<   2013年 07月 ( 13 )   > この月の画像一覧

野暮用でやむなく行った東北の旅 その6 賊軍の子弟
前回の続きです。

そんなこんなで米内光政の墓に詣でたわけですが、ここで「ほう!」と思ったのが、墓に名刺受け(↓)があったこと。

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こういう形式はどこかで見たような気もするのですが、珍しいといえば珍しいですよね。

e0027240_11245312.jpgこの日は暑かったこともあり、何より、こんな所で名刺が必要になるとは思ってなかったこともあって、不覚にも名刺を所持しておりませんでしたので、断腸の思いで墓に手を合わせただけで辞去し、次いで、その足で原敬の墓に詣でたわけですが、両者の距離は徒歩で10分ほどの所にあり、前回も申しました通り、岩手県は他にも齋藤實、鈴木善幸と4人も総理を輩出している、東北では極めて異色な総理輩出県なわけで、歩きながら、この辺のことに少し思いを馳せてみました。

まず、賊軍の子弟ということに対する反骨精神が岩手にはあったのしょう。

e0027240_11481757.jpg総理にこそならなかったものの、岩手には、有力総理候補の呼び声高かった後藤新平、「椎名裁定」で知られる自民党副総裁・椎名悦三郎、それに、岩手県に入れていいのかどうかわかりませんが現在の小沢一郎と総理になってもおかしくなかった人材を輩出しています。
が、何より、際立っているのは板垣征四郎 、及川古志郎、斎藤実、栃内曽次郎、山屋他人、米内光政、多田武雄、東條英教(東條英機の実父)といった中将、大将目白押しの軍人連の顔ぶれでしょう。

確かに、賊軍の子弟ということで官界への道を絶たれ、軍人への道を進まざるを得なかったという一面はあったのでしょう。
しかし、それは何も岩手県に限ったことではなく、東北諸藩はもとより、薩長土肥以外の諸藩はどこも多かれ少なかれ同じ境遇だったはずです。

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(↑原敬が眠る原家菩提寺。屋根瓦がえらくツヤツヤしていることが印象的でした。)

次に思ったのが、総理四人の年齢差、わかりやすいように西暦で行くと、原1856年、齋藤1858年、米内1880年、鈴木1911年で、年齢差はそれぞれ、2歳、22歳、31歳で一番上の原と一番下の鈴木で55歳。
ほぼ、祖父と孫の年齢差ですね。
ただ、原と齋藤は2歳差とはいえ齋藤は仙台藩出身、齋藤と米内は22歳差とはいえ同じ海軍の先輩後輩、原と米内は24歳差ながらも互いの墓が歩いて行ける範囲にある、同じ盛岡藩士族、無論、互いに面識はあったでしょうね。

と、ここまで来た所でちょうど時間となりました~で、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-30 07:18 | 地域 | Trackback | Comments(2)

野暮用でやむなく行った東北の旅 その5 総理輩出県
先日からの続きです。

んで、原敬生家を出て、徒歩で次へ向かうわけですが、その前に私にはわからないことが・・・。
記念館で聞けばよかったんでしょうが、誰か知ってるだろう・・・と思っていたのが大間違いで、結局、わからないままになってしまいました。

e0027240_1516533.jpgこちら(←)は江戸時代の盛岡城の絵図ですが、川を境に本丸、二の丸、三の丸が形成されているのがわかりますよね。
(結構、大規模な城郭だったように思います。今も、盛岡は人口30万弱の街とは思えないような雰囲気を醸し出していますが、この街は何かそういうDNAがあるのでしょうか。)

わからないのが、原敬生家がこの図の左下の図から、さらにはみ出た辺りにあるということ。
原家は前回も申しましたように藩の家老の家柄です。

つまり、家老の嫡男である原自身がここで生まれ、また、殿様のご来臨もあったということなどを考えれば、家老の別荘であったわけでもないようで、であれば、どうして家老の自宅がこんな城外にあるのか・・・と。

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地元の人に聞くと、この辺はつい最近まで周囲には何も無いような寂しい所だった・・・ということでしたから、ほぼ、この絵図のとおりなんでしょう。
であれば、いくら泰平の世だったとはいえ・・・。
山賊にでも襲われればどうしたんだろう・・・と。

