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タイ大洪水は人災・・・らしい
親愛なるアッティクスへ

大洪水に見舞われているタイでは首都バンコクがいよいよ、大変な事態になりつつあるそうですね、
大潮と満潮が重なり、首都中心部を流れるチャオプラヤ川の堤防の高さを越えるそうで、堤防を人為的に決壊させるなど、厳戒態勢を続けている・・・とか。

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この件で、タイ人の知己に話を聞いたところ、日本の東日本大震災の時もそうでしたが、やはり、テレビではあまり伝えられない話があるみたいですね。
日本の田中角栄ともいうべきタクシン政権時代に「コブラ池」と呼ばれていた巨大な池を埋め立てて国際空港を作ったんだそうですね、
当時、国王は「あそこは調整池だから埋め立ててはならない」と言ったそうですが、タクシンさんがそれを押し切って着工してしまったのだとか。
(空港自体は地盤を高く作ってあるそうで、水没していないんだとか。)

皮肉にも、タクシンさんの妹が首相に就任し、タクシン復権に向けて法整備に動こうとした途端、この洪水だそうで思わず、「コブラの呪いじゃないの?」と・・・。
さらに、知己いわく、「今の洪水は結局、人災ですよ」と。
どういうことかというと、現首相は政治の経験が大幅に不足しているそうで、的確な対策が打ち出せなかったことが被害を拡大させたのだとか。
なるほど、それって、我々日本人にはよくわかるんじゃないですか。
まったく、東日本大震災で的確な政策を打ち出せないでいる、どこかの民主党政権と一緒じゃないですか。
                             平太独白
by heitaroh | 2011-10-29 07:24 | 未分類 | Trackback | Comments(2)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その14 川越城本丸館
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

河越夜戦に勝利した後、河越城は小田原北条氏によって修復され、特に、重臣・大道寺政繁の時代には大幅に拡張強化されたようで、さらに江戸時代になると、承応2年(1653年) 、幕府老中で知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が藩主の時代に、より、大規模な拡張工事が行われた・・・とか。

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e0027240_14454042.jpg(←本丸館にあった当時の男性用小便器・・・。すでに、現代と殆ど変らぬような形があったことに結構、驚きました。中には松の小枝のような物が入れてあり、おそらく、臭い消し跳ね返り防止だったのでしょうが、私が思いを馳せたのはむしろ、これを定期的に回収して入れ替えていたであろう専門の用務員のような人のことでした・・・。)
従って、現在の川越城河越夜戦の頃のそれと違い、嘉永元年(1848年)に建られた本丸御殿の一部だそうです。

(ちょうど私が行った時にはドラマ「JIN -仁-」の収録があって間もない頃だったらしく、どなたかが盛んにそれを説明してありました。見てませんから知りませんけど(笑)。)

e0027240_1512168.jpgで、ここを出て、うろうろするうちに、ふと、目に留まったのが一枚のポスター・・・。
見れば、「大河ドラマ・お江ゆかりの地 川越」と書いてある・・・。
実は、この時、「福岡城市民の会」様より「お江と黒田家」というタイトルで講演を戴いていたのですが、お江と福岡藩主黒田家って、まったく何の関係ないという無茶ぶりでして、何かのヒントになるのではないか・・・と。
ところが、私が知る限り、どう考えても川越とお江に接点は思い浮かばないんですよ。

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で、観光案内所に行って、「お江さんと川越ってどういう関係なんですか?」と聞いてみたところ、係の人は「は?」と一瞬、ぽかんとされた後、苦笑して、「三代将軍家光が生まれた間がここに移築してあるので、家光を生んだお江さんとかけて・・・と、まあ、こじつけですけどね」・・・と(笑)。
しっかり、ネタに使わさせていただきました・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-28 17:24 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その13 川越城
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

