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東日本大震災・北関東派遣見聞録 その17 総括大晦日
親愛なるアッティクスへ

この年末、まったく大掃除をする余裕がありませんでしたので、昨日の夜に、独り、大掃除をやっていたのですが、本日に持ち越したものの、当然、終わるはずもなく・・・。
本日、午前中は散髪に、午後からガソリンスタンドに行き、さあ、大掃除態勢に入ろう・・・と思ったものの、夕刻には博多人毎年恒例の厄八幡こと、若八幡神社へ行かなければならず、大掃除を放棄して、寸暇を縫ってパソコンに向かっております。

e0027240_14282390.jpg今年は私にとっては、東日本震災豪雨災害などの関係で、これまでの50年間の人生で経験したことがなかった貴重な経験をさせて戴きました。
この場を借りて、いち早い復興を祈念申し上げます。

(←出張中、苦楽を共にした「靴」です。今となっては笑い話ですが、行った当初はどういう状況かわからず、余震次第では倒壊する家屋から逃げ出さねばならない時や火災に巻き込まれた時、また、泥濘を何日間も歩かねばならない時などを考え、結局、選んだのがこの安物ビニール靴でした。とはいえ、新品だったのが、帰る頃にはボロボロになりましたからねぇ。よく頑張ってくれました)

e0027240_1433396.jpgで、出張中はずっとホテル暮らしだったのですが、それでも、最後の方はかなり、精神的にきつかったですよ。
よく、壁に向かって、「お帰り」と話しかける・・・などというギャグがありますが、気持ちはよくわかりましたね(笑)。
(←最終的に解放された日の帰途、新幹線の車窓から見た広島スタジアムの光景です。手前の電車なんか、何だかモーゲージみたいにも見えますが、立派な本物です(笑)。やはり、人間にはこういう場がないと・・・とは強く思いましたね。)

で、このシリーズですが、本来は、もう少し、書き残しておくこともあったのですが、ちょうど大晦日でもあり、切りが良いので、ここで完結させておきたいと思います。

e0027240_14253239.jpg

ということで、ちょうど、タイムアップとなりました。
(大掃除は年明けですね(笑)。)

今年は、本当に、心から御礼申し上げたい人に恵まれたことを痛感した一年でした。
私の人生ではこういう年は初めてでしたね。
ということで、どなた様にも大変、お世話になりました。
良いお年をお迎えください。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-31 16:09 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

坂の上の雲に改めて思った大山巌元帥の魅力 後編
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

NHKドラマ「坂の上の雲」では、騎兵の偵察報告を軽んじ、結果、ロシア軍の大攻勢の前に慌てふためく参謀本部の中に乃木希典第三軍司令官が入ってきたことで、児玉源太郎総参謀長が落ち着きを取り戻し、これを守りきった・・・という設定になっていましたよね。
どうしてこういう設定になったのかわかりませんが、私の理解では、慌てふためく参謀本部の中に大山 巌総司令官がぬーっと入ってきて、「児玉さあ、今日は朝から大砲の音がうるさいみたいでごわすが、いくさでごわすか?」と聞いた・・・というふうに覚えておりました。

e0027240_12473151.jpg「いくさでごわすか?」も何も、全滅するかもしれないような大攻勢を受けている時に、「知らんかったんかい!」と全員が思わず突っ込みを入れたくなるような問いに、参謀本部の面々は一瞬、すべて動きが止まった・・・と(笑)。
一瞬の静けさの後、どこからともなく笑い声が起き、参謀本部は落ち着きを取り戻した・・・と。
(←大山の遺品が眠る陸上自衛隊宇都宮駐屯地。公開されてます。)
こうなると神算鬼謀の児玉総参謀長、たちまちのうちに的確な手を打ち、撃退に成功・・・と。

特に、特筆すべきは苦戦に陥っている部隊に参謀を派遣したことだそうで、苦戦中の部隊は、援軍が無いと、自分たちは見捨てられたと思い、一気に全滅が早まるらしく、そこへ謀肩章をつけた参謀が駆けつけることで、崩れかけようとしていた部隊が踏みとどまることができた・・と。

