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大河ドラマ「天地人」の極端な主人公中心史観に興醒めの春
昨日、一昨日は少し肌寒かった福岡県地方ですが、今日からはまた、元の春の陽気に戻りそうですね。
例年、私はゴールデン・ウィークに入ったら、冬も完全に終わり・・・ということで、ストーブなどを片づけるようにしておりますので、今年もどうやら、これで寒さとはしばらくお別れのようですね。

ところで、今年の大河ドラマ「天地人」(でしたよね?)ですが、今まで辛抱強く見てきましたが、ついに見るのを断念しました。
主人公を素晴らしく描くがために、他の登場人物、特に敵対側を落として描く・・・というのは、まあ、こういう娯楽時代劇に置いてはありがちな手法でしょうが、今年の大河ドラマは、それにしても、ちと、酷すぎますね。
思わず、昭和30年代の時代劇全盛の頃の中村(萬屋)錦之介主演映画を思い出してしまいましたよ。

まあ、こういう点は、以前から指摘してましたとおり、最近の大河ドラマは往々にして、そういう、「普通の人がなぜか何もしないうちに偉くなってしまう」傾向があるものの、それにしても、今年のは、「今時、この史観かよ」みたいなところが目立ち・・・。
曰く、織田信長桶狭間で勝てたのは今川義元が油断していたのを雨に紛れて奇襲できたという「信長運が良かった説」・・・、徳川家康はリスクがあることは徹底して避け、ひたすら熟柿が落ちるのを待った「家康狸オヤジ説」・・・。
桶狭間の戦いは現在では今川の油断以前に、そもそも、奇襲ではなく、正面攻撃説が優勢ですし、家康が狸オヤジ的な印象を持たれるのも、最晩年に大坂の陣で謀略によって豊臣家を滅ぼし、天下を獲った印象によるものであって、今時、これはないよ・・・と。

さらに、決定的なのは、武田家との関係についてです。
いわゆる、「武田勝頼は父信玄に似ぬ愚物だから武田家を滅ぼし、上杉は智将・直江兼続の補助があったから滅びなかったという勝頼暗愚説と兼続優秀説」・・・ですね。
この点は、以前も申し上げましたが、武田家が滅びて、上杉家が滅びなかったのは、単に「武田が先で上杉が後だった」・・・というだけの話で、これひとえに、天下布武の覇業に邁進していた織田信長本能寺の変で思いがけず死んでしまったという、つまり、「運が良かった」だけのことにすぎないわけですね。
それに、武田家には兼続のような優秀な人が誰もいなかったかと言えば、決して、そんなこともなく、実際、智将の誉れ高い真田昌幸などもしっかり居たわけですから・・・。
武田家と上杉家が同盟を結ぶことについても、劇中では信長が「まさか」と言って絶句してましたが、これも、ただただ嘆息尽きず・・・で、追いつめられた者同士、少なくとも、信長が驚くことはあり得ないでしょう。
せめて、兼続には、武田との同盟を進める上では、「武田にも隣国・北条家が巨大に成りすぎることを歓迎しないはずだ」・・・くらいのことは言わせて欲しかったですね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-04-28 08:22 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(2)

草彅剛君逮捕にみる酒は気OOい水に早く嫁を娶れの論理
親愛なるアッティクスへ

草彅 剛くん、逮捕されちゃいましたねぇ。
(草薙 剛?草彅 剛?)
ニュース速報で流れたときにはびっくりしましたよ。
まあ、それが速報で流れるということ自体、彼が如何に注目される存在だったか・・・ということを改めて示したのでしょうが、確かにCMなどに出ている以上は、半ば公人というべき存在であり、その意味では、彼はもっと私生活においても気をつけるべきだったでしょう。
(かつて、世界の盗塁王、福本 豊氏は国民栄誉賞を受賞するという話が持ち上がったとき、「そんなのもらったら、立ち小便もできん」と言ってそれを辞退した・・・といいますが、何をか言わんや・・・でしょうね。)

