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大正100年に見る信長の「思うておるより時は早い」の言
親愛なるアッティクスへ

年が明けたと思ったら、一月ももう終わりましたね。
まったく、時が経つのは早いものです。
などと言いつつ、ふと、カレンダーを見たら、今年は大正100年なんですね。
で、少し感慨に耽っていたのですが、ここでとんでもないことに気づきました。
「大正100年って、そのうちの半分は俺が占めてるじゃねーか」・・・と(笑)。
大河ドラマ「江~姫たちの戦国」での織田信長のセリフ、「思うておるより時は早い。人生は短いぞ」・・・ではないですが、まったくです。

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で、本日は歳の話題です。

先日、ラジオで誰かが面白いことを言ってました。
日本人の全国民の年齢をすべて足して、その国民の数で割ったいわゆる、平均年齢ですが、(平均寿命ではないですよ。くれぐれも、誤解のないよう・・・。)これが昭和25年(1950年)は22歳だったのが、60年後の今は45歳になっているんだそうです。
いわゆる、高齢化社会の到来ですが、これ自体は特に目新しい話題ではないわけで、私が興味を持ったのが平均年齢の上昇による世代間の位置づけ・・・についてでした。
曰く、「昔は平均年齢が22歳だったから30歳は老人だったが、今はそれが45歳だから30歳は若者ということになる」・・・と。

e0027240_15112488.jpgなるほど・・・と。
「だから、昔は早く結婚しなければならなかったのが、今では・・・」という主旨だったのですが、確かに、私が子供の頃などは、大変、失礼な話しではありますが、「女性クリスマスケーキ説」というのがありまして・・・、つまり、24が一番高く売れる売り時で、それを過ぎればどんどん安くなって行って、大晦日(31)を過ぎればアウト・・・というものでした。
酷い話かもしれませんが、当時は、私はこれを聞いたときは、「上手いこと言うなぁ」と感心しましたよ。

確か、私の認識では当時の標準的な結婚適齢期というのは、女性は24~5歳、男性が27~8歳くらいで、男性でも30歳過ぎて独身だったら、少し奇異な目で見られたように記憶しております。
まあ、戦後は栄養価の充足や学校給食などによる発育促進で日本人の体自体がかなり、若くなったな・・・というような観がありますので(明治中期の日本人の平均寿命は43歳だったというデータがあるとか。)、私は平均寿命の延びも晩婚化も、すべて、その延長線上にあるのだろうと思っておりましたが、(平太郎独白録 :人間五十年の人生論にみる国民投票法案の是非:参照)平均年齢の上昇という観点から考えれば確かに・・・。
私だって、昔なら、信長じゃないけど、「人間五十年~♪」だったのが、今では平均のちょっと上ですからね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-01-31 08:10 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で信長普遍の法則 その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」ですが、いよいよ、明日は織田信長横死の章・・・みたいですね。
大河ドラマ史上、もっとも信長らしい信長・・・といえば、やはり、何と言っても昭和40年(1965年)の緒方 拳主演の「太閤記」での高橋幸治さんでしょうが私も非常に印象に残ってますね。
(当時、NHKにはファンかの「信長を殺すな」という投書が殺到し、本能寺の変を延期したのだとか。)
本能寺の変の回で、家宝のお宝を持って逃げようとする博多商人・神谷宗湛を小姓が咎めたとき、高橋信長は、「余は死んだ後は信じぬ。見るなら今じゃ」と言い、しばらく見入った後、「よし、持って行け!」と言う・・・。
「わしが欲しい物は現世にこそある!」と言わんばかりの潔さは、「信長はこうでなくちゃ・・・」と思わせるに十分なものがありましたね。
その意味では、今回の豊川信長のそれにも是非、期待したいところです。

で、本能寺の変についてですが、特筆すべきは織田信長の小姓団の存在ではないでしょうか。
彼らは、信長が苛斂誅求な他者への対応で知られる激しい癇癪持ちであるにも関わらず、誰もが信長に心酔していたと言われ、一方、さすがに、人物の能力を見抜くという点では信長は達人であり、小姓団の方も、本能寺で死ななければ、名を遺したであろうそうそうたる人材が多かったようにも聞いております。
(信長の晩年はそれら小姓団を介さなければ、軍団長でさえも面会が出来なかったと言われており、羽柴秀吉のような人でも彼らの機嫌を損ねることを極端に怖れたとか。こうなると、少々、本末転倒な気もしますが。)

e0027240_1431438.jpg(←織田信長、信忠父子の墓石。本能寺の変での犠牲者の遺骨を葬った物だとか。)

