<   2009年 06月 ( 16 )   > この月の画像一覧

NHK「JAPANデビュー」訴訟に許容の妙を識る その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

また、日本軍が台湾の蛮族武力討伐したことも、確かに、「侵略」という見方も出来るでしょうが、一方で、「治安」ということを考えれば、統治者としては当然のことだったように思えます。
統治者には、それが日本人であろうと、台湾人であろうと、先住民であろうと、保護下にある住民の生命財産を守る義務があり、それを実行するためには、いつ襲ってくるかわからない「敵」を集中力を持続しながら待ち続けるよりも、その本拠地まで攻め入って、完膚無きまでに叩くということも十分に考えられる選択肢の一つでしょう。

e0027240_1532302.jpgつまり、飛んでくるハエをイチイチ叩き落とすよりも、を始末した方が効果的であり、そのことに疑問を持つ人はいないように思えます。
このことは古代ローマ帝国蛮族の侵攻を防ぐために、たびたび、防衛戦の外側にまで進撃したことが好例でしょうか。

とは言っても、欧米では、むしろ、植民地住民上流階級の子弟学生留学を積極的に受け入れることで、植民地に自国の贔屓を増やすことを心かげたことを考えれば、やはり、日本の植民地政策の稚拙さは否定できないでしょう。
(未開の民は、年少のうちに文明国の空気に触れることで、自らの蛮習を恥じ、宗主国と同じような価値観を持ち、自国を蔑むことに繋がっていく・・・と。)
戦後のフルブライト留学制度などもそれでしょう。

e0027240_1501458.jpgで、私の考えとしては、大切なのは、先日から申し上げているように、長所短所を自分なりに勘案して評価を下す・・・ということです。
その意味では、同じNHKの「NHKドラマスペシャル・白州次郎」については、白州次郎という人が、あまりにも素晴らしい、一点のケチの付けようもない人として描かれてましたが、坂本龍馬然りで、私はああいうのは盲信する気にはなれませんね。
生身の人間なのですから、もっと、欠点もあるはずで・・・。
まあ、徴兵逃れをしたというマイナスの面も描いてありましたが、それにしたところで、「信念の一環としての行為」と、立派にデコレートしてありましたしね。

                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-29 18:26 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)

NHK「JAPANデビュー」訴訟に許容の妙を識る その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の日本の台湾統治の実態について特集したNHKの番組が「捏造」だと訴訟された・・・という話の続きです。

e0027240_10413320.jpg私は過日、「日本人は、東京裁判インド人パール判事が日本に同情的な判決を出したことなどから、インド親日国だと思いこんでいる人が多い」ということを聞き、少し驚いたことがあります。
(さらに、「某元総理が判事の子孫に会って謝意を伝えた」・・・に至っては、大変、呆れました。判事の主張は決して親日ゆえということではなく、あくまで、法律家としての判断であったと私は認識しております。)
で、ちょうど、この番組が放送された頃に、「台湾が親日国というのも、日本人が都合良く解釈しているだけではないのか?」と言ったところ、何人かの友人から、「あの番組は捏造であり、NHKにはもの凄い抗議があった」という話を聞かされました。

しかし、私が見た限り、この番組は、台湾総督府文書や、当時を知る住民のコメントなどを中心に構成されていたことから、そこに「捏造」らしき痕跡はまったく感じられず、恣意的に捏造された番組という主張には、少し、懐疑的だったので、その旨を言ったところ、友人は、「それもすべて捏造なんだ。住民らも、『悪意がある部分だけを繋ぎ合わされて使われた』と怒っていた」と言われました。
確かに、コメントなどはそういう操作も可能でしょうし、世界でも珍しい自虐的民族である日本人にウケるように製作したという意図があったというのも無い話しではないでしょう。
しかし、それにしても、公文書まで偽造するとも思えないんですよね。
まあ、それも少数の断片を繋ぎ合わせたのかもしれませんが、やはり、少なくとも、公文書にそういう一文が存在したことは否定できないように思えます。

