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有田なう
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15133915.jpg有田焼で有名な佐賀県有田に来ています。

焼き物のことはさっぱりわからないけど・・・、有田陶器市には一足早いけど・・・、訳あって、なぜか、ここ(←)にいます。

今から帰ります。
                            平太独白
by heitaroh | 2012-04-27 15:13 | その他 | Trackback | Comments(0)

大河ドラマ「平清盛」での中井貴一くんは史上最高長生き?
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14363657.jpg見てるのは見てるけど、殆ど早送りでしか見ていない、今年の大河ドラマ「平清盛」・・・。
内容的には、「おんな太閤記」以来、大河ドラマに増えた女目線の現代人価値観押し付け路線とは一線を画しており、「悪くない」はずなのに、なぜか、「お江」と同じように早送り状態・・・。
何がいけないんだろう・・・と自問自答しつつも、決定的に「これ!」というのは見つからず・・・。
(←壇ノ浦。)

「関門の 
  風に問いたや
   春何処」
  梁庵平太


e0027240_14455822.jpg
(↑平 知盛の墓だそうです。)

e0027240_14471810.jpg私は現代人の勧善懲悪の価値観を押し付けるつもりはありませんし、それ以前に、歴史的にも、キリスト教的倫理観が入ってくるはるか前ですから、人間関係というのは実際にあんな物だったのかもしれませんが、まあ、お茶の間(死語?)で家族と一緒に見られる構成にはなってなませんよね。
当然、それは主役の責任・・・などではなく、そもそもが、この番組には、「語りたいことは何なのか・・・」という一貫した理念がないことが問題なんだろうと思います。

直接的には安易清盛落胤説を取り入れたのが躓きの基ですよ。
主人公の苦悩を描こうとすればするほど、どうしてもドロドロの愛憎劇ばかりになってしまうわけで・・・。
大河ドラマは「独眼竜政宗」あたりから、「普通の人が何もしないうちになぜか偉くなる」という悪癖を発揮するようになりましたが、結局、歴史上の英雄を無理して、現代の凡庸な若者と同じ目線に持っていこうとすることの「罪」だと・・・。
だから、無理して、凡人にする必要がなかった脇役の方が人気が出たりするわけで・・・。
そのせいか、主人公・清盛の父、平 忠盛が未だに生きているのに結構、びっくりです。
主人公が無理やり、普通の人にされてしまったので、共感するよりも見劣りして見えてしまい・・・。
その分、父親役である中井貴一さんが見栄えしているので死ねない・・・というわけなんでしょうね(笑)。
大河ドラマではそういう話が良くあると良く聞きますので・・・。

いずれにせよ、それでも、いつ、忠盛が死ぬのか知りませんが、もう、4月も終わりですよ。
おそらく、中井忠盛は、大河ドラマ史上、もっとも遅くまで生きている(?)父親ではないかと思います。
去年の、「お江」の父親の時任三郎さんなんて第一話で死にましたからね。
ちなみに、時任→中井とくれば、来年は柳沢慎吾?(笑)。
もう、これがわかる人は最低でも45歳以上・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-19 07:31 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)

「筑紫路に 蝶が舞たる 緑かな」
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12392629.jpg  「筑紫路に
     蝶が舞たる
      緑かな」 
       梁庵平太


訳あって、終日、筑後地方なう。

なかなか、息つく暇がない。



                        平太独白
by heitaroh | 2012-04-18 08:39 | その他 | Trackback | Comments(0)

安易なタイムスリップ物に物申し候
親愛なるアッティクスへ

最近のドラマや映画などで、少々、安易に「タイムスリップ」物が多用されているような気がして、少々、興ざめしたものを感じているのですが、さておき、こういう物を見るたびに思うことがあります。
まず第一にこの半世紀での地勢の変化です。
戦後の宅地開発耕地整理などにより、日本の風景は、まるで変化がないように思われる田舎でも現代とはまるで違う風景になってしまっているんですよ。
(戦前までの田んぼの多くは自然の地形に沿って区画されてましたが、戦後、日本全土で一斉にトラクターが入れるように方形に整地されました。)
つまり、数百年前の同じ場所にタイムスリップしたとしても、同じ田んぼの上なら良い方で、そこは谷底だったり、下手をすれば海の中だったり、土の中だったりするわけですね。

次に仮に、タイムトンネルをくぐって無理がない形で過去に行けたとしても、現代でさえ、ちょっと地方に行っただけで地元の人同士の会話がまるで聞き取れなかったりするわけですから、ましてや、テレビもラジオもなかった時代であれば、おそらく、共通語という概念すらなかったでしょう。
(この辺は、昭和60年にNHKで放送された井上ひさし脚本による「國語元年」というドラマが思い出されます。江戸期で300の藩、それ以前も国割りは60余州と言いながらも、交通機関が無いに等しいわけですから、現実の交流という点では筆談は必須だったでしょうか。)

