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川縁に思う下町で生を受けた昭和男の年末ご挨拶
親愛なるアッティクスへ

ついに今年も一年、終わってしまいましたね。
本日の福岡県地方は、この冬一番の冷え込みのようで、一日中寒い・・・って感じの雪交じりの天気となるようです。

当方、昨日は友人との毎年、恒例「年も押し詰まってからの忘年会」でした。
でも、これも年を重ねるに連れ、曲折あって、年々参加者が減り・・・、昨年は開催されず、今年は二人という状態でしたが、まあ、それでも、元々、この時期に集まれる者だけ集まろう・・・みたいな感じでのスタートでしたから、二人だからと言って寂寥感というものはまったくありませんでしたけどね。
実際、活きたカニやエビ、貝類などを炭火で焼いて食べ、帰りは寒空の下、友人と二人でほろ酔い加減で真っ暗な川縁を歩き、さらに、俗界に上がり、神社をハシゴするなどして帰りましたので、結構、それなりに楽しかったですよ。
もっとも、心が優しい友人氏にはさすがに動いているカニなどを焼き殺したことのショックが強すぎたのか、食材・・・ならぬ、贖罪の意識が働いたようで、正月を迎える前に三社参りしてしまいましたけどね(笑)。

川縁で思い出しましたが、先日、ベッドの上で「あ、死ぬかな」と思った刹那、私にはなぜか、中洲の川の匂いがしました。

e0027240_13115583.jpgやはり、往事の福岡市下人参町という、ど下町に源流を持つ人間としては、川と言えば清流ではなく、中洲辺りの汚い川こそが帰るべき場所なんだな・・・と思いましたね。
そういえば、神様・司馬遼太郎さんも、存命中、よく、東大阪の自宅に訪ねてきた人から、「なぜ、こんなところに・・・」ということを言われたそうで、つまり、「アナタのような人にはこんな町工場に囲まれた所よりも、もっと相応しい、芦屋帝塚山などの住環境が良い場所があるでしょう」ということだったようですが、本人は「そう言われても、私はこういう所でないとダメなんです。こういう人混みで生まれ育ったから、緑が豊富な、静かなところでは息が詰まって、数行も書けない」と言っておられたとか。

閑話休題。
でも、そのおかげか、今朝は殆ど、二日酔いはありませんで、朝から注文していたおせち料理を取りに行って、その足で実家へ持っていってきました。
昭和男としては、「おせちなんて物は自宅で作るべきだ」・・・という意識が強く、店から買うなど何とも嘆かわしい限りで、実際、父が存命であった頃までは母は毎年、自宅でおせちを作っていたのですから、「おせちくらい家で作らなやろうもん」と言っていたのですが、父や祖父母の存命中には苦労ばかりしてきた母から、「毎年、違うおせちをとるのが楽しみ」などと言われてしまっては・・・。
無念ですが「もはやこれまで」と諦めざるを得ませんでしたね。

ということで、とりとめもない話になりましたが、今年一年、大変お世話になりました。
良いお年をお迎えください。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-31 12:39 | その他 | Trackback | Comments(2)

大工の世界は無駄をそぎ落としたボクサーの趣き
親愛なるアッティクスへ

巨匠、黒澤 明監督の代表作に名作、「七人の侍」があります。
この中で、改めて、私なりに思ったことがあります。
まず、劇中、野武士の襲撃から守らんとする村に到着したとき、早速、防備を固めようとする、幾多の戦場をくぐり抜けた志村 喬らのベテラン侍たち・・・。
その仕事ぶりは、新築住宅上棟式のときのベテラン大工たちの姿そのものに思えましたよ。
何も言わないでもわかるし、言わなくてもすでに誰かがとりかかっている・・・。
皆、長年の共通の体験があり、誰かが、系統立てて指揮指導しなくても、いつものように手慣れた手つきで眈々と段取りを進めている・・・。
(これは、私も経験あることなのですが、大工の世界というのは日本では異質なほどに合理的・・・、まるで無駄をそぎ落としたボクサーの体のような趣があるんですよ。)
つまり、この映画の中に出てくる侍たちは、あの時代にたくさんいた「職人」という人種たちの姿であり、ひいては、アメリカンナイズされてしまう前に存在した日本文化そのものでもあったのではないか・・・と。

