<   2011年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧

歴史は勝者が作るの理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1653177.jpg
     「稜線に 釣瓶落として 闇侍り」 梁庵平太


先日、新聞を見ていて、ふと目に付いた記事がありました。
うろ覚えなのですが、曰く、「ベトナム人の友人から『歴史は勝者が作るもの。負けた戦争について今更、とかく言っても仕方がない。それよりも、これからのことに力をそそぐべきだ』と言われた。如何にも、長年、中国と戦ってきた経験を持つベトナム人らしい言葉である・・・」と。
これは、私もまったく同感でして、私の周りにもよく、「日本は悪くなかった」とか「日本がいかに素晴らしかったか」を力説する友人諸兄が多々、いらっしゃるのですが、私は毎回、この手の「正論」に対して無味乾燥なものを感じておりました。
言ってることは正しいのかもしれないけど、今、それを言ってどうするの?・・と。

その辺のことを端的に言ってくれたのが、この、ベトナム人の方の言葉で、私も、拙著の中で、武田勝頼、毛利輝元という人たちを描いていく上で、つくづくそのことを思ったことがあります。
歴史は勝者によって作られるんだ・・・と。
であれば、負けた側がそんなことを百万遍唱えても自己満足以外の何物でもないわけで、そんなことするよりも、もう一度、戦争して勝てば良いじゃないか・・・と。
そういうと、「また、そんな出来もしないことばかり言う!」と友人は怒りますが、そうでもないでしょう。
「勝てる時に、勝てる場所」で戦えば良いんですよ。
ただし、アメリカと事を構えるのなら、尖閣諸島竹島は放棄しないといけないでしょうし、逆に、中国を脅威と思うのなら、アメリカの無理難題にも耐え忍ぶしかないでしょう。

ていうか、それ以上に懸念されるのは、勝ってしまうと弊害の方が大きいということです。
この辺は、以前からたびたび言っている通りで、武田信玄「戦いは五分の勝ちで上とする。六分で驕りを生じ、七分勝つともう弊害の方が大きい」という言葉は至言だと思います。
(日露戦争後の「一等国日本」や、近い例ではジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃の日本・・・。また、「外交的失敗の3ヶ月を軍事的成功の3日で取り戻した」と豪語した時のラムズフェルド米国防長官などが好例でしょう。)
そもそも、日本人というのはA型民族ですから、かえって、現実を直視したほうが良いんですよ。
「最高!」「最強!」などと言われると、大体、良かった試しはないですしね。

また、「素晴らしい」などとは他国の人が言ってくれる分にはともかく、自分たちで言うのはいかがな物かと。
「人は見たいと思う事実しか見ようとしない」と言ったのはカエサルでしたが、この点で、ある印象に残っている光景があります。
少し前のことなのですが、上海コンビニ業界日本企業に押されまくった中国国営系のコンビニが、閉店後、店長・店員が集まって対策会議をしていたところ、最初は、「どうする?」「どうしようか?」だったのが、「我々でも勝てる部門があるかもしれない」から、最後には皆で自分たちに言い聞かせるように、「まだ、我々は負けたわけではない」「日本企業、恐るるに足らず」という結論に至り、散会・・・と。
これって、私には、まるで、敗色濃厚となって以降の帝国陸海軍の姿に見えましたよ。
何の根拠もない・・・、そのことは皆知っている・・・けれど・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-28 16:52 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

秋元康氏の街づくりも含めた卓見に考えさせられた連休
親愛なるアッティクスへ

昨日、地元某会の会報誌を見ていて、作詞家で音楽プロデューサーの秋元 康氏の談話が目につきました。
秋元氏と言えば、今は何と言ってもAKB48の仕掛け人としての存在で知られているのでしょうが、一方で、私は「この人こそ、プロの作詞家だ」という感をもっております。
以前、「プロとは何か?」について私見を申し述べたと思いますが、私的にはプロとは『お金をもらうつもりでお金をもらえる物が作れる人」だと思っています。
平たく言えば、ビギナーズラック対極にある物・・・と考えていいでしょうか。
その点、秋元氏のそれは「良い悪い」ではなく、「お客さんからお金をもらうつもりで、お金をもらえるように作って、お金がもらえた歌」の端的な物であるように思えます。

また、AKB48が出た当初は、「こんなに数を増やせばいいってもんじゃないだろう」と少々、批判的に見ていたのですが、最近では、AKB総選挙などの様々な仕掛け以前に、「量の優位性」というものに得心させられるようになってきました。
つまり、毎回、全員を一度に登場させる必要はないわけで、売れている順にA.B.C3段階くらいに分け、それぞれ、A2人、B4人、C6人くらいで各イベント、収録などに派遣すれば、同時に様々な活動ができるわけですよね。
この点、かつてのピンクレディーが2人ではなく、40人も50人もいたならば、代わりが利かず過労で倒れるまで酷使された・・・などということはなかったはずですよね。
(まあ、今更言わなくても、おにゃんこのときに気付け・・・と言われれば、それまでですが(笑)。)

