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自然淘汰容認論
親愛なるアッティクスへ

e0027240_16403049.jpg本日も二日酔いです。
今年になって、本当に二日酔いが酷くなりました。
従って、本日の私の脳みそはこういう状態(←)です(笑)。
寄る年波には勝てないということなんでしょうねぇ。

ところで、先日、床屋に行った際に、弘兼憲史氏の漫画、「課長 島耕作」の常務版「常務 島耕作」という物を読んでいたら、その中に、介護用ロボットを作ることを提案された技術担当常務なる人のセリフとして以下のようなものが出ていました。
なかなか、興味深い話であり、また、死生観についても私の考えを一番、的確に顕しており、以下に添付してみたいと思います。

ちなみに、可能な限り、原文をその場で極めて忠実に書き写して来ました。
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「おそらく、これから地球はどんどん人口が増えるでしょう。今は65億ですが、そのうち、100億200億という数字になります。そうすると、深刻な食糧難が到来します。
地球が食物を生産するキャパシティは決まっているので、人間は一日3食とる時代から、2食文化移行します。人体の機能からして、一日1食でもおそらく大丈夫でしょう。
ただ、そのまえに増えすぎた人口を人間の手で抑えこんでいく時代が必ずきます。
(中略)
昔は疫病戦争で地球の人口は自然淘汰された・・・。
それがいいことだとは決して思いませんが、不治の病が存在するということや人が殺し合う感情を持つというのはが地球を存続させるための手段であるという考え方もあります。
しかし、今は人の力で病も治せるし、人間の叡智から戦争も回避するようになった。未来は更にこの傾向が強まっていくでしょう。」
------------------------------------

で、まず、前半部分に関して言えば、私は2食文化や一日1食時代が来ることはないと思います。
人間の叡智がそれを解決する・・・ということではなく、単に餓死者が増えるだけのことになるからです。
現在だって、富の偏在ということは世界に厳然として存在しているわけですから、食料の絶対量が不足し始めたら、食料は高い値段を付けてくれる人の所に集まるわけで・・・。
人間という生き物が他者と分け合って自分の食料を減らすとは到底、思えませんよ。

で、私の死生観を一番端的に言い表しているのが後半部分なのですが、私の死生観という物は多分に老子の思想に近く、「何が一番自然なのか?」ということがあります。
ただ、ここで誤解していただきたくないのは、このセリフの持ち主も、「それがいいことだとは決して思いませんが」と前置きしているように、人が殺し合うことや疫病や災害などを決して歓迎するものではないということです。
しかし、ヒューマニズム同情心によって、必要以上に救うことにはあまり賛成できないというのが私の考えです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-27 18:37 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

昔、男在りけり・・・、桜吹雪の天才打者・大下弘 その1
親愛なるアッティクスへ

福岡のRKBというローカル局で、深夜、「吉岡忍と見る RKBテレビ50選」という番組の中で昭和59年(1984年)制作の「むかし男ありけり」という番組と、平成元年(1989年)制作の「桜吹雪のホームラン~証言・天才打者 大下 弘~」というのがありました。
前者の方は、女優・壇 ふみさんの父で「火宅の人」で知られる直木賞作家・壇 一雄氏のドキュメンタリーで、それを、あの大俳優・高倉 健さんがなぞっていく・・・というものでした。
(当時の壇ふみさんもインタビューで出てましたが・・・、むちゃくちゃ綺麗でしたね。)
言うまでもなく、「昔男在りけり」とは伊勢物語の一節ですが、このドキュメンタリーの場合、壇 一雄という人の破天荒な生き方もあり、「昔、あるところに一人の男が居ました」という意味と同時に、「昔は本物の男がいた!」的なニュアンスも盛り込まれていたように感じます。

一方、後者は戦後、プロ野球の再開とともに颯爽とデビューし、西鉄ライオンズ時代の監督、三原 脩をして、「日本のプロ野球から打撃の達人を5人選ぶなら、川上哲治・大下 弘・中西 太・長嶋茂雄・王 貞治。このうち、天才3人と言われれば、大下・長嶋・中西。しかし、1人だけと言われたなら大下だ・・・」と言わしめた天才打者、大下 弘氏を描いた作品でしたが、私の感想を言えば、「昔、男在りけり」という言葉は、むしろ、この人にこそ相応しかったのではないか・・・と。
日本でもっとも遠くに打球を飛ばしたのは、西鉄ライオンズ時代の後輩・中西 太さんということになってますが、(私は元大洋のスチュアートの一発ではなかったかと思ってました。)同番組を見る限りでは、この大下さんだったということに疑いはないように感じましたね。
(目撃証言とはいえ、あそこまで明確に落下地点がわかっている以上、また、それがを裏付ける証言も多数あるわけで、加えて当時のボールの粗悪さを考えれば・・・。)

