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再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その2
先日の続きです。

で、この「鉢の底川」ですが、私が子供の頃には幅1mくらいのドブ川で、その傍らを当時、「往還通り」と呼ばれた旧道が走っておりました。

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(↑今では「人参通り」という名称になっているそうですが、要は、博多駅地区土地区画整理事業の中で、すべての区画が変えられる中で、なぜか、唯一残った旧道なわけです。川は右端に沿ってありましたが、今でも、川の形に蛇行しているのがおわかり戴けると思います。)

この道は、おそらく、江戸時代以前に、人々が回り道を嫌い、便宜的に、この川の河畔に沿って博多の南にある竹下村警弥郷村などへ抜けようとして、往来するうちに出来た道だったのでしょう。
(もっとも、拙宅があった旧下人参町地区は、たびたび、申しておりますように、すぐに床下浸水する低地帯でしたので、明治中期以前、人々が住み始めるようになる前は、耕地としても限られた作物しか栽培できないような「湿地帯」で、従って、おそらく、少し雨が降ると通行がためらわれるような道だったでしょう。)

そこを区画整理の際に片側1車線の道路にする上では、鉢の底川のスペースというのは余計な物以外の何物でもなく、「博多駅前」になることで、今後、増大するであろう交通量を考慮すれば暗渠では持たない・・・という判断があったのだろうと思います。
結果、鉢の底川は埋め立てられ、道路の一部となってしまったことで、(前回も申しましたように、以前、道路工事の際に見たところ、暗渠ではなく、完全に潰されておりました。)他のドブ川と同様に、私にとっては、「かつて、過去に存在した川」という・・・、つまり、「もう、この世には居ない人」のような認識となっており、哀しいかな興味の対象から完全に外れておりました。

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それが、先日、たまたま、運動不足解消のために散歩しようと思い、旧竹下村(いつの時代のことだ・・・と(笑)。)にある、那珂八幡宮なる神社(↑)へと行った際、何と、上流の方ではまだ、この川が健在であることに気づきました。
それで、「この川はまだ、死んでいなかったんだ」と思い、改めて、「この川はどこに続いているのか?」という、少年の日の果たせぬ夢の続きを追ってみようと思った次第でした。

ということで、なかなか、本題に辿り着かないけど、とりあえず、次回へ続く・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-30 17:25 | 地域 | Trackback | Comments(8)

新著「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」予約販売のお知らせ
このたび、また、性懲りもなく、拙著新作「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」を出版することになりました。

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本作は英雄としての武田信玄上杉謙信とは違う、生身の姿と、それに振り回される後継者たちの葛藤を描いた物で、過去に一度、一部だけを抜粋して出版したことがありますが、ただ、当時は一部だけでしたので、どうしても容量の点で不評だったようで、私としても、常々、機会があればちゃんとした形に直したいという、忸怩たる思いを抱いておりました。
で、今回、話を頂いたので、前作の5倍くらいの容量にまで増量加筆することが出来、どうにか、多少なりとも満足行く形になったのではないかと思っております。
とはいえ、無論、紙数が増えれば良いという問題ではないとは重々わかっており、お眼鏡に叶う物になっているかどうかはわかりませんが、お手にとって見て戴ければ幸甚です。

ただ、本作は正確には、5月1日からの出版予定でして、現在はネットでの予約販売のみとなっております。
もし、お手に取って戴ける方がいらっしゃいましたら、上のタイトル欄をクリックして戴いても結構ですし、以下(↓)のアドレスからでも予約出来ますので、よろしくお願い致します。

http://www.amazon.co.jp/dp/4286134849/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1366169486&sr=1-1

http://boox.jp/afp/index.php?module=ecitemdtl&action=pdetail&it=BK&cd=4286134849&r=256

なお、陳列戴ける書店の一覧表が送って来ましたが、出版社も、基本、書店販売は考えていないのでしょう、今回は、かなり偏った配置になっており、近隣の書店での購入は「注文取り寄せ」という形になると思いますので、ネットから購入して戴くのが一番、確実なように思えます。
お手数をおかけいたしますが、よろしくお願い致します。

                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-28 16:53 | Trackback | Comments(2)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その1
以前、まったくの自己満足として、
平太郎独白録 : 博多駅前史という一部のマニア向けの特集をやっておりましたが、今回も再びの自己満足シリーズです。

e0027240_1947859.jpg私が子供の頃・・・、昭和44年に現在の博多駅前になる以前の、それまでの福岡市下人参町の我が家は2本のドブ川に挟まれた地域にありました。
(←これが走っていた時代です(笑)。)
従って、たびたび、触れておりますように、大雨が降るとすぐに床下浸水になってましたが、当時は割りと普通にあったドブ川でしたし、私が生まれる前までは周囲は田んぼばかりだったそうですから、田に水を引くためのクリークのなれの果て・・・だったんだろうと思い、特に、気にしてませんでした。