そんなこんなで、最近、秋元氏の発想に少し興味を持っていましたので、その会報誌に目を通してみたのですが、やはり、この人は凄いですね。
一番驚いたのは、「福岡は食事は美味いけれど、他の見て回るようなコンテンツが少ない」という意見に対し、[僕なら「福岡は何も観るところはありません。だから食べてください」と敢えて言いますね。「あちこち見てまわる暇がないほど、屋台が美味くて面白いよ]と仰っていたこと・・・。
無論、この点はかねてより、郷土の顕彰などにまったく興味を持たない福岡人気質を苦々しく思ってましたし、また、食べて回るだけでは一日持たないでしょ・・・などなど、その意見を鵜呑みにするつもりはないものの、その、発想の斬新さには「そういう見方もあるか!」と思わず唸りましたね。

e0027240_16252946.jpg(←花より団子の市民性です(笑)。)

ちなみに、氏は、他にも、[まちは、どこか歪で偏ったところがあるほうが魅力的]と語っておられましたが、まったく同感ですね。
また、[「アジアにいちばん近い都市」という切り口からのアプローチはつまらない]とも・・・。

まあ、正確には、「アジアに一番近い都市」という切り口からだけのアプローチはつまらない」と解するべきでしょうが、確かに考えさせられる話ではあります。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-25 17:54 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

久々の日帰り講演バスツアー 肥後の旅 その2
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14321676.jpg「武者どもが
  先を歩みし
   秋の夕」
    梁庵平太


昨日の続きです。

この日は、朝、天神を出発し、熊本城ならぬ隈本城址等を訪ね、宇土城から八代城を経由し、最後は熊本県葦北郡芦北町にある佐敷城へ行き、また、戻ってくる・・・という結構、ハードなコースでした。
(←秋の夕日に染まる佐敷城。小城には不釣り合いなほどに立派な石垣を見て、思わず、以前、行った群馬県太田市の金山城を思い出しました。)

ちなみに、佐敷城がある葦北郡というのは熊本県の南部に位置しますが、当初より、肥後(熊本県)北半国の領主だった加藤清正の飛び領地だった所でして、従って、城づくりの名手として知られた清正によって築かれた城ということになります。
で、一方で、肥後の南半国を治めた小西行長が居城としたのが先に行った宇土城でした。

e0027240_1637216.jpg

宇土城については、行長がキリシタン大名だったことから、島原の乱後、ここが再度、反乱の拠点となってはいけないということで、江戸幕府によって、徹底的に破却されたらしく、今では狭い道を過ぎ墓地の傍らを上った所にある殺風景な公園の中に、ぽつんと不釣り合いなほどに立派な小西行長の銅像だけが屹立している状態でして・・・。
イクサに負けた者の悲哀を雄弁に語っているような城でしたね。

で、この日、バスの中で、私が講師として話すつもりにしていたのが、「関ヶ原戦役勃発時、東西力軍激突の間隙をついて天下獲りに名乗りを上げようとした・・・」と言われている黒田如水に「実はその意図はなかった」ということだったのですが、到着予定時刻が少々、遅れてしまったので、皆さん、明らかにお疲れのご様子・・・。
車内の空気を読みまして、急きょ、手短かな本日の補足的内容に変えました。
一部だけ、簡単に触れておきますと、加藤清正の家臣の中で飯田覚兵衛と並んで知られる森本儀太夫の次男に森本右近太夫という人物がいるのですが、この人はある意味、父親以上に有名な人でして・・・。
というのも、江戸時代の初め、鎖国令が発令される直前の時代に、カンボジアの、あの、アンコールワットに行って落書を遺しているからです。
(参照:平太郎独白録 : ベトナム・カンボジアの旅 8 アンコールワット
今を先立つこと400年近くも前に日本人が行ったというのは、感慨深いものがありましたけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-22 17:28 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

久々の日帰り講演バスツアー 肥後の旅 その1
親愛なるアッティクスへ

そんなこんなで、先週日曜から南紀に行っていたのですが、本当は今週いっぱいくらいと言われていたところを、私だけ、一足先に金曜の夜半に戻ってきました。
そのわけは、以前より、17日の土曜日に熊本まで行く歴史バスツアーがあるので、それに講師兼お手伝いとして着いてきてくれと言われていたからでして・・・。
で、翌朝、眠い目をこすりながら早朝に起きだして、バスツアーに参加してきました。

e0027240_11445369.jpg
(↑久々に行ったら、こんな施設ができていました。子供だましか…と思っていたら、結構、良かったですね。)

e0027240_11482475.jpg思い起こせば、初めて、こういうツアーに講師として参加したのが今年の3月12日・・・、九州新幹線開業の日・・・と言うよりも、言うまでもなく、東日本大震災の翌日のことでして、その後、二週間後には大分・宮崎の旅にも同行させていただいたのですが、それから間もなく、震災の応援として栃木・埼玉に4ヶ月も行ってしまいましたので、すっかりそのままになっており・・・。
で、今回、「もう、ぼちぼち、帰ってきたんだろう?」ということで、お声をかけていただいた次第でした。

