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古の九州探題は何処にありや!を推理する その4
親愛なるアッティクスへ

先日よりの続きです。

e0027240_16425173.jpgこの鎮西探題の城があったと言われている鷲尾山、今では、鷲尾愛宕神社として知られているところですが、ここは、今でこそ一等地であるものの、先日から申しておりますとおり、私が良く行っていた昭和50年頃までは決して、それほど賑やかだとは言えない所でして・・・。

e0027240_11192429.jpgこちらの方で少年時代を過ごしたという知人によると、「昔は、意識の上では、室見川までが福岡市内、川の向こうの愛宕から先は郊外という感じだった・・・」とか。

私は、愛宕神社だけは行っていたものの、それ以外にはあまり、馴染みがなかった地域ですので、この方の言が当を得たものかどうかはわかりませんが、確かに、そんな感じだったかもしれません。
当時は、福岡市の市域はもっと小さかったですから。
(ちょうど私が愛宕神社に連れて行かれていた最後の頃の昭和50年頃に、福岡市の人口が100万人を超えたとか何とか言っていたような気がします。)

e0027240_1145636.jpgとなれば、私が子供の頃でもそういう感じだったわけですから、ましてや、鎌倉期ともなると、ここは相当に人里離れた寂しい所だったと思えるわけで、(博多市中までは車で30分程度ですから、おそらく、人の足では単純計算で片道2時間くらいかかったのではないでしょうか。)そもそも、「九州総督」として中央政府から派遣されてきたはずの探題が、都邑の殷賑からかけ離れたこんな僻地にそびえ立つ、天然の要害に籠もらなければならないということ自体、探題の力の弱まり・・・、率直に言えば、「怯え」を示していると思うからです。
(←探題城本丸址。もっとも、昭和の初めには日本で二番目になるケーブルカーがあったそうですから、その当時に整地されたものかもしれませんけどね。)

e0027240_11484395.jpg先述した菊池武時探題博多舘襲撃事件の直後、中央で足利尊氏鎌倉幕府に反旗を翻すと、時の探題・北条英時の恐れは現実の物となり、九州の有力武士らは一斉に、探題城に攻め寄せ、防戦虚しく、ついに城は落ち、英時は自害して果てた・・・と。
(←北側麓より臨む鷲尾山。標高と共に、山頂に愛宕神社がおわかり頂けるかと。当時であれば、海中に浮かべた船から城を見上げた光景だったでしょうか。)

この後、中央での政争に敗れ、九州へと落ちてきた足利尊氏は、再び、京へ攻め上るに際し、九州の押さえとして、一色範氏を博多に置き、ここに九州探題が始まる・・・と。

ようやく、次回より本題に向かいます(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-30 08:00 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

過去最低入場者数を記録したホークスの低投資効率体質
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11275755.jpg昨日の福岡ヤフードームでの福岡ソフトバンクホークスの試合、入場者数がついに過去最低22,676人になったそうですね。
川崎宗則(←)選手がお立ち台で「チェストー!」と雄叫びを挙げても、新聞では、ガラガラの場内に響く声は「心なしか寂しかった」と・・・。

で、なぜ、こういうことになったのか・・・と言えば、これは、これまでにも、拙稿にて、「経年低下の傾向さえある営業の無策」、「前監督に編成まで一任した結果、思想無き選手獲得を繰り返してきた編成上の弊害」etc、縷々、述べてきた通りですが、(ご興味お有りの方はこちらをどうぞ。→平太郎独白録 : 福岡ソフトバンクホークス)その上で、昨日、各球団の選手平均年俸額が発表されましたよね。
外国人選手が殆ど入っていないということですから、必ずしも正確とは言えないのでしょうが、これを見る限り、結構、びっくりで、ホークスはあれだけ、金満体質を批判されてきた巨人より上で、12球団中、阪神に次いで2位・・・。
11位のオリックス倍近い金額投資してるわけですから、それで成績が振るわないって、やはり、何かおかしくないですか?
おそらく、何かが正常ではないんですよ。

