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無味乾燥de今年最の年末ご挨拶
親愛なるアッティクスへ

まずは、今年一年、格別のご高配にあずかりましたる段、厚く御礼申し上げます。
本当であれば、先週から続いていたシリーズを終え、年末のご挨拶・・・といきたかったのですが、今年の年末、訳あって、例年になくかなりイレギュラーな展開となってしまい、不本意ながら越年となってしまいました。
ということで、続きは来年ということで、平に・・・。

で、本日、大晦日は、夕方からガキ連れて、若八幡神社こと、通称、厄八幡に行ってきました。
確か、これまでも、博多の風物詩として、度々、ご紹介しているかと思いますが、大晦日にここへ行き、その年の古いお札などを処分してもらうやつですね。
私が子供の頃などは、31日は正月の用意や大掃除が一段落したら、夕方から、てくてく歩いてここへ行くと、「ああ、いよいよ、正月が来るんだな」・・・という気になったものです。

e0027240_2028232.jpgでも、昔は、年末の厄八幡にこんな行列(←)なんてありませんでしたよ。
人口も実力以上に増えすぎるのも考え物ですね。

この点は、初詣も然り。
近所の神社も0時前から、神社の前は渋滞が始まってますからね。

昔は紅白が終わって、そのまま、てくてく歩いて、同じく近所にある神社初詣に行っても、ガラガラということはないにしても、知り合いに会えば声を掛けられる程度でしたよ。
それが、昨今では、芋を洗うような状態で、足を1cmずつ進めなければならないほど・・・。

まあ、昔から、太宰府天満宮は受験前の季節ということもあり、それなりに混雑してましたが、それでも、そこまではありませんでしたし、多いのは元日だけで、2日以降は拍子抜けするほどガラガラでしたよ。
おそらく、今は元日の太宰府詣は半日がかり・・・なのではないでしょうか。
恐くて、元日にはよう行きませんけどね(笑)。

ある感慨があります。
昭和52年、私が中三の時の正月にも家族で太宰府天満宮に行きましたが、改めて、歳月が流れたことを思うと同時に、少々、狐に騙されているような気もしないでもありませんが、ともあれ、混雑状況はまた、リポートさせていただきます(笑)。
ちなみに、このときの初詣は、太宰府の混雑よりも、なぜか、西鉄の薬院駅という駅の夜中の寂しさしが印象に残っております。
ちなみに、その薬院駅も、今では随分、立派になりましたけどね。

ということで、まだ、残務に追われており、例年と違い、気が利いたことも言えない無味乾燥な内容で終わりましたことをお詫びして、今年を締めさせて頂きたいと思います。
一年間、本当にお世話になりました。
よいお年をお迎え下さい。
                                平太独白
by heitaroh | 2008-12-31 21:15 | その他 | Trackback | Comments(0)

麻生太郎内閣の通信簿 その4 蛮勇無き財政再建
親愛なるアッティクスへ

昨日の続き・・・というより、ようやく、本題です。

麻生太郎総理のここまでを見ていて、まず思うのは、「哲学」が感じられない・・・ということでしょうか。
こういう衆参ねじれ国会のようなときには、福田康夫前総理のような良識的な人よりも、麻生さんのような「蛮勇」を持った人の方がいいんだろうな・・・とは思っていたのですが、蓋を開けてみれば、小泉純一郎元総理退任以後の、安倍、福田という「流され内閣」と何ら変わらないような気がします。

で、彼の蹉跌の根源は何と言っても解散先送りしたことでしょう。
この点は、以前も、平太郎独白録 : 麻生内閣に求められる負けるが勝ちの戦略で申し上げたとおりで、麻生さんが絶えず意識していると言われる祖父、吉田 茂元総理がそうだったように、選挙をやって、万一、第一党を失った後は連立政権などによろめくことなく、憲政の常道を掲げ、潔く首班の座を明け渡すことを選択するべきだったでしょう。
で、野党の失策を待ち、再び、政権に返り咲く・・・。
おそらく、その方が結果的には近道だったのではないでしょうか。
どうせ、参議院任期満了まで選挙がないわけですから、解散を先送りしようと、解散して与党が過半数を維持し得ようと、野党が参議院を押さえているという状況は変わらないわけですから。

