<   2008年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧

あまりにも暇だから
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15374313.jpg今日はここで時間つぶしてます(笑)。
飛行機が最終便しか取れなかったんですよ。

で、ここは東京国立博物館です。
(←正確には、東京国立博物館の中の一部、法隆寺宝物館です。)

これで、日本の国立博物館はすべて行きましたが、正直言って東京はちと期待外れでしたね。
これでおしまい?って感じで・・・。

無論、一部を除き、すべてくまなく見たのですが、東京の国立博物館なんだから規模的にも、もう少し大きくてもいいんじゃないの・・・って気がしなくもないような。

それに、設備が古いというのはやむを得ないにしても、気が利かないというか、展示品に説明書きも少なすぎで・・・。
ガイドの声がするヘッドホンみたいなやつが貸し出されるわけでもないし、配置だって、もう少し考えて配置しろよ・・・みたいな感はぬぐえませんでしたね。

e0027240_12255329.jpg充実しているのは、ミュージアム・ショップのみ・・・って感じで。

(←こちらがおなじみの本館ですね。一応、参考までに(笑)。)

ちなみに、まだ二時間くらい時間つぶさなければなりません。
嗚呼、荷物が重たい・・・。


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by heitaroh | 2008-07-31 15:37 | その他 | Trackback | Comments(0)

今、ここて゛すw
親愛なるアッティクスへ

e0027240_0161066.jpg

本日は東京は蒲田お通夜にきたはずですが、何故かここにいます。
川崎市初体験です(笑)。

明日は、最終ビンまで帰れません(i_i)
やや、酩酊気味です。

今日は久々・・・、ホント、久々に飛行機の中で寝ました。
だから、今、絶好調です。
友人は帰っちゃいましたが、まだまだ、行けそうなので、一人でホテルに帰って部屋飲みします(笑)。

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by heitaroh | 2008-07-30 23:58 | その他 | Trackback | Comments(0)

大監督、川上哲治が見た真夏の夜の白日夢!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_18215365.jpg毎日、夏本番って感じで、暑いですね。
博多も、毎日、この(←)状態です。
見るからに暑さが伝わってくるでしょうか・・・。

で、この暑さの中、なかなかに多忙を極めておりまして、なかなかにこちらの方まで手が回りません・・・。

本日は・・・、いや、本日も手抜きの、季節にぴったりの涼しくなる話です。

未だに破られることのない、「1試合11打点」の日本記録を持つ元プロ野球選手に飯島滋弥という人がいます。
(この試合で氏は、1回に満塁ホームラン、7回に満塁ホームランと3ランホームランを放ち1試合11打点を記録すると同時に、1イニング2本塁打、1試合2満塁本塁打、1イニング7打点を記録。)
この人は、昭和26年にこの記録を作って4年後の昭和30年(1955年)に引退しておられますので、今や、殆ど、この人の選手としての実績をご存じの方は少ないと思います。
(むしろ、この人の名前がプロ野球ファンに記憶されているのは、東映フライヤーズの監督代理時代に、打席に向かおうとする大杉勝男選手に対し言った、「月に向かって打て」の名文句でしょう。)
その飯島氏ですが、この方は、昭和45年(1970年)8月9日に癌で逝去されました。

で、その前日の8月8日、後楽園球場。
当時、この時点で5連覇を果たしていた巨人の川上哲治監督が、試合開始前にグランドに姿を現したところ、スタンドから、「川上さん、川上さん」と呼ぶ声がする・・・。
ふと、見上げると、そこには、飯島氏の姿・・・。
「あれ?飯島さん、入院中だったんじゃないですか?」
「ええ、実はそうなんですが、野球が見たくなって来ちゃいました」・・・と。
それを聞き、川上監督は、「そうですか、それはそれは。どうぞ、お大事になさってください」とだけ言って、その場を後にした・・・と。

で、その翌日、川上監督は飯島氏の死を知り、その話を新聞記者氏らにしたところ、誰もが、「まさかぁ。」と言う・・・。
「だって、川上さん、今日亡くなった飯島さんは胃ガンで他界されたんですよ。だから、昨日はグランドどころか昏睡状態ですよ・・・」と。
「そんなこと言ったって、見た物は見たし、口も聞いたんだ」・・・と。
川上監督という人は、決して、そういう面白おかしい作り話を話せるような人でもないし、何より、その真剣な表情に、一同、言葉をなくしたとか。

