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映画看板の神様に昭和を見た
e0027240_15122954.jpg先日、ちょっと所用があり、久しぶりに旧博多部(いわゆる本当の「博多」と呼ばれる所です。)に行って来ました。
わかりやすくと言うと、博多駅から博多港に向かう間の地域・・・といったところで、旧市街という点では、ちょうど東京で言えば神田みたいな感じでしょうか。
でも、この辺はまだ、私が子供の頃の世界、下人参町時代の雰囲気が残ってますねぇ。
で、所用が午前中で済んだので、昼飯がてら、ちょっと行ってみたい所があり、ちょいと行ってきました。

それが、ちょうどこの日まで「博多百年町家 立石ガクブチ店ギャラリーで開催されていた、「映画看板の神様」と呼ばれた城戸久馬之進画伯の作品展です。
まず、こちらの立石ガクブチ店さんは、如何にも、この地域らしい老舗で、築100年を超えるという店内にはまだ、昔の防空壕(↓)が残ってました。

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深さは当時の半分くらいになっているそうですが、この辺りは、元々、平安時代頃からの埋立地で、戦前までは井戸が使えず、飲料水は売りに来ていた物を買っていたというような地域ですから、当然、乾燥した土地柄とは到底考えられず、良くぞ朽ちもせずに残っていたなぁと感心。

でもって、本題ですが、ご承知の通り、昭和30~40年代の映画看板という物は基本的に使い捨てでしたから、今でも殆どが現存しておらず、(今残っていたら、結構な芸術作品扱いになるんじゃないでしょうか。)それは、この方とて例外ではなく、現物は残ってなくて、あるのは弟子が勉強の為に撮影していたという写真のみだそうです。
それでもこの世界では東京はおろか、アメリカからも視察に来たというほどに、日本一の呼び声高かった人のそれですから、 さすが!と思わせるものがありましたね。
(アメリカにもこういう物はあったそうですが、実にざっとした物だったそうで、それをここまで昇華させる辺りが如何にも日本人らしい・・・と。)
当時の日本人は4階建てビルに相当するスタイル抜群のブロンド美女の看板を見て、腰を抜かしたんじゃないでしょうか。
(あるいは、戦争に負けたことを実感したのかも(笑)。ちなみに、こういう、フレームから飛び出すようなことをやったのも、この人が日本で初めてだそうです。)

これらの映画看板については、ご興味お有りの方はこちらをどうぞ。
一見の価値在りと思いますが。
                  ↓
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kidomuseum/koukoku/index.html

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-24 07:56 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その9
昨日の続きです。もう、いい加減にこのシリーズも終わらせなければ・・・と思っているのですが。

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新府城を出て、まだ少し時間があるというので韮崎でちょっと下車してみました。
ここは、新府駅の隣駅ですが、元々、甲斐武田家初代当主である武田信義の館があったと伝えられている所でもあります。

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武田家は元々、佐竹、小笠原、南部の各家などと同様に新羅三郎義光にその祖を遡る名門で、信義の父・義清が常陸国から甲斐国に配流されたのに始まると言われています。

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なるほど、この地図(↑)を見ると四方を川に囲まれ、躑躅ヶ崎館と同様に背後に緊急避難用の山が控えているのがわかります。
であれば、この山地の突き出した部分に躑躅ヶ崎館における要害山城に当たる城があるはずだ・・・と。

e0027240_1736268.jpg見れば、白山城跡と書いてあり、ビンゴ!と思ったのですが、地元の人に聞いたところ、「ここは、武田は武田でも武田信玄の時代の烽火台の為の城だ」とのことで、信義の時代の城ではないということでしたが、でも、私はこの城は元々、初期武田家の非難城であったのだろうと思います。
残念ながら、ここは熊出没注意ということで域内に入ることはできませんでしたが、看板だけは手前に出してあり、それを見るとやはり、「信義の要害として築かれた伝承を持つ」・・・と。

まあ、伝承の域を出ていないようですが・・・。

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武田信義は、保延6年(1140年)、13歳で武田八幡宮(↑)にて元服し、武田太郎信義と名乗り、源平の合戦においては源頼朝に合力、富士川の戦いから壇ノ浦の戦いまで、一連の戦いすべてに参戦し勇名を馳せたものの、鎌倉幕府成立後は頼朝の前に一介の御家人として抑えこまれてしまう・・・と。

