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祝!弱った年男の1000本安打達成記念号!
親愛なるアッティクスへ

人生無根帯 飄如陌上塵 (人間根もなく蔕もない 道にさまよう塵芥)

分散逐風転 此已非常身 (時の流れに身を任すだけ 所詮この身は常成らず)

落地為兄弟 何必骨肉親 (同じこの世に生まれりゃ兄弟 縁は親より深いのだ)

得歓当作楽 斗酒聚比鄰 (嬉しいときには歓んで 友達集めて飲もうじゃないか)

盛年不重来 一日難再晨 (若いときは二度とは来ない 朝が一日二度ないように)

及時当勉励 歳月不待人 (生きてるうちが花ではないか 歳月人を待たないぜ)

                            (陶淵明 意訳・川島雄三

お陰様をもちまして、拙ブログは三月下旬をもって、満四周年を迎え・・・ることに相成るのですが、その前に、もうひとつ、記念すべき出来事がありました。
何と、拙ブログは2005年3月の創始以来、投稿数がちょうど「1,000本」に達したのです!(*^ー^)/°・:*【祝】*:・°\(^ー^*)

e0027240_9153823.jpgまあ、我ながら、この大変な時期に何をやっているのか・・・と思わなくもないですが、まずは何事も一区切り・・・ということで本日ばかりはお許しください。

(←晴れた日ばかりではなく、風雨にもさらされました(笑)。)

この間、アクセス頂いた数は途中から切り替えたこのエキサイトだけで、約11万・・・。
他に別館として、一時期、併設していたライブドアgooでのアクセス数も含めれば、おそらく、20万近い数字になるのではないかと思います。
これもひとえに、皆様のご愛顧の賜と感謝する次第です。

思えば、私も今年は年男
36歳・・・、はい、大嘘つきです(笑)。)
今年になって、少し、自分の体の変調を感じています。
とにかく、二日酔いがハンパないくらい酷いんです。
先日も初めて、昼飯をまったく食うことが出来ませんでした。
今までは、いくら気分が悪くても絶対に昼飯は食ってたんですけどね。
やはり、体力の衰えは隠しようがないのでしょうか・・・。

となれば、なおのこと、人間、楽しまざるをこれ如何・・・でしょう。
あと何年こういう生活が出来るかわかりませんが、また、本業の方も、なかなか、楽観できない状況になりつつあるのですが、いずれにしても、日本映画界の奇才・川島雄三監督ではないですが、「歳月人を待たないぜ」でもあります。
(この人の訳は本当に素晴らしいですね。陶淵明「我が意を得たり!」といったのではないでしょうか。教科書通りの訳よりと比べると、なおのこと、その秀逸さがわかるような気がします。)
ということで、周囲の冷たい視線にひるむことなく、やれるべきことは、今のうちにやっておくことと致したいと思います。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-01-30 08:11 | 私小説 | Trackback(1) | Comments(10)

半漁人と化した親友に聞かせる荒城の月の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11352114.jpg昨日の福岡県地方は久しぶりに好天に恵まれ、昨日までと、うって変わって過ごしやすい一日となりました。
でも、今日はまた、天気が崩れると言ってましたが・・・。

(←昨日は夜も割と暖かったですが、さすがに山沿いは冷えましたね。)

で、昨日、トイレから出てきたら、うちのガキが会話していました。
「お父さん、どこ行った?」「せっちんぐ~だよ」・・・と。
「????」と思い、「せっちんぐ~って何だ?」と尋ねたところ、何と、「雪隠」(つまり、便所、トイレのこと)のことだったんですね。
思わず、「おまえたちゃ、雪隠やら知っとうとや?!」と聞くと、「うん、学校で習った」と。
今の学校教育もまんざら、捨てたもんじゃないな・・・と(笑)。
でも、「せっちんというのは雪が隠れると書くんだぞ」と言ったら、「そんなのどうでもいい」と実にあっさりした答え・・・。
やつらにとっては、「雪隠」などという味わいのある言葉ではなく、単に、ひらがなで「せっちん」に過ぎないんですね。
だから、去年の流行語大賞に引っかけて、「せっちんぐ~」などとなるわけで・・・。

