレオン三世の名は「ルイ・ナポレオン」・・・。
じゃあ、やっぱり、ボナパルトが名字で、「ボナパルト・ナポレオン」が正しいのか・・・と思うと、ナポレオン三世こと、ルイ・ナポレオンの兄の名前は「ナポレオン・ルイ」だったりするわけで・・・、もう、ややこしいったら仕方がないわけです(笑)。
さらに言えば、ジョン・F・ケネディなどというのは、明らかにケネディが名字ですよね。
ついでに言うと、ブッシュ前大統領の名前はジョージ・ウォーカー・ブッシュ・・・なのに、その父で、同じく元大統領の父の名はジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュなわけで、これまた、何ともややこしい・・・と。

私は、「名前というものは人を識別するためにある」という考えから、自分の子供たちには、私と父に共通していた一文字を使わずに、敢えて、皆、まるで違う名前にしたのですが、そんな私からすれば、これらナポレオン一族やブッシュ父子などに見られる西洋人の名付けに関する考え方というのはどうにも理解に苦しむわけです。
この辺は日本でも伊達政宗などは祖先にあやかって同姓同名としたような例もあるわけですが、もっと言えば、古代ローマの英雄・ユリウス=カエサルは、主に英語読みの「シーザー」で知られており、一方で、ロシアの女帝・エカテリーナは英語読みで「キャサリン」、フランス語では「カトリーヌ」であり、イングランドの王妃にはやたらと「キャサリン」がいるし、おまけにフランス王シャルル6世の娘カトリーヌはイングランド王ヘンリー5世に嫁いでキャサリンになっているし・・・で、もう、こうなると本当にややこしいったらありゃしないです。

ちなみに、他の地域はどうか・・・というと、西洋と東洋の中間に位置する中東地域では、基本的に名字という物は存在せず、名前だけしかないのだそうです。
となれば、当然、同じ名前の人はたくさん存在するはずで、ではどうやって、それらの人を識別しているのか・・・というと、自分の名前だけでは誰だかわからない場合、その上にの名前を付け、それでもわからないときには、さらにその上に祖父の名前を付けるのだとか。
サッダーム・フセインという人物を例に取ると、彼は正式にはサッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティーであって、そのうち、サッダームが自分の名前、フセイン・アブドゥル=マジードが父の名前、アッ=ティクリーティーは祖父の名前なわけです。
従って、我々、日本人は良く、「フセイン大統領」などと言ってましたが、死んだ父の名前で彼を呼んでいたわけですから、本当はこれはおかしな話なわけです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-11 08:58 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

ナセルの素性と藤堂高虎の遺訓に思いを馳せる年末 2
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

以前、私は、ある保険の打ち合わせをしているときに、「私が死んだら、家族が困らないように」と言ったところ、アドバイザー(非保険屋)から「アナタァ?はあ?貴方はまだ、心配いらないですよ」と思いっきり、失笑されたことがあります。
でも、この「まだ」って、何か根拠があってのことでしょうか?
もっとも、このアドバイザー氏が現代日本では、それほど、特異な人ではないように私には思えます。
同様に、現代日本人の多くは、「明朝、目が覚めても、これまでと変わらない日常が続いている。」と思いこんでいるように思えるのです。
で、その根拠は何なのでしょうか?
昨日まで、ピンピンしていた人が突然、亡くなるなんて話、別に無い訳じゃないですよね。
私も、昨日まで普通にしていた人が、翌朝、脳梗塞だったかで目の前で倒れられたのを見たことがあります。
その方は、そのまま、救急車で運ばれましたが、一週間ほどして、亡くなりましたよ。

また、百歩譲って、仮に病気でなかったとしても、事故という可能性もあるわけでしょう?
これだけ、車が走っているんです。
自分が気をつけていても、交通事故に巻き込まれるってこともありますよね?
私自身、検査手術日帰り入院したところ、初歩的な医療ミスで、あと少しで死ぬところだった・・・という経験がありますよ。
(妙なもので、このとき、病院に行く前に、ちらっと一瞬、「人間って、案外、こんな何でもないことで死んだりしてね・・・」って頭をよぎりましたよ。でも、すぐに、「いくら何でも、検査手術なんだから、そんなことあるはずがないよな」と思い直し、そのまま、病院に向かいましたが、そのとき、心底にあったものは、間違いなく「まさか、俺が・・・」という根拠のない思いこみでした。)

