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龍馬伝に見る「愛される迷惑」と事件の真相
親愛なるアッティクスへ

NHK大河ドラマ「龍馬伝」見て、少し、思ったことがあります。
まず、香川照之さん扮する岩崎彌太郎が良いこと言ってましたよね。
「大殿様は武市がお嫌いじゃ。だから、『大殿様の御為に』・・・などと言われるたびにムカッとくる」と。

世の中には、とかく、「小さな親切、大きなお世話」ということがあるんですよね。
こっちは頼んでもいないのに、勝手に向こうが「あなたのためだから」(by某CM)と・・・。
この場合、相手に悪意が無いだけに実に始末が悪いんですよ。
(その逆で、「人のために良かれと思い~♪」(by泉谷しげる)で、「良かれ」と思いやってやったのに結果的に恨まれた・・・なんてのもありますけどね。)
武市が本当に、「大殿様の為に」を連呼していたのかどうかはわかりませんが、彼の場合、ああいう局面になってくると、嘘でもそれを連呼せざるを得なかったでしょうが、大殿様、つまり、土佐藩の実権を握る前藩主・山内容堂の方からすれば、「おまえが藩政をとり仕切るなど、俺は何の相談も受けてないし、そもそも、俺が抜擢したのは吉田東洋だ。それを殺して断りもなく、政権に着いたやつを俺が擁護してやらないといけない義理はない」というものだったでしょう。

言うならば、自分の恋人を殺した犯人が新たな恋人に立候補してきて、「私はあなたが好きです。どうして、こんなに好きなのにわかってくれないんですか?」などと言われるようなもので、大殿様ならずとも、「おまえ、ふざけんなよ!」となるでしょう。
だからこそ、こ私は、これまでもたびたび、「武市が東洋暗殺に踏み切ったのはあまりにも軽率すぎる判断だった」と申し上げてたわけです。
でも、そこまで考えて、ふと、思いました。
「武市ほどの人がそんな理屈に気づかなかったのか?」・・・と。
「もしかして、吉田東洋は武市が殺したのではないんじゃないか?」・・・と。
そう考えれば、色々、辻褄があうんですよ。

まず、私が常々、疑問に思っていたのは、吉田東洋を殺した後、どうしてああもすんなりと武市が藩政を掌握できたのか・・・ということです。
いくら、藩内守旧派と結んでいたからといって、守旧派も、別に下士に理解があって結んだわけではないのですから、大体、ああいうのは邪魔者がいなくなった時点で使い捨てにされますよ。
また、下士に理解があったと言われている東洋を殺す必要があったのかということ。
それらを踏まえて私見を述べさせて頂くと、「東洋を殺したのは守旧派で、それもおそらく突発的に起きており(史実というのは往々にしてそういうものです。)、これに困った守旧派は武市に相談、武市はそれをかばうために脱藩者を出し、容疑がこちらに向くようにしてやった。弱みを握られた守旧派は武市が藩政を掌握することを容認せざるを得なかった」・・・ということではなかったでしょうか。
特に、根拠があるわけではないのですが、私にはそう思えます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-31 08:00 | 歴史 | Trackback(6) | Comments(7)

川崎宗則選手のメジャー志向発言とそこへ行くための資格
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1019983.jpg先日、福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手(←写真左)がFA権を獲得して、「メジャー・リーグ行きも有り得る」と表明したというニュースが流れてましたよね。
曰く、「1回しかない人生。いろんなことに挑戦してみたい気持ちがある」・・・と。

確かに気持ちはわかるのですが、ただ、この点では、私的にはちょっと待てよ・・・と言いたいですね。
今、猫も杓子もメジャー志向と言いますが、はっきり言って、「メジャーで通用している」といえるのは、イチローだけじゃないですか。
松井秀喜松坂大輔もそれなりの数字は残していますが、こちらは、「通用している」の前に「ある程度」という言葉がつくんじゃないですか?
ましてや、他の日本人選手に至っては誰か日本の時と見劣りしない数字を残している選手が誰かいるんですか?
コンスタントに15勝とか200奪三振とか獲っている投手がいますか?
3割とか30本とか打ってる打者がいるんですか?
川上憲伸はメジャー1年目の昨年は7勝12敗なのに、数日前には「勝ち星無しの7敗目」とかいう見出しを目にしましたし、松井稼頭央戦力外通告でしょ。
川崎選手がイチローを敬愛しているのはわかるんですが、それと通用するかどうかは別ですよ。

