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再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 番街編
実はこの鉢の底川シリーズを始めるに当たって、話を上流から始めるべきか、下流から遡っていくべきか・・・で結構、迷いました。
順序良く上流から始める上で問題となってきたのが川の起点となる源流のすぐ近くで合流しているこの川(↓)の存在です。

e0027240_16271558.jpg



e0027240_16433958.jpg

地図(↑)でもおわかりのように、南から別の川が合流してきてますよね。
途中、ぶつ切りのようになってますが、おそらく、点線で補足したように暗渠となって繋がっていると思われ・・・。

e0027240_16534493.jpgつまり、これをして、ここが鉢の底川の源流だと決めつけて良いのか・・・と。
おそらく、この一帯は那珂川の水かさが増えた時には水が溢れて合一となり、水かさが減った時には合流できなかった水が別れて分流となるということを繰り返してきた地域だと思うんですよ。
で、当然、この、合流している川も調べて来ましたが、こちらの源流まで遡ると本題から大きく外れるわけで、こちらは、後日、このシリーズが完結した後で、番外編として補足しようということにした次第です。

e0027240_17251227.jpgで、結論から言えば、この川は鉢の底川ではなく、今も地名として残る五十川で、拙い線書きで恐縮ですが、ほぼ、右の図のとおり(←)に今も流れが確認できるようです。
ただ、これも、流れを地図の上でですが、詳細に見た限りでは、現福岡市南区老司にある井堰に注いでいるそれを源流として良いのではないか・・・と思ったのですが、ただ、その五十川もこの付近に来ると白水川などとさらに合流分散を繰り返しており、果たして、それだけでここを源流と決めつけて良いのか・・・と。

e0027240_17213260.jpg正直、「困惑」という表現がもっとも相応しい心境だったのですが、そのことはこちら(←)があっさりと解決してくれました。
五十川神社にある碑ですね。
これによると、五十川は「那珂川老司井堰から取水する」と書いてありましたので、ほぼ、これで間違いないだろうと・・・。

ついでに言うと、五十川は古書には「五十構村」、「牛持(時)構村」、「午時講村」とあるそうで、おそらく、「ごじっか」に「五十川」という字が当てられたのでしょう。

ちなみに、五十川は「ごじゅっかわ」ではありませんで、「ごじっかわ」です。
見事に「ごじゅっかわ」では変換しません。

e0027240_17401782.jpg

で、その五十川の源流ですが、一応、ここ(↓)でした。

e0027240_17421240.jpg

鉢の底川と同じく、かつては農業用水として堰の上流で取水していた物に替わって、堰をまたいで下流でも接続している・・・と。

ということで、駆け足でしたが、大団円~と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-23 18:10 | 地域 | Trackback | Comments(3)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その24
昨日の続きです。

e0027240_15425925.jpg

上の画像(↑)はキャナルシティの中ほどまで進んで振り返った、つまり、鉢の底川の上流側を見たものです。
つまり、昨日までの地点を振り返って見た物ですね。

で、川はこの道に沿って・・・というよりも、道がこの川に沿って蛇行しながら進むわけですが、もう少し進んで振り返った物がこちら(↓)・・・です。

e0027240_1617046.jpg

明らかに蛇行しているのがおわかり戴けると思います。

ちなみに、我が家が博多駅前三丁目ではなく、下人参町であった時代、この辺は瓦町と呼ばれ、旧国鉄博多駅からの旅行者が泊まる為の旅館街(ビジネスホテルなどではなく、旅館です。)でした。
さすがにこの一帯にはもう見ることは出来ませんが、少し先には今もまだ、往時を忍ばせる旅館を見ることができます。
昭和30年代はまだ、飛行機など一般的ではありませんし、新幹線も博多までは開通しておりませんでしたので、東京などからだと寝台車の車中泊で24時間くらいかかって到着するわけで、旅館について荷解き(まさしく、この表現がぴったりかと。)した時には、皆、ホッとしたでしょうね。
もう、さすがに今は無くなってしまったと思いますが、少し前までは「ビジネスホテルよりも馴染みの旅館が良い」と言って利用しているおじさんがいたようで、何か理屈抜きに「良いなあ」と思いましたね。

