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こんなことやってる場合じゃないんだけどの秋芳洞の旅
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15372278.jpgこの夏、あまりにも忙しすぎて、どこも行ってなかったのに気づきました。
で、夏休みも終わろうとしているので、むちゃくちゃな多忙さの中ではありますが、今年の夏は今年しか無いからな・・・と思い、ガキ連れてどこかへ行こうと・・・。
ところが、今時のガキは忙しすぎて、朝は10時頃にしか帰ってこないが、夜は19時には帰ってこなければいけないなどという・・・。

やむを得ず、10時半頃から車を出して、ここ(←)行ってきました。

最初、熊本城行って阿蘇から温泉行って・・・と思っていたんですが、時間的にとても無理・・・と思い、とりあえず、阿蘇方向に向かったところ、折からちょうど台風の影響で強風が吹いており、車のラジオを聞いているうちに「そうだ、考えてみれば何も台風が来てる方向に行かなくてもいいんだ」と気づきました。

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その時、私は既に都市高速経由で大宰府インターのゲートをくぐっており、その瞬間、私の目に入ってきたのは「←山口」「熊本→の看板・・・。
「どうする?台風に近い熊本に行くか?」とガキどもに聞きましたが、聞かれた方もとっさのことで誰も答えられない・・・。
そう言っているうちにも目の前に分岐が迫ってきて、その刹那、「よし、山口に行こう!」・・・と(笑)。

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山口だったら、台風の円からは遠くなる・・・と思い、とっさの判断だったんですが、1インター分遠回りしたわけで、後でよく考えたら時間も金も高く付いたな・・・と。

e0027240_16142071.jpgでも、台風域より100kmくらい離れたので、現地では風こそちょっと強かったものの、天気は割りと良かったし、何より、ここなら雨が降っても関係ないわけで、ま、それはそれで正解だったな・・・と。

で、ここが秋芳洞・・・です。

私の記憶では下の洞窟は秋芳洞で「しゅうほうどう」、上のカルスト台地秋吉台「あきよしだい」・・・と思っていたのですが、今では、洞窟も「あきよしどう」・・・になってるみたいですね。

ちなみに、町の名前はまだ、しゅうほうちょう・・・のうようでしたが(笑)。

で、昼飯はこちら(↓)。
カルスト洞丼・・・だそうです(笑)。
「カルストどうどん」・・・かとおもいきや、なぜか、「カルストほらどん」と読むんだそうです。
ほらに
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あきよしだいにしゅうほうどうにあきよしどうにしゅうほうちょうにかるすとほらどん・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-28 16:33 | 地域 | Trackback | Comments(0)

「こうやって 今年の盆は 明けにけり」
親愛なるアッティクスへ

今年の盆もついに終わり・・・。
一昨日、久々の独身生活を謳歌すべく、勇躍、独り、居酒屋の暖簾をくぐるも気がつけばいささか痛飲しいつもの泥酔。

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昨日は午前中は二日酔いで動けず、午後から何とか仕事に行くも、夕方から眠たくて眠たくて、酒も飲まずに、ローソンのポンタ唐揚げ食って(ポンタ君って・・・結構、好きかも(笑)。)風呂入って、さっさと布団に入ったら今度は一転、なぜか眠れず・・・。

e0027240_15454610.jpgやむなく、夜半よりおもむろに昨年来撮り溜めしたままになっていたビデオ、「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」を見る。
両方共、それなりに面白かったが、特に「踊る大捜査線」は一番最初のやつに少々、思い入れがあり、劇中の「あれから13年」ということにも少々、感慨を抱く。

(←「先達が
  逝きて眺むる
   盆提灯」
    梁庵平太)

13年前、正月4日の午後3時頃・・・、年始回りを終え、取引先から出てきたところで、ばったりと知己と会い、「どうする?」ということに・・・。
厳粛なる鳩首会談の結果、中洲もまだ開いてないということで、「映画でも見に行くか」ということになり、見たのがこのシリーズの映画第一作となる「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間」・・・。
主演の織田裕二くんの「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」という名言は男の魂に響きましたね(笑)。
当然、終演後も興奮冷めやらず、そのまま、中洲で深夜まで一戦仕り候。
当時は私もまだ、30代・・・。
いやいや、み~んんな若かった。