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e0027240_1528546.jpg川越の街並みを抜け、主目的地である河越夜戦における激戦地と伝えられる東明寺へ向かおうとしたところ・・・、例によって方向音痴を発揮してしまい、道を間違って寺の先に出てしまいました。
で、そこにあったのがこれ(←)。
一目見て、ピンときましたね。
もし、本当にこの付近で激戦が繰り広げられたのなら、ここを外して戦うはずがない・・・と。
で、傍らを見ると、川越のメインストリートに繋がる街道と思しき通りがあり、東明寺橋と書いてある・・・。

e0027240_15391052.jpgおそらく、関東管領方は、この橋を渡り、この街道から一気に侵入しようとし、城側は橋を落とし、敵の侵入を阻もうとこの堀を頼んで戦ったのだろう・・・と。
(こんな小さな小川・・・と思われるかもしれませんが、おそらく、当時、橋は落としてあったでしょうし、堀ももっと幅広く水量も豊富だったのではないかと・・・。)
ところが、そうなると、どうにも疑問に思えてきたことが一つ・・・。
ここから、現在の川越城までの距離が遠すぎる・・・、つまり、城域が広すぎるんですよ。

e0027240_15475146.jpg(←現在の川越のシンボルタワー的存在の「時の鐘」です。)
確か、当時、この川越城ならぬ河越城に籠っていたのは、北条氏康の義弟で猛将として知られた北条綱成に率いられた兵3,000だったと言われていますから、その程度の兵力で守るには広すぎるんですよ。

(ちなみに、攻城側の兵力は80,000、援軍に駆け付けた北条本軍の兵力は8,000だったと・・・。まあ、北条方はともかく、関東管領方は相当に誇張された数字でしょうけどね。)

などと思いながら、ここを過ぎ、途中から左に折れ、現在の川越城方面に向かったところ、そこには江戸時代の堀が復元(↓)されていました。
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まあ、本丸に迫った敵を防ぐための物でしょうが、それにしてもどうにも位置関係がわからない・・・。
そこで、城の前にある博物館に入ったのですが、ここでも河越夜戦における資料はほんのわずかしかなく、やむなく、研究員の人と思しき人を掴まえて聞いたところ・・・、まず、私が激戦地だと思った東明寺橋はそれでやはり当っていたのですが、ただ、当時の河越城というのはものすごく小さく、今の本丸部分くらいしかなかったんだそうで、つまり、私が城方が防衛したと思っていた東明寺橋の堀は外から攻めてきたのが救援に来た北条氏康の軍で、中に居たのが河越城を攻めていた関東管領方の将兵だったわけです。
つまり、攻守逆転していたわけで・・・、ま、当ったといえば当った・・・と言っていいんでしょうか(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-27 18:04 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その12 川越夜戦跡
親愛なるアッティクスへ

東日本大震災派遣建築士として栃木県へ来て少し経った頃になると、休日は県内は一通り行きつくしてしまいましたので、隣県まで足を延ばそうと思い立ちました。
で、良い機会だから、以前から殆ど行ったことがないに等しかった埼玉県に行こうと考え、であれば、私にはぜひ、一度行ってみたかった所がありました。
それが川越です。

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川越と言えば、「蔵の町」として知られる埼玉では有数の観光地でしょうが、私が行きたかったのはそこではなく、日本三大奇襲戦の一つに数えられる「河越夜戦」(かわごえよいくさ)の戦跡でした。

e0027240_17463749.jpg天文14年(1545年)、小田原北条氏三代目・北条氏康が家督を継いだ混乱につけ込み、隣国・駿河の今川義元がその同盟者である武田信玄を誘って駿河の北条領に侵攻。
これを迎撃すべく出陣した北条勢の背後で今川と示し合わせた関東管領山内上杉家扇谷上杉家、それに北条の娘を娶っていた古河公方足利晴氏までもが挙兵、数倍と言われる大軍で北条方の河越城を囲んだ・・・と。
(←川越城は台地の上にあります。)

