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十年一日のハウステンボスの無為無策
親愛なるアッティクスへ

e0027240_183556.jpg先日、定額給付金が出たこともあって、ぱぁーっと、長崎バイオパークハウステンボス家族旅行に行ってきました。

(←長崎バイオパークでのカンガルー母子です。お腹の袋から赤ちゃんが顔を出してます。噂では知ってましたが、で見たのは初めて・・・だったかな(笑)。)

で、ぱぁーっと・・・と考えた割には、最近、経済的にはあまり余裕がない当家のこと、何とか、限られた出費効率良く・・・と考えたのですが、この点で、業績悪化が伝えられるハウステンボスに関しては、ちと、思うことがありました。

そもそも、今回の家族旅行を企画したのは、たまたま、新聞に、「ハウステンボスが高速道路のETC割引と連動した割引を始める」という記事が載っていたからだったのですが、早速、ネットで予約しようと思ったら、HPのどこにもそういうサービスが載ってない・・・。
こういうのは新聞に載った段階では、既に利用できるような状態にしておかなきゃダメなんじゃないの・・・と。

さらに、それなりにレストランを予約しておこうと思ったら・・・、これが結構、高いんですよ。
(一人1万~1.5万円というのもありました。人数分頼んでたら、とんでもない額に・・・。)
で、夜はバイキングにし、朝もバイキング・・・で、ガキどもには死ぬほど食わせておいて、昼はフレンチのランチを大人の人数分だけ・・・という作戦に出ました(笑)。
店の人が、「お子様ランチも出来ますが・・・」としつこく言ってきましたが、ピシャリと、「後はだけで結構です」と宣言v(笑)。
でも、その一方で、「ここに来る主な客層はどういう人たちなんだ?」・・・とは思いましたね。
結局、主力となるのは家族連れなんでしょうから、であれば、園内には高級レストランばかり作るのではなく、もっと、家族連れ向きのリーズナブルな店を増やすか、もしくは、お得セットなどのメニューを考えるべきじゃないの・・・と。

でもって、私はハウステンボスに行ったのは10年振りくらいだったのですが、色々、アトラクションを廻るうち、その殆どが前回来たときと同じ物だったことに気づきました。
つまり、まさしく、十年一日の如く、同じ物を出し続けていたというわけですね。
私は10年ぶりでしたから、それなりに新鮮でしたが、これでは逆に言えば、「次に来るのは10年後で良いよね・・・」ということになるわけで・・・。
これでどの程度、リピーターが足を運ぶのだろうか・・・と。
業績が悪いというのはわからないでもないですが、この点は、たびたび、述べておりますように、自分が売っている商品は何か?ということを考えたならば、金がないからやらないというのは企業としては本末転倒だと思うんですよ。
この点で、私がかねてより敬愛する本田技研工業の創業者・藤沢武夫翁は、アメリカ・ホンダの業績が悪化した折、「ベトナム戦争でバイクに乗る若者が数多く徴兵されてしまったから」という説明に対し、夜の街を行き交うヘッドライトの数を見て、「業績悪化の原因は別にある」と判断した・・・といいます。
案外、業績不振の原因は「不況」などではなく、別の所にあるのかもしれませんね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-05-28 19:31 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(6)

花山大吉にみる近衛十四郎という役者とその時代 その4
先日からの続きです。

当時、大人気だったその「素浪人 花山大吉」ですが人気番組だったということもあったのか、結構、意外な役者さんも出ていましたね。
中でも、近藤正臣さんは、当時は、まだ、「柔道一直線」で人気に火が点く前でしたが、二度、出演しており、最初は、「狼を切って剣を磨いた孤高の剣士」、二度目は180度違って、「やたら、せっかちで喧嘩っ早い渡世人」の役でした。
もっとも、これが近藤さんだったとは、後に、再放送を見て初めて知りましたけどね。

ただ、どういうわけか、その辺から後はまったく番組に記憶がないんですよ。
で、思い当たるのが、途中から若くて可愛い、いわゆる、「現代っ子」と呼ばれる女性がレギュラーとして加わったことです。
私が今見ても納得できないと思うのが、この女性の設定でして、ミニの着物姿はまだ許せるとして、いつも、熊のぬいぐるみを持ってるんですよ。
いくら、娯楽時代劇でも、江戸時代にぬいぐるみは無いでしょ。
(しかも、大吉も、品川隆二扮する相棒の焼津の半次も、それ見て、普通に、「ああ、ぬいぐるみか・・・」ですからね。ちなみに、熊は当時は害獣ですよ。)
多分、子供心にも白けちゃったんだろうと・・・。