そう考えて、見回してみたところ、まず、気づくのが、この新陳代謝が激しい世界で、7年前の日本一の時から結構、顔ぶれが変わってないんですよね。
野手は川崎、松中、小久保、村松、柴原、荒金、投手で斉藤、和田、新垣、杉内、水田と、これだけの選手が残っており、このうち、給料に見合う働きをしているのは、川崎、和田、杉内くらいで、小久保は頑張ってるけど、怪我が多い多村、松田とともに、フルシーズン戦えれば儲け物・・・という観はぬぐえないのではないでしょうか。
さらに、昨年、活躍した田上秀則捕手や長谷川勇也選手、攝津 正投手などに、去年と同じような活躍を前提に戦力を計算することも酷ですよ。
特に、田上選手については、彼が去年、あそこまでの活躍が出来たのは、やはり、下位打線にいるベテラン選手ということで相手チームのマークが緩かったという面が大きかったと思われ、それが、たとえ、低レベルであってもチーム最多本塁打となれば、今年は相手チームのマークも相当に厳しくなることが予想されるわけで・・・。
彼には気の毒ですが、やはり、城島を獲っておくべきだったと思いますよ。

この点、ホークスの戦力的な欠陥を言えば、以前から述べているとおり、偏に「選手層の薄さ」にあると言えるわけで、つまりは、金をかけた所が稼いでくれていない・・・という低投資効率体質であり、であれば、過去の功績に囚われない、思い切った再構築が必要だということでしょう。
(この選手層の薄さを解消すべく、今頃になって、やたらと外国人選手を獲得しているみたいですが、中でも、ペタジーニの名前が出てきたのには驚きました。まあ、ローズの例もありますから、一概には言えないでしょうが、何でも実績があれば良いってもんじゃないような気がするんですが。)
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-28 08:18 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

大河ドラマ「龍馬伝」に見る人間とは業の深い生き物 続編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14303786.jpg昨日はここ(←)にいました。
福岡市南区にある「さくらん」という店なのですが、ここは大正ロマンって感じがコンセプトのようで、結構、良い感じの店でしたよ。
で、ここを出た後、拙宅で飲んだのですが、飲んでる最中、友人に「あいつに電話してみようか?」と言ったら、「おまえ、今、電話してたじゃねーか」・・・と言われ、「ウッソー!」・・・と。
で、かけたら、「おまえ、今、電話してきたじゃねーか」・・・と(笑)。
「マジで~」と、どうしても信じられなくて、今朝、メールしたら、やはり、二度かけてきたのは間違いないようで・・・。
しかし、飲んでる最中に記憶が無くなったのは初めてです(笑)。

e0027240_14305956.jpg(←外から見ても、結構、良い感じ・・・です。)

嗚呼、それなのに、それなのに、当然のことながら、本日は二日酔いです。
朝、風呂に入ろうと思ったら、お湯抜かれてました。
いつものことながら、見事に脳みそが働いてません。

で、本日の本題です。

今年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、私が一番、興味深く見ているのが、主役の福山雅治さんでも、絶品の演技が光る準主役の香川照之さんでもなく、岩崎彌太郎の父親、岩崎弥次郎役の蟹江敬三さんです。
いるんですよね。
こういう、自分の子供のことしか考えてない親・・・というのが。
いくら親身にしてもらっていても、息子が牢屋に入ると、「どうして、おまえも入らない」と言い、その友人に冤罪がかけられると、家族が冤罪を主張する中、「あいつは本当は腹黒いやつだと思っていたんだ」などと口走る・・・。
私も、結構、そういう親というものを見てきましたから・・・。

もちろん、あれが史実だとは思っていませんよ。
坂本龍馬と岩崎彌太郎が親交があったのは、龍馬の死の8ヶ月前からだと思っていますので。
第一、家、遠いでしょ・・・みたいな(笑)。
たとえ、距離的にはそれほどではなかったとしても、今と違って、下級武士には徒歩しか交通手段がないような時代ですからね。
同じ土佐なら、皆、知り合い・・・と考えるのは、もの凄く、無理があるでしょ(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-27 08:47 | 音楽芸能 | Trackback | Comments(2)