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(↑八幡宮の傍らには、保元の乱における源氏の英雄、鎮西八郎為朝を祀る為朝神社が。為朝はここに匿われたという伝説があるそうです。)
おそらく、武田八幡宮は要害山城における積翠寺のような位置づけではなかったでしょうか。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-22 18:42 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その8
先日からの続きです。

で、その武田勝頼築城による新府城です。
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e0027240_19211079.jpgまず、我々は東面(←)から上ったのですが、ここはご覧のとおり、高さがあると言っても、若い者なら一気に駆け上がれる程度であり、前面に堀を穿った跡があったものの、大軍に任せて力攻めにここを突破しようと思えば出来ないことはないような気が。
まあ、この辺はさすがに、土塁(↓)を築き、それなりの防御設備を整えていたようですが、この階段を上がるとすぐに本丸に出てしまうことなどを考えると、少なくとも、武田勝頼が大大名の武田家に相応しい城として築いた割りには・・・と。

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さらに、本丸に上がり、北回りに台地上をぐるっと一周してみると、北面(↓)に至ってはこの程度の高低差・・・。
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前回掲示の復元予想図を見てもらうと、確かに、こちらにもぐるっと東面から堀が伸びてきているようですが、堀幅も東面に比べれば狭いし、それを補うためか堀の中に突出した櫓を設けているものの、少々、迫力不足の観は否めないような。

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次に、二の丸(↑)を横切り、西面(↓)に出ましたが、ここはご覧のとおりの断崖絶壁で、その向こうに釜無川が流れており、航空兵力が無い時代、こちらからの攻撃は不可能だったでしょう。
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また、南面は全体に上り勾配になっている上に幾重にも縦深陣地を構成することで攻撃に備えられる構えとなっておりますが、であれば、この方面に敵を集めて叩く・・・というコンセプトであるべきで、それが、東面と北面、特に北面の脆弱性を考えると、少し首を傾げたくなってしまいます。
また、台地上にあるということは要害山城の項でも触れたように追い詰められた場合、逃げ道が無いことになってしまうことなどを考えれば、一見、堅城のように見えて、本気で本気でここで戦うことを考えていた施設だったのか・・・と。
おそらく、勝頼にとって、ここは領国を統治する為の政庁であって、ここで敵を防ぐことは想定しておらず、城の造りを堅固にしたのは自らの威信を示すためであったのではないか・・・と。
事実、勝頼は織田信長の軍が迫ると聞いたとき、ここに立て籠もって戦うことを選択せず、まだ、出来たばかりの城に火をかけて、家臣の城を目指して落ち延びて行ったことが雄弁にその辺を物語っているようにも思えます。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-21 20:14 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その7
先日からの続きです。

e0027240_1546879.jpg武田家緊急時の非難城・要害山城(←)ですが、頂上の本丸跡から背後に山の尾根が続いていることに少し感慨を持ちました。
これは逆に言えば、背後からも攻められやすいということでもあるのでしょうが、当時はまず、それほどの大部隊に十重二十重に囲まれるということは想定していなかったのだと思います。
であれば、どこからも攻められにくい城というのはやはり、最後は玉砕しか無いわけで、他日を期すという観点から考えれば、私もあまり、良い城だとは思いません。

その最たるものが、福岡市にある探題城跡(現愛宕神社)です。
こちらは、以前、平太郎独白録 : 古の九州探題は何処にありや!を推理する その6などで触れたとおりですが、こういう周囲を断崖に囲まれたような城というのは、逃げ道がないんですよね。
そもそも、籠城というのは援軍の宛てがある場合に行うもので、武田信虎の妻子にしても、信虎敗死ということになれば、いくら要害でももはや、ここに籠もる意味はないわけで・・・。

で、ここを出て、武田家の躑躅ヶ崎館は以前行ったことがありましたので、同行者には無理を聞いてもらいスルーして、甲府駅から電車に乗って、新府駅へ向かいました。

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新府駅・・・、マニアならすぐにピンとくる名前ですね。
武田信玄の死後、その子、武田勝頼が築いた新府城がある所です。
巷間、伝えられる、父、信玄が「人は堀、人は石垣」と言って、生涯、簡素な館に住んだのに対し、息子、勝頼は見栄を張って分不相応にも大規模な城を築き、それで人心に見放されて滅びた・・・と。
でも、これは大きな勘違いで、まず、第一に、この時代、甲斐には石垣を築く技術自体がなかったわけで・・・。
そのことは、この新府城(↓)でさえも石垣がない土塁だけの城だったことが何より、雄弁に語っているのでしょう。