さらに言えば、地震もまた然り。
数年前には、私自身も地震を体験しましたが、(私に限らず、福岡人は、多かれ少なかれ、日本が沈没することはあっても福岡が地震に見舞われることは無いと思ってました。)阪神大震災で亡くなった5000人以上の方は、誰もが翌朝も、翌々朝も、目覚めると同じ日常が続いていると、信じて疑われなかったのではないでしょうか?
そう考えれば、藤堂高虎のような戦国武者で無くとも、今日、布団に入るときに明日も同じ生活が続いていると考えることは、単なる思いこみに過ぎないのではと思えて成りません。
・・・何だか、保険の勧誘みたいになってきましたね(笑)。

もっとも、そう、イチイチ気にしていたのでは、到底、生きていけないのも、また、現代社会の動かし難い現実です。
ユリウス・カエサルは、数々の暗殺の危険に対し、「怯えて生きるよりも死んだ方がマシ」と意に介さなかったとか。)
私が言いたいのは、別に保険の心配をしろということではなく、「事」先送りしてませんか?ということです。
先送りとは、明日も、明後日も、いつもと変わらない日常が続いていることが前提なのですから・・・。
「この世に生を受けたるは事を成すが為にあり」と言います。

その意味で、藤堂高虎のこの言葉は、平和社会に生きる現代人に、「刹那刹那を疎かにすることなく生きる」ことの意義を問いかけているように思えて成りません。
ということで、一献、誘うなら今ですよ、御同輩・・・。
平太独白
by heitaroh | 2007-12-29 08:12 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

理論と実践は車の両輪!
親愛なるアッティクスへ

以前、平太郎独白録 : 好漢惜しむらくは兵法を識らずの中で、「実践無き理論は空論に終わり、理論無き実践は悲劇に暮れる」と言ったのを覚えておられますでしょうか?
平安時代中期、前九年の役に際し、苦心の末、勝利した名将・源 義家が都に凱旋してきたとき、その奮戦を賞賛する声が鳴り響く中、一人の公家が、「好漢、惜しむらくは兵法を知らず(いいやつだが、戦争の仕方を知らない)」と言い放ち、周囲の誰もが皆、この公家を白眼視したところ、当の義家一人が敢えて教えを乞い、これにより間もなく勃発した第二次戦役をわずか3年で片付けることが出来たと(後三年の役)。
このエピソードは義家の度量を顕すものとして有名ですが、むしろ、私が言いたいのは、「自分では出来もしないくせに・・・」という、世間というものの空気であるといもうのでした。

e0027240_1885374.jpgすなわち、理論だけの人は「自分では何も出来ないくせに口だけは達者」と嘲笑され、実践だけの人は「好漢惜しむらくは兵法を識らず」ということになり、結果、良いところまでは行くけど、どこかで行き詰り、高転びに転ぶ・・・と。
実践者は、本来、義家のように、自らの空白部分(理論)を埋める努力をしなければならないのでしょうが、とかく、こういう実践面で実績が上がっている人に限って、「実績が上がってるんだから」と言って、その辺の必要性を感じないもののようです。

(近い所ではホリエモン然りでしょうか。)
その意味では、理論と実践というのは、どちらが欠けてもいけない>車の両輪であると思います。

とはいえ、哀しいかなこれを両方持っているユリウス=カエサルのような人はごく希で、決して多いとは言えません。
「名選手、名監督ならず」とはよく言われることです。
(無論、名選手にして名監督であった川上哲治さんのような例外もあるでしょうが。)
しかし、経営学者は皆、一流の経営者である必要は無いわけですし、実際に経営できないからと言って、経営学そのものが否定されるべきものでも無いわけです。
では、どうするのか?

努力して、欠けている分野を自分自身で埋めるというのも一つの方法でしょう。
また、お互いがお互いを必要とするのですから、自分に無い能力、欠けている部分は、それに秀でた人、それを持った人に任せるというのも一つの方法だと思います。
つまり、小泉純一郎元総理が「丸投げ」と批判されたそれですね。
丸投げというものが問題になるときというのは、
1.任せておいて責任とを取らないとき、もしくは信用しないとき
2.決定権がどちらにあるのか、あやふやなとき
3.丸投げした内容に無関心であるとき
・・・だと思いますが、如何でしょうか、御同輩。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-10-13 21:32 | 思想哲学 | Trackback | Comments(6)