信長の小姓団といえば、長谷川竹一、森 欄丸などが有名ですが、他にも初期には前田利家、佐々成政がおり、また、出張中で、本能寺で命を落とさずに済んだ堀 秀政小牧長久手合戦に置いて敗退する豊臣方にあって、唯一、徳川方を撃退したことで知られ、卒業生扱いだった蒲生氏郷豊臣秀吉の後の天下人としても名が挙がったと言われています。


その信長の小姓団ですが、もっとも印象に残っているのが、本能寺の変の折のことで、彼らは光秀の謀叛を聞くと、たちどころに迎撃態勢をとったといいます。
光秀の万を超える大軍に対し、信長の周囲にいたのはわずかな人数であったにも関わらず、誰一人、逃げ出す者も狼狽える者も無く、整然と、一糸乱れぬ迎撃態勢を敷いてこれを迎えた・・・と。
さすがは信長の小姓団よ・・・と。
「人は本能的に命令されることを嫌がる生き物である。しかし、素晴らしく命令されたときは喜んで従う」とは私が師と仰ぐ元帝国陸軍参謀で兵法評論家の故大橋武夫氏の言葉ですが、信長はきっと、小姓らに対してはきついけど、素晴らしい命令をいつも発していたのでしょうね。                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-29 08:25 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)

大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で信長普遍の法則 その1
親愛なるアッティクスへ

今年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」ですが、昨日、やっと第三回まで観終わりました。
最近の大河ドラマは、まあ、題材が出尽くした・・・ということもあるのでしょうが、「利家とまつ」辺りから完全に女性の占有物になったような気がします。
(以前から、「おんな太閤記」日野富子を描いたやつなど、女性目線の物が無かったわけではないのでしょうが、最近は特にその傾向が顕著になったかと・・・。この点は、私が大河ドラマ史上、「花神」と並んで高い評価をしているモッくん主演の「徳川慶喜」が、ちょうど今、ケーブルでやってますので、比べていただければよくわかるかと思います。)

で、今年の大河ドラマですが、そもそも、あんたら三姉妹だけじゃないでしょ・・・と(笑)。
小谷城落城の際には弟で浅井長政の嫡男、万福丸織田軍に捕まってかなり酷い形で殺されてますし(一説によると死ぬまでにとても苦しむ串刺の刑だったとか。)、下の弟は生かされて僧侶になったなどと言いますから。
この点は別に細かく突っ込むつもりはないのですが、ここで私が採り上げたいのが、おそらく、惨殺された万福丸は織田信長の妹、お市の方の子ではなかったのではないか・・・ということです。
織田信長という人は、身内でも一切、容赦しないようなイメージがありますが、実際には意外に身内には優しい人なんですよ。

父、信秀の晩年にできた幼い弟たちはすべて、ちゃんと養育してますし、家督を争った実弟、信行は殺したものの、その息子、信澄は終生、一門として遇し、実子以上に可愛がっていたようにさえ思える部分もあります。
また、自らの子供たちも家督争いが起こらないように、早い段階で、嫡男・信忠に家督を譲り、次男三男は他家に養子に出すなど、しっかり、良い親父しており、さらには徳川家康の嫡男、信康に嫁いだ娘が夫と姑の悪口を言ってきたら、家康に落とし前付けさせるし・・・。
ただ、その一方で、織田家に置いては信長の存在は絶対であり、となれば、当然、一族の女性に婚姻の自由などあるはずもなく、すべて信長の命令ひとつで、その意味では、そもそも、お市の方に自らの意思など無いも同然だったでしょう。
(信長は、自らの命令で嫁がせた叔母が背いたとき、その叔母を捕らえ、衆人環視のもとで逆磔の刑で殺していますから・・・。)

