<   2013年 05月 ( 11 )   > この月の画像一覧

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その10
昨日の続きです。

e0027240_1531558.jpgで、昨日も申しましたように、番托井堰上流に端を発し、九州新幹線の高架下を横切り、JR鹿児島本線の下をくぐり(←)、道路の下をもくぐった鉢の底川・・・ですが、どうやら道路の下では川の流れはそのまま、すんなりと進んでいないようで・・・、(逆に言えば最短距離で一直線に横切る工事を施されていないないようで。)道路の下を自然の地形そのままにグニャグニャと・・・なのかどうかはわかりませんが、いきなり、ぷいっと左45度くらいに流れを変え、ここ(↓)に出ます。

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e0027240_16443647.jpgで、道路の下から再び、姿を表すと、そのまま、また、何事もなかったかのようにそれまでと平行に20mくらいずれた位置から流れ始め、再び、我関せずとばかり素知らぬ顔で蛇行を繰り返しながら、流れ始めます。

(あるいは、道路敷設の際に人為的に流れを変えられたのかな・・・とも思いましたが、それだと、道路の下だけ迂回させて、また、元の流れに注がせたほうが効率的なわけで。たまたま、自然の地形がそういうことだったんだろうと思います。)

e0027240_16544072.jpgで、もう、この辺(←)まで来ただけで、途中、殆ど水が無いような所もありました。

昔は、農業用水や飲用水などとして常時、水が流れていたのでしょうが、今はひと昔前と違って生活排水も垂れ流しではなくなりましたから、基本的に雨水排出の為だけに存在しているようで、こういう状態が常態化しているのでしょう。
かつては、ここが田と田の間を流れる清流で、色々な魚なども泳いでいたのだろうと想像すると、少し川に不憫な気も・・・。

e0027240_16503920.jpg

少し先に行くと、また、水が溜まっていました。
川底もコンクリートで覆ってありましたが、そうそう、完全な勾配というわけにもいかないんでしょうね。

ちなみに、詳細地図を掲載する予定にしておりましたが、少しどっちつかずになりましたので、また、次回に繰り越したいと思います。
ということで、次回に続くの巻。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-31 17:03 | 地域 | Trackback | Comments(18)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その9
いつの間にやら、何もせぬまま、5月も終わろうとしておりますが、取り急ぎ、前回の続きです。

e0027240_1663349.jpgまず、こちら(←)をご覧下さい。
これが私が作成した鉢の底川全図です。
青いラインの右下が上流、左上が下流、つまり、右下から左上に向けて流れているそれで、縮尺は源流から河口まで直線で大体、全長3.5kmというところでしょうか。
なお、川筋の青いラインは私が手で引きましたので、必ずしも正確というわけではありませんが、川に沿って在った旧道・往還通りのラインから大きくはみ出してはおりませんので、それほど大きく外れてはいないと思います。

また、筆先の震えは逆に川の蛇行ということでお願いします(笑)。
実際、同図では途中から一直線に流れているように見えますが、距離が長いためそう見えるだけで結構、蛇行しています。

まずは、源流を陸地の方から見たところ(↓)です。

e0027240_1725358.jpg

ここから、360度振り向くとこう(↓)なってます。

e0027240_1762943.jpg

枝に隠れて少しわかりにくいのですが、右から合流してきているのが五十川で、現在ではここを十の字に通過して、以前、紹介した生活排水を流すために井堰をまたいで下流に設けられたであろう分岐水路に注いでいます。

e0027240_1711496.jpg

そのまま、これを抜けるとJR鹿児島本線の下を横切り(↑)、並行して走っている道路の下をかいくぐり、ぐるっと迂回して先に出るわけですが、そこから先は地図を拡大した物を作っておりますので、次回、改めてそれを掲示してからお話した方がわかりやすいと思いますので、本日は一旦、これまで・・・と。

ということで、次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-30 18:02 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その8
昨日の続きです。

昨日の航空写真でおわかりのように番托井堰のある場所は、現代でも殆ど陸続きのように見えるほど中州に樹木が繁っており、つまりは、そもそもが一帯は土砂が溜まりやすい場所だった・・・ということなのでしょう。

e0027240_13153627.jpg

昔はダムなどはありませんから、雨が降れば水量が増え、降らなければ減り・・・という状態で、水量が減ってチョロチョロとしか流れていない時ほど、工事もしやすいし、需要もあったということでしょうが、反面、一旦、大雨が降れば堰も流されることになり、さらに、こういう土砂で流れが滞りがちになっている所では水は他に逃げ道を探して支流を作る・・・。
それが、おそらく、ここに堰が気づかれる前の鉢の底川の状態だったのでしょう。
特に、番托に井堰が築かれて、ここより上流の水位が増えると、鉢の底川に水が流れるのは基本的に常態化していったと思われます。