川上監督が見た飯島氏の姿とは一体、何だったのでしょうか・・・。
野球好きで好きでたまらなかった男死の瞬間まで、グランドに現れる・・・ということなのでしょうか。
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-07-28 18:19 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

東京裁判における力と論理のパラドックス
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1551042.jpgここ最近、かなり、忙しくしています。

で、以前、その合間を縫って福岡アメリカン・センター(在福岡アメリカ領事館広報部)で「アメリカ大統領選挙における電子メディアによる世論の形成」というセミナーを受講(←)してきました。

講師は、共和党のルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長の選挙参謀を務めたという、私と同世代くらい(違ってたら失礼!(笑)。)の美形の女性でしたが、まあ、内容的には改めて驚くほどのことはありませんでしたね。
で、本来、目立つことが嫌いな私も、一つだけ、常々、思っていることを質問してきました。
曰く、「過去二回の大統領選挙での混乱を念頭に置いての質問だが、これだけ電子技術が発達したのであれば、電子投票での開票結果に何らかの操作を加えることが可能なのではないか?」と。
当然ながら、これを認めることはしませんでしたが、その代わり、「電子投票というものは、かなり、投票者のことを把握できる、つまり、その投票者に対して何らかのアプローチをすることが出来る」ということを言っておられました。
ま、何をか言わんや・・・でしょうか。

これに対しては、また、いつか取り上げたいと思いますが、この季節のアメリカ繋がりといえば、どうしても、東京裁判が想起されます。
が、昨今、これに対しての法的効力の是非や公平性の有無を云々する意見を多く耳にするようです。
しかし、私としては、これはあまりにも無意味なことのように思えてなりません。
そもそも、戦争に勝った国が、敗戦国に対して、公平な裁判を実施してやらないといけない担保は何でしょうか?
ジュネーブ条約ハーグ条約etc・・・、それを遵守しなかった国はそれ以上の強国が軍事力を以て、自国民の血を流してまで制裁してくれるのでしょうか???
また、アメリカのように、それ以上の強国が存在しない場合はどうなのでしょうか?

本来、敗戦国とは、基本的に戦勝国に対して何をされても文句を言えないものであり、理論的には皆殺しにされることさえあるのです。
もし、日本が勝ってたら、裁判などせずに、「問答無用!」で処刑したかもしれませんし、ソ連だったら、裁判どころか、日本人は全員、シベリアへ移住させられ未だに遺骨さえ見つかっていないでしょう。
その意味では、アメリカは、まず結論ありき・・・であったとは言え、裁判しただけマシだったのではないでしょうか?

そう考えれば、日本人は少々、法律というものを過信しすぎるところがあるように思えます。
法律というものは、必ずしも絶対の物ではありません。
その国の法律というものは、当然ながら、その国の主権の及ぶ範囲のみで機能するもので、その国が独立国として自治が行われていることが前提です。
となれば、これまた当然、国家以上の「力」の前では法律というものは、まるで無力だとということであり、不公平な裁判など受けたくないなら、戦争に負けてはいけない負ける戦争は始めるべきではない・・・ということだと思います。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-07-25 18:47 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(7)

映画「南の島に雪が降る」にも見る平成日本人のは別の民族
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10245676.jpg世間は連休、そして、子供たちはついに夏休みに入りましたね。
私は、この連休中、誰も遊んでくれないので、一人で、録りだめしていたDVDを見ました。

その中で、私が生まれた昭和36年(1961年)に放映された作品で、『南の島に雪が降る 』というものを見たのですが、これは、長門裕之、津川雅彦兄弟の叔父で、黒澤明「七人の侍」の一人としても知られる往年の名優、加東大介氏の軍隊時代の回想を元に作られた映画だそうです。
私も平成になってからリバイバルで作られた同名の作品は知ってましたがオリジナルの方を見たのは初めてでした。

でもって、この季節になると、毎年、「戦争・・・意識」というものが一面に立ちこめてきますよね。
今年も幾つか、そういうドラマなどが予定されているとも聞きます。
でも、私は最近のそういうものは殆ど見ないんですよ。
(昨年だったかの老漫画家、水木しげるさんの体験記を描いたものは見ましたが・・・。)
なぜかといえば、どう見ても、そこに出ている若者たちは、平成の日本人の顔なんですね。