ただ、くれぐれも誤解のないように申し上げますと、昨日から申し上げておりますように、私は「日本人の台湾統治に博愛の精神がなかったからけしからん」などときれい事を言うつもりは毛頭ありません。
統治初期、台湾の対日協力者の子供を日本人学校に入れなかったなどというのは、初期に置いては、必ずしも間違った判断ではなかったと思います。
たとえ、善意からであっても、文化習俗も違う世界で育ってきた子供を、いきなり日本人学校に入学させたところで、善意と裏腹に、決して、良い効果はうまなかったでしょう。
また、別の番組だったかもしれませんが、当時、台湾出身者が「自分は日本人なんだから」と言って、日本人に娘を嫁にくれるよう申し込んだところ、「蛮族などに娘をやれるか!」罵倒された・・・という話も聞きましたが、これも何も台湾人に限ったことではなく、身分・家柄というのは当時の日本人全体に共通する価値観であって、元西鉄ライオンズ監督の三原 脩翁などは若き日、夫人婚約した旨を実家に伝えたところ、「カフェ女給など大庄屋である三原家の嫁には相応しくない!」と猛反対を受けたものの、翁は承伏することなく、駆け落ちしてしまったことから、やむなく、夫人の戸籍をとってみたところ、戸籍に「山口県士族」と書いてあったことから、逆に、三原家を挙げて、「是非、士族の娘を嫁に!」という話になった・・・などという笑えない話があるくらいで・・・。
こういう点を考慮すれば、多少、割り引いて考えてやる必要があるようにも思えます。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-27 18:23 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

NHK「JAPANデビュー」訴訟に許容の妙を識る その1
親愛なるアッティクスへ

だまし絵というのがありますよね。
正面からだけ見ていると、何とも不思議な形に見えるけど、ひとたび、違う方向から見ると、そもそもがまったく違う形をした物であることに気づく・・・というやつ。
それと一緒で、物事も、色々な角度から色々に見て判断する必要があり、一面だけを見て評価するのは一面的な物の考え方に陥りやすく、物事の本質を捉え損なうおそれがある・・・と。

この点で、私は常々、物事を判断するに当たっては、まず、様々な角度から事象を見るように心がけているのですが、この点は、以前も平太郎独白録 : 龍馬の命日に見る、「まず、イデオロギー有りき」などの中で「事象が起きたら、まず見極めるより先に、安易イデオロギーに当てはめて評価する人が多く、特に、私のようなオヤジよりは、むしろ、頭の柔らかいはずの若い人に、そういう傾向が高いように感じる」・・・と申し上げましたことを覚えておられますでしょうか。
で、最近、この、違った角度から物事を見るという行為を行うには、日頃から訓練が必要なのではないか・・・ということを思い始めました。
そしてそのため大切なのは、まず、他のどんなにくだらないと思える異見でも、排除しない・・・ということだと思います。
つまり、明らかに自分の考えと相容れない、唾棄するような意見であっても、一喝することなく、一通り、俎上に載せて検討してみる・・・ということですね。
その上で、良いと言われる面を見、悪いと言われる面を聞いて、それを勘案して初めて、自分なりの評価を下す、あるいは、「やはり、この異見はくだらないな」と却下する・・・という、ある意味、まどろっこしい工程辛抱強く施工することを日頃から心がけておくべきだ・・・と。

e0027240_16114185.jpgその上で、昨日、NHKの4月5日放送NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」というドキュメンタリー番組に対し、八千人もの人が台湾支配報道「捏造」だとして提訴した・・・という報道が為されてましたが、ご覧になりましたでしょうか?

これは私も見たのですが、私は元々、きれいごとをいう人間でもありませんし、良いと言われる話だけに耳を傾け、悪いと言われる話には耳を塞ぐということは致しませんので、こういう話を盲信することはありませんが、ただ、そういう観点から見た限りでは、元々、良い面ばかりを聞かされてきた嫌いがある日本の台湾支配に対し、必ずしも、そういう良い面ばかりでもなかったんだということを描き出したという点で、一見に値する番組であると思っていました。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-26 17:12 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

「山笠でけよりますばい」の東国原知事出馬宣言への疑問
親愛なるアッティクスへ

e0027240_17105597.jpg今年も、早いもので、気が付けば山笠の季節になりつつあるようです。
山笠については、これまでも、度々、触れておりますので、改めて申し述べることは致しませんが、街には、山笠の格好をした人たちがちらほら見られるようになったのを見ると、「ああ、もう、そういう季節になったんだな」ということを実感します。
ちなみに、表題は博多弁で、「山笠、出来つつありますよ」という意味です(笑)。