大山 巌という人は、弥助と呼ばれた若き薩摩藩士時代は決して茫洋の人などではなく、過激派として文久2年(1862年)の寺田屋事件に連座し謹慎処分、鳥羽伏見の戦いでは負傷しながらも奮戦し、その他、薩英戦争以降、すべての日本の戦争に従軍したほどの猛者であり、その一方で、早くから砲術を学び、大山の設計した砲は「弥助砲」と称されるなど、ただの乱暴者とは違う一面をも持っていたようですが、維新後の明治2年(1869年)、渡欧留学した際には、すべて日本語、それも薩摩弁で通したらしく、宿のマダムがとても困惑した・・・という逸話も残しています。

従って、無論、大山総司令官も本当に現状がわかっていなかったわけではなく、本当は別室で独り、焦慮の極みにあったと思われ、ジリジリしていたのだろうと思いますが、この点は思わず、従兄の西郷隆盛西南戦争での敗走中に、夜間に断崖を登り疲労困憊している自軍兵士に向かい、「夜這いのごたる」とつぶやいたことで、思わず皆、吹き出して、この苦境を乗り切ることができた・・・という話を思い出しました。
薩摩隼人の面目躍如というところでしょうね。

大山 巌という人は「勝ち戦の間は児玉さんにすべて任せるが、負け戦となったら自分が指揮をとる」と言っていたそうで、この辺を表して、日清戦争の頃だったか、従軍中の兵士らの雑談の中で、人物の器の大きさを比べる話になったところ、誰かが、「人間の大きさという点では大山 巌を凌ぐ者はおるまい」と言ったところ、別の誰かが失笑し、「いやいや、その従兄弟の西郷従道という人んび比べれば月と星ほどに違う」と言った・・・と。
ところが、その中に、従道の兄の西郷隆盛を知っていた人がいたらしく、「その従道も兄の隆盛に比べると、器の大きさは月と太陽ほどに違った」と言われ、一同、思わずその大きさに天を仰いだ・・・と。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-12-29 07:16 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

「東京から美人が減っているかも」は肉食女子の草食化!
親愛なるアッティクスへ

母親を亡くした悲しみを乗り越え、浅田真央ちゃんがフィギュアスケート全日本選手権女子で2年ぶり5度目の優勝を果たしたそうですね。
たぶん、まあ、勝つんだろうなと思ってみてましたが。

e0027240_175586.jpg「土俵の鬼」と謳われた初代・若乃花も、昭和最後の大横綱・千代の富士も、共に愛児を亡くした直後の場所で優勝しましたから。
最愛の人を失った悲しみというのはこういう、元々、実力のあるアスリートにとっては余計な雑念を取り払うことに繋がるような気がします。
まあ、それほど簡単なことではないのでしょうが。
ただ、昔はそれは、男が結果を残すことの代名詞にもなっていたのでしょうが、最近ではここでも底力を発揮するのは女性ばかりのようで・・・。

で、先日、久米 宏司会のテレビ番組があってましたので、まあ、見るともなしに見ていたのですが、その日のタイトルは「東京から美人が減っているという噂は本当なのか?」というものでして・・・。
とはいえ、こちらは元々、東京にどの程度、美人がいるかも知らない身ですから、「はあ」って感じで見ていたのですが、ただ、東京に美人が集まるというのは私にも理解できるわけですよ。
私がよく言うのは、女性を魚に例えるのは如何なものかと思いますが、「九州で上がる魚で良い魚は博多(中洲)に行く、もっと良い魚は築地(銀座)に上がる」・・・と。
だって、現実に単価がまるで違うわけですから、自分に自信がある女性はわざわざ、安い賃金しか提示されない所には行かないでしょう。

ところが、番組では今、東京から美人が減っている・・・という。
まあ、少々、番組の構成自体、少し誘導的な物があったように感じましたが、でも、番組に出ていた地方の若い女の子たちの話を聞いていると、少し違う感慨が湧いて来ました。
つまり、「日本はとうとう、男子のみならず、女子までがここまで来たか・・・」と。
確かに今はわざわざ、東京に出なくても、地方でも郊外型ショッピングモールでそれなりの物は手に入るし、無い物はネットで手配できるわけで、ましてや、福岡市くらいになると、もう、そこそこの都会ですから、品物の面以外でも特に東京と比べても著しい不便はないわけですよ。
事実、私も、どうしても東京に行かなくては・・・という用事はもう、随分無いしですね。

