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夏の終わりの今年の夏の私の両京の総集編 その4
親愛なるアッティクスへ

一昨日の続きです。

上野東照宮は初めて行ったわけではなかったのですが、中に入ったのは初めてでした。
今回も、こんなの入っても・・・と思いつつ、時間はまだあるし、食欲は無いし・・・で、少し迷って入った次第だったのですが、思ったよりよかったですね。
お金を払って中にはいると、まず、本殿を囲む塀の外側を一周して初めて、境内に入るわけですが、この塀を見ているうちにふと、疑問が・・・。

e0027240_16263621.jpg塀にはめ込んである格子の上下には見事な透かし彫り(←)があるのですが、でも、よく見ると、突然、途切れているところが・・・。
で、傍らにいた掃除のおじさんに、「これはなぜ?」と聞いたところ、「あ、これは、戦後、GHQが来て、勝手に剥がして持って行っちゃったんですよ」と。

そういえば、福岡市の博多湾に浮かぶ能古島という島には、昔、鹿がいたらしいんですが、今は一匹もいません。
なぜかというと、戦後、GHQの連中が「レッツ・ハンティング!」で絶滅しちゃったのだとか・・・。
罪深いやつらだ・・・と。

e0027240_16354021.jpgで、東照宮を出て、汗をかいたことで、ようやく、少しだけ食欲が・・・。
そこへ「上野精養軒」という看板があり、それは何か聞いたことがあるなーで、せっかくだからそこに行くかと。
で、くたくたで、おまけに痛い足を引きづり小汚い格好でここ(←)へ。

なんだこいつは・・・という目で見られながらも、カレースパゲティを食い・・・、それでもまだ時間が余り、いつまでもここに居るわけにもいかないけど、かといって、これ以上、あちこちに行く体力もなく・・・。
仕方ないから、上野公園の中をうろうろするか・・・と思いつつ、歩いていると、急に便意が・・・。
と言って、公園内の汚いトイレで事を為すのはもの凄く抵抗があり・・・。

で、如何するしたものか・・・と思いつつ、歩いていると、上野の森美術館「高校生国際美術展」・・・なるものが開催されており、そこには、「入場無料」の有り難い四文字が・・・(笑)。
これぞまさしく、天佑!とばかり、さも、造詣が深そうな顔をして、いざ入城・・・ならぬ入場
(その割にはなぜか、終始、ガードマンのおじさんが私のそばから離れませんでしたけどね(笑)。)

いずれまた続きます。

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by heitaroh | 2008-08-31 16:23 | その他 | Trackback | Comments(4)

夏の終わりの今年の夏の私の両京の総集編 その2
親愛なるアッティクスへ

まだまだ、多忙の余波で少しバタバタしてますが、昨日の続きです。

京都から帰ってきて、中二日で今度は東京へ。

e0027240_101127.jpgなぜ、この忙しい中、こういうことになったかというと、懇意にしている方の御尊父様が亡くなり、それでお通夜に行ったわけです。

(←上野東照宮拝殿ですね。渡しも来たのは必ずしも初めてではなかったのですが、中に入ったのは初めてでした。)

ただ、普通、福岡だと亡くなってその日、もしくは翌日の夜がお通夜なのですが、東京は人口が多い割りに葬祭場が少ないからか、「亡くなりました」と連絡を受けてから、お通夜まで5日間くらいあったんですよ。
だから、行けたわけでなんですが、でも、家人に、「5日後にお通夜で東京に行く」と言ったら、「どうしてお通夜が5日も先にあるってわかるのさ!」とあらぬ嫌疑をかけられてしまいました(笑)。

e0027240_10152398.jpgちなみに、福岡市葬祭場の数は日本一だそうです。
理由はわからないそうです。
まあ、福岡人はとにかく、お祭りごとが好きな民族ですから(笑)。

(←東照宮と言えば、左甚五郎です。)