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で、演技者という点では、ひとつ、印象に残る話があります。
先般、森繁久弥さんがお亡くなりになったときに、かつて、杉村春子さんとの対談の模様が放送されていたのですが、その中で、森繁さん曰く、「松竹のある監督は新人女優が来ればリハーサルで『良いよ』という。で、本番となったとき、その女優のセリフが終わり、本来なら、『カット!』となるはずのところで、しばらく何も言わずにカメラを廻し続ける・・・。すると、女優は自分のセリフが終わってるから、どうして良いかわからず、目が泳いだり、狼狽えたりする・・・と。すると、その監督は、『こいつはダメだ』というんですよ。『厳しすぎるのでは』と言ったところ、彼は、『人物を掴んでいると何とか言う』と言うんですよね」・・・と。

この話には、森繁さんも、杉村さんも、共に「新人には少し厳しすぎる話なんじゃないか」といって苦笑しておられましたが、確かに私も少々、厳しすぎるようにも感じるのですが、でも、考えさせられる話でもありました。
ああいう世界はそもそもが、スタート前の時点で何か他人と違う物を持っている人がスタートラインに立つべきであって、その、「持って入ってきた」かどうかを見るという意味では、酷なようですが、その監督さんが言っていることは一理あると思います。
無論、この時点で「持っていなかった」からと言って、すべてを否定する必要はないとは思いますが、足を一歩踏み入れた瞬間から選別は始まっていると言って良いわけで、その意味では、「持って入ってきた」人たちからすれば、大きく出遅れたことは否めず、一層の奮励が必要になってくるでしょう。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-30 18:28 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

地方都市にまで画一的な物ばかり作りたがる中国の無策
親愛なるアッティクスへ

以前、強国ベトナムと大国タイに挟まれたカンボジア・・・という構図は、強国日本と大国中国に挟まれた朝鮮半島のそれと同じである・・・ということを申し上げましたよね。
で、この構図が成立するもう一つのケースとして、強国ドイツと大国ロシアに挟まれた、中欧、東欧諸国の歴史が挙げられると思いますが、今、そのドイツとロシアが急接近していますよね。
これを、中東欧諸国の人たちはどう思っているのか・・・ということに興味を持ちました。
これを知ることは、単に中東欧諸国の現状を知ることのみならず、中国と日本が接近した際の朝鮮半島の反応を知る一助にもなると思ったからです。

で、先日、ワルシャワ在住の方と話す機会があったのですが、どうやら、容認傾向にあるようですね。
また、「中東欧諸国の国民はEUには補助金をもらっているから親近感を持っているが、ロシアからはもらっていないから義理もない」・・・と。
この方面のことは、これからも注視していく必要があるでしょうが、とりあえずは納得でした。

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次に、中国と言えば、私も最近の中国を映像などで見ていて思うことがあります。
「中国人もあんなにたくさん、あっちにもこっちにも、同じ街ばかり作ってどうするんだろう」・・・と。
中国の発展は確かに凄まじい物がありますが、あんなに地方都市まで、やたらと一様に無機質で無個性なビルを林立させるよりも、もっと、その地なりの開発の仕方があるのではないか・・・と。
まあ、この点は、やたら、ミニ東京を作ることを尊いとしている日本の地方都市も似たり寄ったりではあるのですが、でも、中国には日本と比べものにならない多様性や歴史という物があるわけでしょ・・・。
無論、中国にも、国家歴史文化名城という制度があり、102市ほどがそれに指定されているそうですが、それらに指定されていない都市でも、同じビルだらけにするなら、もっと、何かやりようがあるのではないかと思うんですよ。

たとえば、先日も、三国志の英雄・曹操の墓が見つかった・・・というニュースがあってましたが、もし、曹操にゆかりの何かであれば、たとえ、遺跡が現代に残っていなかったとしても、町のシンボルとして、何か連想させる物を復元、もしくはデザインに組み込むとか・・・とか、出来れば、景観条例のような物を作って、街全体に特色を出していくべきでしょう。
私には、やたら、紫禁城がない北京、旧租界地区がない上海ばかりを作っているように思えてならないんです。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-29 08:17 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