古の九州探題は何処にありや!を推理する その3
親愛なるアッティクスへ

先日よりの続きです。

e0027240_13454487.jpgその鎮西探題が居城とした鷲尾山ですが、実は、ここは私にとっては大変、思い出深い所でして、と申しますのも、ここは現在、鷲尾愛宕神社となっており、その中腹にある焼き餅屋さん(←)が、父のお得意様だったようで、子供の頃から、何かあると良く連れて行かれたんです。
(昔はこんなに立派ではありませんでしたけどね・・・。)

e0027240_14315964.jpg当時、ここから見る南側の風景はと言うと、ゴッホも惚れ惚れとするような見事な田園風景でして・・・。
(←ここから見える、山裾に至るまでの風景すべてが緑一色だったと想像してください。)

それが、平成の初め頃に行った時には、見渡す限り、びっしりと建物だらけになっており、さらにそれから10年ほど後には都市高速は通るは・・・で、さら現在は地下鉄も走っており・・・。
往事を知る者にとって、その変貌ぶりは驚嘆です。

e0027240_14352644.jpgここは、東は室見川という川が流れ、で、当時は海中に取り残されたような殺風景埋立住宅街があるだけでした。
(←右端に見えるのが福岡タワー。ということは、昭和30年代までは手前の樹木と右中程タワー奥に見える遠景の山以外、すべて海だったと・・・。)
e0027240_14464031.jpgちなみに、西は姪の浜という街ですが、ここは昔は漁師町でしたので、おそらく、鎌倉期は入江だったのではないでしょうか。
(←ちなみに、南側を下から見るとこのようになっております。隣のマンションと比べると、その断崖絶壁ぶりが際だっており、つまり、三方が海と川、南は断崖ということで、改めて、その難攻不落ぶりが偲ばれるでしょうか。)
ただ、その堅固な要害ぶりと裏腹に、探題がここに城を構えた・・・ということ自体、その後の滅亡を示唆していると思います。


次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-26 17:40 | 地域 | Trackback | Comments(2)

選手層の薄さを補う指標の一つとして参考までに安打死球率
親愛なるアッティクスへ

最近の福岡ソフトバンクホークスについて目につくのは、毎度、お決まりの後半での救援投手陣崩壊で敗北・・・というパターン。
こういう試合が続くと、「またかよ」となり、球場に足を運ぶのが億劫になる・・・という、まさしく、かつてのクラウンライターライオンズ状態・・・ですが、こと、ホークスの構造的欠陥としては、以前から申し上げた来たように、「選手層の薄さ」にあると思うのですが、この点で、打者にとって、長期離脱になりかねない死球というものを避けるという意味で、その選手が、どれだけ死球をかいくぐりながら安打を打ったか・・・という安打死球率というのを出してみました。
これを過去の名選手たちに当てはめてみると、まず、長距離砲ほど率は高くなるという傾向があるようで、これは、投手から見れば強打者を封じる為にはやむを得ない戦法だとも言え、逆に言えば、強打者と死球は避けて通れない関係であるとも言えるでしょうか。

で、本塁打と言えば、世界の本塁打王・王 貞治氏ですが、この人は、114死球/2786安打で4.0%、同じく、野村克也氏が122/2901の4.2%ですから、ほぼ、この辺が本塁打打者の数字ではないかと。
となれば、私が子供の頃の本塁打打者でとにかく死球の印象がある田淵幸一氏・・・は、やはり8.3%で、最近で目立っていた清原和博選手は何と9.2%でした。
特に、田淵氏は、死球によって、結構、生死の境をさまよったり、シーズンを棒に振ったりしてましたので、もう少し、避ける技術を磨くべきだったのではないか・・・と。