その意味で、少し思ったことがあります。
私が幼稚園くらいの頃、たぶん、昭和40年頃だと思うのですが、少年漫画雑誌にあるホラー漫画が載っていました。
あるいは、今話題の楳図かずお御大の作品だったかもしれませんが、科学者人体改造されて、身も心も半漁人にされてしまった親友が、最後は本能の命ずるままに科学者を殺し、そのまま海に消える・・・というストーリーでした。
(ただ、当時は、私は、少年漫画など滅多に買ってもらえませんでしたから、誰かが持っているのを読める機会があれば、文字通り、むさぼるようにして読んでいた・・・という状態で、従って、その漫画も連載の最終回の一話だけしかしらないのですが。)

で、私が今でも覚えているのは、そのストーリー的な物ではなく、波間に消えようとしている半漁人の親友に向かって、主人公の少年がハーモニカを取り出し、「そうだ、彼が一番好きだった荒城の月を吹いてみよう」と言って、演奏する場面でした。
つまり、驚くべきは、滝廉太郎作曲の「荒城の月」などという楽曲が当時は、読者対象であった私より10歳くらい上の子供たちの間では奇異なく受け入れらる曲だった・・・ということですね。
(もしくは、もっと上だったであろう作者の世代にとって・・・ということだったでしょうか。)
今の時代に、半漁人と化して、波間に消えようとしている親友に、「荒城の月」なんて演奏したら、戻ってくるどころか、一気に深海まで潜っちゃいますよ(笑)。
まあ、いずれにしても、好きな曲と言われて、「荒城の月」を思い浮かべる・・・などというのは、「雪隠」と「せっちんぐ~」などと言っている世代にとっては考えられない話でしょうね。

ちなみに、その漫画では、親友君はハーモニカの演奏に一瞬、こちらを振り返ったものの、そのまま、波間に消えました。
・・・その選曲は正しかったのか?(笑)。   
                                      平太独白
by heitaroh | 2009-01-29 08:35 | 文学芸術 | Trackback | Comments(6)

太平洋クラブ球団にみるまず話題になることの是非 その2
親愛なるアッティクスへ

先日からの続きです。

末期的な状況で、商品としての魅力に乏しかった太平洋クラブライオンズ営業担当として売り出すことに手腕を振るったマーティー・キーナート氏の「話題作り」というやりかたについてですが、この点で思い出したのが、長野県須坂市動物園です。
ここは私も最近、知ったのですが、全国から客が押し寄せる人気動物園だそうですね。
ここもご多分に漏れず、元々、縮小廃業の話も出ていたような動物園だったのを当事者の営業努力でここまでにしたのだとか。
旭川動物園は知ってましたが、他でも人気の動物園が増えてるんですね。)

で、ここの目玉はサンドバッグを叩くカンガルーだそうですが、それ自体は以前からやっていたのだそうです。
ということは、つまり、外部へのアピールが不足していたんですね。
で、そこに目を付けた担当者は、マスコミなどへの売り込みに取り組み始め、イベント企画の際にはメディアにメールファックスをこまめに流すことを怠らなかったとか。
(この点は、ボクシングの亀田ファミリーを思い起こします。)
担当者曰く、「いいことをしても注目してもらわなければ意味がない」と・・・。
まさしく、マーティー・キーナート氏の言わんとしたことはそれだったでしょうか。

そういえば、昭和41年、この年の巨人の新人、堀内恒夫投手のデビュー戦が決まった際、高校時代の野球部監督が、堀内投手に向かい、「一回り大きな帽子を被って投げろ。そうすれば、投げた瞬間、帽子が吹っ飛ぶから、いかにも力投しているように見える」と言ったという話があります。
堀内投手は「そんなのいいですよ」と言って、これを断ろうとしたところ、監督は、「いや、アマチュアならそれでもいいんだが、プロとなると、何か、ファンを惹きつけるセールスポイントがいるんだ」と言ったとか。
すなわち、「アマチュアと違い、プロは実力だけがあればそれでいいというものではない」というわけですね。
・・・何とも考えさせられる話ではありますね。