大下 弘という人は、大正11年(1922年)、花街に生まれたと聞いています。
複雑な生い立ちだったようで、母の手ひとつで育てられ、父親については後年まで語りたがらなかったとか。
台湾の高雄商業高校時代に野球の素質を認められ、明治大学に進学後、招集を受け、学徒出陣・・・。
復員後、敗戦の年の11月に行われたプロ野球東西対抗戦で華々しいデビューを飾り、翌昭和21年には20本塁打を放ち本塁打王。
その後、東急、急映などを経て、西鉄ライオンズに移籍し、中心打者として西鉄黄金時代に貢献するも、昭和34年(1959年)、現役引退。
昭和43年(1968年)、東映の監督に就任するも成績は振るわず、シーズン途中で辞任。
昭和54年(1979年)、脳血栓の療養中に睡眠薬自殺により56歳で逝去・・・。

同番組のコメントでは、「無類の浪費家人情に厚く、感激家ナルシスト、そして大の遊び好き」とありますが、彼を語るには当然、それだけでは足りないでしょう。

長くなりましたので、また、次回へ続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-26 18:25 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

ワールド・ベースボール・クラシック正式メンバー選出
親愛なるアッティクスへ

昨年から、動植物園、市民の森、運動公園など、福岡市が運営する屋外型施設を全部廻れば景品プレゼント・・・というスタンプラリーがあっており、一年近く掛けて、ようやく、すべて行ってきました。
景品と言っても、どうせ粗品程度だろう・・・と思い、さして、期待してなかったのですが、思っていたより良かったですね。

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本当は先日の福岡市動植物園で終わり・・・の予定だったのですが、よく見ると、動植物園はスタンプ押印のみで景品交換場所となっておらず、やむなく、日を改めてここ(↑)へ行ってきましたよ。
日頃の不摂生で息も絶え絶えの私は、木漏れ日の中に霞む我が子の姿が遠くに感じました(笑)。

さて、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表、いわゆる、サムライ・ジャパンですが、正式メンバー28人が決まりましたね。
(正式発表は25日の午前中に行われ、現段階では、あくまで、24、25日に行われるオーストラリアとの強化試合で大阪に遠征するメンバーが選出された・・・ということだそうですが、事実上はこれが最終メンバーになるのだとか。)

で、落選した岸、細川(西武)、和田、松中(ソフトバンク)、栗原(広島)の5人ですが、実力的、また、戦力的には「これでいいのか?」という気がしないでもないものの、まあ、これは仕方ないな・・・とは思いますね。
だって、シーズンの開幕前に他球団の選手を預かるわけですから、チームを率いる原 辰徳監督からすれば、やはり、気を遣うと思いますよ。
昔、V9巨人時代の川上哲治監督がオールスターの監督を務めたとき、当時、全盛の阪神・江夏 豊投手を投げさせたところ、「川上はシーズン後半戦を有利に運ぶために大敵・江夏をオールスターで酷使して潰そうとしている」と言われ、川上氏がうんざりして、翌年のオールスターでは9人の投手を平等に1回ずつ投げさせた・・・ということがありましたが、ある意味、これと同じ感覚なのでしょう。
やはり、預かる選手たちは自軍の主力であると同時に、シーズンに入ればなんですよね。