ただ、このドラマでもそのようですが、信長はそんな酷い事をしている反面、時代が変わっても普遍の人気を誇っているのに対し、(かつて、元プロ野球投手の江夏 豊氏は「男の子はどんな悪い奴でも強いものに憧れる時期がある」と言ってましたが、なるほど、このドラマでの信長を見ていると、そんな気がしますね。「昨日の敵が今日の友になるのが乱世の定め。武士がいちいち、憎んでいていては・・・」等と言うと、襖の向こうで若侍らが「得心」と言わんばかりに聞き入っている場面など、思わず私も妙に納得・・・と(笑)。)豊臣秀吉は最近は朝鮮出兵のこともあってかどの作品でも描かれ方がキツイですね。
昔は、秀吉といえば、立身出世の見本みたいなもので、「今太閤」などという言葉もあったほどだったんですが・・・。

おっと、もう、時間がありません。
この続きは、また、いつか続くと思います。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-28 07:59 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

孔子は15歳で将来を決めろと言うけれど・・・。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1712532.jpg昨日は懐かしい顔と久々に相見え、旧交を温めるうちに、つい、飲み過ぎてしまったようで・・・、本日、ご多分に漏れず、しっかり二日酔いです。
(ちなみに、昨夜はまた、泥酔して風呂の中で寝てしまったことは言うまでもありません。ホントに、いつか死にますね。)

で、本日は別のことについて書くつもりだったのですが、何を書くつもりだったのかがどうしても思い出せませんので、また、後日に譲ります(笑)。

晩年、孔子が自分の一生を振り返って、
「私は、十五の時に学問で身を立てようと決意した。
三十の時に独り立ちができるようになった。
四十の時に心に迷いがなくなった。
五十の時に天が与えた使命を自覚した。
六十の時に聞くことが直ちに理解できる境地に達した。
七十の時に思う通りの言動をしても道を踏み外すことがなくなった」と言った・・・というのがありますよね。

私は、今年、五十の大台を迎えるわけですが、たぶん、天は「おまえに何か使命を与えた覚えはない」と言うと思いますし、私も孔子は説教臭くてあまり好きではありません(笑)。
荘子は好きですけどね。)
で、それはさておき、15歳と言えば、現代では中学3年ですよね。
数え年と満年齢の違いということは置くとしても、中三といえば、受験の時期で、その意味では「志」を決めなければならない年齢であり、孔子に言わせれば、「決められる年齢」ということになるのでしょう。
ただ、この点で少し思い当たることがあるのですが、私が中三の時、先生から、「自分が何になりたいかを考えてそれに合わせて進路を選びなさい」と言われましたが、当時、私には「自分が何になりたいか」なんてまったく見当もつきませんでしたよ。

そう考えれば、我々の時代はのんびりしすぎていたと言えるのでしょうが、ところが最近では少し状況が変わってきているようですね。
この長引く不況と雇用環境悪化に伴い、子ども達にも「成りたい職業」を決めさせ、早くから就職に備えさせようという動きがあるのだとか・・・。
まあ、孔子に言わせれば当然のことかも知れませんが、私としては、右も左もわからないような年齢のうちから将来を決めなければならないというのは少し可愛そうな気もします。
私だって、「字を書いて飯が食えれば、これが天職だ」・・・などと思え始めたのは、やっと40歳になってからですよ。
まあ、私の場合は、生来の愚鈍ですから、遅すぎたのも当然と言えば当然で、今頃、それを痛感しているわけで、その意味では何の説得力もないのでしょうが・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-26 18:57 | 教育 | Trackback | Comments(4)

ショッピングモールで改めて思った佐賀県鳥栖市の有望感
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13571879.jpg今日もしっかり寒いですね。
今日も寒いですが、先日、この冬一番と言われた冷え込みの日に道を歩いていたところ、突然の雨・・・。
でも、周囲を見渡すと、どこにも雨は降っていない・・・。
見ると、傍らのアパートのベランダに設置された洗濯機が壊れたようで噴水のように水を吹き出していました(←)。
こちらは、寒いのに水掛けられて迷惑な・・・と思いましたが、ベランダの手すりにかかった水がしっかりツララになっているのを見て、改めて寒さを実感しました。

で、本日の本題です。

先日の日曜に佐賀県鳥栖市という所にある鳥栖プレミアムアウトレットというショッピングモールに行ってきました。
私はここには初めて行ったのですが、まあ、施設自体には特に驚きはなかったので触れるつもりはなく、私が思ったのはその場所のことです。