古代ローマの特殊性をドラマ「ROME」にみる2 暗闘編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

この「ROME」というドラマを見て、思わず唸ってしまった一場面があります。
それは、戦場での激しい戦闘の場面でも、英雄たちの虚々実々の駆け引き>の場面でもなく・・・、実は、女たちの葛藤のシーンでした。
中でも特に、圧巻だったのが、凱旋式に臨むオクタヴィアヌス(アウグストゥス)を迎える為にステージへ出ようとするアウグストゥスの母、姉らの序列についてやりあうシーンです。

遅れてきた母がさっさと先頭に立とうとすると、嫁が、「どうでもいいことですが・・・、先頭は妻の私です。神官たちに聞いてみてください」・・・と。
それに対し、母は、嫁の方を一瞥すると、「神官が何です。知ったことではありません。貴女のような腹黒い小娘に先は歩かせません」と平然と言い放つ。
「どうかしてるわ・・・」と嫁。
私が唸ったのは、このあとの母のセリフです。
「貴女の心は透けて見えます。私を呪ってますね。いつの日か破滅させると・・・」
そして、そのまま、無言の嫁を見据えて一言・・・。
「これまでも、貴女よりすっと凄い女たちが呪いましたが、どうなったかしら・・・」

・・・もう、このオバサンの貫禄には、思わず、噴き出してしまいましたよ。
王 貞治を力でねじ伏せたときの江夏 豊に近い物を感じましたね(笑)。
その迫力たるや、女帝エカテリーナ春日局かくありき・・・でしょうか。
暴君として知られる5代皇帝ネロのおっかさん、アグリッピーナも相当、あくの強い女性だったようですが、あるいは、この辺がモデルだったのでしょうか。
ネロも、あまりのおっかさんのキャラの濃さにやってられなくなって、母の乗った船を、船ごと沈めて殺そうとしたら、自力で泳いで帰って来ちゃったとか・・・(笑)。
あるいは、これがユリウス家の血筋だったのでしょうか。

この、古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス・・・の母、ユリアですが、この女性・・・、史実の中ではどうか知りませんが、このドラマの中では、女同士の暗闘に勝ち抜いてきたからと言って、決して頭が良いというわけでも、胆力にすぐれたというわけでもなく、言うならば、女傑と言うよりも猛女という方が相応しい人・・・として描かれておりました。
この人が勝ち残れたのは、ひとえに、伯父カエサルと実子アウグストゥスが天下を獲ったからにほかならないだけ・・・という。

この女性を、一言で言うならば、「自分の思い道理にならないことに不条理を感じることに何の疑問も持たない女性」としてドラマには描かれており、それはもう、見事なくらいに徹底されてました。
一例を挙げれば、伯父で最高権力者のカエサルより、「政略のために誰か一族の娘を政敵・ポンペイウスに嫁がせたい」と持ちかけられれば、娘オクタヴィアをムリヤリ離婚させて差し出したかと思うと、破談になったら娘の哀しみなどはまったく意に介さず、「うまくいかなったのはおまえのせいだ」と責め、復縁を望む元夫は後腐れの無いように殺害してしまう・・・。

また、賢夫人でもあったセルウィリアがカエサルの寵愛を受けていることに嫉妬して、罠を仕掛けてカエサルとの仲を引き裂き、ここに陰惨な暗闘を開始・・・。
そのくせ、金銭欲・名誉欲は人一倍で、さらに、やりたくなったら、誰が見てようが相手構わず情交を交わし、必要とあれば拷問することにも何ら躊躇しない・・・。
ここまで徹底されていると、逆に「見事!」と感心しましたね。
                                  平太独白
by heitaroh | 2007-10-03 08:42 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

古代ローマの特殊性をドラマ「ROME」にみる1 治安編
親愛なるアッティクスへ

以前、述べた古代ローマを描いたドラマ「ROME」ですが、思うところあり、続編を書くことにしました。

まず、この番組を見ていて、ふと、思ったことがあります。
とにかく、マフィア同士の抗争はある、浮浪者はもとより、普通に路上に座り込んでいると強盗はいる、追い剥ぎはいる・・・というのに、それを取り締まる公権力というものがまるで出てこないんですよね。
そこまで思って、ふと思いました。
古代ローマには、「警察」というものは存在しなかったんじゃないかと。
そういえば、塩野七生女史の大作、「ローマ人の物語」にも、「衛生状態は今日のローマよりもはるかに良かった」とは書いてあった記述はみた記憶があるものの、「警察」というものについて書かれたくだりは、見た記憶がないそ・・・と。