その意味では、卓球の四元奈生美選手が、奇抜なコスチュームで試合に臨み、注目を集める反面、白眼視されてますよね。
私も、この点は、あまり、彼女の行為を褒めるつもりはありませんが、競技自体の注目度を高めようと言う方向性自体は責められない行為のようにも思えます。
ただ、こういうのはやはり、どこかで歯止めが必要で、以前、台湾に行った際に、向こうの噛みたばこの話を聞いたのですが、噛みたばこなどというのは、結局、どこで買っても変わらないわけで、その結果、露出が多い女性を置いた店が客が殺到した・・・と聞くと、どの店も露出が多い女性を起き、やがて、女性の露出合戦の様相を呈し始め、ついには、あまりに目に余るものとなったことから、当局の介入を招いた・・・と。
話題作りは必要でしょうが、やはり、商品の魅力で売るのが本来の姿であり、それが出来ない場合にはやむを得ない行為だということは見失わないようにする必要があるのでしょう。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-01-27 18:00 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

定額給付金に見る靴の市場調査の妙
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10302345.jpgこの週末、福岡県地方はこの冬一番積雪・・・でした。
夕方までは、「見事な綿雪が降ってるな」・・・という感じだったのですが、夜半になって、外を見たらこの状態(←)で、びっくり。
(こちらでは夜中のうちに降って、朝起きたら雪景色・・・ってのが一般的なんで。)

e0027240_10583919.jpgもっとも、と言っても、まあ、この程度ですけどね(笑)。
それでも、温暖化の昨今では大騒ぎ・・・ですよ。
お陰様で、我が家でも、こんなの(←)が出来ました(笑)。
少し小ぶりですが、それでも、我が家でこんな大きさの雪だるまを作ることが出来たのは、私も開闢以来(?!)、ちと、記憶がないですねぇ・・・。

でもって、昨日は、大相撲千秋楽で横綱朝青龍復活優勝を果たしましたよね。
(まあ、北乃湖でも二代目貴乃花でもそうでしたが、再起を賭けて臨んだ場所で優勝を果たした場合、往々にして、そこで燃え尽きてしまうことが多いような・・・。)
その朝青龍の優勝表彰のとき、麻生太郎首相がアドリブで何か言ってましたが、私には無理して、小泉純一郎元首相のような「受ける事」を言おうという姿勢がありありとしていたように思え、何か「いやらしさ」のようなものが感じられました。
いっそ、しっかりした声で、一言、「おめでとう、よくやった!」の方が良かったんじゃないですか?

で、その結果・・・というわけではないでしょうが、今朝の朝刊でまたもや、首相の支持率が下がってましたよね。
特に、相変わらず批判が強い定額給付金ですが、これには私は別の意味で興味深いことがあります。
きっかけは、ある人のブログに「給付金について、本当に経済効果を挙げようと思えば、金持ちに優先的に配った方が効果的なんだ」とあったことです。
確かに、こういうご時世、金に余裕がない人は給付金なんてもらったって貯蓄に廻し、消費には繋がらないことも充分に考えられるわけで・・・。
一方で、どなたか評論家の人は「金持ちになんて配ったって経済対策にはならない」と述べられておられました。
確かに、こちらも、一億円現金で持っている人が1万2千円なんてもらっても、別に急いで遣う必要はないし、必ずしも、給付金の分を消費するわけでもないわけですしね。

この点で思い出したのが、昔、靴の市場調査で途上国に行った二人の調査員の話・・・。
一人は「この国では誰も靴を履いていないから需要はない」と報告し、もう一人は、「誰も靴を履いていないから、市場として大いに有望」と報告した・・・と。
まあ、今更、語るまでもない有名な話でしょうが、給付金として間違いなく一番効果的なのは、私にたくさんくれることでしょうけどね(笑)。

                                         平太独白

by heitaroh | 2009-01-26 08:28 | 時事問題 | Trackback | Comments(4)

東大安田講堂落城事件と「Z」にみる国家と若者の論理
昭和44年(1969年)のフランス・アルジェリア合作映画に「Z」というのがありますが、ご存じでしょうか。
軍事政権下時代のギリシャをモデルとして描かれた作品で、あらすじは、野党指導者が暗殺され、その真相を追跡取材するジャーナリストと圧力に屈することなく真実を暴く予審判事によって、軍の要職のお歴々には有罪が下されるも、強大な権力の前にそれはあっけなく覆される・・・という内容のものです。

e0027240_2113656.jpg

で、これを見ると、ヨーロッパの民主主義の本家本元も、結局、やってることはアジア諸国と大してかわんないじゃない・・・と。
ただ、見た目、多少、上品にやっている・・・というだけで(笑)。
(ましてや、その亜流であるアメリカなどは酷いもので、グアンタナモ刑務所でも、末端の虐待実行者にのみ全責任を負わせ、それを奨励した上層部は不問に付されたと・・・。)