これにより、北条方は腹背に敵を受け、絶体絶命のピンチに陥いるも、ここから氏康は急転直下、今川、武田と三国同盟を結ぶと一気に反転して河越へ駆けつけ、敵の大軍に夜襲をかけてこれを撃破。
北条が関東に覇を唱えるきっかけとなった・・・と言われている戦いです。

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(↑たぶん、この辺が激戦地だと思います。)

ところが、これほどの戦いでありながら、この戦いについては殆ど良質の資料が残されてないんだそうで、そのため、この戦いは後世の創作であるという人もいるという話もあり、それもあって、ぜひ、自分の目で現地を見てみたい・・・と思った次第でした。

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で、電車を乗り継いで宇都宮から川越まで行ったのですが、駅を下りてから結構、遠そうでしたけど、バスの乗り方もわからなかったので、目的地である「激戦地」と伝えられる東明寺を目指して歩くことにしたのですが、さすがに、蔵が目に飛び込んできたときにはその赴きある姿に、思わず、「おお!」っと思いましたね。

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こういう風情がある所と、そういう血生臭い戦いとはなかなか結びつかないのですが、川越に限らず、江戸時代に城下町はどこも少なからず変えられてますから、やむを得ないものがあるのかもしれませんね。

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ということで、明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-26 17:48 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その11 真岡陣屋跡
親愛なるアッティクスへ

東日本大震災栃木県へ行ってまだ、それほど日が経っていなかった頃のある日、真岡市という所へ行くことがありました。
(真岡・・・って、まさおかでもまおかでもなく、「もうか」って読むんですけど、九州人にはなかなか読めない地名ですね。)
で、この日は午前中からバタバタだったこともあり、少し休憩しようということになったのですが、であれば、せっかく休憩するならマニアとしては「城に行きたい!行かせてくれ!」と同行の方に三拝九拝お願いして、むりやり探し出した城に行ったのが、ここ、真岡城です。

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ところが、よくある話なのですが、城というのは往々にして公共施設の用地になっていることが多く、真岡城も看板だけで、しっかり、高校の敷地になっておりました。
で、諦めて帰ろうかとしたら、向かいにもそれっぽい敷地があるのに気づき、せっかくなら・・・と入っていったところ、まず、目に飛び込んできたのが、これ・・・(↓)。

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「ん?何か変だな・・・」と違和感を感じたのもそのはず、本来、何らかの乗っているであろうはずの物が乗ってないじゃないですか。
その答えは、これ(↓)。

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こんな所にもしっかりと震災の被害は及んでいたんですね。
石垣も一部、崩壊したようで、端っこの方はこういう状態(↓)でした。

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で、立ち去ろうとして、ふと振り返ると、ここにも何かの看板(↓)が・・・。

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どうせ、真岡城の看板と同様のことが書いてあるんだろうと思ったら、そうじゃなくて、真岡城が廃城になった後の江戸時代、ここは代官が派遣されて陣屋として機能していたんですね。

委細はこの看板の通りなんでしょうが、読み終えて、今度は看板の横に付け加えられている表示板に目が留まりました。
この陣屋は、あの、金次郎こと二宮尊徳にゆかりがある場所で、彼がここに居たことを顕彰する石碑の説明書きだったんですね。
で、ふと、足元を見ると、これ(↓)ありました。

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戦前の物でしょうが、震災の傷痕がこんな所にも及んでいることに改めて愕然としました・・・。
と、まあ、震災そのものから見れば、それだけのことではあるのですがどういうわけか、私にとっては、今、改めて見てみて、他の画像などよりもなぜかとても新鮮で、懐かしい気がするひと時の画像でして・・・。
敢えて、UPさせて戴きました。よしなに。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-22 07:45 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その10 小山評定
親愛なるアッティクスへ