まあ、所詮は彼にプロ意識がなかった・・・ということだと思いますが、ただ、「酒での失敗には日本一寛容」と言われる福岡人としては、人に危害を加えたわけでも、薬物に手を出したわけでもないのであれば、個人的には、そんなに言わなくてもいいじゃない・・・という気もします。
(博多では、飲んだくれのことを「飲み助」と言いますが(全国共通?)、飲み助であれば、誰でも、多少は似たり寄ったりの経験があるんじゃないですか?ちなみに、私はよく記憶を無くしております。最近では、飲んで記憶を無くした夢さえ見るようになりました。飲み屋のドアを開け、中に入ったものの、次の瞬間には家で布団から起き、「嗚呼、昨日、店に入ってからの記憶がない・・・」と後悔する夢です(笑)。)

その意味では、草薙くんの今回のそれは、中川昭一前大臣のそれと違い、まだ、若気の至りということで良いんじゃないかと思うのですが、問題は、酒でああいう失敗を起こすやつは、どれだけ懲りていても、いつかまた、同じようなことをしでかしてしまう・・・ということなんですよ。

e0027240_17364082.jpg(←私も、週末はこれでやってました。)

うちの祖母がよく、「酒は気OOい水だ」と言ってましたが、まあ、我が身を振り返ってみても、確かに、当たらずといえども遠からず・・・のようで、体験上言えば、彼もしばらくは、「もう、酒はやめた」と思うのでしょうが、飲み助が永遠に一滴も飲まないというのはあり得ない話で、結果、何かの時に、「今日くらいは・・・」、「少しくらいなら・・・」となり、得てして、そういう気が緩んだときに事件をしでかしてしまう・・・と。

この点は、どうしても、昔見た昭和30年(1955年)公開の内田吐夢監督、片岡千恵蔵主演の「血槍富士」という映画が思い出されてなりません。

いくら、大事なお役目だから酒は飲まない・・・と言っていても、ふと、気が緩んだときに、つい、「少しくらい」ということになり、結果、取り返しが付かないことになってしまう・・・と。
であれば、彼に対して言えることは、もう、とっとと早いところ、嫁をもらいなさい・・・と。
つまり、日常で、誰か目配りしてくれる存在を持て・・・ということですね。
その気になれば、相手には困らないんでしょうが、彼の場合は、むしろ、お見合いが良いと思いますが如何でしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-27 17:50 | 時事問題 | Trackback | Comments(4)

オールドの美学と藤子不二雄の人との関わりの補足
親愛なるアッティクスへ

九州と言えば、とかく、焼酎と思われがちですが、実は、私、元々、ウヰスキー党でして、特に銘柄などにはこだわりはないのですが、むしろ、ウィスキーそのものに美学を感じておりまして・・・。
で、半年ほど前でしょうか、酒屋でウィスキーの棚の前を通ったところ、「ダンダン デュビッテュ♪シュッビデュバ~♪」という往年のサントリーCMソングが流れてきました。
センサーで人を感知して、流れるようになってるんですね。



子供の頃は、このCM(↑)にはホント、憧れましたからねー、思わず、買ってしまいましたよ。

e0027240_13353256.jpgで、それ以来、サントリー・オールド、いわゆる、東日本でいうところのダルマ、西日本でいうところのタヌキを、枕元に置いて愛飲しているのですが、先日も、一本、空になったので、オールドを買いに行ったところ、瓶にこれ(←)がかけてあるではないですか!
もしや!と思ったら、まさしくこの歌が聴けるおまけでした。
思わず、2本も買ってしまいましたよ。

で、今更ながらに本題ですw。
先日から、漫画家・藤子不二雄の二人が、若い頃に仕事を過剰受注し、不眠不休のスケジュールでこれに臨んだところ、途端に書き直しという「事故」にあい、途方に暮れた・・という話をしましたよね。

で、その際、二人は、これまで順調に来た二人を一方的にライバル視する、つのだじろうという漫画家が、デビューまでの一年間に37回も書き直しをさせられたという話を思い出し、「あいつに出来たのなら、俺たちにも出来ないわけがない」と、自らを奮い立たせて、再び、机に向かうようになり、結果、この難関を乗り越えられた・・・と。
で、私も、現在、少々、経済的苦境にあるものの、色々な人に助けられたという実感から、改めて、好感を持つ持たないにかかわらず、人と交わることの刺激というものの重要性を痛感した・・・と。

