<   2013年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

打撃の神様でV9巨人の監督・川上哲治氏の逝去を悼む!
「巨人大鵬卵焼き」・・・、当時の子供が大好きな物と言われてますが、一面、その言葉の裏には、「誰がどう立ち向かっても、倒すことが出来ない圧倒的な強さ」という含みがあったように記憶しております。
当時、相撲界に無敵の強さで君臨していた横綱大鵬と並んで、9年連続日本一という盤石の強さを発揮していたのがV9巨人軍
巨人オーナーの正力松太郎のことを「勝利決まったろう」などと呼ぶほどの無類の強さは、徒花として、「アンチ巨人ファン」なる存在を生み出したほど。

で、当時、その巨人を率いていたのが川上哲治監督。
私が生まれる前は「打撃の神様」「赤バットの川上」「弾丸ライナー」・・・などの称号で知られた球界を代表する大打者で、私が知る限り、本人主演の映画が作られたのは川上氏と長嶋茂雄、稲尾和久の3人のみ。
(マンガ巨人の星で「主人公の家の壁の穴から飛び出してくるボールを木切れでその穴に打ち返してたのが印象深いですね。今考えれば、ありえねーって話でしょうが、当時は「これが達人か!」って思いましたよ(笑)。)

e0027240_1694551.jpgで、その川上氏が、去る28日、遂に逝去されたか。
御年93歳、老衰だったとか。
(←熊本県出身だったからか、福岡の地元紙には1面トップで出てました。)

いつかこの日が来るんだろうなとは思ってましたが、日本のプロ野球史はこの人と野村克也氏で9割語れるんですよ。
つまり、ノムさんが語れない沢村栄治などプロ野球草創期の部分を、同じグラウンドの上に居た者としての目線で語れる最後の生き証人だったわけです。
(ノムさんって、凄いんですよね。選手として日本のプロ野球選手第一号の三原脩翁の謦咳に接し、監督としては今をときめく、田中マーくんから、マンガのあぶさんまでが教え子なんですよね。)
チームの打撃練習時間30分のうち20分を一人で使ったというエゴイスト。
ゴルフでも、いくら後ろの組が詰まっていても、平然とラフの中の自分の球が見つかるまで探したとか。
サッカーの三浦知良選手は「99回外しても、平然と100回目を蹴る。そういう精神構造でないとやっていけない」と言ったそうですが、おそらく、川上さんも平然と100回目を蹴ったでしょうね。
酷いといわれる方もあるかもしれませんが、これがプロのあるべき姿なんでしょう。合掌。
                                     平太独白
by heitaroh | 2013-10-31 18:04 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

千年一昔 太宰府天満宮 その2
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

菅公こと、菅原道真は一般に大宰府「左遷」されたといわれてますが、実際には「左遷」なんて生易しいものではなく、「流罪」そのものだったそうです。
つまり、大宰府政庁に出仕していたわけではなく、軟禁状態に置かれ、かなり過酷な環境で事実上の死刑判決に等しい措置だった・・・と。

e0027240_1659304.jpg
(←京都二条城近くの神泉苑。以前、紹介した晴明神社大将軍八神社と併せ、この3地点を結んだ四角形が、平安京遷都当時に御所が在った所だそうです。つまり、菅公はここに出仕していたわけですね。いつだったか、ぶらぶらとこのポイントを歩いたことがありますが、改めて御所の大きさを実感しました。もっとも、御所跡地には普通に人家がたくさんありましたけどね(笑)。)

で、道真配流から千年の後、再び貴人がここに不遇をかこつことになります。
三条実美五卿です。
(長州への「七卿落ち」として有名ですが、長州征伐後、福岡藩お預かりとなって太宰府天満宮に収容された時には5人になってたわけですね。)
ところが、3年間の太宰府軟禁時代、福岡藩黒田家徳川幕府から、「扱いが寛容すぎる!」とのお叱りを受けたことから、その処遇を酷薄なものとしたところ、直後に明治維新となってしまった・・・と。
で、すべてが裏目に出てしまい、これが福岡藩を「廃藩置県前の新政府による唯一のお取り潰し藩」という形での終焉へと導くことになるわけですね。