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何より、信玄が信虎を追放し、家督を相続した時代であれば、位置的にもそこで良かったのでしょうが、信玄時代の拡張政策により、武田家の領土は大きく広がっており、躑躅ヶ崎館がある古府中では偏りすぎていたといえた・・・と。

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まあ、この辺は拙著、「死せる信玄、生ける勝頼を奔らす 増補版」に詳述しておりますので、こちらをご覧いただくとして、それにしてもやはり、甲斐はどこからでも富士が見えますねえ。

ということで、宣伝と共に明日へ続く・・・の巻。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-17 17:44 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

醜態を晒した雪の初場所見聞録
e0027240_16573535.jpg未だに混乱が続く連休中の東京の積雪ですが、九州人には関係ないようにみえて、実は私、日頃の行いの良さからか、何とも良いタイミングで、その日は東京に居ました。
九州人的には殆ど、この冬初めての雪らしい雪って感じで、まさに初雪でしたが(笑)。
(←で、あんた誰よ・・・って感じです。晴れてれば前に回って見もするのでしょうが、とにかく、それどころではない・・・という状態。以前、見たような気がするんですけど、太田道灌じゃなかったような。)

で、何をしに行ったかというと両国まで大相撲初場所を見に行って来たのですが、残念ながらこの日は体調不良で、途中で瞑れてしまい、肝心のところは見ないまま、おもいっきり醜態を晒してしまいました。
ま、雪がオレを変えたのさ・・・ってことで(笑)。

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で、両国国技館です。
私は当然、九州場所は何度か行ったことはあるのですが、そこ以外で相撲を見るのは初めてでして、その意味では、結構、新鮮でしたね。

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(↑これが、大横綱・双葉山の連勝が止まった瞬間に大歓声によって天井が震えたということに模して再現された「大鉄傘」か・・・と。何となく、往時を偲ばせる造りだな・・・と。)

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-16 17:45 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

親父が偉いのとおまえとは関係ない!
以前、飛行機に乗った際、前方にあるビジネスクラスの座席に、ちょこんと小さな女の子が座っているのが目に付きました。
シートが大きい分、その女の子の小ささが余計、目に付いたのですが、当然ながら、その子の隣には母親と思しき女性の姿がありました。
まあ、それは、その方が自分の収入の中からされておられることですから、別に他人がどうこう言うことではないのですが、この点で印象に残る話を思い出しました。

河野洋平という政治家がいらっしゃいますよね。
総理大臣になれなかった自民党総裁・・・として、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、彼の父、河野一郎氏は、佐藤栄作、池田勇人といった人たちと総理の座を争った政界の大物にして、泣く子も黙るソ連の独裁者・フルシチョフを向こうに回し、大立ち回りを演じたほどの強気の政治家であり、吉田茂をして、「嫌いな物はスカルノ河野一郎と言わしめたほどの豪腕政治家にして戦後政界の大実力者でした。
それだけに、父は生前、多忙で、洋平氏と旅行などしたことはなかったそうですが、それが、あるとき、何かの関係で二人で同じ列車に乗り込むことになったそうですが、その時、父は、自分だけ、さっさとグリーン車に乗り込み、学生服姿の洋平青年には「親父が偉いのと、おまえとは何の関係もない!」と言って、独り普通席に座らせたそうです。
普通、日頃、一緒にいることが少ない父親がたまの旅行の時に別々の席に座りますか?

