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「坂の上の雲」での定見無き者は長じて読めの是非 前編
親愛なるアッティクスへ

「板の上の雲」・・・じゃなかったNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」・・・ですが、見ている途中、家人がガキに「宿題もまだ終わってないのに!」・・・と言ってきた時の私の返事。
「構わん!世の中には宿題より大事なことがある!」・・・と(笑)。

秋山真之が真冬のの中、足袋を履いて外に出たら、兄、秋山好古が、「脱げ!」と一喝・・・。
私にも似たような経験がありますが一定時間だけ・・・なら良いんですが、冬の間ずっと・・・というのは結構、辛いんですよね。
さらに、真之が出かけようとしたら下駄の鼻緒が切れており、修理しようとしていたら、「何をぐずぐずしておる!朝はテキパキせい!裸足で行け!」とまたもや叱責の声・・・。
さすがに、私はこれは経験ありませんが、私の父が子供の頃の昭和初期の祖父の教育はまったくあのまんまだったようですよ。
父は生前、よく、「学校まで雪の中を裸足で行かされたときだけは、さすがに堪らんやった。ひーひー言いながら行った」と言ってましたから。

この点、現代の我が家は実に嘆かわしい限りでして・・・。
朝、うちのガキが友達を迎えに行かなくてはならないのに、こっちの準備が出来て無くて、向こうが誘いに来てくれて、さらにそれを待たせる・・・ということがあったもので、私が、「貴様!友達を待たせるとは何事だ!時間がないなら飯なんぞ食うな!さっさと行け!」と怒鳴ると、家人が「先に行ってもらって、ご飯をちゃんと食べてから行きなさい」・・・と。
「バカタレが!飯より約束の方が大事タイ!」と言うと、「納得できない。もう、アナタは子供たちが出かける時間には起きてこないで。かえって遅くなる」と・・・。
以来、私は朝はガキが在宅している時間は絶対に布団から出ないようにしております。
ということで、昨日、このドラマを見ているときは、甘やかし放題の我が家の現状が嘆かわしい限りでした。
ちなみに、劇中、渡辺 謙さんのナレーションは、「兄の指導は猛烈であった」などと言ってましたが、この辺は、司馬遼太郎先生も、当時の流行語であった「oh!モーレツ」を意識したのかな・・・という気もしないでもありませんでしたけどね(笑)。

で、私がこのドラマの中で、もっとも考えさせられたシーンが、兄、好古が、当時の最先端マスメディア「新聞」を弟の手からひったくり、びりびりに破いて一喝した際のセリフでした。
「新聞はおまえにはまだ早い!己の意見も持たない者が他人の意見を読むと害になるばかりだ!こんな物は長じてから読め!」・・・と。
確かに、今のネットなどに氾濫している短絡的な意見などを見ていると首肯せざるを得ないようなものを感じますが、その一方で、定見を養うためにはこのような物を見るしか無いわけで・・・。
その意味では、この点は、大きな矛盾をはらんでいるところなのでしょう。
もっとも、私自身、司馬文学にはまっていた学生時代は彼らと大差ないものでしたけどね。

ココから先は明日に続きます・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-11-30 18:24 | 歴史 | Trackback(2) | Comments(6)

万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 後編
親愛なるアッティクスへ

少し間が開いてしまいましたが、今更ながらの後編・・・、このシリーズのシメです。

盧武鉉前韓国大統領も、オバマ現アメリカ大統領も、もう少し、日本の小泉純一郎元総理のように、支持率低下について聞かれたなら、「支持率に一喜一憂せず」なんて、平然と言い放つくらいあって良いと思うんですよね。
所詮、支持率なんて、上がったり下がったりするもんなんですから。
(でも、小泉内閣は国民の支持率に支えられていた政権でしたから、本当は小泉さんにはもの凄い、精神的重圧があったんでしょうね。彼が、あれだけ、国民の人気が高く、再登板の呼び声があったにもかかわらず、それを振り切るように引退を決めてしまったのも、本音の所では本気で「もう、二度とやらない」、「とてもやってられない」・・・みたいなところがあったのかもしれませんね。)
ましてや、かつて、日本の岸 信介総理は国会議事堂デモ隊に取り巻かれようとも、頑として、考えを変えることはなかったわけで、そういう意味では、政治家というものは、ある程度、横着で良いと思うんですよ。