その上で、その夜、たまたま、テレビで脳科学者の茂木健一郎という人が言っていたのを聞いたのですが、曰く、
「脳を活性化させようと思えば人と向き合うのが一番何よりの薬。好きな人は好きなりに共感する喜び、分かち合う喜び・・・、苦手な人はその人との違いを通して自分がどういう人かわかる」と。
これって、まさしく、これですよね(笑)。
あ、俺が言ってたこともまんざらデタラメばかりでもなかったんだ・・・と(笑)。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-04-23 18:11 | 思想哲学 | Trackback(1) | Comments(6)

ベスト電器不正郵便に想う陽背骨は背骨の論理 その3
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

また、ベスト電器に関しては、(本店)と枝葉(その他の店)とでは、店員の商品知識にも極端な差がありましたね。
問題は、それが今に始まった話ではないことです。
私がまだ、学生時代、多分、昭和57年頃だったと思うのですが、「イコライザは置いてないんですか?」と店員に尋ねたら、「何?いこざいざ??」という答えが返ってきて、呆れたことがありました。
今では、イコライザというのは、あまり一般的ではないでしょうから、あるいは、知らない方もあるかもしれませんが、当時は、チューナーアンプほどに一般的ではないにしても、少なくとも家電量販店の店員であれば知ってて当然の商品で、今で言うなら、「地デジチューナー」を知らないようなものでしょうか。

これらの出来事は、単に、ベスト電器が本店以外のフランチャイズ店に対して、人材教育をやってこなかった・・・ということに限らず、むしろ、店も人材も含めたグループ全体の「質」を均一化することの必要性を感じてこなかったということの方が問題だと思うのです。
そういう問題は、各店それぞれが対応する問題という認識だったのかもしれませんが、それは同時に全体のイメージダウンに繋がる問題であり、それを積み重ねた結果、今日の苦境に至った・・・と。
もっとも、ベスト電器も、この辺の弊害を考えたのか、あるいは、ダイエー蹉跌が他山の石となったのか、少し前までは、パソコン関連に特化した品揃えと、専門の商品知識を持った店員を配置した「こんぴゅーたうん」とかいう事業展開を図っていたんですけど、いつの間にか、それも見かけなくなっちゃいましたね。

で、話を本題に戻すと、先日述べました、「創業者の遺訓などという物があると、囚われすぎて硬直した対応しか出来ない人たちが出てくる」、「遺訓とは抽象的な精神性の範囲に留めておくべきだ」という話ですが、今回のベスト電器の不祥事を見ていると、ここはそもそも、「創業者の遺訓」自体が無かったんじゃないのか・・・」という気がしてきました。
(ここの創業者の方は、バブルの頃は、本業そっちのけで株へ傾斜していたことで有名でした。まあ、これひとつですべてを決めつけるのも如何かと思いますが、それらを考えれば、ベスト電器という会社は、創業者の遺訓を忘れた会社ではなく、元々、遺訓自体、つまり、企業理念のようなものが無い会社だったんではないかと思えるのです。)
その意味では、遺訓・理念とは、言うならば、背骨のような物で、背骨自体がないと、長い時間立っていられないし、ひいてはベスト電器のように歪みを生じさせてしまうことにも繋がると。
それに、そもそも、背骨とはある程度、柔軟に曲がるからこそ背骨なのであって、曲がらないのは元々、健康な背骨ではないわけです。
つまり、背骨を持たない、「ただ儲けること」のみしか考えない企業は、これまでも平太郎独白録 : 理論と実践は車の両輪!などで申し上げてきましたように、一時的には成功しても、ライブドア然りで、好漢惜しむらくは兵法を識らずとなり、良いところまでは行くけど、どこかで行き詰まる・・・と思うのですが如何でしょうか・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-22 17:43 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

