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高杉晋作の豊前小倉城攻略に立ちはだかった肥後熊本藩
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13234578.jpgNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、高杉晋作率いる長州諸隊の前に、我が福岡県の豊前小倉城、実にあっさりと落ちてましたよね。
あっさりではなく、かなり省略気味の落城でしたが(笑)。
(←「じも」ではありません。「もじ」です(笑)。)
肥後熊本藩兵などは高杉晋作の前に、「おい達ゃ、幕府軍やなか。肥後熊本藩兵たい。幕軍から、むりやり守らされとうだけですたい」みたいなことを言い、「ゴメンナサイ」と言わんばかりみたいな感じで描かれてましたけど、実際には熊本藩は小倉口の戦いでは長州藩にとっては最強の敵であり、西国雄藩らしく、最新兵器のガトリング砲などをも装備しており、長州軍は大打撃をこうむっています。
結果、さしもの高杉晋作も一旦、兵を退き、熊本藩兵が居ない所に矛先を変えざるを得なかったわけで・・・。

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(↑関門海峡です。)

そもそも、熊本は勇猛で知られる薩摩への抑えとして知られる存在ですが、一方で、熊本人は川上哲治、江藤愼一、古葉竹識、秋山幸二、伊東勤・・・という人たちに代表されるように、プロ野球選手としても名選手であると同時に監督としても実績を残した人たちを多く輩出しております。

この点、長州が何だかんだ言っても総理大臣を日本最多で輩出していることと比較すると、「長州人は一つしかない総理大臣のポストを自分たちから輩出しようとするが、肥後人は自分が小集団のTOPになろうとする」・・・といえるでしょうか。
ちなみに、菅 直人氏が学生時代まで山口県だったということはよく知られておりますが、同様に、阪神の真弓明信氏も元々、小学校三年までは熊本なんだそうですね。
(福岡県大牟田市の出身だとばかり聞いておりましたが。)
話をもとに戻すと、その後、熊本藩兵は自分たちばかりを働かせようとする幕府軍の体たらくに愛想を尽かし、小倉戦争から撤兵。
これにより、高杉晋作はもはや、恐れるものなしとして一気に小倉城の攻略を命令。
幕府側の敗退は誰の目にも明らかになり、それが、そのまま、その後の明治維新に至るわけですから、その意味では、肥後熊本は薩摩にとっても、長州にとっても、鬼門であったといえるでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-09-30 08:09 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)

本人の能力を超えて夢を見る白鵬の連勝記録を見たいの理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13471025.jpg「酔うて風呂
  寒さで目覚め
    秋を知る」

    梁庵平太

昨日もまた、風呂で死にかけました。
当然、本日は期待に違わぬ見事な二日酔いです。
頭はまったく、働いておりませんで、本日は例によって手抜きです。

で、そんな寝方したからなのかどうかわかりませんが、昨夜、夢を見ました。
なぜか再就職した夢だったのですが、そこは社長・部長に男女一人ずつの平社員に私を含めて計5人の小さな会社でした。

(なぜか、直接の上司である部長が小泉純一郎元総理でした(笑)。)
すでにかなり、倒産の噂が駆けめぐっており、社長が居ないときに、「今のうちに、失業保険の書類に会社の印鑑を押しておこう」という話になり、部長以下、皆で書いていると、私が書類を書き損じてしまったので、書き直そうと書類棚に手を伸ばしたところ、小泉部長が「そこじゃない」と言う。
「え?でも、こういう関係の書類はここに全部まとめて置いてあるんですよね」と私。
すると、笑いながら、「バカ、何だか、いかにも倒産に向けて我々が備えているみたいで、こういう書類は社長の目に付く所に置けないだろうが」と言って、一番下の棚に手を伸ばすと、この書類だけそこに入っており、思わず、「なーるほど」と納得しました。
でも、どうして、夢を見ている本人が夢の中の登場人物から教えられるんでしょうか?
だって、私の夢でしょ?(笑)。
これって、本人の能力を超えて夢を見ているということなんでしょうか・・・。

