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同業者の数が多すぎるに見る萎縮する日本経済?
親愛なるアッティクスへ

以前、ちょいと怪我した時に、帰宅するまでの間に外科があれば行こう・・・と思い、探しながら帰ったことがあるのですが、残念ながら外科は一軒もなく、代わって、やたらとあるのが「歯医者」でした。
そういえば、あそこも歯医者だったっけ・・・などと考えていると、改めて、病院の中で「歯医者」の多さに気づいたのですが、この点で、ここしばらく、私が至る所で耳にしてきた言葉があります。
それが、「同業者の数が多すぎる」です。

e0027240_17393892.jpg自動車産業は、「世界中を見ても、こんなに自動車のメーカーがある国はない」と言いますが、確かに言われてみれば・・・と。
また、私の身近でも、建設会社の友人は「かなり減ってきているが、元々が他業種に比べ突出して同業者が多い。10年くらい前の業種ランキングでは1位が建設業者で2位の不動産屋4倍だったことがある。ちなみに、3位は設計事務所で、結局、住宅産業ばかり・・・」と言い、「仕事がたくさんあった時代ならともかく・・・」と嘆く。

一方、鮨屋に行くと、「鮨屋は数が多すぎる。戦前は市内には2~3軒しかなかったそうで、それが、高度経済成長期に人手不足から弟子を多く抱えたけど、オイルショック後、景気が悪くなったことで、一斉に独立を余儀なくされた。その為、住宅街の中のでも昭和の頃までは半径500m以内くらいに20軒くらいあった。今はこの辺には2~3軒しかないけど、それでも・・・」と仰る。
弁護士さんもまた然り。
「新司法試験になって合格率が大幅に高くなり、大量に弁護士が増えることになった。これからの時代は大変だ・・・」と。

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少子化という問題もあるのでしょうが、結局、それも含めて、日本という国の経済規模がどんどん、小さくなっていってるんだろな・・・ということを実感しております。
「歯医者復活」といけばいいんですけどね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-29 18:22 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

唯一の福岡市出身総理大臣・広田弘毅の功罪
親愛なるアッティクスへ

福田康夫さん、次の選挙には出ないそうですね。
先代もそうでしたが、淡々とした見事な引き際だと思います。
総理としては、少し真面目過ぎるあまり、迷走していた感がありますが、小泉さんと野田さんの間の短命政権の中ではマシな方だったのではないでしょうか。
この人にはもう少し、落ち着いた環境で政治をさせてあげたかったという気がしますね。
ところで、福田さんが総理になったことで、群馬県は総理大臣四人となり、東京、岩手を引き離して輩出県第二位に躍り出ましたね。
もっとも、一位である山口県菅直人さん(選挙区は別)まで入れると9人・・・でダントツなんでしょうが、対して、隣県である我が福岡県は2人で、かつ、合わせて任期2年・・・。
(この点は、以前、平太郎独白録: 自民党次期総裁候補に見る総理大臣論 その1。の中でも触れたところですが、「福岡県からの総理」というのは、どうにも、あと一歩・・・届かないんですよねえ。)

そのうちの一人は言うまでもなく麻生太郎さんですが、福岡市出身の総理大臣となると戦前の広田弘毅だけです。
この方は、城山三郎の小説、「落日燃ゆ」の主人公として知られている人で、彼を知る古老らは口々に、「大変、立派な人だった」・・・と言っておられましたが、実際、そうなんでしょう、立派な人格者だったと思います。
ただ、2.26事件の直後に総理になって、軍に翻弄されて1年で政権を放り出したのに、最後は、東京裁判文官として、唯一の絞首刑になったという運の悪さ・・・。
確かに、往時の状況の厳しさはその場にいない人間に口を挟む権利を与えるものではないでしょうが、敢えて言わせていただくと・・・、「所詮、喧嘩したことがない人だな」と。
あそこが唯一の戦争回避のポイントだったと思えるだけに・・・です。