であれば、オバマくんも、子供に、「どうして、あなたは皆に好かれていたのに、今ではこんなに皆から嫌われているの?」などと聞かれたら、顔を引きつらせたりしないで、傲然と胸を張り、「君も覚えておくが良い。人は本当に自分が正しいと信じたことを行えば、悪く言われるものなのだ」・・・くらいのことを言うべきだと。

ちなみに、万里の長城は私も行きましたけど、私は特に何も感じませんでしたね(笑)。
むしろ思ったのが、この石の積み方は日本人だったらあり得ないな・・・と。
図に書くとわかりやすいのですが、日本人的には、坂をまず一旦、平坦に削り取り、その上に平行に積んでいくのでしょうが、万里の長城では地盤を削り取ることをせず、そのまま、坂の角度に合わせて斜めにレンガを積み、間をモルタル(?)で調整している・・・という。
まあ、地震がないということが前提の国らしい発想だな・・・と。
もっとも、日本だって、レンガブロックなどというものが入ってきたのは明治以降のことで、レンガというものが普及しなかった日本ゆえに良いように言えることだ・・・というご指摘があるかもしれませんが、そもそも、日本人が採用(普及)しなかった中国伝来の物として、「宦官」、「家畜」・・・と、もう一つは何でしたっけ?、忘れましたが、それらプラス、私は、「レンガ」というのもあるのではないか・・・と思います。

e0027240_1149484.jpgこの万里の長城でも、始皇帝の建築・・・と言われてますが、実際に先日、オバマくんが行ったやつはの時代の物で、大半が確か北虜南倭の時代に補強された物のはずですから、おそらく、16世紀後半の物ですよね。
であれば、日本は戦国時代であり、平城に移行する前の山城石垣を見ても、随分、趣が違うように思います。
(←13世紀元寇防塁・・・ではないかと言われている物です。もっとも、こちらは、波打ち際ですからこういう積み方になるのでしょうが・・・。)
もっとも、中国のレンガで出来た防塁日露戦争の頃まではしっかりと砲弾を跳ね返したそうですから、機能が十分であれば問題ないわけで。

                                         平太独白

by heitaroh | 2009-11-28 07:05 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

ドラマ「白洲次郎」に見る永野重雄との論争の是非 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

で、その、白洲次郎永野重雄の両雄が飲み屋で乱闘するシーンについてですが、乱闘が済んだ後、二人は互いの主張の違いについて軽く論争してましたが、これを聞く限りでは、私は白洲氏の言うことの方に理があると思いました。
まず、永野翁は、「白洲、おまえは何だ!俺は鉄屋だ。広畑製鉄所のことなら、すべての施設の図面が頭に入っている」と言ってましたよね。
「永野さんは、元々、技術屋上がりか・・・」と思っていたら、あの人、よく考えたら東大法学部卒ですよね?
まあ、元々が優秀な人でしょうし、業績不振に喘ぐ富士製鉄の立て直しを渋沢栄一から言われて、苦闘しながらも、見事に立て直した人ですから、その過程で技術的なことにも精通していったのかもしれませんが、ただ、「施設のすべてに精通している」というのは少し言いすぎではないか・・・と(笑)。

それに、それほどに鉄屋を公言するのであれば、なおのこと、彼の言い分には無理があるように思います。
なぜなら、永野翁は売却されると自分の懐が痛む利害当事者だからです。
まあ、永野翁の自分の仕事への誇りというのはわからないでもないんですが、これはやはり、利害がない人が言うべきで、これでは、役所が自分の省庁の権益を減らされることに抵抗するのと一緒で、少々、「我田引水」の誹りを受けるのはやむを得ないと思います。