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(↑ちょうど、上掲の絵図の左下から右斜め上に上がっている川がこの川です。つまり、この画像の左に城があるわけで、登城する原家の人々は皆、この風景を観て城に上がっていたわけですね。)

e0027240_15553929.jpgで、上の風景を右手に見ながら橋を渡り、次に向かったのがここ(←)。
米内光政の墓ですね。
(これは寺の入り口に置かれている案内用の石碑で、墓石その物ではありません。ご安心を(笑)。)

米内は明治13年(1880年)、旧盛岡藩士の家に生まれ、海軍大将、連合艦隊司令長官から海軍大臣を経て、第37代内閣総理大臣となった人物です。
つまり、岩手県は原敬、米内光政、齋藤實、鈴木善幸と4人も総理を輩出しているわけです。
(ちなみに、東條英機も出生時の本籍が岩手。)

これは西高東低の総理出身県では極めて異色で、東北の中では際立っています。
なぜ、そうなったのかは、ある意味、山口県と近いものがあるようにも思いますが、それだけでは説明しきれないものがあるように感じております。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-27 18:05 | 地域 | Trackback | Comments(0)

野暮用でやむなく行った東北の旅 その4 原敬生家
以前の続きです。

e0027240_11133225.jpg「原さんが
  奥へ手招く 
   夏の午後」

    梁庵平太

(←原敬生家。)

原さんといっても、私の友人の、素行に問題がある原さんではありません。
盛岡出身の平民宰相・原敬元内閣総理大臣さんです(笑)。
(さすがに、「原ちゃん」とは呼びません(笑)。)

話を少し戻しますと、筑前福岡藩元筆頭家老・栗山大膳の墓に詣でた後、次に向かったのが原敬記念館・・・でした。

e0027240_11402380.jpgここには、原敬の生家が併設・・・、というよりも、生家の横に記念館があるというなのべきでしょうが、ともあれ、記念館の横に比較的小ぶりの平屋が建ってました。
で、記念館を、じっくりと、俗事に心煩わされることなく、拝見。
意外だったのは、原敬という人は当時としては割りと大柄男前だったんですね。
(46歳の時、生命保険に入るために行った身体検査のデータが残っているそうですが、身長168cm、体重65kg・・・だったとか。)

で、生家の方ですが、私にとってはここは偉人の生家などではなく、子供の頃、薬院辺り(福岡市中央区。今ではすっかり都会になってしまいましたが、昔はハイソな所の最下級・・・みたいな、私のような下人参町の子供から見ると、下町と高級が入り混じったような独特の趣がある町でした。)の祖母の知り合いの家に来た・・・みたいな感じで、昭和の臭いフンプンでしたよ。

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ちなみに、原さんは平民宰相などと呼ばれてましたが、元々は盛岡藩の家老の出で、従って、その生家も、往時は殿様のご来臨もあったというほどですから、元々はもっと広大な屋敷だったそうです。

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つまり、時代が下るに連れ、切り売りして行ったということで、以後の盛岡藩が置かれた過酷な環境が見て取れるようです。

ということで、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-24 07:50 | 地域 | Trackback | Comments(0)

訳あってラブロマンス&サスペンス短編「プラハの夜」寄稿!
笑われるかもしれませんが、このたび、訳あって、というか、縁あって、柄にもなく、

ラブロマンスサスペンス短編

電子書籍(↓)にしてみました。

http://dbook.thebase.in/items/121106

e0027240_16175069.jpg


プラハの夜」というタイトルです。

どなた様もお目通し賜れば幸甚に存じ上げます。
150円かかりますが・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-18 21:37 | 私小説 | Trackback | Comments(0)

野暮用でやむなく行った東北の旅 その3 栗山大膳
昨日の続きです。

盛岡では、「主君を諌めるために一身を顧みず諫言した忠臣」という扱いを受けた栗山大膳ですが、しかし、私はこの人物には否定的です。

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(↑良く読み取れないのですが、大膳を顕彰する内容のようです。)

まず、この黒田騒動と呼ばれる事件は、何も「忠臣による諫言大芝居」などではなく、私は君臣間の不和の行き着いた先を、後から、立場が悪くなることを恐れた大膳が「忠臣」色に糊塗したものだったと思っています。
その結果として、大膳自身はここ、盛岡にお預けとなり、それなりに下にも置かない扱いを受け、それなりの矜持を保って生涯を終えられたわけで、まずはソフトランディングということでしょう。