で、そんなこんなで見ていなかったのでしょうが、今回、改めて思ったことがあります。
昭和40年(1965年)10月に、このシリーズの前作である「素浪人 月影兵庫」の放送が開始された時点で51歳だった主役・近衛十四郎翁も、次作「素浪人 花山大吉」が始まった昭和44年(1969)1月1日には55歳となっており、現代ならば、まだまだ、老け込む年でもなかったのでしょうが、40年前の55歳ですから、やはり、当時としてはちと、遅すぎた桜・・・だったのかもしれません。

従って、近衛翁が満56歳の誕生日を迎える直前の昭和45年8月8日放送の第84話「地獄の槍が呼んでいた」辺りから少し滑舌がおかしくなり始め、夏八木 勲さんがゲスト出演した同月29日放送の第87話「命がけで黙っていた」に至っては、妙に顔に張りがないし、セリフはたどたどしいのが最低限で、さらに、座ったシーンばかりで、立っているときも木にもたれかかったまま動かないし・・・。
で、そのまま、同年の年末12月26日放送の第104話「男は笑って別れていた」で最終回に至ったことを思えば、つい、近衛翁の元気が良かったときの姿を当時、まだ元気だった自分の祖父母の姿と重ね合わせ、少し、しんみりしてしまいました。

その後、昭和48年に後継作『素浪人 天下太平』、さらに、次男・目黒祐樹と共演した『いただき勘兵衛旅を行く』と続くも、やはり、体力の衰えはいかんともし難かったようで、長男・松方弘樹主演の『徳川三国志』に出演した翌々年の昭和52年(1977年)5月24日、63歳で逝去・・・だとか。 
糖尿病だったそうですね。合掌。
続く・・・かも(笑)。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-05-26 17:44 | 文学芸術 | Trackback | Comments(8)

監督業というものの哀しい現実と、ついでのホークス展望
親愛なるアッティクスへ

横浜大矢監督・・・、シーズン序盤で更迭されましたね。
成績不振で「休養」というのは、何も今に始まった話ではないですから、別に驚くには値しませんが、横浜球団の対応には、ちと首をひねります。
成績不振・・・ということであれば、横浜は昨年も最下位だったわけで、こんな中途半端なところで解任するのなら、昨年のシーズン終了後に解任しておくべきで、後任となる田代二軍監督も突然、バトンを任されても困るでしょう。

まあ、去年のオリックスの大石監督の快進撃の例もあることから、球団も少し安易に考えたのかもしれませんが、そもそも、大石氏は田代氏と違い、一軍のヘッドコーチからの就任(当初は「監督代行」)だったわけで、チーム内の事情にも精通していたでしょうが、田代氏は二軍監督からの就任なわけで・・・。
現状把握、人心収攬・・・、コーチ陣も来年どころか明日がどうなるかわからないような状態では指導にも身が入らないでしょう。
であれば、横浜球団も、監督を解任するのであれば、大石さんのようにヘッドコーチをとりあえずの「監督代行」として今シーズンを戦い、シーズン終了後に改めて来年の新監督を発表するべきだったでのではないかと。
もっとも、監督業というのは何だかんだ言っても、「勝てば官軍、負ければ賊軍」・・・で、本来、一時的な繋ぎのつもりで「代行」とさせても、目覚ましい実績を挙げた人は容易に解任できないし、逆に、いくら長期的に考えると言われていても、その年の成績もそれなりのものであることが求められるわけで・・・。
その意味では、地元、福岡ソフトバンクホークスも、もし、二年連続最下位ということになると、いくら秋山監督でも解任の声も出て来ますよ。

e0027240_14314681.jpgホークスも一時期は下にまだ他球団が居るというのが信じられないような状態でしたが、多村、村松が復帰し、松田にも目処が付いたということで、どうにか、顔ぶれだけは揃ってきましたね。
特に、オーティズの加入というのも大きかったですよ。