もっとも、イチローに関して言えば、彼はちょっと特別凄すぎるんですよね。
とにかく、彼の凄いところは「試合に出ている」ということだと思います。
少なくとも、シーズンを棒に振るような大けががないわけで・・。
これはたびたび申し上げておりますように、さんや長嶋さんの頃は結構、普通のことだったんですが、今は金本選手が特別なだけで、あとはそういう選手なんてあまりいないでしょ?
(その意味では、ホークスの小久保裕紀選手が去年、38歳で全試合出場したのは立派でしたね。)

つまり、メジャーに行くにはそれなりの資格がいると思うんですよね。
日本人メジャーリーガーに道を開いた野茂英雄投手はそれまで3年連続が最高だった国内連続最多勝記録を更新する4年連続を記録してましたし、イチローは7年連続首位打者という、それまで張本 勲さんが持ってた6年連続の日本記録を更新してのそれだったわけで、やはり、「メジャーに行きたい」などというのは、日本でこのくらいの成績を残した人が初めて口にするべきセリフだと思うんですよ。
佐々木主浩投手にしても、最優秀救援投手5回MVP1回の実績をひっさげてのそれだったわけでしょう。

この点は、井口資仁選手がメジャーに行ったときに一番思いましたが、タイトルといえば盗塁王2回だけで、後はラスト二年だけ打率3割・・・ではまだその資格はないんじゃないかと。
(その意味では、新庄剛志選手がある程度、通用してしまったのが問題でしたね。あれを見て、皆、「あいつでやれるんなら」と勘違いしてしまいましから。ただ、あれは、彼だけの非常にレアなケースなんですけどね。)
そう考えれば、川崎選手だって打率3割こそ4回あるものの、タイトルといえば盗塁王1回だけでしょ?
他の日本人メジャーリーガーの現状を見れば、行ったところで何をか言わんや・・・でしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-29 07:58 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

国民性比較論は黒澤明とゴルゴ13でイギリスの飯はまずい
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10585972.jpgご存じの方も多いと思いますが、東京福岡では日の入り1時間ほど違います。
福岡が遅いんです。
従って、福岡がまだ夕方明るいとき、東京は真っ暗なんてことがあります。
最初、東京に行ったときは夕方4時で暗くなるのに驚きました。
福岡ではいくら真冬でも5時前に暗くなることはないですよ。
(ちなみに、日の出の方は30分だけ、福岡の方が遅いです。)

で、昨今では、すっかり日も長くなり、おかげで昨夜は一次会がハネた7時半頃には、まだこのくらい(←)の明るさは十分にあり・・・。
明るいうちから赤い顔をして歩くのも少し具合が悪かったですね(笑)。

で、ここしばらくお堅い話が続きましたので、本日は少し趣向を変えて臨みたいと思います。
今、中国で流行っているジョークだそうですが、中国人の男性が理想とする「世界で最も幸せな男」というのは、「アメリカ企業の報酬を得て、日本人を嫁にし、中国人のコックを雇い、オーストラリアの家に住む」だそうで、反対に、中国人男性が「世界で最も不幸な男」と考えるのは、「中国企業の報酬を得て、アメリカ人を嫁にし、イギリス人のコックを雇い、日本の家に住む」だそうです(笑)。

これを聞いて、思わず、昔あったヨーロッパのそれを思い出してしまいました。
曰く、ヨーロッパにおける理想の組み合わせは、「イタリア人のコック、ドイツ人の役人、フランス人の恋人、イギリス人の銀行家」だそうですが、往々にして、気が付くと、「イタリア人の役人、ドイツ人の恋人、フランス人の銀行家、イギリス人のコック」となっている・・・と(笑)。
ちなみに、「天国では、イギリス人の警官、フランス人のコック、スイス人の役人、イタリア人の恋人、ドイツ人の技師、地獄ではイギリス人のコック、フランス人の役人、スイス人の恋人、イタリア人の技師、ドイツ人の警官」というのもあるそうですが、結局、「イギリスの飯のまずさ」は万国共通の認識のようですね(笑)。

そう言えば、昭和42年頃、マンガ「ゴルゴ13」では、「国歌を聴くと、アメリカ人はファイトを燃やし、イギリス人や日本人は厳粛になり、フランス人は果敢になるというが、フランスの役人だけは動揺する。やることなすことうまくいってないからだろう・・・」というセリフが出てきましたが、まあ、如何にも戦後20年の当時らしいな・・・と。