つまり、古代ローマには「防衛」はあっても、「警察」はなかったのではないかと。
もし、そうだとしたならば、ローマの指導者階級・・・、すなわち、貴族元老院議員といった人たちは、自分と自分の資産の安全のことしか考えていなかったのではないか・・・、公権力による国民の安全・・・、つまり、治安のことなど考えていなかったのではないかと。
思えば、日本では古くから「検非違使の庁」などという警察みたいなものがあったことを考えれば、おそらくは、これも中国からの輸入品でしょうから、東アジアにおいては、かなり早くから、治安維持機関があったと思われるわけで、(それが民衆を守ってくれたかどうかは別にしても、)この点では、都市国家からスタートした「国民ありき」の国家よりも、王朝が交代することで新陳代謝を繰り返してきた「王権ありき」の国家の方が、民衆の安全に敏感であったということなのでしょうか。

これはまあ、「もしローマに警察がなかったら」・・・を前提に言っている話で、私としても、決して、調べたわけではないので、あくまで仮に・・・の話ですが、もし、警察がなかりせば人々はどうやって自らの安全を守っていたのか・・・ということが疑問になってきます。
で、これも、このドラマと塩野女史の大作を見る限り・・・・ですが、おそらく、貴族富裕層などは奴隷などを一定量購入し、私兵として自らの安全を守ることが出来たでしょうが、庶民はどうすればいいのか・・・といえば、このドラマを見る限りでは、おそらく、貴族有力者などの傘下に入るか、もしくは、マフィアに守ってもらうか・・・ではなかったかと。

当然、守ってもらう以上は無条件というわけにはいかなかったでしょう。
貴族の傘下に入る・・・というのは、平安朝期の日本で、庶民がこぞって貴族に荘園を差し出し、その傘下に入ったことと似ているような気もしますが、その結果、主従関係ができてしまうわけですよね。
カエサルポンペイウスが戦うことになったとき、カエサルの副官「元々、自分の家はポンペイウス家の郎党だった・・・」という理由で、カエサルの許を去り、ポンペイウスに与しているのがそれでしょうか。
また、マフィアに守ってもらうのも、一昔前(?)の日本のやくざ「みかじめ料」のようなものを想像すればわからない話ではなく、ある意味、「自衛」という意味では自然の姿であったといえるかと。
仮に、公権力による治安維持機関というものがあったとしても、それは、往々にして、庶民にとっては期待できるものではないことも多く、であれば、人々は強い人の傘の下に入ろうとするものでしょう。
ま、古今東西を問わずこういう話が出てくる辺り、ある意味、人々が自衛していく上では自然の姿であるといえ、これが王権成立過程原始的な段階だったのかもしれません。

明日に続きます。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-10-02 08:01 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

報酬と業績の関係に想うプロの定義
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1024465.jpg今、NHKで「プロフェッショナル~仕事の流儀」という番組をやってますよね。
(←地球は丸い!)
ブームを巻き起こした「プロジェクトX」の後継番組のようですが、前作とは違い、私はこちらは初回に見ただけであとはあまり見てません。

で、その番組の最後で、いつも、「あなたにとって、プロとは何ですか?」とゲストに問いかけるシーンがあります。

「プロとは何か・・・?」
この点では、番組中で、様々なゲストが、様々に「プロ観」を述べていますが、これを、私なりに言わせていただくなら、「お金をもらうことを意識して、お金がもらえるものを提供することが出来る」のが「プロ」だと・・・。
言うならば、ビギナーズ・ラックの対極にあるものだと考えれば、わかりやすいでしょうか。
つまり、無欲で何となくやってみたら売れた・・・が、その後、「売る」とか、「報酬」ということを意識してやってみると、意外なほどに、まったく売れない・・・などという話もありがちな話のようです。
いわゆる、一発屋というのが、それでしょうか。
最初は、単に、「良い物」を意識していただけが、そこに、「欲」が出てきて・・・ということもあるのでしょうね。
そこで敢えて、「売れる物」を作ろうとして、作れる人がプロなんだと・・・。
そこが、アマチュアとプロとの、大きな一線ではないかと・・・。