それが、博多駅前史を書こうとして調べているうちに、現在のキャナルシティ前に「鉢の底川」という名前を見つけ、「そういえば、ドブ川があったような・・・」と思い、辿って行くと、その川が我が家の傍を流れていたドブ川の1本に繋がっていたことがわかり、「あ、あのドブ川には名前があったんだ」と知りました。

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(↑いずれも画像は、以前、ご紹介した大分県は豊後高田市にある「昭和の町」にて撮影したものです。我々の年代には結構、ここはワンダーランドでしたね(笑)。)

亡父からは特に、この川のことについて聞いた記憶は無いのですが、この川のもう一本向こう、現在の住吉神社の中にも昭和の初めまでは小川が流れており、大変、綺麗な清流だったそうですが、上流に地下足袋工場(現在の九州松下電器?)が出来、そこの廃液が流れこむようになって、一気にドブ川になった・・・という話も伺いましたので、あるいは我が家の近所の川もそうだったのかもしれません。

で、もう一本のドブ川の方はおそらく、クリークのなれの果てだったのでしょうが、「鉢の底川」の方は、その後、色々と聞くうちにこの川は、江戸時代初期、元禄年間の地図にしっかり載っていることがわかり、「あ、これはクリークじゃないな」・・・と。
で、その後、博多駅土地区画整理事業に伴い、この川は無くなり、今は暗渠にされているんだろうとばかり、思っていたのですが、数年前にたまたま、道路工事していたのを見ると、完全に潰してありました。
(工事の人も、「やたら、瓦礫やらなんやら出てくるからおかしいなと思っていたんですよ」・・・と。)

元禄年間の絵図画像も昭和14年の航空写真もありますが、やはり、ここで掲げるのは控えさせて頂いた方が良いと判断し、次に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-26 19:59 | 地域 | Trackback | Comments(2)

吉田松陰「留魂録」外伝 遥かなり三宅島 読了
先日から、永冨明郎著、『吉田松陰「留魂録」外伝 遥かなり三宅島』という本を読んでました。

まず、主人公は吉田松陰その人ではなく、松蔭が安政の大獄に連座し、江戸の牢に繋がれていた時に、たまたま、同じ獄にいた沼崎吉五郎という人物。

e0027240_19544684.jpgこの人物は、松蔭や他の幕末の志士たちのように国事に奔走して捕まった国事犯などではなく、たまたま、婦人切害の罪で入牢していただけの全くの市井の人で、彼は、松蔭と同房であった縁で、松蔭のその遺書とも言うべき留魂録他を託され、松蔭刑死後、流刑(島流し)を終え、明治になって、これを長州出身の高官に届けたことで、わずかに知られています。
(私的には、昭和52年(1977年)の大河ドラマ「花神」での草野大悟さん演じるイメージが離れません。)

従って、武士とはいえ、このような一般庶民の人生が克明に資料として残っているはずはなく、それなのに、読み進めるに連れて、実に生き生きと、まるで、違う誰かの人生を乗っ取ったかのように鮮明にその一生が描かれてるんですよ。
私としては、「一体、これはどこまでが小説なんだ?」といささか困惑しました。
まあ、その辺の疑問は、あとがきを読んで氷解しましたが、驚くべきは著者のその取材力・・・。
これは、これまで殆ど触れられることがなかった当時の刑罰史の一隅に灯を供する、実に興味深い「資料」でした。
ご興味お有りの方は冒頭のタイトル部分をクリックすれば、同書の電子出版のページに繋がるようになっておりますので、一度、手にとって(?)みられてください。

もっとも、同書では吉五郎は冤罪で服役した苦労人の好漢という設定でしたが、私なら、冤罪にはしなかったでしょうね。
もっと、長年の貧困と労苦の中で、性格がねじ曲がった人間・・・という設定にしたでしょう。
実際、本人は草葉の陰で面映い思いをしているのではないでしょうか(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-24 20:09 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