また、黒澤 明監督の名作「七人の侍」も結構、国民性がわかるそうですね。
監督が生前、インタビューに答えて言っておられましたが、「アメリカ人は志村 喬演じる島田勘兵衛リーダーシップが好きで、フランス人は久蔵(宮口精二)ストイックさが好き。で、イタリア人は菊千代(三船敏郎)が好き」なんだそうですね(笑)。
何となく、わかるような・・・。
ちなみに、私の友人に聞いてみたところ、圧倒的に多かったのが勘兵衛でしたが、私は断然、宮口精二さんの久蔵が好きでしたね。
その意味では、私はフランス人なんでしょう(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-28 08:49 | その他 | Trackback | Comments(4)

自社の社史を通読せずして入社するの愚
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10533123.jpg先日、三鬼陽之助という、今は無き、老財界記者がオイルショック直後の昭和48年(1973年)に書いた著書を読み終えたと申し上げましたよね。

で、今、別の物を読んでいるのですが、それによれば、この方は本来、文学部志望だったそうでうすが、親の希望で法政大学法学部へ行き、その後、昭和6年(1931年)、卒業後、人に勧められて財界関係のことを扱う出版社に入った・・・のだそうで、従って、内心では嫌々ながらの就職であったと・・・。
しかし、一旦、入社するとなったからには、それまでの文学書をすべて処分し、経済関係の物に変えたそうです。

で、そこまでは私も特に驚くことはなかったのですが、少し考えさせられたのは、この方は、経済書、専門書はもとより、「入社するに当たってはその会社の社史通読・熟読して入社に臨んだ」・・・という部分でした。
これは、この方にとっては、「自分が、これから入社しようとする会社のことを知っておくのは当たり前のこと」・・・で、今は、まあ、そういう時代ではないのかも知れませんが、確かに言われてみればその通りで、一生、定年までそこで働くかもしれない会社なわけでしょ?
であれば、知って、調べて、入社するのが当然ではないかと・・・。

その意味では、本来であれば、正史である社史はもとより、ああいう財界誌などのバックナンバ-などから見える裏面史、すなわち、過去の経済事件やそこから見えてくる体質なども知るべきなのでしょう。
もっとも、就職氷河期の現代ではそんな悠長なことを言っている場合ではないのでしょうけどね。
と言いながら、私自身も、新卒の頃、当然、就職活動はしましたが、まったく、そんなことは考えませんでしたが。

ちなみに、社史に通暁しているというのは、そこの社長は凄く喜んだらしいですよ。
「そんな話、古参社員でも知らんよ」と言って(笑)。
転職するたびに、社史を読んで入社すると、やはり、どこでも社長は喜んだ・・・と。
誤解のないように申し上げると、これは、社長に気に入られる云々ではなく、如何に、自社のことがわかった上で入社してきたか・・・ということだと思うんですよね。
第一、会社の規模や内容によっては入社したからと言って社長に会えるとも限らないし、中には、先輩社員から「おまえ、暇だな」とか、「くだらねえことばっか知ってるな」とか、嫌みの一つも言われるかもしれません。
でも、これって見落とされがちなことではありますが、自分が所属している団体の過去を知るというのは大事なことではないでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-26 07:07 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(5)

博多駅前史異聞 その4 字馬場
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。
珍しく、熱心に続けて書いております(笑)。

その上で、探題舘博多市中に存在した鎌倉時代、後に博多の南にに開削されることになる房州堀はまだ無く、代わって天然の堀の役目を果たしていたのが流れを変えられる前の比恵川(現御笠川)だったと考えられます。
(房州堀というのは、戦国時代に大友宗麟の家臣・臼杵安房守鎮続により掘られた堀だと言われていますが、研究者の間では江戸初期の掘削という説もあるようで、まあ、いずれにしても鎌倉時代はなかったわけです。)