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(↑大膳の墓所の上にある展望台から盛岡の景色を見た後、後ろを振り返ったら、これだけの空間に日曜なのに私一人でした。軽くびっくり。何か、地元の人達は行かないような曰くのある場所なのでしょうか。)


e0027240_16384152.jpgしかし、彼は福岡を立ち退く際、千人にも及ぶ私兵に守られながら退去したと伝えられていますが、その家臣らのその後はどうなったのでしょうか?
彼が南部藩にお預けとなった以上、それらの家臣たちを養うことは出来なかったはずで、かといって、一旦、福岡藩に敵対した以上、もう、故郷にも帰れなかったでしょう。
(←上の画像の森で覆われた向こうにはこれがぽつんと立ってました。「愛宕山南部太郎坊堂」と書いてありますから、かつては、ここに南部家の貴公子の僧坊でもあったのでしょうか。)

武装した家臣だけで千人いたとすれば、当然、その妻子がいるわけで、さらに、そこには一部の女官を除いては栗山家に奉公していた女性や下男などは入っていなかったでしょうから、まず、5千人からの人々が大膳の軽率な行動の陰に路頭に迷うことになったのではないでしょうか。
彼らに対する責任という点では、いくら立派なことを言っても、いささか無責任の観は禁じ得ません。
おそらく、下々など虫けら程度にしか思ってなかったのでしょうが。

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で、この展望台を後にして、次に向かったのがここ(↑)、原敬記念館・・・でした。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-18 07:43 | 地域 | Trackback | Comments(0)

野暮用でやむなく行った東北の旅 その2 盛岡
昨日の続きです。

秋田を出て、本来ならそのまま、その日の宿泊先が在る仙台に戻るつもりでしたが、仙台は福岡からだと直行便があるということもあって割りと行っており・・・。
従って、観光もし尽くしている感がありましたので、さて、どうした物か・・・と考えたとき、「そうだ、盛岡で途中下車しよう」と思い立ちました。
盛岡は正確には3度目なのですが、1回めは冷麺食っただけでとんぼ返り、2回めは夜着いて早朝に出発・・・ということで、殆ど消化不良状態でした。

で、盛岡といえば、どうしても来ておきたかったのがここ(↓)。

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元筑前福岡藩筆頭家老・栗山大膳利章の墓です。


e0027240_10215665.jpg父、利安豊臣秀吉の名参謀にして、如水の名で知られる黒田官兵衛孝高の一の子分で、特に、天正6年(1578年)、孝高が織田信長に反旗を翻した荒木村重有岡城に幽閉されたに際に、これを救出したことで知られます。
(←大膳碑。奥の朽ちた木に「栗山大膳碑」の文字が見えるでしょうか。)
大膳は、天正19年(1591年)、黒田家が九州征伐後に封じられた豊前国中津(現大分県)で生まれ、元和3年(1617年)、父の跡を継いで福岡藩家老2万石を領すこととなります。

2万石と一口に言っても、1万石以上が大名ですから、もう、これは藩内に別に大名がいるようなもので、以前、拙著「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を書いた際に、現在の収入に換算したところでは年収20億円くらいになりましたから、これはもう、個人の収入と言うよりも地方自治体の税収に相当すると考えていいのでしょう。
ただし、そうは言ってもそこは封建君主ですから、どう使うかは殿様の腹一つなわけで・・・。

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(↑栗山大膳父子の墓所の少し上にある展望台よりの景色。盛岡は人口30万人弱と聞きましたが、私には50万人くらいの都市に見えましたね。)

その、大きすぎる存在が、やがて、新たに福岡藩主となった如水の孫、黒田忠之との間に確執を生じ、黒田騒動と呼ばれる御家存亡の危機を招き、幕府裁定の結果、大膳は盛岡にお預けとなったわけですが、ここでは大膳は「主君に諫言した忠臣」という扱いを受けたようですが、私はこの人物には少し否定的です。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-17 07:42 | 地域 | Trackback | Comments(0)

野暮用でやむなく行った東北の旅 その1 仙台~秋田
実は先日から、ちと、訳あって秋田まで行っておりました。
と言っても、実にくだらない用事でして、4日前に突然、思い立った次第でして・・・。

秋田に行くのはたぶん10年ぶり3度めだと思うのですが、福岡からだと直行便が飛んでおりませんので、通常、一旦、羽田空港で乗り換えるコースになります。
ただ、それだとあまりに味気ないので、今回は仙台空港まで行き、そこから仙台駅を経由して、まだ乗ったことがない秋田新幹線奥羽山脈を横断・・・というコースをとりました。

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(↑世界は青で出来ている!!)