でもって、三井アーバンホテルチェックインして、到着がすでにだったこともあり、フロントに、「明日、葬儀に行こうと思ってるんだけど、チェックアウト後、どこかで着替えだけさせてくれないか?」と言ったところ、「ダメ」と・・・。
こいつら、サービスを何と心がけて居るんだ・・・と想いながらも、やむなく、真夏の暑い中、それから喪服に着替えて、バタバタと葬儀場へ。
で、翌日、飛行機が最終便しかとれなかったもので、やむなく、一日、独り、時間を潰すために上野へ行き、博物館へ行ったものの、まだ、時間はあるし、食欲はないわで、上野東照宮へ。

またまた、明日へ続くと思います。

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by heitaroh | 2008-08-29 08:51 | その他 | Trackback | Comments(2)

夏の終わりの今年の夏の私の両京の総集編 その1
親愛なるアッティクスへ

気が付けば8月もおわろうとしてますね。
今年の夏は、本当に目が回るほど忙しかったです。
その多忙も昨日でようやく一段落しました。
ガキを魚釣りに連れて行ってやるという約束をしていたのですが、8月に入ってばかりだったこともあり、どうやら、果たせずじまいで終わりそうです。
餌買ってたんだけど・・・(涙)。
去年もこの調子で、結局、9月になって、一人で遠方まで行って、釣り竿にエサ吊り下げて捨ててきたんですけどね(笑)。

で、まだ、多忙は一段落したとは言え、これまで目を通せなかった書類などは山積みになったままだし、昨日はひとりで自分にお疲れさんして、軽い二日酔いで、頭ぼーっとしてるので、手を抜くことにしました。

e0027240_1012524.jpg7月、多忙の中、京都に行って帰ってきて、中一日で、すぐに東京に行きましたので、そのときの旅行記でお茶を濁したいと思います(笑)。
(←有名な大阪難波の自由軒ランチですね。すでに泥酔してましたので、殆ど、印象はありません(笑)。)

で、新幹線を大阪で降り、昼飯食って、そのまま、京阪電車で京都へ。

e0027240_10403033.jpg実は私は今回、多忙中だったにもかかわらず、友人から「京都に行かないか?」と誘われて思い立ったのは、訳あって、ちと、行きたいところがあったからでした。

しかし、着いたらすでに、友人は泥酔しており、「諦めろ」の一言・・・(笑)。
ホテルにチェックインしてまた飲んで、一休みしろ・・・と。
で、起きたら、そのまま、連れて行かれたのがこちら(←)。
舞子はんがいるビアガーデンです。
びあがーでん言うても、そこら辺のビルの屋上とちゃいまっせ。
いやあ、風情があって、よろしおしたえぇ。

ただ、値段の方もどえりゃあ風情があったんでっしゃろうけど、払ってまへんさかい、しらしまへんのどすぇぇ。

e0027240_10435192.jpgその後、友人は「酔ったから帰る」と言い残し、私を一人置いて、何処かへ去ってしまい、やむなく私は、タクシーに乗って、「どこかラーメンのうまいところありますか?」と言うと、「こちらはうどんでんねん」と。
「では、その名物へ」・・・と言って、京都らしい一番有名なところへ連れて行ってもらったら、「カレーうどん」・・・。
思わず、ひげ男爵風に、「何言うてんねーん」と突っ込みたくなりました(笑)。
で、翌日、ようやく行きたかったところの一つ、大徳寺(←)へ。
なぜ、ここに行きたかったかと言うと・・・、それは話が長くなるのと、面倒くさいのでやめます(笑)。

多分、明日へ続く・・・と思います。

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by heitaroh | 2008-08-28 08:11 | その他 | Trackback(2) | Comments(0)

北京オリンピックの野球・・・、素直に韓国は強かった・・・。
親愛なるアッティクスへ

昨日の北京オリンピック野球日本対韓国戦、残念でしたね。
ちょうど、昼飯食いに定食屋に入ったらテレビでやってたんで、そのまま、しばらく居座って見てたのですが、同点に追いつかれた段階で「あ、負けたな」と思い、店を出ました。
素直に言って、韓国は強かったですよ。
普通、昨日の藤川なんて、打たれませんよ。
矢野配球だって間違ってませんでしたからね。
やはり、すべては負けても何も変わらない国と、負けたら戦争に行かなくてはならない国の違いでしょうね。

