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越後路紀行 上越嘉悦下越上悦 その3 直江津
親愛なるアッティクスへ

今年の七月は本当に忙しかったです。
締め切り8月頭なんだけど、到底、間に合いそうもないよな・・・。

ということで、本当はこんなことやってる場合ではないのですが、このシリーズの続きです。

坂戸山を出て、六日町駅より一路、直江津駅へ・・・。
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昭和男の九州人としては、新潟で有名な都市としては「新潟、長岡、柏崎、直江津」・・・と習ったような気がしていたのですが、この中で直江津だけは早い時期に高田と合併し、上越市になってたんですね。
おそらく、私が「直江津」と習ってからすぐに上越に変わったのかな・・・と思っていたら、合併は昭和46年(1971)4月だそうですから、私が小4の時・・・。
地理を習うのは確か、小5だったと思いますから、この時点ではまだ九州まで情報が来てなかったんでしょう(笑)。
冗談みたいな話ですが、まあ、当時のことですから、教科書の改定などもそう頻繁にはやってなかったと思われ、おそらく、その時点では上越市は成立していても教科書に反映されたのは数年後だったと・・・。

で、直江津に向かう電車の中で見たのがこれ。
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トンネルが多いそれを逆手に取った見事な演出・・・というのはわかるのですが、私が乗った方の車両は故障中で「見たい方はそちらの車両へお移りください」とアナウンス・・・。
こちとら坂戸山を歩きまわってくたくたなのに、もう動きたくない・・・と思ってたら、こちらは読書灯も点かない・・・。
まあ、牧歌的といえば牧歌的だけど、そんなの乗車前にアナウンスするとかしろよ・・・という気も。
こっちはこの次はいつ乗るかわからない身の上なんだから。

で、そんなこんなでようやく着いた直江津。
ホテルにチェックイン後、独りで散策がてら夜の街へ・・・。

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私は結構、この街の雰囲気、好きでしたね。
作り物でない感じがして。
できれば、1週間くらい港近くの安宿に泊まってあっちこっち出歩いてみたい・・・という気にさせられました。
で、そんな中の一軒にぶらりと入ったところが、これがまた、正解・・・、今まで食った中でも、最高の部類でしたね。
いやいや、美味でした。
日本海の味覚、恐るべしって感じで。

ということで続きはまた次回。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-30 16:27 | 地域 | Trackback | Comments(0)

越後路紀行 上越嘉悦下越上悦 その2 
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

私が六日町駅を目指した目的・・・、それは坂戸山に行きたかったからでした。
坂戸山にはかつて城があり、上杉景勝、直江兼続の故郷にして、上田長尾氏の居城だったところですね。

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下は上杉景勝の父、長尾政景宇佐美定満と池の上に船を出して酒を飲んでいるうちに口論となり、舟が転覆して溺死した・・・と言われている坂戸城近くの池です。
一説によると、事故現場は信州、つまり長野県の池だったという説もあるようですが、車もない時代、わざわざ、長野県まで行かないだろうと思いますので、私はこの池だったんだろうと思いました。
今は公園として整備されてましたけど、往時を思わせる一隅はこんな感じだったでしょうか。

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で、行きたかった所がもう一つ。
大軍を率いて越後に侵入してきた関東管領 山内上杉顕定上杉謙信の父、長尾為景の逆襲に遭い戦死した地、長森原・・・です。

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今ではこんな風にしっかり、公園として整備されているようですが、まさしく、兵どもが夢の跡・・・ですね。
謙信の父、長尾為景は越後国守護代、つまり、守護の代理だったわけですが、その越後守護が上杉家だったわけで、つまり、為景は越後守護を討ち、その兄で復讐に燃えて侵入してきた関東管領山内上杉顕定をも討ち取ったわけで、下克上の走り・・・とされている人物です。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-21 18:14 | 地域 | Trackback | Comments(0)

越後路紀行 上越嘉悦下越上悦 その1 五日町下車
親愛なるアッティクスへ

e0027240_17243044.jpg今、むちゃくちゃ多忙なのですが、訳あって新潟県に行ってきました。
新潟には何度か行ったことがあったのですが、今回の目的地は上越市の方でして・・・。
これが博多からだと遠い遠い・・・。

(←九州人としては、こういう看板はそれなりに・・・新鮮・・・でした(笑)。新潟の友人にこの看板の話をすると、皆、少し不思議そうな顔をします。九州に野生の熊は居ないということを知らない人が多いみたいで、これまた新鮮でした(笑)。)