で、ようやく、ここから鉢の底川に入ります。
まず、鉢の底川の源流一帯を現在の地図で見るとこう(↓)なっています。

e0027240_1354615.jpg

つまり、堰の下流にももう一本、枝分かれした形で那珂川に注いでいるわけですね。

実はこのシリーズを始めるにあたって、話を上流から始めるべきか、下流から遡っていくべきか・・・で結構、迷いました。
無論、私にとって馴染み深いのは下流ですが、現存していない為、そこから話を始めると話が極めてわかりにくいのに対し、上流から始めると話が進めやすい反面、問題となってきたのが、この分流と、川の起点となる源流のすぐ近くで合流している川の存在でした。
つまり、この状態で、ここが鉢の底川の源流だと決めつけて良いのか・・・ということですが、結論を先に言えば、この川は現在でも地名になっている「五十川」でして、一応、別の川と考えて良いと思い至りました。

こちらの方は、後日、このシリーズが完結した後で、また、番外編として別途、話を続けるつもりですので、話を先に進めるとして、こちらの源流も確認して来ましたが、どういうわけかここにも堰があり、同じく、堰を挟んでそれぞれに那珂川に繋がってました(↓)。

e0027240_1472553.jpg

(どういうわけか、ここも河川工事中でした。)
しかも、地図を見た限りでは下流側のほうが後からむりやり、開通させた観があるのに対し、実際に行ってみると、上流側の方が圧倒的に存在感が薄いんですよ。

e0027240_1423507.jpg

(↑下流側水路が那珂川に注ぐ部分です。左から、ここまで五十川が合流してきているのがわかります。)
これは私見ですが、おそらく、当初、農業用水や飲料水として使っていたのが、都市化の進展とともに逆に生活排水を流す為の川となったことから、堰の下流に別途、川を掘ってここに排出したのではないかと愚考します。
(事実、前々回載せた昭和の地図には下流側の水路は載っておりません。)

ということで、次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-23 08:32 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その7
少しご無沙汰になってしまいましたが、前回の続きです。

既述の通り、鉢の底川の下流は江戸時代初期、元禄年間の地図にも記載されていますのでおそらく、遅くとも室町期には川は形成されていたのではないかと思いますが(室町時代の地図でも見たような。)、対して、番托井堰豊田徳作によって石組みに作り変えられたのが18世紀半ばですから、この時点では既に川は存在していたということになります。

e0027240_17572396.jpg

(↑鉢の底川取水口を対岸から見た物です。)

ただし、それ以前から井堰自体は丸太で造った簡易な物があったらしく、となると、必ずしも「川が先」だとも言えないわけで、つまり、簡易な堰を造ったのでその上流から水を引く川を掘った・・・とか、あるいは、堰を造ったことから、その上流部分の水位が上昇し、自然に低地に向かって流れ始めた・・・という可能性もあるわけです。
で、これ(↓)。

e0027240_16403070.jpg

明治36年の対岸の村の絵図です。
(明治の物ですから著作権などは無いと思いますが、貴重な絵図であるにも関わらず、以前見た時よりも明らかに劣化が進んでいることから、一石を投じる意味で敢えてここに掲げました。なお、一応、当方の判断で一部修正を加えております。)

下に流れているのが那珂川で左から右へと流れており、その左端に番托井堰が見て取れますが、その上流から水路が引かれているのがわかるでしょうか。
(つまり、鉢の底川はこの絵図の下、ちょうど、切れている部分に端を発し、下の方を右手へと流れていることになります。)
ちなみに、一番上にある「大溝」という水路は私が20歳くらいまで存在してましたので、私もしっかりと記憶しております。

で、番托井堰に話を戻すと、まず、堰の設置場所はどこでも良いというわけではなく、特に、丸太で簡易な堰を築くわけですから、そうなるとやはり、設置しやすい所・・・ということになるでしょう。
で、ご覧頂きたいのがこちらの番托井堰を写した航空写真(↓)です。

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これはある意味、非常に貴重な写真でして、というのも、現在、この場所は河川工事の最中で、すっかり様相を変えてしまっているからです。
工事完了後、どの程度、現状復旧されるのかわかりませんが、少なくとも、この川中にある茂みはもうありません。
あるいは、この中洲自体、削り取られて完全に姿を消すのかもしれませんが、この場所は上の絵図でもわかるように、「カッパ相撲の場所」とされており、そういう伝承がある所だったのでしょう。
治山治水も良いですが、もう少し、謂れや伝承にも配慮して欲しいものです。