で、本題です。
大相撲は横綱・白鵬が、62連勝・・・ですか。
この調子でいくと、双葉山の持つ、前人未踏の69連勝に並ぶのは九州場所7日目でのことになるのだとか。
最近、相撲には興味を無くしておりましたが、これは是非、見に行きたいですね。
大鵬を始め、過去に大横綱と呼ばれた北の湖も、千代の富士も、貴乃花も、誰も抜けなかった訳でしょ。
双葉山のこの記録と、大鵬の優勝回数記録はもう、誰も抜けない記録だと思ってましたよ。
だって、双葉山がその記録を作ったのは戦前でしょ。
それが塗り替えられるのを見られるなんて・・・と。
頼むから、記録更新するまでに負けてくれるなよ・・・と(笑)。

ちなみに、うちの親父はバイクでその双葉山にぶつかったらしいですけどね(笑)。
付き人のような連中が「貴様、横綱に向かって・・・」と色を成して詰め寄り、一瞬、険悪な雰囲気になったそうですが、さすが大横綱、「騒がんで良い」と言って彼らを抑え、「あなたも気をつけなさいよ」と言って、その場を一件落着したそうです。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-09-29 08:45 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

ドラマ「ゲゲゲの女房」に日々黙考 その6
親愛なるアッティクスへ

水木しげる・布枝夫妻の半生を描いた「ゲゲゲの女房」もとうとう、終わりましたね。
私は、元々、朝の連ドラなどはまったく見ない人でしたので、これでまた、そういう物に縁遠い生活に戻ると思いますが、ていうか、そもそも、朝の連ドラなんて物をここまで見たのは初めてでしたよ。
で、このドラマ、最初は別に「やってれば見る」という程度だったのですが、佳境に入って以降は、恥ずかしながら、結構、独り、感涙にむせぶことも・・・、いやあ、とにかく、色々なことを考えさせられました。

①布枝夫人のお父さんが水木翁に対し、「家族という物は家長を中心に一糸乱れぬ統制の元、粛々と・・・」などと言うシーンなどは、今のお常識なら、「理不尽な!」、「人権侵害だ」などという罵声が聞こえてきそうですが、明治生まれの義父大正生まれの婿との間では、その概念に対してはいささかの疑問も存在しないわけで・・・。
九州人的には、我が家でも、今でもそうありたいと思っているのですが、如何せん、時代の波には逆らうには私は余りにも非力すぎます・・・(涙)。

②「皆、、戦死する者は戦闘で死ぬと思っているだろうが、実際には戦闘以外で落命する者も多かった」という体験を語る中で、ワニに食われて死んでいった者の話がありました。
まあ、この話自体は私も以前より聞いていたので特に驚く話ではありませんでしたが、印象に残ったのが、「皆、自分はこんなことで死ぬのかと驚きながら死んでいった」・・・というくだりです。
私も、過去、何度か死にかけたことがありますが、中でも過般の凍死の時と、学生の頃に志賀島で溺れかけた時には、まったく、そういう感じでしたね。
「え?嘘やろ?俺はこんなので死ぬの?」・・・と。
私的に言わせて頂ければ、「死はいつも明確な意図をもって訪れるとは限らない」・・・というところでしょうか。

スランプに陥った水木翁のもとを貧困時代からの理解者・イヌイさんが訪ねてきて、「私もあなたの近頃の作品には精細が無いのが気になっていた」と言い、「私はもう過去の人だ!」と嘆く翁に対し、「大丈夫です。本物は絶対に消えません。水木しげるは本物です」と確信を持って言い切る・・・。
そして、「今の貴方に何が足りないのか私にもわからない。今は大いに苦しんでください」といい、これにより、スランプから脱出するわけですが、私が思うに、多分、イヌイさんは水木翁に足りないものが何かはわかっていたと思いますよ。
まさしく、名伯楽でしょう・・・。

で、これらのどれより、私が一番、痛感したことがあります。
今の私に一番、致命的なまでに欠けている部分であり、本当は、その部分についてこそ書きたかったのですが、ここに顕すには余りにも身の不徳は如何ともし難く・・・、また、いずれ機会が有れば・・・。
ちなみに、長女のアイコさんがどうやら私の一歳下くらいのようですので、昭和40以降のシーンなどを見ていると、我が家も結構、同じような感じがありましたね。
確かに、うちも水木家と同様で、たまに家族で出かけるとなるとデパートで、しかも、行くだけで何も買ってくれないんですよ・・・(笑)。
そういえば、うちも母の弟などが来ると、デパートに連れて行ってくれて好きな物を買ってくれていたような気がしてきました(笑)。
嗚呼、昭和は遠くなりにけり・・・ですね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-09-28 17:35 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

福岡ソフトバンクホークスのリーグ優勝にまずは慶祝慶祝!
親愛なるアッティクスへ


e0027240_15545482.jpg福岡ソフトバンクホークス、ついにパ・リーグ優勝を決めました!