東日本大震災応援建築士として栃木県に行った当初は、とにかく、何もかもが混乱を極めており、派遣の期間・・・どころか、勤務地もはっきりしておりませんで、「あるいは何日かしたら別の場所へ行ってもらうことも有り得る」という風に聞かされておりました。
となれば、栃木にもいつまで居るかもわからず、せっかく来たんだから、やはり日光東照宮は行っておかないと・・・ということで休日初日は日光東照宮へ行き、次の休日は足利家の本貫である足利市へ行った次第でしたが、栃木県と言えば、マニアにとってはもう一つどうしても足を運んでおきたい「聖地」がありました。
それが、小山評定で知られる小山市です。

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居る間に何とかしてここまでは行きたいなぁ・・・と思っていたら、しばらく経った頃、たまたま、小山の案件が巡ってきました。
私は、内心、欣喜雀躍勇気百倍、何としてもこの時に行っておかねば・・・と思い、わずかな空いた時間を利用して行ったのですが・・・。

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(↑現地はちょうど、おあつらえ向きに空き地となっておりました。正面がJR小山駅方向、背後が小山市役所です。)
小山評定とは関ヶ原戦い前夜。この地にあった徳川家康が上方で決起した石田三成を討伐すべく会議を開き、結果、諸大名を糾合することに成功した件のことですが、どうやら、一番上の画像の説明書きにあるように、野営地に急造の「三間四方の仮御殿」を建てて行ったものだったようで、はっきりと「ここだ!」とはわからないようですね。

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私としては、せっかくここまで来て「どっかこの辺」では少しがっかりしたのですが、それでも、評定の地はおおよそ、現在の市役所の敷地辺りと推定されているようでしたのでそれを信じるとして・・・、私にはこの地に立って、どうにも腑に落ちないことがありました。
それすなわち、家康がなぜ、傍らにある小山城(別名:祇園城)に入らずに城外に野営したか・・・ということです。

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この辺は、以前、平太郎独白録 : 今日は茨城県まで行って来ました。でも触れておりますが、確かに、小山城はこの当時、この年表(↑)にもあるように豊臣秀吉小田原征伐で落城し、ちょうど、廃城となっていた時期に当たります。
しかし、それでも、空堀の跡や土塁(↓)などは少し手入れをすれば使えたと思え、少なくとも、何もない平坦な野営地よりはマシだったと思います。

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(↓傍らに流れる川側からの侵入に備えた土塁です。堤防も兼ねていたのでしょうか。)
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事実、江戸時代に入ると、先ほどの年表とその横の図面にもあるように、徳川将軍家日光参内の折の御殿もしっかり、野営地と目と鼻の先の城内こ設けられており・・・。

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家康としてはここは単なる通過地点であり、泊まるとしてもたかだか一泊程度のことであり、それにわざわざ修復工事で兵士を疲れさせることはない・・・ということだったのかもしれませんが、どうせ同じ仮御殿を建てるのなら、平地よりもいささかでも高低差がある所の方が・・・と。
この点、あの、用心深い家康にしては何とも違和感を感じるところではあります。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-21 17:57 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その9 雷電神社
親愛なるアッティクスへ

「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然として敢えて正視するものなし。これ、我が東行高杉君に非ずや」

これは伊藤博文がその死の一ヶ月ほど前に高杉晋作の顕彰碑への依頼に応じ揮毫した碑文の一節ですが、「動けば雷電の如し」とは、高杉という人の生涯を一言でいう上では、何とも言い得て妙であると、まだ高校生の頃、司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」を読んだ直後に私も強く思った記憶があります。

e0027240_16225586.jpgで、なぜ、こんなことを言うかといいますと、先般、東日本大震災応援建築士として栃木県に滞在していた頃、たまたま、宇都宮市内で雷電神社(←)なる物があることを知り、雷電と言えば、江戸中期の伝説の力士・雷電為右衛門が真っ先に頭に浮かびましたので、その雷電の強さにあやかろうと出来た神社なのかな・・・と思い、行ってみたことがあったからです。
以前、映画「雷電」を見た記憶があるのですが、確か、浅間山が出てきてたから、この辺の人なんだよな・・・と。