(←勝利の福岡ドーム内花火。)
以前から指摘していたように、今のホークス打線の課題は、かつてのズレータのような長打が打てる6番打者補強と、若手中心打者育成なんですよ。
その意味では、6番を任された新外国人選手がここ数年、まったく、打てませんでしたから、オーティズの加入は待望の「打てる6番打者」の獲得でしょう。

(ていうか、元々、日本で実績があったわけでしょうから、守備には少々、目をつぶってでも早く獲得してろよ・・・と。ズレータだって、来日してしばらくの守備は見てられなかったわけだし・・・。)
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-05-23 18:09 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

新型インフルエンザに定名がないことに対する無為無策
親愛なるアッティクスへ

巷を騒がせている新型インフルエンザ・・・ですが、あれって日本では「新型インフルエンザ」と呼ばれていますが、世界では「ジャパン・フル」・・・つまり、「日本インフルエンザ」とよばれてるのだとか。

e0027240_14242145.jpg日本人が大量にマスクを付けている映像が世界に配信され、その印象が強かったからだそうですが、ちょうど、大正時代に猛威を振るったスペイン風邪が実際にはスペインでも何でもなかったようなものでしょうか。
(実は発生源インド中国南部辺りだったとか。)

でも、病名の頭に国名を使われたんじゃ、まるで、その国が発生源みたいじゃないですか。

この点で私が懸念するのは、風評被害に至る恐れよりも、スペイン風邪がそうだったように、百年も経つと既成事実として刷り込まれてしまって、「あれは日本じゃなかったんだ」と言っても、覆すのが容易ではないということです。
すなわち、今でも日本では新型の伝染病が流行るたびに、「大正時代のスペイン風邪のときは・・・」と引き合いに出されるわけですから、今後、各国では、何かあるたびに、「2009年の日本インフルエンザでは我が国の死者はOOO人・・・」などと引き合いに出されることになり、リアルタイムで映像を見ている人たちはまだしも、50年、100年後の人たちはそこまで理解しませんよ。
(日本だって、今更、「あれはスペインではなかったのに、スペイン風邪などと言われるのはけしからん!」などとスペイン政府から抗議されたとしても、困惑以外のなにものでもないでしょう。)

であれば、厚生労働省世界保険機構に対し、きちんとした名前制定依頼し、外務省も各国に勝手な命名をしないことを要請するなど、もう少し、きちんとした対応を、かつ、迅速に行うべきではないでしょうか。
一旦、根付いてしまったら、修正するのは大変ですよ。

ところで、先日まで、福岡ドームでは福岡ソフトバンクホークス阪神タイガースという人気カードが行われていたのですが、インフルエンザの影響でしょうか、2万人を割ってましたね。
「このままでは、大阪の経済はもたない」と橋下徹大阪府知事も言ってましたが、確かに、このインフルエンザ騒動での経済的損失は計り知れず、こういう、伝染病蔓延が持つもう一つの危機の側面を改めて見せつけたような形になったでしょうか。

ちなみに、私も、今年はインフルエンザよりもむしろ経済危機の影響もあって、まだ、開幕してから一度も福岡ドームには行ってないのですが・・・。
やはり、見に行く以上は、それなりの顔ぶれにならないとあまり、魅力を感じないようで・・・(笑)。
                    平太独白
by heitaroh | 2009-05-22 08:44 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

花山大吉にみる近衛十四郎という役者とその時代 その3
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

往年の人気時代劇「素浪人 花山大吉」ですが、この番組については、見ていてつくづく思うことがあります。
私は、「本当に良い物は、たとえ、時代が変わろうとも受け入れられるはずだ」という考えの持ち主ですから、自分が子供の頃に、老若男女を問わず惹き付けた時代劇だけに、是非、うちの子供たちにも見せておきたい・・・と思い、見せました。
まあ、それなりに面白かったみたいですが、それにしても、最近では、本当に「素浪人とか「風来坊」とか「三度笠」などという言葉は聞かなくなりましたねぇ。
「旅ガラス」だ、「二本差し」だ・・・なんてのは、今の子供には理解不能でしょう。