というわけで、こちらが先でして、しっかり予定に入れていたところ、急きょ、今回の南紀行きの話があったわけで、当初はどうしたものか迷っていたのですが、思ったより現地の進捗状況もよく、先も見えてきたことから、16日中の帰郷とあいなったわけです。

で、本題ですが、熊本と言えば、何と言っても、「くまもん」・・・ではなく、熊本城加藤清正・・・ですよね。
(しっかり、くまもん買っちゃいました(笑)。)
ところが、清正は肥後に入って、熊本城に住んでいたのはわずかな期間でして、実は熊本ならぬ隈本城に居たんです。
隈本城は熊本城竣工後はその城郭の一部に組み込まれてしまいましたが、元々はこちらが先でして、清正が居館とした隈本城から竣工なったばかりの熊本城を見るとこう(↓)なるわけです。

e0027240_124576.jpg
     「清正も 汗を拭き拭き 城眺め」  梁庵平太 (この日は暑かった・・・。)

e0027240_12125081.jpg
(↑ちなみに、この隈本城は早くから要害として開けたところらしく、傍らにはこういう古墳もありました。当然、清正もこれを見たはずですね。)

いずれまた、もう一度くらい続くと思う・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-21 07:57 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

南紀熊野台風洪水被害見聞録 その2
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです・・・が、またまた、台風15号の接近に伴い、今度は名古屋市100万人避難勧告、うち8万人避難指示・・・が出たとか。
当方も、2年前に水没した経験がありますし、名古屋には友人もいますので、大変、懸念される事態なのですが、一方で、となれば当然、先般から危惧されていた土砂ダムはもっと危険な状態になっているはずで・・・。
私がいた南紀では、せっかく、皆さん、復旧に向けて動き始めていただけに、先行きがとても心配です。

e0027240_1639216.jpg
(↑ある意味、この画像を見ていただくと被害の深刻さがわかるかも。さんたちは無事に逃げおおせたんでしょうか・・・。それとも・・・。)

e0027240_16323462.jpg
↑こちらが熊野川です。
手前に橋があるのがわかると思いますが、水はこの橋の高さまで来たそうです。
また、その奥にがあるのがおわかりいただけると思いますが、本流が満杯となったため、逆流してこないようにこの堰を閉めていたところ、堰の向こう側も満杯になり、ついにはこの堰を飲み込んでしまったのだとか。

e0027240_16302456.jpg
熊野川ほどの大河でこの状態ですから、小さな川なら、当然、この状態(↑)ですよ!

e0027240_16445970.jpg
ここ(↑)にも橋があったようですが・・・。

つまり、それでなくとも、この状態のところへさらなる大雨が降るということなわけで・・・。
被害がないことを祈るばかりです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-20 17:57 | 地域 | Trackback | Comments(2)

南紀なちなう
親愛なるアッティクスへ

e0027240_112268.jpg人間には二通りあると。

の中、長靴履いて、二日酔いで、片道一時間半かけて、被害を受けた那智大社まで行かなくともいいじゃないの・・・」
と考える、きちんとした計算ができる人間と、

の中、長靴履いて、二日酔いで、片道一時間半かけて、被害を受けた那智大社だからこそ、行くべきだ!」
と考える、お馬鹿な人間と・・・。

残念ながら、どうやら、私は後者のようです。

                 平太独白
by heitaroh | 2011-09-16 11:22 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

南紀熊野台風洪水被害見聞録 その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_20532893.jpg
先日から申し上げておりますように、今、和歌山県南部、通称、南紀に先般からの台風被害の応援に来ているのですが、改めて、こちらに来て、被害の大きさに驚いております。

e0027240_20543464.jpg
和歌山県と言っても、和歌山県と三重県の県境付近でして、泊まっている所は和歌山県でも私が受け持ったのは三重県でして・・・。
でも、もう、これは津波ですよ。

e0027240_20551271.jpg
グラウンドは水没して使えなくなった品で埋め尽くされています。

                 平太独白
by heitaroh | 2011-09-15 21:32 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(4)