(ちなみに、この映画は昭和34年宇津井 健さん・・・でした。役者さんも痩せるのは出来るけど、やはり、太るのは難しいよな・・・と思った記憶が(笑)。)

e0027240_1639510.jpgであれば、きっと、相撲取りに因む神社にありがちな巨大な手形なんかあったりして・・・と思い、タクシーの運転手さんに聞いてみたら、「雷電・・・ですか?その場所に神社があるのはありますが、大した物じゃないですよ」という返事・・・。

(←ここにも、しっかり震災の被害が・・・。)
どうせ、通り道だし、約束の時間まで時間をつぶすにはちょうど良かったこともあり、行ってみたところ・・・、歴史はありそうだけどどこかうら寂しい何とも中途半端な神社が・・・。

e0027240_1734697.jpgこの神社、大きいわけでもないのですが、かといって、小さいわけでもない・・・、場所も、街の真ん中・・・というわけでもないのですが、かといって、郊外の山林の中でもない・・・、栄えているわけでもないけど、寂れきっているというわけでもない・・・という、実に、微妙な神社でして・・・(汗!)

で、とりあえず、あの力士・雷電とは関係ないようなので、なんで「雷電」なんだ・・・と。
ここの地名が雷電なのか???と思っていたら、そうではなく、本物の雷なんですね。

どういうことかというと、北関東の群馬や栃木というのは昔から雷が多い所のようで、従って、この「落雷」という災難を避けるための祈願所として設けられた物だった・・・というわけです。
それに、雷電為右衛門も、浅間山を挟んだ反対側、信濃国(長野県)の人でしたね・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-20 17:55 | 地域 | Trackback | Comments(0)

東日本大震災・北関東派遣見聞録 その8 諸々・・・
親愛なるアッティクスへ

今更ながらにまだ、このシリーズの続きです。

今朝、ニュースで熊本70万人を超えて政令指定都市になることが決定したというニュースをやってましたよね。
この点で思い出したことがあります。
震災派遣で栃木県に行って二ヶ月くらいはとにかく、ミゾウユウ(?)の大変な事態だ・・・ということで、人も物も大量に投入されておりましたから、(まあ、我々もその一人だったのですが)、とにかく、もう、誰が誰だかわからない状態でして、「私は福岡から来ています」と挨拶したら、「我々は熊本からです」というようなことがあったのですが、その折、その人たちの話を聞いていて思ったのが、「熊本と宇都宮は似ている」・・・ということでした。
具体的なことは忘れましたが、どちらも郷土愛が強い・・・というようなことだったでしょうか。

e0027240_15564153.jpg(←栃木県名産・・・何とかだそうです(笑)。その熊本人が調査先でもらってました。「我々はホテル暮らしだからもらっても」と言ったのですが、「遠慮しないで持って行け」と言われ・・・。ホテルの朝食で出るという話だったのですが、結局、私の膳に並ぶことはありませんでした(笑)。)

また、5月下旬頃だったと思うのですが、一旦、栃木を去って埼玉の対策本部へ移る・・・ということになったとき、「用意もあるだろうから」ということで一日休みをもらったのですが、このとき、私は突然思いついて、せっかくなので休みを利用して仙台、それからその先にある大崎市(旧古川市)の友人を訪ねようと思い立ちました。
本当は福島県二本松市の友人も訪ねようとか思ったのですが、こちらは新幹線の駅を下りて、在来線に乗り換えないといけないため、日帰りでは厳しいな・・・と思い、また、次の機会に譲ることにして、とりあえず仙台駅へ・・・。
新幹線の中から仙台の友人に電話をしたら、「今、会議中」と言われ、「まあ、突然押しかけても都合は付かないよな」と思ったので、独りでぶらぶらして古川駅へ向かうか・・・と思っていたら、友人から電話で「会議終了」とのことで、多忙な中、拾ってもらい被災の激しかった所へ。
色々、案内してもらい、多々、話を聞かせてもらったのですが、さすがに申し訳なくて写真は殆ど撮れませんで、心の中で「すまん!」と言いながらようやく撮ったのがこの一枚(↓)。