それと、岩瀬が随分、誤算だったようですが、この点では、2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表投手コーチを務めた武田一浩氏は「短期決戦では調子が悪い選手を使ってはいけない」と采配ミスを指摘されてました。
私は仮に岩瀬が出なくても負けたと思っていますので、まあ、仕方ないかなとは思うのですが、実は私も違う意味で少し危惧してたところでもあるんですよ。

言うと、また、面倒くさいことになるかな・・・と思い、これまで言わなかったんですが、星野仙一という人は「一度も日本一になったことがない監督」なんですよね。
つまり、長期のペナントレースを戦うのには向いていても、短期決戦には向かない監督だ・・・と。
それは、必ずしも、たまたま偶然の結果などではなく、星野さんにはそういう資質があると思います。
即ち、星野監督という人は、選手との信頼関係大事にして戦っていタイプで、それはそれで、長期戦を戦う分には有効なんですよ。
だけど、短期決戦になったら、それが有効に働くかどうかは別物です。
それを端的に表すのが、2003年福岡ダイエーとの日本シリーズのとき、王手をかけた試合で、明らかにシーズン後半から打ち込まれていた伊良部秀輝投手を先発させ、結果的に、6,7戦を落とし、逆転日本一を許すことになった采配でしょう。

まあ、星野監督以外だったら、スポンサーが付かなかったという背景とかがあるかとも思いますし、選手からの人望という点でも、一番、ベターの人選ではあるだろうと。
もっとも、前オリンピックでは事実上の監督を務めた中畑 清氏は、予選の段階で、「予選突破できればいいだけのチームなんじゃないの」人選酷評していたと言いますが、前回のように、監督経験自体が無い中畑氏がやるよりはマシだったんじゃないですか。
ということで、ま、素直に相手が強かったということで・・・。

ちなみに、決勝トーナメントの組み合わせを見て、WBCの時と同じ展開だ・・・というマスコミもありましたが、あのときだって、半分、まぐれ優勝したようなものでしたからね。
だって、韓国にも1勝2敗、決勝リーグにも1勝2敗の負け越しで上がって優勝だったんですから。
ま、銅でもいいですけどね(笑)。
銅も無理なような気もするけど。

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by heitaroh | 2008-08-23 08:48 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

神サマ仏サマ上野サマ!413球の熱投!
親愛なるアッティクスへ

いやあ、やりましたね。
北京五輪でのソフトボール金メダル!
球技での日本金メダルはまだ4度目・・・というのはも少し意外でしたが、それも全部バレーボールばかりで、それ以外での競技の金メダルは初めてだったんですね。

e0027240_10184825.jpgで、それはさておき、これって、福岡の新聞だけだったんでしょうか?
今朝の朝刊にこういう見出(←)しが躍ってました。
無論言うまでもなく、2日間3試合413球を投げぬいた福岡市出身のエース、上野由岐子投手の記事ですが、私は、この見出しを見たときには思わず、胸に詰まるものがありましたよ。

「神様仏様」とは、もう、今ではあまり、知る人もいなくなったのでしょうが、平太郎独白録 : 創って欲しいな稲尾賞などで、たびたび採り上げております、昨年、急逝された、かつての西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏の代名詞だったわけですよね。

昭和33年日本シリーズ7試合中6試合に登板し、来る日も来る日も投げ続け、疲労困憊しながらも、常勝・巨人に競り勝ち、西鉄を奇跡の逆転優勝へ導いたときに、ファンが福岡の平和台球場で稲尾投手に対し送った称号だとか。
今回の、上野投手の踏ん張りはまさしく、これではなかったかと。
ボロボロになりながらも、世界一の常勝・アメリカに挑み、明日からのことなど考えていない・・・。
(ちなみに、今、西武ライオンズ西鉄ライオンズ復刻ユニフォームで試合したりしてますが、あれは、私としては、どうしても抵抗を覚えます。西武西鉄の流れを汲む球団とはいえ、ソフトバンク南海の歴史を継承しているのと違い、西鉄の歴史を継承してない球団なんですよ。つまり、言うならば、今まで、散々、「あいつらは関係ない」と言ってたやつらが今更?!・・・と。)