付けるべきケジメはきちんと付ける。
子供への愛情などに流されることはない。
多忙な父の、息子への精一杯の訓導・・・。
厳父・・・。
河野一郎と言う人物の、ただ傲慢なだけではない一面を見せつけられたような気がしました。
同様のことは明治の厳父と呼ばれた人たちには散見されるようで、もっと凄いのが東武鉄道の創始者、根津嘉一郎翁。
東京から北海道まで列車で息子と移動することになった際、自分は二等車に乗って、息子は三等車に乗せたのだとか。

・・・当然、大金持ちですよ。
それに、北海道までって言ったって、今みたいに新幹線ですぐって時代ではありませんから、おそらく、24時間で着けば良い方だったのではないでしょうか。
当時の二等車、三等車という物がどれくらい差があったのかは知りませんが、たぶん、三等車は寝る時も座ったままだったでしょう。
甘やかすことなく、そこへ平然と座らせることが出来る・・・、これが真の教育でしょう。
まあ、私は交通費と宿泊費には金をかけない方針ですので、それ以前にグリーン車に乗ることはないでしょうけどね。

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by heitaroh | 2013-01-12 17:42 | 教育 | Trackback | Comments(2)

「先んじて 咲きたる梅の 心意気」
今日の福岡県地方好天に恵まれました。
今年の冬は割りと、驚くくらいの好天の日が見られるようですね。
でも、まだまだ、気温は低いのですが、早くもはほころび始めています。

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本当は今日は別のことを書くつもりだったのですが、梅は一日を待ってくれません。
たぶん、3日経ったら、この画像はもう、使えないと思いますので、敢えて。

「先んじて 咲きたる梅の 心地よさ」 梁庵平太

昔、武士は桜の散り際を愛でたといいますが、私は酷寒の中、人に先駆けて咲こうとする梅の心意気にこそ、毎年、はっとさせられます。
「おいおい、いくらなんでも早すぎはせんか?」・・・と(笑)。

e0027240_20152461.jpgところで、これで思い出しました。
先日、何かで、「限界」とは?という問いがありましたが、私の応えは、「歩き疲れて前のめりに倒れた地点を指す」・・・と。
歩き続けている限り、目の前にいくら高い壁が聳え立っていようと、それは限界ではない・・・と。

ついでに、「大人」とは・・・と問われれば、私にとっては、簡単明瞭!、一升瓶カマクビを持ってコップに注げる人・・・です。
学生時代は胴体の方を持たないと注げませんでしたので・・・。

もちろん、今は普通にカマクビを持って注げます。
おっさんですから、はい。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-11 20:32 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その6
昨日の続きです。

そんなこんなで、要害山城に登って来たんですが、改めて思ったことですが、山梨県って、どこからでも富士山が見えるんですね。
まあ、当たり前と言ってしまえば当たり前なんでしょうが、九州人的には富士山が見えるというのはとても新鮮なことでして・・・。

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で、しっかり、要害山城の山頂からも本当に「肩越し」って感じで傍らに見えました。

「幼子を 見守る富士の 根雪かな」 梁庵平太

思えば、武田信玄が生まれた大永元年11月3日というのは、新暦で1521年12月1日ですから、我々が行った時期と半月程度しか違わない頃だったわけで、城に籠っていた人々の中にはあるいは、そういう感慨をもった人もいたのかもしれないな・・・と。

e0027240_15184317.jpg(←麓の積翠寺に残る信玄産湯の井戸。ただ、信玄誕生の時は隣国駿河から優勢な今川勢の侵略を受けており、父、武田信虎は迎撃に打って出て奮戦していたものの、勝敗は予断を許さない情勢で、産前産後は動かせないことを思えば、最初から、敵が攻め寄せてもある程度、動かさずに済む場所・・・、つまり、城の中枢付近で母親は出産したと考える方が妥当であるように思います。あるいは、当時は積翠寺も城の内側にあったのかもしれませんが、それでも・・・と。)


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「空の青 冠雪の白 もやの白」 梁庵平太
 
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それにしても、この日は冬とは思えないほどの快晴でした。
晴れ男の面目躍如たるや如何!(笑)。

なかなか、本丸に行き着きませんが、時間があるうちに何とか、少しでも前へ進めておきたい今日この頃です。
明日に続きます・・・と思います。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-10 07:17 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その5
昨年からの積み残しです。

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甲府市で一泊し、翌朝、見た風景がこれ(↑)。
甲府盆地をすっぽり包んだ雲海です。
こういう景色は初めて見ましたね。