であれば、それをせずに、安易に「不況」にかこつけてバラマキ選挙対策を打ち出した後に解散を考えた辺りに、どうにも、彼の祖父のような「哲学」が感じられないんですよ。
ていうか、自民党も、国民は景気対策の必要性は感じていても安易な選挙対策は決して歓迎していないということにいい加減に気づけよ・・・と。
彼は、選挙前の与党からのバラマキ圧力にも、蛮勇を持って、財政再建を睨んだ景気対策を講じるべきで、ヨーロッパ諸国の不況対策が何だかんだ言っても一桁台の兆円なのに対し、日本は12兆円・・・という辺りにもその辺が感じられないんです。
(中国は57兆円といいますが、元々、あの国は社会保障や福祉政策なんてろくにやってこなかった国でしょうから・・・。)

その上で、彼の舌禍癖や、漢字の読み間違いなどは別に大した問題ではないと思います。
問題発言については、私も同じ福岡県ですから、かねてより、世間で知られている以外にも色々、聞いてはおりましたが、彼が言ってることはそれほど間違ったことではない・・・とも思ってましたよ。
「医者には社会的常識がない人が多い」などというのも、一般に言われていることで、今更、意外に思う人の方が少ないのではないでしょうか。
ただ、それを公式の場で言う辺り、育ちの良さが感じられてしまうわけでしょうけどね(笑)。

漢字の読み間違いの方も、それくらい、いいじゃないか・・・という気がします。
総理大臣に求められているのは「調整と決断」であって、漢字の知識ではないわけですから。
でも、ちょっとしたミスも容認されない辺りに、あらためて、総理大臣という職務の過酷さを思わされる気もしましたが・・・。

年内、あと一回くらい続くと思います。

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by heitaroh | 2008-12-27 17:31 | 政治 | Trackback(1) | Comments(4)

麻生太郎内閣の通信簿 その3 失業者対策
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

政府が現況下にあって、住宅の問題と並んで喫緊に取り組まなければならない課題が、食の確保という問題です。
これにしても、せめて、この冬だけでも、コンビニスーパーなどで、賞味期限切れで廃棄される食料品などに限っては失業者に下げ渡していいようにするべきで、それが難しいなら、炊き出しなどをするNGOにでも回せるようにするべきでしょう。
メーカー流通企業などに対しても、食中毒などになった場合の彼らの責任は問わないし、他へ流れないように一旦、回収した上で下げ渡す・・・などということを考えれば充分、対応は可能なのではないでしょうか。
(現実問題としては冬場は食中毒の問題も少ないでしょうし、言いがかりを付けてくる人はレシートを拾ってでも付けてきますよ。)

特に、日本人労働者と違って見過ごされがちな外国人労働者についてはもっと配慮すべきで、彼らはこれまでも日本人と比べて低い賃金に抑えられてきたという経緯がある上に、彼らの中には妻子持ちも少なくないように聞いておりますから、妻子を抱えたまま寒空に放り出されれば、もともと、この国に愛着も何もないわけですから治安の面でも不安定要因になりかねません。
そこら辺を含めて、政治家や行政には、「何としても、この冬を乗り切らせる」という、「この冬」という一点について、もっと、意識を持って欲しいと思います。
昔は企業というのは終身雇用で家族的な考え方もあったのでしょうが、今のように企業の株主支配が強まれば、利潤の追求に反する従業員保護ということを行うのは株主代表訴訟の対象にさえなりかねず、経営陣にしてもわかってはいてもなかなか、対応が難しいところではないかと思います。
ただ、こと、外国人労働者に関しては、呼ぶ以上は企業は帰国にまで責任を持つべきで、いくら臨時雇いだと言っても、せめて、帰国のための飛行機代プラスアルファくらいは退職金を払わなければならないように法律義務づけるべきだと思います。

