2017年謹賀新年の~弥之助なかりせば~の年賀状
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

ところで、私の今年の年賀状です。

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ご覧の通り、本年は、性懲りもなく、またまた、新著、
「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」
を出版する予定です。
今回は戦国物ではなく、幕末明治が舞台で、「三菱」と言えば、大河ドラマ「龍馬伝」などでも周知の岩崎彌太郎ばかりが有名ですが、主人公はその弟の岩崎弥之助
「誰もが書いていることは書きたくない。光が当たっていない人に光を当てたい」というのが私のモットーであり、いささか、知名度の点では物足りないかもしれませんが、よろしく、お引き立てのほど、お願い致します。
(彌太郎と彌之助、とても紛らわしく、資料も何冊も同じ物を買ってしまいました。なので、敢えて、彌太郎と弥之助・・・と。)

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実は、彌太郎が「作った」三菱は、現在の三菱グループではなく、系譜の上では日本郵船に引き継がれており、三菱グループの基となった三菱財閥は、彼の死後、その弟、弥之助が引き継いで新たに「創った」ものです。
なのに、ウィキペディアなどでも、この弟のことは呆れるくらいにあっさりとしか触れられておらず、さらに、彌太郎の盛名ばかりが高すぎて、弥之助のみならず、中には、その後の「財閥解体」で終演を迎えた時の当主まで、すべてが彌太郎一代の出来事だと思っている人もいるとか。

今のところ、1月17日の発売予定と聞いておりますが、(「1/17に間に合わせたいなら、最終校正を一日でやってくれ」と言われ、夜中まで意識朦朧となりながらやりました。言葉足らずの点は平にご容赦を。)また、はっきりしましたら、ご案内させていただきます。
                    平太独白
# by heitaroh | 2017-01-03 17:45 | 私小説 | Trackback | Comments(2)

米欧亜回覧の会20周年シンポジウムの冷ややかな東京
気がつけば、あっという間に12月も半ばを過ぎ、すっかり年末ですね。
私も今、原稿の最終校正でかなり余裕がない毎日を送っており・・・。
今、ようやく時間が出来たので、年賀状でも書こうかと思い、ふと、ブログ更新をと思い出しました。
まだ半月ある・・・なんて思っていると、また、二度目の一ヶ月更新怠りになってしまうので、今やっておかないと・・・と(笑)。

e0027240_20143620.jpgで、少し前のことになるのですが、明治初期に日本政府首脳が丸ごと長期に渡って外遊したことで知られる岩倉使節団が書き残した「米欧回覧実記」という物があるのですが、今月初め、それに因んだ、NPO法人「米欧亜回覧の会」設立20周年記念 グランドシンポジウムとやらに出席するため、ちょっと、東京まで行ってきました。福岡はこの秋、あまりすっきりした天気がなかったのですが、東京は見事なまでの快晴。
ただ、風は間違いなく、福岡より冷たかったですね。

福岡ではまだ、あまり、マフラーを巻いている人は見かけなかったのですが、東京は皆、完全な冬装備でしたから。

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(↑博多駅前クリスマスマーケット。東京だとさすがに寒いかも(笑)。)

e0027240_20164880.jpgちなみに、先日、東京から福岡に移り住んだ人から、「福岡は日本海側だから、東京に比べ、冬は曇りの日が多い」と言われ、特にそんな気もなかったもので、「そんなことないやろ」と言って、調べたら、やはり、冬場の日照量は東京の半分でした。
ただ、日本海は関係なくて、東シナ海の影響とのこと。
まあ、半分正解、半分不正解というところでしょうか(笑)。

で、当日はシンポジウムに集中するため、酒は一滴も飲まない・・・予定だったんですが、なぜか、当日はしっかり二日酔いとなっており・・・。
隣の席のおばさんの目が外気並に冷ややかでした(笑)。

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講師の方たちは錚々たる顔ぶれで、とても参考にはなったのですが、肝心の米欧回覧実記については、いささか、話を広げすぎているような嫌いがあり。
現代日本の諸問題の根源をすべて岩倉使節団に求められても、彼らも、「そんなの知るか!」と言うんじゃないかと。
「後世のお前らは何をやってたんだ!」と。

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私は、岩倉具視が髷を落としただけでも、十分に価値があったと思いますけどね。
何より、彼らが西洋文明なるものを持ち帰らなければ、日本がユートピアであり続けられたかと言えば、決して、そんなこともないわけで。
                   平太独白
# by heitaroh | 2016-12-17 20:46 | その他 | Trackback | Comments(0)

英賀合戦の地を歩く「なんじゃこりゃ?」の巻
先日、ちょっと京都まで行ったので、帰途、姫路に一泊し、かねてより行きたかった姫路郊外の英賀に行ってきました。

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(↑姫路城遠望。降りたら正面に城が出迎えるという駅も珍しいですよ。)