その上で、先日、テレビで「日本史サスペンス劇場 特別版 東大落城 ~安田講堂36時間の攻防戦 40年目の真実~」というのをやってましたがご覧に成りましたか?
東大安田講堂事件とは、昭和44年(1969年)1月の、東京大学安田講堂に籠もった400人の若者を機動隊が「鎮圧」した事件で、この番組は、それを当事者への取材を交えながらドラマ化したものだったのですが、この問題は、以前、平太郎独白録 : 昭和43年の全共闘にみる親の立場の学生の分際論で述べたとおりで、私的には、元々、あまり、学生側に共感も理解も感じておらず、また、それは今回のドラマを見ていても終始変わらなかったのですが、一方で、これを弾圧した当事者である佐々淳行氏を始め、多くの人が学生側に理解を示していたことが少々、不思議な気持ちでした。
(学生側は、けが人が出るたびに休戦を申し込んだり、降伏したりしてましたけど、自分たちはあんな高い所から機動隊員めがけて、でっかいコンクリートの塊火炎瓶などを投げ降ろしておいて、自分たちが重傷を負うと「休戦」って、何か違うだろ・・・というような。ていうか、警察も、だったら最初から死なない程度に怪我させれば話は早かったんじゃないの・・・と。)
おそらく、私の中で納得する答えが出せるには、今少し時間がかかるようにと思うのですが、印象深いのは佐々氏が「若者にはもっと熱を出してもらわないといけない、熱を出さないから、あんな残酷な事件が起きる」ということを言っておられたことです。

この点は、私にも若き日に身に覚えがありますね。
(私も今は学生運動などには上述の通り否定的ですが、でも、20才のときだったらどうだったか・・・と言われると、「俺は加わらなかった」とは言い切れないものがあります。)
男という生き物は、基本的に、外敵と戦うDNAが組み込まれているもののようで、良いか悪いかは別として、そういう傾向は私自身も含めて現実にあると思います。
片っ端から徴兵されて、絶望的な戦場に送られている頃には、暴走族なんて存在しなかったわけで・・・。
その意味では、今朝の朝刊の隅っこにベルギーでもナイフを持った男が託児所無差別殺人を冒した・・・という記事が載ってました。
私には、人類が叡智の結果として獲得した「平和」というものがそもそも無理があるものではなかったか、つまり、世界全体がまた、戦争をいうものを渇望し始めているということではないかというふうに思え、何とも憂慮されてなりません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-01-24 17:29 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

太平洋クラブ球団にみるまず話題になることの是非 その1
親愛なるアッティクスへ

先日から、「記者たちの平和台」という本を読んでました。
スポーツニッポン新聞西部本社編ということで、かつて、福岡ドームが建設される前に福岡の球団のフランチャイズだった平和台球場時代の思い出をスポーツ新聞の記者氏らが綴った物で1993年頃に同紙で連載された物を再編集したものだとか。
西鉄ライオンズ黄金時代の伝説から、黒い霧事件で弱体化し、西武に身売りした話、福岡ダイエーホークスがやってきた頃の話までが描かれており、久しぶりに楽しんで読めた作品でしたね。

で、この中で、一点だけ、大いに考えさせられる部分がありました。
以前、平太郎独白録 「阪神、金本選手の世界記録達成に見るプロスポーツの本質!」で申し上げたことですが、故稲尾和久氏が太平洋クラブライオンズの監督時代、試合前に球団が本物のライオンを球場に連れてきたことに対して、同氏は著書の中で、「日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。しかし本当は本業でいいプレーを見せることだ・・・」と述べられ、私も、「観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に、アイドル曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場ではなく、コンサート演芸場に足を運びます」と指摘していたのですが、この案を出したのは、実は日本人ではなく、マーティ・キーナートという当時、27歳のアメリカ人青年だったとか。
・・・この名前には私も聞き覚えがありました。
そうです、あの東北楽天イーグルス初代GMに就任しながらも、開幕してすぐに、チームの不振責任を取らされて解任された・・・あの人です。
2004年の大河ドラマ、「新撰組!」タウンゼント・ハリス役を演じた人・・・と言った方がわかりやすいでしょうか(笑)。)