一方で、失業した人たちについてももっと、何か教育機会を与えるべきです。
彼らも、全員とは言いませんが、これまで、ただ単に工場のラインの傍らに立ち、帰宅してからもテレビゲームをしながら、ただ何となく過ごしてきた・・・人も多いのではないでしょうか?
(昔、巨匠・黒澤 明監督は助監督時代、昼間の重労働同僚が死んだように惰眠をむさぼっている中、独り、夜中にシナリオを書いていたといいます。)

その意味では、他者との差別化を怠ってきたという点で、彼らにも非はない・・・とは言えなくもないのでしょうが、ただ、国民とは基本的に大多数はそういうものだと思います。
であれば、政府は、失業者に対して、援助をする以上は、手に職を付けさせるとか、資格を取らせるとかして、それを怠る者には援助を打ち切る・・・というところまで踏み込んでいいのではないでしょうか。
先日、昔の同級生にばったり会ったら、あっさり、「今、別の所に勤めている」と言います。
普通はこの年で就職なんて、簡単にはないですよ。
なぜ、彼には簡単に見つかるのか・・・。
それは、彼には調理師資格と、何より、30年近い板前の経験があるからです。
もっとも、そうは言っても、そちらの業界も大変だとは言ってましたが、それでも、そういう物が何もない同級生に比べれば、はるかに就職しやすいのもまた事実でしょう。

表題と直接関係ない話のまま、ついに、ここまで来てしまいましたが、とりあえず、明日に続きます。

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by heitaroh | 2008-12-26 08:12 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(2)

麻生太郎内閣の通信簿 その2 金融危機対策
親愛なるアッティクスへ

好事魔多し・・・。
あれほど、日本が沈んでもトヨタが傾くことはない・・・という感があった「世界のトヨタ」が一転、赤字決算になっちゃいましたね。
リコーダイエーソニーもそうでしたが、あまりにも崇め祀られると、とかく、直後にこういうことが起こるもので、そうなりそうな気がしてたんですよ。
もっとも、まさか、あのトヨタに限って・・・とは思いましたけどね。
でも、さすがに世界のトヨタではあります。
トヨタが赤字を発表したら、ニューヨーク株式市場が下がりましたからね・・・。

で、昨日の続きです。
その百年に一度の不況についてですが、まず、今、日本政府が急ぐべきは外国人労働者も含めた「失業者」に対する「食」「住」確保でしょう。
どう考えても、派遣切りにあった人が、いきなり、明日から住む家もない・・・という状況はあまりにも酷すぎます。
地方公共団体などでは、一定の期限付きで公営住宅開放する動きもあるようですが、私に言わせれば、こういうときのための公営住宅ですよ。

以前から言っていることですが、戦後住宅難の時代でもないのに行政があれほどの膨大な数の公営住宅を所有する必要があるのか・・・と。
最近建築された公営住宅の中には、豪華な設備を備え、それなりに高い賃料で「入居者募集!」などと書いた立て看板を立てて入居者を募集している物もあるようですが、それって、どう考えても官業の民業圧迫以外のなにものでもないでしょう。
今の時代、これほどに民間住宅が充実(余剰?)しているわけですから、そんなの売却して、自治体の赤字を減らせよ・・・と言いたいです。

公営住宅の空きがない・・・というなら、民間賃貸物件がこれほど余っているご時世です。
民間施設に住むことが出来る人には少々、退去費用を補助してでもそちらへ移ってもらったり、それが出来ないなら、空室が埋まらないで困っている家主と交渉して、半額程度の家賃を補助してでも、格安で一定期間、官が借り上げる・・・などすれば、景気対策にもなるでしょう。
このまま、街に失業者が溢れると、治安が急速に悪化しますよ。
バラマキ給付金2兆円も使う金があるなら、そっちの方がよっぽど現実的なんじゃないですか。

ただ、一方で、住宅だけ確保したからと言っても、冬場ですから、雨風が凌げればいい・・・というようなものではなく、それなりの配慮はいるでしょう。
電気やガスの問題は官では対応が難しいなら、せめて、布団衣類カンパだけでも受け付けるべきです。
家庭から、まだ着れるけど着ない、着てないんだけど着られない衣類などがなくなれば、皆、新しく何かを買おうかな・・・という消費者心理になると思うんですよ。
そうなれば、新たな消費も喚起されるわけで・・・。