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もっとも、13年後の現実はそれほど甘くはなく、おかげで今朝は、目が覚めたら11時。
こんなに朝寝坊したことはここしばらく、記憶が無いなあ・・・などと悠長なことを言っている場合ではなく、12時に奇しくも、13年前にご一緒した知己と久々に会食する約束をしており、慌ててシャワー浴びて、着替えて車に駆け込む。
まあ、今日までは休みの延長みたいなものだから良いんだけれど・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-16 17:35 | 音楽芸能 | Trackback | Comments(0)

国境の島 対馬紀行 その1
親愛なるアッティクスへ

今月初め、訳あって国境の島、対馬に行ってきました。

e0027240_1592425.jpg実は、対馬に行くのは2度目だったのですが、前回は家族旅行でして、あまり自分の歴史趣味ばかりを押し通すというわけにもいかず(既に押し付けていたかも(笑)。)、機会があれば是非、同好の士と行ってみたいと思っていたところにお声を頂戴した次第でして・・。
と言っても、今、本当に寝る間も惜しむほどの多忙さの中にありますので、どうしたものか随分考えたのですが、やはりこういう機会は行ける時に行っておかないと・・・と思い、博多駅の屋上(?)から飛び降りるつもりで決めました(笑)。

対馬は戦前は帝国海軍の管理下にあり、軍道以外は勝手に道も作れなかったのだとか。

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従って、戦後になって一般道が敷かれだしたのだそうですが、でも、昔、私が行ったときは、レンタカー借りて、「カーナビは?」と聞いたら、「対馬にそんなに道はありませんから」と言われましたが、今回はしっかり付いてましたから、ここ数年で増えたのかもしれません。

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   「夏空を 我が物顔で 鳶が舞い」 梁庵平太

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ちなみに、その為、軍の関係で結構、広島からの移住者が多いそうですが、おそらくは呉鎮守府の関係だったのでは・・・と。
なぜ、佐世保ではないのかはわかりませんが。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-15 18:04 | 地域 | Trackback | Comments(2)

冬が文明と国家を作った・・・
親愛なるアッティクスへ

当方、最近、訳あって少々、多忙にしております。
まあ、それはそれで適度な肉体労働は健康にも良いのですが、改めて感じたことがあります。
それすなわち、「人間は本来、自らの身体を使って生活するように出来ている」・・・ということです。
当たり前といえば当たり前のことなのかもしれませんが、やはり、こういう生活をしてみるとホワイト・カラーなどという物が、人間本来の姿に対する欺瞞・・・であるかのような気さえしてきます。
ただ、その一方で、特にパソコンが普及した現代社会では、多忙すぎると、一日中、誰とも顔を合わせない日もあるわけで、今のような生活を送ってみると、改めて、「自分は市井の中に居るべきだ」・・・ということを痛感したりもします。

こういうと、「あいつは本当は寂しがり屋なんだ」などと言われそうですが、それとはまったく次元が別の話で、つまり、寂しい云々ではなく、「人は本来、外敵に襲われることが前提で身体が出来ている」・・・ということです。
すなわち、人は絶えず、新しいストレスを感じていることが前提で身体が作られているのではないか・・・と。
だからこそ、新しいストレスを受けないで良い状態になることになると、人は呆けたり、新たなストレスを作ろうとするのではないか・・・と。
まあ、私の場合、元々、ネガティブな人間ですから小人閑居して不善を為す・・・ということでご理解ください(笑)。

で、この点で、最近、気に入っている言葉があります。
経営の神様と呼ばれたパナソニック創業者、松下幸之助翁の「好況良し、不況また良し」という言葉です。
私も、現在の不況で少なからず追い込まれている身ですが、ある意味、この不況は私に「冷水」を浴びせかけてくれたと思います。
人は「危地」に追い込まれてしまえば、ストレスがどうのとか言ってられないですからね(笑)。

その意味で思い浮かぶのが、「温帯で文明が発達したのは冬があるからだ」という説です。
つまり、は何だかんだ言っても、山に入ればそれなりに食物にありつけるし、川や海に入って獲物を獲るのも楽だけど、食物が乏しく、捕食に厳しいはそうはいかない・・・と。
だから、昔は、その冬をどう乗り切るか・・・は大変な課題であり、人は冬の間の食物を確保しようとし、各人がそれまでに確保してきた食物を奪われない為に共同体を作り、リーダーを選出し、それが文明を作り、やがて、国家を作った・・・と。
まあ、インドメソポタミアなどを温帯に入れて良いのかという気もしますが、「冬」というストレスが人類発展の礎を築いたと言われれば、なるほど・・・という気もしますね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-10 06:08 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