M.V.Pは私的にはご贔屓の多村 仁選手ではないかと思っていますが、選手会長として、チームを牽引したという意味では川崎宗則選手(←)かもしれませんね。

だって、投手陣は、数字ほどには杉内、和田がシャンとしなかったし、打撃陣も結構、休場が多かったですからね。
先発投手陣は、ホールトンを始め、シーズンを通じて働いたのは杉内、和田だけで、それ以外は仕方ないから頭数に入れている・・・という感じでしたし、自慢のリリーフ陣だって、肝心の馬原安定不足でしたよ。
打撃陣だって、松田、小久保、松中、多村、オーティズと元々、怪我が多い顔ぶれで、本田、長谷川、田上も今年は昨年ほどパッとしませんでしたしね。
毎度、言ってますが、よくぞ、あの戦力で優勝したなーと。
その意味では、秋山幸二という監督はやはり、良い監督なんだろうな・・・と思いますよ。

すべては、西武との初戦で松中信彦選手が放った同点3点本塁打と、小久保裕紀選手のサヨナラ本塁打、そして何より、日ハム戦でのダルビッシュ相手の杉内俊哉投手の1-0での完封劇・・・でしょうが、でも、デーゲームの日本ハム-西武戦も西武だって、土壇場でのサヨナラ負けで優勝が決まり、その後の試合にソフトバンクは敗れたことを思えば、まったく、薄氷での優勝でしたね。
こういう0.5ゲーム差での優勝こそが価値ある優勝なわけで、本当なら、私も祝杯を挙げたいところですが、でも、それほど興奮はしてませんでした。

なぜなら、どうせ、ここで届かなくてもプレーオフ(クライマックスシリーズ)があるわけで、0.5ゲーム差が1ゲーム差になっただけのことで、だったら、別に良いか・・・と。
(ちなみに、「福岡ソフトバンクホークスとなってからはのリーグ優勝」という報道が為されてましたが、実際には最初のシーズンに1位通過はしているんですけどね。)
まったく、プレーオフというのはおかしな制度ですよ。
ただ、セは順位はともかく、プレーオフ出場は中日、阪神、巨人でほぼ決定していると言って良いことを思えば、どうせなら、日本シリーズはまだ、見たことがない顔合わせを見てみたいな・・・と思っておりました。

で、ソフトバンクは・・・と思えば、中日、阪神、巨人すべてとの対決は経験済みであり、この点は西武もロッテも又然り。
じゃあ、日ハムならば・・・と考えてみたところ、「あ、日ハム対阪神は無いな」と思ったのですが、よく考えたら、昭和37年に「阪神対東映」というのがありましたね。
そう考えれば、楽天を別としたならば、結局、巨人はすべてと対戦経験があり、中日、阪神がわずかに、オリックスとの対戦が無い・・・と。
でも、中日対オリックスはともかく、阪神対オリックスでは関西ローカルの話になってしまうわけで、その意味では、やはり、もっとヤクルト、広島、横浜にも頑張って欲しいですね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-09-27 17:51 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(4)

自転車に乗り思う事故と陸軍と坂という名の大地の息遣い
親愛なるアッティクスへ

本当は今日は別の話題について触れようと思っていたのですが、たまたま、今朝、何気に傍らにあった、ある会報誌自転車についての記事が目に止まりました。
ちょうど、昨日、自転車について触れたばかりでしたので、ナイスなタイミングでもあり、予定変更して、今日までこの話題について触れておこうと・・・。
で、まず、その話題に行く前に、自転車に乗って、もう一つ思ったのが、地形の起伏を感じること・・・です。
今までは、車は当然としても、歩いているときも、まったく平地だとばかり思っていた所が、自転車だと、突然、きつくなったので、「??」と思って見てみると、しっかり坂になっており、「え!?ここ、坂だったの?」ということが多々ありますよ。
少しわかりにくい表現ですが、何だか、大地の息遣いを感じるような気がします。