監督はスタンドとも勝負する

かつて、プロ野球で名監督の名を欲しいままにした三原脩翁は、近鉄バファローズの監督時代、娘婿でもあった中西太氏(かつての西鉄ライオンズ時代の主力選手)をヘッドコーチに据え、監督修行をさせようとした際、中西氏が初回から主力打者に送りバントのサインを出すのを見て、「中西は監督として大成できない」と嘆じたという話を聞いたことがあります。
つまり、ファンは基本的に主力打者の快打をみたいと望んでいるはずで、終盤の、勝敗を決するような場面ならともかく、そうでない場面では初回からファンの期待を裏切るような采配はするべきではないというわけですね。
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それを端的に表しているのが、翁の名言、「監督はスタンドとも勝負する」で、すなわち、監督は盤上の采配に神経を尖らせ、勝利を確保すると同時に、顧客であるスタンドのファンをも満足させる演出をしなければならなというわけです。
(この点は、元千葉ロッテ監督だったバレンタイン氏もアメリカでの監督時代、自らファンサービスに力を入れ、チームを勝利に導くと同時に、赤字だった球団経営を黒字にしたという話も聞きました。)

とかく、今のプロ野球の監督は自軍の戦績にしか意を尽くそうとしないようですが、落合博光氏のように数字は抜群のものを残しながらも、解雇されることになるわけで。
これも、現場から見れば「現場で力を尽くすのが、俺たちの仕事」となるわけでしょうが、経営サイドから見れば、「収益の為にやっているんだから、そこに結びつかないのならいくら勝っててもいらない」となるわけで、やはり、そうなりたくないのであれば、プロの監督と名が付く人は考えるべきだと思います。

で、なぜ、そういうことを言うかといいますと、福岡ソフトバンクホークスの秋山幸二監督というのはさんがなかなか譲らなかったせいで、苦労人らしく監督としては有能なんでしょう。
ただ、彼には致命的に欠けてる物があるんですよ。
それが「志」
WBCの監督に・・・という話もありましたが、彼は自軍の・・・、いや、自分の実績として周知されないようなことにはまったく関心がない人なんですよ。
アジアシリーズなんかは、露骨に「余計なお付き合い」感を出しますし、つまり、全体を盛り上げようという意志は毛頭無い。
でも、福岡ソフトバンクホークスなんて、そもそも、スポーツニュースの扱いも悪い田舎球団なんですから、球団全体を考えれば、こういう機会にはもっと積極的に出るべきだと思うんですよね。
それをやろうとしない彼は、いくら現場で実績を残せても球団サイドから見れば、「人望」があるようには思えないわけで・・・。
                           平太独白
by heitaroh | 2013-04-18 19:12 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

世界は善か悪かなどで動かない!損か得かで動くんだ!
e0027240_14463579.jpg「外交センス無き国民は滅びる」とは吉田茂の言だったと記憶しておりますが、この点で、昨今の日本人の外交感覚を見ていると、「敵か友達か」、あるいは、「善か悪か」と言ったほうが良いでしょうか、そういった、いささか、安易な二者択一の硬直化した反応が伺えます。
でも、孫子に言う「兵は詭道なり」で、現実の国際社会もまた、殴りあいしている裏側で握手してたり、笑顔のハグの裏側でナイフを用意していたり・・・で、そんなに単純に割り切れるわけではないんですよね。

この点で、金子堅太郎という人が居ます。
日露戦争当時、アメリカへ飛び、学友であるセオドア・ルーズベルト大統領に和平工作を働きかけた人物として知られていますが、しかし、国際社会などというものはそもそも、情宜友情などというものでは動きませんよ。
ましてや、正しいか正しくないかなどでもなく、すべては「国益」、つまり、かで動くんです。

事実、ルーズベルトは何も金子に頼まれたから和平仲介をしたわけではなく、その手紙の中で、「日本は我々のゲームを戦ってくれている」、「果実が他国に横取りされないよう、極上のサービスをしてあげるつもりだ」などと書いているとか。
(同様に、日英同盟も、別にイギリス義侠心から出たものではありません。イギリスが、自ら犠牲を払うことなくロシアの南下を防ぐ為に、日本に開戦させるべく「強気」の材料を提供したということであって、その証拠に、イギリスは戦後、「日米争えば、我々は日英同盟があってもアメリカの側に立つ」と言ってます。ちなみに、日本陸軍の生みの親とも言われるメッケル少佐を、ドイツが維新後の日本に派遣したのは、別に友情などではなく、宿敵・フランスと同盟するロシアの背後に強国を作りたかったからです。)