私が言うポイントとは、内閣成立から間もない時期に軍部大臣現役武官制復活を許したことです。
(陸軍大臣は現役の軍人の中から選ばなければならず、登用の範囲は狭まり、陸軍の発言力は高まる。)
当時、2.26事件の直後で、陸軍に対しては批判的な空気がある中、組閣の段階で陸軍の横槍で吉田茂を始めとする登用を断念しており、それに続く「軍部大臣現役武官制復活要求」だったわけで、組閣人事への横槍までは我慢しても、ここで廣田総理がブチ切れて、ちゃぶ台返ししておけば、世論も支持したと思われ、そうすれば、猫の首に鈴を付けることも可能だったのではないか・・・と。
もちろん、それほど簡単にはいかなかったでしょうが少なくとも、どうせ、1年で政権を投げ出すのであれば・・・と。
(結果論ですが、後に、組閣の大命が降下した陸軍の天敵・宇垣一成内閣成立も有り得ただけに・・・。)
東京裁判での尋問記録を紐解く限りでは、彼には、軍部大臣現役武官制というものの危険性に対しては、あまり、認識を持っていなかったように思えますが、この点は、首を傾げさせられるところです。
なぜなら、軍部大臣現役武官制については、「復活」と記したとおり、元々、大正時代に「弊害が大きい」という理由から、一旦、「廃止」された経緯があったものだからです。

ちなみに、東京裁判における広田は、「私には責任がある。どのような判決でも受け入れる用意がある」と語っていたといいますが、この点は、ニュールンベルク裁判におけるシュペーアに相当するでしょうか。
日本でも、ドイツでも、戦犯として裁かれる者の中にも、一人くらいは、良識を持つ者がいる・・・ということかと。
平太独白
by heitaroh | 2012-09-27 06:52 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

夕焼け映える上空にて名著「南の島に雪が降る」を堪能
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1584590.jpg昨一昨日と、実はちと、所用があり、東京まで行っておりました。

その行き帰りの飛行機の中で読んだのが、俳優・加東大介氏の従軍経験を元にした回想小説、「南の島に雪が降る」・・・。

加東大介といえば、昭和の大女優・沢村貞子の弟にして、長門裕之、津川雅彦兄弟の叔父としても知られる名優ですが、やはり、私にとっては、何と言っても黒澤 明監督の代表作「七人の侍」での七郎次役で記憶に残っております。

頼りになる武士を探しに街に出た志村 喬演じる武士・島田勘兵衛が、宿に戻ってきて、「今日は珍しい男に会ってのう。この男はわしの古女房みたいなものじゃ」と言って皆に紹介するのがこの七郎次・・・ですが、「金にも名誉にもならぬ危険な戦があるのじゃが付いてくるか?」と問われた時、躊躇も気負いもなく、「はい」という辺りに七郎次の人柄と勘兵衛に対する信頼感が如実に表されていたでしょうか。
ついでに言うと、
「しかし、お主、良くあの戦で生きておったのう」
「はい、焼けた天守閣が頭の上に崩れ落ちてきた時にはもう駄目だと覚悟いたしました」
「その時、どう思った?」
「いえ、何も。頭が真っ白になって覚えておりません」
・・・などと話す辺り、戦後間もない時代、町でばったり、死んだと思っていた戦友に再会したような実感を伴っていたのでしょうか。

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本に話を戻すと、この本の初版は昭和36年(1961年)といいますから、私が生まれた年で、同じ年に著者主演で映画にもなりましたが、まさしく戦後わずかに16年しか経っていない時代のそれであり、出ていた俳優さんたちは皆、普通に戦争を知ってるんですよね。
ただ、これはこれで良かったのですが、映画を見たときには、かなり端折ってあるような気がして、何か物足りなさのような感を覚えましたので、改めて、原作を読んでみようという気になりました。
(と言いつつ、随分前に購入し、そのまま積ん読になっていましたけどね。)

あらすじを言えば、大戦中、ニューギニアの首都マノクワリに取り残された部隊の慰安と士気高揚のため、加東大介(本名・加藤徳之助)軍曹を中心に作られた演芸分隊の奮闘を描いたもの・・・でしたが、恥ずかしながら、ページをめくるたびに隣りの視線を来にしつつも、瞼にハンカチを押し当てねばならない状態でして・・・。
文章の方も、誰か、ゴーストライターが書いたのか知りませんが、簡潔でありながら芳醇ささえ漂わせる見事なもので、それに炙りだされた、死と隣り合わせの兵士たちの故郷を思う心情・・・。
演劇を志している人ならば、この書は必読ですよ。
何ゆえに「俳優」などという何の生産性も持たない職業が成立しているかを教えてくれる逸品だと思います。