今も変わらない「戦争を知らない軍人たち」の原理
親愛なるアッティクスへ

先日、NHKで『NHKスペシャル 日米開戦を語る「海軍はなぜ過まったのか」』というのをやってましたよね。
これは、この分野で研究・著作が多い、半藤一利澤地久枝の両昭和5年生まれ戸高一成を加えた各氏が、同じくNHKで8月に放送された「NHKスペシャル日本海軍 400時間の証言」という番組で紹介された旧帝国海軍軍人らによる海軍反省会と呼ばれる討論会での録音テープを聴いて思うところを語る・・・というものでした。
で、この中で、私がもっとも、印象に残ったのが、澤地氏の「この人たち(海軍軍人)は戦争という物を知らないんだなと思った」という言葉でした。
曰く、「陸軍の方は何だかんだ言っても、その後も、中国と戦争したりしているけど、海軍の方は日露戦争以来、戦争したことがない。だから、海軍は日露戦争での日本海海戦をそのまま、引きずっている」と。

確かに、言われてみれば、その後の日独戦争(第一次世界大戦)にしても、シベリア出兵にしても、日中戦争にしても、海軍から犠牲者が出ていないとは言わないけれど、事実上、後方支援と兵員輸送だけで、本格的な海軍の戦闘というのはやってませんよね。
(日露戦争から10年後の第一次大戦では、日本海軍は日英同盟の関係から地中海で後方支援に当たっており、そのため、少なからぬ犠牲者を出していますが、少なくとも、大艦隊同士の会戦というのは間違いなく経験していないわけです。)
ということは、35年以上、海軍は戦闘を経験していないということになり、となれば、日露戦争当時、35歳だった人は70歳、25歳だった人で60歳になるわけで・・・。
半藤氏によると、太平洋戦争開戦時に日露戦争を経験していたのは山本五十六永野修身の二人しかいなかったといいますが、その2人でさえも実際には新入社員に毛が生えた程度の物ではなかったでしょうか。

私は、この番組を見るまで、この、澤地久枝という人は知りませんでしたが、あの録音テープから、このことを読み解いたその慧眼には正直、感服しましたよ。
私は本来、女性が戦争のことを語るときには、どうしても、戦争を、「妻」とか「母」などの視点で見ることが多いことから、戦争そのものを客観的に見てるようには思えず・・・、実際、番組中でも、この人の代表作には、「妻たちの二・二六事件」「昭和史のおんな」・・・などとありましたので、おそらく、この人単独のインタビューであれば見なかったでしょうね。
しかし、このコメントについてだけは、この人は女性でありながら、戦場を知っている男性以上に戦場のことを知っておられるのではないかとさえ思いましたよ。

ただ、この点で、私には思い出すことがあります。
以前、ある、自称有識者なる人と話したことがあるのですが、その際、彼は、「私は、実際の戦場を知っている。ジャーナリストとして、結構、行ったからだ」と言いました。
つまり、「だから、私の見識は高い」ということだったのでしょうが、そのとき、私は、どうしても話がかみ合わない相手だったこともあり、「君はわかっていないね。勘違いしている。なぜなら、今も世界の戦争を動かしている人たちの大半は実際の戦場を知らないからだ」と言い放ちました。
これって、あながち、強弁でもなかったのかもしれませんね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-28 08:11 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

机上山積みメモ紙処分の為の書き殴りシリーズ その5
親愛なるアッティクスへ

「千と千尋の神隠し」ってありましたよね。
無論、初めて見たわけではないのですが、遠い昔にどこかで見たような光景ばかりでありながら、それでいて、実際には絶対にあり得ないという・・・。
誰かの、大きな家のおもちゃが山積みされているところに忍び込んだことなんて、絶対にあるわけないのに、sどうして、私の記憶の中に引っかかってるんだ・・・と。
ていうか、むしろ、どうして、私のそれと同じ物を宮崎駿雄という人が知っているのか・・・と。
おそらく、私に限らず・・・、特に、昭和生まれは、あの映像を見て、そう思った人は結構、少なくないのではないでしょうか。

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アニメのモデルとなったといわれている台湾の九份の建物です。)