逆に、塁に出したくない俊足の選手は低くなる傾向があるようで、世界の盗塁王・福本 豊氏は1.7%、その他、広瀬淑功氏は1.8%、柴田 勲氏は2.3%・・・。
この点では、強打者でありながら、2%台をキープしている落合博満、張本勲、山本浩二氏などは死球を避けるのが上手かったと言えるのでしょうが、張本氏や山本氏などは俊足でもあったことから、強打者ではあるけれど、塁に出したくない選手でもあったわけで、この辺は、死球封じの参考になるのかもしれません。
意外だったのが、連続試合出場の衣笠祥雄氏の6.3%という高率・・・。
この人の場合、すべての死球を避けようとするのではなく、当たる角度を出来るだけ鋭角にして致命傷を避けることに意を注いだ結果とも言え、誰にでも出来るものではないものの、最悪を回避するという意味ではこれも一つの方法だと言えるでしょう。

で、この数字で特筆すべきは、何と言っても、長嶋茂雄氏の1.7%・・・。
この人の場合、「動物的直感」で避けるのも上手かったのでしょうが、最後の方になると、殆どの日本人選手にとっては「憧れの長嶋選手」だった・・・ということもあるのでしょうね(笑)。
もっとも、長嶋さんと同世代の中西 太氏は巨体に似合わず1.3%、豊田泰光氏は1.1%、川上哲治・大下弘という戦中派は共に1.9%でしたから、昔は全体に低かったのかもしれませんし、投手が打席に立たないパ・リーグと打席に立つセ・リーグとではまた、違った結果が出るのでしょう。
参考までに、的が小さいという点で言えば小柄な若松 勉氏は2.9%、でもって、現役のイチローはと言うと・・・、意外に3.1%(昨年時点)でした。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-23 17:21 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

福岡ソフトバンクホークス低迷は遠い昔にいつか来た道
親愛なるアッティクスへ

実は私、今、何とも頭が痛い問題を抱えておりまして、それで、本来は、昨今の政局のことなど、色々、書くことはあるのですが、どうにも、筆が進まず・・・。
(あんなに、ミニ新党ばかり作ってどうするんだと。ていうか与謝野さんは、小選挙区で落ちて比例代表復活当選した人でしょ。だったら、有権者は自民党という党を選んだわけだから、比例代表で通った人は党籍を失うときは議席も失うべきじゃないんですか?)
で、昨一昨日と、誰も興味を持たないようなことを書いて筆を濁している次第で、本日も、お茶を濁します(笑)。

今年の、我が、福岡ソフトバンクホークスですが、実は私、今、ひとつの異変を感じております。
昨年のホークスの福岡ドームでの観客動員数ですが、1試合平均31,194人となっており、これはパ・リーグではトップ・・・、プロ野球全体でも、阪神(41,765人)、巨人(40,755人)、中日(31,922人)に次ぎ第4位だったとか。
元々、福岡ドームは収容人員が、36,253人しかないことを考えれば、これは結構、良い数字で、事実、埋席率を算出してみると86.0%を計上しており、これは阪神の87.3%、巨人87%(推定)、中日83.0%と比べても、その健闘振りが見て取れるでしょう。

e0027240_1526286.jpgそれが、今年は私が見る限りでは、殆どの試合が3万人切ってるんですよ。
私が今年行った唯一の試合、ドーム開幕戦でも、さすがに3万人割れということはなかったようですが、結構、空席が目立っており、開幕戦でこの状態というのは、今まではちと考えられませんでしたよ。

まあ、昨日は、キャパが小さい、北九州市民球場で、それも雨の中での試合でしたから、少ないのはやむを得ないのでしょうが、調べてみたら、やはり、ここまで14 試合を終わって1試合平均25,150 人、埋席率は69.3%という、少し、恐いような数字が出ました。
で、なぜ、こうなったかを考えてみたのですが、不景気の影響・・・というのは、確かにあるのでしょうが、それは、ここ数年言われていたことですから、今年のからの突然の低迷の説明にはならないでしょう。
となれば、思いつくのは冴えない試合内容・・・で、考えてみれば、ホークスは2003年日本一になって以来、昨年まで丸6年、優勝していないんですよね。

e0027240_1401916.jpgこの6年という数字は、短いようで、とんでもなく長い数字ですよ。
おそらく、今の中学生以下の少年ファンの殆どは、ホークスの優勝を知らないんじゃないですか。