また、「これからの日本を支えるのは鉄だ!」という永野翁に対し、「貿易だ」とやり返す白洲氏のやりとりがありましたが、これも白洲氏に理があると思いましたよ。
まあ、確かに、「鉄は国家なり」で、その後の日本経済の伸張に製鉄が大いに貢献したことは認めざるを得ないところではありますが、あの、終戦から5年しか経っていない昭和25年の段階では、その前に復興の端緒・・・、平たく言えば、元手となる外貨をどうにかしなくてはならないわけで、つまり、いくら良い鉄を作れる技術があったとしても、また、燃料は国内の石炭を人海戦術で使ったとしても、原料となる鉄鉱石はどこからか買ってこなければならないわけで・・・。
かつて、会田雄次という老批評家は、この広畑売却について、白洲氏を、「戦後のどさくさに紛れて外資に広畑を売り渡そうとした売国奴」などと言っておられましたが、永野翁の批判というフィルターを通してみる限りでは、私はその後の通産省(現経産省)の設立にみられるような貿易立国という発想にまでは踏み込まないとしても、少なくとも、あの時点での白洲氏の考えは必ずしも間違っていなかったと思います。

それにしても、1話の冒頭で、大正時代の神戸のキリスト教教会の光景が描かれてましたが、その中で、お祈りするときに、「イエスはん、何でも出来る偉い人~♪ イエスはん、あてのこと、好いてはる~♪」なんて歌ってたんですね。
思わず、何て、虫が良い歌なんだろう・・・と(笑)。
もう一つ、印象に残ったのが、奥田瑛二さん扮する次郎の父、白洲文平の最期です。
没落後、大分県竹田市の農家で余生を過ごされていたようですが、ああいう風に、「のたれ死に」するのも男としては悪くないな・・・と思いましたよ。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-11-27 18:32 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

ドラマ「白洲次郎」に見る永野重雄との論争の是非 前編
親愛なるアッティクスへ

またまた、今更ではありますが、過日、NHKでNHKドラマスペシャル「白洲次郎」というドラマをやってましたよね。
なぜか、1話2話から半年も経っての第3話放送でしたが、以前から触れようとは思っていたものの、最近、なかなか、そういう心境にならず・・・で、今更です(笑)。

白洲次郎という人については、以前、1話2話を見た段階で、「坂本龍馬同様、絵に描いたような・・・、ケチの付けようがない素晴らしい人として描いてあることは大いに問題であり、もっと、批判されるような生身の部分についても描くべきだ」と申し上げましたよね。
つまり、「余りにも良く言われすぎている」・・・と。

以前、私はある愛国者の友人から、「日本は素晴らしい」ということを懇々と説かれたことがあるのですが、その折、彼の力説に対する私の返答がこれです。
「素晴らしいところは良くわかったから、同じくらい日本の素晴らしくないところを呈示してくれ。その上で、素晴らしいかどうかは判断する」・・・と。
これが私の基本的な考え方です。
素晴らしいところだけを並べ立てられて、「どうだ、素晴らしいだろう」と言われても、なかなか、すんなりとは頷けないもので・・・。
その意味では、このドラマは徴兵逃れしたことなど、かなり、不足気味ではありましたが、多少、デメリット部分についても触れてありましたよね。
(もっとも、私は、徴兵逃れなどというものが本当に可能だったのか少し疑問ではあります。だって、皇族でも範を垂れるべく結構、危地に出征したと言いますし、あの、近衛文麿家でも、長男・文隆は出征後、シベリアに抑留され、そのまま、現地にて死んでいるわけで、それらを考えれば、全くなかったとは言いきれないまでも、かなり、例外はなかったのではないでしょうか。)