前回、王 貞治監督(当時)も、戦力的なことを考えれば、やはり、その年、圧倒的な力で日本一になった千葉ロッテ選出のメンバーたちを中心に使わざるを得なかったのでしょうが、そのロッテに前年のプレーオフで苦杯を喫していたのが王さんが率いていた福岡ソフトバンクホークスだったわけで・・・。
つまり、王さんからしたら、目の上のたんこぶというか、最大の敵であるロッテの選手でWBCメンバーだった選手たちが軒並み、シーズンに入って振るわなかったのは、如何にも川上さん的なようで王さんも困ったでしょうね。
(つまり、王は優勝するためにWBCでロッテの選手を潰した・・・と言われているようで。あの王さんだったから、まだ、そういう批判は沸き起こらなかったのでしょうが・・・。)
だから、帰国後に活躍されすぎるのも困るものの、あまり、活躍しないのも、これまた気を遣うわけで、特にライバルチームの主力選手には間違っても怪我なんかさせられませんよ。
そう考えれば、原監督としても使い勝手が良い自分の所の選手、つまり、巨人中心の構成に成らざるを得ず、
特に、故障持ちの選手は連れて行けませんよ。

そうなると、かねてより故障持ちの松中信彦選手は外さざるを得ず、和田内海かと言われれば内海で、細川阿部かと言われれば阿部なんだろうな・・・と。
この点は、逆に、前回監督の王さんだったら和田を選んだろうし、日本一になった渡辺久信西武監督が代表監督であれば細川を選んだだろう・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-24 08:43 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

巨匠のコトバは2人だけ その4 30歳成人論
前回の続きです。

ある年、たまたま乗っていたタクシーの中で、成人式の光景を目にした34歳矢沢永吉さんは、運転手さんに「良い天気ですね。絶好の成人式日和ですね」と話しかけ、さらに、「さて、この中の何人の人が幸せになれるんでしょうね?」と問いかけた・・・と。
運転手氏は「さあ、考えたこともありません」と絶句する。
なぜ、そんなことを言ったか・・・と。
ヤザワ曰く、「20歳の時は一番良い頃。20歳の頃は何でも出来るような気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きできそうな気がする」・・・と。

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続けて曰く、「でも、ここから向こう10年間ではっきり差が付きますよ。やったやつとやらないやつの」と言い、再び、何とも言えないシニカルな笑みを浮かべて、「さて、何人の人が幸せになれるんでしょう。たくさんなれればいいね・・・」と。
「20歳からの10年間・・・」、これこそは、まさしく、私が以前から平太郎独白録 : 若き日の矢沢永吉に思う草千里と川島雄三的我が身。などで言っている30歳成人論そのものではないですか。
すなわち、「日本では20歳で成人式をやるが、それは徴兵制度の名残であり、現代日本に置ける現実の成人は30歳である。自分自身を振り返ってみても然り。ただし、その意味では、20代というのはそのための滑走路であり、従って、30歳になったときには、いつでも離陸できるような態勢になっておかなければならない」と・・・。
(たまたま、このときも矢沢さんのことを持ち出して、この話をしていたというのも、我ながら奇遇だなと・・・。)

ちなみに、矢沢さんは私より、ちょうど、ひと回り上ですから、当時、私は22歳・・・。
おそらく、大学を卒業したかしないかくらいで、まだそれなりにツッパッて(死語?)ましたね(笑)。
ただ、そうなると、矢沢さんがこの成人式を目撃されたのがいつのことだったのかは知るよしもありませんが、この1~2年前だとすれば、ちょうど私が成人式を迎えた年であり、まあ、このエピソード自体は、おそらく、東京での話でしょうから、直接、その場に私が居たわけではないでしょうが、少なくとも、矢沢さんが見た成人式の若者というのは、世代的にはまさしく私の世代であり、そう考えれば、私は「30歳成人論」などと偉そうなことを言う側ではなく、言われる側だったんですね。
嗚呼、何とも汗顔の至り・・・です。
(ちなみに、アニメーションの宮﨑 駿監督は、「60代はまだ何でもやれる年齢と言われる」と仰ってました(笑)。)

ただ、この34歳の挑戦的な目をした若造が、何とも言えぬシニカルな笑みを浮かべ、「たくさん、幸せになれればいいね」と語る姿は、他の巨匠と呼ばれる人たちのまったく心に残らないコトバと違い、とても印象に残ったのは事実でしたね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-02-23 08:16 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

理論が先か実践が先か
以前、平太郎独白録 ライブドア堀江社長に想うマキャベリと「好漢惜しむらくは兵法を識らず」を書いていて改めて思ったことがあります。
「果たして、理論家のTOPの下に実践派の補佐役が付いた方がいいのか、それとも、実践派のTOPを補佐する形で理論派の参謀が付いた方がいいのか」・・・と。
すなわち、智将の下に猛将が付くべきなのか、猛将の下に智将が付くべきなのか・・・と。
これは、実は、結構、以前から考えていたことで、特に、学生時代、三国志を読んでいて強く思ったことなのですが、これは、ある意味、理論が先か、実践が先か・・・といっていいかとも思います。