ちなみに、この加東大介という人は画面からも伝わって来ましたが、そもそもがあまり人を悪く言わない人なんでしょうね。
絶望的な極限状態にありながら、悪い人、嫌な人が一人も出てきませんでしたから・・・。
その点は、映画「ラインの仮橋」と同じで、これだけを読むと勘違いする人も出てくるのかもしれません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-26 07:55 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

紳助の直感力の妙と事情を知る識者ほど判断を誤るの自慢
親愛なるアッティクスへ

昨日は連休でもあり、久々に読書三昧を思い立ちました。

e0027240_16591399.jpg本当はせっかくなら、小難しいことを考えずに、もっと楽しめる物を・・・とも思ったのですが、どういうわけか、どれを見てもどうにも食傷気味に思え・・・。
結局、大量の積ん読の中から引っ張りだしてきたのが、
佐々淳行著、「後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン”」でした。

佐々という人は私もたびたび、講演などを拝聴しており、確かになかなかに傾聴に値する人なのでしょうが・・・・・・・、同時に、とにかく自慢が多い(笑)。

謙譲を美徳とする日本人的には「もう、立派な人だとはわかってるんだから言わなきゃいいのに・・・」と苦笑するところもナキニシモアラズ・・・ではありますが、まあ、あれが欧米流なのでしょう。
ただ、そうは言っても、私は結構、講演がある時には足を運んでおりますので、意外に、控えめな私(?)とは馬が合う(?)人なのかもしれません(笑)。
で、まだ、読み終えたわけではありませんが、一点だけ、湾岸戦争の時、外務省の主流派を含め、政官財の識者は皆、「開戦は無い」と言っていたという件について。
(例によって、この著書の中にもこれでもか・・・というくらい自慢が出てきます(笑)。ここまで来ると、英雄の稚気・・・という気も。)
この時、著者だけが直接、アメリカに飛び、米政府の要職にある知己を訪ね、開戦間違いなしとの情報を得ていたとか。

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そんな中、出演したテレビ番組の放送開始前に、著者を含め少数派の開戦ある論者が、多数派の開戦ない論者から冷笑されるというやりとりをじっと聞いていた副司会者・島田紳助さんが、放送開始と同時に、いきなり、「この番組の放送中にも戦争が始まるかもしれません」と言ったことに、さすがの佐々御大もびっくりした・・・と。
おそらく、紳助さんの判断は複雑な情勢分析の結果・・・ではなく、識者らの談話を見ていて、何かを感じ取ったのだと思います。
恐るべし直感力・・・ですね。
(以前、橋下徹氏がまだタレント弁護士だった時代、クイズ番組で、「カナダの首都は?」という問いに、「橋下はモントリオールと書いとるはずや!」と喝破し、その通りだったことを思い出しました。)

ただ、湾岸戦争開戦は私でもわかりましたよ。(←自慢?(笑)。)
私は当然、イラクにも行ったことはありませんが、私が開戦必至と思った根拠は「武力で成り立っている政権は一旦、内弁慶であるということを国内に知られると立ち行かなくなる」ということで、だとすれば、フセインの方から撤兵するということは有り得ないし、アメリカ側も派兵する前にならともかく、派兵した以上、撤兵ということもありえないだろうと思った次第でした。
この点は、徳川幕府がペリーに頭を下げた途端に反幕府勢力が勢いづいたことを考えればわかりやすいでしょうか。
この点は、かえって、現地の実情などを知悉している方が本質を見誤るようなところがあるのかもしれません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-23 17:30 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

大河ドラマ「平清盛」に思うそれでも2つの疑問
親愛なるアッティクスへ

今年の大河ドラマ「平清盛」ですが、出だしは何だか陰気臭いばかりでまったく面白くなかったものの、中盤以降は割りと面白くなってきましたね。
結構、毎週、欠かさず見ていますよ。