現在の御笠川は博多の東を通り、そのまま、博多湾にそそいでいますが、本来は、現在の流れから突然、西に流れを変えて、今のキャナルシティの脇の低地へ注いでいたそうで、となれば、河口には現在同様、那珂川も存在していることから、一帯は大雨が降るたびに洪水に見舞われていたそうです。
これにより、中世に大規模な治水土木工事がおこなわれ、川の流れは現在のように変えられたそうで、その名残が私が子供の頃まで存在していた鉢の底川であると。
(ちなみに、キャナルシティ一帯は現在も排水の上では低地であり、今も傍にあるポンプ場からポンプで水をくみ上げて那珂川に排出しております。博多駅前史参照。)

e0027240_1132026.jpgただ、房州堀は比恵川の残存物とは角度的にも考えにくく、そう考えれば、比恵川の本来の流れは、房州堀よりはもう少し上流の地点、少なくとも現在の博多駅付近から流れを変えていたと考えるのが自然であり、つまり、こう(←)なっていたのではないか・・・と。

また、鉢の底川ですが、こちらも本来はもっとも無理のない形で延長したならば、それこそ、うちの馬場添の方向に流れることになり、事実、私が子供の頃はそこを流れていました。
(キャナルシティ脇の川の形は変わっていないと考えて良いと思います。)
これは那珂川の支流だったのですが、おそらく、農業用水として、クリークを引いたということはあったでしょうから、それを拡幅延伸して作ったということは考えられるでしょうね。
(実際、私が子供の頃には鉢の底川と平行して、幾筋もどぶ川が流れていました。もっとも、おかげで、大雨が降れば、すぐに床下浸水でしたけどね(笑)。)

結論を言えば、当時、字馬場は比恵川の北、つまり、博多市中の内側にあったことになり、となれば、ここは博多の南端にぷくっと膨らんだような場所で、城で言えばいわゆる出丸のような所でありながら、洪水が多いことから砦のような防御施設を構築することも出来ない場所だった・・・と。
その一方で、探題舘からここまでは何ら遮られる物なく行くことが出来たことを考えれば、平時は馬場にしておいて、有事の際にはすぐに駆け付け、比恵川を防衛線として戦うという戦略を採った・・・と。
すなわち、こここそが鎮西探題舘の馬場であった・・・と。
でもって、馬場はわかったのですが、ところで肝心の馬場添って何だったんですかね?
                                平太独白
by heitaroh | 2010-05-25 08:21 | 地域 | Trackback | Comments(20)

博多駅前史異聞 その3 馬場新町
先週末の続きです。

また、「犬射戌亥であり、犬を射るという意味を持たせるなら、本来は射犬にならなければおかしい」と言われる元寇研究会の会長さんの説についてですが、私見を述べさせて頂くなら、これは元々、きちんと命名された馬場ではなく、文字も読めない庶民(地元民)が、「犬ば射る馬場」から「犬射ん馬場」と呼び倣わすうち、「犬射馬場」になった・・・とも考えられると思うんです。
(事実、その後には、「犬射馬場」に変わって「犬馬場」という表現も文書には出てくるようですし、土地の者が呼び習わすうちに地名になる・・・、まさしく「人參畑」が良い例でしょう。)

e0027240_1374996.jpg(←現在の字馬場付近です。奥に見えるのがキャナルシティですが、その手前、つまり、今、工事中になっている場所から道路一帯がそうです。キャナルシティの手前に沿って鉢の底川の跡があります。今は道路になってますが、基本的な形は今も変わっていません。)

無論、「字馬場」が「犬射馬場」と同一であるかどうかはわかりません。
「犬射」などというくらいですから、舘の敷地内に作られた比較的、小ぶりの馬場だったかもしれず、本格的な馬場とは別途、存在した可能性は否定できないからです。
(今日風に言うならば、アメリカの大富豪などが「自宅の隣にゴルフ場を持っていながら、それとは別に室内用の打ちっ放し練習場を持っている・・・ようなものでしょうか(笑)。)
それに、福岡市の地下鉄工事の際に出土した人骨が探題舘を襲撃し、犬射馬場で処刑された菊池一族の物だったとすれば、わざわざ、舘の近くまで持ってきて棄てるとも考えにくく、犬射馬場はやはり、その近くにあったと考えて良いのではないかと思います。

つまり、私が子供の頃に旧博多駅の前にあった馬場新町の馬場は「字馬場」の馬場ではなく、「犬射馬場」の馬場だったと・・・。
もっとも、昭和38年12月博多駅が現在の位置に移転して後は、そこに市内電車の馬場新町電停という電停(現在の大博通り沿い、地下鉄祗園駅入り口付近。)が出来、私などはむしろ馬場新町という名前はそっちで記憶しておりました。