ここは、佐賀県とは言っても福岡県との県境にある所でして、高速を利用すれば福岡市内からも30分程度で行ける距離にあり、サッカーのサガン鳥栖サロンパス久光製薬などで知られた土地ですが、(「松雪泰子も佐賀~♪公表してねえ~♪」と歌われた松雪泰子さんの出身地でもあります(笑)。)下の地図を見てわかるとおり、九州縦貫道九州横断道という二つの高速道路が交差している所(鳥栖ジャンクション)に位置しているからで、その関係から物流倉庫などの進出が増え、九州新幹線の開通とともに近年、隣接する久留米市を凌ぐほどに将来性が有望視されているわけです。


で、この日、鳥栖市には順調に着いたものの、ショッピングモールが近づくに連れ、凄い渋滞に巻き込まれてしまい、結局、その後、到着までさらに1時間近くかかることになったわけで、その間、対向車線を走る車のナンバーを見ていて改めて思ったのが・・・、とにかく、走っている車のナンバーの種類の多さ・・・です。
地元の佐賀ナンバーは当然としても、福岡、久留米、筑豊、長崎、佐世保、熊本、八代、鹿児島、宮崎、大分と九州中のナンバーの見本市の様相を呈しており、改めて、ここが交通の要衝となっていることを実感しました。
(私は道州制が導入された場合、州都はここに置くべきだという持論を持っております。)

ちなみに、ここについてすぐに家人が言った言葉は「何時に待ち合わせする?」・・・でした。
「一緒に行って良かろうもん」と言うと、一言、「悪い冗談やろ?」・・・と言われ、沈黙・・・(涙!)。
これが日本のお父さんの現実です(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-25 07:56 | 地域 | Trackback(1) | Comments(2)

与謝野薫氏の入閣に悲壮感を覚えるのは私だけ・・・?
親愛なるアッティクスへ

「たちあがれ日本」から離党し、民主党内閣経済財政政策担当大臣に就任した与謝野 馨氏ですが、この人に対しては巷間、色々言う向きがあるようですね。
まあ、確かに、少し唐突な感もなきにしもあらず・・・でしたから、行為だけを見れば、ポスト欲しさの変節・・・と思われても仕方がない部分があるのかも知れませんが、でも私には、この人・・・、もしかして、自分に残された時間はあまり長く無い・・・ということを知ってるんじゃないか・・・と思えてならないんですよ。
だから、現実無視のマニフェストに縛られ、迷走を続ける民主党政権の現状を憂慮し、敢えて沈みかけた船に飛び乗った・・・と。

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(↑幽明境を異にする・・・?)

ここまで考えるのは、あまりにも彼に都合の良すぎる解釈なのかもしれませんが、もとより、私はこの方に何か思い入れがあるわけでもありませんし、特に接点があるわけでもありませんので、無理して彼を擁護する必要はありません。
でも、普通に見れば、民主党政権は沈みかけた船ですよ。
この先、小沢一郎元代表に変わろうが、岡田克也幹事長に代わろうが、誰に変わったって、次の選挙では敗北は必至で、であれば、こんボロ船にわざわざ飛び乗る方がおかしいでしょう。
民主党政権を批判する立場だったからと言っても、現内閣の一員になることに何かプラスはあります?
私には、彼には「もう、次の選挙はない」と思っているように思えて成らないんですよ。

まあ、そうは言っても、所詮、何の根拠もない憶測に過ぎないわけで、その意味では、もう少し経緯を見守ってみるしかないでしょうが、ただ、入閣したとは言え、経済財政政策担当大臣って、要するに昔の経済企画庁長官・・・ですよね。
職務や権限に変更が加えられていればその限りではないでしょうが、旧来の物と大差ないのなら、どちらかというと総理のスタッフ的なポストで、つまり、政策を提言することは出来ても実行する・・・、させる権限はない・・・ということであり、(まあ、その方がこの人には向いているような気がしますけどね。故宮沢喜一元総理と一緒で。)かつての小泉内閣の時の竹中平蔵氏や与謝野さん自身のように金融担当大臣でも兼ねているのであれば、まだしも・・・と思わなくもないような・・・。
その意味では、すべては菅 直人総理のリーダーシップにかかっているのでしょうが。

