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博多阪急の大甲冑展行ってきました。
今、博多阪急大甲冑展なるものをやっていると聞き、早速、行ってきました。

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ちょっと、認識を新たにしたのですが甲冑ってこんなに綺麗な物だったんですね。
(←伊達政宗着用の鎧です。鮮やかさが、おわかりいただけるでしょうか。)

戦国時代の甲冑という物は江戸時代のそれと違い、もっと使い込まれた実用的な物だったんだろうと思っていたので、この鮮やかさはプラスチックやペイントなどの現代の素材で作った、まあ、プラモデルの大きなものか・・・というつもりで見ていたのですが、担当の方に聞いたところ、何と、復元品ではあるものの、可能な限り、現物や古文書などを基に忠実に復元した物なんだそうです。

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(↑拙著「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」毛利輝元の甲冑が入り口でお出迎えとは思いませんでした(笑)。)

e0027240_19403195.jpg他にも色々と教えて戴いたのですが、私も多少、知識はあるつもりでしたが、やはり、こういうのは専門の技術職の方でないと・・・。
色々、勉強させていただきました。
(←ちょっと意外だったのがこういう甲冑もあったこと。甲冑といえばどうしても武士をイメージしますが当然、そんなわけもなく・・・。武士登場以前の物ですね。)
ちなみに、この出品元は丸武産業という会社だそうで、映画・ドラマなどで使用する甲冑の全国シェアの9割以上を担っているんだそうです。
私も、そういう会社があるということは、お宝鑑定団か何かで知ってましたが、これって鹿児島県の会社だったんですね。
                             平太独白

by heitaroh | 2014-02-28 19:29 | その他 | Trackback | Comments(2)

普通に橋を渡れる幸せ。

先日、ちょっと驚いたのですが多摩川って両岸にあれだけの人口を抱えているにも関わらず、人が歩いて渡れる橋って数えるほどしかないんですね。

福岡市のような中堅都市でも橋は不自由しないくらいにたくさんかかっていることを思えば、渋滞緩和や物流阻害ということ以前に災害時の避難はどうなっているのでしょうか。

多摩川も私が行った時は水量も少なく、まあ、その気になれば歩いて渡れるような気もしましたので、それほど気にする必要はないのかもしれませんが、岡本かの子はかつて、この川を「悠久の時」と呼んだといいますから、ナイル川とは比べようも無くとも、おそらく上流にダムなどもない時代、水量はもっと豊富で川幅もあり、江戸川などとは比べようもないくらいに橋の架設は技術面でも費用の面でも負担だったのでしょう。

でも、それでも今どき・・・と。

 

そこまで考えてふと、思いました。

もしや、人が川を不自由なく渡れるようになったのは比較的最近のことなんじゃないか・・・と。

たとえば、川幅が1mしかなくとも、もし、深さが10mあればその恐怖心たるや軽々には渡れませんよ。

実際、江戸時代までは橋といえば木造が大半だったでしょうから、「橋を架ける」というのは材木の切り出しから、加工、運搬、組み立て・・・とすべて手作業で、せっかく架けても、大雨が降ればすぐに流されてしまう、何とも割の合わないものだったことがわかるでしょう。

そう考えれば、「越すに越されぬ大井川」などと言いますが、あれも幕府が防衛のために橋を架けなかったというよりも、本音は経費面で合わない・・・ということだったのかもしれません。

 

となれば、川にはよほどのことがない限り、普通に橋は架かってなかったはずで、人々は渡し船や漁船などに頼み込んで川を渡っていたのでしょうが、まだ、船など無いもっと古い時代には川を渡ろうとする場合、殆どが浅瀬を見つけて渡る・・・というのが一般的な渡河の仕方だったでしょう。

ただ、そうなると、距離的にも物凄い回り道をしなければならず、さらに、真冬や荷物などがある場合などは渡るには難渋していたと思われ、つまり、現代の人が考える以上に、川は農業用水、生活用水として絶対に必要とされた反面、陸上交通という観点から見た時には障害以外の何物でも無かった・・・ということになると思います。

ちなみに、川を渡ろうとするのは当然、何も旅人ばかりではないわけで、軍勢が通過するに際しては、大体、古代ローマから日本の戦国武将まで共通するようですが、船を並べて、その上を板で固定する方法が一般的だったようです。

もちろん、船は近在の漁船を強制的に徴収し、船を繋ぐ板などの資材は近在の家などを片っ端から打ち壊して調達したようですが、戦乱の時代、庶民にとってはこれだけで済むというのは、まだ、感謝しなければならない範囲のことだったのでしょうねぇ。

                        平太独白


by heitaroh | 2014-02-10 16:40 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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