e0027240_1454586.jpg(←天気も良いし、自転車でちょっと遠出して昼食に出たところ、帰途、ふと、公園の脇の石碑に目がとまりました。「陸軍」と書いてあり、その下は植栽に埋もれて見えませんが、裏には、「三二」「三三」「三六」などの漢数字が見て取れます。
ここは、元々、戦前は陸軍の何かがあったのでしょうか。
私が知る限りでは、高度経済成長期「長尾」という所を住宅都市整備公団が宅地造成し、「長尾」の「長」と「住都公団」の「住」で「長住」したと聞いているくらいで、以来、ちょっとした高級住宅街になってますけどね。)

まず、記事から抜粋すると、昨年、「自転車が当事者となった交通事故は15万6,373件で、交通事故全体の21.2%を占めて」いるそうで、やはり、私が「自転車にもウィンカー搭載を義務づけるべきだ」と感じたことは、必ずしも的はずれな考えではなかったんだな・・・と思っていたら、続けて、「10年前と比較すると、対自動車、対二輪車の事故が減少しているものの、対歩行者事故約3.7倍に増えて」いるのだそうで、さらに、「自転車事故のうち、自転車側に法令違反があった割合は66.7%で、死亡事故では74.0%」と、自転車の運転者側に問題があるという記述がなされてました。
これは、ひとつには、自転車には車のような罰則などの制約が少ない・・・、いや、全くないと思っている人が多いからだと思います。

ところが、「自転車は道路交通法上、車両の一種(軽車両)です。自動車との事故は車両相互事故として、歩行者との事故は人対車両事故として扱われます。自転車も事故を起こすと刑事上の責任が問われ、相手にケガを負わせた場合は民事上の損害賠償責任も発生」するのだそうで、中には「高校生が夜間、携帯電話を操作しながら無灯火で走行中、女性と衝突」し、「重大な障害が残った」結果、「賠償金5,000万円」が科せられたケースもあるのだとか。
また、同じ信号無視でも、普通乗用車は「9,000円の反則金」であるのに対し、自転車は「3か月以下の懲役又は5万円以下の罰金」と厳しく、しかも「前科」が付いてしまそうで、罰金はまだしも、前科はまずいでしょ・・・。

こんなの私も初めて知りましたよ。
でも、だったら、自転車はどこ走ったら良いの・・・って気もしますよ。
歩道を走って、歩行者にぶつかると拙いわけでしょ?
じゃあ、車道なのかといえば、私がトンネル内の車道を自転車で走ったことなどは違反の好例なわけで・・・。
政府も、高速道路を増やすことばかり考えないで、多くの一般道の歩道と車道の間に自転車道というのを設置することも考えて欲しいですよ。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-09-25 17:47 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

虚脱状態で思う自転車にもウィンカーを義務づけるべしの理
親愛なるアッティクスへ

福岡県地方も、昨日辺りから随分と過ごしやすくなりました。
それでも、まだ日中は陽射しが強く、ちょっと動けば汗を掻くくらいなのですが、それでも、今朝は、久々に気持ち良く目覚めることが出来ましたね。
でも、それもそのはず、気が付けば、9月もあと1週間を切っており、ようやく、夏が終わったか・・・くらいに思っていたら、何と、今年も残すところ、あと100日しか無いんだそうですね。
また、一つ、無駄に年を重ねることになりそうです。

e0027240_14423811.jpgで、今日でどうにか、多忙さは一段落しました。
で、こちらも、これまで、書こうと思って、書けなかったことがたくさんあるので、何から書こうか・・・と思っているのですが、実は、今、思いっきり、終戦直後の日本人状態のような妙な虚脱感の中にあり、何も手に付きません(笑)。
思えば、普通に日祝日に家でゆっくり休んだのって、いつ以来なんだろう・・・と思い、手帳をめくってみたら、どうやら、7月4日が最後だったようです。
そらあ、虚脱状態にもなりますばい(笑)。