ちなみに、会長さんも、講演の中で、「小字は鎌倉時代からあった」・・・と仰ってましたが、それで私もかねてよりの疑問の一つが氷解しました。
拙宅の一帯は博多駅前三丁目下人参町になる前、幕末から明治・大正にかけては「人參畑」と呼ばれていたにも関わらず、明治初期の小字調べには人參畑という小字が無いんですよ。
思えば、人參畑というのは江戸時代に福岡藩高麗人参の栽培を試みるべく足軽を入植させたことにちなむ地名ですから、人々には一帯は人參畑という名前で認知されていたとしても、小字が成立した鎌倉期には当然ながら、まだ存在してないわけですね。

明日に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-24 08:54 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

博多駅前史異聞 その2 犬射馬場
昨日の続きです。

「犬射馬場」という名前を聞いて、「武士が犬追物などの武芸の調練を行った場所?」と思ったら、やはり有識者もそう思われたようで、どなたかの著作にはそうあるそうです。
が、講師である元寇研究会の会長さんは、この説には異を唱えておられ、曰く、同名の馬場は肥前大村にもあるが、こちらは字が違って「戌亥馬場」であり、戌亥というのは西北の方角を表す言葉である・・・と。
で、大村の場合は大村城からして西北にある馬場だから「戌亥馬場」で、おそらく、「戌亥」の間違いであり、そうだとすれば、城に当たるのが探題舘で、そこからして西北にあったのが犬射馬場である・・・と。
さらに、本来、「犬射馬場」などというのは文章的におかしく、本来なら漢詩風に「射犬馬場」になるはずである・・・ということでした。

他にも、色々、言っておられましたが、その上で、私はそうは思いません。
学識者の言われることに素人が異を唱えるのは畏れ多いということは重々承知の上で、敢えて申し上げると、まず、昨日も申しましたように、我が下人参町、現在の博多駅前三丁目、正式には福岡市大字春吉字馬場添ですが、旧字図という法務局に保存してある地図を見ると、馬場添の隣の隣に「馬場」という小字があるんですよ。

e0027240_186021.jpgで、それを元に現在の地図と昭和39年の地図、その他をにらめっこして私が作りました。
(←これ作るのに半日費やしてしまいました。暇なやつだと嗤わないでください。実は今、結構忙しいんです。おかげでまた休日出勤確定です(涙!)。)

少しわかりにくいのですが、左下の川が那珂川、右上の川が石堂川(現御笠川)で、それを結んでいる明らかに人工的と思われる水路が通称、「房州堀」と呼ばれている物で、その下に拡がる赤い部分が「馬場」、それを囲むように走る川が「鉢の底川」、さらにそこから少し南にある色違いの場所が「馬場添」、でもって右端の縦の線が現在の博多駅、中央を縦に走る線が昭和38年までの鹿児島本線で、その途中にある緑のふくらみが旧博多駅、そこと探題舘の間にある色違いの部分が私が子供の頃まで馬場新町と呼ばれていた所です。

その上で、最初にお断りしておきますが、まず、これは、かなりアバウトな物です。
それは、この元になった旧字図というのも、おそらくは明治期に作られた物で、さらに、博多自体、戦国時代に何度も戦渦に巻き込まれ、原形を留めないほどに焼失しており、その後、豊臣秀吉によって行われた復興によって、それ以前とはまったく違う街になっているということがあります。
そう考えれば、房州堀が出来たのは戦国時代から江戸時代にかけて・・・と言われていますから、当時は、まだこの堀はなく(でも、面白いことに、馬場の北側はほぼ房州堀に合致するんですよ。)、代わりに御笠川が途中でいきなり西に曲がって那珂川に合流する、いわゆる比恵川の時代だったと考えられますが、その比恵川の名残なのではないかと言われているのが鉢の底川です。

来週に続く。
                          平太独白
by heitaroh | 2010-05-22 18:17 | 地域 | Trackback | Comments(2)

博多駅前史異聞 その1 鎮西探題舘
先日、元寇研究会会長氏による「元寇後の城郭都市 博多と鎮西探題」というセミナーを聞きに行ってきました。
元々、さして興味があったわけでもなかったのですが、先日来、鎮西探題九州探題について触れてたこともあり、出かけてみました。

e0027240_11594974.jpg(←旬ですね(笑)。)