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(↑青雲の志・・・ってやつですね(笑)。)

以前も申しましたように、織田信長が近世の扉をこじ開けた男・・・なら、平清盛は中世への扉を開いた男・・・と言って良いほどに魅力的な人物だと思っています。
(ちなみに、私のペンネームも平太清盛からとっています。もっとも、私が見たのは仲代達矢主演の方の清盛・・・ですけどね(笑)。)

で、後半の「平清盛」ですが、割りとよく出来ていると思いますが、どうにも首を傾げる所が二つ・・・。
一つは、武将同士が戦う場面で「やあやあ、我こそは・・・!」という名乗りが無いことですね。
大河ドラマ草創期の「義経」(数年前の「源義経」ではなく、「義経」ですね(笑)。)ではこの辺のことを牧歌的なまでに描いてましたが、まあ、当時は講談に親しんだ人たちが数多く見ていた・・・という背景があったのでしょう。
でも、そこまではないにしても、名乗りを上げるというのは何も敵に聴かせるわけではなく、味方・・・、特に上司に対する自己宣伝なわけで、実際、蒙古襲来の時は日本兵が名乗りを上げているところを攻撃され、多くの犠牲者を出したという話があるわけで、それがまったくないと言うのは・・・。

もう一つが、平治の乱のシーンで、待ちぶせしていた平氏軍が源氏軍に向けて矢を空に向かって放ち、重力を利用し、放物線を描かせて源氏の将兵を射殺する・・・というのがありましたが、そもそも、日本にああいう攻撃方法なんてあったんですか?
映画、「ラストサムライ」の時も同様の疑問を持ったんですが、あれって、ヨーロッパ特有のそれで、モンゴルなどにも無いんじゃないですか?
実際、「平治物語絵巻」でも武士は特定の相手を狙って、水平に射ているように見えますし、そもそも、日本の場合、集団戦じゃないわけですから、あれじゃあ、大将を射殺しても誰の手柄にもならないんじゃないですか?
つまりは講談世代が絶滅したので、ハリウッド世代に受け入れられるように演出が変わった・・・ということでしょうか。
であれば、数年後にはユーチューブか3Dに受けがいいような物に変わるのかもしれませんね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-20 18:35 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

日本最古の古代山城・基肄城。
親愛なるアッティクスへ

昨日、ちと、所用で佐賀県まで行ったものですから、ちと、肥前・筑前国境にまたがる基肄城(きいじょう)まで行ってきました。

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e0027240_14571333.jpg基肄城とは言うまでもなく、天智天皇4年(665年)、白村江敗戦後に大宰府防衛の目的で、基山(きざん)に築かれた日本最古の古代山城・・・ですね。
私は学校の遠足で来た記憶はあるのですが、何せ大昔のことですから、まったく記憶にありません・・・。
(まあ、白村江に比べれば最近ですけどね(笑)。)

で、なぜ、ここへ行こうと思い立ったのか・・・と言いますと、先般、対馬に行き、同じく当時の防人の城である金田城の息吹に触れたからでした。

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(上杉謙信が詠んだと伝えられる漢詩に「越山併せ得たり能州の景」というのがありましたが、思わず、「梁庵登り見たり基山の景」と・・・(笑)。)

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この城は、白村江の大敗の後、危機感を抱いた天智天皇が筑前国の大野城とともに亡命百済貴族に命じて建設したと言われる古代朝鮮式山城だそうですが、実際には城自体はもっと古くからあったのではないでしょうか。

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(↑遠く見えるのが福岡市内。ここからだと少し遠いように感じますが、このもう一つ向こうにも頂があり、そこに見張り台を置けば、博多湾に上陸した敵は一望の下に把握できるでしょう。)

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(↑城門の礎石でしょうか?結構、あちらこちらにありました。それから推察すると、かなり大規模な物だったように見受けました。)
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-19 06:44 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災より1年半・・・復興予算 19兆円の是非
親愛なるアッティクスへ