この点は、以前から、平太郎独白録 : 織田裕二の誕生日に思う人間五十年の時代の椿三十郎などでも申し上げていることですが、今の平成の日本人の顔と昭和の日本人の顔とは、もう、同じ民族であるようには思えないんですね。
つまり、今の日本人の顔は、昔に比べ、全体に若いんですよ。
それは私も含めて・・・ですが、ただ、私はそれが、必ずしも良いことだとは思っていません。
(昔、見て、大変良い映画だなと思った物にアメリカ映画の「白い嵐」というものがあり、この中に、紅一点ドクターが出てきます。で、劇中、若者たちがこの夫人をさして、「御年30歳だけど、まだまだ、いけてるぜ」みたいなセリフが出て来るのですが、これを見ると、確かに、アメリカでも、今の30歳は若いですよ。まあ、潮風に当たると言うこともあるでしょうし、何より、そこまで、設定にこだわっていたのか・・・とは思いますけどね。)

その点、この映画は、戦争が終わって、16年しか経っていない時点での作品ですから、そこに出ている36歳以上の人たちは、皆、普通に戦争体験があるわけで。
私が子供の頃は、普通に戦争体験がある大人たちがごろごろしていましたから、その意味では、主演の加東大介を始め、志村喬、伴淳三郎、有島一郎、西村晃、桂小金治、三木のり平、小林桂樹、森繁久彌など、往年の名優たちは、すべて、皆、あの時代の顔なんですよ。
特に、有島一郎さんは、博多弁をしゃべっていたこともあり、特に、親近感が沸きましたねぇ。
いましたよ・・・、確かに・・・、ああいうおじさんが・・・。
思わず、胸が熱くなってしまったのは、しっかりとこの季節がさせるイタズラなんでしょうか・・・。
                          平太独白
by heitaroh | 2008-07-21 08:14 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(4)

ボウフラが人を刺すよな蚊になるまでは泥を噛み噛み浮き沈み
親愛なるアッティクスへ

今朝は、しっかり、日差しが強かったので洗濯物をベランダに干して、100mほど歩いて昼飯に行ったところ、飯やを出たら、見事なほどの豪雨・・・。
あーあ・・・と、絶句しながらも、そのまま、1時間ほど色々用事を済ませて戻ってきたところ、家人が「雨が降る前に・・・」などと言う。
「え?さっき、降ったじゃない」と言うけど、「いや、降ってないよ」と。
で、ベランダに出てみたら、まったく、どこも濡れた形跡がない・・・。
慌てて、洗濯物を取り込み、事なきを得ましたが、たった100m弱、区画にしてわずか2区画を隔てたのみ・・・ですよ。
こんなこともあるんだな・・・と思い、洗濯物を取り込んだところ、またしても、激しい日照りに。
で、再び、ベランダに出して・・・、ふと、気が付いたら大雨が降ってました(涙!)。
なんじゃそりゃあ!!!!!!!!と。
で、気を取り直し本日のお題です。

一昨日の昼、JR東海バスが14歳の少年にバスジャックされるという事件が起こりましたよね。
私が注目したのは、少年は女生徒との交際問題で両親に叱られ、「嫌がらせをするためにやった」と供述していることでした。
識者は、訳知り顔で、「凶悪、低年齢化する少年事件が後を絶たない」、「そういう事件を起こす社会の異常が背景にある」などと述べられますが、私は、この少年のその動機を聞いて、思わず、先日NHKで見た「わたしが子どもだったころ」という番組の、ロングラン劇画、「ゴルゴ13」で知られる老劇画家 さいとう・たかを氏の回を思い出しました。
  
私が印象に残ったのが、氏は、幼少から絵の才能があったにも関わらず、誰もそれを認めようとはしなかったこと・・・、特に、小学校の時に、大阪府で金賞を獲得して、「僕の絵が大阪府で一番やで!」と喜ぶ少年に対し、母親はその絵を燃やし、「うちは兄ちゃんが大学に行くから、あんたは中学出たらすぐに働いてうちの家計を助けるように」などと言い放つシーンは私も多少、似たような環境にいましたからいたたまれませんでしたね。
(私も良く、「社会や国語の成績など何の役にも立たん!」といわれてましたからね。)
親からすれば、夢を持たせることは子供のためにならない・・・と思い、心を鬼にして言ったことだったでのしょうが・・・。
(ちなみに、「1+1は何で2なん?と聞いたら、兄が物も言わずに私を殴った」ということを言っておられましたが、これも、私にも似たような覚えがありますね。)
で、氏は、中学生の頃には、「あいつの行き着く先は刑務所や」と先生らから陰で言われるようになっていたとか。