で、そのドラマで、デメリット部分と言って良いのかわかりませんが、昭和25年(1950年)に広畑製鉄所が日本側に返還されることになったとき、白洲氏が外貨獲得のため、これをイギリスへ売却することを主張し、激しく反対する永野重雄と飲み屋で掴み合いの大ゲンカをするシーンがありましたよね。
永野重雄と言えば、財界四天王の一人・・・と言われ、私が若い頃は、日本商工会議所会頭として、おっとりした田舎の爺さん・・・みたいな感じの方でしたが、元々は、東大柔道部出身ですから、腕っ節にも自信がある、かなりの「お山の大将」タイプだったようですね。
後年、昭和45年(1970年)に八幡製鐵富士製鐵が合併して、新日本製鐵が誕生した際、代表権を持つ会長に就任した永野翁は、それまで官僚出身者の排除に共同戦線を張った「やり手副社長」で政財界の人気者・藤井丙午氏の排除を画策。
これに抵抗する藤井氏と激しく対立し、ついには政財界をも巻き込んだ社内抗争を展開し、結局、喧嘩両成敗で共に退陣することで決着した・・・と。
(もっとも、このとき永野翁は外部に対してはひたすら沈黙し、一方の藤井氏もかなり激しい戦闘姿勢を見せたものの、決して、徒党を組もうとはしなかった・・・と。これぞ、大物の喧嘩・・・ですね。)

前作も終わりきっていないにも関わらず、例によって、次回に続きます(笑)。

                                         平太独白

by heitaroh | 2009-11-26 18:49 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

「君はフランス人になれるか?」にみる自己犠牲のあり方
親愛なるアッティクスへ

今日は久々、見事な二日酔いです。
従って、見事に脳がフリーズしており、急きょ、柔らかい話題に切り替えます(笑)。

過日、元巨人の名二塁手で、お亡くなりになった土井正三氏の現役時代を「送りバントの名手だった」と書いたのですが、この件で、先日、プロ野球OBで構成するマスターズリーグで土井氏が打席に立ったとき、「送りバント」のサインが出て、これに氏が怒った・・・という話を耳にしました。
曰く、「誰だってバントなんかやりたくないんだ。でも、チームが勝つために必要だから今までやってきただけのことだ」と。  

e0027240_11531858.jpgまあ、サインを出した側からすれば、「土井のバントをファンは期待しているだろう」ということだったのでしょうが、土井氏自身はあれほど「送りバントの名手」と呼ばれながらも、決して、好きでやっていたわけではなく、チームの勝利のために自分の恣意を殺して・・・ということだったのでしょう。

この点で、以前からたびたび紹介しております元西鉄ライオンズ豊田泰光氏がその著書の中で、「君はフランス人になれるか?」ということを書いておられました。

一部抜粋しますと、
『元阪神監督の吉田義男さんがフランス野球を教えていた時のこと。送りバントを命ずると、打者が「なぜ私が犠牲にならねばならないのか。私には打ってヒーローになる資格はないのか」と訴えてきたそうだ。
 もちろんフランスにはサッカーラグビーといった団体競技の伝統があり、犠牲の意味も説明すれば通じるそうだが、そこには確かに「団体競技としての野球と個人」という深い問題が横たわっている。「個人」が勝ちすぎると勝利は遠ざかる。一方では、個性の発露の場がないスポーツなんて何の意味がある? となる。』・・・と。
私としては、今の、やたらバントを多用する戦術は感心しませんが、ただ、今では、その分、犠打自体、結構、認められていることを思えば、それほど「自己犠牲」ばかりでもないような気もしますけどね。

ちなみに、豊田翁は、『 カウント0-3から打って出るかどうか。フランス人ならためらいなく打って出るだろうが、日本人はそうはいかない。1球、2球待って様子をみろ、というのが球史を通して浸透してきた定石だ。お客にみせるプロ野球で四球を待つという戦法は何とも後ろ向きの発想だが、これをひっくり返すのは難儀。
 昔、三原脩監督に聞いたことがあった。「0-3から打ってはいけませんか」。すると、「いいよ」と言う。話がわかる監督じゃないか……。しかし監督は付け加えた。「だが、打つならヒットだ。凡退したらまわりがうるさい」。いかにも外国語に訳しづらそうな「まわり」の目が日本にはある。フランスの打者ほど自己主張しかねる私は、0-3は「待ち」と決めたのだった。』・・・とも述べておられましたが、まあ、この辺は三原さんならではの言い回しなんでしょうが、確かに考えさせられることではあります。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-25 18:07 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 中編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_12211847.jpgその、オバマ大統領くん(?)ですが、元々、閣僚経験があるわけでなし、経験不足・準備不足で大統領になったという面は否めなかったものの、多くの人がそうであると思いますが、私も彼は平太郎独白録: オバマ氏の大統領就任はアメリカ復活の最後の希望と危機でも申し上げたように、ブッシュのデタラメな政策を軌道修正するという意味で、もう少し、「やる」と思ってましたよ。
それが、大統領になって以来、この1年、何をやっていたのか・・・と言いたいくらいに影が薄く、目立った実績がないことから、批判離反に晒されているようで・・・。
(←彼の登場には全世界が旭日昇天を見る想いで期待していたんですけどね・・・。)