確かに、地元に居れば、とりあえず、困らないし、周囲も勝手知ったる所ばかりだから怖くもないし、であれば、無理して、冒険して、違う環境に身を置かなくても良いのでしょうが、でも、郷土愛が強いというのと、様々な環境に身を置いて研鑽を積むということはまったく別の話なんですよね。
それが、うちの子供たちを見ていても強く思うのですが、とにかく、「贅沢しなくても良いから小さく安全確実に・・・」という考え方に染まってしまってるようなんですよ。
特に、そういう傾向は以前は草食男子だけに強かったのが、とうとう、肉食女子と呼ばれるほどにアグレッシブだった女子まで「守り」に入りだしたか・・・と。
まったく嘆息尽きずの年末です。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-26 17:38 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

坂の上の雲に改めて思った大山巌元帥の魅力 前編
親愛なるアッティクスへ

今日、ちょっと福岡市の中心街・天神まで行ったので、たまたま目についた食堂に入り、焼き魚定食を注文し、さあ、食おうと思ったその刹那、友人からメール・・・。
「質問。孫 正義氏の100億円ってどうなってるんですか@まだ払ってないとか言う人いるんですが、本当ですか??」って、そんなの知るかよ・・・と思いつつ、「知らないけど、まだだと思うよ」と返し、さあ、箸を付けようとしたところ、今度は、「本当なんだ。なんででしょうね。」と・・・。
やむをえず、「そんなの普通に考えて右から左に払えないでしょ」とだけ送って、焼き魚をむしろうとしたら、またメール。
え?早くない?と思いつつ開いたら、やはり、奴からで、「えーーーー!はったりですか。自然エネルギーで儲けるための。。」・・・と。
しょうがねーなーと思いつつ、同時に、私には思い浮かぶ話がありました。

e0027240_16304881.jpgNHKドラマ、「坂の上の雲」で、苦闘する日本の満州派遣軍に対し、内地の桂 太郎首相から「宮城の気仙沼に大きな金山発見」の報があり、「これで軍費も大丈夫だと、総司令部では大騒ぎだ」と兵士たちは大喜びしている中、大山 巌満州軍総司令官のみは児玉源太郎総参謀長に対し、破顔一笑、ひとしきり大笑いした後、「たとえ金山の話が本当じゃったとしてん、そん金山を採掘するには数十億は投資する必要がありもそう」・・・と。

半信半疑の児玉総参謀長に対し、「そげんして、みんなの士気をあおろち しちょっとごわす。桂さぁの落語じゃちと思うて聞いておれば良うごわんそ」と愉快そうに言い、再び、笑う・・・。
大山巌は陸軍の大物であると同時に、内務大臣なども歴任してましたから、単なる軍人と違う「経営感覚」も持っていたということなのでしょう。
それを聞いて、児玉総参謀長も苦笑すると共に、一方で、「乃木は笑えんじゃろなぁ・・・。乃木はこういうことを笑えんからダメなんじゃ。頭が固うて、戦が下手なんじゃ」・・・と。

そこまで考えて、再び、箸を置いて再びメールに向かい返信。「そこまでは言わないけど・・・、あいは士気を鼓舞するための孫さぁの落語じゃち思うて笑うておけば良か・・・と坂の上の雲の中で大山大将が言っておられもんした」と返信。
そのまま、もう、これ以上、相手にしておられんと・・・飯をかっ込みました(笑)。

だって、普通に考えて、ソフトバンクだって少なからぬ借り入れがある以上、100億円なんて数字は、いくら孫さん個人の財布から・・・と言っても、右から左というわけにはいきませんよ。
最低でも、金融機関や株主の理解は必要でしょう。
投資ならリターンを望むでしょうから詳細な説明を求められるでしょうし、リターンなき投資なら容易に理解を示してくれるとは思えませんよ。
だから、孫さぁの落語じゃっち思うて、笑って聞いちょればようごわす・・・ですよ。

とりあえず、次回に続きます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-12-24 18:20 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