「ボウフラが~ 人を刺すよな蚊になるまでは~ 泥を噛み噛み~ 浮き沈み~♪」

これは、映画、「座頭市」に出演した森重久弥氏が劇中で歌った歌だそうで、勝新太郎さんが、これを気に入り、良く色紙に揮毫していたそうです。
もっとも、バスジャックの少年のそれは、氏のそれとは違い、「彼女と遊びたい」などという、何とも低次元の話動機ですから、毛頭、同列に論じる気はありませんけどね。

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by heitaroh | 2008-07-18 18:30 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

真夏の夜の夢!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10535192.jpg週末は、渋る妻子を連れて、毎年恒例の山笠見物に行ってきました。
博多では、この時期、山笠見物に出かけ、櫛田神社にお参りすると、その年は夏風邪を引かない・・・と言われており、これを通称、「祗園風に吹かれる」と言います。
「祗園風に吹かれとけば風邪はひかんてげなばい」と・・・。
ちなみに、その直前、車のラジオで劇作家の三谷幸喜氏が「舞い上がるというのは、博多弁でいうところの・・・だ」と言っておられましたが、それって、大正12年以来の現博多駅前人の当家ではマッタク聞いたことがありませんでした(汗!)。
(同じ福岡市と言っても、博多福岡新興オフィス街とでは微妙に違うところがあるとですよ・・・。)

で、今日は夢の話です。
人の夢の話など・・・という声も耳にしますので、本来、そういう物を取り上げるつもりはなかったのですが、昨夜ばかりは何とも興味深い夢でしたので、ちと、ここに開陳してみたいと思います。

以下、夢の中・・・。
ある先輩と、誰かの下宿のようなところで、主が帰ってくるのを持っている・・・。
傍らにあったかなり古い新聞記事が目にとまり、時間潰しにに目を通すと、その中に、当時の東京ガスの社長のインタビュー記事が載っていました。
ガス会社の社長らしく、資源について述べておられたのですが、曰く、
「君たちも(記者氏)一人の女性独占してはいかんよ。資源も然りだ。独占しようとするから、価値が高まり、価格は上がるんだ。消費者側からすればいいことはない(笑)。君たちが、独占しようとするから、その女性に対しても、やれ、スカーフだの、やれ、腰巻きだのと物を与え続けなければならんのではないかね。そのうちに、与える側が枯渇する(笑)。違うかね?無論、資源は大切にせんといかんよ。私は大事にしとるからね(笑)」と。
思わず、傍らで別の本を読んでいた先輩に、「これ、面白いことが書いてありますよ」と言って、日付を見てみると、「昭和34年」と書いてありました。

そこで、夢は覚めたのですが、 これって、結構・・・ですよ。
女性を資源に例えたり出来たのも、如何にも昭和30年代・・・って感じですよね。
それに、今だったら、資源と共に当然、触れられる為替の問題も、当時は固定相場制ですから、まったく触れられてません。
しかし、原油高騰が問題になっているときに、「独占するな」とは、我ながら、何でこんな夢見たんだ・・・と。
ちなみに、くどいようですが、これって、あくまで夢ですからね(笑)。

当時の東京ガスの社長さんは、もう、幾ら何でもご存命ではないでしょうから、もし、子孫の方が見ておられましたら、失礼は平に・・・。
でも、意外に、「うちのじーさん、こんな感じだったよ」とか言われそうな(笑)。
                            平太独白
by heitaroh | 2008-07-14 08:39 | その他 | Trackback | Comments(8)

神格視されすぎている島津斉彬の譲歩引き出し戦略
親愛なるアッティクスへ

幕末の名君として知られる島津斉彬という人物ですが、彼は愛弟子である西郷隆盛の後年の活躍から、少し、神格視されすぎている傾向があるようにも思います。
一例を挙げると、斉彬は、安政の大獄に対して、局面打開の為に軍事力をもっての形勢逆転を企図しましたが、その決断などには、少し、疑問を持ちます。
あの時点では、遅かれ早かれ、斉彬にも何らかの処分が下されたでしょうから、彼としては、他に手がなかったといえるのかもしれませんが、それにしても・・・と。