まあ、その辺の方言の違いはさておくとしても、現代の日本人が使っている言葉というのは、結構、明治期以降に作られた言葉というのが多く、ましてや、時代が遡るに従ってボキャブラリーも減少していきますので、古代となると間違いなく通訳がいりますよ。
「私」は「わ」、「あなた」は「な」で、「先輩」は「せんだつ」、「3年」は「みとせ」、「間違いない」は「あやまたん」・・・ですから、続けて言われたらわからないでしょう。
ましてや、昭和の時代劇を見て「何を言っているのかわからない」と言う現代の若者であれば江戸時代でも通訳がいりますよ。
「三度笠」、「風来坊」などは完全に死語となっています。)
もっとも、それは若者に限らない話でしょうか。
「待たれい。貴公はいずこの御家中に候や」と新選組に聞かれ、「拙者は福岡藩士で幕府の御用にて天領に参るところでござる」なんて言ったら、間違いなく斬られますよ(笑)。
この場合、少なくとも、「松平筑前守様家来にて御公儀の御用にて公領に参るところでござる」くらいは言う必要があるでしょうね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-11 17:52 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その3
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

これまでもたびたび、述べてきたことですが、本田技研という会社は、本田宗一郎、藤沢武夫という二人のカリスマ創業者によって発展してきた・・・と言われており、さらに、今日では本田宗一郎の名前しか残っていないような嫌いがありますが、本田宗一郎という人は技術担当重役というべきで、むしろ、事実上の創業者という意味では藤沢武夫だろうと思っています。

e0027240_154567.jpg本田という人は社長として、そのユニークな言動と相まって、マスコミ受けした人なのでしょうが、すべてを演出、脚本していたのは藤沢であり、おそらく、藤沢が敷いた線路の上を本田はそ知らぬふりで滑るように走っていった・・・というところではなかったでしょうか。
(←「徒桜
  陰の緑の
  鮮やかさ」
   梁庵平太


この点で、まず、その1でも申し上げました本田宗一郎の「絶対に人まねはしない」という独創精神伝説について、興味深い記事が載っていました。

ホンダが昭和33年に発売し、未だに売れ続けているドル箱商品である「スーパーカブ号」は、藤沢が提案し、渋る本田を説き伏せて、他社に先駆けて世に送り出した独創的な商品・・・と聞いておりましたが、同書によると、これが売れたのは「片手で運転でき、下駄代わりになるという性能にもあったが、あくまでも低価格にあった」のだそうで、「このセールスポイントを強調した需要開拓に、副社長の藤沢武夫は、先頭に立って指揮」、「凄まじい需要開拓作戦」の前に、「すでに、スーパーカブよりもさきに発売されていた昌和製作所(倒産)の東昌エコー五〇CCは販売網の未整備をつかれて、緒戦で敗れ去った」・・・とか。

つまり、この商品以前に同様の商品がなかったわけではなく、そこには他社の商品と販売網の長短狡猾なまでに見据えていた一羽の梟がいた・・・というわけですね。
おそらく、その梟は、相手の販売網の整備の遅れに目をつけ、相手がこれを整備する前にこれを市場から駆追する必要を感じ、その為には同等品でより値段が安い物を供給する必要がある・・・と踏み、それを技術担当の相方に示唆という形で指示した・・・と。

二人の現役時代、「技術の本田、営業の藤沢」と呼ばれ、それぞれに、自らの分野に口を挟ませなかったことを評して、「ワンマンならぬツーマン」などと言われたと聞いていますが、その意味では、本田宗一郎その人も技術開発と広報、何より、TOPとしての確固たる思想という点で名創業者であったでしょうが、私が、藤沢武夫こそ、ホンダの事実上の創業者と評する点はここにあるわけです。
おそらく、三鬼陽之助翁も松下幸之助氏も本田宗一郎のカリスマ性よりも、藤沢武夫の経営手腕をこそ買っていたのではないでしょうか。
同書では、他にも多々、考えさせられることがあったのですが、まずは一旦、このシリーズはこれにて筆を置かせて戴きたいと思います。                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-09 17:50 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

今回、同書を読んで初めて知ったことがあります。
松下幸之助本田技研大株主だったんですね。
当時、筆頭株主は本田宗一郎 1330.4万株、2位が日本共同証券 1203.4万株、3位が藤沢武夫 697.1万株だったそうですが、松下幸之助の所有は公表している分だけでも、松下不動産の30万株あり、他にも松陽不動産、松下幸之助個人名義での所有もあったそうですから、それらも含めると、「相当の大株主であることは、まちがいないようである。」とのことで、これって、今はどうなってるんでしょうか・・・。
買い増しはしていないかもしれませんが、すべて売却してしまったら、風評被害ものですから、ある程度はまだ、松下家は持ってるんですよね?