東日本大震災より一年半が経ってしまいましたね。

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e0027240_1631256.jpg実は私、6月に仙台に行ってきたのですが、その際、地元の友人に厄介かけて、一部でしたが、震災より1年3ヶ月が経った被災地の現状も見てきました。
ただ、せっかく復興に突き進んでいる東北に今更、イメージを損なうようなことを言う必要もなかろうと思い、その折は被災地の画像などは一切、アップしなかったのですが・・・。
昨日、今更ながらにNHK スペシャル「シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円」という番組を見て、気が変わりました。

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(↑この日は、「本当にここから、あの魔物が上がってきたのか」・・・と思わされるくらいに穏やかな海原でした。)

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この番組を見て、すべてがいらない予算だとは言う気はありませんが、少なくとも、一般会計でやるべきだというものはたくさんありましたよね。

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民主党政権自体、元々、「脱官僚」だなんて浮世離れしたことを言ってた人たちなんでしょうが、それでも事業仕分けなんてやってた人たちなんですから、こういう被災地以外で多額の予算が消費されることを見逃していたということ自体、もはや統治能力を無くしてしまっていると言われても仕方ないことのように思います。

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それでも、野田佳彦総理はよくやってると思ってましたが、最近はこの、良識的な人にも民主党の浮世離れが伝染したか・・・としか思えない、「らしからぬ」失策が目立つようになってきましたしね。

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(↑私が今回の訪仙でもっとも印象に残ったのがこれでした。震災から1年以上経って当時のバイクがまだ完全に片付いていない・・・。不謹慎ですが、私にはこれが死体置場に見えましたよ。)

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震災から1年以上が過ぎて仙台市内でさえ、まだこの状態ということを考慮すれば、何をか言わんや・・・・と。
もっとも、昭和の自民党政権だったら族議員の暗躍で結局は同じ事になっただろう・・・と思いますので、この点は、先の大戦前夜、国が滅ぶかもしれないという時に、まだ、予算の獲り合いに狂奔していた陸軍海軍の姿と重なるのかもしれません。
喉元過ぎれば熱さを忘れる・・・なのか、それとも近視眼的な日本人の体質なのか。
いずれにしても、被災地の復興がもっと目に見える形で進むべきだと思いますので、3ヶ月前の現状を報告させていただきました。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-14 18:10 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

国境の島 対馬紀行 その5
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

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対馬で民宿に泊まった翌朝、朝早く目が覚めましたので、近所をブラブラと散歩した・・・とは昨日申し上げた通りですが、港の近くではなかなか、趣がある建物(↑)を見つけました。
何屋さんでしょうか?

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思わず、前月に新潟県で見た五日町近辺の風景を思い浮かべました。
何度見ても、間違って駅を降りた五日市町の風景に見えるという・・・(笑)。

e0027240_16374092.jpgま、所詮は日本の景色はどこに行っても極端な差はない・・・ということなのでしょうか。

そんな朝の散歩中に見つけたのがこの(←)看板・・・です。
何故にここに福岡市の眼科の看板が?・・・と。
対馬出身の方か、あるいは何か縁がある方の宣伝のために・・・というにしては、六本松電停前という表記にはて?・・・と。
福岡市に路面電車が走っていた頃の地名ですから、確か、昭和53年以前のはず・・・。

e0027240_16313329.jpgさらに、電話番号の局番がまだ二桁なのを考えれば、やはり、昭和40年代くらいの物ではないかと。
でも、海の際に貼られているにしては状態が良いことを考えれば、あるいは今流行のレトロ看板・・・なのか?とも思いましたが、ボンカレーオロナミンCならともかく、福岡市辺りの眼科の看板というのがどうにも腑に落ちず・・・。
でも、この看板、六本松の人は結構、イイ値段で欲しがるんじゃないでしょうか?
(←昭和天皇御製の句だそうです。)

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ちなみに、前回来たときは船で博多港から入りましたので、泊まったところは比田勝港近くの民宿だったのですが、今回、ここを出てしばらくして、昨晩泊まったのが比田勝港だったことを知りました(笑)。

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で、こちら(↑)は通りがかったお宅で普通に見かけた庭先の風景ですが、一枚岩が至る所で普通に使ってあります。
加工がしやすいということもあるのかもしれませんが、結構、びっくりです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-13 17:22 | Trackback | Comments(0)