一向に話が進まないけど、とりあえず、次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-22 18:28 | 地域 | Trackback | Comments(0)

広島マツダスタジアムなう。
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e0027240_2015207.jpg今、広島マツダスタジアムに来ています。

言うまでもなく、福岡ソフトバンクホークス広島東洋カープの交流戦観戦です。

この球場は初めて来ましたが、やはり、野球は外で見るものだと改めて実感。
カクテル光線がむちゃくちゃきれいです。

席の方は「砂かぶり席」という、福岡ドームにもある、いわゆる、ファールゾーンにはみ出した席で見ているのですが、どういうわけか、この席は一段深く掘り下げてあり、全体を俯瞰できないため、結構、見にくい・・・。

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球場はやはり、新しいし、メジャーリーグの球場にかなり模して作ってあるみたいで、良い感じでした。

e0027240_1654115.jpg

で、試合の方はとても勝てる気がしません。

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                                       平太独白
by heitaroh | 2013-05-15 20:14 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その6
昨日の続きです。

鉢の底川の源を語る上では、どうしても、番托(ばんたく)井堰の存在を抜きには語れません。
番托というのは那珂川の中流域に設けられた堰でして、この井堰(いぜき)は、昔は、丸太などでせき止めていたそうですが、大雨のたびに流されたりしていたのを、江戸時代中期、18世紀半ばに堅粕村(現博多区)の豊田徳作という大庄屋が自費で石組みの堰に作り替えたのだそうです。

e0027240_1637861.jpg
(↑現在の番托井堰。)
もっとも、当時、民間による土木工事は禁止されていたことから、容易に許可が下りず、その為、徳作はしつこく嘆願申請を繰り返したことから、ついには投獄されてしまったのだとか。
この辺は、自費で公共性の高い工事をしようと言っているのに、許可どころか、投獄されてしまうなどというのは現代人の感覚からすると、ちと、酷すぎるようにも思いますが、その後、そのことが当時の福岡藩六代藩主、黒田綱高の知る所となったことから、急転直下、徳作は釈放され、工事にもゴーサインが出、明治13年、徳作の功績を讃え、碑(↓)が作られたとか。

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徳作が築いたこの堰はその後、戦後まで下流域を潤し続けたようですが、やがて劣化が目立つようになり、遂には福岡市内の大部分が浸水したといわれる昭和28年6月大洪水により、上流の老司井堰とともに決壊し、翌29年に、現在の鉄筋コンクリートの井堰が築かれたのだそうです。

で、鉢の底川の源流ですが、この堰のすぐ上流にあります。
ここ(↓)です。

e0027240_17315495.jpg

源流というよりも、現在では取水口といった方が正解でしょうか。
そこから見た番托井堰(↓)です。

e0027240_17343271.jpg

すぐ、脇にあるのがおわかりいただけると思います。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-13 17:25 | 地域 | Trackback | Comments(0)

社会が変革するときのリーダーのタイプ三態
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」の落首でも知られる、織田信長、豊臣(羽柴)秀吉、徳川家康の三将ですが、この「変革」「啓蒙」「定着」という三つのタイプは日本の歴史が大きな社会変革を迎え、それが次の時代へと定着していく時には割りと良く見られるもののようです。

また、三者の性格は、よく、信長の「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」、秀吉の「泣かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」、家康の「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」で知られていますが、要は「激烈」「機略」「忍耐」・・・ということだったのでしょう。
で、それらを踏まえた上で、平安朝という、長く続いた秩序が終わり、武士という新興勢力の台頭という形で社会変革をもたらされた時代に当てはめると、平清盛、源頼朝、北条義時・・・となり、同じく、徳川幕府という古い秩序が、外圧によって近代国家への変革を余儀なくされたケースでは、高杉晋作、坂本龍馬、大久保利通・・・と。
まあ、もっとも、これは、そもそもが、まったくの別人格なわけですから、時代の要請によって微妙にタイプが異なってくるのは当然でしょうが、大久保は家康を敬し、家康は頼朝を敬した・・・という話も聞いていますので、あながち、こじつけという話でもないと思います。