ところが、元々、地方空港同士の路線ですから便数があまり無く、行きは良いけど帰りの便が無い・・・。
やむなく、もう1日延ばして2泊3日にし、当日の朝・・・。
豪雨の博多を出て、曇天の仙台空港へと至り、仙台駅から秋田新幹線に乗りました。

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ただ・・・、これは「新幹線」を付けるのは、かなり無理やりの観あり・・・で、まあ、大体の経緯は推測がつきますが、それでも、新幹線が信号待ちは無いでしょみたいな(笑)。。
九州も長崎県が新幹線に執着しているみたいだけど、これ見てるとねぇ・・・。

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(↑ここって、もしかして、小岩井農場の小岩井?ここって、元々人名からとった農園名ですから、地名ではないはずで、それが駅名になったってことはここから近いってこと?意外に便利な所にあるんですね。)


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で、この日、秋田に到着したところ、天気は小雨でしたが、寒い!
まだ、この猛暑の日本に寒い所があったのか・・・と軽い驚きのまま、とっとと野暮用を済ませ、独り、夜の街へ。
少し遅い時間だったので、行き当たりばったりで郷土料理店へ入りましたが、結構、美味でしたね。
秋田の肴はやはり、日本酒に合います。

で、翌日は早朝に起きて、岩手は盛岡へ。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-16 07:49 | 地域 | Trackback | Comments(0)

歴代総理大臣出身地図に見る「たかが総理されど総理」
先日、歴代総理大臣出身地地図なる物を見る機会がありました。
それを見ると、生まれも育ちも山口県の菅直人氏が東京で、逆に、東京生まれ東京育ちの安倍晋三氏が山口県出身(出生時の本籍が山口県)となっており、まあ、そもそもが「出身地」などという概念自体、あやふやなものでしょうが、それでも山口県に一度も住んだことがない安倍さんを山口県に入れるのはどうかという気はします。
ただ、今の時代、親の転勤などで物心付く前に出生地を離れ、その後、全国を転々とするケースも少なくないわけで、その状態で一律に出生地なら出生地・・・と決めつけてしまう必要もないでしょう。
(この点は昨今の二世議員の多くが安倍さんと同様に、「選挙区は親の出身地」というだけの人達が多いことを考えれば、そういう人たちがこれから総理になることも十分に考えられるわけで・・・。)

また、この点で言えば、第20代総理大臣の高橋是清翁などは東京(江戸)生まれの東京育ちですが、生後すぐに仙台藩の足軽の家に養子に出されており、従って、その後の海外留学なども「藩命」という形をとっており、つまり、彼は廃藩置県までの所属は仙台藩なんですよ。
まあ、今で言う本籍みたいなものでしょうから、それほど深く考えなくてもいいのでしょうが、ただ、こちらも同様のことは実は結構多く、総理ではありませんが、乃木希典、福沢諭吉などもそれぞれ、長府藩士、中津藩士でありながら、出生は東京、大阪です。
もし、乃木や福沢が総理になっていたら、それぞれ山口県出身、大分県出身に括られるのではないかと思うわけで、ならば高橋は宮城県出身に括られるべきでしょう。

「そんな江戸時代の話!」と仰るかもしれませんが、これらは今なら、さしずめ、両親の仕事の関係でニューヨークで生まれ育った人が帰国後、総理になるようもので、その場合、出身地は「アメリカ合衆国」とするのか・・・ということになるわけですよね。
もちろん、ニューヨーク出身が決して悪いわけではないわけですが、その場合でもどこか日本国内で選挙区というのはあるわけで・・・。
まあ、結局、こういう物は、成人するまでの居住年数の多寡もさることながら、やはり、本人が人格形成上、もっとも影響を受けた土地・・・とするべきなんでしょうね。

ところで、この地図を見ていて意外なのは中国地方の突出ぶりが目立つ一方で、兵庫以東では大都市を除けば岩手、群馬、石川以外はなべて低調ということ。
特に、東京近郊は神奈川小泉純一郎氏までは1人だけで、千葉野田佳彦氏が初、埼玉、茨城、山梨に至っては未だ0。
さらに、在任期間という点でも、山口県出身の桂太郎、佐藤栄作が1.2位で、同県は他にも伊藤博文、岸信介も結構長くやってますから、数が多いばかりか、任期の面でも突出しているのがわかると思います。
確か、昭和の終わり頃に「内閣100年」とかいって特集やってたような気がしますから、総理大臣が登場して約120年・・・。
こうやってみると、「たかが総理、されど総理」・・・なんだなあって気がしてきます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-12 07:18 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その21
昨日の続きです。