思えば、稲尾さんが「神様仏様稲尾様」と呼ばれ、福岡の街を熱狂させたのは、今から、ちょうど50年前なんですね。
50年後、そして、その稲尾さんが亡くなった翌年、まるで入れ替わるかのように福岡出身の上野投手が「神様仏様上野様」の称号に相応しい大車輪の活躍が・・・。

で、毎度言ってることですが、今の日本のプロ野球にもっとも欠けているものがこれだと思うんですよ。
「彼らは技術を売っているんじゃなくて、感動を売っているんだ・・・」と。
今日の星野JAPANも、「この後ではやりにくい」なんて言わないで、是非、頑張ってもらいたいものです。
一人で400球も投げるわけじゃないんでしょうから・・・。

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by heitaroh | 2008-08-22 08:55 | スポーツ | Trackback(4) | Comments(8)

ハムナプトラ3にみるキリストより古いの理
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11192322.jpg昨夜はここ(←)にいました。
少し前の話。
久々、友人と一献やっていて、「ムシャラフ復権は大いに有り得る」、「今度のバブル崩壊は深刻だ」などという話で一通り盛り上がった後、(こんなので盛り上がるなよ・・・と(笑)。)席上、友人が突然、「映画見に行こう」と。

で、「何見る?」・・・と言われ、すかさず、「ハムナプトラ」・・・と。
なぜ「ハムナプトラ」なのかというと、たまたま、一昨日くらいにテレビで、しかも、途中から見たというだけの理由でした。
でも、私、結構、こういうの好きなんですよ(笑)。
で、行ってきました、「ハムナプトラ3」

e0027240_11554138.jpgとにかく、理屈抜きに楽しいだけの映画でしたね(笑)。
お決まりのどんでん返しも無いし。
ちなみに、「ハムナプトラ1」では、平太郎独白録 : 「明日への遺言」に「ハムナプトラ」のある死をみる その2でも触れましたように、古代エジプトの魔人に対し、大英帝国の老パイロットのジョンブル魂そのもののような死に方に、「古代エジプトって言ったところで、世界の四分の一を支配した大英帝国なんだから、気後れすることはないじゃないか」と思ったということを書きましたが、同様に、一昨日、テレビで見ただけの「ハムナプトラ2」でも、大英帝国軍人は「ボクシング」で戦いを挑み、古代エジプトの戦士は古代エジプト拳法で対抗するのを見て、「あ、俺も、この場にいたら、かなわぬまでも日本のサムライとして死にたい」と、そう思いましたね。

で、昨夜見た「ハムナプトラ3」です。
今回、これの中で印象に残ったのは、「始皇帝はキリストより古い」ということです。
劇中、主人公が、「始皇帝の時代って、キリストが生まれる前かよ」と言うシーンがあるのですが、これを見て思ったのですが、だったら、始皇帝の亡霊に襲われたときに、ヨーロッパ人にとっては神様・・・というだけにとどまらず、万物の源・・・みたいな存在であるキリストに祈っても、あまり、効き目がないような気が・・・(笑)。
「おまえ、まだ、生まれてないジャン」とか言われたりして・・・。

ちなみに、キリストは神と人間のハーフであって、神ではないんですけどね(笑)。
ちなみに、見事な人間の純血種である私は見事な二日酔いですので、これにて失礼。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-08-21 08:16 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(0)

もし織田信長が本能寺の変で死ななかったら・・・
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12542929.jpg「照りつけど
  素知らぬ顔の
    京のまち」


過日、京都に行ったときの物です。
この日も暑かった・・・。

ところで、織田信長本能寺の変明智光秀の謀反にあって横死したときが49歳・・・。

e0027240_13214611.jpgこれを聞いたとき、「信長も『人間五十年~』と謡っていた割には、一年足りなかったな・・・」と思ったのですが、まあ、遅いよりは早い分にはいいのかな・・・と(笑)。