また、友人同士でありながらも、「武士」である花山大吉と「庶民」である焼津の半次とでは、互いに「俺の相棒だ」と言っているにも関わらず、生活する上では厳然とした身分の差がある・・・というのも、今のように妙な平等主義がはびこる現代日本人の感覚からすると、少し、違和感が感じられるんですよね。
放送当時は、武士と町人に身分の差がないことが逆に嘘臭く思えた時代だったのでしょうが、最近の「水戸黄門」「遠山の金さん」などは、武士が町人に化けているという立て前もあってか、そういう描写は殆どみられませんね。

で、その上で触れておきたいのが、第19話の「お茶はお茶でも無茶だった」・・・です。
ストーリーをかいつまんで説明すると、『将軍家献上のお茶を運ぶ「御茶壷道中」の一行の、権威を笠に着た横暴に沿道の人たちは大いに苦しんでおり、以前、安易な理由で一行に息子を殺された老父が御茶壷襲撃を計画したことで、大吉・半次の両人はこの事件に巻き込まれてしまい、懸命に老父を止めようとするも、そのあまりの横暴を見かねた二人は、ついに一行と乱闘に及ぶ・・・』というものでした。
で、特に印象に残ったのが、刀を抜いて斬り込もうとする半次に、大吉が、「兄さん(半次)、斬ってはいかん。これは蟷螂の斧だ」と叫ぶシーンがありました。
まあ、斬りさえしなければ罪には成らないという解釈には少し首をひねるものの、「官」というものの、その抗い難い横暴と、世の中の不条理・・・。
「官には逆らえない」という、終戦から20年ちょっとの時代を生きた人たちにとっては、皆、共通の認識ではなかったでしょうか。
どうあっても、「お茶壺を襲撃し、徳川将軍家に、御茶壷のために迷惑している人たちが居る・・・ということを知らしめる」と言う老父に対し、大吉は、「だが、とっつぁん、世の中はそんなにたやすいものだろうかね」・・・などという辺り、「蟷螂の斧」という言葉には、自ら、シベリア抑留体験を持つ近衛十四郎という人の悲憤の情に裏打ちされた諦観が込められているようにも思えましたね。

ちなみに、この番組の主題歌、「素浪人まかり通る」を歌っていたのは、当時、売り出し中の33歳だった北島三郎御大・・・。
作詞は名脚本家にして、特攻隊の生き残りとして知られる結束信二氏、このとき43歳・・・。
嗚呼、昭和は遠く成りにけり・・・でしょうか。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-05-18 17:58 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)

高校入試に見る時代のニーズの変化の裏にあるもの
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15582278.jpg最近、色々と対応を迫られることが多く、私の小さな脳みそでは、なかなかこちらまで余裕がありません。
たまには、こんな具合(←)に、明後日の方向でも眺めていたいものですねぇ(笑)。
もっとも、こいつはこいつで気楽そうに見えて、実は大変なのかもしれませんが。

で、実は、この春、私的には少し考えさせられることがありました。
それは、高校入試の際の競争率について・・・なのですが、まず、目にとまったのが地元工業高校の建築科の競争率が1倍を切っていたこと・・・です。
つまり、定員割れしているということですね。

確かに、それでなくとも、「きつい・汚い・危険」3Kと呼ばれる職種でありながら、生命線とも言うべき公共事業の減少、さらには少子化による需要減、対照的に生き残るために建て続けてきた結果としての供給過剰・・・という、今の建設業界が置かれた現状を見ていると、到底、明るい未来が待っているようには思えません。
私の周囲でも、少なからず、「息子に継がせようとは思わない」という工務店の声を耳にします。
しかし、建設業というのは、「衣食住」と並び称されるように、本来、生活に欠かせない柱のひとつであり、であれば、形態は変わっても、決して無くなる産業ではないということを見過ごすべきではないと思うのです。
となれば、将来、建設業の最前線で働くことを担う工業高校の建築科が定員割れするということもまた、安易に見過ごすべきではないと・・・。

一方で、変わって高い競争率を誇っていたのが、かつては定員割れの代名詞のように言われていた農業高校・・・。
農業といえば、かつてはイコール米作り・・・的なイメージだったのが、調べてみると、今では都市園芸科・環境活用科・食品科学科・生活デザイン科という具合に、学科を聞いただけで、時代のニーズを採り入れているのがわかるわけです。
さらに卒業後も、より深く農業について勉強したい者は、「専攻科」(2年間)などという物もあるとか・・・。
まるで大学院じゃないですか・・・。
これでは、私だって、入ってみたくなりますよ。