博多湾と有明海を同時に見る冬の背振山山頂
親愛なるアッティクスへ

いつの間にか大晦日まであと10日を切ってしまいましたね。
色々と用務も立て込んでいるのですが、それがどういうわけか、先日、7日に忘年会に出たら8日が頭がガンガンして朝まで治らず、翌朝は頭痛はそれほどでもなくなったのですが、そのうち、右後頭部から同首筋に張りが出てきて鈍痛に悩まされるようになり、さらに、12日の朝には枕が板になったかのような痛みで目が覚め、脳神経科に行ってCTスキャン撮ってもらったけど特に異状なしで「そのうち治るでしょう」・・・だったのですが、未だに全く改善されません。
ということで、私に愛着をお持ちの方は速やかに施しされることをお勧めします(笑)。

e0027240_1119085.jpgで、先日、福岡県佐賀県の県境にある背振山という山に登って来ました。
と言っても、麓から歩いて登ったわけではなく、ちと、ヤボ用でお付き合いしただけでしたので、車で登ったのですが、私は恥ずかしながらここに来るのは初めてで、車で上まで登れるのも知りませんでした。
(無論、名前は知ってましたよ。小学校の校歌にも歌われてましたから。)
で、ここに登って驚いたのですが、ここからは博多湾有明海が同時に見下ろせるんですね。
(←有明海です。)

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(↑福岡市内と博多湾)

とは言え、駐車場に車を止めて山頂までは少し歩かなければならないのですが、その山頂にはお決まりの古いお社がありました。

e0027240_112241100.jpgで、ここで目についたのがこの石灯籠(←)
元禄10年と彫ってありますから、西暦では1698年であり、300年以上前の物なのでしょうが、良くぞこの過酷な環境の中で今日まで立ってたよな・・・と。
さらに、少し意外だったのが建立者は佐賀藩主・鍋島家と記載があり、はっきりと「鍋島領」という記載があったことでした。
この、佐賀も福岡も同時に見渡すことが出来る山頂自体は佐賀藩が領有していたということなんですね。
ここは今も昔も佐賀・福岡の境目であり、筑前福岡藩はこの山を西の防衛線として想定していたと言われているだけに、山頂を領有するのとしないのとでは大きく違ってきたでしょう。
良くぞ、国境紛争にならなかったものだと・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-12-22 08:49 | 地域 | Trackback | Comments(0)

「私の履歴書 保守政権の担い手」読了雑感 その3
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

後藤田正晴氏はペルシャ湾への派遣そのものに反対したわけではなく、どうやら、「拙劣な派遣決定に異を唱えた」・・・ということだったみたいですね。
氏は、日本の自衛隊が終戦後、元々、警察予備隊として発足したという経緯もあって、警察官僚として、その本質を間近で知悉する立場にあったとのことで、それによると、日本の自衛隊は帝国陸海軍とも米軍とも違い、専守防衛を旨として作られていることから、補給も含め、様々な部分が海外派遣に適応するように出来ていないということらしく、うっかり派遣してしまうと役に立たないどころの話ではない・・・ということだったようです。
なるほど・・・と少し納得できたような気もしましたが、とはいえ、氏の説明はあくまで「一端」について触れただけという感じでしたので、私の中ですべて消化できるにはもう少し時間がかかるようです。

で、田中角栄さんについてもう一つ、述べておくと、私は常々、「頭がいいと言ったって、結局は、記憶力に優れているか、計算力に優れているかでしかないのではないか・・・」と思っているのですが、この点、角栄さんは、「暗記は教育の中でもっともたいせつなことの一つ」と喝破してありました。
まあ、いかにも、記憶力と計算力で「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた人らしい感慨だなとは思うのですが・・・。
「本を読んでも、人に教えられても、それを記憶する能力がなければ身につけようもないじゃないか・・・」というようなことだったようですが、まあ、それはそうでしょうが、だからといって、すべてを丸暗記してしまうかどうかに価値観を置かなくても・・・という気がするんですけどね。