明日に続きます。

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by heitaroh | 2008-12-25 08:25 | 政治 | Trackback | Comments(4)

麻生太郎内閣の通信簿 その1 バカと蛮勇と序章
親愛なるアッティクスへ

今年もいよいよ、押し迫ってきましたね。
子供たちはいよいよ、終業式・・・。
うちのお馬鹿なガキどもも、さぞかし目を見張るような通信簿を持って帰ってくるんだろうな・・・と(笑)。
で、通信簿と言えば、以前、安倍元総理、福田前総理にも一定時点で私なりの評価をさせて頂きましたので、麻生太郎総理大臣にも・・・と。
ただ、本当は就任からもう少し経ってみてからでないと評価を下すには早すぎる・・・と思っていたのですが、支持率低下1月にも総辞職か・・・という声も上がり始めたことから、こちらも少し前倒しすることに致しました(笑)。

麻生総理に関しては、私は地元の福岡県選出ということで、無論、直接お会いしたことはありませんが、総理就任前から、色々と間接的には評価を聞くことがありました。
(もっとも、同じ福岡県と言っても、あちらは飯塚市という遠いところでして、私も含め、周囲にもあまり同郷意識の声は聞かれません。)
で、そこで聞かれる評価はすべて同じ物で、それすなわち、「あいつは、どうしようもないバカだ!」と。
(私が言っているわけではありませんよ。くれぐれも誤解なく。)
ただ、そのバカが、悪意を持ったバカなのか、親近感を持ったバカなのかはわかりませんが、たとえ、悪意を持った物であったとしても、バカというのは、ある意味、蛮勇でもあるわけで、閉塞感が伴う状況下にあっては必ずしも悪いことばかりでもないわけです。
(この点で、橋下 徹大阪府知事について、以前、「彼は大阪弁護士会嫌われ者だった」と言われたとき、私は「いや、嫌われ者にしかできない仕事があるから、それは問題ないんだが、彼のあのやり方では改革は失敗する。歓迎されない命令は実行されないということを知るべきだろう」と答えたことを思い出しました。)
ただ、一方で、あのブッシュ米大統領にも大統領選出の折は「挫折のひとつも知っている人でないと・・・」と期待したのですが、結果はご存じの通りで、世界の中心にバカが座ることの弊害を嫌というほど見せつけられたわけで、やはり、バカがただのバカになってしまうリスクもあるわけですね。

で、その麻生内閣を評価する上では、どうしても避けて通れないのが、昨今の「百年に一回の不況」でしょう。
で、麻生内閣自体の評価を云々する前に、序章として、この不況自体についても、少し、ふれておきたいと思います。
まず、「百年に一度」・・・と言いますが、それはあくまでアメリカでの話であり、日本では、私が知る限りでも、オイルショック、ゼロシーリング、円高不況、バブル崩壊・・・と、子供心にも自分の親が顔面蒼白になる事態を何度と無く、見てきましたよ。
(事実、「不況感」という点ではオイルショックのときは、現在の比ではなかったでしょう。もう、この世の終わり・・・みたいになってましたからね。)

それに対し、昨日、ヨドバシカメラに子供のクリスマスのおもちゃを買いに行ったら、レジにはもの凄い行列があり、この点では、マスコミはとかく、円高でのマイナス面だけを強調してますが、一方で、韓国では日本人観光客が押し寄せて、冬ソナ以上と言われるほどの空前の活況を呈しているとか。
(そういえば、バブル崩壊後の一番深刻な時期も、ヤマダ電機に行ったら、大渋滞で出られう、「これで本当に不況なの?」と思った・・・ことを思い出しました。)
これで本当に不況なの・・・?と。
本当に日本人って、悲劇のヒロイン症候群だよな・・・と。

長くなりましたので、明日に続きます。

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by heitaroh | 2008-12-24 07:42 | 政治 | Trackback | Comments(2)