ちなみに、その与謝野さんが入閣した菅 第2次改造内閣ですが、官房長官を仙石さんから枝野幸男氏に替えたことの是非はともかく、(枝野さんって私より年下だったんですね。初めて知りました(笑)。)私的には前原誠司外務大臣をもっと罪がないようなポストに異動させて欲しかったですね。
我々が子供の頃に使っていた博多弁では格好良いことを「艶」と言うのですが(今は死語です。)、彼の考え方はすべて、偽メール事件当時のままの、「艶~に!」という表現がぴったり・・・で(ニュアンス的にはカッコつけやがって・・・というところでしょうか。)、野党の議員としてならともかく、いくら優秀でも現実が見えていないような人をこういう責任あるポストに就けてはいけませんよ。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-24 08:04 | 政治 | Trackback(6) | Comments(4)

電子書籍元年に昭和から脱しきれない身の不明
親愛なるアッティクスへ

今、電子書籍云々という言葉を良く、巷で耳にしますよね。
先日も、堺市立図書館電子書籍提供サービスが開始された・・・という報道を耳にしたのですが、曰く、「図書館のホームページから所蔵する電子書籍の貸出を行う」、「2週間借りることができ、貸出期限を過ぎると自動的に読むことができなくなる」とのことで、これにより、「図書館を訪れることができない人でも24時間・365日利用することができるようになる」・・・とのこと。

e0027240_1722774.jpg確かに、これを読む限り、ケチの付けようのないことなのでしょうが、私はどうにもアナログ昭和男の哀しさで、イマイチ、この電子書籍という物の将来性については信を置くことが出来ていません。
従って、先般出版の、拙著、
「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」も、同じく、復刻再出版した
「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」も、
敢えて、コスト的には高く付くのを覚悟で「紙」にこだわったわけで・・・。
(←黒田家福岡城址です。)

まあ、本を出す側にとってはコストが大幅に安く上げられるというのは大変な魅力でしょう。
実際、私の周囲からも、そういう声が聞こえてこないわけでもありませんし、読み手の側からすれば、安い価格で買える上に、満員電車の中でも読める・・・、置き場所にも困らない・・・等々のメリットも挙げられるようです。
(我が家では、家人などは図書館派でして、私の「積ん読」行為には一片の理解もありませんが、確かに理屈の上では向こうが正しいんですよね。何度も読み返すかと言われれば、読み返さないわけで・・・。)

また、確かに、新聞インターネットの前に劣勢に立たされていることは紛れもない現実なのでしょうが、(これは私に言わせれば、新聞側の怠慢という一面もあるように思いますよ。紙面を二つ折り、四つ折りにしたときに文が切れる・・・などというのは、怠慢以外の何ものでもないでしょう。)一方で、テレビが登場したとき、「電球の登場によりランプが消滅したように、これで映画衰退消滅する」ということを言う人がいたと聞いたことがありますが、現実には、そうなりませんでしたよね。
(近いところでは、電子手帳が出てきて、紙の手帳が淘汰されたか・・・といえば、そうはなってないわけで・・・。)

それらを踏まえた上で、私がどうにも電子書籍という物に馴染めないのは、まず第一に、「目が疲れるのではないか」という懸念です。
私は今、数年前から、パソコンに向かうときは専用のメガネを掛けてやるようにはしているのですが、それでも、終日・・・となると、かなり目の疲れが大変です。
まあ、この辺は技術革新により、いずれ改善されてくるのでしょうが、もっとも大きいのが電池切れになったら読めない・・・ということ。
一般の書籍なら、一年でも二年でもカバンの中でも車の中でも放置しておけるわけですが、私自身、電子手帳携帯で間に合わせてますが、スケジュール管理はこの通りの理由で、未だに普通の手帳(もらい物です。)を愛用しています。
と言いつつ、なぜか私、電子同人誌の立ち上げメンバーになってしまっているのですが(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-22 18:27 | 時事問題 | Trackback | Comments(4)

舌の根も乾く「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」出版報告
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13525396.jpg昨年末、性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之の黒田家三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版したと申し上げたばかりですが・・・、このたび、その舌の根も乾かぬうちに、道楽ついでとばかりに、関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた

(←)「毛利輝元  傾国の烙印を押された男」
出版致しました。
からでも、右下のライフログからでも購入できます。)

今回は結構、生活がかかっておりますので、どなた様も「黒田家三代」ともども、宜しくお願い致します(笑)。
ただ、この作品は、タイトルを見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、実は、私の処女作である「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」復刻再出版した物でして・・・、なぜ、復刻することを思い立ったかというと、偏に、本作がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮したからでした。

まず、本作が絶版後、中古品として高額な値が付いた最初は平成20年(2008年)、絶版発覚直後¥21,477・・・。
(だって、元値はたかだか、1,800円程度ですよ!)
思わず目を疑い、何度も見直して、間違いじゃない・・・とわかった瞬間、噴き出してしまいました。
貴重品扱いかよ・・・と(笑)。
(ところが、その夜、もう一度、見てみたことろ、見事に消えており・・・、これって、もしかして売れた・・・ってこと?と再び驚愕・・・。)
もっとも、まあ、これは、少々、特殊な例だろうと思いますが、それでも、その後は、ポツポツと中古品が出てきて付いていた値段は、大体、平均で1万円前後で推移しており、最近では復刻再出版の噂が漏れだしたのか幾分値下がりしましたが、それでも、今日現在で¥6,448・・・などというむちゃくちゃな数字が付いてます。

ただ、私もまさか、完売してしまうとは思っていなかったことから、正直、手元にもそれほど置いておらず、読んでみたい・・・ということを仰ってくださった方にも提供することが出来ず、内心、忸怩たる想いを抱いていたところ、その後、ネット上で、「入手すれば高く売れるレア物リスト」などというのにも載っているということを知りました。
本当に読みたい人に行き渡らず、転売して利益を得ることだけが目的の投機の対象となっている・・・という現状に、私が言うのも変な話なのですが「義憤」を覚えました。
で、この現状を憂慮し、少々、経済的には無理があるのですが復刻を決意した次第です。

ただ、私としては、前回、手にとってくださった方を騙すような形になるので、なるべく、タイトルは変えたくなかったのですが、今回は出版社が違うため、その意向には逆らえず・・・。
もっとも、校正なども一からやり直しており、前作とは装丁からして少々、趣が違う部分もあるように思いますので、その意味では見比べて頂くのも良いかもしれませんが。
と、まあ、所詮、取るに足りない物ではありますが、ご興味がお有りの方には是非、お手にとって頂きたけますよう、伏してお願い申し上げます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-19 07:10 | 私小説 | Trackback | Comments(8)

年の初めの東京de黒田長政の墓探訪記 後編
続きです。

祥雲寺どころか、広尾という所自体、初めて行ったのですが、さすがに東京のお寺は色々と有名人が眠ってますねぇ・・・。

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黒田長政の墓の傍らには、長政の次男を藩祖とする福岡藩の支藩、秋月藩黒田家の墓(↑)がありましたが、長政以降の本藩藩主の墓が見あたらないと言うことは、あるいはここにある長政の墓は秋月藩(次男)が福岡藩とは別に独自に長政を偲んで建てたものだったのかもしれませんね。

e0027240_13192847.jpg次に見つけたのが、荒井郁之助の墓(←)です。
と言っても、この人物については名前を聞いて、すぐにピンと来る人は相当なマニアでしょう。
実は私も知らなかったのですが、ただ、私はこの人物の名前にはちと、奇縁がありまして・・・。
10年ほど前でしょうか、友人と男三人と北京に行った際、そのうちの一人がワガママな奴でして、決められた夕食会場を「つまんないから、俺だけ別にしてくれ」などと言い、独り、どこかへ行ってしまいました。

やむなく、二人で通常通りの夕食会場へ行くと、そこで埼玉からか来られたという年輩のご夫婦の方と同じテーブルになったのですが、もう一人がその場にいないことを訪ねられました。

e0027240_13364747.jpgで、経緯を説明したところ、「変わった方ですね」と言われるので、私が、「あいつは、平重盛から苗字を許されたと言い張る奴なんですよ」と言ったら、「実は、私の方にも荒井郁之助の子孫がいて」と・・・。
でも、多少は詳しいつもりの私も、また、博識の友人も、「誰?」となったのですが、「榎本武揚と一緒に五稜郭に籠もったときの海軍奉行で、初代の気象庁長官」と聞き、「はあ・・・」と(笑)。