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で、休みはこの日だけでしたので、翌朝のことを考えれば日帰りしなければならず、友人に別れを言って、そそくさと次の古川へ・・・行こうとしたのですが、さすがにそこは九州人の哀しさ、金をケチって在来線で行ったところ、しっかり乗り間違えて、何とか言う駅に着いてしまいました(笑)。
e0027240_16423770.jpg戻りの電車もないし、タクシーなど当然のように止まっていないし、止まっていても距離感がわからないから恐ろしくて乗れないという、殆ど、遭難状態・・・(笑)。
(←誤解の無いように申し上げておきますが、さすが、ここよりはもっと都会でした(笑)。ここなら私も結構、焦ったでしょうね(笑)。)

この辺は、平太郎独白録 : 宮城県に来ていますでリアルタイムで申し上げたことですが、このとき、友人に電話で現状を話したら、「それどこ?」・・・と。

結局、迎えに来てもらったら同じ大崎市内だったそうで、いくら合併したからって知らないってのは無いだろう・・・と(笑)。
結局、この日は日帰りを諦め、一泊して、翌日、始発で帰りましたとさ・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-18 06:46 | 地域 | Trackback | Comments(2)

山口良忠判事の死に思う正しいことしたいなら偉くなれの理
親愛なるアッティクスへ

去る10月11日山口良忠判事が亡くなった日だったそうですね。
山口良忠という人は、、戦後間もない昭和22年(1947年)、「判事という法の番人としての職責からヤミ物資が横行する中、敢えてヤミ米を食することを拒否し、真っ当に配給物資のみの生活を守り通した結果、栄養失調で亡くなった・・・、つまり、餓死された方です。
もっとも、私も、こういう事件があったということだけは、小学校の時、担任の先生から聞いて知ってましたが、ただ単に、そういう事件があったということを聞いただけで、実は最近まで深くは知りませんでした。
彼の行動は正しかった>のか・・・、賞賛されるべきものだったのか・・・という点については、当時から、賛否両論あったそうですね。

e0027240_1138367.jpg実際、このときも、時の総理夫人からは「奥さんがもう少し配慮してあげていれば・・・」という発言があったそうですが、賞賛されるべきかどうかは別にしても、少なくとも、総理夫人がそれを言っちゃあ自分の職責を全うした者は浮かばれませんよ・・・。
ま、要は、「正しいことをすることの大変さ」ということなのでしょうが、この点では、以前、平太郎独白録 「ノブリス・オブリージュ前編 正しいことしたいなら偉くなれ!」でも触れたことですが、かつての人気ドラマ・「踊る大捜査線」の中で、故いかりや長介さん扮する老刑事が言う、「正しいことしてえなら偉くなれ!」というセリフは、けだし名言だと思いますよ。

つまりは、現場だけで正しいことをするのは、いつの時代も無理があるってことなんでしょうが、これすなわち、同じく、平太郎独白録:新旧2作ずつの映画に想う心休まらぬ昭和の不条理 後編で述べた「周恩来文化大革命の時、もっと人々を救うべきだった・・・という批判があるが、たとえ副総理でも副大統領でも所詮、副は副であって最高権力者ではない以上、人は自分の権限の中で救える範囲を救うしかない、つまり、人は自分が持っている権限以上のことは出来ないものである」ということを申し上げましたことに集約されるかと思います。
(彼が毛沢東に正面から逆らってすべての人を救おうとしたら罷免されたでしょう。その結果、より多くの人が災厄に見舞われたであろうことを考えれば、周恩来の判断は正しかったと思います。)