その一方で、太宰府天満宮だけは籍奉還の際、日本全国の社寺も昔からの社領、寺領を返還する中、その後も付属領600石、約20ヘクタールの「領土」をそのまま持ち続けることが出来た・・・と。
これは、三条卿が福岡藩から迫害された時に、天満宮の宮司が色々と懇意にしてくれたことの恩義に報いんと特例を認めたからだとか。
もっとも、その領土も戦後の農地改革で失い、残っているのは境内の一部という名目で接収をまぬかれた約5アールの水田だけだそうですけどね。

e0027240_17171145.jpg

ちなみに、太宰府には、もう一人、如水こと黒田官兵衛孝高も住んでました(↑)。
言うまでもなく、福岡藩黒田家始祖にして、来年の大河ドラマの主人公ですね。
関ヶ原合戦後、息子長政が太宰府がある筑前の国主となったことから、隠居所としてここに庵を建てたとか。
この辺は、今も東京の文化人が古都・鎌倉に住みたがるのと同じ感覚だったでしょうか(笑)。

またいずれ、次回に続く・・・と思う(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-10-28 18:01 | 地域 | Trackback | Comments(0)

千年一昔 太宰府天満宮 その1
気がつけばもう、10月も残り一週間を切りました。
今月はわずか2回しか起稿しなかったのですが、当然、これはこのブログを始めて以来、最低レベルであります。
まあ、今月はぎっくり腰になったということもあったのですが、それ以上に、やはり、私の中でブログに対する興味が著しく無くなりつつある・・・ということが大きいように思います。
その意味では、私的には、もう、ブログというツールそのものが使命を果たし終えつつあるような気もしておりますが、如何でしょうか。
ということで、前置きはこれくらいにして、本題です。

e0027240_15284720.jpg

先日、九州国立博物館に行った折に、久しぶりにちょっとだけ、太宰府天満宮に行ってきましたので、せっかくなので、太宰府ネタで行きたいと思います。
まず、大宰府といえば、学問の神様で有名ですよね。
(ここの宮司の子どもは絶対に名門進学校に通る・・・という伝説があります。まあ、ここの子が落ちるということは神社にとっては死活問題なんでしょうね(笑)。まあ、実際、通ってるらしいですけど、それはそれで子供には余計なプレッシャー以外のなにものでもないわけで・・・。)

e0027240_1615184.jpgここ、当然、発祥は菅原道真に始まるのでしょうが、菅公のお墓はどこにあるか御存知ですか?
はい、ご賢察の通り、天満宮本殿の真下にあるんです。
つまり、太宰府天満宮は日本でも珍しい、人の「遺体」がある神社なんですね。
(通常、神社は遺体どころか、葬儀でさえも不浄として嫌いますからねえ。でも、私はこれで良いと思うんですよ。神仏混淆こそが、日本の歴史の中で紡ぎだされてきた、あるべき姿なのだと思ってますから・・・。)

ちなみに、「太宰府」「大宰府」の違いはおわかりでしょうか。
天満宮が太宰府で、政庁跡が大宰府。
地域に馴染みがない方には少しわかりにくいかもしれませんが、元々、朝廷の出先機関である「大宰府政庁」があり、形の上では菅公は一応、ここに左遷されてきたわけです。
そして、亡くなった後に・・・、まあ、少し曲折はあったようですが、政庁から少し離れた所にあったお墓の上に神社が造られ、「太宰府天満宮」となった・・・と。

ということで、次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-10-26 18:41 | 地域 | Trackback | Comments(2)

初めての志賀島宿泊、初めての志賀海神社大祭
1週間ほど前、朝起きたら突然、ぎっくり腰になってました。
これはまずいと、すぐにその足で整骨院へ行ったのですが、まったく効き目はなく、顔が洗えない、靴下が履けない・・・は良いとしても、一番困ったのが寝返りが打てないこと。
さすがに不眠は慣れてるはずの私も結構、参りました。
で、そんな状態の中で、志賀島にある志賀海神社の例大祭に行ってきました。

e0027240_11173444.jpg

志賀島というのはこれまでも何度も触れておりますが、博多湾の突端にあり、島と言いながらも、海流の関係で日本で唯一(細かい定義は忘れましたが。)、島と九州本土がくっついてしまった陸続きの島で、福岡人にとっては憩いの場所です。
当然、私にとっても庭みたいなもので、これまでも数限りなく行ってるのですが、と言いながら、実は私、泊まるのは今回が初めてでした。