ところで、「東国原英夫宮崎県知事が自民党出馬要請に対し、条件として、自分を自民党総裁候補とすることを求めた」というニュースをやってましたが、何とも、思わず、首を傾げるような・・・、少し、開いた口がふさがらないような話に思えます。

まず、疑問に思うのが、東国原知事は「次期総裁候補として当選した後は、総裁に選ぶように求めた」とう話も伝わってますが、それが真実かどうかはともかくとして、それって、誰に約束させればいいの・・・?という点です。

麻生太郎総裁からすれば、自分に代わって総裁になる・・・という話ですから、「私があなたを総裁にすることを確約します」なんて言うはずないわけで、仮に、古賀誠選挙対策委員長が「良いですよ」と言ったとしても、そんなもの、選挙が終わってしまえば、遵守される保証なんてないでしょ。
この点は、かつて、大橋巨泉さんが民主党から出馬依頼された際、「代表質問をさせろ」という条件で立候補し、当選したものの、「代表質問やらせてくれなかったから辞めた」と言っていたのを彷彿とさせます。
(このときも、思わず、「あほか」と呟きましたね(笑)。普通に考えれば、そんな美味しいところを、昨日通ったばかりのタレント議員なんかにやらせるわけないじゃないか・・・と。)

仮にの仮にで、古賀委員長が遵守しようとしたところで、いや、古賀委員長に限らず、党内の先輩議員たちにしてみれば、一年生議員が総裁になるのを歓迎するようにも思えず、であれば、党内に反対があった場合、それを押し切ってまで、彼を総裁に付け得ることが出来る立場にいる人って今の自民党に存在するんですか?
かつての田中角栄さんのような人でもいればともかく・・・。
選挙が終わるまでは、人寄せパンダでそれなりにチヤホヤしてくれるかもしれませんが、選挙が終われば、たとえ、当選したとしても、彼の声なんか大勢の声にかき消されますよ。

であれば、そんな、守れられるかどうかわからないような約束を求めること自体、無意味であり、世間知らずのタレントならともかく、知事ともあろう人の政治感覚とは思えないわけです。
まあ、彼は、よく勉強しているようですから、私などが知るよしもない、彼なりの成算があってのことだとは思いますがどうにも理解できない話です。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-25 18:01 | 政治 | Trackback | Comments(0)

山崎の戦いに想う秋山幸二監督の異端の経綸の是非。
親愛なるアッティクスへ

福岡ソフトバンクホークス連覇で幕を閉じた交流戦ですが、私は、このまま、ホークスがリーグ制覇まで突っ走れるかどうかは別としても、少なくとも、昨年のようなこと(最下位)にはならないと思います。
そもそも、去年のそれは「結果的に優勝になった」・・・というだけに過ぎなかったのでしょうが、今年はセ・リーグ各球団に完勝してのそれですからね。
その上で、評価を下すのはまだ、尚早かと思いますが、秋山幸二監督というのは良い監督なんだろうと思いますね。
下積みが長かった分だけ、熟成される時間があった・・・ということでしょうか。
自分なりの「経綸」を持った監督なのではないかと。

先日も、少し触れましたが、秋山監督の特徴としては、パンチ力はあるものの守備力に難がある田上秀則捕手やオーティズ選手などを使い続けているということにあると思います。
その結果、両選手の守備によって負けた試合もあるでしょうが、その反面、チーム最多本塁打の田上選手が9番にいて、チーム最高打率長谷川選手が7番にいるという構成がなされているのもまた事実なわけです。
(逆に言えば、上位打線が印象ほどには打ってないということなのでしょうが・・・。)
特に、捕手というのは本来、「守りの要」としての側面が強く、通常、このポジションだけはリードも含めた守備力が優先されるのに対し、秋山監督は敢えて、それを無視して、打撃優先のチーム編成をしている辺り、ちょうど、西鉄ライオンズ三原 脩監督が、打撃は素晴らしくとも、守備に難がある豊田泰光選手を使い続けた・・・というのを想起します。
(これは単に豊田選手の将来性に賭けたというだけに留まらず、三原監督には「流線型打線」という経綸があり、その為に、豊田選手が必要だった・・・と。)
しかし、これは現在の野球界では決して主流の考え方ではありません。
むしろ、「異端」の考え方であるとさえ言えるでしょう。
すなわち、現在のプロ野球界で主流となっているのは、広岡達郎氏以来の、「野球は投手力を中心とする守備力」という考え方だからです。
(猛打で優勝した昭和60年阪神も見過ごされがちですが、守備もしっかりしてました。)