で、会長さんは、おそらく、元は学識者なのでしょう、さすがになかなかの手練れだとお見受けしました。
(もっとも、元寇研究会なるものがあるのを初めて知りましたが(笑)。)
とはいえ、話自体は、まあ、私の認識と大差なく、そう改めて驚くような話は無かったのですが、一点だけ、興味深い箇所がありました。
鎌倉時代、博多市中にあったとされる鎮西探題の居舘、いわゆる「探題舘」ですが、私が興味を持ったのは、この舘に隣接してあったとされる「犬射馬場」というものの存在でした。

先日も触れましたが、元弘3年、肥後の菊池武時が、その探題舘を襲撃して破れた際、彼らが討たれた場所こそ「犬射馬場」だった・・・と。
で、なぜ、この名称に反応したかといいますのも、私が生まれた福岡市下人参町(現在の博多駅前三丁目)は、以前から、平太郎独白録 : 「博多駅前史」シリーズで変遷について述べてきました通り、実は正式名称ではなく、(なぜか、上人参町、中人参町は正式名称として町名登録されておりますが、下人参町だけは町名申請しなかったようで、あくまで、通称どまりとなっております。)正式には、福岡市大字春吉という地名でした。
(こちらもややこしいのですが、春吉という地名はすぐ近くに別に存在しており、こちらはあくまで大字春吉です。昔は本家の春吉の飛び地のような存在だったようです。)

で、その大字春吉には当然、大昔には小字が存在したようで、明治の地図には「字人參畑」という字も見えるのですが、おそらく、これは通称を小字と勘違いしたのだと思いますが、正確には、当地の小字は「馬場添」というものでした。
で、調べてみたら、近くには「馬場」という小字もあり、私が子供の頃には近くには馬場新町という町もあったことから、「その付属地?」とも思ったのですが、でも、同時に思ったのが、「馬の調練場なら、福岡城の近くに作るでしょ?」と・・・。
で、犬射馬場という名前を聞いて、もしかして、馬場添の馬場って、福岡藩の馬場ではなく、鎮西探題の馬場だったんじゃないの・・・!と思ったわけです。

自己満足シリーズは長くは続かないつもりだけど、とりあえず、明日に続く(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-21 08:38 | 地域 | Trackback | Comments(0)

タイとギリシャの問題の根は同じ大衆迎合主義の弊害
親愛なるアッティクスへ

ついに、タイ騒乱によるデモ隊の武力鎮圧へと繋がり、バンコク伊勢丹炎上したそうですね。
実は、私、最近、タイ人の方がやっておられるマッサージ屋さんに時折、行っているのですが、先日も、「タイは今、大変なことになってますね」と言ったところ、「あれは10日までに終わります」と言われるので、「何で?」と聞いたら、「学校が始まるから」・・・と。
「今、休みなの?」と聞くと、「はい。春休みです」とのこと。
イマイチ、日本語が完璧ではないので、聞き違いがあるかもしれませんが、今回、政府が武力鎮圧に踏み切った背景にのもそういうことがあるのかもしれません。
で、色々聞いてみると、タクシンという人は、優秀で、馬力もあるけど、清廉ではなく、バラマキによって一部の国民には人気がある・・・という、ちょうど、かつての田中角栄さんみたいな存在のようですね。
で、この問題ですが、私は、今、世界の金融市場を揺るがしているギリシャ問題などと本質は同じもののように思えます。

以前からたびたび申し上げていることですが、民主主義というものは、とかく、選挙民の歓心を得ようとする傾向があり、今のタイにしても、ギリシャにしても、大衆迎合主義に走った結果・・・であり、つまり、これが民主主義というものの限界を示しているのだと思います。
(日本にしても、民主党政権による子供手当など、明らかに、「細部なんかどうでも良いから、とにかく、何でも良いから選挙前にばらまけ。後の借金なんて、そのときの政権に払わせれば良いんだ」・・・という感じがありありで、結果、韓国人の男が「タイに養子が50人居るから子供手当を寄こせ」と言ってきたなどということになる・・・と。)