それを端的に表したのが、ビスマルクが岩倉使節団に対し語った、「大国は自国に有利な場合には法を盾に取るが、不利な場合は平然と踏みにじる。だから我が国は対等な権利を獲得する為に血の出るような思いで国力の振興に務めた」という弱肉強食そのままの言葉です。
そう言うと、「そんな19世紀の話を!」と言われる向きもあるかもしれませんが、ただ、これは何も中世欧州社会に限った話ではなく、日本でもつい最近までは往々にして見られた光景ではなかったでしょうか。
日本人はとかく、一旦、紙に書かれた条約は自動的に守られるものだと思っているようですが、「大企業は、中小企業には訴訟能力がないと見越して、平然と中小企業の特許侵害してくる」という話も厳然とありましたよね。

親愛なるアッティクスへ
                                       平太独白
by heitaroh | 2013-04-08 07:12 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

続・「八重の桜」に見る会津人とアテルイの東国人の類似性
少し、間が空きましたが、前回の続きです。
e0027240_13353930.jpg先日から、今年の大河ドラマ「八重の桜」において、「良くやっているのに、やることなす事、裏目に出る京都での会津藩を見ていると、西日本の人間としては、何だか、仕方がないとか、運が悪いとかいう言葉だけでは割り切れない、違和感のようなものを感じる」・・・と申し上げましたよね。
まあ、物語は、会津目線で描いてある(かつ、薩長にも気配りをしたもの(笑)。)ということはあるにしても、でも何か、西日本と東日本、特に東北との感覚の違いのようなものを感じてしまうんですよ。

で、それを決定づけたのが、先日から同じくNHKで放送されていた「火怨・北の英雄 アテルイ」というドラマ・・・。

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もちろん、こちらも、東北復興というテーゼが背景にあるのか、純朴で平和な民が「ヤマト」という侵略者に対して立ち上がるという、映画「ブレイブハート」でのイングランドの侵略に模したような筋立だったのでしょうが、残念ながら途中で見るのをやめました。
結局、実際にそうだったとしても、これは、後年のアイヌシャクシャインの蜂起と同様で、「主観の爆発」でしか無いんですよね。
(無論、この点は、九州でもアテルイと同様に隼人族の鎮圧もありましたし、国際情勢と密接に結びついていたと言われる筑紫君磐井の乱なども、結局は資料が少なすぎて実像はわかりませんので、これで東西の違いを決め付けるつもりはありません。)

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で、話を会津藩の京都守護に戻すと、多分、西日本は東北人が思っている以上に社会そのものが複雑なんだろうと思います。
誤解のないように申し上げておきますと、複雑という言葉の背景は結局、「欲」なんですよ。

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この点では、以前、東日本大震災の関係で東北に行っていた西日本の保険担当者たちが口を揃えて、「東北の人たちは皆、良い人ばかりだ。こんなのが、うちの方で起きると絶対にこれで済むはすがない」ということを言っていたのを想起します。
つまり、会津藩士らにしてみれば、「一生懸命やってるのに何で?」となるような不思議な現象も、西国諸藩の者らからすれば、「何でそれを一々、真に受けるわけ?」となったのでは・・・と。
ましてや、「上がっていけ」と言われて、絶対に上がってはいけないのが京都ですから・・・。

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結論を言えば、会津藩は西郷頼母が進言したように、あの場に行ってはいけなかったし、その後も、一刻も早く引き揚げるべきだったでしょう。
それ以上は、私にも妙案はありませんが、京都において翻弄される姿には、「頑張ってるのに」では済まされない、西国人としての「違和感」が感じられてならない次第です。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-06 07:13 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

桜の季節の豊後路、国東半島の旅 その6 
昨日の続きです。

田染荘を出て、結構、もういい時間だったにもかかわらず、行ったのがこちら(↓)。
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(何だか、戦国武者陣地に迷い込んだかのような勇ましさが・・・(笑)。)

e0027240_15441129.jpgここは、熊野磨崖仏(←不動明王?)と呼ばれる、岸壁に彫られた石仏群で、この辺一帯では割りと見られる物です。

私も40年くらいまえに、同じ大分県の臼杵という所にある石仏群を見に行ったことがあるのですが、中には、劣化が著しく、既に当時から石灰でつぎはぎされた物までありましたので、そう考えれば、ここのは素晴らしい保存状態を保っていると言えるでしょうか。
(当時の説明では、多くが作者制作意図不明ということでした。)

ただ、また、これが、車ですぐ近くまで乗り付けられるのかと思っていたら、駐車場から、しばらく坂を登った先にある、この階段(↓)を登らなければならず・・・。

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でも、ここまではまだ、良い方でして、そこから先はこの、とても平とは言えない石段(↓)・・・。

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そこでようやく、前掲の磨崖仏があり、さらにその上には神社なのに、なぜか、線香をあげなければならないお社が・・・。

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前々回も申しましたが、私は、元々、神仏混合が本当の姿だと思うんですよね。
明治期の廃仏毀釈運動で強引に分けられてしまいましたが、信仰する方がそれで良いと思えば、役行者も同じ所に祀って良いんじゃないですか?