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もちろん、九州でも阿蘇の雲海などは有名なのですが、殆どが溜まったところを上から見るものでして、横から見るというのは記憶にありません。
また、多くがわざわざ、早朝に山頂まで見に行って・・・のそれですから、宿から朝起きたら見えてた・・・というのも聞いたことがありません。
何より、こういうのは、朝、早起きして、山頂まで行って、それでいつも見られるとも限らないわけで、行けば確実に見られるというのでないとなかなか、腰が上がらない私にとっては一番、苦手とするパターンです。(未だに初日の出という物を見たことがないというのが、その辺を一番、雄弁に語っているでしょうか(笑)。)

e0027240_18175692.jpgで、起きてチェックアウトする前にまず行ったのが、裏山に広がる要害山(←)・・・。

ここは、マニアにとってはかねてより、一度、行ってみたかった垂涎の地でして・・・(笑)。
というのも、まず、甲斐と言えば武田信玄でしょうが、その信玄の言葉として伝えられる有名なものに、「人は城、人は石垣」というのがありますよね。
信玄はそう言って豪壮華麗な城を作らず、終生、躑躅ヶ崎館と呼ばれる簡素な居館に暮らした・・・と。

e0027240_18583188.jpgでも、それは間違いでして、当時の武将たちは皆、山頂の天守閣で暮らしていたわけではなく、平時は麓の居館で暮らし、有事の際は近くの山城に籠もるという、城館一体の作りになっていたわけですね。
従って、信玄が生まれた時も、父、武田信虎駿河からの侵略軍と戦っていた為、信玄の母は臨月の身重の体で躑躅ヶ崎館を出て、この要害山城へ籠っていたわけです。
で、要害山城の山頂にはこういう石碑(←)がありました。
「武田信玄公誕生之地」と書いてあります。)

生まれたのは麓の積翠寺だとも言いますが、私は当時の切迫した状況を考えれば、ここで生まれたということの方が現実味があるように思えます。

明日に続く・・・かな明後日かな・・・の、毎度おなじみ予定は未定。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-08 18:57 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

登場人物の基本に見るルパン三世とワン・ピースとの相似
e0027240_12233186.jpg当方、この4日間はとにかくお雑煮三昧で、餅は間違いなく、歳の数は食べたでしょう。
おかげで、やや、一部、体調不良のようですが。
で、どうにか昨日で原稿の方にケリを付けまして・・・、と言っても、後半はもう、諦めました。
・・・年取ると、やはり根気が続きませんねぇ。
で、今から昨年来、溜まっていた通常業務にとりかかります。
(←そんなこんなで、まだ、初詣行ってませんので、とりあえず、それっぽい画像で満足するとします(笑)。)

ところで、今や世界的な大ヒットとなっているアニメ、「ワン・ピース」ですが、あれって、登場人物の基本というのはルパン三世と一緒ですよね。
主人公の両脇を黒服のダンディズムと剣の達人が固め、スタイル抜群の美女が絡む・・・と。
まあ、銭形警部に当たるようなキャラがいるかどうかまで知らないのですが。
でも、そう言うと、「どこが一緒なんだ!ルパンよりワン・ピースの方が圧倒的に仲間が多いじゃないか!」と言われる方もあるかと思いますので申し上げておきますと、あくまで、「基本」は主人公に黒服に剣の達人に美女の4人なんでしょう。
最初の方はその連中だけだったように記憶しておりますので。

e0027240_11435545.jpg
(↑福岡市近郊にある不思議博物館です。以前から気になっていたのですが、年末、思い切って、ちょっと行ってみました。思ってたより、ファンタジーで良い感じでしたよ。)

で、ルパンと違い、どんどん、仲間が増えていくのはワン・ピースが少年ジャンプ連載だからでしょう。
確か、少年ジャンプのコンセプトは「友情・勝利・勝利(努力?)」だったように聞いており、従って、創刊以来、同誌の連載漫画には一貫して、仲間との共闘傾向があるようです。
(創刊時にこういうコンセプトを掲げ得たというのは結構、斬新な事だったと思います。特に、創刊当時は結構、売れ行きが悪く、苦労したようにも聞いておりますので。普通、そういう状況なら、背に腹は代えられないで、売れれば何でも良いってことにハンドルを切ってしまいがちなんですけどね。)
もう1つ言えば、ゲーム界からの要請という、如何にも今時の事情もあるんでしょうね。
少年ジャンプはそっちの方にも積極的なようですから。 
つまり、ルパン三世も今の時代に少年ジャンプで連載していたならば、仲間はじゃんじゃん、膨れ上がって行ってたんじゃないか・・・ということですね。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-05 08:25 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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