で、振り返れば、今年の夏は、本当に色々なことがありました。
サルサ放生会に、高知、愛媛、鹿児島、大阪・・・、でもって、四国からの帰りに交通事故に遭い車は大破、その数日後には一旦停止違反で捕まりゴールド免許との別離が決定し、さらに、定期検診の結果には「要精密検査」の文字があり、やむなく検査に行ったら、「注射を打つのでサインしろ」と言われ、文言を見たら、「この注射で10万人に1人くらい死にます」の文字が・・・(涙)。
もう、ここまで来れば、笑っちゃいましたね、どうにでもしろ・・・って(笑)。

で、そんなこんなで、今、実は車がありません。
やむなく、「自転車に乗ろう」と思い立ち、家にあった古い自転車を修理してもらうべく、自転車屋に行ったら、「買った方が安い」と言われ、結局、新品を購入・・・。
で、思ったのが、普段、自転車に乗り慣れてないやつには実に危ないんですよ。
無論、自転車の運転自体には問題ないのですが、まず、「バイクが走ってるんだから、自転車だって良いだろう」と思い、車道しかないトンネルを思いっきり走ったところ、かなり、危ないと感じ、後で家人に聞いたら、「通って良いわけないじゃない!」と思い切り、一喝・・・。
(でも、それって、本来、動力を持った車やバイクが山越えして、持たない人や自転車こそがフラットなトンネルを通るべきなんじゃないの・・・と思うんですけどね。怪我人や障害者はどうなるんだ・・・と。)

で、それより何より、自転車にもウィンカー(方向指示器)を義務づけるべきですよ。
こちらは曲がるつもりでも、車の運転者の側にはそれがわからないでしょ。
自転車がいち早く、車の運転者に右左折の意思を伝えることに不都合はいささかもないでしょうし、それで少なからず事故が防げるのであれば、コスト云々の問題ではないと思うんですよね。
で、取引先の人にそう言ったら、「昔は付いてるのありましたよ」・・・と言うので、「え?そうだったの?」と聞くと、それは何と、私が子供の頃流行った「仮面ライダー自転車」のことでした(笑)。
ばかやろー・・・と(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-09-24 18:35 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

多忙を極める中で見る猛暑の摂津路 その11
先週の続きです。

e0027240_1824777.jpgこの天王山ですが、私は羽柴秀吉明智光秀が戦った山崎の合戦に置いて趨勢を決めた要地・・・としてしか認識がありませんでしたが、登っている途中で、これ(←)を見つけました。

殉国十七士・・・、はて、太平洋戦争中か何かの肉弾三勇士みたいなものか・・・」という程度に思いつつ、そのまま、さして気にすることもなく、傍らを通り過ぎ、山を登っていったところ、再び、今度は「殉国十七士碑」として、脇へと誘う看板が・・・。

一瞬、どうしようかと考えたのですが猛暑で結構、きつかったこともあり、まずはまっすぐ登ろう・・・と。

e0027240_18361127.jpgその上で、帰途、余裕があったら寄ろうか・・・というくらいに思って通過したところ、下りにはこちらを通るルートが示されており・・・。
で、そちらへ向かったところ・・・、ありました(←)。

で、傍らの説明板を見ると、「元治元年(1864年)、禁門の変で敗れた・・・」という文字が見えましたので、「はて?」と思いつつ、続きを読むと、「・・・久留米水天宮の神官・真木和泉守以下17名は敵の接近を知るや、天王山にて自刃を遂げた」というようなことが書いてありました。

e0027240_1855119.jpg「あ、そうだ、真木和泉守ら数人は敗走する長州本隊と別れ、確か、天王山で自決したんだ」・・・と思い出しました。

(確か、NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、ほんの一瞬でしたが、その時のシーンが出ていたように記憶しております。
「長州諸隊は敗走。途中、久留米の神官、真木和泉らは天王山で自決したがじゃ・・・」とか何とか、岩崎弥太郎が言っていたような・・・。気のせいだったらゴメンナサイがぜよ(笑)。)