であれば、工業高校も、単に産業構造の変化ばかりを嘆くのではなく、もう少し、やれることを追求してみる必要があるのではないでしょうか。
実際、工業高校でも、かつてはあまり人気がなかった繊維科、土木科、工業化学科などは、それぞれ、染織デザイン科、都市工学科、環境化学科と名前を変え、往事と変わらぬ競争率を保っているわけで・・・。
もっとも、往々にして、かつての花形などというのは、妙に名門意識が強いOBなどというものがいるようですが(笑)。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-05-15 17:38 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(6)

欧米発欧米行き21世紀論
親愛なるアッティクスへ

今、アメリカ金融危機により、日本経済は大変なことになってますが、むしろ深刻なのがイギリスみたいですね。
せっかく、招致したオリンピックも、もう、それどころではないみたいですし・・・。
この点で、先日、世界三大投資家の一人といわれるジム・ロジャーズという人は、「イギリスには何も売る物がないというだけのことだ」と喝破した・・・という話を耳しました。
まあ、元々、金融立国を標榜していた国ですから、むべなるかな・・・という気もしますが、そうは言っても、今回の金融危機前には、日本でも「これからは英米型の金融立国を目指すべきだ」・・・という声もあったわけで、確かに、日本の金融はもっと雨風に晒した方が良いかとは思いますが、かといって、やはり金融立国にまで踏み込むのは如何なものか・・・とも思います。

その上で、かねてよりの私の持論に、「第三次産業とはエンジンオイルのようなもの。少なすぎるとエンジンが焼き付くが、多すぎても不都合が生じる」というのがあります。
さらに、「国の経済力が増すと、ピストンに比してエンジンオイルが増える流れに加速度が付き、それは途上国ほどその傾向が強いようにも思える」・・・と続くのですが、その意味では、今の日本は細ったピストン(第二次産業)が多量のオイル(第三次産業)の中で沈みかけているような状況であり、健全だとは言えないように思います。
特にここ数年は世界中が「金で金を生む」ことを指向する考えに突き進んでいたような気がしますので、やはり、他国はどうあれ、日本は「製造業が柱である国家」だということを再認識する良い契機になっているのではないでしょうか。

私は昔、前回のバブル崩壊の頃に「大恐慌には成らないが小恐慌、中恐慌になる可能性はある」と言ったことがあります。
これについては、そうならなかったのは周知の通りで、身の不明を恥じるばかりですが、ただ、「危機が先送りされてきた」という視点に立てば、必ずしも的はずれだったようには思えません。
むしろ、大いに計算違いがあったのが、このとき、「もっとも、各国も、追いつめられれば我が身可愛さの行動に走らないとも言えず、大恐慌になる可能性が無いとも言えない」と続けていたことです。

・・・G7サミットというものが、これほどまでに無力な物だとは思いませんでしたねぇ。
保護主義の高まりどころか、各国、不況の初期段階ですでに1930年代と何ら変わりない、「自分さえ良ければいい」を如実に行動で示してましたし。
その意味では、結局、国という物の行動原理は19世紀と何も変わってないんだな・・・ということを痛感させられました。
でも、そもそも、21世紀というのは、元々、キリスト教国の概念であり、あくまで幕を開けたのは欧米のみだと考えれば辻褄は合うわけで・・・。
つまり、世界の大半は、まだ19世紀<の中にいる・・・と。
                                          平太独白
by heitaroh | 2009-05-12 08:49 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

藤原泰衡の決断
親愛なるアッティクスへ

歴史上、さまざまな場面でさまざかに決断を迫られた人々・・・、成功すれば英雄となり、失敗すれば愚物となる。
第二次大戦中、ドイツ軍の作戦指導にことごとく容喙したヒトラー弊害を批判する声がありますが、しかし、戦局が悪化した後はともかく、当初はむしろ、目前の作戦指導のみしか見ようとしない軍人たちに対し、ヒトラーは、「彼らは、まったく、戦時経済というものがわかっていない」と嘆息したとか。
つまり、戦争を遂行するためには戦闘だけではなく、資源食料の確保といった戦争全体を考えなければならず、その意味では、ヒトラーのそれは必ずしも的外れでもなかったわけで、そのことは、同時期に大陸の反対側で攻勢をかけていた日本軍の極端な補給軽視姿勢を見れば納得できるものがあるでしょうか。
その意味で、判断としては、決して、間違っていなかった・・・、私もその立場にいたら同様の判断を下した・・・と思えるもので、かつ、それが、最悪の結果に終わってしまったという例がひとつだけあります。
それが平泉中尊寺金色堂で知られる奥州藤原氏最後の当主藤原泰衡の決断です。