となれば、これまでも平太郎独白録 : 理論と実践は車の両輪!などで申し上げてきました、「理論と実践とはどちらが欠けてもいけない車の両輪」・・・という自説に照らせば、もちろん、両方、優秀な人であるのが一番、理想なのでしょうが、それは現実社会では必ずしも実際的ではあありません。
(かつて、兵法評論家にして私が師と仰ぐ、大橋武夫氏は三国志に関する著書の中で、「曹操は百万の大軍の総司令官であり、諸葛亮は百万の大軍の参謀総長であった」と述べられたことがありましたが、同時に、「この二人が組むことが一番、理想形だったろうが、曹操では諸葛亮の保護本能をくすぐることがなかったであろうから、この組み合わせは難しかったであろう」ということを述べておられました。諸葛亮が推戴した劉備は決して、切れ者ではなかったが、人徳と決断力だけは持っていた人物で、それが言うならば、劉備という男の「可愛げ」・・・であったろうと。誰かが言ってましたが、これこそ、「無用の用ならぬ無能の能」であろうと。)

その意味では、理想的・・・、あるいは、ベストという形はおそらく、存在しないのでしょうが、敢えて、ベターという視点で言えば、私的には、「智将を補佐する形で勇猛な部将が付いた方が良い」ように思います。
敢えて、政治感覚のみの人と、勇猛なだけの人に極論すればわかりやすいかと思いますが、その点で、好例となるのが、源頼朝義経、石田三成島左近、アウグストゥスアグリッパのような関係でしょうか?
一見、決断力に富む軍事的能力が高い人がトップに立ち、政治的能力の高い人が細部を詰めていった方がいいようにも思いますが、この場合、勇猛なだけの人に判断能力があればいいのですが、判断が付きかねる場合、また、こういう人ほど得てして妙な猜疑心を持ったりするもので、そうなると、やはり、誤った判断を下しかねないように思えます。
項羽范増の関係がその典型でしょうか。
項羽は范増の献策を活かすことなく、逆に敵の計略にひっかかり、范増を殺してしまうことにも成りかねないからです。
(史書はそう伝えてないみたいですが)
となれば、智将の下に勇猛な部将が付いた方が弊害が少ないと思うのですが、如何でしょうか?
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-02-21 08:59 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

巨匠のコトバは2人だけ その3 人はある日突然年を取る
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12125266.jpg私、最近、思っていることがあります。
それが、人は徐々に徐々に年を取っていくのではなく、「人はある日突然年を取る」ものだということです・・・。

で、先日からの続きです。
手塚治虫氏と並んで印象的だったもう一人の巨匠ですが、それが当時34歳矢沢永吉さんでした。
でも、この若輩者のそれは、武者小路実篤川端康成、三島由紀夫、黒澤明などの登場者の誰よりも印象的で、そして、挑戦的でした・・・。

(←最近、これ、愛飲してます。)

ある年の成人の日に、タクシーで移動中だった矢沢さんはたまたま、ある成人式会場の前で信号待ちで停車したところ、ちょうど式典が終わったところだったらしく、中からスーツ姿晴れ着に身を包んだ若者がぞろぞろとあふれ出てきた・・・と。
それを見て矢沢さんは、運転手氏におもむろに話しかける・・・。

「運転手さん、今日は良い天気ですねぇ」
「そうですねぇ」
「今日は成人式にはもってこいの天気ですねぇ」
「本当にもってこいの天気ですねぇ」。
ここで、矢沢さんは、にっこりと微笑んで、「さて、運転手さん、この中で何人の人幸せになれるんでしょうね?」・・・と。
運転手氏、しばし、沈黙した後、「さあ、どうなんでしょうねぇ、考えたこともありませんでした」・・・と。
矢沢曰く、「20歳の時は一番良い頃。20歳の頃は何でも出来るような気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きできそうな気がする」と。