e0027240_199989.jpgで、この、真木和泉守・・・という人ですが、実は私とはまんざら、繋がりが無い人でも無いんです。

私の高祖父も同じ久留米藩(現福岡県久留米市)の出身なのですが(もちろん平民ですけどね(笑)。)、その師は久留米藩士にして藩儒でありながら、幕末は京都に上って勤皇の志士らとも交友があったそうで、維新後は久留米水天宮の神官となっており、それらを考え合わせれば、高祖父の師は真木和泉と何らかの交流があったと考えて良いのではないかと・・・。
まあ、だから何だと言われればそれまでですが(笑)。

e0027240_19175555.jpgその意味では、むしろ意外だったのが、この17人の中に筑前福岡藩士が居たことで、ただ、私も、この、松田五六郎という名前は初めて聞きました。
福岡藩というのはこれまでも触れてきましたように、土壇場で佐幕派に廻ってしまったことでもわかるように、元々、著名な志士は少ないんですよ。
野村望東尼は女性ゆえ別として、平野国臣、加藤司書、月形洗蔵、中村円太くらいで、それだけにこういう人がいれば、もっと、喧伝されているはずなのではないか・・・と。

で、調べたところ、「文政10年生まれ。筑前福岡藩士。元治元年、吉田太郎と謀って佐幕派の藩老を暗殺、脱藩して長州藩に投じるも禁門の変で敗れ、同年7月21日真木和泉らと天王山で自決。38歳。名は安定」とありました。
結構、いい歳だったんですね(汗)。

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ちなみに、彼ら17人が最初に葬られたのは、最初に見た「墓」という石碑が在る所だったようですが、近在の人らが「残念さん」と呼び、香花を供えているのを幕府が知り、彼らの遺骸を近くの竹林の中に埋め直したことから、慶応4年、この地に再び改葬されたのだとか。

合掌・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-09-21 19:19 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

多忙を極める中で見る猛暑の摂津路 その10
昨日の続きです。

e0027240_14351518.jpg山崎に着いた羽柴(豊臣)秀吉も当然、この天王山の重要性は認識していたようで一隊を割いて占拠している明智方の部隊を急襲し、これを撃破。
(←羽柴方天王山急襲部隊が自軍に見えるようにここに旗を立て、士気を鼓舞したと言われる「秀吉旗立ての松」。)

e0027240_14504750.jpgこれを受け、両軍は麓でも激突し、戦いその物は、開戦後しばらくは一進一退の攻防が続いたものの、やがて、数に劣る明智軍は総崩れとなり、主将・明智光秀は居城・坂本城をめざして落ち延びる途中、小栗栖の藪で土民の竹槍に刺されて絶命したと言われています。
いわゆる、光秀の三日天下ですね。

(←天王山麓近くにある神社へと続く石垣階段。登り口で地元の老人は、「帰りはこちらを通って降りてきたらいいですよ」と仰いましたが、こちらの道は藪蚊だらけでした。)

で、数で劣っていたとはいえ、自軍に有利な戦場で待ち受けていたはずの光秀はなぜ、こうもあっさりと敗れたか・・・。

e0027240_14583752.jpgこの点、兵法評論家の大橋武夫氏は「実は天王山をどちらが獲ったかはそれほど重要ではない」と言い、その上で、「光秀には決定的に欠けているものがあった。それが、勢いである」と喝破しておられます。
つまり、備中高松城から一直線に姫路、尼崎を経て、合戦場へ馳せ戻ってきた秀吉軍には勢いがあり、勢いそのままに、全軍火の玉となって敵陣に突入し、明智軍を粉砕したと。

(←下山した辺りにある山門。)

秀吉軍の兵士を突き動かした大きな物、それは「信長の弔い合戦」であるという大義名分と、何より、「うちの殿様が天下人になるかもしれん。そうすれば、俺たちだって一国一城の主も夢ではない」という人々の強烈な「欲」だったでしょう。
そして対照的に、光秀軍にはそのすべてが無かった・・・と。
畿内から出ていないから疲れはないけど勢いもなく、「主君殺し」の後ろめたさと、「俺たち、これからどうなるんだ・・・」という不安とが入り交じった心境ではなかったでしょうか・・・。
これでは勝てませんわな。

あと一回くらい続く。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-09-18 08:25 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