この点で、思い起こすのが、韓国の盧武鉉前大統領・・・です。
それまでの、何かしら旧時代のしがらみを引きずっていた政権とは違い、しがらみとは無縁の新しい時代のリーダーとして韓国国民の期待を一身に背負って登場しながらも、生真面目ゆえか、国民世論というものの行方を気にしすぎ、右にも左にも振り子が振れなくなって、支持率が低迷・・・。
結果、「俺が一体、何をした!」というほどに不人気だけが先行して、挙げ句が退任後の悲惨な最期に繋がった・・・という。

それはオバマくんにとっても決して他人事ではなく、今のままの右からも左からも支持されないという状態が続くことは、彼自身の生命にも影響してくると思います。
支持を失った大統領など排除する意味はない・・・とお考えに成られるかもしれませんが、反面、殺す側からすれば、支持を失ったところで殺した方が容易だということもまた事実なんですよ。
それなりに支持されていた大統領を殺すから、未だに「J・F・K」なんて映画ができるわけで・・・。

以前、テレビのインタビューで元アメリカ議会予算局局長 ダグラス・ホルツエーキンという人が、「大事なのは、約束したことがうまく行かなかったら規模を縮小すればよい」と言っていたのを聞いて感心したことがあります。
この方、見た目はあまり、風采が上がる人ではなかったのですが、さすがに、これまで、アメリカ国家予算の実務を司っていた方のそれだけあって、思わず、「凄いことを言うなぁ」と感じ入りましたね。
「外国人投資家たちがアメリカ予算に恐れを成すことがないように」と続けた後、再び、「一旦、規模を縮小し、再びそこから進めば良い」・・・と繰り返して言っておられましたが、つまりは、公約に囚われるな・・・ということでしょうか。
「公約違反だ!」と言われたら、「いや、やっているよ。ただ、予定していたより今は規模が小さいだけで」・・・と言えと。
同じ事は、日本の民主党にも言えるんじゃないでしょうか・・・。

と、ここらでちょうど時間となりました~ということで、また、次回に続く・・・ということでよろしくご理解ください。

                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-20 08:46 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 前編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14313531.jpgここ数日、めっきり寒くなってきましたね。
(←シベリアです(笑)。)

で、私、昨年、周囲から「ユニクロヒートテック暖かい」と聞かされていましたので、それならば今年は買ってみようかな・・・と思っていたところ、家人から、「アナタ以外の分はすでに全員買ったよ」と平然とした顔で告げられました・・・。
で、先日、たまたま、通りかかったら改装成った博多デイトス(博多駅の中にある名店街みたいなものです。)にユニクロが入っているのを見つけ、「どうせ、俺は生まれたときから独りだぁーー」という思いを噛み殺しながら、シャツと靴下を自分の分だけ買いました。

で、ユニクロがCMでやってるじゃないですか。
「東京3℃」「ニューヨーク0℃」なんつって、モデルさんが薄着で歩いてるやつ・・・。
さぞかし暖かいんだろうな・・・と思って、いつもより薄着で外出したところ・・・、寒い寒い!
見事に風邪をひいたようで、本日、鼻水をすすりながら活動しております。