ベスト電器不正郵便に想う陽背骨は背骨の論理 その2
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

ベスト電器という会社は、実際の推移はともかく、一消費者としての認識では、私が中学生くらいの頃、確か、昭和50年頃ではなかったかと思うのですが、福岡市の中心地・天神に、電気関係の商品に特化した品揃えで売り出した会社でした。
まあ、今となっては、ビッグカメラヤマダ電機などに見られる、それほど、珍しくない形態でしょうが、当時はまだ、コンビニでさえ、ようやく芽を出し始めた頃で、日用品以外の買い物といえば、デパートが主流だった時代ですから、その発想はユニークで、言わば、家電量販店の先駆けであったでしょうか。
従って、「とりあえず、電気関係の物ならベスト電器に行こう」って感じで、それ以外の物は無いけど、こと、電気関係の物に限っては、品揃えは驚くほど豊富だったし、値段もしっかり安かったですからね。
その結果、家電量販店では全国一位のシェアを誇ることとなり、さらに、福岡本店の成功もあって、福岡市内のあちこちに店を構えるほどになった・・・と。
ただ、今回、初めて知りましたが、それらの多くはフランチャイズ方式だったんですね。
私はてっきり、直営店だとばかり思ってましたよ。

e0027240_1345465.jpg

それで、思い当たるのが、枝葉同士の不可解についてです。
まあ、色々言うときりがないんですが、一例を挙げれば、5年ほど前だったでしょうか、ベスト電器から、「全店共通大安売り」というDMが来たことがありました。
で、ビデオカメラを買おうと思い立ち、だったら、うちの近所の店ではなく、少し遠くにある品揃えが豊富な方の店に行こうという話になり、そちらの店に行ったのですが、行ってみると、DMに載ってた価格と違う・・・。
で、店員に「DMに載ってる価格と違うんですけど」と尋ねたところ、「は?何のことですか?」とのこと。
で、そのDMを見せて、「知らないんですか?全店共通って書いてあるでしょ」というと、店長が出てきて、「本当ですね。こんなのが出てたんですね」と言い、困惑の様子。
で、「このくらいの値引きだったら、載っている以上は対応しますが・・・」という歯切れの悪さで、一応、その金額にしてもらいましたが、まあ、元々、大安売りという割にはそれほど安くもなかったので、こちらもとしても、「そりゃ、それくらいは当たり前だろう」と内心、あきれ顔。
で、一応、それを購入し、ついでにDMに載ってたCDディスクも買って帰り・・・、レシートを見たら、CDの方はしっかり、DMと違う割高価格なんですよ。
・・・少額だったので、文句は言いませんでしたが、「何をやっとるんだ」と思いましたよ。

これが、たまたま・・・という話だったら良かったのですが、実は、こういうのが氷山の一角・・・でして。
他にも、この手の話が結構有り、それを繰り返しているうちに「ベスト電器はダメだ」ということになったわけで・・・。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-20 08:45 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

ベスト電器不正郵便に想う陽背骨は背骨の論理 その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1625582.jpg本日の福岡県地方は陽光うららかな春の陽射しが降り注ぎ、まさしく、春本番という感じです。

「見上げしは
  聳える甍(いらか)
    五月晴れ」 
       平太独白

ところで、昨日の昼下がり、最近、色々と助言を頂戴している先輩氏を訪れ、久々に、少し話し込んだのですが、その折、「創業者の遺訓」についての話になりました。
氏曰く、「そういう物があると、囚われすぎて硬直した対応しか出来ない人たちが出てくるので、あまり、明確に遺しすぎるのもどうかと思う」と。

で、私も、「同感です。毛利元就のように、後継者に対して『天下を競望すべからず』などという縛りを残すのは如何なものかと思う。住友の家訓、『浮利を追わず』というのは良いけど、だからといって、『一切、投資活動をするな』というのは無理がある」という旨を述べました。
如何に優秀な創業者といえども、百年先、千年先の時代の変化というものをすべて的確に予想できるというわけでもない以上、時代がいくら変わっても基本的に変わらない、つまり、抽象的な精神性の範囲に留めておくべきだと思うのです。
(「浮利を追わず」とは言いながらも、どういう場合が「浮利」に当たる・・・ということは述べていないわけで。)
遺訓とは、たとえ、どのような内容であったとしても、所詮は創業者が生きた時代を前提としているわけで・・・。

e0027240_11573893.jpgその上で申し述べたいのが、「心身障害者用低料第3種郵便物制度」を悪用し、約13億円差益を得ていた福岡市ベスト電器です。
ここは、以前から感じてましたが、逆に創業理念のような物がまったく感じられないんですよね。
ただ、漠然と営業してる・・・みたいな。
だから、かつての業界シェア1位でありながら、最近では、私が見ても「ダメだ、こりゃ」って感じになってましたからね。