まず、こちらの地図(↓)をご覧ください。

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右下の上流から下ってきた鉢の底川はすぐに大通りを横切ることになっているのがお分かり戴けると思います。
この大通りを挟んで南が上人参町、北が中人参町だったわけですね。
で、昨日も申しました通り、上人参町を過ぎ、いよいよ、私のホームグラウンド博多駅前三丁目地区に入ります。

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まず、大通りを過ぎてすぐ、この両側(↑)がかつての中人参町です。
ちなみに、この辺りの電柱には未だに「人参」と書いてあります。
また、人参駐車場、人参公園、人参ビル・・・などというのが散見されますが、実はすべてうちの物・・・・・・・ではありません(笑)。
残念ではありますがw

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で、右の塀は福岡藩三代藩主黒田光之の家老にして、茶道・南坊流を確立した立花実山の創建になる東林寺で、ここまでが中人参町、その先からいよいよ、我が、クラウンランド・下人参町に入ります。

e0027240_14471117.jpgと言っても、ここら辺はすべて、昭和40年以降の博多駅地区土地区画整理によってすべて区画が変わっており、当然、この先の四つ角もありませんでした。
当時はこの道までが東林寺の境内で、その向こうにあるビルのさらにその向こうが道で、つまり、道はこの家1軒分向こうに存在したわけで、それが我が家の前の道でした。
つまり、我が家の前の道を西に向かうと、鉢の底川があり、その橋を越え、往還通りを越え、ここ(←)に繋がっておりました。

e0027240_14515271.jpg今ではコインパーキングですが、昔はここにはアーケード付きの「榮市場」と呼ばれる、ちょっとした市場がありました。

ちなみに、下人参町だけは正式町名に申請しておらず、従って、上人参町、中人参町は正式町名として記録に残っておりますが、下人参町だけは通称でしかなく、正式には「大字春吉」となっており、往還通りを挟んで右が字馬場添、左が字なみ松(なみは変換出来ません。当初、読み方もわかりませんでしたが、古老に教えてもらいました。)

そのまま、川は流れ続け、下人参町を出ますが、続きは次回ということで。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-05 07:47 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その20
で、昨日の続きです。

e0027240_1323385.jpg昨日も申しましたように、鉢の底川はこの、かつて、往還通りと呼ばれた旧道の右側、この部分(←)を走っておりました。
幅的にはちょうど、この白いラインより少し広いくらいだったでしょうか。
狭いながらも、車が離合(福岡人は皆、これを標準語だと思っております(笑)。)できておりましたので。
ちなみに、この右手、横切っている道路を挟んで手前がキョウカイ住宅(我々は子供心に「教会住宅」だと思っておりましたが、協会ですよね?)、奥が県営東領住宅・・・でした。

e0027240_13153371.jpg住宅・・・と言っても、団地で、とはいえ、私が子供の頃はこちとらは大正時代竣工の隙間風ビュービューのぼろ家に住んでる身ですから、輝いてましたよ。
今は共に解体されて、もう、往時の面影はありません。
同級生もたくさん住んでたんですけどねぇ。
昔は、町内対抗のソフトボールの試合などで、この両団地と当たると、「あーあ、もう負けた」というくらい、人が一杯だったんですが。
で、その県営住宅を過ぎ(←)、もう少し先で東領は終わり、やがて上人参町に入ります。

ちなみに、県営住宅の方は最近、建て替えられ、協会住宅の方は、今、マンション工事中ですが。

e0027240_1331476.jpg

(↑東領と上人参町の境界がどっか、この辺です(笑)。)

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ここら辺が上人参町(↑)です。
この先の、バスが止まっている道が住吉通りで、ここから向こうが中人参町となっておりました(↓)。

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(↑ここから先が中人参町、そして、我がクラウンランド・下人参町へと続いていきます。)

当時は、なぜ、下人参町と中人参町がこの大通りのこちら側にあるのに、上人参町だけが向こう側なんだろうといつも疑問に思ってましたが、町が先で、後から博多駅の移転に伴い、町を切り裂いT住吉通りが走ったんですね。
私はもう、まったく覚えておりません。
ちなみに、今では、この住吉通りが博多駅前三丁目同四丁目を分ける境界となっております。

ということで、いよいよ、私のクラウンランド、博多駅前三丁目に入りますが、もっとも、この先までは中人参町ですので、正確には属州の境界を超えた・・・みたいなものでしょうか(笑)。

ということで、また、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-04 07:00 | 地域 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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