まず、斉彬には勝算があったのか?ということです。
兵力を率いて東上したとしても、途中の彦根には敵の大将である井伊直弼の井伊家が控えているわけで、直弼という人の性格からして、また、武士というものが本来、戦闘集団であることを建前としていたことを考えても、「はい、どうぞ」ということにはならなかったと思います。
おそらく、直弼は幕府大老として、諸大名に出陣を命じ、かつ、幕府兵力を動員するでしょうから、精強でしられる島津軍も「快進撃」とは行かないでしょう。
となると、島津軍は、まず、京都で朝廷を押さえる挙に出たと思いますが、すぐ傍にいる井伊家がこれをみすみす指をくわえて見過ごすはずもなく、天皇はむしろ井伊家が保護下に置いたでしょう。
その後、直弼は「島津軍に正面切って決戦を挑む」、あるいは、「そのまま薩摩に攻め込む」などというような愚かな策は採るはずもなく、斉彬が出兵した後に、斉彬と不仲の実父で先代の斉興お家安泰と引き換えに斉彬を廃嫡させればいいわけで・・・。
島津軍は精強とはいえ、孤立無援のまま、立ち枯れするように壊滅したでしょうか。

以前、誰だったか、「大塩平八郎の乱の時点で、西国雄藩の一つでも立ち上がっていたら、幕府は倒れたのではないか?」という説を唱えておられましたが、私はこの論には否定的です。
大国とは、ある日突然、衰えるのではなく、徐々に徐々に衰えていくものからです。
その意味では、何だかんだ言っても、大国のその底力は侮りがたい物があるでしょう。
(老いた大英帝国が、新興国ドイツの挑戦を二度にわたって跳ね返したことや、古代ローマ帝国が東西分裂した後も、たびたび、西ゴート族の侵攻を跳ね返したことなどがその顕著な例でしょうか。)

おそらく、斉彬も、本気で武力出兵を考えていたわけではなく、相手から譲歩を引き出すための手段として武力上洛を匂わせていたのだろうと思います。
だからこそ、鹿児島城下で出兵のための練兵を繰り返していたのではないかと。
つまり、ポーズとして・・・。
この辺は、井伊と島津の虚々実々の駆け引きだったと思いますが、「討って出るぞ!」を匂わせて譲歩を引き出す以外に、斉彬に活路はなかったでしょう。
もっともこれは、関ヶ原の戦い直後に島津氏が採った戦略でもあり、その意味では、島津氏の伝統的な譲歩引き出し戦略だったとも言えるでしょうが、相手がこれに乗ってこなかった場合、どうなったのか・・・と。
                                  平太独白
by heitaroh | 2008-07-11 08:52 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

明治維新は日本人的うろたえの賜物
私は「西洋史」というものを初めて読んだとき、それまで慣れ親しんでいた日本や中国といった「東洋史」との、そのあまりの異質さに驚いたことがあります。
即ち、それまでの日本や中国の歴史では、敵軍を打ち破って敵将を捉えたなら、そのまま首を刎ねて戦いに決着を付けるのが常識だったのに対し、西洋社会(特に中世)では、敵将を捉えたら、何と、身代金を要求し、身代金を受け取ったら敵将を釈放するという、戦争と経済とを密接に結びつけて考える、西洋独特の思考法ですね。

明治以降、日本が世界の中に乗り出すに当たって、この斬新な考え方を理にかなった物として捉え、日清・日露戦争などに代表されるように、勝ったら賠償金に代表される利益をもらう・・・などという考え方を取り入れたのは、当時の日本人にとっては「新思考法」と言ってもいいような発想の転換だったのではないでしょうか。
ただ、日本人は、これらの発想の転換を、子供のように受け容れたこところまではよかったものの、口では脱亜入欧などと言いながらも、やはり、哀しいかな、首から下はしっかりとアジアのDNAが充ち満ちていたようで、時を経るに連れ、段々と、領土欲という、単なる自己満足への傾斜が著しくなっていったことが、バランスシートで見たならば大赤字でしかなかったと言われる不毛な侵略戦争の実態であったと思われます。

ここで、日本という国の特徴を挙げると、四囲を海で守られていたことで、近隣諸国と接触することなく、言うならばギアナ高地状態で独自の進化を遂げてきたことにあるでしょう。
そのギアナ高地に緊張を与えた外部勢力からの受動的接触を挙げるなら、第一が渡来人(大和朝廷)による縄文人侵略、第二が白村江敗戦、第三が元寇、第四がペリー来航・・・であるかと思われます。
これを見ると、グローバル化が進む以前は、面白いもので、ほぼ600年周期で起こっており、つまり、外国が日本に興味を示すのは、600年に一回程度のことだったと見ることができるのではないでしょうか。
日本人には、もともとが、そういう経験、免疫が極端に少なかったところへ、ある日突然、ペリーが艦隊を率いてやってきたのですから、周章狼狽、清国のように異人の奴隷にされるのではないかという恐れが生まれ、それが、そうならない為にはどうすればいいかという真摯な姿勢で対処することに繋がり、ひいては結果的に、夷敵の優れているところを学ぼうという虚心坦懐な思考へと変化していったことのように思えます。