徳川家康は、「家臣の禄(給料)を上げすぎるのも、かえって、逆効果になることが多い」という意味のことを喝破していますし、最近では東横インの社長が、問題発覚時に、自身は驚くくらいの豪邸に住みながらも、社員である女性支配人らにはこれまた驚くくらいの薄給しか与えていなかったことを指摘された際に、「上げすぎるとモチベーションが下がる。足りないくらいが良い」というようなことを言ってましたよね。
私は、テレビで見る限りでは、この社長氏の人間性はあまり好きになれそうにはなかったのですが、そこで言っていることは、ある程度、真実・・・、いや、現実なんだろうなと思いました。

事実、古代ローマでは、前線の兵士らには、妙にゆとりをもたせると、どんなに心酔している司令官でも、どんな切迫した状態の時でも、途端にストライキを打ち出したといいます。
所詮、人間とは、「苦」は共に出来ても、「楽」を共にすることはできない生き物なのでしょう。
また、最前線で苦労している兵士の待遇を良くするたびに、国家としての、ローマ帝国は凋落の一歩を踏み出すことになったようにも感じます。
「どんなに最悪の結果となった政策でも、それを打ち出したときには多くが良かれと思って始められた」とはカエサルの言葉ですが、思わず、なるほど・・・と。
                            平太独白
by heitaroh | 2007-08-21 09:59 | 経済・マネジメント | Trackback(3) | Comments(8)

教員免許更新制導入論議に対する教育の是非。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11362363.jpgここ最近、鬱々として楽しまざる事がありましたので、思い切って、「自分にご褒美」みたいな感じで、結構な昼飯を食いに行きました(笑)。
おかげで、今日はそこら辺の弁当か何かで我慢・・・です。

ところで、安倍政権は、首相の私的諮問機関「教育再生会議」の設置を決定しておりましたが、先日、そのメンバーが決まったというニュースを耳にしました。

まあ、はっきり言って、顔ぶれになどは興味がないのですが、主に、学習指導要領の見直し、教員免許の更新制度、学校・教員の部外評価制度、全国的な学力調査の実施、学校選択制、大学入学時期の見直しと社会奉仕活動の義務づけ、教育バウチャー(利用券)制度などが、議論されると聞いております。

元々、教育という点では、私の考えは、平太郎独白録 「学年不要論」や、平太郎独白録 「学問とは志であり、学校制度は日本にはなじまない。」などで述べたとおりですが、いずれにしても、少しでもいい方向に進んでくれればと思っております。
ただ、これら教育再生会議の討議事項の中で、一点だけ、「ん?」と思ったのが、「教員免許の更新制度」でした。

先般より、姉歯建築士の構造計算偽造に端を発し、世間を騒がせた「耐震偽造」問題以来、一級建築士などにも免許の更新制度が導入されるそうですが、まあ、こういった建築士などを始め、日々、新しい技術が出てきている業界は、まあ、こういう更新制度というものもありなのかな・・・とは思います。

その意味では、真っ先に、更新制度導入の対象になってもおかしくないと思われるのが医師免許でしょう。
しかし、今、医師不足は深刻な問題となってきており、現段階で医師免許にも更新制度を導入することは、決して、現実的だとはいえないと思います。
まあ、だからこそ、医療制度改革というものが、なかなか、進まない一因になっているのでしょうが。

で、思うのが、古代ローマ共和制から帝政へと移行する道を拓いた、英雄、ユリウス=カエサルですが、彼は自らが権力を握ると、元老院議員の議席を増やし、征服したばかりの属州の族長などを元老院議員に登用するなどの様々な、改革に取り組みましたが、その中の一つに、「医師教師には、無条件でローマ市民権を与える」・・・というものがありました。
つまり、「医師と教師」というのは、時代は変わっても、国家にとっては、それほどまでして、量を確保しなければならない存在・・・ということなのではないでしょうか?

となれば、更新制度を導入するという点では、教員もまた、一考を要するのではないかと思った次第です。
大学のような、最先端の知識が求められるところは別としても、指導教材の変更で十分に対応出来る小中高などの教員免許も更新制度を設けるのでしょうか?
もし、これが導入されれば、まあ、更新のレベルにもよるのでしょうが、実際に、いじめ校内暴力などの学業以外のことに対処しなければならない教員に対し、もの凄い負担になりますよね。
実際には、教員は順番待ち・・・というくらい、数が多いといいますから、いきなり、医師免許と同じように考える必要はないとは思いますが、将来的に見て、「量の確保」という点では如何なものかと思った次第です・・・。