新幹線、高速バス・・・、色々考えた結果、格安航空会社のFDAを使って一旦、新潟市入りするコースで行ってきたのですが、そうなると夜に入って朝帰る時間帯しか無いもので、2泊余分に泊まらないといけない・・・。

e0027240_17181164.jpgところが、新潟市と上越市というのは同じ県でも新潟県が南北に長い形をしているものですから、距離に直すとこれまた遠い遠い。
120kmくらい離れているそうで、高速バスで2時間・・・と言われました。
で、やむなく、新潟で一泊し、翌朝、電車に乗り、六日町駅で降りるつもりが間違って五日町駅で下りてしまいました。

この五日町駅というのが、また、見事に昭和の残影を遺した街でして・・・。
(←光速エスパー・・・知ってる人いるんでしょうか。)

んで、次の電車は・・・と聞いたら2時間後しか無いと言われ、歩こうか・・・とも思いましたが、荷物が重たくって断念・・・。

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ただ、新潟の上越付近は数年前の大河ドラマですっかり、観光地になってしまったようで・・・。

次回、続けば続く・・・と思う。何せ、多忙なもので御免候え・・・。

                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-20 17:35 | 地域 | Trackback | Comments(0)

大津市いじめ事件に見るいじめる側に現実を伝える指導
親愛なるアッティクスへ

今、大津市立中学2年の男子生徒が自殺した問題・・・。
確かに学校大津市教育委員会の対応などは酷いですね。
なんか、「いじめ件数に数値目標を設けているから、学校側はいじめを隠蔽しようとする」・・・という話も聞きましたが、こんなのに目標数値なんて設ければこういう本末転倒みたいなことになりますよ。
ただ、私が使っているネットのスタートページに毎日、ユーチューブが提示されるのですが、何気なく見ていたらそこに「大津いじめ問題云々」という言葉が見え、「?」と思い、見てみたら、いじめた側の子供の名前から顔写真から自宅の住所玄関画像航空写真親の氏名職業から転校先、転居先、担任の顔写真から自宅住所ナドナドまでがずらずら~っと出てきたのには驚きました。

私は、別に彼らを擁護するつもりはありませんよ。
子供だからって何しても許されるってわけではないですからね。
それを放置しておくことは次の犯罪を誘発することになるわけですし。
ただ、ここで言いたいのは、それって間違いないのか?・・・ということです。
間違いなかったとしても、その場にたまたま居ただけ、仲間じゃないのに周囲から仲間だと思われている・・・なんてことはないのでしょうか?
それに、子供の世界では、とかく、むりやり「おまえもやれ!」なんてこともありますし、それを拒否すると、今度はイジメられていたその子がいじめ側に加わっていきなりこちらに牙をむいてくる・・・なんてこともありますよ。

この点で、教育現場はもっと、彼ら加害者側に現実を伝える指導をすべきだと思います。
私なら、彼らに向かって、こう言います。
「君たち、日本という国をなめてはいけない。君たちが思っているほど、この国は優しい国じゃない。いじめられていた子が自殺し、イジメていた実態が明るみに出ると、イジメていた人たちの家には毎日、マスコミが押しかけてきます。名前は、どこからか漏れて、毎日、昼も夜もいたずら電話がかかります。親も仕事ができなくなり、一家離散します。
さらに、数年後、バス停で立っていたら、誰かが、『あいつだよ』などと言ってると思ったら、見知らぬ人から突然、蹴られます。次に、就職しても、そういう過去がばれたら会社には居づらくなります。日本は、そういう国なのです。」と言います。
後は、各人、自分で判断しなさい・・・と。

もっとも、教育の世界でも「寛容」「懲罰」はどちらかに偏ってはいけない、並立すべき二本の柱だと思いますが、この点でも、子供というものは善というものだけを見せておけば善人に育つ・・・という事が、今の教育の教是になっているような気がします。
「カチカチ山のたぬきさん」グリム童話にみられるような、本来、残酷な話、グロテスクな内容というものはすべて、皆、「最後は仲良し」みたいな結末に書き換えられように記憶しておりますが、実際、私も、子供の頃、きれい事ばかり言う教育というものを心の底から軽蔑してましたよ。
それらを踏まえた上で、「働かなかったキリギリスさんは、助けを求めた蟻さんに殺されて食べられてしまいました。そうなりたくなかったら、皆さん、一生懸命、働きなさい」・・・と教えるべきでしょう。
子供には、それをきちんと把握する能力があると思いますから。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-18 07:40 | 教育 | Trackback(2) | Comments(6)