松下幸之助が本田技研と交流があったことは知ってましたが、実際に、大株主という形で関わっていたというのは初耳でした。
この点を、著者である三鬼陽之助翁は「松下は義理や人情で株を持つ男ではない。」とした上で、「ただ、どういう心理か、松下は、自分が本田技研の大株主になったことを、世間に公表されることを好まない。現に、本田宗一郎にも、株主であることを世間に公表しないよう懇望している。」と記しておられましたので、公表したがらなかったというのは「義理や人情ではない」としたならば、おそらく、「儲け話の種」として見ていたと考えていいのではないでしょうか。

次に、私が注目したのは藤沢武夫の、「企業には、人間の心理学が必要だ。ユーザーが何を欲しているかを知るには、直接、相手に触れることがいちばんだ。」という言でした。
すなわち、「いわゆる新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどを通じて、間接的にユーザーと接触してもだめだ」ということだそうで、この点は確かに、最近の企業でも、エンドユーザーの一人として少なからず、感じることでもあります。
携帯電話やパソコンなどでもそうですが、私はゲームもやらないし、音楽も殆ど聞かないので、その分、昼のニュースを自動で録画しておいてくれるとか、もっとほかの機能を付け、かつ、簡易に操作できるようにして欲しいんですよね。
おそらく、私くらいの年代の男性は結構、そういう人っているんじゃないですか?
そういう声はまったく届いているようには思えないんですよね。

この点、本田・藤沢のコンビは鈴鹿サーキットで第一回のオートバイ競争が行われた時、出場他社の首脳部がモーニングの胸にでっかい花飾りをつけて、いかめしく構えている中、来賓席よりはるか下の一般席にノーネクタイで一般大衆と一緒に大声で声援を送っていた・・・とか。
やっぱ、偉くなると、人間、なかなか、耳に痛い言葉が聞こえてこないようになりますから、余計に、こういう場は必要なんじゃないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-07 14:02 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

昭和41年の三鬼陽之助著「HONDA商法」読了 その1
親愛なるアッティクスへ

少し前になるのですが、「HONDA商法―企業における”情無用”の研究」という本を読み終えておりました。
(本当はもう少し早めに触れようと思っていたのですが、とにかく、ここ数か月は多忙でして・・・。)
この本が、他のホンダ本と違う所は、発行日が昭和41年7月1日・・・、私が満5歳の時の物だということで、(当時の価格「300円」・・・。)すなわち、最近では子供向けの伝記になるなど、すっかり、神様になってしまった観がある本田宗一郎氏と、今や、氏の陰に隠れてすっかり、伝説の人になってしまった感がある藤沢武夫の両創業者が、まだ神様や伝説になる前の、バリバリの現役時代に書かれた物である・・・ということです。

著者は、拙稿でもたびたび採りあげております昭和の老財界記者・三鬼陽之助で、私はこれまで、「ホンダ」と名の付く本はある程度、読破していたつもりだったのですが、実は同世代本田・藤沢コンビの現役時代について書かれた本は殆どありませんで、その点では、世界恐慌以来、多くの財界の変転を見てきた三鬼翁がどういう切り口で描いているのか、他の本と違い、大いに興味がある所でした。
まずもって、最初に違和感と言うか、どうにも驚いたのが、その数字の大きさでした。
昭和41年と言えば、まだ、オイルショックの前で物価は現在とは一桁は違っていたはずですが、それが、数百億円なんて数字がポンポン出てきて、まるで、現在の経済誌を読んでいるような錯覚に陥るんですよ。
(私の記憶では、当時は確か、ハガキが1枚4円、封筒が7円だったと・・・。)

で、内容ですが、まず、読み始めてすぐに、私が抱いた感想は「失望」でした。
というのも、現在でも発行されているホンダ本と大差ない内容ばかりでして・・・。
それが、雲行きが変わってきたのは半ばを過ぎた辺りから・・・で、まず、「おや?」と思ったのが、ホンダとソニー・・・というよりも、本田、藤沢の井深 大、盛田昭夫との経営方針についての比較した部分でした。
「ソニーは技術開発でも、まったく新しい商品を考案する。」が、「本田技研は、ソニーとまったく逆である。オートバイは、戦前からの製品であるし、新しい車種にしたところで、かならず弱小他社が本田技研の先兵をつとめている。」・・・とした上で、具体的に事例をいくつもあげておられました。
この瞬間、私は、「あ、三鬼翁、今、笑顔の裏で匕首(あいくち)を抜いたな・・・」と感じましたよ。