などという、くだらない話はさておき、今朝の新聞を見たら、昨日、アメリカオバマ大統領中国を訪問し、万里の長城に行って、寒い中、一人で城楼まで歩き、しばし、冬景色の山々に見入った・・・ということが書いてありました。
曰く、「神秘的だ。悠久の中国の歴史を思い起こさせてくれる」と・・・。

思えば、ナポレオンエジプト遠征の折、戦闘前に兵士に向かい演説し、「兵士諸君!四千年の悠久の歳月がピラミッドの頂上から諸君の戦いぶりを見つめているぞ!」と言ったといいますよね。
同様のことを、私が師と仰ぐ、元帝国陸軍参謀で兵法評論家の大橋武夫氏は「大東亜戦争において、万里の長城付近で戦った我々もそんな心境だった」とその著書の中で語っておられました。
壮大な歴史遺産というものが、人に何かを感じさせるとしたならば、昨今、子供にまで、「どうして、あなたは皆から嫌われるようになったの?」となどと言われるほどに、あまり芳しい評判が聞かれなくなった私と同級のアメリカ大統領は一人きりで、しばし、万里の長城の寒風の中に佇み、一体、何を考えたのか・・・。
意外に、「何だ、ヒートテックは寒いじゃないか」・・・とか(笑)。
「もっと、厚いやつにチェンジ」・・・とか言ったりして(笑)。

まあ、冗談はさておき、私が見る限り、彼は今、惑いの中にいるように思います。
同年の誼で、オバマくんのために言わせていただくと、「まず、軸となる自分の考えを持ったならば、後はもう、あまり、人の言うことを聞くな」・・・とアドバイスしたいですね。
この政策を実行することによって、この方面の人々の支持を失う・・・ということは、反面、実行することにより支持してくれる人もいる・・・というでもあるんですよね。
それが、今はどちらにも思い切って重心を傾けない状態が続いているから、結局、どちら側の人も不満を持ってしまう・・・という一番、最悪の結果になっているように思います。

明日に続く・・・と思います。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-19 08:13 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

「農業をおろそかにする国は滅びる」にみる日欧の視線差
親愛なるアッティクスへ

少し前の話になるのですが、今年8月頃の新聞のコラムに実に興味深い一文が載っておりました。
それは、『欧州には「農業をおろそかにする国は滅びる」という考え方が根付いている』・・・というものです。
詳しい内容は忘れましたが、各国と日本との人口に対する農業生産高格差を呈示した後、「経済大国になるために、工業化を推進し、農業を切り捨ててきた日本」について触れ、続けて、「現在の世界的な経済危機食料危機を契機に、日本は農業を根本的に立て直すことに踏み切るべきだ・・・」というような内容でした。

この点で、私には常々、思うことがあるんです。
以前、テレビで、フランスで何代にも渡って昔ながらのやり方で「塩」を作っている親子・・・というのが映し出されてましたが、なんか、見ていて格好いいんですよね。
でも、フランスの製塩農家も、よく見ると、格好はジーパン(=向こうの作業着)泥だらけだし、やってることは日本の農家と大して変わりないような気がするんですよ。
まあこれは、製塩と農業と、少し、論点が違うのかもしれませんが、偏に、第一次産業・・・、特に、農業というものへの人々の視線の温度差・・・なのではないかと。
すなわち、欧州の農業には、「尊敬されている」・・・とまでは言わないまでも、もう少し、暖かい視線があるように感じられるんですよ。
その証拠に、一見、工業国に思えるドイツでも食糧自給率はしっかり84%ある・・・と。

それを端的に表すものが、先日、別のテレビ番組で見かけた、スペインフランスの間にまたがるピレネー山脈に政府が生態系を取り戻すために、絶滅したを放した・・・というものでした。
日本では、なかなか考えられない話で、言うならば、全滅したを、まるでトキのように中国から取り寄せて、再び、山に放すようなものですよね。
いくら、鳩山総理が「環境」を唱えても、そんなことしたら、林業農業の従事者から猛烈な抗議活動が起き、それに便乗したマスコミや野党は騒ぎ、次の選挙に影響を来すことになるわけで、到底、あり得ないでしょう。