しかし、この戦略には理論上は間違ってないとしても、計算式では顕れない重要な要素が考慮されていません。
それすなわち、「勢い」です。
毎日毎日、少しの失敗に目をつぶってガンガン行くのと、一切の失敗を許さず、わずかの隙も見せずに戦うのとでは「勢い」に差が出ると思うのです。
兵法評論家の大橋武夫氏によれば、羽柴秀吉明智光秀が戦った山崎の戦い軍学的に見れば、光秀満点、秀吉零点なのだそうですね。
でも、結果は秀吉が勝っことは周知の通りで、それが勢いの差だと。
主君の仇を討って次の天下人になるかもしれない秀吉の兵と、主君殺しで後ろめたい気持ちがある光秀の兵・・・。
机上の計算には顕れてこない勢いは、完璧な計算を凌駕した・・・と。
果たして、秋山監督がそこまで考えての事なのかは知るよしもありませんが・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-23 18:12 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

花山大吉にみる近衛十四郎という役者とその時代 その5
親愛なるアッティクスへ

前回の続きです。

本当はこのシリーズは打ち止めのはずだったのですが、昨日、ようやく、「素浪人花山大吉」の最終回を見終えまして・・・、ちと、感じるところがあり、起稿することにしました。
で、まず、この番組は全体を通じて脚本も良かったですよ。
冒頭ラストを見て、まったく繋がるようには思えないのがしっかりと辻褄があってましたからね。
で、それはこの最終回についても活かされており、特に、最終回ということもあって、見せ場の立ち回りのシーンが二度もあるし、特に最後の方の殺陣はかなり大がかりなもので、それはそれで最終回に相応しい豪華なものだったのでしょうが、それだけにいつもより短い時間でストーリーを作らなければならないわけで・・・。

でも、それ以上に私が感銘を受けたのはラストの、主役の近衛十四郎翁演ずる花山大吉と相棒の焼津の半次の別離のシーンでした。
突然、別れを切り出す大吉に、「待ってくれよ、ダンナ。さっき、一緒に旅してきたお咲と別れたばっかりだと言うのに、今また、ダンナと別れるなんて」と今にも泣きそうになる半次に対し、「これからのことを考えれば、俺は江戸に帰ることにした」と言う大吉・・・。
「これからのことと言われちゃあ、引き留めることは出来ねえな」と言いながらも、哀しい表情を見せる半次をよそにあっさりと立ち去ろうとする大吉・・・。
まあ、この辺は、大吉の本心ではなく、どろどろの別れにしたくないという大吉ダンナの美学だったのでしょうが、でも、半次だけはちと立場が違うんですよ。
つまり、お咲ちゃんにも大吉ダンナにも、帰るべき宛てがある・・・ということです。

帰る側は良いんですよ。
帰れば色々と懐かしい顔もあり、それなりに新鮮な世界が待っているわけでしょうが、帰られる側はそうはいかないんですよね。
ガランとした誰も居なくなった部屋がそれまでの賑やかさの分だけ胸に染みるわけで。
つまり、彼らと違い、帰るべき家を持たない半次の哀しみは深く、大吉にもそれがわかっていたからこそ、敢えて、あっさりとした態度を取った・・・と。
思わず、本田技研工業創業者本田宗一郎さんが、共同経営者だった藤沢武夫さんと同時引退するときに、「まあまあだったな」、「ああ、まあまあだった・・・」という言葉だけで別れた・・・というエピソードを思い起こしました。