百年に一回の失敗で諦めるというのは良くないの理
親愛なるアッティクスへ

以前、テレビで言ってましたが、王 貞治さんと松井秀喜選手の両方と対戦したことがある投手が一人だけいるそうですね。
最初、この話を聞いたときは、私と同級くらいの選手かな・・・と思ったのですが、私より6歳も上の元広島カープ大野 豊投手だと聞いて、少し、意外な感がありました。
まあ、大野投手は43歳まで現役でしたからそれが可能だったのでしょうが、先日、その大野投手の引退の時の特番が再放送されていました。
まあ、見るとも無しに見ていたのですが、その中で、ちと、考えさせられる一言がありました。

この大野投手という人は快速球と多彩な変化球を駆使して、在籍22年通算148勝138セーブ、生涯防御率2.90という素晴らしい成績を残した好投手でしたが、確か私の記憶では、元々、地元の信用組合軟式野球をしながら、広島にテスト入団した選手だったようで、従って、出てきた頃はその経歴で少し話題にはなりましたが、まさか、あそこまでの名投手になるとは思ってませんでしたね。
事実、入団1年目にまわってきた初登板では、1アウトつを取ったのみで5点をとられ、結果、この年の防御率は135.00という(13.50ではないですよ(笑)。)とんでもない数字になってしまったわけですが、ちょうど、この日、初登板ということで、田舎から応援団が持参で駆け付けてきており、試合後、大野投手はこの惨めな姿を応援団の人たちに詫び、そのまま、泣きながら「もう、これで野球をすることもないだろう」という気持ちで寮まで歩いて帰ったといいます。

で、私が印象に残った一言というのは、このとき、寮に帰った大野投手が母に電話したときのお母さんの一言でした。
本日の顛末を伝える大野投手に対し、お母さんは何と言われたか・・・。
お母さんは沈んだ息子の声に、「一回の失敗で諦めるというのは良くない」と言われたのだそうです。
大野投手は母のこの言葉を聞き、よく考えたら、自分はテスト入団だから、キャンプも満足に参加していないのに、逆に一年目で使ってもらえたということに逆に希望を見出し、頑張ろうという気になったところ、そこへ大投手・江夏豊が移籍してきて、その指導を受け、才能が開花したと言っておられました。
(この点は、福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手が当時のダイエーに入団したとlき、プロの二軍選手のあまりのレベルの高さに愕然となり、食事もとれなかった・・・という話を思い出します。川崎選手も絶望して、父に電話したところ、「とりあえず、頑張ってみろ」と言われ・・・。)

この言葉自体は、今更、驚くほどの名文句ではないのかもしれませんが、ある意味、昨今、「百年に一回の恐慌」などと言われ、とかく、暗いニュースばかりが世間を賑わせていることに対し、私には思うところがあった次第です。
(報道を見ていると、日本人は本当にこういう悲観的な話が好きな民族なんだな・・・という思いを強くします。もっとも、自分の悲観的な姿に酔っている・・・という、悲劇のヒロイン症候群的な、なかなかにしたたかな一面もありますけどね(笑)。)
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-12-22 08:20 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

オーパーツに笑い、中国の少数民族への気配りに感心。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15365377.jpg去る11日、「中国チワン族自治区で、400年前の墓を発掘していたら「スイス製」と刻まれた指輪サイズの腕時計模造品が見つかった」というニュースには思わず笑ってしまいましたね。
(←とりあえず、中国の雰囲気だけでも・・・。結構、遠いんでしょうが(笑)。)

その後の専門家のさらなる調査では、墓は明王朝時代(1368~1644)に立てられた物で、「おそらく一度も掘り返されたことはないと思われる」そうで、さらに、「埋葬時に時計も入れられた可能性は高い」ということだとか。
で、「北京からさらに専門知識のある研究家らが到着するまでは、結論は出せない」と語っているそうですが、でも、時計が初めて作られたのは20世紀に入ってからだそうですから、なぜ、そんな物が出てきたのかは謎・・・ということですが、でも、これってそんなに不思議なことではないんじゃないですか?
つまりは、墓の年代測定が間違っているか、もしくは最近誰かが堀り返したか・・・のどちらかしかないんじゃないですか。
だけど、今更、「最近の墓でした」、「すでに誰かが掘ってました」・・・とはいえないから、「謎だ」と(笑)。
何でも、考古学者らが地元出身の2人のジャーナリストとともにドキュメンタリーを作成している最中に、「棺についた土を落とそうとして、ぽろっと小さな石のようなものが落ち、それがカチンという金属音を発したので」発見したそうですから、やはり・・・。
今頃、考古学者さんもがっくり落ち込んでいるんじゃないですか・・・(笑)。