しかし、ピレネーの羊飼いは、そのことを聞かれると、現実に、飼っている羊が熊に襲われる被害が出ているのに、「いやあ、羊がもう8匹も襲われて大迷惑さ」などと笑って答え、「しょうがねーよなー」って感じで、そこには、いささかの悲壮感も、政府を責める怒りの表情も見て取れませんでした。
つまり、彼らは政府が熊を放したことを受け入れているようにしか見えなかったわけで、それは、あるいは、戦前の日本の農民と同じように、「御上には逆らえねえ」という諦め感から来ているのかもしれませんが、やはり、そこには農民の側の「理解」というものがあるように思えるんです。
そう考えたとき、これはやはり、政府・国民の側からも、常日頃、農業という物への「理解」があるということであり、すなわち、両者に信頼関係があるように思える・・・と。
すなわち、農業に対する視線の温度差、それ自体が日本とは少し違うのではないかと・・・。

〈参考〉:平太郎独白録: 食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その1
     :平太郎独白録: 食糧自給率低下にみる農業立国というものの是非 その2
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-18 18:30 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

今更ながらの追悼!V9巨人の名二塁手・土井正三氏
親愛なるアッティクスへ

先頃、V9巨人の名二塁手・土井正三氏がお亡くなりになりましたよね。
今頃・・・って感もあるのですが、土井さんと言えば、王 貞治さんや長嶋茂雄さんと共に内野の一角を占めていた方で、私は特にバントの上手さと、二塁守備でのインサイドワークの巧みさが印象に残っており、私自身も子供の頃、随分と参考にしたものです。
ただ、その土井さんも、今では現役時代の輝かしい球歴よりも、オリックスの監督として、あの、イチローを潰そうとした監督・・・というイメージが強いのではないでしょうか。

土井さんも、実際は、イチローを大事に育てようとした・・・ということも言われているようですが、一方で、あの、野村克也氏もキャンプで入団間もないイチローを見て、「良い選手が入ったねぇ」と言っていたら、一向に出て来ないので疑問に思い尋ねたところ、「土井が嫌って、使いませんねん」と言われた・・・という話もあるようで、真偽のほどはわかりませんが、ただ、そうでなかったとしても、それだけで、土井=無能と決めつけるのは少し酷すぎるような気がするんです。
この点は、以前も触れたように、努力の積み重ねによって今日を築いてきた指導者というものには、往々にして、一握りの天才は理解できないということがあるからです。
イチロー選手同様、入団間もない頃の落合博満選手なども、当時の監督で、現役時代、打撃の職人といわれ、幾人もの好打者を育てた名指導者・山内和弘氏から、あの、特異な打ち方を直すように言われ、「仰ることはわかりましたが、もう、結構です」と答えたところ、すぐに二軍に落とされ、そのまま、使ってもらえなかった・・・という話があります。

その土井さんですが、V9巨人の名選手・・・だけに、それを鼻にかけた指導をしていたような報道もされてましたが、この点では、私にはひとつ、思い起こす話があります。
土井さんが巨人に入団したとき、打撃練習で打球が外野へ飛ばなかったそうで、野球エリート集団の中にあっては奇異な観免れ得ず、そのうち、当時、王、長嶋の後の5番を打っていた国松 彰選手が無遠慮にゲージの中の土井氏に話しかけてきたそうです。
「土井君、一体、誰があんたを入団させたの?球団も契約金払ったんだろうに・・・」と。
土井氏が複雑な顔をしていると、そこへ、当時、巨人の名参謀といわれた牧野 茂ヘッドコーチが通りかかったそうで、国松選手は今度は牧野氏に向かい、「ねえねえ牧野さん。あなたですか?この土井君を引っ張ったのは?」と語りかけたのだとか。
すると、牧野コーチは途端に、「冗談じゃない!俺がこんなの入れるわけがないだろう。監督じゃないの?」と吐き捨てたとか。
入団間もない、内心、心細いはずで、時期ですから、私にも、似たような経験がありますが、もう、黙って下を向くしかないんですよね。
土井氏の心中や察して余りあるでしょうか。