(←「陽の当たる
  道の陰にも
   道はあり」
     梁庵平太


で、帰国して、少し調べたのですが、北海道開拓の折に出されたみそ汁にメダカが入っていたけど、さすがにサムライ荒井は顔色一つ買えることなく、そのまま、食べてしまった・・・というエピソードなどを知り、以来、この人物の存在が頭のどこかにありました。
(今なら、絶滅危惧種・・・けどね(笑)。)

e0027240_13542644.jpgで、もう一つ、見つけたのが日比翁助翁の墓・・・。
この名前はさすがに私は知ってました。
と言っても、多分に名前だけで、事績を細かく知っているわけではなかったのですが、三井物産創業者の益田孝翁や阪急創始者・小林一三翁の伝記などでその名前を見ていたのですが確か、久留米藩士の出で、慶應義塾から三井銀行を経て、中上川彦次郎門下で頭角を現し、三井呉服店三越として日本初の百貨店に育て上げたをつくった人物・・・ですよね。

ロンドンのハロッズ百貨店の経営者に、「見よ、私のデパートは宮殿の如くで、ここに来る人々の顔は悦びに満ちている」とか何とか言われ、これに深い感銘を受けた・・・んでしたよね。
NHKの『その時歴史が動いた - サムライ魂でデパートを創れ! 〜近代百貨店誕生物語〜』でそんなこと言ってたと思うのですが・・・(笑)。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-01-18 08:11 | 地域 | Trackback | Comments(2)

阪神大震災から今日で16年・・・
親愛なるアッティクスへ

今日は本当は別のことを書くつもりだったのですが、今日、1月17日は阪神・淡路大震災から16年・・・ということを聞き、もちろん、私は被災者ではありませんし、身内に被害を受けた人がいたわけではありませんが気が変わりました。

当時、私は33歳・・・。
普段と何ら変わらない朝でしたので、その日の状況をそれほど克明に覚えているわけではないのですが、起きて、朝飯食っていたら、テレビが「関西地方で地震がありました」・・・みたいなことを伝えました。
「・・・みたいな」というのは被災者の方にすれば、カチンとこられる表現かもしれませんが、当初、遠隔地では被害の実情が的確に伝わっておらず、おそらく、私に限らずその程度の認識だったと思います。)

やがて、被害の甚大さを知るにつけ、まず、思ったのが大阪に住む義兄を始め、神戸、明石、加古川などに住む親戚のこと・・・。
幸い、誰にも特に被害はなかったのですが、義兄は、地元出身の女優・藤原紀香さんや楽天の三木谷浩史氏などと同様、すっかり人生観が変わったというようなことを言ってましたし、また、その後の福岡での玄界西方沖地震が比較的、軽微で済んだ裏には相当に大震災の教訓があったようで、特に、法整備が格段に進んだことが大きかったように思います。

その後さらに、被害は増え続け、新聞テレビの報道は連日連夜、被害の深刻さを伝え続けましたが、特に、私もこの少し前に初めて、「父親」になっていたこともあり、嫁に、「少し、募金して良いかいな?」と恐る恐る切り出し、許可をもらった上で、翌日、銀行に行って2万円(1万円だったかも?(笑)。)を振り込みました。
(少額と笑うことなかれ・・・。当時の私にとってはこの額はとても大きな額でした。)
当家は元々、「各人が負担出来る範囲で政府に税金という形でお金を出しているのだから、民間が募金や寄付などをするのは本末転倒」という考えを持っており、従って、私も今に至るまで、寄付や募金などというのをしたのはこのとき一回きりですので、如何に私が受けたインパクトが大きかったかがおわかり頂けるでしょうか。

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で、それから数年後、友人と震災について話していたところ、「あの日、俺は早朝をジョギングしていたら博多でも月が真っ赤だった」ということを言っていました。
「そんなことがあるものか・・・」と思いながら、その夜、私は車で帰宅途中、いつものように小高い丘を越えていたところ、傍らに、オレンジの丸いマークが見えました。
「ああ、ダイエーか・・・」と思ったのですが、ふと、「待てよ、こんな所にダイエーがあったか?」と思い直して良く見てみると、それはダイエーのマークなどではなく、何と、血のように真っ赤に染まった「月」でした。
そのまま、家に駆け込むと、「月が真っ赤だ!今日は何かあるかもしれん。慌てないで良いように用意だけはしておくように・・・」と家人に申し渡したところ・・・、まったく、何もありませんでした。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-17 07:36 | 社会全般 | Trackback(1) | Comments(5)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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