雨よく降ります
親愛なるアッティクスへ

本当に雨、よく降ってます。
色々な方からご心配戴きましたが、幸いにして今のところ、我が家には特に被害はありません。
ただ、2年前だったかに一度水没したことがあり、なーんかその時の感じに似てきたなぁ・・・という気もしております。

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(↑近所の風景です。池の水位が相当に上がっています。普段は露出している樹木の根元部分が完全に水没していますから・・・。調整池なんですが、もう、かなり一杯一杯みたいな・・・。)

福岡市は人口の割に安定した水源を持たないため、ちょっと雨が降らないとすぐに渇水になったりするのですが、こう、降りすぎても困ります・・・。

                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-16 18:06 | 地域 | Trackback | Comments(0)

AKB48のAKB商法は何も今に始まったことではない
親愛なるアッティクスへ

今、テレビで見ない日はないというくらい芸能界を席巻しているAKB48ですが、残念ながら、私は「顔と名前が一致するのが4人~8人」の48でして・・・詳しいことはわかりません。
アカン・顔・バイバイ4~8でAKB48?(笑)。ていうか、すでにモーニング娘。の時点でそういう状態でした。おニャン子クラブまではわかったんですけどね(笑)。)
そのAKB48ですが、ここまで来るには仕掛け人である秋元康氏の様々な販売戦略があったことはよく知られてますよね。
その一つがメンバー全員にファンからの投票で順位をつけるAKB総選挙ですが、選挙自体はファンにも本人にも一目瞭然になるという意味では悪いことではないと思うんですよ。

秋元氏はその総選挙を始めた経緯について、「当初は誰をどこにどうするかは私が決めていたが、そのうちファンからその結果について異論が相次ぐようになり、『ならば、はっきりするように』ということで、総選挙をやるようになった」という意味のことを仰ってましたが、確かにその辺の選考過程が「数字」として現れるというのは本人たちも含め、誰の目にもはっきりしててフェアで良いのではないかと。
(もっとも、順位なんて物はそもそもが相対的な物、つまり、下位の人がいるから上位の人がいるわけで・・・。劣等生だった私などはいつも思ってましたよ。「俺達がいるから上位もいるんだ。有難く思え・・・」と(笑)。)

ただ、「投票権欲しさにCDを買うことで売上は大きく上がる」という、いわゆる、「AKB商法」と呼ばれるCDの販売方法については如何なものでしょうか?
経済原理の上では間違っていないのかもしれませんが、問題は誰もが皆、このやり方を踏襲していくことになるのではないか・・・ということです。
その結果、内容の伴わない楽曲が多くなり、皆がこのシステムに飽きてきた頃には本物が育っていない・・・ということになるのではないかと。
(投票券欲しさにCDを買って、CDは捨てるというケースもあったそうですが、思わず、昔の「仮面ライダースナック」を思い出してしまいました(笑)。あ、私はちゃんと皆が捨てた分まで食べてましたよ。食い物を粗末にすると死ぬほど殴られた家で育ちましたから・・・。)

ただ、秋元氏はこの投票券購入システムは自分が創造したと仰ってましたが、実は結構、早くからあり、明治30年代には河北新報を起こした一力健治郎氏が経営難打開の為に「県内実業人番付」を新聞紙上に発表するとして投票券を新聞紙面に載せ、プライドが高い名士らが競って新聞を購入したことで業績立て直しに一役買った・・・とか、同時期に、大阪毎日新聞桐原捨三氏が大相撲の優勝力士予想投票に、同じく、投票券を紙面に載せて売る作戦で販売部数を大きく伸ばした・・・などという話も聞いております。
ちなみに、大阪毎日新聞の場合、ライバルの大阪朝日新聞は「新聞の品位を落とし、人心を惑わす企て」として激しく批判したと言いますが、今のAKB商法批判についても結局、言いたいことはそういうことなんじゃないかと・・・。
まあ、その意味ではこの新聞拡販戦略は今ではどこもやってませんから私の心配は杞憂に終わると思いますが・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-10 20:14 | 経済・マネジメント | Trackback(1) | Comments(2)