まあ、真相はさておき、この発掘場所となったチワン族自治区というのは、おそらく、少数民族自治区だと思われるのですが、中国国内に置ける少数民族の待遇という点でちと、思い出したことがあります。

10年ほど前、私が、友人の中華料理店に行った折、そこで働いていた中国人の若者と話したことがあるのですが、聞けば、その人はベトナムとの国境地帯に住む少数民族の出身で、九州大学に留学で来ているとのことでした。
そんな辺境(失礼!)の少数民族が日本まで留学に来られる・・・ということが意外だったことから、「少数民族の出身だと漢民族に比べて色々と不利なことがあるんじゃないの?」と聞いたところ、中国政府が少数民族には非常に気を使っている・・・ということを感じました。
細かいことは忘れましたが、留学はもとより、中央での登用も少数民族は優遇されたもので、その優遇ぶりは逆に漢民族からすれば不公平を感じるのではないかというくらいでした。

中国人は、ローマ人ほどではないにしても、なかなか、多民族支配ということの現実性を心得ているようですね。

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by heitaroh | 2008-12-19 18:36 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

長嶋茂雄、その大いなる幻影・・・。
親愛なるアッティクスへ

私と同年の友人たちに「長嶋茂雄さんの現役バリバリの時代を覚えているか?」と問うと、まず、10人中10人が皆、「覚えている」と答えます。
でも、ご承知の通り、長嶋さんは昭和49年(1974年)に引退したのですが、私の記憶ではその前、昭和45年大スランプに陥り、「長嶋引退か!?」と騒がれ、翌昭和46年には何とかそれを跳ね返して、MVPを獲得し復活したものの、それ以降はもう成績は下降一途を辿り、引退に至ったと。
であれば、長嶋さんが現役バリバリ・・・でやっていたとなると、それ以前の昭和44年以前ということになるわけですが、昭和44年というと私はまだ小学校2年生・・・
当時、さすがに王・長嶋という名前は知っていたものの、野球のルールやセ・パの違いなどはよくわかっておらず、となれば、同年の人たちの多くが、「長嶋の現役時代のプレーに憧れた」と言うはどうしても私には腑に落ちない話であり、実際は、「長嶋茂雄」という、あまりにも大きすぎる巨星の幻影を見ていたのではないか・・・と思うのです。

実際、長嶋さんの現役時代の数字を拾ってみますと、昭和33年(1958年)の巨人入団から昭和39年までの7年間に爆発的な好成績が集中しているのがわかります。
中でも、特に昭和38年までの6年間は最多安打6回、首位打者4回、最多塁打5回、最多敬遠5回、最高長打率5回とタイトルに顕れる以上の数字を独占しており、如何に球界に置ける長嶋さんの存在が大きかったかがわかるかと思います。
ところが、昭和40年、打率こそ辛うじて3割(5位)を打ったものの、本塁打は17本と低迷しており、ここで、思い出すのが、この年から巨人に移籍してきた大投手・金田正一氏の「長嶋の体は俺が巨人に入団したときにはもう、崩壊しかけていた。俺が巨人に入って立て直した」というコメントです。
当時、長嶋さんはまだ29歳ですから、インタビューした記者氏も「まさか」と言ってましたが、でも、長嶋さんと並ぶ天才、中西 太さんの選手寿命は実質25歳までだったことを考えれば、あながち、有り得ない話でもなかったでしょうか。