これまで、私が聞いていたのは、本田宗一郎という人はF-1で、「部品が自前でないからダメ」と言って、空輸をストップさせた・・・などという話を聞いてましたので、とにかく、人まねが嫌い・・・、自ら、創造した物のみを世に送り出してきた・・・と思っていたのですが、これも、都市伝説にすぎなかったんですね。
「本田は石橋を何度もたたき、先輩・同輩会社の成功、不成功を凝視、これならぜったいだいじょうぶと思うや、一瀉千里の勢いで突撃するのである。」とも言っておられましたが、この辺は、本田・・・というよりも、むしろ、藤沢翁の手腕だったのでしょうが・・・。

次回へ続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-06 18:35 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

冬の終わりの突然の実は初めての壱岐紀行 その2
親愛なるアッティクスへ

とりあえず、先日の続きです。

e0027240_16442711.jpg既述の通り、博多港から船で壱岐に渡るに際しては、首都(?)・郷ノ浦とは反対側に当る芦辺港に上陸することになるわけですが、この日、ここに上陸して、最初に目にしたのが、この風景(←)・・・でした。

(左にあるのは井戸・・・です。昔はそれなりに水が豊富だったそうですが、今はかなり減ってしまって、傍らにある長柄杓でようやくに汲みだしている状態で、私は井戸ではなく、雨水か排水を一時的に溜めている場所なのかと思いました。)

まず、港に上陸して、「さて、これから、どうしたものか・・・」と思っていると、そこからすぐの所で人だかりがしており、とりあえず、そちらの方へ行ってみると、数軒ですが、縁日みたいに露店が出ている。

e0027240_16332411.jpg「はて?」と思い、聞いてみたところ、「今日はお彼岸だから・・・」とのことでしたが、ここで、ろうそく線香と並んで売っていたのがこのお菓子・・・(←)でした。
露店ではビニールに小分けされて売られてましたので普通に人が買って帰る、こちらでは馴染みのお菓子なのだろうと思っていたのですが、そうではなく、これは石碑やお地蔵さんにお供えする専用のお菓子で、さらにそれをビニールから取り出してむき出しにした後、傍らに置いてある長柄杓で井戸から水を汲み、このお菓子に掛ける・・・と。

当然、このお菓子はドロドロ、ベチョベチョになって周囲に散乱しているわけで、「奇習」とまで言うと、言い過ぎでしょうが、少し異様な気がしましたね。
ちなみに、このお菓子は、それほど美味ではないものの、実際に人間が食べられるものだそうです。

e0027240_17514941.jpgで、ここを出て、次に向かったのが少弐公園・・・です。
ここは元寇「弘安の役」の折、壱岐の守護として戦場に散華した少弐資時を奉った神社と墓がある場所だそうですが、目の前の入り江にひしめく元の大船団を見て、弱冠19歳の守将はどういう感慨を持ったのか・・・。
彼に限らず、これほどの大船団という物を見た日本人は居なかったはずで、おそらく、彼の若い頭脳はこれから自分たちが戦おうとしている相手の尋常ならざるを悟ったのではないでしょうか。

ちなみに、少弐氏は、この元寇では日本軍の責任者として元軍の矢面に立つことになったことから、この資時や鷹島守備隊の少弐経資を始め、一族に少なからぬ犠牲を払ったことから、戦後にはその功績として筑前・筑後・豊前・肥前・壱岐・対馬などの守護に任じられるなど大いに声望をが高めたものの、それゆえに、出る杭は打たれるで、逆に中央勢力の圧迫を受け始め、その抗争の中で著しく損耗、やがて、長州の大内氏に取って代わられ、姿を消して行くことになる・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-04-05 18:31 | 地域 | Trackback | Comments(0)

昨夜は田園都市線で缶詰め
親愛なるアッティクスへ

e0027240_912911.jpg今、訳あって、東京出張中
台風並みの強風の中、どうにかこうにか所用をすべて滞りなく終了し、勇躍、東急田園都市線に飛び乗ったら、一駅進んだ所で、いきなり運転ストップ・・・。
しばらくそのままの状態が続いた後、どうにか動き始めてくれましたが、一時はどうなることやら・・・って感じでしたよ。
すでに、びしょ濡れでしたので結構寒かったですしね。

朝のニュースでこうなるとは聞いていたのですが、「出かけるな」・・・って言われたって、明日、帰る身の上としては、どうしても今日中に済ませておかなければならない用事があるわけで・・・。

                          平太独白
by heitaroh | 2012-04-04 08:01 | その他 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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