で、「達者で暮らせよ」と言い残し、去りゆこうとする大吉の背へ、「ダンナ~」と涙声で呼びかける半次に、大吉は振り向き、「情けない顔するな、男は笑って別れるモンだ」と声を掛ける・・・。
すると、半次は「そうだなぁ、ダンナ。俺・・・、笑ってるだろ」と、これ以上ない見事な笑い泣きで応える・・・と。
いやあ、品川隆二という人のこの笑い泣きの演技はとにかく絶品でしたよ。
笑い泣きという点に限って言えば、私はこれまで、これ以上の演技は見たこと無いですね。
半ばは演技ではなかったのかもしれませんが・・・。
でも、欲を言えば、最後は大吉の姿が見えなくなり、突然、「ダンナ~」と叫ぶ半次のアップで終わるのではなく、むしろ、とぼとぼと反対方向へ歩き出し、遠ざかる半次の背中・・・で終わって欲しかったですね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-22 08:06 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

我々の世代にとっての真横のカリスマ2人
e0027240_16355826.jpg昨日はここ(←)でやってました。
中洲から川を渡った向こうにある所なのですが、中に入ってみると、結構、広い店で、こんな所にこんな店があったなんて・・・と思っていると、友人が「おまえ、以前も来たぞ」と・・・。
・・・まったく記憶がありませんが、まあ、それほど驚くことでもないでしょうね。
当然、ここを出てからの記憶もありませんから・・・(笑)。
で、今日は先日ほどではないにしろ、立派な二日酔いです。
まだ、具合が悪いです・・・。
最近、本当に二日酔いが酷くなってきたように思います。
やはり、寄る年波・・・でしょうか。
ちなみに、この体調での本日の肉体労働はさすがにきつかったですね。

ところで、先日、NHKの「SONGS」という番組で、矢沢永吉さんの特集があってましたね。
矢沢さんといえば、私と同世代の男は、皆、多かれ少なかれ学生くらいのときにはハマッた人でしょうが、その意味では、同時代にはもうひとり、ジャンルは違うものの、当時の若者のカリスマとしては当然のように名前が挙がる人がいました。
そう、言わずもがなの松田優作さんです。

で、私も最近知ったのですが、この二人は実は私よりちょうど一回り上の昭和24年(1949年)生まれで(もう、還暦なんですね・・・。)、生まれた日もわずか1週間しか違わないという、まったくの同級生なんですね。
(矢沢さんが1週間だけお兄さんです(笑)。)
しかも、片や広島県出身で、片や山口県出身・・・、つまり、共に中国地方の隣県の出身であり、さらに言えば、共に、あまり恵まれない幼少期を送ったことも共通していたでしょうか。

で、共に、当時はあれだけ、若者のカリスマだったわけですから、お互いの存在を識らなかったということはないでしょうが、この点で、お互いは、この、真横にいる同郷の同級生について、どういう意識を持っていたのか、どう思っていたのか・・・聞いてみたい気がします。
残念ながら松田さんの方はもう、お亡くなりになっているので聞くことは出来ないでしょうが、その意味では、もし、矢沢さんにお尋ねする機会が有れば、是非、聞いてみたいですね。
この、ともに若者に熱烈に支持されていた同級生をどう思っていたのかを・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-06-20 17:33 | その他 | Trackback | Comments(4)

麻生内閣支持率低迷にみるアメリカがローマたり得ない理
親愛なるアッティクスへ

今週の月曜、久々に湯布院に行ってきました。
と言っても、滞在一時間・・・。
秋田の友人が湯布院で会議があるというので送っていっただけ・・・で、おまけに前夜、飲み過ぎたようで激二日酔いで、写真を撮る余裕など微塵もありませんでした(笑)。
後で考えたら、せっかく行ったんだから、もう少しゆっくりしてくれば良かった・・・と。

で、とりとめもなく・・・。
麻生太郎内閣の支持率、ついに、17%だとか。
この数字はある意味、凄いですよ。
だって、安保改訂国会議事堂デモ隊が押し寄せていたときの岸 信介内閣の支持率が17%だったんだそうですから・・・。
まあ、すぐに解散をするつもりが、とりあえず後回しにして、まずは撒き餌を巻いてから・・・と思ったのがそもそもの間違いなんでしょうが、この辺のことに関しては、これまでにもたびたび申し上げてきましたように、赤字国債などという物は、言うならば、「自分が買い物しても、払い他人という魔法のクレジットカード」みたいな物で、つまりは「自分が赤字国債を発行して選挙対策のバラマキに使っても、国債の償還があるときには、もう、自分は政権にはいない」という、何とも無責任な話なわけです。