また、信長と同様に私が敬愛する、大久保利通も、同じく49歳で暗殺されています。

その意味では、人間五十年の時代、50歳というのはひとつの到達地点であり、それ以降はまさしく、「余生」という感じで「生きていたら儲けもの」みたいな感覚だったのでしょう。
したがって、それ以前に巡ってくる「厄」ってやつは、必ずしも、迷信ばかりではなく、人間五十年の時代に、人が体調に変調を来しやすい年齢だったのだとか。
だから、男女厄年が違うわけで、おそらくは、「近所の何助さんが49歳で死んだ」、「うちの親父もが寝込んだのは42歳だった」・・・という自然のデータの蓄積が、「気をつける年齢」ということで「厄年」になったのではないかと思いますが、ただ、そう考えれば、信長も大久保利通も満で48歳だったわけですから自然死ではなかったとはいえ、まあ、平均寿命に近いところではあったわけですね。

ちなみに、「もし、織田信長が本能寺で死ななければ・・・」とは、よく、言われることですが、私はこういう人の運命なんてのにはあまり、大きな「もし」はないと思っています。
以前、ある方に、「私も、進路の選択時にそちらに行っておけば、今頃はそちらにいたんですよ・・・」ということを言われたことがあるのですが、それを聞いて私は、「いやぁ、たとえ、こっちに来られていたとしても、結局、曲折はあっても今と同じようなポジションに来ておられるものですよ。人間の運命なんて、そんなもんですよ」と言ったことがあります。
相手は怪訝な顔をされてましたが、その論で言えば、信長も、ここで死ななくても、案外にぽっくりいったような気がしますよ。
信長は、特に、健康状態に問題はなかったと言いますが、48歳と言えば、当時では、ぼちぼち、いつ逝ってもおかしくないような年齢であり、現に信長の父、織田信秀も数えの42歳(まさしく厄年(笑)。)で、突然、急死していますから、かならずしも、根拠のない話ではないでしょう。

所詮、人の世なんて、そんなもんじゃないでしょうか・・・、御同輩。
                           平太独白
by heitaroh | 2008-08-18 05:53 | 思想哲学 | Trackback(1) | Comments(8)

阿久悠物語に想った昭和 番外編 スターの年功序列論
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14283065.jpg福岡県地方では、ここ10日間ほど、毎日、夕方になると雨が降ってます。
それはそれで、有り難いのですが、気になるのは驟雨などという可愛らしい物ではなく、まさしく、スコールそのもののような豪雨が降ることです。
地球温暖化の影響で日本は亜熱帯化してきているような気が・・・。

(←大分県九重にある日本一の歩行者専用の大吊橋、九重夢大吊橋快晴であれば素晴らしいんでしょうけどね・・・。ちなみに、長さも高さも日本一だそうです。)

で、昨日の続きです。

ちと、話が順逆逆さになりますが、レコード大賞やプロ野球のオールスターでの「今結果出してる者が勝ち」的な選考基準についてですが、豊田泰光氏は昇級についても同じ事を言っておられます。

曰く、『 今は三、四年も働けばすぐ一億円になるが、冗談ではない。長嶋、王だって周りがじりじりするくらい上がり方は遅かったし、またそこに毎オフ、いくらになるんだろうと契約更改を見つめる興味があった。
 この遅々とした出世に、現役のときは泣かされた。新人王となった一九五三(昭和二十八)年のオフ。球団経営の苦しさは知りつつ、ひそかに期待していたが、球団提示は月給ベースで三万円から六万円になっただけだった。倍とはいえ、元がそう高いわけではなかったからがっかりだった。当時の西鉄代表、西亦次郎さんは言った。
「去年の中西君も三万円から六万円。これが慣例だから」
「慣例」にはかちんときたが、一年先輩でやはり新人王になった中西さんも同じというのでは逆らえない。三年後輩の稲尾21勝を挙げてやっと、月給七万円弱から三倍の二十万円になっただけだったとか。
 何年も余計にプロのメシを食っている先輩を抜くのは難しかった。
 バブル経済を経て、プロ野球はそれこそ三億、五億と夢の年俸を手にできるようになったが、しかし、今はいきすぎだ。
 以前安打製造器張本勲君と雑談していて、球界の金銭感覚が話題になった。ある球団の社長が契約更改で若い選手に 「たった二千万円、どうして上げられないのか」と詰め寄られ、あぜんとしたという。二千万円を「たった」で片づける選手がいるかねえ、と嘆じたものだった』と。