まず、藤原氏は、泰衡の父、三代秀衡の晩年に、平氏討伐に目覚ましい活躍を見せた源 義経保護し、その異母兄、源 頼朝対決姿勢をとっています。
ところがまもなく、秀衡が死に、泰衡が家督を継ぐと、泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を殺害したばかりか、義経擁護派であった二人の弟も殺し、頼朝に対し恭順の意を示すも、頼朝はそのまま奥州に攻め込んで、泰衡は逃亡中、家臣に殺され、藤原氏は滅亡する。
初代清衡以来三代に渡って栄華を誇った藤原氏を、秀衡の死後、わずか2年で滅ぼしてしまったことで、史家の泰衡を見る目は冷たいものがあります。
しかし、私には泰衡の決断は必ずしも間違っていたようには思えないのです。
すなわち、藤原氏は義経を擁していたとしても、果たして戦って勝てたのか・・・という点で。

まず、藤原軍は、源平争乱を戦い抜いてきた源氏の精鋭と違い、約五十年にわたって戦争を知らず、おそらく戦争経験がある将兵は皆無だったでしょう。
そして何より、藤原氏は、奥州17万騎と号したものの、おそらく、実態は相当に水増しされた数字であって、兵力という点で、まともに戦えるレベルにはなく、その為、藤原氏は初代清衡以来、中央政府に対し、徹底して、追従外交に終始して、決して、全面戦争の口実を与えていません。
秀衡が死に臨んで、息子たちに「今後は義経を主君として仕えよ」と遺言したことも、あくまで、源氏同士の内輪もめという形にして、決して、中央政府藤原氏という形にしてはならないという認識があったからだと思います。
さらに、義経の軍才と藤原氏の兵力が結びついたことで頼朝も迂闊に手が出せない・・・といっても、この微妙なバランスがいつまでも保てたかという点も疑問で、それを国是とするのは大変、危険なことだったでしょう。
それらを勘案すれば、藤原氏は、徹底して頼朝に討伐の口実を与えるべきではなかったのでしょうが、奥州に近い鎌倉に政権が成立した以上、かつてのような遠交近攻外交が通じない時代が来たということであり、いずれにしても難しいところだったでしょう。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-05-11 08:56 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

ラスト・ハーレムにみる東西大奥事情
親愛なるアッティクスへ

連休中、当方は特にどこも出かけませんでしたが、一日だけ、ガキ連れて、福岡市近郊の山に登ってきました。
まあ、「登る」というよりも「散歩」という方が適切な程度の山でしたが、天気が良かったこともあって、それなりに眺めはよかったですねぇ。
e0027240_1493240.jpg

ただ、駐車場がどこも満車だったり、一時間待ちだったり・・・というのには辟易しましたけどね。

e0027240_1414460.jpgで、この連休中、録りだめしていた「ラスト・ハーレム」という映画を見ました。
題名の通り、オスマン・トルコ帝国崩壊時スルタン(皇帝)のハーレムを描いた作品ですが、映画自体は、テレビ用に短く縮めてしまったのか、とにかく、説明不足で展開がわかりにくい・・・ものの、日本の徳川幕府崩壊時大奥との対比という点では非常に興味深かったですね。
その上で、やはり、両者の一番の違いは、日本の大奥の場合は、皆、多かれ少なかれ、それなりの名門名家の出であったのに対し、ハーレムの場合は、そこにいる女性たちは皆、金で買われてきた奴隷だったことでしょう。

(すなわち、歴代スルタンの母親は、すべて、ロシア人ギリシャ人などの奴隷出身だったわけで、私も、このことは知ってましたが、確かに羨ましいと言えば羨ましい・・・、いや、じゃなくて、血が偏らなくて良いと言えばいいのでしょうが、何とも大胆なシステムですよねぇ・・・。)