で、福田赳夫氏については以前、人口問題の項で触れたとおりで、他は特に印象に残る部分はなかったのですが、唯一、引っかかったのが赤字国債発行に関する部分。
今となっては天文学的な数字にまで累積してしまった赤字国債発行を最初に推し進めたのはこの人で、氏は発行に際して、戦前の反省から多くの人がこれに反対した経緯があったことから、一度、発行を終了させてしまうとまた発行するときが大変・・・という理由で、「種火」は持続させ続けなければならない・・・ということを言っておられました。
でも、氏ほどの人がどうして、種火を持つのが子供(日本人)だということの危険性に思いを馳せなかったのかがどうにも理解できません。

最後にそれら6人の登場人物らの中でも、出色と言おうか、もっとも異彩を放っていたのが中曽根康弘さんのそれでした。
この人のはもう、一遍の「物語」になってましたね。
その辺は田中角栄さんのそれにも少し近いものを感じておりましたが、中曽根さんのそれは田中さんと違い、総理を退任してから後に書かれたものだけに自らの半生記というに相応しく、まさしく、「健筆」というに相応しいような躍動感があり、その点では「回顧録」と言うよりは、もう、「自伝」と言ったほうが良かったでしょうか。
おそらく、この人だけはゴーストライターや口述筆記などに頼らず、自ら書き上げたのではないでしょうか。
不遜ながら、私が書くとしても同じような構成になったと思え、この点、なんとなく、中曽根さんの意気込みが伝わってくるような気がして、思わず苦笑した次第でした。
                               平太独白
by heitaroh | 2011-12-19 18:15 | 政治 | Trackback | Comments(0)

「私の履歴書 保守政権の担い手」読了雑感 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

で、これらの中でまず、興味深かったのが田中角栄元首相・・・。
この人は、苦学独行で総理まで上り詰めた苦労人でありながら、そこは、やはり天性の陽性の人らしく、どんなに酷い目にあわされてもあまり恨んだりせず、殆ど、人の悪口や非難めいたことを書いてなかったのが印象的でした。
が、それだけに、そういう人が「憤慨」した記述を残すということは相当、許せなかったんだろうな・・・と思いましたね。
その部分は、戦時中、一兵卒として従軍したものの、まもなく高熱が出て内地に送還され、生死の境をさまよった際のこと。

医者が財布の中の札の番号を控え、時計の番号を記録しながら、「食べられたら何でも食べて良い」と言って去って行った・・・という記述の後で、珍しく、「こんなことをされたら、生きる病人も死ぬ」・・・と。
角栄さんは、早春の上野駅のコンクリートの上に担架に乗せられたまま半日も放っておかれても、また、移送された仙台で運搬役の下士官たちが残雪の上に病人を放置したまま、長々と報告を続けていた時でも、実に淡々と延べるに止めておられましたし、後にも先にも、非難めいたことを述べられたのはこの部分だけでしたので、なおさら、氏の憤然とした想いが伝わってくるような気がしましたね。

この辺は同じく、軍の病院に入れられた後藤田正晴氏もその環境の酷さについては言及されてましたが、要は、病院に収容されたような兵士はもう、不用品だった・・・ということなんでしょう。
ただ、ここで少し思い出したのが、以前、知己より聞いた話ですが、終戦直後、国共内戦(?)で負傷した中国兵は自国の看護婦ではなく、皆、日本人の看護婦に看護してもらいたがったという話でして・・・。
まあ、真偽のほどは知りませんが、要は日本人の医療は中国人のそれに比べ清潔であり、中国兵もその辺を皆、知っており、それゆえに日本人の看護婦が重宝された・・・ということのようでしたたが、でも、少なくとも、田中、後藤田両氏の回顧を読む限りでは、とてもとてもそんな風には思えませんでしたけどね。
まあ、内地と外地では違ったのかもしれませんが。

その、後藤田氏が筆を執ったのは角さんが寄稿してより四半世紀経った後のことでして、少し、隔世の感が無きにしも非ず・・・という感じでしたが、この人の回顧の中では、かねてより疑問だった部分について、一端ながら触れて戴いてたのが一番、有り難かったですね。
それは、中曽根康弘内閣の官房長官時代、ペルシャ湾への海上自衛隊派遣を推し進めようとする総理の意向に真っ向から反対し、「閣僚としてこの法案にサインしない」とまで言い、結局、総理を翻意させた・・・という有名な話についてでして・・・。
私はかねてより、他者ならともかく、後藤田さんほどの人がどうして、この、一見当たり前のように見えることにそこまで反対したのか・・・が疑問だった次第です。