この点、以前、ご紹介した「福岡百年」という昭和42年出版の本には少し興味深いことが書いてありました。
明治44年普通選挙法衆議院通過に際し、貴族院はこれに否定的な考えが多く、これを否決。
このとき、福岡でもその是非を巡って論争が起きており、黒竜会を率いる内田良平なる人は、「いろんな職業代表から選出される代議士は、選挙母体の利害ばかり考えるので、国家の大経倫を考える力のないお粗末な者も週ばれている」と普選の害を説いているのに対し、同書の著者は、戦後22年という時代の空気もあったのでしょう、これを「下劣な悪徳政治家の出現を恐れるあまり、国民の平等な選挙権を制限し続けようとした」として批判的なコメントを載せております。
が、私には今の、タイやギリシャの現状を見ていると、必ずしも、的はずれなことではないように思えるんですよ。

また、内田翁は、「アメリカの禁酒法は衛生上の問題から起こったのではない。酒庫、バーなどにたむろする大多数の有権者を龍絡する代講士が現われ、代議士の質が年々低下するためだ」とも述べておられますが、これなども、少し違うでしょうが参議院選挙を政策論争ではなく、ヤワラちゃんから三原じゅん子、中畑清、岡部まり、庄野真代、岡崎友紀、池谷幸雄、堀内恒夫・・・と誰でも良いから有名人を目の前にぶら下げることで選挙民を籠絡しようとする政党の姿勢と大差ないようにも思えるのですが。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-20 08:24 | 政治 | Trackback | Comments(2)

その人だけに与えられた才能の定義 その1
親愛なるアッティクスへ

才能とは何か?」
「才能を持つということは、どういう位置づけで捉えればいいのか?」

最近、よく、そのことを考えます。
つまり、なぜ、その人のみに、他者より優越したものが与えられたのかと・・・。

e0027240_128198.jpgそれは、広義で言えば、美形であるとか、スタイルが良い・・・などということもそうなのでしょう。
(←世の中にはこういう救いようのないやつもいますから(笑)。)

では、才能があるということがどういう事なのか?

たとえば、イチローなどは、私が死ぬほど努力しても、絶対に野球では追いつけない存在であり、現実には、それ以前に私の肉体はどれだけのケアをしていたとしても途中で壊れてしまうでしょう。
若き日の王 貞治さんが荒川コーチの下で猛練習を繰り返し、強打者として花開いたのを見た土井正三氏が「私にも・・・」と申し出たところ、荒川コーチは少し考えて、「やめておきなさい。君の体力ではその前に壊れてしまう」と却下したという話を思い出します。
これなども、練習量以前に王さんしか持っていなかった「頑健な体力」という才能と、そこに特化しての成功という面を見ることが出来るでしょうか。
また、これと同様のことを、サッカー解説者の水沼さんが言ってました。

現役時代、何かの大会を前に、「日本代表として惨めな試合は出来ないということで、死ぬほど練習して、太ももにはおかげでもの凄い筋肉がつくようになった。このとき、アルゼンチン代表でマラドーナが来日したが、彼の太ももを見て、びっくりした。彼の太ももは死ぬほど練習して付いた俺の太ももよりはるかに大きく、自分たちが限界まで鍛えてこの太ももなのだから、それを見た瞬間、『あ、これはもう、努力して付いたんじゃないな・・・。最初から付いてたな』と思った・・・」と。
また、努力云々以前に、私が、東大法学部きっての秀才といわれた故・岸 信介元首相と同レベルの努力をして、同じ教育を受けて、同じレベルに達するというのはあり得ない話なわけで、つまり、人は決して、「生まれながらににして平等ではない」わけです。

一方で、本人の才能以前に、「金のスプーンをくわえて生まれてきた」という、生まれながらにすべて満たされていた人を揶揄する言葉がありますが、この点でも、少し思い当たることがあります。
かつて、私の同級生には対照的な二人がおり、片方はそれなりの資産家の子供でしたが決して成績も良くなく、運動も得意ではなく、風采も上がらなかったのに対し、もう片方は決して裕福とはいえない家庭の子供だったものの、学業優秀、スポーツ万能、長身でハンサムでいつも学級委員をしているようなやつでした。
(残念ながら、両方とも私のことではありませんよ(笑)。)
で、ある日、ふと、思ったのですが、「これって、金のスプーンをくわえて生まれてきたといえるのは果たして、どっちなんだろう・・・」と。
無論、五島 昇さんのように資産家の家に生まれ、男前で、成績優秀で、生涯、転落を知らないという人もいますよね。
また、人の一生にはどうしてみたところで、幸不幸があるのもまた事実でしょう。
それがいけないと言ったところで、人の力ではどうしようもない部分があるわけで。

いつの日か続くと思います(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-05-19 08:31 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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