ところで、前方後円墳ってありますよね。
あの、昔の鍵穴のような形をした古墳です。
あれって、最近思ったんですけど、「前方・後円-墳」ですから、ということは、前が方形(四角)で後ろが円形(丸)ってことでしょ。
私だけなのかもしれませんが、あの、鍵穴のイメージからか、どうしても、円の部分が前(上)で箱形の部分が後(下)とばかり思いこんでいたんですよ。
実際、仁徳天皇陵(今は言わないとき来ましたが、ガキの教科書を見たら、まだ、そう書いてありました。)の空撮写真などを見ると、皆、円の部分を上にして表示してありますよね。
まあ、これは、箱形の部分に入り口があるってことだと思いますが、であれば、箱形の部分はエントランスであり、肝心の墳墓は円の部分にあるってことなんでしょうか。
でも、前方後円墳であれば、やはり、写真は逆さまに表示すべきだと思うんですけどね。

それから、韓国に豊臣秀吉朝鮮出兵の際に築かれた「倭城」というのがありますよね。
私も以前、行ったことがあるのですが、あれって、そのとき、ガイドさんも言ってましたが、大体、海や川に近く、見晴らしの良いところにあるそうですね。
ところが、倭城というのは、大半がうち捨てられているのだそうで、私が行ったときも、ガイドさんが、「あれ?去年までは何もなかったのに階段がある」と言っていたくらいですから、本当に何も利用されてなかったんでしょう。
あちこちに、畑なんかもありましたから。
でも、海や川に近く、見晴らしが良い・・・ということは「交通の便が良い要地」ということなんじゃないですか?
であれば、どうして、今日に至るまで何も有効利用されてないのでしょうか?

ついでに言えば、古代に中国東北部からロシア国境付近にかけて存在した渤海国は敵対していた朝鮮半島の新羅などに対抗するため、日本へ使節を遣わし、日本も渤海使を派遣したと言われていますよね。
でも、あれって、渤海から日本へは放って置いても福井から秋田辺りへ流れ着くんでしょうが、日本から渤海へというのは、下手をすれば敵対している新羅へ流れ着く可能性もあったんじゃないですか?
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-26 08:11 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

机上山積みメモ紙処分の為の書き殴りシリーズ その4
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11402930.jpg以前、ヨーロッパに行ったときにつくづく思いましたが、白人女性にはやはり、白人男性がお似合いですよ。
普通に180cmくらいの女性がうろろしてますから、体格の面でもそうなんですが、私が思ったのはそれ以前に顔立ちの面でです。
白人の女性は、確かに綺麗なんですが、そう思って視線を白人の男性に移すと、明らかに、「あ、これはこの手の顔にはこの手の顔だな・・・」と(笑)。
その意味では、アジア系にはアジア系・・・、もっと言えば、「やはり、日本人には日本人だよ・・・」と。
とはいえ、国際結婚されている方もたくさんいらっしゃるわけで、所詮は、もてたことがない男のひがみなんでしょう(笑)。

で、本日の本題・・・というよりも、本日もメモ紙処分の為の書き殴りです(笑)。
漫画家、水木しげる翁の少年時代、隣町の少年たちとの戦争に明け暮れていたそうです。
でも、戦争する理由というのは単に相手を知らない・・・というだけのことなんですよね。
私の知人に、中学生の頃、隣の中学の奴から恐喝されて、金をむしり取られた人が、(当時は、良く、そんなことがあってました。)高校に進学して、仲良くなった隣の中学の友人が、そのときの恐喝の当事者だった・・・ということがあったという話を聞いたことがあります(笑)。
いきなり、頭に来て詰め寄ったようなことを言っておられましたが、仲良くなってみれば、何と言うことのない相手でも、結局、わからないから「悪」だと・・・。
私も幼稚園の頃、福岡市下人参町の私にとって、隣の平松町に住む子供は、何を考えているかわからない、如何にも取っつきにくそうな「悪の権化」でしたが、小学校で同じクラスになったら、むちゃくちゃ、仲が良い友達になりました。
ましてや、見るからに顔立ち風俗も違う相手を見れば、善人と思いなさいと言う方が無理でしょう。

国と国、民族と民族の戦争も煎じ詰めれば同じことで、この点、聖書にある「彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり」そのものではないでしょうか。
もっとも、それゆえに、異教徒よりも、むしろ、身内の異端が許せなかったのがキリスト教の歴史でもあるのでしょうが。
ちなみに、宗教にはとんと理解がない私がなぜ、聖書の言葉など知っているかと言えば、戦時中、日本海軍軍人として真珠湾攻撃空襲部隊指揮官を務め、戦後は一転してキリスト教伝道者となったことで知られる淵田美津雄氏が、終戦からそう遠くない頃に米国で伝道講演をした際に、引用した一文だったと聞いているからです。
(いつも、終わりに自分のかつての経歴を言うと、アメリカ人信者の多くから激しいブーイングを浴びせられたが、この言葉を言えば、皆、わかってくれたとか・・・。)