この人は、それまで日本のプロ野球になかったファン・サービスという概念を初めて持ち込んだ人で、ちびっ子友の会、ライオンズの歌の公募、リリーフカーの導入、身体障害者の無料招待、全試合ファンによる始球式・・・等々、今では当たり前のことも、すべて、元々はこの人が考えたのだとか。
(そう言えば、確かに、当時、私が小学校6年くらいのときに、同級生がある日突然、やたらファンクラブに入ってましたよ。)
で、冒頭の本物のライオンの話もこの人の仕掛けだったとか。
同氏も、この件については、流暢な日本語で、「本当に野球の好きな人なら、黙ってても見に来てくれる。それだけじゃ、ファン開拓にはならない。足を向けさせる魅力が球場にないとダメ」と・・・。
そして、「もっと、ニックネームを前面に押し出さなくちゃ」と言っておられたとか。
何でも良いから、まず、話題になることをやるべきで、きれい事を言っている場合ではなかったでしょうね。
確かに、当時の太平洋球団末期的な状況を思えば、商品自体に魅力がないんだから、私が当事者でも「できることは何でもやろう」という答えを出したでしょう。
嗚呼、まったくもって身の不明を恥じ入るばかりです。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-01-23 17:36 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

釜山紀行 その5 倭城
昨日の続きです。

最終日、ホテルをチェックアウト後、釜山市内より車で小一時間ほどの所にある片田舎の漁村へ・・・。
なぜ、そんなところに行ったかというと、ここに目指すべき主目的、機張城があるからです。
機張城というのは朝鮮式の城ではなく、豊臣秀吉文禄慶長の役の際、日本軍が防衛拠点とするために築いた日本式の城で、いわゆる、倭城と呼ばれている物の一つですね。

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(↑上の方に石垣が見て取れるのがおわかりいただけるでしょうか。)

ただ、日本に残る安土桃山時代の城跡のほとんどが、江戸時代に徳川幕府による一国一城令でもって完全に破却され、破却を免れた物も、大名の威光を示す為の象徴的な物へと作り替えられたことから、実戦用要塞としての「城塞」というものが日本国内では殆ど残ってないのに対し、朝鮮半島ではうち捨てられていたことで、逆に良好な状態で残っている・・・と。
ということで、一度、機会があれば見てみたいとは思っておりましたが、なぜこの城か・・・というと、それは、ここが後に筑前福岡藩初代藩主となる黒田長政が築いた城だからです。
(最近、日本人観光客が増えたんでしょうね、今回は階段なども作ってありましたが、前回来たときには、まったくの小丘だったそうです。)

e0027240_14282487.jpgで、ここに登って、長政が見たであろう視線の先に想いを馳せてみると、まず、眼下には小ぶりながらも良港があり、かつ、何とも眺めが良い・・・。
(ガイドさんによると、倭城はすべて、こういう眺めが良いところにあると。)
さすがに戦国武将の戦術眼は確かだな・・・と。

さらに、ここは、重要拠点・蔚山釜山の中間となる地点で、蔚山の孤立化を防ぐために確保しておかなければならない要衝だったわけで、だからこそ、長政が託されたわけですね。

で、この海を眺めていて、ふと思い出したことがあります。
長政ら、当時の日本軍将兵とは逆に、古代に百済新羅などの使節団が、この海の向こうにある日本に来るとき・・・のこと。
彼らは、前もって、「使節を送りますよ」と通達した後に来るのではなく、突然、船団を組んで訪ねてくるものだったそうですね。
まあ、考えてみれば、今と違い、電信設備があるわけではなし、航海自体が無事に行って帰ってこれるとは限らない命がけの旅だったわけですから、通達の使節自体、無事、到着するかどうかわからないわけですから・・・。
ただ、驚くべきはその使節団の内容で、中には、一度に700人くらいが、突然、訪ねてきたという記録もあるとか。
ところが、当時の日本政府にしてみれば、大宰府からの指示も無しに、使節団一行が勝手に市民と触れあったりして、愚民によけいなことを吹き込まれては敵わないから、決して、彼らを一般市民と触れあわせるようなことはしなかったそうです。
そのために、緊急の収容の必要に迫られて博多湾に作ったのが鴻臚館で、ここは、迎賓館という立て前とは裏腹に、実際には刑務所みたいな作りになっていたと・・・。