事実、昭和40年以降はそれ以前のような集中豪雨的な活躍ではなく、昭和41年は首位打者を獲得してMVPに輝いたものの、昭和42年は.283と低迷。
翌、昭和43年は自己最多となる39本塁打、125打点で打点王と(打率も2位)MVP、昭和44年32本塁打、115打点で打点王(打率3位)を獲得、そして、長嶋限界説が唱えられ始めた昭和45年を迎えるわけですが、それでもこの年、打率こそ.269(10位)と低迷したものの、105打点で打点王に輝いており、翌、昭和46年は34本塁打を放ち首位打者とMVPのタイトルを獲得し、復活を遂げたと言われるも、その陰で看板の打点は86と低迷しており、そして、翌年から、打率は.266(21位)→.269(13位)→.244(24位)と低迷、本塁打は27本塁打→20本塁打→15本塁打下降を続け、ついに引退に至ったわけで、その意味でも、長嶋さんの全盛期は昭和30年代まで・・・、現役バリバリといえるのも昭和44年以前まで、長嶋らしい輝きを放っていたといえるのは打点92を記録した昭和47年まで・・・といえるのでしょうか。

ただ、この人の記録を見ていてむしろ痛感するのは、王 貞治氏などもそうですが、その出場試合数の多さ・・・です。
入団以来、実働17年で出場試合数が一番少なかったのは昭和42年の122試合であり、引退の年でさえ128試合に出場していたというのは、現在のプロ野球から考えれば「異常」なことでしょう。
この点は、伝説の骨接ぎ師の方の存在もあったように聞いておりますが、やはり、ある意味、巨人と言えども実態は王・長嶋一座だったということの裏返しだったのかもしれませねんね。
                                   平太独白
by heitaroh | 2008-12-17 18:21 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

若さとは一寸の光陰。少年老い易く学成り難し、恋せよ乙女
以前、昭和59年放送の作家・壇一雄のドキュメンタリー番組「昔男ありけり」というのを見たことがあるのですが、さすがに、娘の壇ふみさん、むちゃくちゃ綺麗でしたね。
こういうと、「じゃあ、今は綺麗じゃないのかよ!」という突っ込みが聞こえてきそうですが、そうではなく、もちろん、今でもおきれいなのでしょうが、それ以上に若いときは綺麗だった・・・ということです。

そういえば、同じく、昔、ドラマ「北の国から」の終わりの頃のやつの中に、昔の回想シーンが出てきたのですが、その中に、まだ番組が始まったばかりの頃の岩城滉一さんと竹下恵子さんが出てきたのすが、改めて、岩城さんがむちゃくちゃ格好良くて、竹下さんがむちゃくちゃ綺麗だったのを思い出しました。
無論、こちらも、今、そこら辺を歩いていたら、見とれてしまうほど、お二人とも今でも格好いいし、綺麗なんですけど、それ以上に・・・、その何倍も、格好良くて綺麗だったんです。
(まあ、芸能人という人たちはいつも人に見られているから、若々しくいられる・・・とは聞いたことがありますが、間違いなく、保存状態はいいのでしょう(笑)。)

なぜ、こんなことを言うかというと、先日、同じく昔のドキュメンタリー番組で「小椋 佳の世界」というのがあり、(たぶん、同じ頃のものではなかったかと。)その中で、小椋佳さんが初めて、コンサートを行う場面があり、当時、「あの小椋佳が初めてコンサートを行う・・・」ということで、随分、話題になったようで色んな有名人がコンサート会場に足を運んでました。
その中に、どこかのカップルと思わしき人たちが出てきて、一般の人にインタビューしているのかな・・・と思っていたら、下に「中村雅俊」「あべ静江」のテロップが・・・。
で、改めてよく見ると、二人ともやっぱり、むちゃくちゃ、格好良くて綺麗なんですよ。
ただ、あべ静江さんの美貌は当時から有名でしたから、それほど驚かなかったのですが、むしろ、驚いたのが中村雅俊さん・・・。
あの頃は、結構、やんちゃなイメージで売り出していたので、顔自体にそれほど、男前・・・というイメージはなかったのですが、コメントしている映像など見ると、思わず、「えー、これが中村雅俊ぃーー?」・・・というほどむっちゃくちゃハンサムで、もう、目ぇきらきらさせて、まるで今時のジャニーズのおにーちゃんみたいでしたよ。
まさしく、若さとは遠くに在りて思うもの・・・、一寸の光陰軽んずべからず、少年老い易く学成り難し、恋せよ乙女・・・でしょうか。