英賀と言えば、天正5年(1577年)5月、東上を開始した毛利の先遣隊5千を若き黒田官兵衛孝高(当時は小寺官兵衛)がわずか500の軍勢でこれを破った英賀合戦で知られる地ですね。

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私の認識では、毛利の一翼を担う小早川隆景の部将・浦宗勝に率いられた五千が、本軍に先駆けて、まずは、同盟する播磨国の英賀の地に上陸し、船旅で疲れて休息していた所を官兵衛に襲撃され、再び、海に追い落とされた・・・というものでした。

ただ、現地に初めて行ってみて、「なんじゃこりゃ?」と。
まず、播磨へ東進する毛利軍は直接、海から英賀に上陸したのかと思っていたら、毛利軍は、合戦に先立ち、「海上から室津(現・兵庫県たつの市)に上陸し、英賀から姫路を目指した」となっており、室津ってどこ?と思い、地図を見てみたら、英賀から10kmくらい離れてるんですね。
ここに上陸して英賀を陸路で目指したのなら、「船酔いで休息」という前提自体が崩れるわけで。

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さらに困ったのが、官兵衛が襲撃した場所ですが、何も、毛利軍は上陸して野原でくつろいでいたわけではなく、英賀城という城の中の英賀御堂という、本願寺の施設の中にいたんですね。

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おまけに、一帯は当時は葦などが茂っていたとしても、特に目隠しになるような遮蔽物もなく、比較的、見通しのいい所で、小寺方が近づいてくれば見つかってしまう可能性が高い・・・。
だからこそ、毛利軍は油断していた、しきっていたといえるのでしょうが、それにしてもと。
つまり、官兵衛は奇襲とはいえ、わずかな軍勢で大兵力が籠もる城を攻撃したことになるわけです。

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(↑官兵衛が襲撃をかけた毛利兵休息の英賀御堂は、今では昭和の企業誘致で川の下。兵どもが夢の跡。)

おそらく、毛利方先遣隊五千のうち、半分が室津に上陸し、残り半分はそのまま航行を続け、英賀城の入り口、川沿いに設けられた英賀港に上陸し、そのまま、城内の本願寺に入って休憩していたということだったのではないかと思いますが、それでも、敵には2500の兵がいるわけで。
それに対し、小寺方は各地に抑えの兵を割かなければならず、また、小寺方と言いながら、主君小寺政職には大した戦意はなく、官兵衛手持ちのわずか500の兵しかいなかったと言われています。

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(↑官兵衛決死の背中を見送った播磨の山河。)

官兵衛はこの時、近隣の農民に旗を掲げさせ、織田の援軍が既に来ているように見せかけたことから、その智略を賞賛されてますが、でも、この程度なら、官兵衛ならずとも考えますよ。
まあ、毛利のこの大兵力を相手に戦おうと思う時点で既に常人離れした思考なのでしょうが。
ただ、こういう状況の中ではもう少し、何かがあったはずです。

ここで一つ思い当たることがあります。
英賀城主・三木通秋は一向宗の熱心な門徒であったものの、家臣の三木清閑は官兵衛の妹婿でもあり、その常人離れした才知のほどを妻から聞いていたのでしょう、かねてより官兵衛に協力的で、おそらく、この時も、心情的には官兵衛の味方をしたかったのではないかと。
が、主君を始め、領内の一向宗門徒へ配慮する必要に迫られ、やむなく、敵方についたと。
それだけに、官兵衛の味方をしないまでも、官兵衛軍が近づくのを黙認、いや、城内への侵入を手引してやったと。
そうでも考えなければ、どうにも、有り得ない話のように思えるわけです。

清閑の子孫はのち、福岡藩士となったといいますが、関ケ原合戦の翌年、慶長6年の福岡藩分限帳を見ると、家臣団の中に「三木」の姓を名乗る者が二人。
ともに、「吉」の字がついてますから、兄弟だったのではないかと思いますが各1200石と500石。
重臣とはいかないまでも、まずまずの身分だったかと。
彼らが、子孫だったのでしょうか。
                  平太独白
# by heitaroh | 2016-11-25 06:44 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

宗像大社の国宝と宮地嶽神社の光の道顛末記
以前から人に、宗像大社「宗像・沖ノ島 大国宝展」を勧められていたので、先日、ちょっと思い立って行ってきました。

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宗像大社というのは地元では交通安全の神様として知られており、だいたい、福岡市内から車で一時間半ほどの所にあることから、昔は車を買ったら「慣らし運転」がてら出かけるというのが定番でした。
ただ、最近では慣らし運転自体がもう、あんまり聞かなくなりましたので、私も本当に久しぶりで、思わず、「こんなんだっけ?」と(笑)。