風光明媚とはこういう所のことを言うんだろうな・・・と
親愛なるアッティクスへ

e0027240_2024222.jpg「明月が
 波間に作る
  道一つ」

    梁庵平太

今、訳あって南紀にいます。
和歌山県と三重県の県境付近です。
こちらは昼は空青く、太陽も月も、とにかく輪郭がはっきりしています。
(←毎日、仕事が終わって入る宿の風呂で見る月です。いつもは月光が海面に見事な道を創りだすのですが、今日は少し曇がかかっているので、干潟みたいになってます。これはこれで、結構、幻想的です。福岡県ではあまり見たことがない風景ですね。)

思わず、風光明媚とはこういう所のことを言うんだろうなと・・・。
      平太独白
by heitaroh | 2011-09-14 20:30 | 地域 | Trackback | Comments(0)

南紀で見つけたでゅー・ゆー・いー・みー(どういう意味)?
親愛なるアッティクスへ

e0027240_16254933.jpg「吉宗も
 胸をそらせし
  空の青」
    平太独白


今、なぜか和歌山県にいます。
金曜日の夕方、突然、電話があって、今回の台風被害の応援に和歌山県と三重県の県境の所に行ってくれと言われ、きてみたら、鉄道は途中までしか行ってない…。
急に言われたので現金の持ち合わせは少ないし、まだまだ80km以上あるらしく、今、途中の駅で考え中です。

ま、いざとなったら人間至る所青山ありで、何とかなるでしょう(笑)

e0027240_16412793.jpgしかし、こちらはそれにしても日差しが強いですね。
九州だと宮崎みたいな感じでしょうか・・・。
あちらも、「日向の国」というくらいですから・・・。

ちなみに、こちら(←)は、その、途中立ち寄ったローカル駅で見つけました。
「寒さ料お返しします」って、冬場の閑散期対策でしょうか?

                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-11 16:41 | 地域 | Trackback | Comments(0)

北東アジアの緊迫が語る福岡県に空襲警報と高射砲の音
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10195099.jpg先日、画像を整理していたらこういう物(←)を見つけました。
「ああ、宇都宮に居たとき、ホテルの窓から撮った風景か・・・」と思ったのですが、よく見てみると、まったく違う風景でして・・・。
私は当然、ニューヨークなんか行ったことはないし、ていうか、それ以前に外国ですらないような、何か、昔、ウルトラセブンなどに出てきた異空間の都市みたいにさえ思え・・・。
「???」と思い、しばらく考えて・・・わかりました。
右90度回転した岐阜でした(笑)。

ということで、本題です。
一昨日、佐々淳行氏のセミナーに行ってきました。
氏ももう80歳だそうで、かなり、歩行も困難なご様子でしたが、首から上はまだまだカクシャクとしておられ、相変わらず自慢が多い講演でした(笑)。
で、まあ、内容自体はこれまでに聞いた内容とそう大きく違うものはなかったのですが、その中で、興味深いというか、少し意外なことを言っておられました。
今、北朝鮮ノドン・ミサイルに備えて、東京・大阪・名古屋にはそれ(パトリオット?)に対応した師団が配備されているそうで、それに対して、福岡県出身麻生太郎元総理が強硬に福岡県への配備を主張して1個師団配備されたんだそうです。

で、私が興味を持ったのは「麻生さんが地元に持ってきた」ということではなく、このとき、麻生元総理が佐々氏に言ったという会話でした。
曰く、「佐々さん、あんた、空襲警報は最後にいつ聞いた?」と聞かれたから、「15日はまったく来なかったから、昭和20年8月14日だ」と答えたら、「冗談じゃない。北九州の人たちは昭和27年まで空襲警報高射砲の音も聞いているんだ」と・・・言われたそうです。
まあ、北東アジアでの脅威に対しては如何に北部九州は枢要の地であるか・・・ということを言いたかったのでしょうが、どういうことかというと、朝鮮戦争当時は、時折、北朝鮮ミグ戦闘機がこちらのほうまで飛来したらしく、その際には、空襲警報が発令され米軍機がそれを迎撃すべく一斉に飛び立ち、、高射砲も発射されたんだそうです。
だから、「北九州の人たちは昭和27年まで空襲警報の音も高射砲の音も聞いているんだ」・・・と。

これは私はまったく知りませんでしたね。
父からも祖父からもこういう話はまったく聞いたことがありませんでしたから。
氏は「北九州」と言っておられましたが、これは現代の「北九州市」のことではなく、おそらく、「北部九州」という意味ではないかと思って聞いていたのですが(確かに紛らわしいんですよ。福岡市も「県」なのか「市」なのかわからないし。「小倉市」「博多市」にして欲しいんですけどね。)、あるいは麻生さんの地元は北九州市の方に近いし、当時は小倉の方が博多より大都会でしたからね・・・。
そう考えれば、やはり、北九州市だけのことだったのかもしれませんが、いずれにしても、福岡県には昭和27年まで空襲警報が鳴っていたことは事実なのでしょう・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-09-10 06:51 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