でも、これは、誰が悪いとかいう類の物ではなく、民主主義というものは本来、選挙を経ることで、どうしても国民の要望に耳を貸さざるを得ず、となれば、「国民は豊かでも国家が貧乏になっていく」傾向にあるわけで、反対に、専制政治というものは国民の痛みなど考えなくて良いですから、「国家の財政は比較的健全かもしれませんが、国民は窮乏にあえぐ」ことになるでしょうね。
このことは、現代のどこかの両極端な国を思い浮かべるのも良いでしょうが、でも、一概に、どちらが良いとは言えない側面はあると思います。
そのことは、「国家財政を立て直したものの、消費を押さえられた国民は貧窮に喘ぐことになった八代将軍徳川吉宗」と、「消費を奨励したことから国民は潤ったが、税収には結びつかなかったことで、国家財政を傾け失脚した尾張・徳川宗春」の違いを思い起こせばわかりやすいでしょうか。

ただ、その一方で、日本の財政が致命的に悪いのは必ずしも悪いことではない・・・とも思います。
なぜなら、もし、日本の財政が潤沢・・・、いや、健全で余裕が在れば、「宗主国」アメリカの現在の財政状態を考えれば持って行かれる可能性が高いからです。
「今、困ってんだヨ。持ってんだろ、出せよ!」・・・と(笑)。
しかし、日本の財政もアメリカ以上に火の車であれば、さすがのアメリカ様も無闇に「寄こせ!」ということも出来ないわけで・・・。
その意味では、アメリカという国がどうしても古代ローマ帝国に成り得ないのは、同盟国のことを考えようとしないことでしょうね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-17 19:47 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)

40年一昔の芋畑で見た腰掛けではない女子の本気・・・
親愛なるアッティクスへ

今朝は4時半に起きて、ここ(↓)行ってきました。
ここに来るのは40年ぶりです。

e0027240_16444472.jpg

今朝、ガキが入っているソフトボールチーム送迎雁ノ巣レクレーションセンターという所まで仰せつかりまして・・・、と言っても、うちのガキは試合にはまったく出ないんですけどね(笑)。
で、行ってみたら、広い広~い一般のグランドの中に・・・ありました、芋畑・・・。
(自軍が使ったグランドが第8グランドと言ってましたから、練習スペースも含めれば本当に見渡す限り・・・って感じの広さでした。)

で、そこが小学生の頃に行った芋掘り遠足の場所・・・ということは知ってたのですが、何せ40年ぶりですから、そもそもがどういう状態だったのかまったく覚えてませんし、それに、今では、福岡ソフトバンクホークス二軍練習場があったり、そういうグランドが存在しているわけで、一体、どういう形になっているのかまったくわかりませんでした。
(芋畑もそれなりの広さなんでしょうが、それでもこの広大なグランドの中にあるのは如何にも場違いでしたよ。)
当時は、芋掘りなんて初めての体験でしたから、とにかく、先生が1人辺り1mと線を引いた中を掘れと言われ、掘ったらが出て来るのには興奮しましたねぇ。

ちなみに、今朝は4時半に起きましたが、昨夜は1時半に寝ましたので、おかげで今頃、眠たい眠たい・・・。   
で、簡単に(笑)。

今日のソフトボール大会で、私は荷物番をしていたので自分の所の試合は見ずに、他のチームの試合を見ていたのですが、あるチームの投手は女子でした。
(後で聞いたら、うちのチームは記録的な大敗・・・で負けたそうです(笑)。)
球威では相手チームの男子の投手の方が勝っていたのでしょうが、とにかく、ボールを放った後の指の先まで気魄が出てるんですよね。
これは私も、某大会にて博多区代表として優勝投手になったときに経験があるのですが(あくまで、親睦(?)ですよ(笑)。)、うまく言えないのですが、気持ちが入っているとボールが手から離れてもまだ、指先が躍動しているんですよ。
で、その子の投球を見ていて思ったのが、男子は所詮、ソフトボールなどというのは本格的に野球を始めるまでの腰掛けに過ぎないのでしょうが、女子はプロ野球という究極の目標がありませんから、目標への足がかりなんですね。
その意味では、昨年の北京五輪での上野由岐子投手の力投とソフトボールへの注目というものは、彼女たちに鮮烈な目標を提示することになったのではないかと・・・。
                                      平太独白
by heitaroh | 2009-06-13 18:15 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