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ここは「宗像・沖ノ島 大国宝展」となっているように、この宗像大社を中心とする宗像地区と、沖合に浮かぶ沖ノ島からなる地区で構成されており、それでこういう絵柄になっているわけですね。
(特に今、世界遺産申請をしているとのことで、こういう物が開催されたのでしょうが、私は管理警備の面で申請には疑問を感じているのですが・・・。)

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で、肝心の国宝ですが、まあ、意義ある物だとはわかるのですが・・・、やはり、私にはいささか高尚すぎたようです。
思わず、立ったまま寝そうになりました(笑)。

で、それはさておき、上述の通り、宗像大社はあまり近くもないことから、なかなか時間が取れず、ようやくこの日なら・・・ということで、時間を取ったのですが、当日の朝、テレビを見ていると、「今日が宮地嶽神社の光の道です」・・・と。
嵐のCMですっかり有名になった、神社の参道を夕日が満たす、いわゆる光の道ですね。
さぞかし多いんだろうな・・・とは思いましたが、宗像大社からの帰り道でもあり、ちょっと寄ってみるかと思い、行ってきました。

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が、案の定、既に大行列で、それどころか、行列すら既に締め切りました・・・と。

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(↑行列に入れなかった人たちが既に参道に座ってました。現象が起きる一時間半前の状態です。)

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私は実は、まだ、初日の出すら見たことがない人間なのですが、それすなわち、「行くのはいいけど確実に見れるのか?」だからです。
行ってみないと見れるかどうかわからない物にわざわざ行列しようという発想すらなく。
                     平太独白
# by heitaroh | 2016-10-26 07:55 | 地域 | Trackback | Comments(0)

「中国文化大革命50年と私」展と映画「トランボ」の同根
当方、この連休を利用して、一泊で東京に行ってきました。
本当は他の用事も済ませたかったのですが、まあ、そう都合良くも行かず。
で、旧友と久闊を叙し、久々に斗酒なお辞せずをやったら、15年前に沖縄で泡盛飲み過ぎて以来の超絶悶絶二日酔い。
確実に飲酒人生は終盤に近づきつつあるようです。

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(↑残照・・・。)

ということで、宴に臨む前に今回の上京の主目的である「中国文化大革命50年と私」展に行ってきました。

これは今からちょうど50年前に日本写真家協会会員でいらっしゃらる荒牧万佐行氏が、当時、文化大革命の嵐が吹き荒れる中国を撮影したときの貴重な写真を展示された物で、当時、文革中の中国の実態は今の北朝鮮と同じで、特に西側諸国にとっては謎とされていたことから、帰国直後にこの写真は大きな反響を巻き起こし、これにより、氏は67年度写真協会新人賞を受賞されたのだとか。

ただ、当時、私は5歳ですから、この写真の存在を知らず、また、今になると日本でも文革中の中国のことはどこまでが本当かわからないような話も多く出回っており、日本人が日本人の目で見た文革中の中国という物を是非、見ておきたいと・・・。
で、今回、さすがに写真展に展示してある写真を撮ることは憚られたので撮ってないのですが、何より、その場に荒牧氏ご本人がいらっしゃったことで、「当時、中国側から10人だけ観光客の受け入れをする旨の申し入れがあったこと」「中国研究の第一人者たる東大の林健太郎教授がいらっしゃったことで何とか写真撮影が出来た」等など、色々と興味深いお話を伺うことが出来ました。

で、当時は日本も学生運動華やかなりし頃で、似たような風景の写真があったことを思い、ふと、先日見た、アメリカの赤狩り時代のハリウッドとの脚本家を描いた映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」を思い出しました。
当時のアメリカに吹き荒れた「赤狩り」と中国の文化大革命というものは東西、それぞれの陣営で起こるべくして起こった時代の徒花だったんじゃないかと。

ちなみに、当時のハリウッドで、夢よもう一度・・・みたいな老女が妙に権勢振るうようになる辺りは、「牝鶏朝する時はその里必滅といへり」(雌鶏が時を告げると家が滅びる・・・つまり、女性が政治に口を出すと国が乱れる)という言葉を想起。
今の時代、これを口にするだけで怒られるんでしょうが、問題はサッチャーさんなんかのように正当な手続きで選出された場合ではなく、江青エレナ・チャウシェスクのように、ただ、権力者の妻などいう曖昧な存在理由で口を挟むと、確かに、男だけのときに比べ一段罪深さが増す・・・と。
そういう意味では、この言葉は必ずしも間違ってないのかなと。
                    平太独白
# by heitaroh | 2016-09-24 07:03 | その他 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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