この点は、旧来の年功序列型社会ではなく、中途半端に、アメリカ型実力優先社会に移行してしまった日本の現状が反映されているのでしょうし、かつてのように、アメリカが太平洋の向こうにあった時代と違い、情報的に陸続きになってしまった現在では、いかんともし難いのかとも思うのですが、昭和人である私的には、評価をその時の成績だけで決めてしまう社会というのは、何とも、肌に合わない気がしますけどね。

ちなみに、豊田泰光氏が西鉄ライオンズ時代の一年目、新人王を獲るほどの活躍をしていながら、オールスターに出られなかった・・・という話をしましたよが、面白いことに、この時は氏はファン投票でさえも選ばれてないわけで・・・。
この点は、当時は、ファンもまた、しっかり地に足が着いていたのか・・・と思ったのですが、よく考えたら、氏は、一年目、打撃成績では清原和博選手に抜かれるまでの高卒新人の本塁打記録を作るほどの活躍をしたとはいえ、守備では、地元出身選手を遊撃手のポジションから追い出してレギュラーの座を獲得しておきながらも、エラーだらけで、しかも、それでしょんぼりしているならともかく、「エラーした分だけ打って返す」などと平然とうそぶいての活躍・・・ですから、これでは、ファン投票で選ばれるというのが無理な話だったかもしれませんね(笑)。

あと一回くらい続くような・・・(笑)。
                                  平太独白
by heitaroh | 2008-08-16 18:04 | 文学芸術 | Trackback | Comments(10)

阿久悠物語に改めて想った昭和 その5
親愛なるアッティクスへ

で、少し間が空きましたが、先週からの続きです。

e0027240_17374770.jpg先週から申して参りましたように、阿久悠という人は、如何にも、歌手の売り出し戦略に合わせたような詞を書いておられますよね。
この、時代に迎合したような部分が、当時、私が侮蔑した部分でもあったのですが、今回、このドラマを見て、その認識は改めました。

阿久悠という人物は、「いかにも売れそうな詩を書く」商業的職業作詞家などではなく、「媒体を売れるように加工し、その一助として売れそうな詞を付けて売り出す」総合プロデューサー的な幅広い仕事をされた方だったんですね。

特に、この人が、一作詞家の範疇を越える手腕を発揮するのがアイドルの場合。
山本リンダ、フィンガー・ファイブ、ピンク・レディーなど社会現象にまでなった素材に関しては、完全に市場が受け入れるような形に「加工」して売り出すことをしてますよね。
(阿久氏は、駆け出しの頃、他の人が書いた歌詞を一々、書き写し、そこから時代のワードを探っていたといいますが、この辺が、この人の市場調査能力の高さに繋がっていたのでしょう。)
この人は、おそらく、「社歌を書いてくれ」と言われたら、「コンセプトは?」と尋ねる人ではなかったと思います。

それだけに、「加工」の必要が認められない素材には、あまり、食指が動かなかったようで、スター誕生に応募してきた山口百恵に対し、「君は主人公の妹にしかなれない」とコメントし、辛い採点しかしなかったと。
これはプラモデルを組み立てるのが好きな人が組上がったおもちゃには興味を示さないのと一緒で、つまり、百恵ちゃんは、最初から加工の必要がないほどに完成度が高かったのではないかと。
でも、私は、最初から、桜田淳子、森昌子との中三トリオの中では、一番、惹かれる物がありましたよ。
(意外に森昌子ちゃんは可愛いと思ったんですけどね。)

それが、私の偏った感覚などではなかったことは、百恵ちゃんは、スター誕生では専門家の評価では辛い採点になったものの観客の票、つまり、聴衆の支持を得て合格点を叩き出した・・・ということが如実に物語っているのではないでしょうか。
(さらに、「商売」という点では審査員より、より、市場に密着していると言って良いレコード会社に至っては21社も手を挙げたという・・・。何をか言わんだったでしょうか。)
つまり、観客は必ずしもプラモデルを求めていたわけではなかった、そこが、供給側と消費者の感覚の差ではなかったかと・・・。
あるいは、阿久氏には、「観衆は口に合うように味付けされた物だけを受け入れる」という誤った認識があったのかもしれませんね。