(←球場使用料何億円値上げされたのに、この減収・・・。本当の意味で、ホークスの選手は「今年はやらんといかんばい」・・・ですよ。)

これって、「成績低迷」→「入場料収入減少」→「球団経営悪化」→「選手年俸低迷」→「成績低迷」→「・・・という、あれ~♪これは~遠い昔に~いつか来た道~♪そう、あれは~♪西鉄ライオンズが~消滅した時の~負のスパイラル~♪・・・って、考えすぎですよね?

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-22 18:01 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

古の九州探題は何処にありや!を推理する その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

福岡市南区に在する花畑小学校には、かつて、九州探題があった・・・という石碑の文面についてですが、まず、私が疑問に思ったのは、「鎌倉時代に九州探題があった」という表記自体についてでした。
というのも、私の記憶では、確か、鎌倉幕府によって設置されたのは鎮西探題であり、九州探題を設置したのは室町幕府だったからでした。
で、そこら辺を少し整理しておきますと、まず、「探題」というものについて言えば、源 頼朝によって創建された鎌倉幕府ですが、同時にそれは当時の日本の国土的に見たならば、京都に比べ、極めてに偏重した政権が成立したということでもありました。
となれば、当時は、電信設備は愚か、宿場さえもろくに整備されてない時代であすから、中央政府に決裁を仰いでも、返事が来るのに数ヶ月はかかってしまうわけです。

e0027240_12293350.jpgこれでは元寇などの緊急時に対応できないということで、ある程度の権限を持たせた出先機関を設置する必要性に迫られたことから設置された機関が探題で、一手に当地の行政・裁判・軍事などを管轄した・・・と。
(←元寇防塁・・・ではないかと言われている物です。)

e0027240_1226296.jpgで、この鎮西探題について言えば、こちらの方は割とどこにあったかがわかっていて、舘は当初、交際上の必要からか博多市中の一等地にあったようですが、博多市中は便利ではあっても、防衛上は堅固とは言い難く・・・。

(←当時の博多。)

実際、鎌倉幕府が揺らぎ初めた元弘三年(1333年)には、肥後の菊池武時が探題館を襲撃しており、このときは、少弐・大友といった在地勢力の協力を得て、これを退けたものの、改めて、博多市中に居館を置くことの危険性を痛感したと思われます。
(私がまだ高校生だった昭和53年(1978年)の夏、中洲から博多駅へと向かう地下鉄の工事現場から、無数の人間の頭骨が発掘されたことがあり、研究者の見解によると、この、探題舘襲撃のときに撃退された菊池勢のものではないかということでした。)
それがあったからか、いつの頃からか、探題舘は現在の福岡市西区愛宕にある愛宕神社がある地に移ります。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-21 08:21 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

古の九州探題は何処にありや!を推理する その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_175787.jpg昨日今日と、福岡県地方は少々、ぐずついた天気となっておりますが、最近は随分と気候も良くなってきましたので、私、運動不足解消を兼ねて、昼飯を食いに少し遠くまで行っております。

で、先日、福岡市南区にある花畑というところまで行ったところ、花畑小学校の一角になにやら石碑を見つけました。
で、石碑(←)を見てみてびっくり。
この小学校のあったところに、あの「九州探題」があったというではないですか。
「え?こんなところに?」と意外感を隠しきれなかったのですが、なぜなら、ここは南区の中でも、比較的、「奥地」にあるところでして、と言っても、地元の皆さんの反感を買うのも困りますので少々、フォローしておきますと、当地は、結構な密集住宅街でして、それも、私が子供の頃にはすでに、ほぼ、今のような感じでしたから、割と早くから開けた住宅街なのだろうと思います。
ただ、それでも、現在の我々の感覚では「なぜ、こんな所に?」と思うような場所であることには違いないわけで・・・。

e0027240_18394852.jpgで、考えました。
まず、鎌倉時代であれば、おそらく、当時の海岸線は今よりも、かなり内陸にあったであろうと。
今、南区役所が置かれている塩原というところは、名前の通り、海から塩を取る所だったと言いますから、その意味では、当時は必ずしも奥まった所ではなかったのだろう・・・と。
その一方で、見回せば、背後には福岡市民憩いの油山という山があり、いざとなったときは、そのまま、そこへ非難することが出来る・・・と。
さらに、周囲には小高い丘があり、左の方の丘に登ると五社神社という神社になってました。