で、最後の締めとして、今回の釜山で印象に残ったことが一つ。
それは、「セコムしてる家が多い」ということ。
機張の海沿いの民家みたいなところまで「セコム」のシールが貼ってありましたからね。
商魂こめ~て~♪、恐るべし、セコム・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-01-22 17:48 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

釜山紀行 その4 壬辰倭乱丙子胡乱


昨日の続きです。

e0027240_11413755.jpgこの日は、夕方、時間が余り、免税店やら何やらに連れて行かれましたが、私はいくら円高だからって、特に買う物も無し・・・で、独り抜け出して釜山の市場を散策。
とても、活気があって、これ以上、ウォンが下がったら国が破産する・・・というようには見えませんでしたけどね。

で、その日はもうひとつ、午前中のうちに朝鮮王朝が築いた山城跡を見たのですが、ここで印象に残ったのが、城跡そのものよりも説明看板にあった、「この城は、1592年『壬辰倭乱』1636年『丙子胡乱』で使われた」という文言です。
「壬辰倭乱」というのは豊臣秀吉朝鮮出兵に置ける韓国側の呼び名だということは私も知ってましたが、「丙子胡乱」というのは初耳で、ガイドさんに「これ何?」と聞くと、「それは、清朝が攻め込んできたときの戦争」だと・・・。
あー、そういえば、朝鮮は文禄慶長の役の後、新たに勃興した満州族の清王朝から攻められ屈服したんだっけ・・・と思いだしました。

そう考えれば、慶長の役が終結したのが1598年の12月ですから、日本では対外戦争はそれで終わっても、朝鮮ではその後も、もう一回、外国からの侵略を受けたのかと思うと、少しだけ感慨がありましたね。
おそらく、当時の日本人は皆、「外国との戦争はもう終わったことだ」という認識だったんじゃないでしょうか。
でも、実際には朝鮮では、秀吉の侵略が終結した後も1619年、1627年、1636年と三回も清と戦っていた・・・と。
(もっとも、日本は慶長の役から一年置いて、1600年に天下分け目の関ヶ原の戦いがあり、それから15年後の1615年大坂夏の陣で戦国時代には一応、終わりを告げたものの、1637年には4万人とも言われる死者を出した島原の乱が勃発しているわけで、やってることはあまり変わらなかったんでしょうけどね。)

で、ガイドさんに、「豊臣秀吉は韓国では大変憎まれているようだけど、満州族も嫌われてるの?」と聞いたところ、「丙子胡乱のときは朝鮮の王様がすぐに降参したのと、戦ったのは軍隊だけで、一般民衆には特に被害がなかった。ヒデヨシさんのときは戦争も長かったし、何より、一般民衆に被害が多かった」とのこと。
・・・納得。

そういえば、会津人が未だに薩長(鹿児島・山口)を嫌っているのは、 戊辰戦争での戦闘行為そのものよりも、戦後、戦死者の遺体の埋葬を許さなかったから・・・だと聞いたことがあります。
本当に恐いのは敵軍そのものよりも、むしろ、民衆の怒りであって、この点は、現代世界の指導者、特に、オバマ新米大統領(しんまい大統領ではありませんよ(笑)。新アメリカ大統領という意味です。)にはよく認識して欲しいことです。

ということで、あと、もう一回くらい続く・・・と思います。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-01-21 08:45 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

釜山紀行 その3 母は偉大なり
昨日の続きです。

で、その前に、前回、なぜ私が釜山を経由して大邱へなど行ったかといいますと、たまたま、ある会議があったから・・・ではあるのですが、それは名目だけでして、実は、私の曾祖父高祖父らが大正の初め頃の一時期、大邱に住んでいたいことがあったからです。

当家は元々、大工ですから、おそらく、当時、そちらへ進出した日本人相手に、日本人向けのを建てていたのではないかと思うのですが、もう、詳しいことは一切、わかりません。
で、十年ほど前に戦前の大邱の地図を入手したところ、現在の大邱市の地図とあまり、変わっていないことがわかりましたので、一度、機会があれば訪れてみたいな・・・と思っているところに、その会議の話があった次第でした。
ただ、会議に参加している以上、行動にも制限があり、おまけに、標識はおろか、街中、一切、ローマ字漢字もないということには釜山で懲りてましたので、うかつに、歩いて廻ることも出来ず、結局、こちらも前回の釜山同様、ただ、「行った」・・・というだけに終わりましたけどねw。

e0027240_11474368.jpgその上で・・・、こちら(←)は釜山市博物館にあった戦前の釜山の街並みを再現した物です。
おそらく、当家が在鮮していた頃もこんな感じだったんだろうな・・・と。
「酒」と書いた提灯でおわかりのように、自宅ではなく、街の居酒屋での光景ですね。)