もちろん、北条執権政権も北条義時の代ですべてが定まったわけでもありませんし、幕末維新期だって、何より、西郷隆盛などのように、他に引けをとらない大きな足跡を残した人物を、タイプに当てはまらないからと言って、名を挙げないのも適当ではないでしょう。
(その意味では、幕末維新期というのは、それまでと違い、世界が視野に入ってきたということから考えれば、人材が順番に・・・ではなく、一斉に群がり出たということだったのかもしれません。その意味では、幕末維新期とせずに、長州では吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文・・・、薩摩では、島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通・・・、土佐では、武市瑞山、坂本龍馬、岩崎弥太郎と分ける・・・という見方もあるでしょうか。)

で、このパターンを戦後に当てはめてみると、信長は「ワンマン宰相」と呼ばれた吉田茂、秀吉は「今太閤」と称された田中角栄・・・とまあ、面白いくらいにピッタリですよね。
ただ、家康・・・となると、特に類推される政治家はいませんでしたが、「戦後政治の総決算」を掲げ、また、角栄さんとも微妙な盟友関係にあったという意味でも、中曽根康弘さんだったのかもしれません。
ついでに言うと、小泉純一郎さんは良く、信長に例えられましたが、行き詰まった戦後体制に変革をもたらそうとしたという意味ではそうとも言えるのでしょう。
後は、秀吉、家康が続けばいいんですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-10 17:30 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その5
昨日の続きです。

で、まず、那珂川御笠川の間が一番狭まるこの地域の間に張り巡らされた小川・・・を地図で追っていくと、大元はどうやら、那珂川の、現在、番托井堰と呼ばれる所に端を発し、1本は御笠川へ注ぎ、もう1本はJR鹿児島本線の方向へ流れておりました。
で、その延長線上には我が地元・博多駅前、かつての下人参町地区があるわけで、「あ!これは鉢の底川なんだ!まだ、上流では生きてたんだ」・・・と気づきました。

e0027240_19295430.jpg
(↑現在、「鉢の底通り」と名付けられているキャナルシティ脇。川は、かつて、この突き当りで再び、那珂川へ注ぎ込んでおりました。同一人物だったわけですね。)

で、今でこそ、生活排水の為のドブ川となっているものの、おそらく、元は農地を潤す灌漑用水、つまり、クリークだったのでしょう。
特に、戦中戦後の食糧難の折りに、食糧増産の為にそれらの水利は最優先で整備されたことが考えられ、それ以前とは大きく形を変えてしまった可能性もあるわけです。
ただ、そうは言っても、掘削される場所にはされるなりの理由があるはずで、一番はまず、「掘りやすい」ということで、次いで、二番目が「どうしてもそこに水を引かねばならない何かがある場合」・・・ということだったでしょうか。
(その上で、もっと余裕があれば、各人の田の傍らへ毛細血管のように引いてくれば良いわけですから。)

e0027240_1924854.jpgそう考えれば、一番引きやすいのは一度、誰かが掘った溝で、平たく言えば、かつての堀の跡などがあれば、それを利用せずにわざわざ、一から開削するとは考えにくいわけで、従って、クリークだからと言って、すべて黙殺してしまう必要もないと思うんです。
(←往古・鉢の底川に思いを馳せる。)
もっとも、それらをあまり、安易に広げ過ぎると肝心の耕作面積の減少に繋がるばかりか、今度は「洪水」という問題が生じてくるわけで、あまり、無闇な増設も出来なかったでしょう。

e0027240_1952416.jpgということで、まずは我が家にある、一体の川の流れがわかる、もっとも古い地図を出して来ました。
それがこれ(←)です。

たぶん、昭和40~50年頃の物ではないかと思うのですが、我が家が在する博多駅前の方は、もう、当時は博多駅地区土地区画整理によって下人参町時代とはまったく別物になってましたが、この辺はまだ、当時はそれほど大きく開発が進んでいなかったはずで、ある程度、参考になるはず・・・と思ったんです。
(昔の住宅地図は使い捨ての感覚なんでしょうね。どれほど探しても、年度の記載が一切ありません。)

ということで、次回に続く・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-09 19:23 | 地域 | Trackback | Comments(6)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その4
昨日の続きです。

その地禄神社ですが、裏手から入った為、表に抜けようとして、こちらにも前に小さなドブ川があることに気づきました。
この川は振り返って正面から見ると、神域を守るように川で外界と隔てられており、「那珂八幡宮が本丸なら、こちらは出丸のような砦か、あるいは城主の居館があったのではないか?」・・・と、そんな気にさせられました。

e0027240_15232818.jpg

となれば、今では、通りを挟んだ別個の神社になってますが、元々は、同じ城の城域で、これらの川は山賊や野盗、流民などからの防衛の為の堀だったのではないか・・・と。
さらに、この川を辿ってみましたが、それ以上は、川は入り組んでるし、人家と人家の間の道無き部分を抜けていたりで、全体の把握は諦めて、家路につきました。
で、帰宅後、改めて、全体把握のために地図を見たところ・・・、私は大変な事実に気が付きました。
この部分は、福岡市中心部を潤す二大河川、那珂川御笠川の流れがもっとも狭くなっている部分(↓)だったんです。

e0027240_16231855.jpg

(ちなみに、現代では並列して走っている両川ですが、中世以前は御笠川は下流・・・、現在の博多駅付近から西に折れて、那珂川に合流していました。)