国境の島 対馬紀行 その4
親愛なるアッティクスへ

先日からの続きです。

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実は今回のメインイベントはこれ(↓)でした。

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朝鮮通信使を再現したアリラン祭りですね。
これがあっているから、宿もなかなかとれないという話で、実際、我々も民宿で雑魚寝でした。

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で、民宿周辺で見つけたのがこれ(↑)。
日露戦争の時の日本海海戦の、ある意味、「痕跡」ですね。
これを顕彰し、当時のロシア兵の遺族とも交流を図ろうとすることを考えておられる向きもあると聞き、思い浮かべたのがエルトゥールル号事件・・・。
明治中期にオスマン・トルコ帝国の軍艦が和歌山県沖で沈没した際、付近の住民が献身的に助けてあげたということにちなみ、今もトルコ大使が訪れるなどの交流が続いているそうですね。

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まあ、沈没戦争とではいささか状況が違うんでしょうが・・・。
でも、こういう活動こそが恩讐の彼方に押しやる第一歩ことになるのでしょうから、是非、頑張っていただきたと思います。

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                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-12 18:06 | 地域 | Trackback | Comments(0)

何も決まらないのは選択を誤るより弊害が大きい
親愛なるアッティクスへ

かつて、小泉純一郎総理は、政権担当中の最優先課題を自ら「郵政民営化」を掲げましたが、私はこれはこれで有りだったかなと思っています。
それは政策の是非ではなく、総理大臣にならん欲するほどの政治家は、政権をとってから国民の要望を聞いて政策を考えるのではなく、総理になる前から国家百年の計に鑑み、何がしかの持論の一つくらいはあってしかるべしだと思うからです。
ただ、一方で、あの時は「郵政民営化外国陰謀説」まで含め、色々な人が色々な立場で色々なことを言うのに少々、閉口気味でした。

この点で、私としては思い当たることがあります。
幕末薩摩藩維新主役となったのと対照的に、隣の肥後熊本藩は大幅に出遅れましたが、その要因として、「薩摩人は一旦、上に信頼する人(西鄕隆盛)を担げばその人に一切を預ける」のに対して「肥後人は一人一党主義で、それぞれがそれぞれに主張し、最後までまとまらなかった」ことが大きいと言われています。

無論、私も薩摩方式がベストだとは言いません。
もし、一旦、上に立つ人間がおかしくなれば、ネズミの集団自殺のようなことに成りかねないからです。
しかし、肥後方式最悪の選択肢だということは言い切れると思います。
肥後熊本藩士たちは、維新後、西南戦争においても、同様の軌跡を繰り返します。
それぞれに、それぞれの主張をしたことで、熊本県士族を挙げての行動には至らず、さらに、西鄕軍に加わった者たちも、それぞれにそれぞれの主張と思惑の元、少人数単位で参戦しており、これでは勝っても評価は小さく、負ければ抵抗のしようもないという・・・。
(その意味で、一番、ベターなのは長州方式でしょうか。それまで、散々、議論はしながらも、一旦、決定したことには異を唱えないという。)

「何も決まらないのは、下策を採るより弊害が大きい。」 というのはナポレオン戦役当時プロシアの参謀・クラウゼウィッツの言葉ではなかったかと記憶しておりますが、戦争中、プロシアはフランス軍と反仏連合軍の戦闘においてキャスティングボードを握る立場となったそうで、にもかかわらず、ナポレオンに付くか連合国に付くかで、散々、紛糾した挙げ句に、連合国側として出兵したときには、既に連合国軍敗走しており、結果、ナポレオンからは出兵したことを咎められ、連合国側からは「あいつが間に合わなかったばかりに負けた!」として軽蔑の対象となったと言います。
「決まらないのは、間違った選択をするより弊害が大きい」・・・。
改革も大英帝国衰退のプロセスを見るまでもなく、皆がそれぞれの主張をすれば、結局、何も決まらずに終わる・・・、如何でしょうか?
                                 平太独白
by heitaroh | 2012-09-11 07:00 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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