また、次回に続きます。
                            平太独白
by heitaroh | 2011-12-17 18:14 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「私の履歴書 保守政権の担い手」読了雑感 その1  
親愛なるアッティクスへ

以前も少し申し上げましたが、最近、日経ビジネス人文庫発行 「保守政権の担い手―私の履歴書」という本を読んでました。
改めて言うまでもなく、日経新聞に連載されている「私の履歴書」のうち、戦後政治を彩った6人の政治家の回顧録で、私が敢えて、この本を手に取ったのは河野一郎という政治家について興味を持ったからだったのですが、結果的に、同書には他に、岸 信介, 福田赳夫, 後藤田正晴, 田中角栄, 中曽根康弘の5名の政治家のそれが集録されており、一部は既知の物もあったのですが、改めて6人連続で読んでみると、なかなかに興味深かったですね。
(河野一郎とは当時、一旦入ると生きて帰れないとまで言われたソ連クレムリン宮殿の奥ノ院に乗り込み、フルシチョフと机を叩いて激論し、日ソ国交回復の足がかりを作ったほどの政治家でしたが、それほどの人でありながら、どういうわけか、あまりこの人について採りあげた本は無く・・・。やむなく手に取ったのが同書だったわけです。)

まず思ったのが、池田勇人、佐藤栄作の両総理経験者がここ入らず、代わって、河野一郎、後藤田正晴の両氏が入っていたことです。
河野、後藤田両氏の政治家としての力量、業績については私も重々承知しておりますが、それでも、この顔ぶれで上げるのであれば、やはり、総理経験者で統一した方がすっきりしたはずで・・・。
まあ、その辺の経緯は知る由もありませんが、その6人の登場人物(?)ですが、年齢順で行けば、岸、河野、福田、後藤田、田中、中曽根(田中、中曽根の両氏は同年同月生まれ)の順であるのに対し、ここに登場した、つまり、回顧録をしたためた順ということでいうと、河野(S32年)、岸(S34年)、田中(S41年)、後藤田(H3年)、中曽根(H4年)、福田(H5年)の順となり、特に、前三者と後三者とにはっきりと分かれる形となります。
(従って、後三つは日経新聞連載当時にリアルタイムで読んだ記憶がありました。)

従って、末尾の解説では、当時は「まだ、フォームがまだ定まっていない時期の産物」だったようで、冒頭の岸 信介氏は「私はまだ、回顧録を語る時期に来ていない」との理由で、主に、学生時代までの思い出を語って終わっており、それもそのはず、総理在任中に書かれたんだそうです。
あるいは、安保闘争で支持率低迷に悩んだ総理だっただけに、もう少し、自分の人間性をわかって欲しいという悲痛な想いがあったのでしょうか。
また、田中、河野両氏はまだ、坂を上っている途中であり、特に、田中さんは年齢の割に回顧した時期が早かった分、政治家になった時点で終わっており、これはこれで貴重な証言記録ではあるものの、肝心の部分が欠けている観は否めないように感じます。

その点、福田、中曽根両元総理と後藤田氏は功成り名遂げた後にしたためているだけに回顧録らしい回顧録となっているように感じました。
この辺は、やはり、「人は棺の蓋を覆って評価が定まる」と言われるように、晩年に書いてもらうのが一番良いのでしょうが、それを待っているうちに逝かれては元も子もないわけで・・・。
実際、河野氏などは急逝に近かったと聞いてますし、比較的、早い時期に書いてもらったのはわからないでもないですね。

ということで、続きは明日になると思うけど、予定は未定・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2011-12-16 18:25 | 政治 | Trackback | Comments(0)

坂本龍馬暗殺犯異論
親愛なるアッティクスへ

慶応3年(1867年)の新暦12月10日夜京都河原町近江屋において坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された事件ですが、最近では犯人は京都見廻組説で落ち着いてきたようですね。
私も、7割方はこれで異存はありませんが、まだ、釈然としない部分も感じております。