あと1回くらい続く予定です。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-08-15 17:17 | 文学芸術 | Trackback | Comments(6)

自我自賛 3 柔道ではなくJUDO!
親愛なるアッティクスへ

本当はの間は、例年通り、ブログは休むつもりだったのですが、どうやら、盆明けからまた、少し忙しくなりそうな雰囲気なので、今の内にUPしておくことにしました。
まず、北島康介というのは、本当に凄いですね。
周囲から金メダルが「獲れる」と言われ、本人も「獲れる」と言い、実際に「獲れる」というのは、当たり前のように見えて、結構、凄いことなんですよ・・・。

と、まあ、北島選手のことはさておき、以前述べました、「平太郎独白録 : 自我自賛 1」「平太郎独白録 : 自我自賛 2」の続きになるのですが、先日、現在の日本柔道が置かれた環境を特集した番組を見たのですが、結論から言えば、今のオリンピックでの柔道は柔道ではなく、もはやJUDOなんですね。
これはもう、まったく別の競技と考えた方が良いですよ・・・。

柔道は、オリンピックの正式競技に採用されたことで、各国の威信を賭けた「勝負」の対象となり、その結果、ヨーロッパでは各民族に伝わる伝統格闘技の要素を取り入れ、独自の進化を遂げ、ついには、フランスを世界一の柔道大国に押し上げてしまったわけですね。
でも、それは外国人力士が多いとは言え、相撲のように日本国内で完結>している競技と違い、一旦、柔道を世界に広めてしまった以上は、カラー柔道着の導入然り、原型から変えるなと言うのは、もう、虫が良すぎますよ。
即ち、「一本勝ちこそが柔道」と言うのなら、柔道は、あくまで、日本国内から出してはいけなかったのだと。
(まあ、そちらの方が見てる分には面白いですけどね。)

で、その番組中で採り上げられていた、100kg超級の石井 慧選手の言葉が大変、印象に残りました。
「本当に勝つ奴というのは、力が強かったり、才能があったり、努力をする奴が勝つんじゃなくて、変わっていく環境にいち早く順応できる奴が勝つ」 ・・・と。
心から、この選手は、凄いこと言うなぁと思いましたね。
まさしく、「若いサルが、もらった海水で汚れを落としてから食べるようになったとき、最初は同年代の仲間に、次には上の年代へと広がりを見せ、年老いた猿ほど後にそれをやり始めた」という幸島の芋洗い行動そのままに、年齢を重ねていくと、どうしても、体験や思い入れなどという要素に縛られていくことになり、新たな変化に対応出来にくくなる・・・ということを思い浮かべました。
「老兵は死なず、ただ、いつまでも口を出すのみ」・・・なおさら、始末が悪い(笑)。)

その意味では、私がプロゴルファーの石川 遼くんについて感じた素直さというのは、武器となると同時に不安要因でもあり、この点は、同世代の子供を持つ親としては、「ああ、なりはでかくてもまだ、子供なんだな」と実感することでもあります。
ただ、新技術を導入する際には、間違いなく、若い選手というのは、有利ではあるんですよ。
遼くん然り、石井選手然り・・・。
四の五の言っても勝つためには現在の枠組みの中でやっていくしかないわけですから、石井選手には、新時代に対応した選手として、是非、頑張って欲しいと思ってます。

ちなみに、「野球は外野席では見ない」「ガキに手加減はしない」「家で飯は作らない」をモットーにしている昭和人である私に、偉そうなことを言える義理はいささかもないんですけどね(笑)。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-08-14 08:35 | スポーツ | Trackback | Comments(10)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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>Mさん  そうだ..
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壊れた時計が動く理由もネ..
by M at 20:38
> sakanoueno..
by heitaroh at 12:35
なるほど。 先日の疑問..
by sakanoueno-kumo at 22:50
>sakanoueno..
by heitaroh at 10:05
キリのいい年となると、あ..
by sakanoueno-kumo at 19:28
>細田さん すみま..
by heitaroh at 10:36
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