・・・20代、30代の頃は私も周囲の友人も皆、確かに、そんな感じでしたねぇ。
以前、ある大学生に「君、自分が何歳まで生きるつもりでいるの?」と聞いたところ、しばらく沈黙した後、「さあ、考えたこともありませんでした・・・」と答えましたが、そうなんだろうと思うんですよ。
私もそうでしたから。
でも、人はある日突然、年を取る・・・、正確には、現実の年齢を見せつけられるんですよ。
私がそう感じたのは45歳の時でしたね。
仲が良い先輩に、「私、45歳になってしまいましたよ」と言うと、その方が、「俺は47だよ」と言われ、続けて、「来年は48になるよ。48になったら、もう、50だよ」と言われたとき、初めて、自分の目の前に「え!この人が50?ていうことは俺も50?!」と・・。
突然、現実を突きつけられたようで愕然としました。
頭ではわかっていても、まだ、30代くらいのつもりでいたんですが、50となるとさすがに・・・。
でも、これは何も私だけに限ったことではなく、別の人は、大病したときにそれを感じたと言い、ある方は厄入りの神事をしたときにそれを感じたといいます。
明日は我が身ですぜ、御同輩・・・。

矢沢さんの話はここで終わったわけではなく、ここからが本題ですので、もう一回くらい続くと思います・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-20 08:12 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

プロ野球オープン戦は地方球場でやるべしの理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1234516.jpg本日も激二日酔いです。
間違いなく、今年に入ってから二日酔いが酷くなってますね。
体力低下はごまかせないようです。

で、オープン戦ですが、昔は南九州高知県などのキャンプ地から、徐々に徐々に北上しながら転戦を繰り返していき、春になった頃に大都市にある本拠地で公式戦開幕・・・という段取りになっていたように記憶しているのですが、最近ではドーム球場が増えたこともあり、キャンプ地からいきなり、それぞれのホームグランドでオープン戦・・・となることが多いようです。
で、このオープン戦ですが、私は昔からあまり見に行ったことがありません。

以前も言ったかもしれませんが練習試合で客から金とろうなんてことに、少し、釈然としないものを感じるんですよ。
ただ、元々、平和台球場時代は、オープン戦は九州や中国四国地方などで開催されることが多く、本拠地開催は少なかったので、それほど気にならなかったのですが、今ではキャンプ打ち上げ直後から福岡ドームであります。
でも、私的には、やはり、オープン戦は普段、プロ野球が来ないところでこそ開催するべきだと思うのです。
それは、単に移動経費の節約・・・などということではなく、(試合はこちら側でばかり組まれるわけでもありませんから、相手側ホームグランドでのオープン戦となると、とんでもないところへ行って、戻ってきて試合・・・ということもあり、移動経費的には必ずしも、節約になっていたわけではないでしょう。)、プロ野球人気、すなわちファン層の裾野拡大・・・のための顔見世興行という効果もあるからです。
つまり、地方巡業ですね。
調整上、暖かいところでやらなければならないなら、西日本や東海地方の地方球場で無理がない範囲でやればいいわけで。

昔、ジャイアント馬場さんたちは日本中を廻って、小さな田舎町でもプロレス興業をやったといいます。
(私も子供の頃、そういうポスターが貼ってあるのを見た記憶がありますし、通学途中で、馬場さんを始め、猪木、坂口などの選手がバスから降りてくるのを見た記憶がありますよ。)
でも、有名人が見られるなんて、その地方ではないことだから、いつも満員御礼状態だったとか。
それほど人口が多くない地方都市は逆に娯楽に飢えているわけで、客が入らないことを嘆いているプロスポーツはこういところで興行することを考えるべきではないでしょうか。

ついでにいえば、福岡ソフトバンクホークスの2軍のホームグランドは現在、福岡市東区雁の巣・・・という博多湾に突き出た半島の入り口の結構、不便なところにありますが、こんなところに置かずに、久留米辺りに置けよ・・・と。
で、名前も久留米ソフトバンクOOOOズにして、もっと、2軍自体に「おらがチーム」としての愛着を持ってもらえよ・・・と。

嗚呼、これ以上は脳細胞が言うことを聞きません。
                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-19 08:23 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

天下を束ねる者の重圧と麻生総理の蹉跌の根本
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1346369.jpg中川昭一財務兼金融大臣、辞めちゃいましたね。
こういうことが起きるのも政権が末期症状であることの証なんでしょう。
思わず、赤城徳彦農水相(当時)の絆創膏オーバーラップさせてしました。
(←あそぅたろぉです。似てませんか?)