その意味では、本当に国を変えようと思えば、いたずらに市井にあって現状を嘆くよりも、やはり、「総理大臣」を目指すべきですよ。
ユリウス・カエサルが自らの理想を実現するために、まず「執政官」を目指したことがその辺りを雄弁に物語っているだろうと思います。
日本の総理大臣は「本来、旧帝国陸軍と天皇の権限を併せ持ったほどに強いものである」と言われてますが、現実はそうなっていないのは周知の事実でしょうが、それでも一国のTOPの持つ権限はとりあえずは、他のどの役職よりも大きいわけで・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-10-13 07:47 | 政治 | Trackback | Comments(0)

連休で見た平成の俳優には見出せない昭和の映画人三態
親愛なるアッティクスへ

今週月曜は体育の日であったにも関わらず、終日、家に居て、被災地出張の間に撮りだめしていた映画を見てました。
友達がいない寂しい私は、以前はよく、休日をこうやって過ごしていたのですが、震災以来、本当に久しぶりの寛いだ時間でしたね。

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で、まず、一本目は昭和30年(1955年)公開の「新・平家物語」
デビュー2年目の市川雷蔵が飛躍のきっかけを掴んだ出世作ですが、この人は戦後日本映画の大スターでありながら、生後間もなく養子に出され、長じてよりも歌舞伎の出ながら権門の出でないということで、少なからず砂を噛むような思いをしてきた人であるがゆえに、それだけに、代表作「炎上」(原作・三島由紀夫、監督・市川崑)での金閣寺に放火する青年僧同様に、こういう屈折した役ははまり役だったようですね。
今の私にも少しだけ、彼の気持ちがわかるような気がします。

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次が、昭和41年(1966年)公開、山本薩夫監督作品「氷点」です。
私は当時、5歳ですから、リアルタイムでこの映画の評判を聞いていたわけではないのですが、その後もたびたび、テレビドラマ化されたことや(まったく見てませんでしたけどね(笑)。)、長寿お笑い番組「笑点」の原題となったことなどもあって、その名前は知ってました。
で、今回、初めて見たのですが、まあ、当時、話題になっただけあるな・・・と。
主演の若尾文子さんが、その美しさもながら、すでに大学生の子供がいる役だったことと、森光子さんはすでに中年のおばさん役で出ていたことには少し苦笑しましたね(笑)。
この人たちは一体、いつから生きているんだ・・・と(笑)。

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で、次に観たのが同じく、山本薩夫監督作品で、昭和49年(1974年)公開の「華麗なる一族」でして、こちらも最近も木村拓哉さん主演でドラマ化されてましたので(例によって見てませんが(笑)。)、うっすらとは知ってました。
ただ、こちらは、最初の方を少し見ただけで時間切れとなったのですが、これを見ていて少し思ったのが、主役・万俵大介を演じた佐分利 信さんのあの、天使も毒蛇も平然と喰らいかねないような存在感は今のどの役者さんにも感じられないことでした。

思えば、この頃の俳優で映画にも重鎮とした出演しておられた志村 喬、滝沢 修、小沢栄太郎・・・といった人たちは、皆、声が低い・・・、それも品がないだみ声なんですよね。
この点で、最近のドラマの方でこの役をやった北大路欣也さんなどは、まあ、私もドラマの方はそれほどじっくりと見たわけではないのですが、大河ドラマ「江」での家康役などを見ていても、極めて若々しい声で、それゆえにか、あんまり「爺」って感じがしないんですよね。
ちなみに、菅原文太、細川俊之、仲代達也という人たちは低音ですが、この人たちは昔から低かったんだろうし、やはり、だみ声ではなく、品が良い低さであるように感じるんです。
当時は老人になれば、自然とだみ声になっていたのかもしれませんが、あるいは、これも含めての生き様の差・・・だったのかもしれませんね。
                                    平太独白
by heitaroh | 2011-10-12 07:43 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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