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そんでまた、この道(↑)を下りて帰ってきたわけですね。

  「信心を 試す仏に 汗応え」 梁庵平太

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-05 07:35 | 地域 | Trackback | Comments(0)

桜の季節の豊後路、国東半島の旅 その5 田染荘小崎
昨日の続きです。

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荘園が解体され、その終焉を迎えたのは、昨日も申しました通り、豊臣秀吉による太閤検地によってですが、実はそれよりも、荘園、いや、日本の景観そのものに決定的な影響を与えてしまったことがあります。
それが、近代の耕地整理です。

e0027240_15281392.jpg耕地整理とは、明治期に制定された耕地整理法で全国的に動き出した土地改良事業のことで、同法の目的は国の補助・融資の下、生産力を高める為、地盤改良はもとより農道や用排水路などの整備などに取り組んだ・・・と。
で、その一環として耕地区画方形に整理した・・・と。
特に、戦後、生産効率の工場のためにトラクターが導入されたことが大きかったようで、隅々までトラクターが入れるように、一部の段々畑などを除いて、殆どの耕地は綺麗に四角に整備されました。

従って、我々が今、普通に見ている田園風景というのはすべて、この100年くらいの間に形成された風景だということですね。
つまり、それ以前は、田植えなんかも、1本1本、手で植えていたわけですから、無理して方形にしてしまう必要も無く、すべて自然の地形に沿った形で田畑は作られていたわけですね。

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その点、この、田染荘はこの画像(↑)の通り、敢えてトラクターを入れることをせず、耕地整理以前の、本来の日本の田園風景を維持しているわけです。

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(↑今でも自然の地形に沿って、区画しているのがよくわかると思います。)

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もっとも、その田染荘すべてで昔のままの景観が残っているかというとそうではなく、そのうちの小崎地区(↑)だけが、保存地区として景観を維持しているのだそうですが、ユニークなのが、毎年、一口3万円で「荘園領主」を募集していること。
領主は御田植祭や収穫祭などのイベントの参加や収穫された無農薬の農作物の宅配などのサービスが受けられるのだとか。

明日に続く・・・と思う。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-04 13:45 | 地域 | Trackback | Comments(0)

桜の季節の豊後路、国東半島の旅 その4 現存する荘園
昨日の続きです。

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富貴寺の国宝・阿弥陀堂を出て、その脇の小高い丘(↑)の上に登ってみると、少々、朽ちかけたような神社があり、拝殿の前の神楽殿と思しき所を覗いてみたところ、天井にはこれ(↓)が・・・。

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かなり、色褪せて、雨漏り跡なども見受けられますが、花鳥風月を描いた立派な格天井板絵が・・・。
おそらく、施工時期はせいぜい、昭和辺りいではないかなと思いますので、隣の国宝と同格に論じてはいけないのでしょうが、それでも、こちらももう少し、何とかならなかったものかと・・・。

e0027240_1794119.jpg

で、次に、ここを出て向かったのが近隣にある田染荘という所・・・。

e0027240_17124930.jpg実は、ここが私の最大の目的地でして、かねがね、一度、行ってみたいと思っていた所でした。
ここには何があるか・・・と言いますと、日本で唯一、現存する「荘園」がある所なんですね。
荘園と言えば、言うまでもなく、奈良時代に、小規模な私有農地に始まり、、平安時代には皇室貴族・寺社などへ寄進する形で発展したが、鎌倉時代以降、新興階級である武士が台頭すると、簒奪が続き、最終的に豊臣秀吉の全国的な検地によって解体した・・・とされるものですね。

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で、ここ田染荘は、元々、宇佐神宮の荘園だった所で、上の図を見ると、今も殆ど当時と区画が変わっていないことがわかると思います。
つまり、中世前期の荘園景観が残存している全国でも珍しい地区であり、ここは、これを売りにして、昭和の町とは違う切り口での地域振興に取り組んでいる所なわけです。

続きはまた明日・・・と思うけど、予定は未定(笑)。
親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-04-03 07:04 | 地域 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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