(←背後の山との位置関係がおわかりいただけるでしょうか。)
今ではこれらの丘はかなり、ぶつ切りのような形になってますが、当時はもっと、丘らしい丘、つまり、丘陵帯だったのではないかと・・・。

e0027240_1931931.jpgそう考えれば、背後に山、左右に丘陵帯という、これは如何にも当時の武士が居館を構えるには好みそうな地形ではないか・・・と。
(←上記画像と反対側を臨んだ風景。小丘にも関わらず、ご覧の通り、かなり眺望は利きます。見張り砦には最適だったでしょう。)
ただ、それでも、ここを九州探題の舘があったとするのは、少し無理があるんじゃないかというのが私の結論です。

(知ってるつもりのような所でも結構、面白いですねぇ(笑)。飯食いに行った先で聞いてみたら、この奥地の住宅街に、なぜか、昭和40年代は鮨屋が密集していたそうです。海が近いわけでもないのに「何で?」と聞いてみたけど、「わからない」と(笑)。)

明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-20 18:50 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

中国で日本人が麻薬密輸罪で死刑にされた是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11254727.jpg先日、博多駅前のガード(トンネル?)の下を歩いていたら、今まで無かった所に突然、通路(←)が出来てました。

おそらく、新・博多駅建替工事の関係だろうとは思いますが、改めて、くりぬかれたコンクリートの厚みに驚きましたが、でも、こんなことやっていいの・・・?という思いも。
だって、このトンネル(ガード?)が出来たのは、おそらく、私が2~3歳の頃のはずで、であれば、築45年以上にはなるはずなんですよ。
いくら、頑丈に作ってあるから良いんだ・・・と言っても、上を毎日、相当の数の電車が通過していることを思えば、半世紀近くに渡って、列車の荷重を支え続けてきたわけで・・・。

で、本日の本題です。
先日から、「中国で麻薬密輸罪に問われて死刑判決確定していた日本人3人の死刑執行された」という報道が為されてましたよね。
報道を見ていて思ったのですが、問題にされているのは、罪状そのものではなく、「日本人が海外で死刑に処された」ということだったようで、日本国内の感覚で言えば、随分、罪が重いのではないか・・・ということだったようにも思います。
この点で、思い出すのが、かつて、サッカーのアルゼンチンのスーパースターだったマラドーナが来日しようとしたときに、麻薬使用の過去があるからということで、入国を拒否された・・・という事件です。

あのとき、ラジオを聞いていたら、視聴者の人が、「やっていたのは過去のことで、今じゃない。それなのに入国させないなんて!日本の役人の頭が固いおかげで世界に恥を掻いた」という意見を寄せたことがあったのですが、その際、その番組のコメンテーターだったか司会者だったかの人がすかさず、「とんでもない!麻薬というものは、あのくらいやってないといけないんだ。有名人だからと言う問題ではない。私は、世界各国で麻薬の悲惨な現状を見てきたからわかる。厳しすぎるくらいでちょうど良い。日本の役所がやっていることは正しい」ということを力説されておられました。