で、夕食後、昨日も申しましたとおり、長い夜を独りで過ごし、翌朝、まず、梵魚寺という釜山で一番の古刹へ行きました。

e0027240_11593679.jpgここで、興味深かったのがこちら(←)の光景。
まだ、午前10時だというのに、すでに、お堂の中に入りきれず、仮設のテントの中でまでお祈りする人々。
しかも、殆どが女性・・・。

これ、何だと思われますか?

ヒントは、私が行ったときは、ちょうど、韓国では受験が終わった直後だった・・・ということ。
(日本以上の学歴社会である韓国では激しい受験競争が有名ですよね。)

つまり、答えは、子供たちの受験は終わっても、母親たちはこうやって、子供の合格を神(仏?)に一心不乱にお祈りしている・・・というわけです。
まあ、無神論者の私的には、「でも、そうやってお祈りしても、毎年、落ちる人がいるんですよね?」と思わなくもありませんでしたが、でも・・・、そうは言っても、やはり、早朝から、氷点下にもならんとする寒気の中で・・・ですから、子を思う母心・・・ではありますね。
もっとも、肝心の子供たちは、受験が終わったということで、解放ムード一杯で遠足に来てましたが(笑)。

明日くらいまで解放ムード一杯でのんびりと続きます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-01-20 08:47 | 地域 | Trackback | Comments(2)

釜山紀行 その3 秋の夜長
昨日の続きです。

この釜山行きの話は、ある地元新聞系の旅行代理店からのものだったのですが、この会社は、元々、「福岡城市民の会」という、地元の歴史顕彰団体が主催する福岡近郊日帰り史跡バスツアーを主催しているところでして、私も以前、何度か取材を兼ねて利用したことがありました。
その関係で、今回、私の所へ誘いが来たのだろうと思いますが、当初、私はいつものバスツアーの延長線上で考えておりましたところ、それが、今回、申し込んだ後で初めて気づいたのですが、このツアーは、そもそも、その福岡城市民の会とは何ら関係なく、その旅行代理店が勝手に主催した単なるパッケージ旅行でした。
気づいたときにはすでに申し込んでいたし、何より、まあ、同室の方もいるし、釜山は行ったこと無いし・・・というので、「ま、いいか」と思っていたのですが、同室の方がキャンセルになりまさかの5人参加の独り状態・・・
(本当にキャンセルだったのか?という疑惑も若干・・・。つまり、最初から、そんな人居なかったんじゃないの・・・と。参加者が少ないので、私を参加させるために適当な人の存在を言ったのでは・・・という気もしないでもないような。)
で、当然、夜が暇・・・。

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まあ、同室の方がキャンセルされたと聞いた段階で、夜の暇を覚悟して、カバンには本をたくさん詰め込んで、忘れないように免税店でウィスキーも買い込んで、事に臨んだのですが、案の定、夜が暇・・・(笑)。
普段でも、誰かに誘われればどこにでも行くのですが、独りでは、どこにも出かけない人なので、秋の夜長を・・・と思ったけど、室内の照明が暗く、最近、目が悪くなってきたので、本が読めない・・・。

仕方ないから映画でも見るかと思ったら、日本語でやっているやつは1作くらいしかなく、たちまち、それも見終えて、他で日本語でやっているやつ・・・といえば、いかがわしいものしかなく、それも、最近のいわゆるAVというような類のものではなく、昭和の頃のポOノ映画のようなもので、まあ、他に見る物もないし、韓国のポOノ映画ってのにも興味があったので、見るとも無しにみてしまいましたが(だって、すること無いんだもん!)、まあ、目が肥えている(?)私には論評するに足りないような物でしたね(笑)。

で、夜は更け、翌日は少し酔いを残しながら、朝一番で、梵魚寺という釜山で一番の古刹へ・・・。
話は長くなりましたので、また、明日へ続きます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-01-19 08:12 | 地域 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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