e0027240_11225999.jpg

「秋晴れや 初めて見たる 志賀の朝」梁庵平太

まあ、近いから逆にわざわざ泊まる必要がない・・・ということなんでしょうが、今回、知己の翌日の都合もあって、急遽、泊まることになったのですが、泊まってみて、意外に宿泊客が多いことにびっくり。
「夕日を見ますよ」と言われ、海岸に出てみたら、これまた、海水浴シーズンでもないのに割りと人がいるのにびっくり。
「何?」と思ったら、皆、わざわざ水平線に沈む夕日を見に来てることにまたびっくり。

e0027240_11102220.jpg

(↑水平線に沈む夕日って、日本海側でしか見られなかったんですね。初めて知りました(笑)。)

今まで、朝日も夕日も、それほど意識して見てなかったんですね。
まあ、いつでも見られると思うと有り難みもないわけで・・・(笑)。
で、この日は日が暮れてから、この島にある志賀海神社の大祭があり、恥ずかしながら、こちらも私、初体験でした。

e0027240_1126326.jpg

この神社、まあ、島の神社ですからそれほど大層なものではないのですが、その由緒は驚くほどすごく、ここの宮司家は阿曇家で、同家は安曇連(むらじ)として古事記日本書紀にも登場し、全国各地に散らばった安曇族の本家本元ですから、おそらく、その実際の起源は天皇家よりも古いのではないかとも言われています。

e0027240_11331560.jpg

「秋祭り 昭和の御代の 顔数多」梁庵平太

ここは福岡市東区ですが、祭りに集う人達の顔が見事に昭和の顔をしていることに結構、感動しました。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-10-16 11:01 | 地域 | Trackback | Comments(4)

魏志倭人伝著者は現代アメリカのジャパン・ハンドラーズ?
今日から遂に10月ですね。
今朝、9月のカレンダーをちぎり捨てたら、いよいよ残りが少なくなったことを実感させられました。
こうやって、皆、知らないうちに年を取っていくんですね。

e0027240_11565586.jpg

で、拙ブログも始めて以来、8年半が経ってしまい、最近、すっかりサボり癖がついてしまいました。
で、本日、起稿するに当たり、過去8回、毎年、10月1日には何を書いてきたのかなあ・・・と思って見返してみたところ・・・、少し意外でしたが、2005年の開始以来、ずっと、10月1日の寄稿はなく、初めて寄稿されたのが2011年だったんですね。
おそらく、初期の頃は日曜祝日だったり・・・ということがあったのでしょうが、それにしても・・・と。
ところが、一転、以来、どういうわけか、2012年も寄稿しており、となると、2011年以降はすべて寄稿していることになるわけで、これは今日は何か書かねばならないな・・・と(笑)。

で、本題です。

e0027240_12135550.jpg「暦減り
  入道雲も
   今のうち」
    梁庵平太


この画像(←)も今のうちに使っておかないと・・・ということで、唐突ですが、過日、ちょっと博多港より船に乗ってきた時のことを記してみることに・・・。

乗船中、遣唐使船魏志倭人伝の世界を想起しながら、飽きること無く海ばかりを眺めているうち、ふと思ったことがあります。
邪馬台国論争の元となっている魏志倭人伝の著者って確か、陳寿って人でしたよね。

一方で、現在のアメリカなどでもアーミテージ元国務副長官に代表される「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれるような人たちが日本問題専門家として幅を利かせていますが、彼らは、正式にアメリカ政府から何かを委任されたわけでもないのに日本側に対して助言したり、時には交渉の窓口になったりしたりしているようです。
これは見方を変えれば、「専門家」としての影響力をちらつかせることで日米双方から「利益」を得ているとも言えるわけで、何が言いたいかというと、陳寿に代表される人たちもまた、そういう立場の人たちだったんじゃないか・・・と。

つまり、彼らは数少ない倭(日本)問題の専門家であることの希少性が売りだったわけで、そうなると、彼らにとって、倭は利用価値が高い国でなければならない、もしくは、倭の地位が低下してもらっては困るという事情があった・・・と。
そして、それが魏志倭人伝に反映されているのではないか・・・と。
具体的には・・・と言いたいところですが、残念ながら本日も時間となってしまいました。
続きはまたいずれ・・・ということで、バイなら(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-10-01 07:43 | その他 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 19:21
わたしは小学生の頃、少し..
by sakanoueno-kumo at 10:11
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