そういう意味では、中国には「アヘン戦争」という苦い教訓があり、それ以前に、国情を考えれば一罰百戒で臨むのもわからないではないと思います。
それどころか、むしろ、「日本の刑罰の方が甘い!」という意見があることについてもこれを否定しません。
その上で、私がひたすら懸念するのは、とにかく、「間違いないのか?」ということです。
つまり、捜査能力は十分なのか?捜査官信用がおけるのか?裁判審理は尽くされるのか・・・と。
毒入り餃子事件、ひとつ採ってみても、ああいうお国柄でしょう・・・、自供は間違いないんですよね・・・。
もし、自分が上海かどこかの空港待合室で居眠りしている間にカバンに忍び込まされて、そのまま、発見されたとして、それで死刑にされたらシャレにならんですよ。
上海万博がもうすぐ開幕されるわけですが、それを考えれば、なぜ、この時期に・・・という気もしないでもありません。
あるいは、中国の他の都市には「上海ばかりが」・・・という意識があるといいますから、もしかして、上海への嫌がらせの結果・・・とか?
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-19 08:24 | 国際問題 | Trackback | Comments(8)

「哀れで愚かな鳩山」に捧ぐ懸案一挙解決快刀乱麻の妙策
親愛なるアッティクスへ

一昨日の14日付の米紙ワシントン・ポストで、鳩山由紀夫首相は「核安全保障サミットでの最大の敗者哀れで愚かな日本のハトヤマ首相」と酷評されたそうですね。
オバマ大統領に首脳会談を申し込んでもまったく取り合ってもらえなかったそうで、結果、「唯一の残念賞は、夕食会で『非公式な』会談ができたことだ。メイン料理とデザートの間の、どこかだろうか」と皮肉られたとか。
平野博文官房長官などは、昨日の会見で「一国の首脳に対する表現としては、いささか非礼」として不快感を示したそうですが、同紙に、「鳩山首相はオバマ大統領に2度にわたり、米軍普天間飛行場問題解決を約束したが、まったくあてにならない」と言われては返す言葉はないでしょう。

また、日経新聞によると、席上、鳩山首相がオバマ大統領に、「5月末までに決着させたい。大統領もぜひ協力願いたい」と述べたところ、オバマ大統領は、「しかし、進展していない」と述べ、さらに、「きちんと責任を取れるのか」とまで言ったとか・・・。
この点、如何にもアメリカ側の「冷ややかさ」が伝わってくるような気がしますが、その上でなお、理解に苦しむのが、首相が、「5月末までに、『①米国②県外も含めた地元③連立与党』の合意が得られた案が発表される」と昨日のインタビューで語っていたことです。

5月末までの合意を連呼するのであれば、もはや、「どれを取って、どれを捨てるか」の問題で、3つすべての合意が得られた案などというのはあり得ないんじゃないんですか?
アメリカでああいう扱いを受けながら、まだ、今の時期にこういう現実逃避のような事を言っているということ自体、首相の見識を疑います。
おそらく、その時が来たら、否応なしに現実的な案を公表せざるを得ないのだと思いますが、そしたら、今度はまた、あちこちから反対意見が出て、またまたまた前言撤回で「必ずしもそういうことを言ったわけではない」とか言い出して、集中砲火を浴びて立ち往生・・・てなことになるんじゃないですか?
残念ながら、首相は、もはや、自ら「総理の器ではない」と公言しているように思えてなりません。

で、それらを踏まえた上で、なおかつ、その他の暗礁に乗り上げている懸案事項も含めて、すべて、一挙解決に導ける快刀乱麻を断つの妙策があります。
それは、再度、「実行可能なマニフェストを作った上で、もう一度、国民に信を問う」ことです。
「今更、そんな、ど恥ずかしいことができるか!」と言われるかもしれませんが、でも、これをやらないと、民主党はこれらのねじれ現象に苦しみ続けることになりますよ。
無論、国民がそれで理解してくれるという保証はありませんし、今の内閣支持率を見ていると厳しい戦いも予想されます。
そうなると、鳩山さん自身も在任期間が記録的な短命に終わることも考えられ、少なくとも、民主党のためにはならないでしょうが、政権が真に日本国というものの先行きを憂えるなら、嘲笑を浴びてでも、一度、リセットして出直すべきだと思うんです。
幸い、自民党もあの体たらくですから、民主党にとっても、今が、一番、好機ではあるはずなんですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-16 08:46 | 政治 | Trackback | Comments(6)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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