でも、そうなるのは仕方がないことなのかもしれません。
人間とは、警戒することで生き残って、今日の繁栄をもたらしてきた者たちの末裔なのですから。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-25 08:48 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

机上山積みメモ紙処分の為の書き殴りシリーズ その3
以前、テレビで、東北地方ヤミ金被害が深刻である・・・という報道を目にしたのですが、私が見る限り、番組中で被害に遭っている人は明らかに、あまりにも、そういう物に対しての免疫がない人たち・・・であるという印象を持ちました。
で、思わず、想起したのが、「江戸時代に初めて、貨幣経済の洗礼を受けた農東北の民たち(津軽地方?)は、貨幣経済という物に対してあまりにも無知であったがため、その何たるかがわからず、結果的に、田畑を獲られ、奴隷同然の悲惨な身の上になってしまった」・・・ということです。
確か、司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」という小説に出てきたことだと記憶しておりますが、時代も環境も違うけど、私にはどうしても、これとだぶって見えてしまうんです。

この点で、5~6年前でしょうか、私も、ある、東北地方の郡部在住の友人と話していて、あまりのその認識の違いに驚いたことがあります。
友人は、手広く商売をやっていたやり手の経営者だったようですが、彼曰く、「社会保険なんて払わなくて良いんだ。『払え』と言ってきたら、『じゃあ、社会保険辞める』と言ってしまえば、向こうもそれは困るので、それで終わるんだよ」と言っていたのですが、我々、西日本の人間の感覚では、絶対にそんなことで済むはずはないことは明らかなわけで、何度、「そんなことはあり得ない」と言っても、「いや、絶対、大丈夫なんだ」を連発するばかりで、まるで理解してもらえず・・・、そのギャップというか、温度差には結構、絶句しましたね。
今はどうかしりませんが、当時はまだ、年金問題もうるさくなる前でしたから、彼らの地元の社会保険事務所も、管轄内の数少ない事業所が少なくなるということは社会保険事務所の統廃合という、自分たちの存在を脅かす事態にもなるわけで、まあ、こういう対応だったのでしょう。
でも、10社しかない地域と、1000社ある地域では対応が違ってくるのも当然で、問題は彼らが自分たちの状況が「標準」だと思っていたことです。
一事が万事、こういう牧歌的な環境の中でやってきた人たちであれば、ヤミ金という現代の貨幣経済の襲来の前にはあまりにも無防備すぎるのもやむを得ないことで、この辺は地方自治体に任せておくのではなく、中央政府が啓蒙活動の普及も含め、対応すべきことだと思います。

次に、大阪についてですが、その衰退が言われて久しいですよね。
以前も、大阪の本社から福岡支店に転勤して来た人と話したことがあったのですが、彼曰く、「経済規模は福岡の方が小さいが、でも、こっちの方が遙かに街に元気がありますよ。大阪はもう、あきませんよ」ということを言っていました。
で、大阪の衰退という点では、色々、要因はあるのでしょうが、私はひとつには大阪が瀬戸内海というものを大事にしてこなかったということもあるのではないかと思います。
今や、瀬戸内海に頼らずに、直接、東京に物資が運べるようになったということでしょうが、逆に言えばそれだけ大阪は水運、ひいては物流の街とも言えるわけで、瀬戸内海の突き当たりにある・・・という大阪の地政学的な面を認識すれば、物流手段の中での水運という物を見直す・・・、いや、水運に特化しても良いくらいだと思えるのですが・・・。
であれば、大阪は瀬戸内航路というものを育んで来るべきだったといえ、この点で、大阪はあまりにも無策に過ぎた・・・、いや、見下していた・・・ような気がしてなりません。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-24 08:18 | 地域 | Trackback | Comments(0)