麻生太郎総理も昔は、「俺が総理になるのは日本国の非常時だけだ!」なんて言ってたんですから、もう少し、しっかりして欲しいな・・・と思いますよ。
ヒラリー・クリントン国務長官が初の外遊先として日本に来てるんですから、やっぱり、そっちより目立っちゃまずいでしょう。
まあ、いずれにしても麻生政権は神風でも吹かない限り、もはや時間の問題でしょうね。
ただ、辞めたら辞めたでまた、「投げ出した」と言われるし、辞めないと辞めないで「迷惑」と言われる・・・。
難しいところでしょうねぇ。

e0027240_1305381.jpg思えば、安倍、福田、麻生と、いずれも期待を担って登場しながらも、期待はずれに終わったというのは、逆に言えば、それほど、総理という職責に対する重圧は強いということでもあるのでしょう。
去年、篤姫様も仰っていたではありませんか。
大奥三千人を束ねるだけでも至難であるのに、ましてや天下を束ねる征夷大将軍様ともなれば、どれほどの重圧だったか」・・・と。

(←くどいようですが、あそぅたろぅです(笑)。口の所はたまたま引っ込んでたんですが、思わず、「あ!似てる!」と。でも、画像にするとそれほど似てないかな・・・という気も。角度が悪かったんでしょうか。)

まあ、この人の過ちは、ひとえに選挙をやらなかったことでしょう。
この辺は、以前から平太郎独白録 : 麻生内閣に求められる負けるが勝ちの戦略で申し上げていたとおり、いずれにしても遠からず選挙をやらなければならない以上、勝ったとしても参議院の野党優位は続くわけで、その意味では勝てば勝ったで良し、負けても就任して間もない彼の責任はそれほど問われることはなかったでしょうから、そうなれば、彼の祖父、吉田 茂元総理がそうだったように、総選挙で大敗後は、潔く首班の座を明け渡し、その後、野党の失策を待ち、再び、政権に返り咲くことを考えるべきだったでしょう。
(おそらく、その方が結果的には近道だったように思います。)

昔、河野一郎という人が「猿は木から落ちても猿だが政治家は選挙に落ちればただの人だ」と言ったことがありましたが、それにしても、皆、選挙のことばかり考えすぎのような気がするんですけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-18 08:49 | 政治 | Trackback(1) | Comments(6)

巨匠のコトバは2人だけ その2 批判は良いが非難が困る
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

私は、ネットについて言えば、今の無法地帯の現状というのは絶対に「良くない」と思っています。
(どうせ匿名通りすがりだから・・・と思うから、普通の人にも異常な書き込みさせてしまうわけで・・・。過日、お笑い芸人のブログに「殺す」と書き込んで逮捕された女性は、「まさかこんなことになるなんて」と言っていたといいますが、これなどはその典型でしょう。もし、自分の本名を名乗っての書き込みであれば、果たして、安易に「殺す」などと書いたかどうか・・・。)

で、その上で、漫画界の神様・手塚治虫氏にはもの凄いバッシングがあったという話をしましたが、同様のことは映画界の神様・黒澤 明氏も言ってたのを思い出しました。
クロサワ映画の傑作、用心棒椿三十郎などは当時は、「あんなくだらない物を撮るなんてけしからん!」と随分、叩かれんだとか・・・。
氏も、「あれ撮ったら撮ったでけしからん、これ撮ったら撮ったでけしからん。どうすればいいんだと思ったよ」・・・と。
この辺は私も一度、経験があるんで何となくわかるんですよ。
ただ、そういうと、「一切の批判を封じようというのは良くない」などと言われる方がいらっしゃるんですが、それは違うんですよね。
つまり、批判は良いんだけど非難が困るんですよ。

そう考えれば、ネットでの誹謗中傷の類が問題になっているものの、こういうのも、何もネットになったから急に出てきた・・・という問題でもなく、知られてないだけで、多かれ少なかれ、大家と呼ばれるような人たちには、色々とあったんでしょうね。
その意味では、ネットにはもう少し規制を掛けるべきだと思っているんですが、でも、生前の手塚氏にこういう非難の投書が殺到していたということを考えれば、単純にネットを規制すればいいという問題だけでもないのかなと思わないでもありません。
手段がネットか手紙かというだけで・・・。