で、この画像(↓)は上の画像の撮影地点から180°反転した物。

e0027240_16302060.jpg

矢印の方向に川は流れておりました。

e0027240_16342785.jpg

で、となると、当然、ここ(↑)に突き当たるわけですね。
この建物が何かというと、ポンプ場でして、裏から見るとこう(↓)なっています。

e0027240_16352749.jpg

以前、拙ブログ、博多駅前史の中でも書きましたが、ここが出来たのは昭和20年台後半。
終戦からいくらも経っていない時代に良くぞこんな物作ったよなあ・・・と。
つまり、一帯は元々、陸地よりも水面の方が高いような所でしたので、一旦、ポンプで汲み上げて那珂川に排水しているわけですね。

e0027240_16414763.jpg

これ(↑)が排水口、つまり、鉢の底川のなれの果て・・・です。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-22 18:26 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その23
昨日の続きです。

e0027240_1592644.jpg←この道路がかつての国鉄線路です。
この奥の方を鉢の底川は横切っていたわけです。
ちなみに、少し微妙に右カーブしているのがわかると思いますが、これは、当時は、右側に旧博多駅があったからで、この先で大きく90°曲がっている為、少しでも急角度を緩和させようという意図があったのでしょう。
(野球の走塁で、勢いを落とさないままでベースを周る時など、一旦、外に大きく膨らんで次の塁を目指しますよね。あれをイメージしてもらえれば良いでしょうか。)

従って、当時は良く、スピードを落としきらないままにコーナーに突っ込んで脱線・・・というのがあったとか。

e0027240_1531554.jpgまあ、後に博多駅が現在地に移転する理由の一つにもなったそうですが。

で、話を元に戻しますと、現在、ビルが建っている区画の下を通りぬけ、キャナルシティ近くに姿を現した鉢の底川はこちら(←)の矢印の付近で、道なりにこの国鉄線路跡と交わり、そのまま、ご覧のとおりに左へとカーブして方向に流れておりました。
(昔、良く数学で使っていたエックスの筆記体「)(」の形が一番適切なのですがもう変換も出ないんですね。)

つまり、現在ここに写っている大通りはかつての国鉄線路でして、今では左側に緩やかに直進しているように見えますが、当時は右折しており、逆に、左にカーブしながら直進している現在の道が鉢の底川の名残なんです。
で、この画像の矢印の先端部分から90°右を向いた画像がこちら(↓)。

e0027240_15564224.jpg

つまり、国鉄の線路が続いていた方向で、従って、この先が旧博多駅です。
(青い矢印がかつて鉢の底川が流れていた部分。)

e0027240_1557461.jpg

で、視線を再び、正面に戻したところがこちら(↑)。
右の緑が第二キャナル、道路を挟んで左奥に見えているのが第一キャナルですね。
・・・ですねと言いながら、実は私、第二キャナルは出来てから2回くらいしか行ったことがありません。
だって、おっさんには用がないんだもん・・・。

で、たぶん、次回最終回大団円へと続く・・・たぶん。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-21 16:11 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その22
このシリーズ、最後の最後まで来て、すっかりご無沙汰になってしまいました。
ていうか、ここ数ヶ月、色々あって本当に更新サボりすぎました。
ということで、前回の続きです。

いよいよ、佳境(?)です。

e0027240_19274193.jpg

蛇行しながら鉢の底川と共に進んできた、かつての旧道・往還通り(現人参通り)ですが、この画像(↑)の先で、一応、川とは別れを告げます。

e0027240_19281016.jpg

一応・・・というところがミソなのですが、この画像(↑)でおわかりの通り、直進する道と右折する道に分かれてますよね。
正確には、五叉路なのですが、他は置くとして、今では直進が付け足しで、通り自体は右にカーブしている・・・と思われるでしょう。
が、実は直進しているのがかつての鉢の底川を伴った往還通りで、右カーブしているのは昭和40年前後の博多駅地区土地区画整理によって後から作られた道なんです。

ただ、当時はクリークの名残なのでしょう、以前も申しましたように一帯にはドブ川があちらこちらに走っており、この右カーブしている現在の道の方向にもドブ川が流れておりました。
おそらく、現在の博多駅前二丁目方向からの生活排水を鉢の底川に注ぎ込む為の物だったと思いますが、この辺はとにかく、区画整理によって根こそぎ変わってしまいましたから、もう、窺い知る痕跡は何もありません。

e0027240_19283340.jpg

で、この現在の人参通りに別れを告げ、直進して旧往還通りを進みますと(↑)、やがて、ビルに突き当たってしまいます。
つまり、鉢の底川はかつて、このビルが建つ前は、この部分を真っ直ぐに流れていた・・・と。

e0027240_19285690.jpg

で、こちら(↑)の矢印方向、つまり、この区画の向こう、現在のキャナルシティへと至る道に抜けていたということですね。
ちなみに、この道はかつての国鉄鹿児島本線・筑肥線ですので、川は国鉄の線路の下を潜っていたということになります。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-20 19:10 | 地域 | Trackback | Comments(0)