従って、オスマン・トルコが崩壊して、革命軍がハーレムの扉をこじ開け、「もう、おまえたちは自由だ。どこへでも好きなところへ行くが良い」と言われても・・・。
皆、行く宛てがない人たちばかりであり、仕事もしたことがない、言うならば、自分でをとったことがない動物園の孔雀みたいなもので、身内が迎えに来てくれる人はまだしも、それが無い人たちは、結局、飢えを凌ぐために売春宿に行くか、スルタンのハーレムにいた女ということで見せ物にでもなるしかなく・・・。
まあ、もちろん、この映画がどの程度史実なのかはしりませんが、一応、その映画の中でも、去年の大河ドラマ「篤姫」のように、主人公はリーダーシップをとろうとするものの、現実は厳しく・・・と。
この点、日本の場合は、特に、幕末時に置いて、篤姫、和宮と二代続けて大奥のトップである将軍の正室は革命勢力の頂点の人だったわけで、ちょうど、革命軍を率いて宮城に迫る立場にいたという意味では、西郷隆盛に置ける篤姫のような人がムスタファ・ケマルにも居たならば、ハーレムの解放も、もう少し違う形で推移していたのかな・・・と思いますね。
                                        平太独白
by heitaroh | 2009-05-08 17:44 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

花山大吉にみる近衛十四郎という役者とその時代 その2
親愛なるアッティクスへ

最近、結構、さぼってます。
別に、ネタがないわけではないんです。
ただ、本業の方がそれどころではないもので、なかなか、こういう物を書こうという気にならないだけで・・・。
で、連休中でもあり、今更ながらのこのシリーズの続きです。

「素浪人花山大吉」・・・ですが、この番組はその後も人気だったのでしょう、何度も再放送されておりましたが、放送から随分経った大学時代、(と言っても、よく考えれば10年ちょっとなんですね。今では10年なんてつい最近のことですが、20歳の時の10年はやはり人生の半分ですから、随分、大昔のことのように感じました・・・。)、2歳上の従兄と顔を合わせたので、「帰りにどこかで遊んでいこう」と言ったところ、「4時から花山大吉を見ないといけないので帰る」と言う・・・。
「花山大吉・・・って、昔、放送されてたあれ?」と聞くと、そうだ・・・と。
確かに、当時は結構、人気番組でしたが、従兄は別に時代劇ファンでも何でもなかったので、かなり、奇異に感じて、「今更?何であんなものをわざわざ・・・」というと、「なぜか知らないけど、今、うちのクラスではあれが流行っている」・・・と言っていたのが大変印象に残っています。
まあ、当時は、まだビデオも一般的ではない時代ですからね。

で、初回の時は、主役の近衛十四郎翁扮する花山大吉について述べましたが、このドラマの見物は、その花山大吉が好物の「おから」に目がないことと・・・、相棒の旅ガラス、焼津の半次との掛け合いのおもしろさでした。
(おからについては、普通の人の好物・・・という常識の範疇ではおさまらないんです。一旦、おからと聞くと、普段の重厚さはどこへやら・・・。うって変わったその醜態ぶりに、テレビの前は大笑いでした(笑)。)
その、一方の焼津の半次を演じていたのは、知る人ぞ知る二枚目俳優だった、当時、38歳品川隆二さんで、確かに、しばらく経って、この人がCMに出てきたときには、そのあまりの重厚感のギャップに、かなりイメージが狂いましたね。
つまり、その二枚目が、正義感は強いものの、おっちょこちょいで、少し短絡的な渡世人の男を演じると、見事なまでに三枚目で・・・。
いつも、花山のダンナに思いっきり、からかわれて・・・。

で、このシリーズ・・・、元々は、その前に、同じ焼津の半次とのコンビ「素浪人 月影兵庫」というのが昭和40年(1965年)から放送されていたのですが、こちらはオカラがすき・・・ではなく、猫が嫌い・・・という設定でした(笑)。
白黒でしたが、昭和43年(1968年)には最高視聴率35.8%を記録したほどの人気番組だったとか。
(ちなみに、花山大吉も最初の7話くらいまでが白黒で、途中から、カラーになったように記憶しております。)

なかなか、本題に辿り着きませんが、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-05-07 21:39 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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