ちなみに、小椋 佳さんは当時から老けてましたね(笑)。
(奥さんは結構、美人でしたが・・・。)
でも、小椋さんの名誉のために申し上げておきますと、昔は芸能人は別にしても、30才過ぎ・・・と言ったら、もう、立派なおっさんでしたよ。
ちなみに、私も小椋 佳さん同様(?)、別に美しい青春時代の容姿を持っていたわけではありませんから、「年取っててごめんね!」というコメントにはお答え致しかねることを前もって申し上げておきます。

ちなみに、以前、飲み屋でカラオケで小椋 佳さんの歌を頼んだところ、おねーちゃんが「これ誰?こくじらけい?」と言ったのにはぶっとびました(笑)。
「椋」「鯨」を間違えたんですね。
まあ、鯨を知っていただけ偉いのかもしれませんが・・・。
平太独白

by heitaroh | 2008-12-15 17:41 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

蛮客万来その2 「蕃客の皆さん、良く来たね」
親愛なるアッティクスへ

本日、いよいよ、日中韓首脳会談ですね。
我が家の近所は裏通りに至るまで、辻々お巡りさんが立っております。
もうすぐ、首脳の現地入りでしょうから、おそらく、あちらこちらが通行止めなんでしょうね。

で、昨日の続きですが、もし、佐藤栄作さんが日本の首相だったら、事前に、嘘でもその日だけは「甘栗 中国産」と書かせたプラカードをあちらこちらに置かせるくらいのことはしたかもしれませんね。
現総理はどうかな・・・と考えてみましたが、あの、浮世離れした麻生太郎総理がそんなこと気が付くはずはないな・・・と。

で、一昨日、その太宰府まで行ってきたわけですが、何のセミナーだったかというと、『 鴻臚館~大宰府・古代ハイウエイを探る! ― 古代官道ロマン ―』というもので、つまり、古代に大宰府から博多湾まで一直線に伸びていた国道・・・、言うならば、古代日本版アウトバーン発掘調査報告に関するものですね。
まあ、時節柄、何というタイミングの良さなんだろうなと。
1300年の時を超えて、中国と韓国の使節が太宰府に集うわけですから。
もっとも、現代では博多湾から大宰府を目指すわけではなく、飛行機福岡空港から太宰府に到着・・・なんでしょうけど。

e0027240_13444152.jpg
(↑韓国側から見た玄界灘。右端にうっすら対馬が見えていました。釜山郊外にある文禄慶長の役の折に黒田長政が築いたという倭城跡から見た風景。まさしく、つわものどもが夢の跡・・・でしょうか。)

で、そのセミナー曰く、当時の日本側の記録には新羅などの外国からの来賓のことを、「蕃客」・・・、つまり、野蛮な客と表現しているそうで、まあ、この辺は日本にも中華思想が伝播していたのかな・・・とも思わされますが、それ以前に、「平太郎独白録 アジアには王様が必要」でも申し上げたように、今の北朝鮮なども然りで、封建権力とは、とかく、自国民に向かっては、「うちの王様はどこの国の王様より偉いんだ!」というものを見せないといけないものなのだということなんでしょう。
で、そのセミナー中、講師氏が、「蕃客とか大変失礼な言い方ですが、当時は大体、そんなもので、でも、麻生さんだったら、(明日からの首脳会談でも)何かそんなこと言いそうですよね」と言ったのには思わず笑ってしまいました(笑)。

そういえば、先日、取引先の方から聞いた話ですが、「麻生さんは最初に立候補したとき、選挙演説で、『下々の皆さん』とやったらしいですよ」とのこと。
「それ、受け狙いで言ったの?」と聞くと、「いえ、真剣に言ったらしく、慌てて、お付きの人が止めたそうです」と。
・・・まあ、私には、この話は、少し眉唾のように思えますけど、いかにも、あの人なら言いかねないと思わせるところが凄いところなんでしょうね。
首脳会談の挨拶でも、「蕃客の皆さん、良く来たね」なんて言ったりして・・・(笑)。

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by heitaroh | 2008-12-13 08:29 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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