桑田真澄に心底すげえと思った盆の入り
昨日、たまたま、風呂あがりにテレビの前を通ったら、高校野球の番組に元巨人の桑田真澄氏が出てたので、少し立ち止まって、見るとも無しに見てたのですが・・・、「桑田ってすげえ!」と心底思いましたね。
PL学園のエースとして甲子園に出場した高校2年の時の決勝戦で、茨城県代表の取手二高に打ち込まれて負けたそうですが、驚いたのは、彼はその後、一人で、わざわざ大阪から茨城まで行って同校を視察し、練習の仕方を学んだそうです。
普通は「悔しい」とか「残念」とかで終わりですよ。
そこを、自ら足を運んで見てみたい・・・と、しかも高校生が・・一人で・・・ですよ。

おそらくは、対戦している時に何かしら感じるものがあったのだとは思いますが、それでも当時、彼は既にスター選手だったわけですから、メディア関係者などは普通に周囲にたくさん居たはずで、せいぜい記者らに聞くくらいのものですよ。
桑田はその辺のことを、この時、取手二高の選手が「楽しく、のびのびやって」結果を出している姿に興味を持ったと言ってましたが、取手二高の練習を見て、短期集中型の練習方法の大切さを知り、これを採り入れ、翌年には再び、2度目の全国制覇で有終の美を飾ることができた・・・と。
「高校2年生の僕が一人で取手まで行って、負けた相手の練習を見せてもらうなんて自分でもよくやったと思いますよ。」とは本人の言ですが、私自身、自分の高校生の頃を思い出したなら、とてもとても・・・。

e0027240_18113085.jpgで、ちょっと調べてみたのですが、当時、彼はPL学園の寮にいたとして、その最寄りの喜志駅から取手二高の最寄りの取手駅まで行くと、途中、徒歩を含めた乗り換え5回で移動時間が約5時間・・・。
直線距離で500km、おそらく、実際の移動距離は600kmを超えていたのではないかと思われますが、当時はまだ、国鉄民営化前ですから、サービスも案内も決して懇切丁寧とはいえなかったでしょうし、乗り換えだって不便極まりなかったはずで、実際には殆ど一日がかりの移動だったでしょう。

それほどの距離をよう行ったなあ・・・と。

自分が高校生の時にはそういう選択肢など思いもつきませんでしたし、たとえ、思いついても、私が博多から京都の舞鶴辺りまで行くようなもので、今なら乗り換えだってスマホですぐに出るし、最寄り駅も周辺地図もネットですぐに検索できるでしょうが、当時はそんな物ありませんし、駅だって、駅員だって、お世辞にも懇切丁寧というのとはかけ離れてましたからねえ。
それを考えれば、もう、これは「移動」と言うよりも、殆ど「冒険」ですよ。
「やつは凄い。はっきりと並みじゃないって言える」って思いましたね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-13 18:12 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

野暮用でやむなく行った東北の旅 その7 戦争を知らない総理
先日からの続きです。

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(↑左が盛岡城跡公園です。川は内堀の役目も果たしていたようです。)

e0027240_113643100.jpgでも、こうやって、岩手県出身の総理4人の顔ぶれを見ていると、やはり、鈴木善幸さんだけはちと異質ですね。
年齢的にも一番開きが大きいのはもとより、他の3人は戦前でうち2人は暗殺され、天寿を全うした米内光政も少なからず生命の危険を囁かれましたことを思えば・・・と。
ただ、元々、他の3人は何だかだ言っても士族の出身なんですよ。
つまり、当初からそこへ行くべき人たちだった・・・と。

(←城内にある庭園の池。昔は堀だったのかも。)

e0027240_11374849.jpgその点、善幸さんだけは、三陸沿岸の山田町網元の出で、地域ではそれなりに名家ではあったのでしょうが、県都盛岡の出身でも無く、士族の出でも無いという意味では、「自ら志し」た人だと言えるでしょうか。
まあ、この方は元々、名総務会長と呼ばれた調整の人だったわけですし、総理になった経緯もどちらかと言うとハプニング的だったように記憶しておりますので、この点は同列に考える事自体ちょっと酷な気もします。
(←この水が盛岡人の気質を作ったような気がします。)

ただ、それでも原が暗殺された時、翁は10歳。
子供心にも非業の死を遂げた郷土の偉人という意識はあったでしょうし、齋藤が暗殺された時には25歳ですから、郷土出身の総理が凶弾に斃れたという報には何かしら思うところがあったのではないでしょうか。

e0027240_11371182.jpg
(↑盛岡は他のどの街とも違う独特の風情があります。私は結構、こういうの好きです。)