ところが、中国朝鮮半島などは、日本と違い、地勢的に孤立していないことから、古来より、異民族による侵略の洗礼を受けてきており、そのことが欧米列強の進出に対する反応を鈍くしたと思うのです。
それまでの、モンゴル人にしても満州族にしても、皆、中原に侵入しきたものの、その後は、「己の蛮風を恥じ、中華の徳に倣う」ことを良しとしてきたわけですが、ところが、19世紀になってやってきた「西洋」という新たな蛮族は、愚かにもそれをしなかった。
「西洋人」は決して、中華に同化しようとはせず、寄生虫のように、ただただ、利益だけを吸い続けたわけで、おそらく、彼らが、「西洋」という、これまでの蛮族とはまるで違う、異質な存在に気付いたのは、日本が脱亜入欧などと言い、いち早く、西洋化を進めたことで、列強化した時点であったのかもしれません。
                            平太独白

by heitaroh | 2008-07-10 08:14 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

西本幸雄という大正男についての忘れられない話 その2
親愛なるアッティクスへ

元プロ野球監督の、西本幸雄氏は、昭和19年、南京の予備士官学校を卒業後、陸軍少尉として中国戦線での補給部隊についています。
補給部隊と言っても、食糧、弾薬などの補給物資を運ぶ運搬主体は、主にですから、当然、兵隊の命よりも馬の方が優先>される状況だったわけで・・・。

終戦後、西本氏は、ノンプロを経て、毎日オリオンズに入団、二軍監督、一軍コーチを経て、昭和35年、ついに、大毎オリオンズ監督に就任、いきなり優勝に導き、一躍、脚光をあびるわけですが、これは、その、監督就任間もない頃の話です。
試合開始直前、大毎の三番打者だった榎本喜八一塁手は、打席に備えて、ベンチ前で素振りを始めた・・・と。
そこへ、たまたま同僚選手が通りかかり、脇を通り抜けようとして榎本選手の球界屈指のスピードを誇るパットスイングが、運悪く、その選手のあごに直撃してしまったのだとか。
当然、同僚選手のあごの骨は砕け、みるみる鮮血がこぼれ落ち、大騒ぎになって、救急車で病院に運ばれる事態に、選手たちは動揺の色を隠せず、特に、当事者の榎本選手は、顔面蒼白だったとか。

西本監督がロッカーへ呼ぶと、「すみません、不注意でした」、「すぐに病院へ行きます」、「私が責任を持って」と連呼するのみ・・・。
次の瞬間、西本監督の鉄拳が、榎本選手の顔面に、二発、三発、四発、五発・・・と降り注いだ。
そして、「バカもん!いいか、俺たちは今、戦争しているんだ!味方の兵隊が一人、斃れたくらいで何だ!!」と。

「兵隊が一人、斃れたくらい…」なんて言葉、今の日本ではなかなか出てこないですよ。
でも、西本氏にとっては、ほんの15年前までの、まごうことなき現実だったわけで。
この点で、昔、「二〇三高地」という映画の中で、日露戦争のさなか、戦闘前の弾薬搬送に従事中の博徒上がりの兵隊に、たまたま通りかかった馬上の乃木希典第三軍司令官がたばこを差し出すシーンがありました。
緊張する兵隊に、乃木はやさしく、「体は大丈夫か?」と声を掛けたところ、兵隊は、「いやぁ、わしらぁ消耗品ですき」と答え、多くの兵士を死なせた乃木が哀しそうな表情を浮かべる・・・と。
もちろん、これはフィクションだとは思いますが、ここでいう、「消耗品」という言葉こそが、兵隊というものの置かれている立場を、何より、雄弁に語っているでしょうか。

ちなみに、この後、榎本選手は西本監督の喝で目が覚めたかというと、やはり、そんなドラマみたいにはいかないわけで、試合には出場したものの、1打席目、2打席目凡退・・・。
とはいえ、三回に一回打てば強打者と言われる世界ですから、やむを得ない話でしょう。
ところが、西本監督という人の凄いところは、3打席目を迎えた榎本選手に、「オマエ!まだ、眼が覚めないのか!目が覚めなければ弾丸に当たって死ぬだけだ!」と叱咤したのだとか。
昭和11年生まれの榎本選手は、この打席、必死の想いで右前安打したとか・・・。
平太独白

by heitaroh | 2008-07-09 08:28 | スポーツ | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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