机上山積みメモ紙処分の為の書き殴りシリーズ その2
親愛なるアッティクスへ

昨日はあれだけ書いて、メモ紙がやっと2枚消費できただけでした。
もう少し、力を入れて書き殴らないと減らないな・・・という結論に達しました(笑)。

で、まず、ちと、調べごとがあって、来たばかりの来年の手帳の年齢早見表を見たところ・・・、何と驚く無かれ、ついに年齢早見表から明治の文字が消え、大正元年からの記載になってたんですよ!
まあ、大正元年生まれで来年、98歳だそうですから、それ以上はいらないだろう・・・という判断なのかもしれませんが、改めて、「明治は遠くなりにけり」を実感しましたね。
だって、私が子供の頃まで、年齢早見表には明治どころか、「慶応」とか「元治」「文久」なんかが載ってたんですよ。
もっとも、101歳、102歳、103歳とかいった表記でしたけどね。
思えば、昭和43年明治維新百年で、当時、私が小学校1年7歳・・・。
でもって、この年、大正元年生まれは56歳で昭和元年生まれは42歳・・・。
いやあ、皆、若かった・・・(涙!)。
で、もう一つ目に付くのが、平成生まれが少なからぬ部分を占めるようになっていること・・・。
当然と言えば当然なのですが、平成も22年も経つと大正生まれをすでに抜き去り、結構な市民権を持ちつつあるな・・・と。
昭和43年とは明治百年であると同時に戦後23年でもあるわけで、言うならば、当時の大人たちが「江戸」の退場に一抹の寂しさを覚えると同時に、戦争を知らない、新時代の息吹をまとった「戦後生まれ」の台頭に目を見張ったようなものだったでしょうか。
その辺の空気を端的に表すのは、明治23年生まれのアイゼンハワーが言った一言でしょうか。
「今、一番、私が羨ましいと思うもの。それはだ」
で、消えゆく明治・・・という点でもうひとつ。

明治を生きた人物の一言として、私の記憶に強く残っている言葉があります。
それが、嘉永7年(1854年)生まれの辰野金吾博士の言葉、「義侠的に無報酬にてその労を執るの意思あり」です。

e0027240_1255512.jpg辰野金吾といえば、唐津藩(佐賀県)の下級武士の出身で・・・などというよりも、「東京駅を設計した人」と言った方がわかりやすい日本の建築家の草分け的存在で、手がけた建物の頑健さから「辰野堅固」とも呼ばれた人ですね。
(←博多駅です。)

この言葉は、明治44年(1911年)に竣工した福岡県北九州市にある旧松本健次郎邸(現・西日本工業倶楽部会館)を手がけたときのもので、炭鉱で得た莫大な財を郷土の発展に注ごうとする安川敬一郎、松本健次郎親子の理想に共鳴してのものだったとか。
ただ、これを手がけたとき、辰野博士は同時に東京駅を始め、岩手銀行本館、万世橋駅舎なども手がけていたそうで、とても、本当なら、到底、こちらに割けるような余裕はなかった中で、敢えて、この一言だったわけで、この辺に明治人の気概が見て取れるような気がするのですが。
まあ、儲かっていたから、これくらいタダで良いよ・・・という側面もあったのでしょうが。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-22 10:55 | その他 | Trackback | Comments(0)

机上山積みメモ紙処分の為の書き殴りシリーズ その1
親愛なるアッティクスへ

いよいよ、年末カウントダウンに入ってきましたね。
先週末申し上げたように、UPは進まない割にネタを書き付けたメモ紙は山積みになっておりまして・・・。
ということで、今日よりはしばらく、年末に向けた大掃除の一環としてメモ紙処分のための書き殴りシリーズとさせて戴きます(笑)。
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まず、時事ネタから行くと、結局、まったくの時間の浪費で終わったCOP15(気候変動第15回締約国会議)についてですが、あんなもの、いくら、各国共通の議題だからって、あれだけたくさん集めておいて、それで話がまとまるわけがないじゃないですか。
同じ事は、G20にも言えることで、面子が増えれば、それに比例して、思惑も違えば利害も錯綜するわけで、これでは、まとまりがつかなくなることは自明の理以外の何ものでもないでしょう。
その意味では、私は実効性の面はともかくも、G7・G8という枠組みは崩すべきではなかった・・・と思っています。
すなわち、G7・G8である程度まとめておいて、各国個別に交渉して押し広げていく・・・という形にしないとまとまらないでしょう。