で、手塚氏は、これらの非難に対し、「何を言ってやがる!」という想いがわき起こると言った上で、「マンガというのはハングリー・アートと言われるように、叩かれ叩かれ、そして自分はこういう物こそ描きたいんだとい思って良い物が描ける。それを左右するのは自分の負けじ魂というかバイタリティというかガッツだと思う。そういうものが今のマンガ家にはないというのは批判の欠如だと思う。正当な批判をマンガにも、どうぞ、私にもして欲しい」と言い、結んでおられました。

「叩かれ叩かれ、それに反発してこそ良い物が描ける」・・・、穏和を絵に描いたような手塚氏の意外な一面を見たような気がしましたが、確かに、それこそが、クリエーターというものにとって必要な、そして見逃せない資質の一つなのかもしれませんね。

明日に続く・・・と思いますが予定は未定です(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-16 18:32 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

初体験!モンゴル料理と馬乳酒で馬頭琴を聴く
親愛なるアッティクスへ

一昨日は黄砂、昨日は小春日和・・・と思っていたら、何と本日の福岡県地方はもう、春一番が吹いています。

e0027240_114429.jpgで、最近、うちの近所に「モンゴルの城」というモンゴル料理の店が出来ており、珍し物好きの私は居ても立っていられず、昨夜は早速、取引先の方を誘って行ってきました。
(←合間で馬頭琴という楽器の弾き語りをやってくれましたが、なぜか、私は「荒城の月が似合いそうな音色だな・・・」と思っていたところ、以心伝心、「次は荒城の月をやります」・・・と。思わず、「やっぱり」と(笑)。)
で、私も、モンゴル料理というのは初めて食しましたが、日本人の口に合うように工夫されているのか、私的にはなかなか、美味しかったですよ。
意外に野菜が豊富だったのですが、でも、モンゴルって砂漠の国でしょ?
野菜なんて獲れるの?って気もするんですけどね(笑)。

ちなみに、店舗はいわゆるモンゴルの移動式テントであるゲルというやつで、思わず、昨年行ったモンゴル村を思い出しましたが、取引先の方にその旨を言ったら、「じゃあ、モンゴル村に行ってゲルに泊まったんならモンゴル料理食べてるんじゃないですか」と・・・。
その折は普通の居酒屋メニューしかありませんで、でも、よく考えたら、確かにモンゴル村なんだからモンゴル料理出せよ・・・と(笑)。
昨日は平日だったし、割と空いてましたが、ここも、九州場所の時は相撲取りタニマチで一杯になるんでしょうねぇ。

で、初めて、ミルク入りお茶と、いわゆる馬乳酒というやつを飲んできました。
馬乳酒は、感想から言えば、どぶろくを薄めて飲みやすくしたような感じで、「あ、これは悪酔いするな・・・」と。
他にも、モンゴル酒と何とか酒があり、度数がそれぞれ、15度、25度、36度、48度とあり、一応、飲み放題だったので、すべて試したのですが、ちょうど良い感じで酔っちゃいまして、お陰様で記憶を無くすこともなく、二次会に行くこともなく、そのまま、帰宅しました(笑)。

ところで、奇遇と言えば奇遇なのですが、その前日、たまたま、息子が勉強しているところを覗き込んだところ、歴史の教科書で元寇のところを開いていました。
あれって今は「元寇は九州に押し寄せただけではない」という記述になってるんですね。
曰く、「元寇は博多湾に襲来したことが有名だが、実際には、三方向からの侵攻があっており、樺太(サハリン)方面から押し寄せてアイヌ人と戦闘になっており、琉球(沖縄)にも攻めてきた」というような内容のことが書いてありました。
・・・こんなの私も初めて知りましたよ。
もし、樺太方面から蝦夷地(北海道)を経由して攻め込んできていたら、鎌倉幕府はそれが元の侵略なのか、蝦夷の叛乱なのかを把握することも出来ず、事態を把握したときには突然、目の前に敵軍が降って湧いたような観があったでしょうね。
もっとも、少数のアイヌ人と揉めただけであっさり撤退していることを考えれば、元側も「そっちから行けないか?」程度の物だったんでしょうけどね。
それに、樺太にしても琉球にしても、そこに上陸したからといって、そのまま、陸続きでもないし、簡単に進撃はできなかったでしょうが。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-13 08:43 | 歴史 | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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