改革者に最も必要な要素「辛抱」
親愛なるアッティクスへ

「隈板の 轍は踏まじと うば桜」 梁庵平太

これは、確か、自社さ連立政権当時だったと思うのですが、村山富市社会党内閣から橋本龍太郞自民党内閣への禅譲続貂?(笑)。)があったときに詠んだ句でした。
隈板(わいはん)とは明治の大隈重信板垣退助連立内閣の通称ですが、この二人、連立を組んですぐに不和が表面化し、結局、短期間でで崩壊したらしいですね(笑)。
(姥桜と桜を季語に引っ掛けたわけですね。季節がいつだったか忘れましたが、これが季語として正しかったのかどうかは定かではありません(笑)。)
もっとも、昨今を顧みれば、小泉純一郎元総理以降は踏む轍すらないようですが・・・。

そういえば、当時、経団連会長から「小泉改革15点」とか酷評されていましたよね。
理由は、「改革のスピードが遅い」って。
でも、改革ってそんなに右から左って感じに簡単にできるものじゃないでしょ。
その意味では、改革者に最も必要な資質は決断力でも想像力でもなく、「辛抱」ですよ。
この点で、小泉さんに限らず、現代の先進国の指導者は何だかんだ言っても専制君主でもない以上、ひたすら「辛抱」が求められるようです。
もっとも、君主だからといってなんでも出来たと思うのは大間違いで、この点で、春秋戦国時代の趙王の話を思い出します。

趙は古代中国の「戦国七雄」と呼ばれた群雄の中でも北方にあったことから遊牧騎馬民族に接する機会が多く、彼らが馬を自由に操るために使っている服や道具に着目した趙の武霊王は自軍騎馬部隊にその導入を提案したところ、「あんな蛮族どもが付けているような物を!」ということで親族や貴族たちから轟々たる反対が起こったとか。
これに対し、王ははどうしたか。
問答無用で反対派を粛清した・・・わけでもなく、自案を撤回したわけでもなく・・・、粘り強く、辛抱強く、時間をかけて反対派を説得したんですね。
その結果、これを導入した趙軍の軍事能力は飛躍的に向上し、周辺諸国を席捲するほどになった・・・と記憶しております。

昨今の日本では、高度成長時代以前に創業された企業などでは、昨今の情勢に適応すべく、少なからぬ企業で「改革」の必要性が叫ばれているようですが、いずこも、社内での抵抗勢力の妙な意味の無い手強さ(?)隔靴掻痒の感を深めておられるのではないでしょうか。
ましてや、国家のように複雑巨大な組織体ともなれば、利害は入り組み、抵抗勢力も多岐にわたり、性急な改革は弊害の方が大きくなることから、政権担当者としてはそうそうむやみにスピードアップは出来ないと思います。
                                平太独白
by heitaroh | 2012-08-09 07:03 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

越後路紀行 上越嘉悦下越上悦 その6 青苧と御館
親愛なるアッティクスへ

前回の続きです。
本当は前回でこのシリーズも終わりのつもりだったのですが、画像が余ったので・・・ついでです(笑)。

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まず、こちらの植物ですが、何の変哲もないそこら辺の植物・・・ではなく、これこそが上杉謙信軍事力を経済面で支えたカラムシという植物です。

春日山城麓の埋蔵文化財センター前にありました。

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(↑春日山城通路です。)

軍事面ばかりが強調されがちな上杉謙信ですが、彼には意外にも財政家としての一面があり、彼は帝国陸軍の指導者などと違い、度重なる戦争を行うための財源を捻出することをきちんと考えてました。

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(↑春日山城中腹より見た麓の平野)

中越地方の特産品として知られていたカラムシから算出される「青苧」は京都などの権門勢家に珍重された衣類・越後上布の原料として、珍重されており、謙信はこれを専売化することにより、莫大な利益を上げており、それを持って軍事費の財源としたわけです。

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(↑春日山城裏。今では表になってますが。)


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んで、最後が電車マニアの写真・・・ではなく、謙信の死後、後継争いを巡って謙信の甥、上杉景勝と姪婿、上杉景虎との間で勃発した内乱、「御館の乱」の現場となった御館城があった場所より見た春日山城です。