今回の郵便不正事件も然りで、いくらダイレクトメール(DM)を安くあげたからって、その前に本質的なところへ目を向けなければ意味無いですよ。
DMさえ出せば、それに比例して、売り上げも上昇するとは限らないわけですし・・・。
実際、うちも以前はよくベスト電器からDMをもらってましたが、殆ど、見もせずにそのままごみ箱に捨ててましたよ。

来週へ続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-18 17:30 | 経済・マネジメント | Trackback(2) | Comments(0)

三原脩の昭和35年
 三原脩の昭和三十五年―「超二流」たちが放ったいちど限りの閃光という本をご存じでしょうか?
当時はドラフト制施行以前のことですから、人気と金がある巨人はいい選手をたくさん獲れ、ほぼ毎年優勝する状態で、大洋広島のような金も人気もない球団とではほとんどプロと学生野球くらい実力の差があったように思えます。

で、智将・三原 脩が大洋に来ると決めて最初にやったことは、当時の正捕手、土井 淳を呼び、彼が感じている問題点をに黙って聞き入ったことだったとか。
土井氏は負け続けるという状況になれきったベテラン選手たちの事なかれ主義を一番に批判したそうで、それは、三原監督就任発表とほぼ同時にベテラン選手たちの大量解雇という形になって具現化されたとか。
また、その前の年まで28連敗という今も破られないプロ野球記録をつくった権藤正利という投手には食生活の指導から、中継ぎという新ポジションを与え、降格と受け取らないよう先発もリリーフもという大車輪の活躍を要求し再生。
さらに、当時の野球にはなかった完全分業制を導入し、それに特化した超二流選手という言葉まで生み出すなど、次々に新戦略を次々と打ち出していき、今年は行けるか・・・と思わせた開幕試合の直前、相手チームの杉下茂コーチのノックバットがすっぽぬけてエース秋山 登投手の頭部を直撃し、重傷を負うというアクシデント・・・。
結果、チームはそのショックから開幕6連敗でのスタートになったそうです。

ここで三原監督は立て直しに取り組み、その結果、徐々に、チーム状態は上向き、首位戦線に顔を出すようになった・・・と。
こうなると、エース秋山はチームの大健闘に絶対安静の病院を脱走してまで、戦列に復帰し、完投勝利を挙げる・・・と。
これでチームは勢いに乗るも、さらに三原翁は、シーズン中盤での失速を見越し、チームに刺激を与えるべく、近鉄で干されていた鈴木 武遊撃手をトレードで獲得。
その後、曲折はありながらもリーグを制し、さらに、ミサイル打線を売り物にパ・リーグを圧倒的な力で制した大毎をも日本シリーズで4連勝のストレートで下し、日本一になってしまった・・・と。

その三原監督の闘争心の原点・・・。
それは戦後、戦争で弱体化した巨人を率い、見事優勝させるも、翌年、シベリアから帰ってきた水原 茂に監督の座を奪われ、閑職に追いやられたことでしょう。
三原は、単身、福岡へ下り、発足したばかりの西鉄ライオンズを育て上げ、昭和31年からと3年連続で水原巨人を完膚無きまでに破り、そして仕上げとして同リーグである大洋に移り、前年の最下位から一転日本一になったわけで・・・。
(前年最下位から翌年優勝というのは、昭和50年の広島、51年の巨人とありますが、日本一にまで成ったのはこの年の大洋だけだと記憶しております。)
大洋優勝と同時に水原翁は巨人の監督を辞任・・・。
その後、三原翁は一度も優勝しておりません。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-04-17 08:48 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