チャップリンと安政生まれの団琢磨と中国では出せない名前
団 琢磨という人物をご存知でしょうか。
現代では、むしろ、作曲家・団 伊玖磨氏の祖父として知られているようですが、簡単に触れておきますと、安政5年(1858年) 、筑前福岡藩の中級武士の家に生まれ、明治4年(1971年)、13歳に随行し、そのまま7年間、マサチューセッツ工科大学で鉱山学を学び卒業後、帰国。
東京帝国大学等で教鞭を執った後、三井炭鉱(福岡県大牟田市)へ転じ、明治21年(1888年)に三池鉱山が政府から三井財閥に売却されたときには、「私は三池炭坑に入ったのであって、三井が買収した以上、ここに留まるのは筋違いである。」と言って去ろうとすると、三井側は慌てて、「この買収代金には貴方も入っている」と言って引き留めたとか。
彼が、この時点で、すでに一介の技師ではなかったということが読み取れるでしょうか。
その後、大正3年(1914年)、三井財閥総帥にまで上りつめるも、昭和7年(1932年)、世界恐慌と満州事変の動乱のさ中、右翼団体のテロにあい死去。

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祖父が暗殺されたとき、伊玖磨少年は7歳だったそうで、晩年、往事を振り返って、「昭和恐慌の不安が子供ながらにも伝わり、軍国主義の臭いが強くなっていく象徴が、祖父の〝理由の分からない死″だった。」と述べておられました。
次いで、「音楽が楽しいからではなく、祖父が百年先を見据えて三池港を築港し、近代鉱山学を樹立したように、日本人の心に埋まり開発されていない音楽を見つけたかった。」・・・と。

ちなみに琢磨翁は安政の大獄で有名な安政年間の生まれですが、実は大正15年没の私の高祖父(大工)も安政生まれでして、で、思い出したのが、あのチャップリンの映画が大正14年に公開されたときのポスターの中の文句に「天保生まれの祖父母にも楽しめる!」と記載されていたことです。
計算してみたら、このとき天保生まれは80歳~95歳。
つまり、天保年間は15年もあったわけで、従って高杉晋作坂本龍馬など幕末の主役となった人たちの多くはこの天保年間の生まれだったわけですね。
でも、高杉や坂本の同級生はチャップリンを見ていた・・・と言うのも、ちょっと意外な気もします。

余談ながら伊玖磨氏は、新字体による「団」という表記を激しく嫌っており、この表記による郵便物を一切受け取らなかったとか。
ところが、中国では「團」という字には卑猥な意味があるそうで、北京では「先生の名刺は女性には見せられません」と言われ、制作に関わった中国映画が公開されたときのテロップには「音楽 段伊玖磨」と出されていたとか・・・(笑)。
ちなみに、この中では「團琢磨」では人名なのか何なのかわからないと困ると思い、すべて、「団」で通しました。
泉下の團さん、お許しあれ!
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-07-09 07:47 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

歴史の教科書の半分が近代という配分は如何なものか・・・
親愛なるアッティクスへ

今日から7月ですね。
毎年のことではありますが、さすがに、もう、一年の半分が経過したかと思うと少し焦ります。
昨日は今年初めて冷房を入れて寝ましたしね。

ところで、昨日、ちと中学生の歴史の教科書を手にとってみたのですが、数年前に見た時でもすでにびっくりでしたが、今の教科書は凄いですねぇ・・・。
もう、昔の無味乾燥な見てるだけで気が滅入りそうな教科書とはまるで別物ですよ。
教科書自体カラフルだし、絵とか図解入りで説明してあるし、もう、昔の参考書以上の上げ膳据え膳状態・・・。
子供に何とか興味を持ってもらおうとあの手この手で歓心を買う・・・、いや、関心を引こうとしているのはわかるのですが・・・。
いくら今の子供の学力が低いからって、そこまで媚びなくても・・・という気もしないでもないような・・・。

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で、それとは別に驚いたのが歴史の教科書のうち、半分が近代なんですね。
我々の頃は、まあ、世代的に教えている側の人たちもあまりその辺は触れたくなかったんでしょうね。
試験には殆ど出ないし、出ないからなおさらなおざりになる・・・。
しかもちょっとしか載ってないし、最後の方になると、「授業時間が足りないのでここから後は自分たちでよく勉強しておくように」で終わってましたからね。

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その辺も踏まえて、まあ、近代の日本の侵略の歴史をきちんと教えて来なかったという外国からの批判に対する反省からなのかもしれませんが、それでもいくらなんでも近代が半分を占めるというのは行き過ぎなんじゃないですか?
だって、2000年の日本の歴史うち、時間に直せばたかだか100年程度、1/20の世界ですよ。
バランスを考えれば、いくら重点的に教えるとしても、せいぜい1/4くらいで良いんじゃないですか?
                                 平太独白
by heitaroh | 2012-07-01 17:35 | 教育 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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