と言っても、実は福岡市には1級河川がありませんで、両川とも2級河川ですので、それほど大した川ではありませんが、それでも明治期以前・・・、いや、戦後すぐまでは主な橋は木造でしたから、「橋を作る」ということは大事業の割りには、せっかく作っても、すぐに大雨が振れば流されてしまう、何とも割の合わないものだったことがわかるでしょうか。
実際、江戸時代までは「博多」「福岡」の間を流れる那珂川には橋は1本しか架かっていなかったという話もあり、となれば、人々は殆どの場合、浅瀬を見つけて渡る・・・というのが一般的な渡河の仕方だったでしょう。
となれば、真冬大雨の時などは、渡るには難渋していたと思われ、つまり、現代の人が考える以上に、川は陸上交通という観点から見た時には障害以外の何物でも無かった・・・ということでしょう。

e0027240_1674625.jpg

んで、この両川の間が一番狭くなった部分を流れる川を地図上で辿っていると、そのうちの1本が私が勝手知ったる博多駅前地区の方に伸びているではありませんか・・・。
「ん、これは鉢の底川と結びつくんじゃないか?!」と・・・。

ようやく、本題に届きそうですが、続きは次回・・・ということで(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-05-08 17:14 | 地域 | Trackback | Comments(2)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その3
先日よりの続きです。

間が空いてしまったので、どこまで書いたかわからなくなっているのですが、まあ、気が向くまま・・・ってことで(笑)。

e0027240_181661.jpgまず、私が「鉢の底川は上流では生きている」ということに気づいたきっかけとなった那珂八幡宮ですが、実はここに来るのは初めてではありませんで、30年ほど前でしょうか、仕事ついでの昼休みにぶらりと訪ねたことがありました。
当時は、昔の「村社」を市街地が取り囲んだって感じで、道は狭いし、入り組んでるしで、わざわざ行くのはちょっと・・・という感じだったのですが、今では傍らを大通りが通り、わかり易くはなったのですが、味気ないっちゃあ味気ないような(笑)。

で、ここ・・・ですが、大通りで割かれているものの、この辺では唯一・・・みたいな小丘になっており、今でこそ、ビルだらけで見晴らしは良くないでしょうが、戦前くらいまではかなり見通しが利いたのではないかと思いつつ、行ってみると、やはり、前方後円型古墳でした。

e0027240_19152054.jpg


ただ、古代には周辺の豪族の古墳であったとしても、他の時代でも有事の際の防衛拠点という観点から考慮すれば、この立地を活かさない手はない筈で、中世にはここは城(砦)だったのではないか・・・と。
(少なくとも、山賊や洪水などから身を守る避難所ではあったでしょう。)

e0027240_202333.jpg

で、ここに登った後、周囲をぐるりと回ってみると、まるでこの小丘の同心円上に形作られたのではないか・・・と思えるような川が一つ・・・。
と言っても、川・・・というよりも「側溝」と言ったほうが適切ような生活排水用のドブ川(水はわずかでしたが。)でしたが、「これは、今でこそ、ドブ川だがもしや、城の防衛の為に人工的に掘られた」ではないのか・・・と思い至りました。

であれば、他にもこういう堀の名残の川はあるはずだ・・・と思い、今度は、通りの向こうにある緑地に行ってみると、こちらには地蔵堂があり、おそらく、開削前は同じ敷地だったのでしょう、さらに他の緑地も探して散策していると、再び、神社に出、こちらは地禄神社となっておりました。
地禄神社とは、地禄とは「土地を肥えさせる」という意味で、地味肥沃、農耕の豊作を祈願した神社なのだそうですが、福岡市近辺では割りと見かける神社でして、私はてっきり、愛宕神社などと同様に、日本中、どこにでもある神社だとばかり思ってましたが、これは福岡独自の土着信仰だったようですね。
私もちょっと意外でした。

なかなか、本題には行き着かないけど、次回に続く。
                                    平太独白
by heitaroh | 2013-05-07 20:01 | 地域 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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