それから、事業仕訳についていえば、「密室で行われてきたことを白日の下にさらした」・・・という点は大いに評価して良いと思いますが、結局、財務相主計局主導である・・・ということが批判されてましたよね。
この点で言えば、かつての主計局がすべてを仕切っていた時代というのは、密室の中での官僚同士の話し合いで決められるという点で不透明な観がぬぐえなかった反面、主計局というのは「選挙区への利権誘導」のための政治家からのたかりに対して、一定の防波堤を為していたことも事実なわけです。
その意味では、政治主導というものを推し進める上では「透明性」というものが絶対に必要条件なのでしょうが、たとえ、透明性を確保したとしても・・・、いや、国民監視の目にさらされるからこそ、問題もあると思います。
それすなわち、どうしても、国民生活に直結してない分野は「票になりにくい」ということで、削減の対象にされやすいのではないか・・・ということです。
貧困に喘ぐ国民からすれば、10年先に実を結ぶかどうかわからない話よりも「今、何とかしてくれ」なわけで、そこを敢えて、「これは必要な物だから・・・」と言うのが本当は政治の仕事なんですが、現実には選挙というものがある以上・・・。

その観点から見れば、科学技術などというのは、真っ先に削減の対象になりそうな分野ですが、私はやはり、安易に削減すべきではないと思います。
なぜなら、「国力」とは、結局、「科学力」だと言って良いと思うからです。
19世紀大英帝国があれほどに隆盛を極められたのは、決して兵士の数が多かったからではなく、軍事面での技術革新を含む「科学力」であったことがその好例でしょうか。
(日露戦争当時、イギリスは日英同盟に鑑み、最新技術を日本海軍に供与し、これが日本海海戦での日本の勝利に貢献したわけで。「兵器の優越性=戦争」今のアメリカが良く体現していると思います。)
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-21 08:57 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

客から手を出されてもその手を握り返さない商売人の不況
親愛なるアッティクスへ

実は私、筆が進まない割には、ネタにしようと思って書きためてきたメモ紙が机の上に山積みになってまして・・・。
今日から、大掃除の一環として、そのメモ紙を適当にUPして行きますので、どうぞ、ご協力のほど、よろしくお願いいたします(笑)。

e0027240_13233494.jpg(←某所で食べた「牧場うどん」・・・だそうです。このとき、これは「ぼくじょう」と読むのか、「まきば」と読むのかで議論となりました(笑)。本題とは何の関係もありませんが、こちらの方も溜まってますので、併せてご協力よろしくお願いいたします。)

まず、この不況の年の瀬、いずこでも、不況を嘆く声しか聞こえてこないのですが、この点で、私なりに、少し思うことがあります。
それは、「客の側から手を出してやっているのに、その手を握り返してこないやつが多すぎる」ということです。
当方、資本主義社会の中にいるわけですから、当然ながら、お客様からお金を戴き、それで生計を立てているのですが、一方で、客の立場で金を払うこともあるわけです。
そのときに、こちらは客の立場であるにも関わらず、こちらから声を掛け、感謝されるような好条件で依頼しているにも関わらず、私が見る限り、無反応な人が多すぎるんですよね。
本来なら、お金をもらう方から、「仲良くしてください」と握手を求めるもので、それを客の方から、「仲良くしよう」と手を出してもらっているわけですから、普通、「有り難うございます!こちらこそ、よろしくお願いいたします」・・・なんじゃないですか?

この点、これと同じようなことを、以前、人気お笑いコンビダウンタウン浜田雅功氏がテレビで言ってました。
東京に来て間がない頃、出前を頼んだところ、念を押して時間を指定していたのに、指定した時間を過ぎても一向に持ってこない。再度、電話して、『まだか?』と言ったら、『まだ』と言うので、『あれだけ、時間言うたやろ!』と文句言ったら、そのまま電話切られた」・・・と。
浜田氏曰く、「大阪やったら、出前の電話したら新規の客獲ろうと思って、自分で必死に場所探して持って来るでぇ」・・・と。
東京というところは、とにかく、人が多すぎるから、平気で客に行列させるし、時には「わざとさせてるでしょ」というようなこともありますが、でも、私もこれと同じことは福岡で経験したことがありますよ。
二度と、その店には行かない・・・と思いましたけどね。

つまり、それと一緒で、商売人は不況を嘆く前に、自分はちゃんと客の手を握り返しているか・・・を考えてみては如何でしょうか。
「金をもらう方と払う方は対等ではない」ということは、以前から申し上げていることですよね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-19 08:54 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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