ちなみに、うちの子供が通っている市立小学校へは、私は殆ど行ったことが・・・、ていうか、行かせてもらったことがないのですが、なぜかというと、妻曰く、私が行くと、すぐにケンカになる・・・からだそうです。
以前、一度、ちらっと話を聞いたときには、厳しく叱る先生が、一度、担任を外れた後に、また、戻ってくるということになったときに、父兄の中には、「あの先生には戻ってきて欲しくない。子供が学校に行きたくないと言い出した」といって、反対した人がいたそうです。
私的には、子供が悪いことして、先生が叱るのは当たり前のことだと思います。
私だって、そりゃあ、毎日のように先生から・・・、あ、いえ、何でもないです(笑)。

問題は、価値観の相違だと思うんですよ。
つまり、そういう、「うちの子に手を挙げるなんて!」って親は、そういう価値観を持った人ばかりの学校に行かせるべきだと思うんです。
今のように、日本人全体の価値観が多様化してきた時代に、一律に住民票でその区域の公立学校に行かせるから、とかく、問題が起きる。
もっと、柔軟に、「こちらではあわないみたいだから、こっちに行かせますね」くらいのことがあっていいと思うんですよ。

ていうか、イマイチ、言いたいことがまとまりませんでした。
やっぱり、モチベーションが上がらないもんで・・・。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2006-10-20 08:21 | 教育 | Trackback(2) | Comments(7)

ノブリス・オブリージュ前編 正しいことしたいなら偉くなれ!
親愛なるアッティクスへ

今日の博多は、午前中は天気が悪かったのですが、午後からは晴れ・・・。
でも、ここんとこ、雨が多かったですね。
おかげで、夏休み終盤は、子供たちは宿題に専念(?)できたようですが・・・(笑)。
でも、一雨ごとに寒くなり・・・には、まだ少し早いような気がするのですが、何だか、今年は涼しくなるのが早いですね。

e0027240_13525876.jpgで、先日の休みに、ガキ連れて、ここ(←)に行ってきました。

天気はまずまずだったのですが、やはり、日常生活にはちょうど良くても、プールとなると、少し、肌寒かったですね。

ガキは元気でしたが・・・。


e0027240_13503076.jpgまあ、おかげで、こちらは過ごしやすいのですが、夏産業は本来、9月一杯くらいは暑くないと大変でしょうね・・・。



(←このバルタン星人に水が溜まると、「フォフォフォッフォ」の泣き声と共に・・・。


e0027240_1351523.jpg←・・・。
こうなります(笑)。
他愛無いと言えば、他愛ないものですが、バルタン星人の鳴き声が聞こえると、大人も子供も、皆、一斉に集まって来るという・・・。
嗚呼、日本は平和です・・・。)

で、今日の本題です。

「正しいことしたいなら偉くなれ。」

これは、言うまでもなく、ドラマ、「踊る大捜査線」の中で、故いかりや長介さん扮する老刑事が、主演の織田裕二扮する新人刑事に言った言葉です。

正確には、「青島ぁ、おまえも正しいことしてえか?自分が正しいと思ったことをしてえなら、おまえも、上に行って偉くなれ。」だったと記憶しておりますが、これって、もの凄く、正鵠を射ている・・・、そう、真実を捉えている言葉だと思います。

つまり、日本国を変えようと思えば、外野にいて、アレはダメこれはダメ・・・と言っているのではだめで、「総理大臣にならなくてはならない」・・・ということですね。
あのユリウス・カエサルも、ローマを変えることを志して登場してきたとき、彼はまず、総理大臣に相当する執政官に就任することを目指しました。
現代日本の総理大臣は、驚くほど、弱い権限しか持っていないと言われますが、カエサル登場以前の執政官も(護民官も含め)似たり寄ったりで、改革を目指すものの、たびたび、既得権益層抵抗にあって失脚・・・ということを繰り返していたようです。
しかし、そのTOPの権限というものは、如何に弱められていようとも、小泉純一郎さんや、カエサルのような、それなりのリーダーシップを持った人が手にすると、やはり、それなりに大きな権限になるわけで・・・。
その意味では、日本の総理大臣というものは、「内閣の議長に過ぎない」という、極めて、弱い権限であるとはいえ、「正しいと信じたことをする為に権限が欲しい」ということを志している者にとっては、持ちうる上での、もっとも、強い権限であることは間違いないわけで、であれば、後は、それをどう活かすか、活かせるか・・・ということでしょうか。

続きは明日のココロだ~(笑)。
                                    平太独白
by heitaroh | 2006-09-05 08:47 | 政治 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