まんが道に見る苦しいときこそ人ありきの理 その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

ということで、若き藤子不二雄の二人が経験した上り坂と挫折に置いて、どういう人たちがどういう役割を果たしたかについて述べてきたわけですが、ここで思い出すのが、先日も述べました、せっかく、期待されていながらも開幕戦でいきなり骨折し、勝負師としては致命的なツキのなさを露呈した福岡ソフトバンクホークス松田宣浩選手です。
彼を見てると、元阪神の佐野仙好選手を思い出してしまう・・・などと申しましたが、それはあくまで、私の勝手な言い分であり、彼がこの後も活躍する可能性が無くなったと言ったわけではないわけで・・・。
事実、元阪神の大投手・村山 実さんが、初めて最多勝利投手の栄冠に輝いたのは昭和40年(1965年)、30歳の時のことですが、確か、その年は、開幕直前に投手生命の危機とも言える手首を骨折して、開幕から一ヶ月間くらいを棒に振ったんですよね。
しかし、休んでいる間に会得した新フォーク・ボールのおかげで、その年、出遅れたにもかかわらず、終わってみれば、25勝13敗、防御率1.96、205奪三振の成績で初の最多勝並びに最多奪三振に輝いたわけですから、人間万事塞翁が馬・・・で、何が幸いするかわからないわけで・・・。

つまり、選手生命を棒に振りかねない大怪我をしたって悲観する必要はないんですよね。
この間に、為すべき事を為し、出来ることをやる・・・、平たく言えば、身体が動かせないのなら、ビデオを見るとか、本を読むとか不眠不休ででも大いに勉強しろってことでしょうか。
それが、その後、飛躍か、それとも運がない男として、歴史の合間に埋没していくかの境目となるようにも思えます。
その意味では、こういうときに大事なのは、敵味方に限らず、何らかの刺激を与えてくれる「人」との関わりであり、要は彼らがこれまでそれを築いきたか・・・ということでしょうか。

私も、経済的苦境にあった際には、思いもかけず、多くの人から親身な助言を頂戴致しました。
本当に、最近では、「人切り平太郎」などと言われるくらい、人との付き合いを断ってきましたから、まだ、私如き者の力になってくれる物好きな人がこんなにいたんだな・・・ということには、改めて深謝の意を表すると同時に、新鮮な驚きを持ちましたね。

ちなみに、不眠不休という言葉で思い出しましたが、「まんが道」の中で、藤子不二雄のどちらかが、当時、漫画界をリードしていた先達・手塚治虫の仕事を手伝いに行く・・・という場面がありました。
彼は、そこで、漫画家というものの修羅の姿を見せつけられるわけです。
すなわち、当時、売れっ子の手塚はあちこちの出版社から引っ張りだこで、休みどころか、連日連夜、不眠不休でマンガを書き続ける凄まじい生活を送っており、その手塚の背中を見て、駆け出し中の藤子不二雄や石森章太郎、赤塚不二雄などが漫画家になるということの覚悟を学んだ・・・と。
まるで胃潰瘍になってまでWBC日本代表を引っ張り続けたイチローの背中を思い出しましたね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-15 08:18 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

まんが道に見る苦しいときこそ人ありきの理 その2
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1423694.jpg今日の福岡県地方は久々の雨・・・。
ここのところ、からからに乾いてましたから、草木にとっても、良いお湿りになったでしょうか。
気温も多少、涼しいようですので、今日はこのときとばかり、冬物を着てきました(笑)。

(←建築中の新博多駅画像。随分、形になってます。)

で、先日の続きです。

明らかに自己の処理能力を超える仕事を受注した藤子不二雄の二人でしたが、このとき、二人は2ヶ月間、ほぼ不眠不休のスケジュールを組んで取りかかるものの、一つめの原稿を仕上げて提出したところで、思いもよらない「書き直し」を命じられてしまう・・・。
すでに、一杯一杯でスケジュールを組んでいる二人には、新たに65ページもの書き直しに応ずる余力はなく、途方に暮れる・・・。
そんな二人の前に現れたのが順風満帆な二人を一方的にライバル視する苦労人の漫画家・つのだじろう・・・。
彼が、デビューまでの一年間、ひたすらに37回もの書き直しを命じられたことを知り、「あいつに出来たんなら、俺たちに出来ないわけがない」と、ふたりは、むっくりと起きあがって机に向かい始める・・・と。
その意味では、この少し前に同じトキワ荘の住人になった天才・石森章太郎、奇才・赤塚不二雄なども含め、彼らの周りには良いも悪いも刺激を受けるには困らない「人」がたくさん居たということでしょうね。