そこまで考えて、ふと、昨今の日本の指導者たちの浮世離れした考え方に絡み、「はて、戦争経験がない総理というのは誰からだったろうか?」ということに思いを馳せてみました。
中曽根さんまでは大正生まれのはずですから、そこから後を調べてみたところ・・・、奇しくも時代が平成と変わってすぐの平成元年の海部俊樹さんがそうでした。
でも、海部さんは昭和6年生まれですから、終戦時、14歳にはなっていたはずで、であれば軍事教練や空襲の体験はあるはずで、それすらもない世代の総理となると・・・、昭和13年生まれの細川護煕氏がその嚆矢、後は、村山富市氏を別とすれば、すべて戦前昭和二桁生まれで、初めての戦後生まれ、つまり、「戦争を知らない」総理となったのが安倍晋三氏なんですね。
その後、福田康夫、麻生太郎の戦前世代の揺り戻しはあったにしても、鳩山由紀夫(昭和22年)、菅直人(昭和21年)と戦後世代が登場するようになり、迷走が極まった観がします。
嗚呼、戦後は遠くなりにけりですね・・・本当に。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-12 07:31 | 地域 | Trackback | Comments(2)

長寿時代に知っておくべき日本人の本当の寿命
世界有数の長寿国として知られる日本…。
平均寿命は男性がほぼ80歳で、女性に至っては90歳に迫る勢いだそうですが、この数字を当然の事のように考えるのは如何なものでしょうか。
「人間五十年」とは織田信長で知られていますが、でも、これって実はそんな昔の話ではないんですよ。
以前、戯れに我が家の成人以上の平均寿命を調べたことがあるのですが、戦前は何と55歳でした。(乳幼児の死亡者を入れるといきなり20歳くらいになります。)

その論で言えば、実際には人間五十年どころの話ではなく、明治中期の日本人の平均寿命は43歳だったというデータもあるそうですし、江戸時代は40歳を超えるともはや老境で、息子に家督を譲って隠居し、いつ死んでもいいようにしていたという話も聞いています。
ただ、このデータには実は大きな落とし穴がありまして、この寿命の短さというものは、医療技術や衛生観念の未熟さ・・・ということもながら、それ以上に大きかったのが、むしろ著しい栄養不足だったんだそうです。
これは当時の農耕技術では国民すべてに食料を行き渡らせることが難しかったということが前提にあるのでしょうが、(明治期に来日した小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンは日本人の食生活のあまりの貧弱さに驚愕したとか。)一つには桓武天皇肉食禁止令以来、日本人が基本的に肉食をしてこなかったということもあるようです。
特に「動物の肉を食うと四足になる」と信じられていたこともあって、その為、江戸時代にロシアに拉致された人々の中には、肉食を拒否してビタミン不足で亡くなった人もあったように聞いております。

となれば、当然、食い物には基本的にそれほど制約を受けなかったであろう権力者層の寿命はそこそこで、いつの時代も権力者層の平均寿命は庶民のそれを大きく凌駕しているようです。
そう考えれば、明治の45年間というのは、たかだか、45年とはいえ、当時の平均寿命が43歳であることを思えば、世代という点では三世代が包含されてもおかしくないわけで、現代の百年に相当するのではないでしょうか。
だから、同じ明治でも、明治一桁生まれと明治20年代生まれ、同40年代生まれでは、かなり、趣が違ってきていると考えるべきでしょう。
(その意味では、昭和30年代は明治・大正の延長線上ですが、平成の御代は全くの別世ですよ。)

ちなみに、江戸時代における鎌倉時代というのは、昭和に置ける明治のようなもの・・・と言っても良いでしょうか。
共に、ひとつの象徴的な時代の先魁となったという意味では共通するものがあるでしょうが、一方で、時代、(あるいは社会体制)への対比と憧憬という点でもそう言ってもいいような気がします。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-10 07:05 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

告知・短編「邪神たちの楽園」を電子出版致しました!
このたび、またもや、訳あって、まるで毛色が違うサスペンス小説、
「邪神たちの楽園」

を電子書籍で出版致しました。
          ↓
http://dbook.thebase.in/items/135977

e0027240_1124099.jpg

ご興味がお有りの方はどなた様も是非とも、お目通し賜れば幸甚に存じ上げます。
170円かかりますが・・・。

e0027240_1163050.jpg

また、先日も、性懲りもなく、柄にもなく、ラブロマンス&サスペンス短編
「プラハの夜」
          ↓
http://dbook.thebase.in/items/121106

を電子書籍にしたばかりですが、こちらも合わせてよろしくお願い致します。
170円かかりますが・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-03 07:35 | 私小説 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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