蒲冠者範頼
親愛なるアッティクスへ

源 範頼という人をご存じでしょうか。
「源」と名が付くことでもおわかりのとおり、源氏の一門で、源 義朝の六男、つまり、源 頼朝異母弟にして源 義経異母兄に当たり、通称、蒲冠者範頼と呼ばれる人物です。
ただ、二人の才人の兄と弟の間に挟まれ、どうしても影が薄く、また、源平絵巻を構成する上では、義経の功績を光り輝かせる上で損な役回りを背負わされたようですが、実際にはそれほど無能な人物でもなかったようです。
源平合戦に置ける源氏軍の構成は、二人が共闘した宇治川、一ノ谷の両合戦に置いては本軍司令官・範頼、別働隊司令官・義経という割り当てになっており、それは、「凡将範頼が苦戦しているところを、天才・義経が寡兵を率いて姿を現し撃破」・・・という構図になりがちですが、義経の働きも結局は正面で敵を引き付けた本軍の激闘あってのことであり、範頼にしてみれば、「殆ど、戦ったのはこちらなのに、美味しいところだけ持って行かれた」・・・的な感もあったでしょう。

また、一ノ谷合戦後、義経が干された際には、範頼が単独で平氏追撃戦を行ったものの、その進撃は停滞してしまったのに対し、再び登用された義経は、あっさり、平家の前線基地・屋島を攻略し、そのまま、壇ノ浦まで義経の快進撃が続いたことも範頼無能説を裏付けることになったようですが、義経の屋島攻略もまた平氏の主力を牽制した範頼の本軍あってのものだったと言え、さらに言えば、範頼軍のもたつき自体、補給に目処が立たぬのに、頼朝が無理矢理、進撃を命じたことにあったわけで・・・。
補給は本来、後方業務を担っている頼朝の責任だったのでしょうが、頼朝としても大消費地である京都3万もの兵士の食糧調達することは容易ではなく、このまま、京都に置いておくことは木曽義仲の二の舞になる可能性が危惧されたということだったのでしょう。
つまり、何でも良いからとにかく、出発しろ・・・と。

その後、範頼は兵糧不足などの厭戦気分から勝手に帰国しようとする御家人たちを説き伏せ、豊後国(大分県)豪族の協力などを得てようやく、兵糧と兵船を調達すると、一路、九州に上陸し、そのまま北部九州制圧・・・。
これにより、平氏軍は最後の砦とする長門国彦島(下関市)に孤立することとなってしまったわけですから、平氏の滅亡はこのとき、決まったと言ってもよかったでしょう。
そこへ、屋島を制圧した四国担当の義経が合流してきたわけですから、範頼からすれば、苦労しながら王手を掛けたところへの合流だったわけで・・・。

結局、壇ノ浦合戦は範頼が憂慮していた通り、義経の一人勝ちのような形となってしまうも、それらのスタンドプレーは、やがて頼朝との対立を招き、結果、義経は都を追われ、奥州の地で自害
しかし、頼朝の後継資格者排除の動きは、義経の轍を踏むことの愚を憂慮していた範頼にも向けられ、建久四年(1193年)、範頼は色々と言いがかりと付けられた挙げ句、ついに、伊豆国修禅寺幽閉され失脚、後に誅殺されたと伝わっています。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-06-11 20:01 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 19:21
わたしは小学生の頃、少し..
by sakanoueno-kumo at 10:11
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:46
ようやく読み終わりました..
by sakanoueno-kumo at 19:09
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:31
12周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 03:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:12
光を当てられていない人に..
by sakanoueno-kumo at 15:14
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:09
あけましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 15:22
>Mさん  そうだ..
by heitaroh at 20:52
壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
検索
タグ
(64)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(30)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
時~は2015年♪。
from <徳島早苗の間>
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