つまり、両者とも、お互いの動きがすぐにわかるような距離で戦闘を繰り返していた・・・ということですね。
春日山城に籠った景勝はともかく、この御館に籠った景虎はどうしてこんな所に本拠を構えたんだ・・・と。
おそらくは、軍事的なものよりも、どうせ自分に味方してくれる者たちが多いに違いないという慢心があったように思えてなりません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-08 07:24 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

越後路紀行 上越嘉悦下越上悦 その5 林泉寺
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

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新潟県上越市にある春日山城・・・。

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(↑復元模型です。往時は樹木をすべて伐採してしまいますから、こんな感じです。遺跡保護の観点に立てば、樹木により遺跡が破壊されるのは困るのでしょうが、自然保護の観点から見れば元々が環境破壊なわけで・・・。難しいところです。)

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で、春日山城に別れを告げ、麓の林泉寺へ。

e0027240_12201677.jpg林泉寺は、越後国守護代・長尾氏の菩提寺であり、その後、謙信が長尾氏から上杉氏を継いだことにより、上杉家の菩提寺ともなった曹洞宗の寺院です。
天文5年(1536年)、当時、7歳の虎千代(のちの上杉謙信)はここに預けられ、六世住職・天室光育から学問を学んだとされています。
やがて、父、長尾為景の死と同時に呼び戻され、14歳で、元服。
景虎と称し、元亀元年(1570年)に剃髪、不識庵謙信と号した・・・と。

で、謙信は当初、ここに埋葬されたとは聞いていたのですが、私がむしろ、驚いたのは堀秀政の墓があったこと。

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織田信長門下で名うての戦上手として知られ、信長死後は豊臣秀吉傘下として手腕を発揮した人物で、小田原征伐後、徳川家康を牽制すべく会津に移封されるところであったが急死したので、代わって越後から上杉氏が移されることになった・・・と聞いております。
もし、彼が生きていれば、上杉家の会津転封もなかったし、蒲生氏郷なども出番がなかったと思われ・・。
今では、その子孫は上杉家と交代で越後に封じられ、ここにこうして墓がある・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-07 07:26 | 地域 | Trackback | Comments(0)

越後路紀行 上越嘉悦下越上悦 その4 春日山
親愛なるアッティクスへ

ついに今日から8月。
台風も来ているようで、福岡県地方では午後から少し風も出てきました。

ということで、このシリーズです。
本当はもう少しキメの細かい物を書きたかったんですが、とにかく、最近時間に追われておりまして・・・。

e0027240_1626585.jpgそんなこんなで直江津の夜はふけ・・・ていきましたが、前回も申しました通り、この街は何かしら、博多とは違うんだけど、博多が失くした何かがまだ残っているような良い感じの街でした。
で、聞けばさもありなんで、ここは空襲にあってないんですね。
おまけに戦後の再開発の波にも洗われておらず、戦前の地方都市の原型が残っていると。
(←ホテルのフロント前に飾ってあった甲冑。レプリカかと思っていたら、結構、由緒正しいようなことがかいてありました。)

つまり、私が生まれた福岡市下人参町の原型を見た気にさせられるような街でした。

で、翌日、ホテルをチェックアウトした後、JR直江津駅から一駅の所にある春日山駅へ。
春日山といえば、言うまでもなく、上杉謙信の居城ですね。
で、勇躍、駅を出てそこへ向かったのですが・・・、朝飯のコンビニおにぎりが悪かったのか、はたまた、コンビニがお箸をくれなかったからカップ味噌汁を食べるのにホテルの部屋にあったトングで食べたからか、朝飯食ったらいきなり具合が悪くなってきて、春日山についても一向に治らず、途中、たびたび、吐き気に襲われながらの登山でした。
しかも、この城、基本的に車で来る人を対象にしているみたいで、歩いてくる人にはまったく不親切なんですよ。

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駐車場の手前に「こちらが大手道です」と書いてあったので、そちらに曲がったら完全な私の貸切状態(笑)。

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しかも、途中から道無き道を行く・・・みたいになり、具合悪いのに酒臭い汗を滴らせて、さらに、しばらく迷子になった後、ようやく本丸へ。
なのに、本丸に着いたらいきなり、人がたくさんで、皆、どこから登ってきたんだ・・・状態。

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(↑春日山城本丸跡より直江津方向を臨む。)

帰りは人が上がってきている方向から下りたら、こっちは「おもてなし隊」はいるし、完全な観光地・・・。
(マニアとしては、こういうのが一番苦手・・・。頼むから、そっとしておいてくれ・・・と(笑)。)

もう一回くらい続きますよ・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-08-01 07:06 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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