結局、若さという物はすべての難関をも凌駕することが出来るようで、この後、二人は2ヶ月間、ほぼ不眠不休ですべての原稿を仕上げ、大いに名を挙げ、以後、6本の連載を抱える身となる。
ところが、大仕事をこなした気の緩みから、翌年の正月、上京以来、初めて帰省したところ、実家の居心地の良さにさらに気が緩み、無為に日を送ってしまううちに、まったくノルマの原稿をこなすことが出来ず、慌てて机に向かいだしたものの、焦りから、殆ど書くことが出来ず、ついに〆切に間に合わせることが出来ないという大チョンボを犯してしまう・・・。
これは、漫画家としては致命的なことだったらしく、二人は一時は廃業も考えたとか。
結局、このときには、神様・手塚治虫の意を汲んだトキワ荘の兄貴分・寺田ヒロオが富山まで迎えに来て、二人を励まし、再び上京するも、以後、1年間、出版社から干される失意を味わう・・・と。
つのだじろう・石森章太郎・赤塚不二雄などが刺激を受ける同輩だとすれば、手塚治虫、寺田ヒロオという人たちは慈父の如き存在だったと言えるでしょうか。
まあ、要はそれだけ、彼らの周りには人が居た・・・ということでしょう。

明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-14 08:16 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

まんが道に見る苦しいときこそ人ありきの理 その1
親愛なるアッティクスへ

昭和61年(1986年)にNHKで放送されていた「まんが道」というドラマをご存じでしょうか?
当方、ここ最近、経済的には少しばかり>頭が痛い日が続いていたこともあり、気晴らし程度に見るとも無しに見たのですが、その中の一場面に少々、感じ入る物がありました。

このドラマは、漫画家の藤子不二雄氏の青春時代を描いた自伝作品で、元々、マンガで連載されていたのですが、子供向けの「ドラえもん」などとは違い、どちらかというと、「笑ゥせぇるすまん」系の劇画タッチの作品でして、私の当時の印象では「暗い」、「重い」・・・という感じで、当時はあまり、進んで見ることはありませんでしたね。
ところが、それから何年かして、ドラマで、当時、人気だった竹本孝之、長江健次の二人が演じているものを目にしたのですが、そこに描かれていた二人の姿は、劇画の中の深刻なものなどではなく、まじめ実直で、いささかもすれていない素朴な若者のひたむきな姿でして・・・、それとはかけ離れた軽薄な自分の姿と重ね合わせ、「あ、マジメってのも悪くはないな」・・・と思わされました。

ただ、当時はまだ、ビデオがやっと出回り始めた・・・くらいの時代ですから、リアルタイムで見なければ見ることが出来ず、従って、裏番組を見ていたか何かの理由であまり、この番組は見てなかった記憶があります。
それが、たまたま、ケーブルテレビでやっているのを知って、「昔、見れなかったからな・・・」という意識と、良い番組なので子供たちにも見せてやりたい・・・という気持ちから視聴したのですが、哀しいことに家族は誰一人、このドラマに興味を示しませんでしたね(涙)。
で、その中で、私が印象に残った・・・、いや、励まされた・・・のが、漫画家としてデビューして、その後も順調に歩みを重ねていた若き藤子不二雄の両氏が一転、苦況に追い込まれる部分でした。

要旨のみ簡単に触れておきますと、初めての8ページの連載をもらい、喜ぶ二人の前に、65ページ、しかも、初めてのカラーという依頼が来る。
少しきついな・・・と思いつつも、それを引き受けた二人の前に、別の出版社からさらに62ページの仕事の依頼があり、迷った末にこれを引き受け、さらに、そこへ普段、お世話になっている出版社の方から「助けてくれ」という仕事の依頼が来てそれも断れない・・・と。
当時は今と違って、すべて手書きですし、別に原作者がいるわけでもないわけですから、ストーリーも自分たちで考えながら進めなければならないわけで・・・。

まあ、この辺は彼らに限らず、創業間もない企業にも良く見られることで、「少しきついがせっかくのチャンスだ!」と実力以上の過剰受注をしてしまう・・・と。
(あるいは、大きな損失を出してしまったときに、一発逆転起死回生を狙って、大きな仕事を受ける・・・などというのもこれに当たるでしょうか。)
気持ちは、わからないではないんですよね。
ただ、こういうときに限って、往々にして事故が起こるもので・・・。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-04-13 06:56 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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