結果的に、数日後行われた紅白戦で、レギュラーの選手が怪我をしたことで、やむなく試合に出場した土井選手は、詰まった当たりながらも5打数3安打4打点を叩き出したことで、これにより、当時の川上哲治監督の目にとまり、その後の飛躍に繋がった・・・わけですが、私には、少なくとも、こういう経歴を持った人がエリートを鼻にかけるようには思えないんですけどね・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-17 08:56 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

血も涙もない狸オヤジ徳川家康の真実
親愛なるアッティクスへ

豊臣秀吉の死後、徳川家康はその狡猾な本性を顕わにし、そのまま秀吉の遺児・秀頼の生命もろとも豊臣家を紅蓮の炎の中に包み込んでしまうべく突き進んだ・・・と言われていますよね。
確かに、秀吉の死後、家康に豊臣家の天下を簒奪しようという意図はあったでしょうが、そのまま一直線に豊臣家滅亡にまで突っ走ったというのは少し早計に過ぎると思うんです。
人間世界の現実とは、少なからず、過失錯誤勘違いが絡まってくるもので、そうそう、後の世の人たちが見るほどに真一文字に進んでいくこともないわけで・・・。

まず、私が指摘したいのが、秀吉の死の2年後に起こった天下分け目の関ヶ原合戦から豊臣家滅亡の大坂夏の陣まで15年もかかっている・・・という事実です。
これを「15年もかけた」と見るべきか、「15年もかかった」と見るかは判断の分かれるところでしょうが、注目すべきは関ヶ原合戦のとき、家康は満の57歳だったということ。
当時は、「人間五十年」と言われた時代で、実際には明治中期の日本人男性の平均寿命が42.8歳だったことを考えれば、おそらく、実際はもっと短かったと思われ・・・。
つまり、家康がまだ30代だったなら、慎重に慎重に、15年の歳月をかけ、真綿で首を絞めるように滅ぼす・・・という選択も出来たでしょうが、当時としては高齢の57歳であれば、結果を急いだのではないか・・・と。
事実、家康は、この間にたびたび倒れて意識不明になっているといいますし、「自らの暗殺計画を口実に政権簒奪工作を推し進めた」と言われていることに対しても、政敵・石田三成からすれば、一番、早くて確実な政権維持策は家康暗殺であることを考えれば、それは、「口実」などではなく、暗殺計画は実際に存在したと考える方が妥当でしょう。
つまり、病死、事故死、暗殺と、家康がこの後15年以上生きる・・・という確信があったようには思えないということです。

まあ、その辺は家康は人一倍、健康管理には気を遣っていたと言いますし、老いの執念というものの凄まじさだったのかもしれません。
ただ、それでも、私には15年もかけなければならない理由がわかりません。
なぜなら、それには好事例が有るからです。
それは他ならぬ、秀吉が、主君・織田信長の死後、家康を臣従させ、事実上の織田家からの政権簒奪に成功するまで、わずか4年しかかかっていないという事実です。
しかも、秀吉は少なくとも、自らの手では信長の子孫を誰一人殺していないし、子孫の誰からも叛乱も暗殺もなされず、さらに、信長の嫡孫・秀信は関ヶ原では西軍に付き、徳川方と戦ってさえいます。

これらを勘案すれば、家康には少なくとも当初から豊臣家を滅ぼす意図はなく、孫娘を秀頼に嫁がせるなど共存も模索したが、曲折あって、結果的に滅亡に至ってしまった・・・と。
(事実、家康は秀頼救出失敗の報に接し、涙してこれを悔いたともいう話もあります。)
家康は、豊臣家滅亡から1年もしない翌元和2年(1616年)に73歳で死去していますが、これを大願成就したがゆえの安堵感からと見るべきか、それとも、本意と違う形になってしまったがゆえの失意からの死と見るべきかも各人の判断の分かれるところでしょう。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-16 00:11 | 歴史 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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