まず、龍馬は以前にも司直の襲撃を受けたことがあることから十分に警戒していたと考えられ、その為、土佐藩邸の近くで、かつ、刀を振り回しにくい天井の低い部屋がある近江屋の2階を潜伏場所に選び、さらに、用心棒に元力士を雇っていたと言われています。
それなのに、犯人は坂本・中岡を斬る前にその来訪を取り次ごうとしたその元力士を後ろから斬っていますが、標的に辿り着く前に部屋の前で他の者を斬ってしまうのはリスクが大きすぎませんか?
仕留め損なったら気づかれるし、普通、狙われる側は些細なことでも身構えて待つものですよ。

それなのに彼らは取次者を斬った後、平然と座って挨拶し、「坂本先生は?」と尋ね、龍馬がこれに応えたのを見ておもむろに小太刀を抜いて斬りつけた・・・と。
これも本来おかしな話で、座ることは当初からの予定であったとしても、暗殺犯は標的の警戒状況如何に関わらず座ってこれを決行したことになるわけで、だとすれば大胆にしてもっとも効果的、彼らの標的を仕留めるまでの20分足らずの動きには、一切の無駄迷いも感じられず、そこには恐ろしいまでに暗殺慣れしているものを感じます。

次に、犯人を絞り込むうえで、この時期、京都に居て、小太刀の名手で、かつ、室内戦闘の経験が豊富・・・となると、まず、室内戦のプロといえば、どうしても新撰組が思い浮かびますが、この時期、新撰組はますます佐幕色を強めており、であれば、龍馬を討ち取っていささかも隠す必要はなく、むしろ池田屋事件の時のように堂々と犯行声明(?)を掲げたでしょう。
そう考えれば、見廻組には小太刀の名手もいたのでしょうが、むしろ新撰組に比べれば影が薄かった観があるだけに、少なくとも、わざわざ新撰組の仕業に見せかける必要もなかったように思えますし、何より彼らが修練を積んできたのは「暗殺」ではなく「戦闘」だったわけで・・・。
(現場には新選組を疑わせる証拠物件が多数残されていたといいますが、これも、これほど鮮やかな襲撃を成し遂げた輩にしては少し粗雑すぎるように思えます。)
そう考えると、どうにもこういうことに恐ろしく慣れている連中、つまり、幕府の特殊暗殺部隊のような存在があったようにしか考えられず・・・、うがちすぎですかね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-10 07:32 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その16 武州鉢形城
親愛なるアッティクスへ

埼玉県といえば、もう一つ、鉢形城が有名ですよね。
で、過日、行ってきたのですが、こちらは昨日申し上げた岩槻城とは違い、さすがに、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際にも、前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの連合軍3万5千を向こうに回して3千の兵で持ちこたえたと言われるように、まさしく、「要害」という相応しい偉容をもってました。

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(↑この向こう岸が真田隊が布陣したと言われる場所です。主将・真田昌幸を始め、信幸、幸村兄弟もここにいたのでしょうが、これだけの川幅と断崖があれば、事実上、こちら側からの攻撃は不可能のだったでしょうね。)

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(↑現地にはこういう往時の地形を表した模型もありました。右側にあるのが荒川で、断崖と川があるのが見て取れると思いますが、一方で左側にも右側ほどではないにしても深い川があるのがわかると思います。)

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(↑こちらが少しわかりにくいのですが、その左側の渓谷です。行った頃は初夏を迎えようかという頃でしたので、樹木が茂っており、やっとで見つけることが出来ました。)
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(↑上から見るとこうなっています。右に流れている大河が荒川で、左の深沢川が荒川に合流する間にあることがわかると思います。つまり、両河川が谷を刻む断崖上に位置する天然の要害というわけです。)
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(↑城を囲む豊臣方の布陣の様子ですが、荒川の向こうにいる真田隊は事実上の模様眺めで、あるいは、真田家はこの直前まで北条氏と小競り合いを繰り返しており、「そこでゆっくり休んでて」的な意味合いもあったのかもしれません。その意味では、おそらく、主力としてもっとも出血を強いられたのは上杉景勝の隊ではなかったでしょうか。)
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-12-09 18:21 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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