多忙を極める中で見る猛暑の摂津路 その9
昨日の続きです。

この羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いですが、私が若年の頃、大いに影響を受けた元帝国陸軍参謀にして、兵法評論家の大橋武夫氏は、かつて、この戦いを評して、「軍学的には光秀100点、秀吉0点」・・・ということを仰ってました。
また、「二人の戦い方を合わせたら織田信長の戦い方になる。その意味では、信長の計算の部分を受け継いだのが光秀、計算外の部分を受け継いだのが秀吉」・・・と。

e0027240_10394674.jpg(←天王山中腹から見た風景。後方に陣する光秀軍に向かい、右より左隅方向に向かい秀吉軍が進軍して来る構図になります。)

こうやってみると、秀吉軍進路の傍らには淀川が流れてますから、秀吉軍は淀川と天王山との間の隙間の狭くなる部分に向かって、進軍して行くことになるわけです。
すなわち、光秀は兵力差の不利を補うため、大軍がもっともその優位性を発揮できる平地での包囲殲滅を許すまじと、敢えて隘路で待ち受けた・・・と。

となると、光秀ほどの人物が天王山の重要性に気づかぬ訳もなく、当然、いち早く、これを確保していたことから、この風景はおそらく光秀軍の天王山進駐部隊が進軍してくる秀吉軍を目の当たりにした景色・・・ということになるのでしょう。
一方で、この説明板(↓)を見ると、当時は淀川はもっと幅広かったようですし、であれば、おそらく水量も今とは比べものにならないくらい多かったのではないでしょうか。

e0027240_1016294.jpg

さらに、ご丁寧にも隘路にはもあり、この様子では、おそらく、一帯は湿地帯だったと思われますから、秀吉軍は機動力も封じられていたと思われ・・・。

e0027240_11103958.jpgつまり、光秀軍は隘路から少数ずつ出てくる秀吉軍を、その都度、押し包んで殲滅していけば良かったわけで、大橋氏が「光秀100点」と言われた根拠もここにあったのだろうと思います。
その意味では、秀吉軍は闇雲にそこに突入しただけのまったくの無策に見えるでしょう。

しかし、実際には、この戦いは、その、無策のはずの秀吉が勝ったわけで・・・。

明日に続く・・・と思う。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-09-17 08:10 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

多忙を極める中で見る猛暑の摂津路 その8
昨日の続きです。

e0027240_1653243.jpg土地の老人に別れ際に、逆に天王山へ登る道について尋ねた所、「あなたの足なら20分くらいで登れる」、「ヒールで登る女の子もいる」などと仰るので、そんなに楽勝なのか・・・と思って、登り始めたところ・・・、「どこが20分やねん」状態で、11:35に登り初めて、頂上に着いたのが12:35・・・。
丸々、1時間かかっとるやないかい・・・と(笑)。

(←登り初めてすぐにある、通称、寶寺境内の五重塔。一句詠みたい心境でしたが、この日は例の京都府京田辺市で39.9度を記録した日でして・・・。)

e0027240_16164372.jpgちなみに、頂上(←)に着いたら、何かのサークルかと思われる、小学生くらいから大学生くらいまでの雑多な女の子の集団がいて、話を聞いていたら、その中の一人は、しっかり、ヒールで登ってきて、周囲からは「信じられなーい」って感じの笑い声が起きてましたので、老人の話も半分は正確だったようです(笑)。

で、この天王山という物について触れる前に、羽柴(豊臣)秀吉明智光秀との間で戦われた山崎の戦いというものについて触れておきたいと思います。

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この戦いは、織田信長横死後の後継者争いで起きた戦いで、秀吉が勝利したことで、一気に飛躍のきっかけを掴んだ戦い・・・と言われており、一般には、対峙した両軍を見下ろすような位置にある天王山をいち早く獲った秀吉が、ここを軸点にしてブランコのように敵陣へ突入した名作戦と言われています。

しかし、秀吉軍は兵力でこそ上回っていたものの、中国地方から一気に200kmもの距離を馳せ返ってきた軍隊であり、対して、光秀軍は信長を本能寺に襲って以来、畿内にあって大きく疲労もしていないし、そもそも、ここを戦場に特定したのも光秀軍の方なんですよ。
つまり、光秀軍は兵力では劣っていたものの、自軍に有利な陣地で敵を迎え撃つべく、待ちかまえていた・・・というわけです。

明日に続く・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2010-09-16 18:04 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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